伊賀へ

このところ
築60年近いスタジオの立て替えと解体
連日引っ越しと
11/12~20の最後のスタジオで個展を開く為に(Newsに情報掲載)
機材や荷物を抱え動き回っています

ちなみに17:00~22時の夕方からの個展ですが
早くスタジオに戻れそうな場合は開けますので
急にはなりますが随時アップ致します。
のでどうぞお越し下さい。

木挽きの先祖は実は水口といい
近江から出て来て,築地の波除神社の前に住み
関東大震災で不動明王を祀る,不動前に来たというが
厳密には桐谷火葬場前である

ステンレスの職人だった祖父の工場跡で
ホテルオークラ,ワシントンホテル,お召し列車,米軍基地など
多くの場所にここで作られ,納品されました

とにかく手先が器用で,普段は物静かな祖父
生まれた頃にはここに,手製の水槽が20本ほどあり
海や山が好きな祖父の影響は大きかったのです。


伊勢神宮の特別な御奉納式を終え
やはりその夜には伊賀の湯煙の定宿へ
昼に電話し部屋の空きを調べて頂き

翌日は朝から信長の伊賀焦土、殺戮の蛮行である場
(おそらくは伊賀の国土のすべてが墓場)であるが
わかりやすい場である地侍や忍達の砦(城)跡のお参りへ

当時の日本でも独自の自治組織があった,伊賀と甲賀
普段は伊賀の中でも小競り合いをし
500もの小さな出城があり
それぞれに何々のかみ(守)など勝手に名乗り

伊賀の直線な山並みに包まれた霧深い土地に
外からよそ者が攻撃してきたら
皆で協力し排除する独自の掟が存在したらしい

信長も魑魅魍魎の住む場として
手を付けにくい場だったが

養子にした信雄の2回に渡る伊賀攻めの惨敗に
激怒し,2年後伊賀の裏切り者2名の手引きで
4万の兵で,伊賀の民と伊賀の存在を消そうとした
愚行が天正伊賀の乱である

9月から11月に渡り
各地で神社仏閣から家々に放火し
僧侶から女子供まで容赦なく殺した信長

それに真っ向から抵抗した地侍が忍であり
その後,戦国の世の流れにももり全国に散って行くのだが

影と光りに生き
命が常に掛かる人生において
正心を軸に,特殊な精神体系と武術
地球とのサバイバルや感応力の修行をした彼ら
そんな彼らの生き様と波を泳ぐ行為と重ね合わせ
ながら、彼らの地を巡る旅
なんだか溢れる涙で、ぐっとくるものある
それは不思議と悲しい涙ではなく
瞬間的に湧き出てくるというか、彼らから
気持ちが伝わってくるようだ

だから独りで山へ分け入り
供物と花を持ちお祈りをするようになったのは
今から5年前
人知れず伊賀の為、日本人の矜持と正心のもとに
巨大な力に逃げずに散った彼ら
死をいとわず、こだわらず
その意味が本心と本懐であればいいだけの彼ら

今の日本の政治家や企業家には無い部分

長くなりましたが
そんな個人的な憶いで伊賀と甲賀へ
懐かしい先祖の供養かもしれません

今回は3月に訪れた服部半蔵の城から
隣にあるらしい2つの砦跡へ行く事に朝決めました

車を留めそれらしい山を探すと
独りのおばあさんに逢いました
話せばその城主の城へ案内してあげると
柿を持たせてくれて
手押し車で山の入り口迄一緒に来てくれましたが

日蓮宗のお寺から薬師寺へ

違うけど悪いので
行ってきますねと言い

薬師寺から,薄暗い竹やぶの山へわけ入り砦へ
竹薮の隙間のよじ上り,竹に体を預けながら下り
蜘蛛の巣に絡まりながら
靴はずぶぬれ
マムシに噛まれたら嫌だな〜と本能のまま進むと

なんとかそれらしい開けた不自然な地形を見つけ
薄暗い中で経文を唱えました

彼らに届け〜
きましたよ〜


隣の砦へ

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