Uncategorized
冬の海へ
オアフ
2013年オアフ島
フィジーの空港であい
偶然行き先の島が同じだったハワイアン
と仲良くなり
結婚式の写真を頼まれた4月
2003年から訪れてなかったハワイへ
メリーモナークのチケットが手に入り
ハワイ島のフラの大会を見
宿も取らないまま来たが
本当にレンタカーも
宿が全然なく驚いた
何とか
木にくっついた不思議な宿を見つけた
島中泳げそうなポイントを探し回り
パホアという場所を見つけて1週間
波の中を泳いだ
薄濁りの海はサメが来ないか
少しきみ悪かった
そして
オアフにへ戻った
真珠湾で亡くなったパイロットの名前を読み祈り
ノースショアへ車を走らせ
木でできた昔、泊まった宿に戻った
あの溺れた日に戻った部屋もリビングも
懐かしくそのままだった
コンディションの良い海は1日だけだけど
優しい波で写真に残させてくれた
ベンジャミン
ある日
ある日6歳の土居清は
このように塀から中を覗いた
庭で稽古をしていた禅寺の和尚が
それに気づき
中に入れと言われるまま
入ったのが始まり
以来
厳しい修行を積み重ねた思い出の地
師匠は土居が35歳の時に
大阪から5年ぶりに訪れると
その3年前に亡くなっていた
皆伝の免状を受け
次にきたら極伝をお前にと
言っていたが
お互い連絡をとっていず
悲しい別れとなる
学校の前と終わりにここにきて
ひたすら最初は木の棒を振り
一日1000本基本の6本のかたを6年間振るだけだったという
師匠は水面の月を切れた
俺は軒下に落ちる雨の水滴を斬れた
自分の爺様は鴨居からたらした
乾いたタコ糸を斬った
懐かしそうに
この銀杏の木に立てと言われ
こうしてな
腕広げてな
動くなよ
と
師匠がな
ピーン!と一振り
細い傷をおでこのつけた
よし!
明日から来い!
と言われてな
それが土居清のある日
ある日は
人生に大きな影響と歴史と光陰を残す
その頭ではわからない
胸の動くままの自分の素直な
行動と意志が
次々とある日を織り込んでいく
宮司さん
土居清
苔むした神社は約500年前の
武士だった土居清良と部下たちのお墓は
神社と隣接する臨済宗妙心寺派のお寺にあった
団子や酒やみかんなど
当時彼らがこの地で戦い
また領民のために尽くした憶いが
山の中腹の鬱蒼とした森の中
村を見下ろすように建てられていた
年に2回祭礼を執り行うという事は
すでに1000回以上も、宮司や村人から村人へ
手渡されてきたという事になる
1546年 土居伊豆守清宗の3男として生まれ
15さいの時に侍の父を戦で亡くした
幾多の戦いにと
村人や家来のために尽くし
84歳で生涯を閉じた
彼の執着のない大胆な生き方は
土居清がそのまま受け継いでいる感じがする
現代の古武士が残りの人生
剣を持って伝え残そうとしている
四国
レ アピ オステリア
パークホテル東京 展示
ファイヤーキングカフェ
人は器
ファイヤーキングカフェ
代官山フルマークス
本日29日 夕方18時から21まで
代官山フルマークスにて
Tシャツ 発表パーティー
スリランカのサーフブランドとの初コラボ!
福島ハルさんの情熱の合うトドショップと数々の北欧のブランドなど
お店にも様々な、よりすぐりの大人のアウトドアウェアーがあります
ぜひ
無料です。
飲み物を個人でお支払いくださり
自由なスタイルです。
渋谷区恵比寿西1-30-16-B1
ファイヤーキングカフェ28日営業時間
石畳と69年頃のポルシェは街並みに溶けている
大事にされているな〜
幸せなパープルのポルシェ
昔の車が好きだ
今の車は家電で
快適な家のようでつまらない
誰でも運転でき
所詮壊れたら部品がないゴミになる
かつてはレジスタンスだった
ヒムカ大統領が古いワーゲンに乗り
持続して使えるものをなぜ作らないのか?
と演説し
国連の先進国の人は胸にぐさり!
ときたが知らんぷり
2018,2019年アムステルダムで展示をしてきました。
どこへ行っても観光地には興味がわかず
毎日宿から展示場へ通勤の10日間
気力体力で作品を運び、ドリルやメジャーでかべに取り付けては
次の国へ
電車だったり
バスだったり
乗り方もわからず
色々教えていただいた
自転車の国で(都市が平だからか?)
