撮れました
今年の個展「陰陽」は
今迄の凝縮した時間というか
流れ着いたある線を越えた感があり
自らの今の周波数・・・・・
なんて
面倒な事を書いたが
どうしても分析する癖が
本当にはじめてオーストラリアの波を泳いでから
いったい、どれほど自分で尻をひっぱたいて
誰もいない大波に飲まれたか
泳いでいる写真がないから
本当は泳がず棒につけたカメラで撮影していたら
興ざめ!
まさか!
そんな今の政治家のような嘘
ま
自分にしかわからないのだが
それでいいでしょう
山中にひっそりと咲く山桜かな
で
見えないと決めつけ
波も小型で水も不純だからと
その場にこれでもかと通う日々に
やはり何かが写るようです
透明なでかい波は
誰でも撮れるかもしれない
もう海外の遠い場所でわざわざ撮るのも
その「海外」にたよりすぎていたのかもしれません
この闇のような光のまたたきを
一瞬で見極めるのは本当に難しい
もちろん見ないで写す事を
さらに深く無意識で押す境地に
きましたが・・・・
またまた
よくわかりませんが
ま〜
難しく
やりがいのある
瞬間が少しは感じ取れるように
なったのかもしれません
紙一重に
全ては存在しています
陰と光
波と水
影が無ければ
写真には写りません
光が無くては写りません
生と死
心と体が離れると死です
最近魂の重さは26gだと
アメリカの学者が発見したそうです
死んだら誰もが26g軽くなるそうです
あるでしょうね。
16年間で3回だけハワイの友達と波の旅をしましたが
あとはもう完全に独りです
流されたらそのままです。
それはもう波の裏のガイドブックは無いので
歩いて,探して,泳いで
常に不安と恐怖が胸にぴったり
張り付いた感覚がつきまとう日々でした
それでも眠れない事はないけど
いつのころからか夢を鮮明に見るようになり
匂いや食べ物の味や
特に人の顔(ほとんど見た事ないですが)が
はっきり見えるように
ヒゲの杖を持ったじい様が
なんか良い言葉をかけてくれたり
金色の仏さんが出たりは
まだないですが
不思議な事です
振り返ると
自分の蛇行した足跡が海岸に延々と残る訳だ
波に消されても
自らがそれなりの気持ちで歩いた道は消えない訳だ
誰にだってある
これからもある
可能性は無限だが
どうしてもこの社会の異常な日常の
箱庭では
天空から降る雪も見えない現実だ
この便利で過保護に安全(自然の災害のない)な箱で
騒音やネオン看板の暗くならない夜に
ドアをぴしゃりと閉めれば
地球をなにも感じない
朝起きてビルの影で太陽すら気づかない
誰もが貝のようにフタをして
ドアを閉めて
テレビや携帯の液晶中毒に
心が渇いちまうな
夜空も星も
太陽さえ見ない日々
タヒチで読んだ
古い話
星とは何ですか?
夜空が真っ暗で寂しいから
神様が夜空に星々を置いて行った
人々がいつまでもその星を探し
冷たい海風が星を揺らし
風を揺らし
そんな時に
本来の人間の大切な想いを
憶いだすのです
様々な伝統技巧、浮世絵、日本料理、生け花,香道、古武道,墓参りなど
日本人は世界で一番のロマンチストだと思います。
我々日本人に誰もがそなわる特権です