お行儀
あてもないないまま、地図をひろげ
その昔にこの地で命を賭して生きた
忍のわずかな影を感じれたらと思った
前から来たかった赤目48瀧へ
まづは大阪から向かった
小雨が降る中、伊賀の山は霧に包まれていた
山と雨、山と霧、山と雨は何も変わらず、同じ情緒を観ている
のだと思うと感慨深い
蛍の舞う闇に
遠く鹿の鳴き声のする山に
山から流れる瀧に
川ガラスの舞う川に
飛鳥時代に渡来人により持ち込まれたと憶測される忍のはじまり
日本書紀を始め、聖徳太子が「志能便」と呼ぶ者を使い、物部氏の動静を探らせたと記され
(戦う相手を知るには自然な事ではあるから普通の事ではあるのだが、証拠の1つとして
研究家先生が書いていた)
634年奈良で生まれ、各山で修行の末(富士山にも来た)呪術を使う役のおずぬの登場が
基根にある。(実際いたかどうかはわからないが忍者先生と呼ぶおじい、
やはり仙人のたぐいはひげのじい様のほうが雰囲気が出るから、広告的にもいいのだ)
伊賀、甲賀の人々は自然に、山中で自然発生した修験や仏教と溶けあいながら
東大寺の支配や信長を始めた諸大名の支配を嫌い発生した農民、山人、土豪
西暦1050年頃の伐羅軍団 バサラ(名張の黒田の悪党)が伊賀忍の母体だそうだ
伊賀には忍者先生が125体ほど祀られ今にある
それだけ、呪術、体術、薬法、変装(滝口は昔猿楽の村)といった
この地の特異な地域性と密に絡み合い戦災も免れ生きている
こうした特殊な忍の闇のロマンが研究者の心をに光をはなつのだろう
とにかく
彼らがいたのは事実
ショー小杉の忍者アメリカ映画は全くのでたらめ
いわゆるジューズでサメが悪者になったのと同じだ
あのおかげで、僕もいつも海のしたばかり見ている
長い時間とともに生死を求め練り上げられた
武術、体術、心の道であるのは間違いない
そんな僕もだから、命をおもうとき、地球から力を受け
命がけで生きてきた彼らを自然に、信奉し崇敬してやまない
教科書で秀吉や信長が何を言ったのしたのなんて
生きる上、この地球に何の意味もない研究家のマスターベーションで
文部科学省、教育委員会なる人々も日本の精神を
もっと組み込んでおくれ
慰安婦問題も同じく、なにより戦争が悪い訳で
事実、強制連行もあった、自ら志願し働いたねえさんもいた
ここに線など引ける訳がない
ABCの戦犯の線引きとて同じ
お寺の過去帳じゃないんだから
先生方たのむよ
地球で勝手に人の国を巻き込み
弾 うちっぱなし、武器 捨てっぱなし、骨 置きっぱなし
地球に行儀が悪い!
「飛ぶ鳥跡を濁さず」と選挙カーに書いておくれ
今回写真なし