水槽に生きる人

古来から山岳で続く修験道の擬死再生
彼らは命の源であの世である山を宇宙ととらえ
人知れず祈りを捧げてきた

海は沖縄地方のニライカナイに続くと信じられる
うたきと呼ぶ特別な場所があるように、人々は視覚を
超えた部分と部分で特別な場所に心に象形文字を刻んだ訳だ

先日ラジオのDjの方に海とはなんですかと?と問われたが
言葉がまったく降りてこなかった。
帰りの電車から風呂の中から寝るまで、ぶつぶつ自問自答した

水面は恐ろしさと美しさの狭間だ
足がつかない外洋の沖
水に足をつけた時から、戻れる確率と戻る意識を常に持ち
危ない感じが少しでも知らせたらすぐに戻る勇気。
ここはまったく別な世界であり、死の入り口だ。
山と違い、ちよっと休憩も水も無い生きられない場だ。

雪崩のような波の下、太陽がなくなる暗黒の水の中でも
慌てず、落ち着くには何が必要なのか?
あの波の動きの中に溶け合うにはどうすればいいのか?と
南の島の海から戻ると、海の吹き付ける薄暗い小屋で
そんな言葉を考えては書いていた

波が崩れ水中で転がり,息ができなくなり、ここが改めて別な世界だと知り

ごめんなさい!と謝った。
もし溺れて心が楽な方へ逃げれば、あの世だから
人生もすべての因果は自らの選択だと受け入れ覚悟する。

しかしながらこの、2度と見られない限度のない美しい存在を知ると、やっかいな事に2度とここから戻れなくなるのも事実だ。

言葉の脆弱さは,修験者が黙って山に入るように、自身の身で体験を積み重ね知るものだ。

宇宙と地球の全ての時間を見てきた水
あるときは水蒸気となり風となり旅をする
雨となり山から海へもどるもの
雪になり山にしみ込んでいくもの
川になるもの,瀧になるもの

地球自体が水球といってもおかしくない。
ここがただの水たまりだと思ってはいけない
あきらかに有機的で生きている。

そこで全てとのつながりを理解し
礼をつくす人を海は知っている。


生身で地球の中にいけばいくだけ
国を問わず誰もがそれこそ自然に、山河に祈り山河を慈しむものだ
学校で言われなくたって、その辺にゴミなど捨ない訳だ。
電子レンジの電気の砂塵渦巻く、都会のビルの人口的な水槽の中
じゃわからない。
宗教は自分の中にある。
全ての教えはこの地球にあると言った。
ネイティブの古い言葉を憶いだした。
子供達にも、きていな箱に入った火星の石なんて見せるよる
海につま先をつけさせたほうが,良いに決まってる。

Kyoa.jpg

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