

曽祖父も祖父も山の人だった
大正、昭和とザイルはロープでテントはキャンバス
パタゴニアのようないいウェアがあったわけでもないが
当時の写真を見ると、沢登りや槍ヶ岳や様々、親子や兄弟親戚で旅をし
大東亜戦争中はドンコー会という名前で
戦地にいる家族や兄弟の仲間の名前を書いたのぼりで登っていた
古田織部が家康に切腹させられと分かった5男は織部重成ののぼりを背に
大阪城で豊臣川につき戦い、討死された
のぼりにはそんな家族の思いがある
日章旗の寄せ書き、と同じ
誰もが無事を祈っている
幼い頃からスキーに連れて行ってくれた
チエーンを巻いたベレッタでスキーの帰り道、群馬の車屋で通りがかりに買った
プリンスワゴンのやねに、みかん箱をいくつものせ
チェーンのチャンしゃん、チリチリと雪道を皆、ゆっくり走っていた
運転もみなマニュアルでうまかった
逆走なんか考えられない今の運転技術の低下
オートマの車が危ないから
作らない方がいいと思う
向かったのは野沢温泉
板は器用な祖父が作った木のいた
作っているところを横で見ていた
ストックは竹とかろうじてスチールパイプ
靴は牛がわだった
足が狭くてキツかったし
濡れた
そんな無料の村の湯気が立ち込め
雪の多い饅頭屋の蒸気の漂う急斜面に家々が立つ
野沢で二回足を折った
林間コースを一人で入り
コースに出たら穴があり
ビンディングもいい加減で外れず
てこの原理で折れた
もう一回も足だった
その後さらに、表万座で白樺にツッコミ大腿骨を折ったのはひどかった
ぶつかる手前にしぬかな?と思い頭を抱えた
飛ばされている時は以上に長く感じ
早く止まらないかな?
生きてるかな
走馬灯のように人生を見たら死んだんだったかな?
など以上に冷静だった
原因は春の重い雪に足をとられ
つつ、技術不足
大迷惑をかけ本当に申し訳なかった
その後、猪苗代でスキーを中学生や高校生に教えるアルバイトを数年続け
基礎から学び
数十年後、日赤の雪上安全法を所得した
(スキーパトロールは2種類あり
スキー連盟の企画する技能検定一級保持と
日赤の2級程度の腕前とやる気の二つ)
泊まり込みで数日、朝から練習とテスト、夜は座学とロープワーク
眠くて仕方ないが、掛け流し温泉が楽しみで
初めて出会う、日赤の人や、やる気ある人たちとの交流は、今も続く
何よりも講習の山は、なんと足を折った山の隣の万座だった
写真は飯士山修験道の山だが
岩原スキー場
舞子スキー場と
一つの山は挟み撃ちで破壊されて
きつねやウサギを追い出し
ゴルフ場と同様、不自然な造成され除草剤を巻かれた末の姿が
スキー場であることを知ること
申し訳ないですね
山を人間が破棄して
そのおかげで楽しめてますが
若者たちが怪我なく楽しめ
いつかこのおかしな、現状と破壊の上にあることをしり
宇宙と山河を慈しんで欲しい
知らしめてください。
と
ことわけをし
祝詞やハワイのエホマイを捧げ
お酒を注いだ
苗場ではないが
たまたま手にしたお酒の名前
現実を観ること
いいも悪いもそれが
どうなっているのかを
胸をそらさずに読むこと
雪は海の水で地球の水の循環
全て違う雪の結晶の謎めいた世界
山は元々海の底
海にも渓谷がるように
水間か空間の違いだけ
魚が鳥に変わり
珊瑚や海藻が木になっただけ
山は過去のやり残しをしているそうです