ネイティブジャパニーズ
日本のすべてを表している軸を見せていただいた
延寿院 松本住職曰く
山の神天狗、仏さんに、忍者先生「役の行者」すべて仲良し
寛容で自由な昔の日本人の素晴らしい一枚
現在では空海さんの真言密教が広告的にもうまいから有名だが
天台宗は最澄さんが同じくインドから持ち帰り比叡山を道場にした
いわば伝え方の違いという訳で
カレーやナンやチャパティーを右手で食ってた彼らを偲ぶ
個人的にも仏教のこの世は来世をいいものにしよう〜という時間という教えより
生きている間に様々な修行をして会得し今と少し先をいいものに
といった空海さんの流れは我々素人にも、わかりやすい
修験道はさらに仏教や密教のいい部分を混ぜながら、山の中で実践、体験していく
訳だから、学校のような形の教本(教典)がないので、さらにしっくりする
人間の6根が邪魔するから、山できれいにしょうじゃないか!
と羽黒山の修験の先達、星野さんは話されていた
師匠が既に実践者な訳だから、紙で覚えた先生とは訳が違う
赤目の瀧を祀る延寿院をはじめ
大自然と人が名付けた、地球の人為の及ばない場に分け入り
実践し考え、感じながら行を修める方法は違いこそあるが
それこそ自然発生した素晴らしい日本の宝だ
平安時代?誰かが昔、こう言いました (たぶん)
なんて記憶力でつぶし合う学校の、おかしな点数を競い合わせる勉強より
実際に海に入り水の温度を知り、山を歩き体感し体験した教えと
良いとか悪いとは、別名次元で
どちらが深く人生に大切かは、そこに行ってみれば誰だって、すぐわかる
鳥や魚がそんな場所にいないのは当たり前、脳の大きさや科学じゃない
昨日こんな話を写真教室へお金を払い通う方々と話した
三脚で写真を撮ろうと一生懸命足を伸ばしている間に
そこには生きた時間は流れ、停滞した「物」しか写りません
ぶれようが、暗かろうがいい訳で
それこそ「人の押しつけと」、「思い通りの絵」の
気持ち悪い例の幕の内弁当写真になる
写真も人に教わるものではありません
そこに自ら独りで行き
感じたままパチり!
そ
れが自由で楽しい写真であり
その人の生き方の証明であり
その人の人格が見えます
見れる写真は山ほどある
読める写真はもっといいもです
明日から数日間、羽黒山の修験者星野さんに御逢いしに行ってきます