死なないように工夫

人を避けて

南へ

ハワイ諸島やモルジブなど波を探して

旅をしていた20年前

サーファーがいると、波に乗るのが彼らの楽しみだから

いいのだが

サーファーは全く撮るつもりはないが

カメラを迫る波に合わせ水面移動して

サーファーが乗らない波を狙い

水面から波へ向けているから

波が崩れた後に

置きにパドルアウトしてきたサーファーが

おれ撮ってくれた?

撮ってくれる? いくらかななど

実際はシャッターは押さないで潜って逃げるのだが

そういう面倒も嫌になり

人のいなさそうな南の島へ

ハンバーガーを食べペプシで流すアメリカ化されたハワイ

に違和感を感じ

フィジーやサモアへ行くようになると

ファイジーこそここだ!

という日本から2回飛行機と小舟で行く自給自足の島だった

島は緑の原生林で自然がまだ強いことを

空気で知らしめる

海の岩場など落ちたら、這い上がれない上

サメや何が海中にいるやら

恐ろしい

台風もきたら島が海や雨で水没しそうで

数年前の津波はそれは凄かったと村人がいう

山には妖精(レッカ)がいる

海も泳いで行くか、モーターボートで行くが

初めは泳いで行くなど、正気じゃないと思う距離

一人で20〜30分 珊瑚を怖さにように

サメがいないか?深い海を警戒しながら

島から300mくらい沖へ、珊瑚の水路を迂回していく

海も波がとにかく水面ごと急にセリたつ壁になり

逃げれるのか?不安になりつつ

勢いよく、黙って前へ深く潜って波を交わすしかなかった

海から無事に戻ると、疲労と緊張で疲れ、冷たいシャワーを浴び

波打ち際の小屋のような部屋で、波人を聞いて昼寝をする

観光地もなくあるのは昔ままの自然の景色

漁をしている村人に会えば、ニヤンドラ〜こんにちは

と挨拶をし、なんでもない話をする

海の量は女性の仕事、朝から服を着たまま胸や腰まで海に浸かり

釣り糸の先に、やどかりなど餌をつけ投げるだけ

なかなか釣れないことも多く

毎日、釣らないとおかずはない

山で育てる、キャッサバとタロイモとココナッツはあるから

茹でて塩で食べる

タコなんかとれたら

茹でるのだがとにかく、魚も揚げるか茹でるかだけ

グダグダにタコは煮てしまう

こう考えたら日本人の、魚の処理や食べ方の、繊細で奥深いこと

和食の文化は日本の歴史だなと知る

よく仲良しの、家に日曜日など招かれる

一緒に村の家から10mの教会に行き

よくわからないが参加して

から、お母さんがご飯を作っている

魚は虹はぎ、モンガラやなんでも茹でちゃう

カラフルなチョウチョウウオもいたがあげてある

それに茹でタロイモ、塩、青とんがらし、ココナッツの水割りで食べる

毎日これ

毎日、毎日同じメニュー

床で座って食べる。

大きな魚は茹でてエラも内臓も食べちゃう

生は醤油がないから食べないと思いきや

1.2mのサワラを僕が釣ると

ライムと塩と赤トンガラシ出会えた

カコンダ〜!という料理にしてくれた

うまかったな〜

そんな暖かな彼らの昔のままの暮らしと、余計なものがない世界

が素晴らしかった

でも今ではきっと携帯やインスタンとラーメンも出始めたから

変わってしまったかな〜

僕は昔から

自然と海にお辞儀し、祈ってから入るのだが

釣り糸や電池(水中ライトのNationalの単1電池)もよく子供たちと拾い、電池は日本へ持ち帰った

みんな夜の寮から上がると、海へ捨てちゃう

ゴミもみんな船からぽい!

注意すると、ごめん〜と大笑い

海へは海岸より水面で祈るというか伝える

最初はお守りください

やがて

幾ばくかの時を海に入らせてください

になっていき

日本の海は、様々な修験や祝詞の祈りやら、貝をたてたり、お神酒や供物を海に注いだり

神社と同じく、祓い浄めさせていただく

先祖は広島の祝詞山八幡神社(ひいおばあさんの実家)

冨永という

明治に生まれのヒイヒイ爺さん杏橋柳助

には女の子が2人いたが

子供で亡くなり

後継がなくなり、隣の神社の曾祖母さんになる女性が

杏橋を継いでくれた

その時点で血は絶えたのだが

名前は残る

その先の室町の先祖はもし遡れたら

どんな人でどんな仕事だったのか

知りたいもです

過剰なジャンクなものやハイブリッドカーや電子レンジやスマホの依存社会

昔のままの、人には強すぎるくらいの自然があり

人は自然に胸を傾け、大切に崇敬し、気持ちを捧げてきた

そんなバランスがビルだらけの不自然な景色で、胸も汚れてしまったやら

漁に出て山で芋やカバ(コショウかの覚醒する木)を育て

テレビもない世界、妖精だって海も何かいるわけです

こうした、人間が作れない美しい瞬間と、表裏が現実でたいじなこと

人間には怖い世界は実は正しい世界

珊瑚の上で足さばきや、バランスを崩さぬよう気を付け

帰る時間を考え海から上がるなど

自然に合わせ、命をそく(側)していくこと

やがて人は即していく

修験道に近い感覚です

全ては体験、体感、しかない

一人りでたくさんの美しい時間に好みをただよわせ

胸を酔わせるだけ

群れないこと

先を聞かないこと

科学で解決できないと解ること

学校や人間の小さな知識は置いていく

黙って波の中へ行くだけ

嫌ならやめるだけ

前行けば助かる

退いたら死ぬ

どっちに行きたいか

自由に選ぶだけだよ

死にたいか

生きたいか

誰の助けもないフィジーの波の裏で教わった

裏技を総動員し死なないよいうに工夫した

これが正しい地球人の約束のはず

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