今はもう宿がないから
行かれないフィジーの離島
あの緑の山には妖精がいる

見たことはないが
山の中は妙な霊気を感じる

未体験の時間が流れていくのがこの世だが

死ぬ可能性のある水に包まれた独特な幸せというと
きな臭いが

神経や感覚がどんどん、宇宙に研がれていく感じだ

恐ろしいけれど美しい
ここで挑戦したい

あの波という、水面から数メートルの高さで
動いては迫る壁も
崩れて海に溶け合うと
静で美しい時間に戻る

怖いなんて言っているのは人間様だけで
珊瑚も魚たちも
ごく日常の地球のリズムと平穏に生きている

人間を捨てる

人間界の利己的で思い余った考えや推測は全く意味がない

水中
空の全ての周囲を見渡し

完全なる世界の中に異物として
浮いている自分の滑稽さを笑う

少しでも
この海風の中に生き
全ては循環し傷つけ合わず生きている
自然に造形された悠久の景色に
見も心も溶け合わ

必死に生きようと工夫し
前へ行けば

どんな困難も乗り越えられる

地に足がつかないと
陸上の移動する摩擦や反発力が弱いから
すぐには動きにくい

水をつかんで
水を味方につけ
指さきと胸を入れる

この感覚を積み重ね
つべこべ言わずに水中に潜り、回転し泳ぐ

酸素ボンベも、過剰な道具もない
体一つ、足ひれ二つの感覚で
動いてくる水の風を時には押し
時にはいなし

指さきと掌のひらで水分子を掴むが
次の瞬間には、波は移動し

力がかかるのは足に変わる

薄い波を蹴るととスカッと空振りし前へも行けない

鯉の滝登りもいつかできるかもしれない

必ず動く水の根本を蹴る

早いから目では見えない上
相手は透明は水の雪崩

体が自然に動かないと巻き込まれてしまう

全身の感覚を使い死生観を観る

昔の侍の生き方を、水中で学ぶ

自然に人は正しいことを
しようとしなくとも普通に正しくなる

これが伊賀地侍や忍たちが日々大切に練磨し
気づいていた正心

ゴミを海や山に捨てようなんて思いもしない

優先席に座ろうなんて思わない

自分勝手な人間が、電子レンジやスマフォに依存し

自由と冒険を忘れている

宇宙と海を「なめている」人間様

海で泳げば一瞬で心が自然に戻るのだが

美しさと怖さを知ること
がいかに大切か
 
それは浮世絵を描いた
湖竜斎や北斎や織部や利休の
永久的美意識にもつながる

誰かが作り、指図する宗教ではなく

自然な宇宙の風を知ることが
全てに通ずる

海はいつも待っています

時としては行かないのも勇気と判断
自分の胸の感覚を信じ

海は道場かもしれませんね

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