45年後 ユージンスミスへ

海とは都会に住みながら

付かず離れず

写真の師匠は柏原誠、個人的な出会いは1年

そこから明大前のスタジオに仕事をしつつ

毎週4〜5回通い

光や現像、ハッセル、4×5のカメラを揃え

様々は撮影に立ち合った

しかし、一貫していたのは飄々としながら

も的をついた一言

長い人生と経験でと持ち前の、研究心と自由奔放な個性やセンスも

見た目もいかにも芸術家、写真家だった

俺はね

ユージンスミスのアシスタントや現像をしていた時期が

長くてな

いいオヤジだった

が口癖

ユージンはご存知の通り水俣病を引き起こした(小和田雅子さんおおじいさんの会社チッソ)

ミナマタを晩年写し

千葉の五井にあった会社のの集会で

雇われた者達に暴行を受け、目が悪くなる

俺は奴らを恨んではいないと

言っていた

と聞いた

実はユージンスミスは戦場カメラマンとして

サイパンや沖縄戦に従軍する

そこで玉砕したサイパンで、傷ついたり、亡くなる日本人の親子や赤ちゃんを実際に

目の当たりし、「アメリカがやっただけで、俺ではないんだ」と心に苛まれ

戦争屋どもめ!と

思うようになる

こうした、アメリカ兵の死体や傷ついた日本人のドキュメンタリーな写真は、アメリカ軍の士気を落とし

広告的に不利になるため

軍から太平洋から追い出すぞ

と言われたという

やがて砲弾が炸裂し負傷し

数年間は治療と精神的なこともあったのだろう

カメラを手にはできなかった

やがてセントラルパークを歩く自分の子供を

の写真で脚光を浴び

人を撮り始めていく

柏原師匠は懐かしそうにユージンの話をし

また

おい!キョーバシくん!

カメラは所詮機械よ!

カメラに写されんな!

いいか!

バット!な

モデルの心や雰囲気な

鷲掴み!ば〜ん!と押しなさい!

ファインダーなんか見ちゃだめ

あんなもん、見てるようじゃ

撮れませんよ

瞬間は!

とニタニタ笑う

正月になると

キョーバシくん

うちに来なさい

と奥さんの料理や自分でつけたキムチや燻製やローストビーフを

出してくれた

本当に優しい哲学者でありながら、自由でおおらかな男の中の男だった

写真で活躍する半沢さんも弟子で

最後の弟子がキョーバシくんだな

と笑う

その1年後

あのね俺写真を今日からやめます!

えっ?

やめるんですか?

うんそうだ

なぜ?

あのね

写真はこれからデジタルになる

つまりね

ツマライ!

単価も下がる

腕の見せ所がなくなる

パソコンで車の色変えちゃうだろ

あれで俺は、馬鹿野郎だなと

思った

だけどな

君はね

人を写すと何か写るよ

あとやっぱり

海へ行きなさい!

そんな

親父が病気で亡くなるのはその数年後

波を取り見せると

本当に喜んでくれた

いいの見つけたな!

いいぞ!おい!

バリバリ

エネルギービンビンで

死なないように!

そして手紙をもらう

そこにはこう書いてあった

97%おめでとう

私は若い時に戦場カメラマン、ユージンスミスのアシスタントをしていました

あなたの写真を見ていると

どこかあのキャパに似ている何かがあると感じます

これからもエネルギービンビンに頑張ってください

文字はそこに、韻を含んだ言葉として残り続ける

78歳まで突っ走って

自由自在に研究や修行を重ねつつ

自分に正直に真っ向い生きた柏原のオヤジさん

オヤジさんが海だったと今思えました

写真は出雲、日の御崎神社

秋になると海蛇にのり(霊蛇)にのり、海の神

大国主達が来るという

日御碕神社の前には経島(ふみしま)という不思議な岩だけの島があり

鳥居が一つ

海猫の繁殖場に

実は天照大神が素戔嗚と夕日の神事をしていたという

中は空洞で玉砂利の海底と参道や階段や亀の姿の岩など(人工的)がある

この海底遺跡を見つけたのは日御碕のダイビングショップオーナーの岡本さん

わざわざ泳げそうか船も出していただき、一緒に車で海岸線を走っていただいた

経島は正直怖かった、水深も深いがなんだか聖域であり

ロックフェロー島のような寒々しい荒磯から帰れるか?不安だった

出雲は夜の国

大国主は霊界にヒーラーで供養人

息子達は事代主も海の神

タケミナカタは龍神で、諏訪に追いやられる(天照の国譲り?に反対し天照の刺客タケミカヅチと戦う結果らしい)神様も人の領地を欲しがるのか謎だが

出雲教さんは天皇家の血筋

現在で37代目になられる北島国造さんの出雲教こそ

古来より神事や様々な大切な儀式や、海や国土の安泰を

祈祷してきた方々(やがて千家家が僕たちもやりたい!となり、毎年交代になったそうだ)

皆さんがメディアで知る大きな派手なしめ縄の出雲大社は

東京都知事などをされた政治手腕に長けた千家家の神社ですが

実は地元の方々に大切に数千年されてきた

のはこの北島家の出雲教です

宮司さんや権禰宜さんも一つの家族のような

心の方々。

出雲大社の右に樹齢1000年近い霊樹とともに

龍族の長で龍神イチキシマヒメ様も祀っておられます

この1枚は出雲教さんへ毎年伺う際に

御奉献させていただいたお酒のお返しにいただいた

お赤飯と御神酒を日御碕神社の海へお還し

し祝詞やを注ぎ貝をたてた後に写った1枚

出雲中の海を見たが波はなく諦めかけ

日御碕をまた散歩しながらゴミを拾うと

なんだか気のいい場所を、ほこらを見つけた

その海は荒磯!危ないな〜でもな〜

あの辺なら逃げれるかな?

帰れるかな〜

と観察し

そうだ!俺は太陽を波から撮るんだから

水が激しく動けばいいだけで

波なんかなくても

写るわけだろう

と夕暮れに入った

なんだかきの

白龍のような姿

旅はめぐる

それぞれの人生の経験と栄養を賜り

宇宙の海に生かされているだけ

海は生きていて見て聞いています

師匠の師匠ユージンスミスさんに見せたかった

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