過去の景色
パプアニューギニア
1942~1944の間に太平洋戦争により日本人約10万人、台湾の高砂族、インド兵、オーストラリア、オランダ,アメリカと戦火の渦に消えた。
東から西へ敗走した日本兵は,多くがマラリアと飢えと栄養失調で亡くなった上
怪我や病で動けず自決せざるえない、若者達がいた事を忘れては行けない。
多くの輸送船が沈められ海没した人々も幾万。
ミクロネシアのパラオ、サイパン、グアム、ロタからマーシャル諸島、ハワイの真珠湾を初め
太平洋全てが墓標であり、鎮魂の山と海なのだ。
当時この同じ場所の景色を見ていた方々は
どんな色に観えたのだろうか?
平和な時代を望み、帰れなかった彼らに
素人ながら日本酒と羊羹を手向け、セージを炊いた
祝詞をあげ,彼らの魂が安らぐ事を祈るしかなかった。
波音と風が木々を揺らす,地球の音しかないこの場で
波乗りで遊べる時代が来るとは夢の又夢だろう。
よその国に土足で上がり込み、戦争をする事が本来おかしな過ちなのだが
毒には毒をという図式が軍需産業と政治家を染めるてきたのは,今も昔も変わらない。
平和な時代とこの美しい波と呼応するのもいい
しかし心のどこかで、そうした事実をあったことを忘れないで欲しい。