日が傾く夕方に海岸へ行こうと感じた
まづは、食べ物を探しにマーケットへ車で向かうのだが
昔なら生きる為に漁へ出るか、畑で収穫だろうが
便利なもので、個人的な嗜好に欲望に時間を使える
戦後世代の我々は
昔の日本とは時間の使い方が随分と様変わりしたものだ
変わった事さえ見えにくい、こうした写真の箱に住んでいる
じゃあ「人が快適と呼ぶ」ここから一歩も出ずに生きられるか?
どだい無理だろう
動いてないもの
生きていない空間で
人は生きては行けない訳だから
所詮人工的な水槽じゃ、ストレスで死ぬ水族館の魚と同じだ
居はあくまでも雨風をしのぎ、寝に帰る場であり
伊賀の芭蕉が羽黒山中の水辺に構えた庵のような
己の静けさに戻る場である
一人旅は時間があるから
一人旅は自由で時間の流れに生きられる
実は一人旅は周到な準備がいる
そんな一人旅の景色は一生忘れないものだ
海から独り無事に戻れるようにといつも願う
その場へ行かねばわからないから、旅へ出て
人は誰もが山河で最後は祈るのだ
自分にではなく、その場の大きな力と美しさ,悠久の時間から生きるその場に
これこそ自然に頭がさがる
アウトドアなど呼ばれた場へ行き
不自然な金と時間の雨に毎日さらされていた
こんな事
東京の,ジャンクな町じゃ思いもしない
旅って野生と自分を忘れない為の、現代特有のバランスを取り戻す行為だ
別に海外にわざわざ来なくても、いいのだから
日本をもっと知らねばと感じた
こうしてグダグタ書くのも旅なのだから
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