旅情
写真を飾って頂いている、伊豆稲取ホテル浜の湯さんへ列車で向かった。
うねるコンクリートの海岸線と、緑の崖にそいながら、列車は幾つものトンネルをぬけた。
よくもまあこんな場所に線路を通したものだ。
山の中である。
海の上である。
戦時中鉄道隊だった祖父から、象を使いながらのビルマの山の工事の困難さを聞かされた。
汽車で最前線の奥地へ笑顔で向かう兵隊達が戻れないことを思うと、胸がつまる思いだったと言っていた。
彼らが、命を繋ごうにもつなげない異国の地で揺られた路線と、今の平和な路線での旅情は全く異なったであろう。
同じなのは勝手な人為の都合である2本のレール。
河川を固め、森で生きる木々や動物達の領域を分断した。
車窓の外はずらした時間の様だと思った。
ニューギニアを始め南洋の島で、ケミカルな洗剤や石鹸が日々川から流れている。
川で洗濯をし、水浴びをする、昔のままの彼らの生活にうまく溶け混んだわけだ。
10年に渡り通った離島さえ、海が濁る日があり、貝や魚が減った様に感じた。
間違いを犯してきた,我々「文明人」が過去の教訓から学び、島の人々へ教えられる事が
たくさんあると思のだが、その「文明人」達は地球から心が離れてしまいつつあるから、
言葉が詰まるのは、政治家先生達だけではない。
身近な山河へわけ入るべきなのだろう。
皮肉な事に電気と鉄のレールが気づかせてくれたわけだ。