一人ではるか沖まで泳いで行く
小舟で連れて行ってもらう方が多いいが
ふねがないと泳いで行く
緊張と独特な海や大昔と変わらない
まだまだ自然が強いありのままの景色
に自分だけが異物だと感じた
数十おくねんかけ、風や波や太陽や引力や月により
自然形成された完全なる美
そんな景色は日々地球から消えている
タロイモを山で育て
女性は一日中海につかり魚を釣り
引き潮になると珊瑚の磯に時計もないのに現れて
それぞれに、漁の得意なおばちゃん
高齢で海には入らず海藻をとるおばあちゃん
皆楽しげに、生きるための食べ物を生け捕りに来る
山には妖精もいる
そりゃいるうだろうな
海にだって何かがいる
生物学的な生き物ではない何かを感じる
だから人は自然へ畏怖を持ち
敬い捧げ物をし
バランスがごく自然に取れていく
人間には厳しい海から上がると
島の優しい彼らが
家に食事に来い
教会へいこう
大丈夫か?うまいか?
と
茹でたタロイモと
サンゴ礁の茹でた魚に
塩と椰子の果肉のコプラを削って水でもんだ汁に
とんがらしをかじりながららたべる
最近はそれでもオーストラリアから輸入された
中国製のアミノ酸のケミカルな即席麺や缶詰やコーラが
食文化を汚染している
日本もしかり、順番なのだろうが、風土の中に育まれた歴史ある食文化が
耐えると、人もダメになると思う
食物を作り、獲物を採るのは大変な時間と根気と自然に呼応して
何とか採れるもの
好きなことをして、時間をかけずにスーパーで買うだけの僕たち
は宇宙の真理からはずれている
この地で生まれ、この地の生き物を食べて死んで行く
これが本来の野性的な自然な生き方はどの国もなじだが
輸入されたピエロと新しい味を知り、レンジでチンをし細胞破壊された
一見暖かい、簡単で安い物はそれなりで
当然、濾過機腎臓や血管やシナプスや心臓がダメージを受けるのは当然
青い空が消えたから
江戸の美しい干潟や葦の生えた青い海が消えたように
最果てのフィジー の青空と海もいつかは無くなるのだろうか
彼らの優しさが
この怖く強いありのままの海へ背中を押す
強い山河へ身を置くことの大切さと
己や人間という物の小ささを知る
海の異物ができるだけ、海に即し寄り添えるように撮るには
最低限の道具でいくしかなかった
酸素ボンベを買うだけ、すでに無理があるわけですが
過剰に便利なり全てが霞ぼけの曖昧に
そのために人は、座禅や瞑想をとりいれ、宗教が惑わしてきたのかもしれません
ありのままの宇宙の海へ行けば、宗教も座禅も入りません。