熊野本宮大社
数年前独り熊野古道の中辺路を2日だけ44キロ歩き
先週車で2日の道が40分と知り
7日後空から数分で着くありがたみの無さを知る
歩かないとわかりませんね。
空からみると
神様の裏手は住宅地
熊野にある3つの大社
本宮
速玉
那智
を熊野三山と呼ぶ
各神社で他の2つの神様が行き来するようです
日本中に勧請したという呼び方で熊野神社などあるように
神様は本気な人が本気で呼びよせれば
どこでも居着いて頂けるので
(勧請ーおまねき)
こうして3つで1つのように祀ってきたようです
仏教が輸入され
神様と仏さんが巧みに混ざり
神の本地(本体)は仏さんである
という少々荒っぽい解釈のもと
本地垂迹(すいじゃく)が発生し
神は仏や菩薩が人々を救う為に
仮に(権=かり)に現れた(垂迹)した
と言われ
仮に(権)に現れた神を権現(ごんげん)と呼んだようです
大日如来の権現が不動明王のように
熊野大社 家津御子大神=阿弥陀如来
速玉 熊野速玉大神=薬師如来
那智 熊野夫須美大神=千手観音
その後どんどん人気というか
神様がどんどん呼ばれ同窓会のようになり
人々や政治的背景などが染色され
あらゆる神様の集まる場(神様の盛り場)に変化して行く
河川の近い鳥居は34mあるそうです
明治22年の洪水で流され
その後右手の高台に神様のお家は避難した訳です
神仏習合の宮司さんやお坊さんが
神も仏もいいじゃないか〜
とざっくりと仲良く日本らしく調和し溶け合った象徴
しかしこの辺が曖昧なのだが
明治政府の神仏分離や廃仏毀釈
修験道やほねつぎやヒーリング治療,古武道まである日を境に
強制的に廃止! した。
今じゃ暴動だが、いったい誰が決めたのか?
信長のように今迄拝んで来た仏を焼き払うとは恐ろしい
魯山人じゃないがあまりのワンマンや
絶対無二!ヒゲのじい様1番の一信教は
やがて必ずズレが生まれ争いになります
見ての通り世界は未だ戦場です
ともかく神話と伝説がこの美しい地球と交わる日本の
鋭角で素晴らしい潔さを感じました
魯山人が生涯20万点は作ったと言われる
既製品ではない芸術美豊かな
焼き物の圭角というやつです