バイクや自転車レーンを歩き怒られたり
長いものから、子供を前にのせる部分があったり
ぶつかったら危ないと思うが様々な自転車を見た
すごい飛ばす!
若いのに杖をついた足の悪い人が多いのは
そのせいだとオランダの人が言う
ヨーロッパはなんか居心地が悪い
海がないからだろうが
どうも親和性が持てないと言うか
食べ物も気をつけないと
オイリーだ
体が鈍るな〜
改めて茶道や武道や浮世絵などを作り
茶室や美しい庭の方丈で瞑想した日本人の
穏やかで、美意識の高い精神性を尊く思った
三脚を捨てる
紙一重
神人重
同じかもしれません
神とは一つの人型の人にあらず
神羅万象の風
人に似せた仏は
後から日本に輸入され
蘇我と物部が争いに始まると言われる
確かに神様とは全く関係のない外国人と
像という偶像、仏像を拝むわけだ
仏は供養というイメージが強く跡を引いている
いいとか悪いではなく
その利用法や使い方
扱いや解釈で揉め事もおき、宗教問題や戦になっている事実
しかしながら、長い時間そこで祈られた仏像や
お経と修行した者のかもし出す
妙な雰囲気や、不思議な何かで救われた人
様々な祈りの起こす現象に溶け合うと
なんらかの魔力があることは否めない
バランスの伝え方が難しいのは
そもそも最澄や
あの法華経以外は地獄へ落ちろ!由比ヶ浜で浄土信者の首をはねねろ!と執権北条に言った
強烈に熱い男の日蓮や様々、人間が指し示す
経典なるそれぞれの宗派による絶対的なルール
を決めたのがズレの始まり
我々民衆は宗派や檀家制を強いられ
長男以外は別な墓を指定の墓業者から買えとか
法事のや季節ごとの催しで
高いお金を指定され
葬式で極楽浄土へ僧侶がしっかり請負い、送ったはずが
お盆に亡霊となり帰ってきてしまうので
供養しないといけないという
辻褄の合わないビジネスモデルが自然発生する
仏教は六道輪廻の妄執を断ちそこで自ら解脱して
彼岸に至る道を観教えなのに・・・・
極楽へ引導すると約束したではないか?
だったら最初に、それでもですね
毎年夏に降りてくるから、あげるには
費用がかかりますと言えばいい
でも僕たちより、すごい力があり
自分で下界へこられたのだから
極楽へも自力で帰れるだろうに
自力をさせないのが世の常か?
政府も然り民衆をマインドコントロールしたいからか?
そもそも身内だから帰るとか帰らないではなく
日々近くにいて、孫や子供たちの日々をみままもり
ニコニコいてくれるのだから、いいのに
なんでまた、亡くなった方は修行中ですとか言うのだろう
観たのか?
霊魂、鎮魂と家族を忌み嫌う霊にしたてるのがよくない
お釈迦様を絶対視し、その教えを貫くなら
輪廻転生とは生まれ変わり続けるのだから
途中で変な霊にはなる暇がない
僧は妻帯はしないというルールや(親鸞がある日2000年近いルールを
表立って破った)
独りで旅して悟れ〜と言ったはずの自力修行が
いつの間にか他人の救済の為とか、リフフォームを繰り返してきた
これは芥川龍之介の「作り替える力」や
柳田国男も「先祖の話」も同じ
疑問を霞にぼかしてきたきたのが日本人
大乗仏教はお釈迦さんとはなんの関係もないと
江戸時代の比較哲学者 冨永仲基さんの話は
誰も異論が唱えらていない
「最澄の法華経や、法然の阿弥陀経も全て
後から作られた作品である」
自分で解脱すればいいが
解脱をした人を拝めばその力をうけるとか、いいとしたのが
大乗仏教
お釈迦様は
霊魂はいないと言っている
方便と解釈の幻しを隠しているが
隠しきれないのが真如
仏道の人に、お葬式や戒名やお盆の謎
声を上げない日本人のまな板の上の魚状態が続いている
生まれたら神社
753は神社
下手をしたら結婚はキリスト
死んだら葬式
アーメンである
神とは海
風、太陽、サメ、魚、石、全ての循環と
宇宙によりそう叡智と心
そうした線を
重ねることは
我が身や心を相手や宇宙や海に合わせていく
海の気持ちになり海へ行く
ウニを踏んづけたら
ウニにごめん!とウニの心に
全て海の生物は受け身です
悪さをするのは人間だけ
山伏は懺悔懺悔と山で言う
一重に憶うこと
陰陽も同じ
