きな臭いエシカル

科学も人間の都合や思惑の届かない世界が宇宙と地球
海と山は一つの地続きにすぎず
地球も宇宙の海に漂う島に過ぎないが
人間様は欲と自己の主張ばかり
思いやりも失い、コンビニのトイレも無断で使うずるさ
これは砂漠化した蟻塚の暮らしが、自然や宇宙との約束を忘れさせ
電子レンジでチンのコンビニ化した暮らしのツケ
は、そもそも自然界=国土から目を離し、自らサーモスタットのきいた水槽の魚になった
為に、自然の怖さや強さや、神仏や先祖を尊ばないツケ
バランスの位置がずれてしまっている
エシカルとか、環境問題とか美麗な言葉を並べて、結局ものを売りつける手段に悪用しているだけ
新しいものなど作らず修理すればいい
車は特に顕著
環境に良い車など存在しない
新しい車を作れば環境を破壊するだけ
見え見えの砂上の言葉
ある霊媒を主とする神道の方に以前お会いした際に
おろしたい方がいる場合のやり方を教えていただきました
天津神 国土の神
国津神 天の神
遠つみおやの神=先祖=神様
をある方法で読み上げ所作とで
繋がるという方法でした
伯家神道の修行をされたご年配の方でした(中には昨今の世相で紛いものの方もいるようです)
いきなり何も行をしない方がやるべきではないのですが
こうした、自然霊や様々宇宙への祈りを2600年?以上前からしていたのが日本人です
アメリカ約250年 大英帝国年約950年にすぎません
元々日本人が持つセンスが逃げられない遺伝と宿命があるようで=霊的感覚 霊とは霊魂ではなく高次元なスピリット広い意味があります
出雲族の聖地 国津神 大国主さんのお膝元に
写真がご奉納していただけることになり
数年前から続く
奈良のとみ(トビとも)一族の長 神武と戦った長髄彦ながすねひこさん(出雲族)
のことと結ばれてきたようにも 長髄彦の御霊わけとも言われたこともあります。
これは伊賀の敢國神社の神 おおひこ、すくな彦、金山彦、とも関係があるとも
毎日お供えと祈りを神棚でしています
出雲では古来から実際に海蛇も、沖縄方面からこの時期だけ流れ着くのですが
霊蛇神=龍神を11月に祀ることも関係があるようです
(この時期だけ日御碕神社、出雲教さんで祀られ、お札もあります)
25年前に海へ無酸素で一人泳いで波の中に向かったあの日が
こうして繋がってくることも不思議です。
京都の古田織部さん、曾我蕭白さんの菩提寺で、高虎さんが守った臨済宗興聖寺に
この頃の写した葵フィジー の写真が襖絵としていきなり治ったのも不思議です
伊勢神宮では写真集を宮家のご紹介で特別奉納の祈りを365日していただきました
もったいないくらいのありがたい海のお返しを賜りました。
水となみとどうやったら溶け合えるのか
営力を超えた場に行くにはどうしたら良いのか
正直なドキュメンタリーな考察を合理的に自分の力とてらし合わせ
溺れ、溺れ今があります
2015年からは日本の聖地や神社の海でお祈りをし写しました
もし良いのが撮れたらありがたいですだけで、御神酒を捧げ
海にも御神酒を注ぐ日々がバレエの人の撮影にも繋がっているように思います
目には見えない魂を1枚に残すこと
写真はファインダー見ないで押す
海と人は波動で成り立ってますので同じです
現世 うつしよ 写世 とも言えます
海の撮影は、同時にこうした供養や祈りの旅(願い事や御朱印スタンプラリー)ではない
自分のためではなお参りと同時進行しています
伊賀忍者の供養に行くと
ある金峯峰寺系の山伏さんと知り合ったり
京都醍醐派の山伏さん
羽黒の権禰宜さんなど
縁が結ばれていくのも振り返ると不思議です
それで自分で海伏と命名しました(商標登録)
古武道も同時に入り始めたので海ぶしともいえるかもしれません
これは特別なことではなく、古来日本の武士や農民も星々や山河を崇め
占術や陰陽道と溶け合い生きてきた、ネイティブアメリカンやアボリジニ
アイヌと同じ地球の共生するハートが真理としてありました
聖徳太子が (たこや) という対馬の間者を使ったのが最初とか
クシナダヒメのクシに化けさせ情報を仕入れたのが
忍の始まりとも文献にあるそうです
でも文献は色々かけますので真偽は不明ですが
こうした話があることは
火のないところには煙は立たずで
何かはあったのでしょう。
前々から言っているように、地球人の傍若無人は破壊と欲で
宇宙や海そこに住む、海の御神木のサンゴや魚や動物がかわいそうです
ホピ族の言い伝えのように、人間がおバカに振る舞い、4回粛清された
5度目の大いなる存在(タイオワ)の力で
また記憶を消されリセットされる日もくるのでしょう
黒い水が来ると書いてあったかな