実は、日々
九死に一生な暮らしだった
地球人
便利を通り越し
地球の強さに背を向け続け
今のように電子レンジもテレビも
余計な軍需産業インターネットも無い時代
なんとかして
生きなかくては
様々な願いや
憂いや憶いに時と自らを
重ねて生きた
日本人の祈りの旅も
命がけだった
おそらく
現存する行者の最古の御朱印帳が
広島にある
今から300年まえの
268も全国を五年かけ徒歩で旅した
祈りの記録簿である
その世界に一冊の生の記録簿に
出会ったのは
五年前
思い立ちあてもなく
訪れた
霧深い伊賀の山中の瀧寺である
瀧の飛瀑に
その瀧音に惹かれる
ように雨のお堂に1人
思うがまま
頭の計算機を叩かず
行く事
その山中の同じお堂に
300年前立っていた行者
丹下弥右エ門さん
と
時を超え
会わせて頂いた
過去の人は今の人には
会えないが
未来の人は過去に会える
やはり音ずれ
である
日々
人はなにかしら
の小さな音を聞いている
その音に
身をゆだね
流れてみる
想像の限界
四角い机の限界を
身を持って知る
記憶力大会の
巧妙に仕組まれ
ビジネス化された受験や塾
勉強で競い合わせ
よい学校へ
有名な会社へ
行く事が
嘘っぱちか
独り旅をしたら
瞬時にわかる
旅とは別段
遠くにいかなくてもいい
が日常からずらして
好きな事に向かうこと
今までのおざなりを
やってみるでもいい
僕の場合は
九死に一生にかけた
まったなしの波の裏側は
本当はいかなくてもいい
遊泳禁止の裏にある時間を身をもって
知るには
やはり命を祈り
命を捨てて
教えこまれた学校の常識の嘘をあばく為に
裸で行く意義があろう
一枚の写真は
その証明である
一度見たら
もう目を背けられない
自分がいた