海と人
宇宙と内面の心理だと思います
人間界の都合のおかしさ
に汚されず
心一つ山や海へ行けば
すべ手が胸にスッと決まる
道は色々ですが
人工的な道は捨てて
自分一人で山や海を歩くこと
宗派の違いを例えるお決まりのフレーズ
道は違えども高い嶺から見る月は同じかな
でも
僕は一つでも固有された「もの」でも
到着地点が同じだとは思いません
無限なる自由と回転し続ける風に乗ること
己の光が照らす影がずれないように生きるだけ
同じ写真がないように
人の個性や瞬間が、同じように重なることはない
三脚が生きた写真を殺す事実
神とは遠い遠いご先祖のようなもの
海の話
ファイヤーキングカフェに来たのはもう18年前
連日お足元が悪い中にかかわらず
皆様にお越しくださり
この場を借り御礼申し上げます。
波でひとり泳ぎ
綺麗事はとは抜きに溺れては
なんとか海岸に戻り
また海へ行く日々
フィルムが入ってなかったり
様々
それもこれも
こうした展示会があるから
月並みですが頑張ろうと思っていました
溺れて死んでも
なんら悔いもないです
ただそこで準備不足や
体の状態や心がぶれていたら
本当の力を発揮できずに
海岸に戻れないのはスッキリしません
死ぬ気でかかれ!
と
常に鼓舞して波の中へ向かいます。
そこには常に冷静な平常心
無とは難しいですが
撮っているときは無だと思います
無の境地は武道に似ています
体が先に動くだけ
頭で考えないこと
あたまで考えて泳いだら
パニックになり
死にます
僕も数回この線を超えそうになり
本当に意識が飛ぶところを観てきました
一貫して体術を使い波の中に入り込み
ノーファインダーで押すだけ
自然界に迎えられ
受けいること
全て何か感じた
見た瞬間に押しています
ノートリミングの写真です
ドキュメンタリーで生きると決めたので
全部一貫してそのまま
海から戻り昔は現像し
後で見てみて
あ〜撮れた
という感じです
今はデジタルなので
待つ楽しみもなくなりましたが
すぐに確認できるので間違ったカメラの設定や
向きなど、次に修正できる
またフィルム交換にまた30分かけ戻らなくていいので
楽になり、撮れるチャンスが増えたのも事実です
変わらないのはカメラ以外
アナログな世界と精神世界
1枚1枚
0.02秒で押したたまたま
色を足したり、変な加工はしません
とは言え
実際の色は、目は補正しますし
速くてなんとなくしか見えてないので
写真の内包する情報を引き出すことはします
島々へ旅から旅へ
泳げそうな場所や、透明な水を探した20年
お客様にもよく生きてますね
と笑われました
いつまでも
溺れています
溺れない日が来ない日がないのか
恐るべし波の力と宇宙のパワー
人為の及べない
人為では征服できない
美しい青い森の海を穢すのは人間だけです
ペットボトルでできた海岸や
洗濯水などの汚水の海
やがて地球の透明な海がなくなるでしょう
所詮、池や水槽と同じです
バクテリアなど生き物の浄化力が飛び抜けているだけです
呟き
本日14時からおります
ファイヤーキング
ファイヤーキングカフェ
Fire king Cafe
FireKing cafe
のうじょ
ピラミッドの山
斎館
山中に300年
修験道の聖地
100日の篭り行を2人でする修行場
(50日2人でここ、外出は山の中だけ、車、バイク、自転車なし)
(50は自宅、宮司など関係者が、事前に独りで住む場所があるか?隔離前提で確認にいくが、正直その先は監視していない
本人の信心に任せてあるので、どうなってるかは正直不明とのこと)
祭壇にはお稲荷様(出羽三山神社は天台宗など神仏習合を経て、様々な神様を人間がその時の都合で祀った)
本神は宮司さんも扉を空けていないので
正直わからないという
神秘が漂う古来のままの宿坊でもある
便利で過剰に快適なホテルではないので
ホテルが良い人は来ないように
当然虫もたくさんいます
風光明媚な宿は
そもそも虫の住む世界に人間が勝手に破壊し
建てたまであたり前です
大自然の中に
屋根と壁があるだけが山の宿の基本
いくつもの結界の先
先人がなぜこの場所を選んだのか?
