キリスト排除運動1612
徳川家康の命令で
キリシタンのオタイエさん
大島〜新島〜神津島へ流刑されその生涯を閉じた
小西行長野の元で暮らした少女は
やがて家康に強制的に侍女から
かこわれそうになり
一切拒否した
一説には朝鮮から朝鮮出兵時に拉致され
そういえば
家康に家族もろとも
切腹をしいられた
古田織部の弟子高虎の戦利品(勝てばなんでもありは大東亜戦争と同じ)
略奪したであろう達磨が京都興聖寺にあります
達磨は
臨済さんの臨済宗
あの白隠も富士山の噴火を見て人生に何かを感じ
西行のように、漂泊の旅へ出たわけで
白隠の書が骨董で多いのは
当時相当数、書いたのと
売れるので贋作屋が偽物を描いたと
骨董屋さんに聞きました
行長が関ヶ原で敗れ
切腹を拒み、京都を市中引き回しされ
六条河原で、石田三成と共に斬首
晒し首に
恐るべし日本人
家康に拉致され侍女とは名ばかりの愛人にさせられ
デウス(絶対神)のキリシタン信仰を捨てない為
家康が怒り流刑にされた
1612年にキリスト排除の禁教令が作られ
多くのキリスト教信者が殺された
彼女も拉致された上に今度は流刑に
ここに十字架があるのは
キリスト教の信者が、大島町とどうにかして
色々して昭和34年に建てたそうです
昨年亡くなった園芸園を経営され数々の骨董や様々集め
一時は建物内で開放し
波浮の港を愛する会のメンバー金子勇さんが
オタイエさんが、風の吹き荒ぶ
霊的聖地のこの場の雰囲気と
イメージで
この場所に何かあったらいいのではと
考えたようです
オタイネの碑は金子さんが自費で作られ
人々に後世、織部家族を切腹に追いやり
服部半蔵に自分の息子を切腹させ介錯させようとし
拒まれ
半蔵は仏門に入り、四谷の(浄土宗)西念寺にお二人のお墓があります
権力を我が物顔にしたスターリンやプーチンのような
家康の愚行と小西さんやオタイエさんの生き様が
のこり伝える、ご供養になられているでしょう
今でも大島には一つだけ教会があり
キリシタンの人が数十名おられるようです
この場所自体とおたあジュリアさんは
関係あるのか?ないのかはわかりませんが
約1ヶ月滞在したようですが
詳細はわかりません
海で泳げたのかな?
くさやは食べたかな?
かわいそうです。
海岸から急な山が聳え立つ景色は
まるでタヒチのモーレア島のようです
この海と山は全てを見て聞いています
今大島町長は新しい町長さんになりました。
筆しまの海岸のゴミをなんとかして欲しいと
直接お会いしお話ししてきました
漁網や発泡の網の目印、ウキや様々
とペットボトルの山!
拾いきれません!