供物

祈りというとなんだか、大袈裟だが
胸の内をそのまま飾らずに
伝えることが
供養とか祈りとか、信心などと日本語では書くわけだ

大自然、大宇宙、神話の神々や祖霊や英霊、忍や侍を祈る
現時点で縁のある神様も毎日読み上げる

仏ではお不動様、役行者、蔵王権現、薬師如来
浮世絵師や天海、安倍晴明、古田織部ご家族と

円覚寺の横に住んでいたひいじさんの家も何かの縁で
昨年からは怖くて入れなかった鎌倉武士の御供養をはじめた
名前がある以上個性を持ち生きてきたわけだから
そんな彼らの名前を呼び、供物を捧げ話しかけている。

しかし北条は深い。江ノ島で山籠し龍の化身イチキシマひめに
日本の100箇所の霊域を祈りにいけば7代まで北条は持たせると言い
北条の家紋は、その龍神がおいて行った3枚の鱗 (三つ鱗)と言われている
最後の高時で結局は9代ではなく7代
間の2代は事情による正式ではない執権らしい

北条が編み出した
土地の権利の法律などを記した
御成敗式目の第一条には
神官、僧侶はそのつとめを全うし
人々は祭礼と供物を欠かさずにすれば
霊力が上がり自然に幸せになると
すごいことが書いてあるが

しかしながらその子孫の
地位と権利の欲望で
謀られた
和田義盛さん、畠山重忠さん、比企さん、安達泰盛さん、梶原景時さんらをしのぶ

だからどうだこうじゃない
細かいことはどうでもいい

今の我々には永久にわからない
またわかる必要もない
それぞれの正義

と実際に存在した彼ら

自分がこの世で死に
数百年後に知らない誰かが
酒とおにぎりを1つ
レーズンや柿を一つ
持ってきて
名前を読んでもらえたら
どんなに嬉しいか

世界万民
宗教なんか必要なく

そこに尽きる


歴史の学者の言うことは
置いておいて

感覚的に野性的に感じたことをする

波の中こそ、細胞や触覚と感覚と宇宙の
叡智を繋ぐことに尽きる

魚の写真は撮らない
なんとなくきた波に合わせるだけ
決めたらそこに漂う
運も使命
使命も運

人は持って生まれた約束がある
そこに気づき
感覚を宇宙と合わせ

己一人でその砂鉄を集め叩き続ける
と一振りの刀になる

海も同時に修行であり祈りである

1枚の写真が供物なのかもしれない




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