野沢温泉村
野沢温泉村へ
今から50年前、雪深い山と温泉の湯気のこもる急斜面の入り組んだ道の村は
思い出深く、当時はにぎやかだった
日産プリンスのライトバンにチェーンを巻き
展示用にはみかん箱とスキーの道具を縛りつけ
爺様とスキーにきた
日本のはスキーメーカーが14社もあった昭和40年
靴は皮でストックはスチールで埋まらないようにつけるワッカは竹と皮
板も木の爺様の手製で火で炙り曲げていたのを、横で見ていた
山小屋風のゲレンデの食堂でもらえる、コップ1杯のブドウジュースが楽しみだった
注文も順番はなんとなく周りを見ていて
カレーの方〜とか店の人がいうと、はい〜!と手を上げて譲り合ったり、先を越されたり
石油ストーブの周りで、革靴やびしょびしょのウェアーを皆、吊り下げて乾かしていた
当時はゴアテックスも、パタゴニアもなく、結局乾かないのだが
それはそれでよかった時代
毎年通う山で、小学生の頃この山の林間を勝手に滑り、コースに出たらまさに穴が開いていて、板の先が刺さり、ビンディングが外れず。スネを骨折してしまった
野沢で2回骨折した、思い出
鳩ぐるまや、あけび細工、野沢菜や温泉まんじゅうが当時のお土産
湯沢神社は火事に遭い安永(1772年ごろ)に再建された。
江戸では浮世絵師でやがて国から法橋の位を授かる、茨城出身の礒田湖龍斎さんが活躍中
霞ヶ浦の生まれの彼は、湖龍斎とした
湯澤神社の御祭神はタケミナカタ(出雲大国主の次男で天照の出雲の統治に抵抗し、闘いながら諏訪に追いやられた龍神様