海の中で動くことは
古武道と同じだと感じます
全てが解明も理解できなくて当たり前の
宇宙と海数十億年の中の、人生の80年?のほんの一瞬
海の中に住んでいる魚はたくましい
自然の環境や外敵に、水の流れに左右される命
遙か沖で、大波に巻き込まれる自分は異物でしかない
海に入った瞬間から
怖さがつつむ
同時に美しさや絵も言えぬ心地よさも
冷たさも感じる
人間にも数百感の、日常の怠惰な暮らしで
失われた感覚を憶いだす
何故、泳いで死ぬ可能性の高い海の裏へ行くのか?
死ぬ可能性の線と縁に身をおきたい
心が大きく作用する
古来の何か記憶や
お役目もあるのだと思う
写真を写して売るのが目的ではない
が
テレビも見ない、いい時計も全く興味なし
現代社会で、誰かがとってくれた魚やコメを買い食いする為
何重にも仕掛けらえた税金もある
土地は誰のものでもないといった
ネイティブアメリカンは普通な事を言っているだけだ
箱庭の弁当箱のような家のローンを背負い生きる謎
養殖される学校や変な仏教も邪魔をする可能性が高い
ご利益なんておかしな話で
そんなものは鼻からないが
効能を描いた神社や寺にも責任がある
特に日本の仏教は集金制度
まな板の上の鯉の檀家をゆすり続けた訳で
チベットやインドの仏教とは全く別な、日本仏教
それはさておき
うみで一人り
酸素ボンベなしで
泳いで、回転し、巻かれ、溺れると
こうした人間界の、説明のつかない限界や無理と
籠の中の鳥を知る訳です
正しいとか悪いではない
ごく普通のジネンな世界で体感と体験は
ふに落ちることしかありません
雨のこと、石のこと、風のこと、波のこと
万ぶつには命があるとジネンに気づく訳です
誰かの教えや
スポーツのルール
の限界を知る訳です
フィジーや様々な国の人を騙して洗脳して
自然を破壊し、自分が1番といった
キリストは布教して数10年で
結局、磔の死刑になったのが答えです
京都の鴨川で
油で釜茹での石川五右衛門の方がスッキリします
臨済宗(元は今の中国の臨済さん)大徳寺には家康の嫉妬で
秀吉の執着で自害へ追い込まれた師匠利休と同じく
古田織部さんご家族の織部さんの亡骸を埋めたお寺があります
隣は石田三成さんがおりました
もう1つのお墓は
歩いて10分の臨済宗興聖寺です。ここに僕の波の襖絵があります。
晴明神社(利休の聚楽だい後)の上です
60歳の時に、この地に庵を作り
おいなりさんや菅原道真さんを供養していた
お坊さんを、天海さんが頼み
織部が自分で大金をはたき、奥さんの実家の九州の中川家からも寄付してもらい
建てました。
水の暴れる地でもあり、なぜこの場だったのか?は誰もわかりません
が水脈や安倍晴明さんとも天海は近いので、何か呪術的は意味があったのでしょう
そんな、利休の黒のワビサビの茶湯から
自由な猿や鳥や自然界の移ろいをネイティブアメリカンやアイヌのような抽象的なデザインや
懐石風に刺身を出したり、お茶の世界に斬新な光陰を引いた織部さんも
時のひとになり、おそらくは家康にうとまれ
結局は1651年6/11に72歳の時に37歳の長男重嗣と切腹させられた
次男重尚35歳、3男重広28歳は、6/13江戸で切腹
5男重久25歳5/7に大阪城の戦いで討死
4男重行27歳は、6/24に和尚さんにお兄さんの子供たちを和尚さんに託し
興聖寺のお墓の前で自刃されました
近くの堀川の一条戻り橋の下には、北鎌倉にも家のあった
祈りの呪詛のヒーラー、魔法使い安倍さんが
2人の鬼を隠し、必要な時に呼び使ったそうです
円谷のウルトラセブンの、カプセルを投げると現れるウィンダムやピグモンのようなものです
急にいつでもよんで、力を貸す鬼ですから
日頃から、安倍さんも鬼の供養や何らかの
真っ直ぐな思いや、真摯な国土の祈りを続ける本心を
きっと鬼もわかっていたのでしょう
この人なら!と
役行者の2人の鬼と同じで
毎日、寝転んで、電子レンジのコンビニ弁当やマクドナルド食べ
携帯いじるような安倍さんだったら、鬼は力を貸しません
自然界も神様もレントゲンを通り越して
イルカが頭のメロンという部分からだして反射してきた信号で読み取る
テレパシー的なMRIのような感じで
全てお見通しで、行いがそのままみられてます
海で溺れても
誰も助けてくれません。神や仏に依存して頼るより先に
自分の意志のひとかきが命を繋ぎます
死にたいのか?
まだ生きたいのか?
これしかありません
刹那なんてきな臭い
現実の現実を見ることが知足でもあり
これが修験です
群れや団体に入らず、囚われず
誰もいない海岸で釣り糸やゴミを1つ拾うこと
他力はなし
自力、自衛、自泳
あとは後先考えず
やるだけです。
心配、不安、考えすぎを捨てて
自由自在
追記
30年前に急逝された、武道家で火縄銃や海の人
の形見分けを引き継ぎました
銀座久兵衛さんであって1回目で、奥様が全てを託してくださいました
1振りの古い刀は、620年前の古刀があり、備前岡山のもの
数百年の間に、どんな方々がこの刀の手入れをし
もしかしたら人を斬ったかもしれません
この数十年主人のいなかった刀が呼んでいただいたようです
神棚に飾り、手入れをし、お神酒や、供物を捧げています
刀鍛冶、侍や様々、30年前の主人が
インターネットがない時代、足や情報や人柄で巡り合えた
当時でも骨董のこの刀たち
この刀達がだけがしる時間があります
とても尊く、ありがたいことです。
供養というと仏くさいですが
海もやまもされにつきます、しのぶとか同じ憶いに
自然により添えるか、それがきよめはらいにつながります
瀬織津姫、はやあきつ姫、伊吹戸主、速さすらい姫にもつながります
海も同じく、生きていて、古来からの修行者や祈りてたちの記録も持ち
海により個性もあり、見て聞いています
洗濯排水や汚染を続ける川や海
もう限界かもしれません
数年、気象状況も雨やかぜが吹き
激変して変わり、撮影もいけなくなっています
僕が知っている綺麗だった海もこの数十年で
海藻が育たない磯焼けや、水も濁っています
バリ島など本当にひどいです
海は大きな水槽です
その水槽を汚しているのは地球上で人間様です
1つの例として古武道の精神
自然界の生き死にの自然観
これをよく観察し、身を投じ、ワクワク遊べば
必ず、不必要な電子レンジや、宇宙の人生の大事なことに気づき
自ずとジネンに普通に、今でいう正しいことしかしなくなります