出雲教 日御碕神社 龍神



出雲の言い伝えでは
秋になると南から神様を引導した龍神が来るという
実際に人間界の可視化された姿では
おきのえらぶ海蛇が流れ着く
出雲では数千年に渡り、重要な祈りの儀式を
執り行ってこられてきたのは出雲教の北島一族 北島家
昨年お会いできた国造様で37代目になられるとお聞きした
穏やかで、品格と知識を越えた何か不思議なオーラのあるお方
天皇家の血筋を継承するのが北島家の出雲教
お隣の大きなしめ縄の、観光客がいく出雲大社は別なもの
神様は同じだがそこには、どうしても人が介在する以上様々
それはさておきこの写真が実は4/18.19にご奉納させていただくことに
ある神事をされている仲良しの方が、北島さんと宮司さんのお人柄に
あなたはどう思うかわからないけれどね、あなたの写真を奉納したいのよ。
海の神様に
それは嬉しいです
自分からだと売名というかなんだか、必要ない写真かもしれないしと思い
でも海の神様へ海の写真が配置されたら、人には目のつかない場所でいいので嬉しいです
思い起こせば今から数年前から、一人で御奉献お酒と、新恩感謝のお気持ちでお参りをしていると
お返しに、お待ちください、と
御神酒とお赤飯を頂いた
何年か来ているうちに、出雲の神様の海で「太陽の位置では夕日しか撮れないが」とふと思い
島根中の海岸を車を走らせた
途中、以上な警戒とバリケードの原発の海岸や
様々見たがどこも、水は濁り
何よりもピントこず
そのまま美保神社の大国主さんの息子
海の神事代主さんへご奉献の出雲富士と神恩感謝のお子持ちを
お渡しすると、宮司さんが少しお待ちください
とおっしゃり
しばらくすると、本殿へどうぞと
3人の宮司さんが太鼓と笛で神事をしていただいた
なんだか涙が出る不思議な空気に感謝した
そのまままた海沿いに出の日御碕神社へ引き返す
そこでダイビングショップを経営し
海底遺跡を発見した岡本さんへ
どこもいい場所はなかった
といい
海岸の掃除をしに行きます
と掃除に行くと
今まで知らない港の奥が、なんだかいい雰囲気
テトラポットの山はあるが
かろうじて、海岸と海は昔のままで
三角の奥が細い岩のほこらの奥のペットボトルや漁具やサンダルを拾う
なんだか怖いけど
この付近がいい感じがする
乗れるような今までのような波はないが
沖からうねりが磯にぶつかる波はある
ここだ!
俺は波を移してるのでは無い
いい雰囲気の海岸線で祝詞を捧げきよめ
太陽を水から押すだけだ
水がかき混ぜればいいわけだ
と一皮むけた感覚と確信がきた
岡本さんに見つけた!が
泳いでいいの?
と聞くと
いいんじゃ無いかな〜
自己責任で
危ないよ
でもね
あれ
なんかみえる人?なの
?
いや
見えないけど
感覚で海岸線を見ていつも泳ぐんだが
いい雰囲気があの祠にもあった
あそこは前にね葦船を作り
古代の神事をしている人が
あそこは昔の祈り場で祭事をしていたと
その人は船で沖に出ると
ここは何か感じるというと
今は沈下した水中の昔の参道の祈り場の上だったり
それを聞きなおさら、ゴミを拾い、礼を尽くし
泳ぐべきだと思った
その時に出雲教さんでいただいた御神酒とお赤飯を海へ注ぎ
貝をたて、祝詞と般若心経、道教のくじぎりをしてから泳いだ
海は入るまで怖かった
なんんとも言えない大きな経島のした
幾重にも沖からうねりが来ては
岩の浅くなった場所にぶつかる
波に流され岩にあたらぬよう、白波の中見えない水中で
波をやり過ごしつつ、日没の太陽に向けてシャッターを押した
日が沈む(経島は天照と素戔嗚夕陽神事の場)近くの民宿まで歩いて帰る頃は夜になった
寒くて震えた5月
この写真は実はさらに奥の岩棚にぶつかる経島の左で写した
泳いで行こうと思うと
岡本さんがボートで連れて行ってくれた
薄濁りの海底と岩棚には海藻が生え
その海藻の動きと同じようにうねりに左右に流されながら
波が岩にぶち当たるその少し前に潜って回転
30分位、なんだが不気味な位海底の切り立つ岩で泳ぐが
酔って気持ち悪くなった
後で聞くとここは昔、神社や祈り場の頃の馬小屋らしいと聞いた
暗くなって行く海岸で、ホースで水を浴び、山の民宿へ帰った
海も生きていて、見ている
言葉を聞き、記憶を保ち
伊勢神宮にも過去
写真集を特別奉納させていただいたので(所蔵は人間国宝レベル、それを以前に書や篆刻や器は伊勢神宮2000年の歴史にあるが写真は時代が若すぎて項目にない)
(朝晩写真集に祝詞を奏上し、365日後に高天原にお焚き上げをする儀式)
これより伊勢の天照大神、豊受の神=稲荷=龍神とこの出雲の海の道が通る
また古来の祭祀は、出雲族、土師氏で菅原道真さんのご先祖
何かしらこの日本と宇宙へ海からお手伝いができたら幸いです