非公開 織部3畳の茶室
織部がいた頃に作った訳ではないが
ここは妙な雰囲気が利休のワビサビの黒の窓のない世界とつながる
窓の多く四季や太陽の移ろいを感じ、楽しませ
感覚的に宇宙を感じようとさえた風の場
師匠利休の余計を排除した漆黒の楽茶碗や茶室
禅寺の和尚でもあった織部はそんな利休を吸収しながら
自由に感じて楽しむという、独自の感覚をブレずに確信し、器に猿や花鳥画を描かせ
それまでの、茶の作法に鮮やかな光をふり注いだ
織部が土を練り、描いた訳ではないらしい?から
学者の定説で言われているのはプロディーサーだったようだが。
それも実はどうだか?さすがに少しは描いたり、作ったんじゃないかな〜と思います
茶は中国から、臨済宗も臨済さん中国 正確には中国の前の国の時代
お茶は日本にもあったが
806年ごろ空海や最澄のお土産や土産話で始まりで栽培が始まったらしい
発酵させない緑茶、発酵させた紅茶。その間が烏龍茶
喫茶店の喫茶は鎌倉時代の栄西の喫茶養生記
仙人が飲むとか、体に良いと宣伝した訳が
歴史はさておき
今や、南の国の輸入のコーヒー豆が主流になる謎
お茶は無料なのに
なぜコーヒーは有料?
コーヒーマイスターとか焙煎気がどうとか
外見ばかりの言葉の付加価値どうでもよくなります。
坐禅して深呼吸。
静けさに身を置き、己を確認する
わからなくていい
わかる訳ない
ネットで物を買い、先に理屈や答えを知ったフリをして頭でっかちになる時代
古き長い時間、瞑想してきた先人の何かが残る場。
刀を外して平等にということで、狭い60センチ位のドアから入った茶室。
もちろん密談もしたし忍もきたな!あのにじり口から
どこかと通じれるこうした場は海や山や滝や川にもあるの同じ、人工的宇宙的体験の部屋
大切な時間はそこかしこに見え隠れしながら、いまだに訪れる人を無条件で平等に待っている
タスとか引くとかではない
考えすぎも、坐禅のしすぎもよかない
が、胸の赴くままに息吸うだけ