カムイモシリ
突然空間が氷の雨 「雪」につつまれた
冷たく澄ん呼吸が
この山と伊賀の民の歴史を
感じとろうとしていた
おかしな電気の箱庭に閉じ込められて生きる我々は
山河に時間をゆるし
その場にとどまる時間がありゃしない
全てに魂が存在しながら
命を繰り返し、互いを認め感謝するという
ごく当たり前の事象を
何度でもそこに行き
ここに立ち
憶いだせれば、それだけでよかった時間が
日本には生きているはずだ
祈り、奏で唱う、といったそれぞれの,方法で
それぞれに伝える行いこそが尊い自然な行為だと思うようになる
カムイモシリ 神々の世界
から
アイヌモシリ 人間界へ
人の周りの事象には全て魂が宿り
それぞれの役割をもち降り
その役割を終わると帰るという
アイヌ民族の自然な道と同じく
地球と呼応し対等に生きてきた人々の時間こそが
本来の姿であると信ずる
祈りは
けっして山寺の空海さんや最澄さんをはじめとした、その意志を受け継ぐお坊様だけの
行為ではなく、個々が神主であり
祈りの者であればいい
檀家と墓石屋、様々なイベントで稼ぐ都会のお坊様とは違うのが
こうした山河の辺境の地で祈るお坊様
どこかのおっさんのきな臭い一神教でなく
地球とこの目には見えない森羅万象の多様な自分と存在を
静かな地球だけの音の場所で感じればいいだけなのだが
おせっかいな教えやおしゃべりがが入るほど
その純粋性を濁らせて行く
濁った部分にお金があるのだからしかなたないのだが
ここ伊賀で生きてきた忍術や行者や祈りの霊場が、信長に攻め滅ばせられた事と同じく
アイヌを抑圧した松前藩や明治政府の欺瞞の行為は
今の政治屋がしっかり受け継ぎ
利権と金でネイティブな彼らと地球を馬鹿にした歴史は世界に起きてきた
熊をこの宇宙の崇高な存在とし、その強い霊性の恵みに感謝をした儀礼
イオマンテの時間
今
人は,安全と快適という怠惰を追求し
地球が強く怖いという事から遠うざけた結果
植木鉢を置いた電子レンジ付きの家に住み、休日に電気の車を磨く
というごく自然な流れに飲まれている
おかしな物質に包まれ
不便な地球から遠ざかるほど、一方的に意志を破壊された地球の強さも美しさも
記憶喪失していくものだ
人の心も電気化し、コンビニ化していく
つまり、いつでもどこでも手に入る
という勘違いを買ってる訳だ
なんて偉そうに
ジャンクな世界のコンピュータだから書ける現状をかんなみ
そのバランスを取り戻すため、恐ろしい暗黒の波の中へ向かっている
熊の存在は
僕には波であり,僕を食べようとするサメである
そして何より,海で祈り裸に近い状態で泳ぐ事が
個人的な地球との義なのかもしれない
ありのままの地球の
怖い体験と強い力を知る事で
自然に「なんだか心地よく謙虚な」領域へ向かう道が日本にはまだまだ残されている
先人達が数千年を賭し、守り祈ってきた時間が
ごく身近にもある事を知るため
ぜひ人工的な植木公園ではなく
ちょっと「あなどれない」天然の地球へ
言葉を失う、見た事の無い美しい時間で
憶いを忘れぬよう人を魅了するのも地球であるのだから
旅へ行くしかないだろう