在る事実
江戸の火消しで侍、浮世絵師に変身した、安藤徳太郎の偽名「広重」は写真的なデッサンにこだわり、写生こそが全てと言ったそうだ。
草鞋か足袋で徒歩で全国を歩き、時に馬にしろ籠にしろ、時間が今よりも濃密に緩やかに流れていたのだろう。
彼らが水中眼鏡で波の裏を見たら浮世絵にしてくれただろうか?
海の波や川や棚田に写る月や、瀧の動きを平面から動きを生ませた彼ら。
デザインや色にも拘理、芝の神明神社あたりに固まっていいた版元や絵草紙やで打ち合わせをしていた。
時計もない時代、なんとなく鐘が鳴ったり、人に今何の刻?と聞いたりして、大体の時間に集まったのだろう
奉書と呼ぶ、木「こうぞ」を細かく叩き、何度も漉くという越前の和紙
これも職人芸の硬い紙があってこそ生まれた浮世絵
今ではできない1ミリに3本の線を彫れた彫り師、絵を逆に何枚も重ねて絵になるように
感あげて彫るのも凄い、相当凄い小刀と息を止め、彫ったのだろう
髪の毛1本掘り間違えたらまた最初からやり直し
摺氏は寸分ずれずに、何枚もの桜の硬い木の版下に色を載せ、バレンで摺る
肉筆の浮世絵に比べ、緻密な腺や細かな描写ができた訳だが
布の目や模様まで空摺刷りし、着物の雰囲気まで再現しようとした
とにかくほんの150年前の海の埋め立ても、滝や川の破壊もない美しい日本があってこそ生まれた
この後も、世界にも現れない幻の技の結集
そう考えると写真なんて、押すだけだからいい加減な物です
しかし当時から海岸や海の姿は変わっても、波の裏側は江戸時代と同じです。
広重さんや湖竜斎さんや北斎さんに見ていただきたい
加工なし、ノーファインダーでカメラをむけて押しただけの1枚の記録
数百年後この写真を見た日本人が昔の海は透明でこんな色だったのか?と
いうのでしょうか?動き続けるマグロのような破壊に自然の海岸線も消え、テトラポッドや四角いケーソンの埋め立て、コンクリートやチタンの防波堤になれば
波も消えるどころか、芦ノ湖のコンクリートの堤防で波が鎮まらないように
地球はさらにぶっ壊れます
海と宇宙の連鎖と循環を尊ばない人間界は結局は自分たちを破壊します