まだ何が欲しいんだ?

ここは定かではないが
おそらく日蓮宗の寺院ができ719年
その昔から,ある種の何かを感覚的で直感で感じた
地元の猟師や山人により小さな祠が建てられ

やがてその噂は風にのり
紀州方面の修験者(修験の本家は吉野金峯山寺だが)達による
法螺貝の音色と真言が唱えられていたのだと言われている

吉野の葛城に住む
あの忍者が崇拝してきた
仙人の魔法使い「役の小角」えんのおづぬ=「役の行者」を祀っていたという

そんな脈々と繰り返されてきた
命がけの旅をした
彼らの尊い祈りの記憶を含んだ霧に包まれた

問題の七面大明神という龍の神が
いる前か?いたのか?

伝承は2つ
日蓮さんが鷹取山で奇麗な女に化けた龍に出会い
その龍が七面山に住む者だと言い
日蓮の死後、弟子のにちろ上人と仲間がこの池でお経を唱えていると
719年前の明け方に、お堂の裏にある池で見た

また広島の厳島神社の弁天様に病の姫を助けてほしいと
願った京都の公家が
弁天様(龍族をまとめている一人)に尋ねると
七面山の7つの池で水垢離をすれば治ると
言われ、姫が遠くこの地でその病は完治し
そのまま池に飛び込み龍になったとも

いずれにしろ
伝承はいいのもだ

日本中にあるその聖域や神社のある場

いまよりチャクラと自分の心の信念が独り立ちしていた彼らが
何らかを感じた事は間違いない

写真も何もなく
「彼らが見た」という
これだけの事で719年も、いやもっと昔から
ここで祈りが続けられてきたことが
やはりすごい

この山道に彼らの足跡偲び
染み込んだその真摯な心を探し迷い
そんな何かが我々を後押し
頂へ向かわせる訳だ

今でこそ麓まで車で行かれるが
当時は今のような参道もなく
究極の行きにくく困難な山であったろう

日本中その昔は全部徒歩である
馬もあったろうが
馬はそれなりにお金と手間がかかる

ネットも地図も何も無い時代に
超感覚とその筋から聞いた「噂」により
来たのだから大冒険である

寝る場所も,雨具もなく
昔の人々は地球の過敏に反応しながら
その強さから身を心を護ってきた訳だ

結局明治の前までは、そうした命の関わる生活が身近にあった為
ごく自然に民衆の間で祈りが地球の
山へ海へ川へ大地に捧げられてきたのだろう

今に日本人に消えかけた
「地球へ捧げられずにはいられない感覚」

そうした意味では
修験者や地元の,ただならぬ何かを感じた彼らがいたからこそ

その力と共に、その場の持つ祈祷場として噂は事実となり
それを聞いた日蓮のお弟子により継続された事実も忘れてはならない
自然を崇拝する古来からの山岳信仰から
インド〜中国から輸出入をし,日蓮という「人」により
練り上げられた法華経信仰へ塗り替えられた
特に日蓮宗系の新興宗教は他の宗派に比べ断然に多い
鳴り物があるからとも言われるが
どうしてなのか?

日蓮とて当時は悪いものを流布する新興宗教として
国が判断し島流しや死罪になりかけた逸話も「奇跡』
を呼ぶのかもしれないが

時を越え日蓮の間に,上手にすっと入った
新興宗教の教祖「人」では生臭い
これが普通の感覚

だから僕はここで法螺貝を吹く
古い時代の記憶が
この空間に僅かでもあれば
彼らとその何かへ僅かながら伝えたい

すぐに記憶がなくなる国の指導者である政治家達と
地球を破壊しまくる人間の馬鹿さ加減を伝えたい

もう十分じゃないか・・・・

まだあと何が欲しいんだ?

一人で立てば宗教はいらない
一人で波を泳げば宗教はいらない

余計なものは捨てておいで

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