胸を傾ける
最近フィルムで撮る若い人が増えたらしいが、僕の修行じだい、旅をしていた92年〜2002年ごろまでは
フィルムしかなかった
デジタルカメラが、出現し始めたのが2001年ごろ
写真の師匠柏原誠は 俺はもう今日で写真やめるからな
なんで?ですか
デジタルカメラが出てきてな
車も1台撮れば、後は色を変えますとか
後でいじったら写真じゃないだろ
俺の腕の見せ所がない
これじゃ、つまらないな
撮影の値段も安くなるだろうしな
僕にはなんのことやらまだ当分先の話に思えたが
先を見ていた
お前さんは、あれだ海へ行けやっぱり。あとな、人な
なんか写るよ君は
そんな話が出たのが99年頃
そんなこともあり、いろいろな流れで海へ
死ぬ気で、死ぬ可能性のある場所でこそ
本物があると感じた
湾岸戦争の時だったが
どうも人の悲しみや血でお金にするのは
どうも違うな(報道は大切なのだが)
はっきりしているのはドキュメンタリー
何を写せばいいのか、わからなくなったのもこの時期
また、こっち行けよと風が吹き始めたとも言えます
彼の師匠というか一時期膨大なフィルムを
六本木にあったトッパン デザインセンターに
カメラマンとしていた柏原が現像していた。
それがあの、ユージンスミス
いいオヤジだったな〜か口癖の様に
水俣ではなく、フォードのトラックキャラバンの広告の写真だったと聞いた
もちろんあって話もする様になり、家にも呼んだそうだ
アイリーンさんもあったとか
フィルムは本当しか写らないが
デジタルは後で嘘をつける
その時は撮れてないのに、後から色を変えたり、載せたりと
そんな意味ではフィルムは難しいし、1枚を大切に観る
当時kodakのvs100が900円位で現像が1000円
今はフィルムは倍以上する
コダックはそもそもが軍需産業の会社で、フィルムなんか作らなくてもいいそうだ
産めや増やせやで
車と同じく日本の中にデジタルカメラは増殖し、同時に嘘つきも増えた
プロのカメラマンでも、色やいいとこだけをトリミングし、いじりまくり
印画紙に焼かず、安く早くのインクジェットになるしまつ
こうなると写真家ではなく写真屋だ
寝台特急、あさかぜやさくらが消えた様に
新幹線や飛行機の高速化で失った時間や情緒は否めない
36枚詰めて沖まで泳いで
また戻りシャッターを押した日が懐かしい
時にはフィルムが巻けてなかったり、入れ忘れたり
せいぜい撮れても、長い時で、立ち泳ぎで波を待ちながら5時泳いで2回海岸に戻り
岩の隙間に隠したフィルムを交換し
36枚フィルムを3本
いいことはすぐ見れる、、チャンスが増えた、1番は岸まで400m戻らなくていい
現像に銀や酢酸や毒を使わない
などそれはそれだが、昔の様に鉄のカメラがを磨いたりしなくなった
もはやシャッター音も録音された音が流れる電気製品。
色はいじりらない、撮れたまま、ファインダー見ないで押す
これだけはカメラを始めた時から変わらない
人は人、俺は俺
海は海
漢詩に詠ぜられる自然美への審美眼疾情緒と間を
写真に憶う
観念的自然ではなく
実践的、現実の現実の瞬間に溶け合うこと
脱俗境の世間へ木の身を投げ込む
波と呼ぶ、目に見えない風を写し
国土、風土に胸を傾ける
頭は捨てて黙っていくだけ