マントラ
いつの日からかアメリカにされたハワイ諸島
祈りを避けられない場は、地球のそこかしこにある
祈りの場は人為と金で積み上げた高いビルでも
電気仕掛けのネズミの国でもない訳だ
ハワイのフラ カヒコもチャントも、本来は順位を決めるものではなく、
地球への尊重と生かせれている個人的な純粋行為である、感謝と祈りの詩であり舞あった。
やがてフラはアメリカ人が来てから、アロハシャツ(農業で移民した日本人が着物で作ったシャツ)をきて、現代人が嗜好するショーと金儲けにに堕落した。
今だ崇高なクム(踊りの師)は、そうしたきな臭い順位を決めるフラを無視し
伝統を守る事を、この瀧のティーリーフにくるんだ石が伝えている。
日本でも修験者や密教の聖が数千年の時をつむぎ続け
深山の瀧の飛瀑に導かれ、その龍神の瀧にうたれる事で浄化され
生まれ変わると感じたのも、ごくごく自然で同じ感覚なのだ
水が自ら選んだ道が
海の水が雨となり
山にしみ込み流れ
海へ戻る
命の始まりでありやはり丸く回転していくのだ
日本人が深山(みやま)で導かれた瀧の飛瀑の中で祈り、若水(おちみず)と詠んだ感覚と
ハワイアンが自然に詩たい舞った事は同等の行為である
ネイティブな人々は未だこの地球に存在し
祈り続けている
マントラ(真言)の響く星であるために
実は波の裏を泳ぐ行為も
実は瀧行と同等の行為であり、祈りである
1つを続けていると、時間が教えてくれることがある