伊賀
伊賀忍と地侍、郷土方々の供養へ
1581年の天正伊賀の乱の
数年前、二度に渡り
信長の息子が伊賀に攻め込むも惨敗
起こった信長が、魑魅魍魎の住む国伊賀を
日本から無くす為、たぬきも生かすなと火を放ち
神社仏閣、僧侶や神主や女子供も殺戮した
裏切った耳洲弥次郎などもいた
有名な伊賀観光局が広告する
伊賀上野城は忍者の城でもなんでもなく
占領後、後からつくられた伊賀にはいらなかったもの
だから伊賀忍者と勝手に結びつけるのは
歴史的にも彼らにも失礼です
元は平楽寺という平家の関係の山の寺
いくつもの塔頭があり
伊賀の高野山のような聖域だったが
ここで1000人近い僧侶や伊賀の民や忍、侍がなくなっている
今も片隅に当時のなもしれぬ墓石や、お不動様を祀るので
ぜひお参りください
ここは河合の、田谷さんのお城
ここで忍びや侍が玉砕(この言葉は大東亜争寺の大本営の欺瞞の、アッツ島で初めて悪用され、全滅を美化した言葉)
強い傲慢な信長にも屈しない
心と武芸の誉
日本人に大切な時間。
延々と供養に山から山へ