毎秒 心が遠ざかる
日本の波の裏より
とにかく冷たい冬の波
暖かな南の波と
温度差で音の伝わり方は変わるのなら
水素の形も、水素原子の手の繋ぎ方も
幾分違うのだろうか?
透明で大きな波という条件が
そろいにくい日本の波は
正直1枚に表すのが相当難しい
技術以上の
昔の人々が自然行為である
何か地球を読むような感覚
が必要とされている
もっとも
透明な無い物(波)を撮るのに
なぜ?
黒い影が存在しているのか?
答えの無い不毛な思考は捨てる
ファインダーは一切見ないが両目では見て押す
もっとも肉眼では早くて見えないが
常に見たことも無い地球の凄さを思い知る
水中を泳ぎながら
波をかわしながら押す
1秒の500分の1という
時間で止めた1枚は
日々見えるもの、見えないものを感じる
似ているな〜と思うのが
観を1とし
見は2の次
とせよと伝える
宮本武蔵であるが
心の奥深い鍛錬と根気
大胆で鋭利な思いつきの
すれ違う瞬間
に
肉眼では見えない時間がある
のは古武術であり人生と同じようだ
目で見ているものは正しくもなく
色も形もなに一つ見えていない
頭の隅々をつつくような
頭で考える事の無意味さ
何でもインターネットで知ってると
思う風潮の今
体験にまさるものはない
ちまたの幸福感やら
なんやら、自己啓発やら
そんなものは
地球に行けばすぐにわかる訳です
都会のおかしな箱庭の世界やおかしな便利と
過剰に企画され制作された情報で
地球との間合い
を毎秒遠ざけられ、心が忘れられていく
心の感覚をおざなりにして
生きちゃいないか?
人間以外の生き物は、生身のまま
何億年もこの地球や珊瑚と木々と
お互いを痛める事も、破壊する事も無く
絶妙なバランスで生きている
それにくらべ
人間達はどうだ
地球に巧妙な嘘を並べ
自らを欺瞞させ
地球の親分のように振る舞う日々
日々の厳しい地球から逃げる建物や
暮らしで今がある事実
ま〜それはいい
都会の家は隣の家とぎゅぎゅうで
防音性のいい、パチリで電気がつき
いつでも空調の利いた部屋にいれば
朝日も夕陽も見ないまま夜になり
地球にいながら地球と生きていないことになる
もう昔には戻れない
が
誰もが今では人間が地球の害獣になり
そのバランスを乱していると
気づく事くらいは出来るはずだ
と
波の裏から戻り
感じました
新聞は原発予定地の山口県の上関や
沖縄の辺野古と同等
美しい海を今更破壊しアメリカの基地に
揺れる島の実情が東京新聞に
現実をよくみる事
足下をよくみる事
そして地球をよくみて、かんじること
すると自然に地球に間違った行いは
できないはずだから
それは人間同士も同じです