浮世絵から伝わる宇宙観

1851年
歌川国芳 文覚上人 那智滝修行図

不動明王の周りには眷族さんがいます
その中の セイタカ童子、コンガラ童子が
お不動さんの手足となり
以心伝心

冬の滝で修行し
低体温症と心臓麻痺?で流された
文覚(京都御所の北面の武士)を救い上げている逸話

奉書の紙漉技術の高い日本
越前鷲とも言われ、コウゾの木をフィジーのかばのように
叩いて、細かな繊維にして作られる
途方もない根性と労力

下絵を打ち合わせを綿密にし
途中で絵師がやっぱりこうしたいなど
堀氏は硬い桜の木の板に
裏返しに髪の毛1本、ルーペもない時代に緻密に彫る

色により板が違い
色の枚数だけ板があり
今の印刷の基本(黄色、緑、赤、黒で色を作る網点と言って小さな絵具の粒を吹き付け
ルーペで見ると黄色、赤、緑の単色の粒なのだが、遠くから見ると色々ないろになる
これが線 精密な綺麗な印刷ほどこの線がたくさんあり、インクの粒と感覚が狭く細い
またその粒に盛るインクによっても奥行きが変わる。

これは写真集を京都の美術印刷のサンエムさんで制作していただいた時に
松井会長から教えていただいた
僕の写真集は270線デニスまで塗るから1枚の写真を5枚の色の違うステンレスの板で再現し
西ドイツの機械 ハイデルベルグで刷った。

その後ある不思議なご縁で伊勢神宮の内宮に特別奉納していただいた。

浮世絵も実は
型押しのエンボスを作る板があったり
幾重にも重ねるイメージを空想し

描いて彫る訳で
それはすごいことです

最後の摺師も
馬連でインクをのせ
力一杯繊細に竹の皮の面で回転させ押す
ずれたり
髪の毛や水の表現にインクがのりすぎたらやり直し

初刷りが木の目が写り
色も写しいが

なんせ170年前にガラスやアクリルの額がないのだから
庶民は障子や壁に貼ったり
桐ダンスにしまって眺めたり

きっと浮世絵には
当時の人の指紋や言葉を超えた
安易に遠くへ行けな買った時代の旅への情緒を聞いてきた時間があります

今のなんでもパソコンやスマホで調べて
写真までみれる時代とは、違い心が豊かになったのでしょうね

水の表現、岩や苔の配置
不動明王や文覚の表情など

普通の狸か馬の毛の筆でこんなにも細かく描けたのだから
恐るべし技術

132mの那智滝(現地に行ってはいないのかな)をイメージし
当時の紙の最大の長さが42センチくらいだから
それを3枚縦につないで絵を描いた国芳さんも凄い

版元は企画し販売する
まとめ役

写真なんか
電気製品で押したら写りすぐ見れるから
誰が写しても同じになる

そこで写真に何か内包するというか
動きや生きているような何かを自演ではなく自然に
残すのが技であり、難しところ

間違えなく
構図や頭や目で見て四角い枠を
作り始めたら、きな臭い意図にまみれた
心地悪い写真になります

ここにはその人の人生観や性格や
生き様が明確に関与してきます

そこが写真の不思議です

旅をして、馬鹿みたいに押して
失敗しながら、人生の憂や喜びや寂しさや怖さや全て
がこの1枚に出るのも写真の魅力です

今日の1枚と明日に1枚も違います

たくさん文覚さんや国芳さんのように
色々思うとこもあった人生

独り旅をしてください

江戸で生まれた浮世絵
大東亜戦争の1945年3/8ごろからのb 29のよる
焼夷弾の無差別爆撃で、多くの職人や浮世絵が肉筆画を始め
た芸術品が廃塵とかした事実

多くの浮世絵は海外の流出したものが
故郷へ戻ったものとも聞いています

しかし
どうやって保存していたのか

浮世絵の中の水だけが知っている

水は情報や感情もあるとも
絵具もすみも水がなければ
伸びていきません

水素結合力と波動がなければ
絵具は伸びず、溶け合ません
実は水分子の隙間に絵具の粒子が入り
色が変わったように見える絵具も
顕微鏡で見たら、水と顔料の粒は別々になっています

紙が顔料を吸い込むのではなく
紙の隙間に顔料を含んだ水が、水素結合をして
動き浸透しているのです

波と水
滝の落ちる原理だけは
変わりません

水素結合がなければ
滝は落ちてこず

婆さんも桃を川で拾えない

古来からの息吹や原理を大切にしていくこと
が環境?を守ります

浮世絵を大事に思い
当時の彼らの思いを偲ぶと

自ずと何が大事かが日々わかってくるのかもしれません。

ここから先は
自由自在

大胆に繊細に
修行と失敗を糧に
積み重ねていく情熱を
儚い浮き世に燃やすこと

また国芳さんや彼らの
水の表現力を妄想し
海へ!

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