心眼
京都御所の侍である遠藤盛遠が夫のいる
袈裟御前を愛し
ある夜寝間に忍び寄りその夫を殺めたつもりが
そこに寝ていたのは袈裟御前であった
自ら幕をひいた過袈裟御前
それを機に
盛遠(もりとう)は出家し文覚(もんがく)となり
冬の那智の瀧でひたすら祈り2度死んだが
それを見ていた不動明王が,眷属のこんがら、せいたか童子に
命を救わせた説話を,江戸の国芳から弟子の芳年が
明治20年に図案化し彫ったもの
よくみると水煙の型押しまであり
ただならぬ魂の様相に一目惚れした
写真も絵も良いものいいが
自分達はシャッター音も偽造された
家電なカメラを
スーパーで買ってきてパチリだ。
随分と楽な事してるな
と恥ずかしい
全く物の収集癖はないが、妙に惹かれる事がしばし起きる
例の胸がざわつく感じだ
昭和53年頃の浮世絵のある研究者の方の文を読んでいた
安政3年(1858)
北斎漫画がパリへ輸出された,陶器の詰め物とし渡り
狂熱を引き起こした
江戸後期に生活のゆとりと趣味の向上に伴う
衣食住の豊かにする中
手軽に入手出来る木版印刷を
作る側はその労を惜しまず
必要を越えて贅沢な迄の資格の楽しみを満喫し
その多くは当然のこととして使い捨てた
奢侈(しゃし)禁止令が出るたび
武家階級に自由な表現を抑圧された為か
現実を超越する想像力がたくまし
人々の幻想の世が浮世絵に持ち込まれ
中でも御用画家の狩野派とは違う
国芳一門は反逆と卓越した幻画の制作者であった
当時は浮世絵にも検疫があった
やがて武家階級が没落し,上層商人だけでなく
街全体が文化を享受するようになった
江戸後期
時代と歴史が生んだ江戸時代の絵画や浮世絵
芸術という言葉自体が無く
様々な印刷技術の質の高さ
江戸の後期に武家階級の圧政のよる
適当ないわれも無い、冤罪や裁きで
24人に1人が斬首されたというから
とんでもない江戸時代だ
大田区の鈴が森
代官山槍が先
南千住の小塚原の刑場は
何十万もの人々の血と恨みを吸っている
なにわともあれ
印刷機もカメラも無い時代
当時は安かった浮世絵を見ては
旅先の様子を想像し
行ってみたいな〜
なんて1枚の版画から思いをつもらせたのだろう
戦争や地震や火事,湿気や虫
なによりも、当時はそんなに大事にされてなかった訳で
そんな150~300年前の
紙が残っているのも奇跡だ
当時数百円の絵が今では何十万、何百万もする
骨董品という言葉が作られ
高級になった
が
それにしても
紙すきの技
原案を書いて校正して行く広重や国芳
彫り師
何枚もの版木を寸分の狂い無く刷った刷師
とんでもない手間と夢が詰まった1枚である事は
間違いが無い
写真なんかいつまでネガやデジタルデータが残る事やら
昔メーカーが100年プリントなんて言ったが
誰も100年生きて、見てないのだから
やはり荒っぽい
昨今の人口爆発と価格競争の被害者
違う海で捕まえた魚介類や野菜を
別な港に運べば産地が変わる奇跡と同じく
安い怪しいネタの回転寿しの過剰な普及で
天然風マグロや半養殖など言語が作られてきた
昔は駄目だった安い鮭弁当は養殖ニジマスだが
鮭と言っていい
妙な許諾のおかしな浮き世
今も当時の武家政治の圧力と何ら変わらない
中国のような共産主義の日本
「浮世」絵はドキュメンタリー写真と変わっても
消えることはないだろう
正直な目と心
心眼を持つ彼らのような
ジャーナリストがいる限り