結界とは何か?
毎朝、毎夕宮司さんは、祝詞を捧げ供物を捧げる
館の扁額は大権現と最後についているので
仏教の匂いもします
本堂から持ってこられらたようですと宮司さん
霊力を持つ霊鳥の招きでこの山に
社を気づいたのが始まり
鳥のイメージで独創的な鳥文字は霊力を持つ
天狗、狼や海の神を尊ぶ
アミニズムの集約地
自然に毎日、人知れず行うことが
行であり、真心である
あーしろとか
こうでないと来世で大変とか
お盆に先祖が帰ってくるから
またお経を読まないと、迷いますとか
霊感商法的な日本仏教
山や海にいけば宗教なんていらないわけです
日本でも唯一行っても過言ではない
羽黒山の石段とその道中のいくつもの
山神、海神
祈りという言語も
なんだかきな臭い言葉だなと感じた
自然に胸で感じた思いやりと
ありがとうございます
そんなシンプルなこと
だと思います
出羽三山
濁る水
日本の波は優しげ
青透明な南太平洋の波とは奥行きが違う
祈りの社が特殊な場所に配置されている
日本の海岸線
しかし地球を破壊するのは人間だけ
自然災害は人間の見方で
そもそも地球は生きる有機体だと気付いた
ジェームスラ ブロック博士
イルカや鯨には感情や知性があると気付いた
ライアルワトソンやジュンリリー
ネイティブアメリカンの教え
1993年ごろから彼らの本をバックにしのばせ
オーストラリアの風のどん吹きのパースの海岸や
バリ島の山の中で
読んでは、ふに落ちた
例えば本牧も東京も、数億年の時間がかけて作られた芸術的自然美と生物の多様性
そこに暮らす人々や漁師を追いやり埋め立てしまった
不条理にも関西電力が行ってきた上関原発の候補地では、反対派の宮司と賛成派の宮司まで入れ替え、
村や漁師の長に金をばらまいた
村人も家族も仲違い。
祝島はそれでも約98%近くが反対していると現地で聞いた
パタゴニアや様々な企業の目も届いている
戦後の人間様優先で神社をも動かし、海を墓にして埋め立てた
経済優先と政治家や企業の銭儲けの、なんの責任も完成もない宇宙の愚行
の姿が今の日本の都会だ
外国人が来ても日本らしさはない
ビルの隙間で見る料理や、建物や茶室や庭園
の箱庭で感じる
日本に来てスカイツリーに行ってもね
いつかこんな景色も見れない海に
このままでなる
日本中が四角いコンクリートで要塞化するか
砂浜はペットボトルで埋め尽くされ
降りれる、泳げる
海岸が消えて行く日もやがて来るのだろうか?
100年後の人が
砂浜?ってなんだ?
100年前の日本の写真を見て
驚き、悲しい気持ちにならないように
記録として残しているのか?
世界の海もこの20年で日々濁ってきている
海の水はあっちからこっちに
移動するだけ
自分の場所だけ綺麗になっても
他所に気だけ
放射能もゴミも工業用水も化学薬品や洗剤も
全部海にただよっている
コップの水と同じく限界がある
ただいまは広いだけの海や川
浄化力はあるとはいえ
そのバランスを過剰に超えている
心が濁らないように
目が濁らないように
正心と正義を自分で隠さないこと
ふに落ちた時間にするだけ
うみで1個でも自分を欺瞞すれば海岸には戻れない
コンクリートの海岸になったら、どんな泳げても上がることはできない
自業自得にならないように、地球は痛んできているが
海はいつでも優しげにそこにある
一昨日初めて立ち寄った
子安の関根御滝不動尊へ
そもそも近くの駐車場に
海の知り合いと8年ぶりに偶然ばったりあい
盛り上がりバケツに入れた武道着を忘れた?
しかも家についてないことに気づき
もしや?と
親切なコンビニエンスストアの方々が
中に入れてくださっていた
湿気と森のフィットチンドが覆う
古来からの森の生態系の
上流には蛍のいる(源氏と平家蛍が共存するという)
清流関根川の崖に佇む
お堂が昔、雨で流され
御不動様も行方不明に
やがてこの道で事故が多く、お堂の跡を
掘ると御不動様が逆さまになって出てきたという
御滝の不動尊
瀧=お不動様は那智滝をはじめ全国でセットだ
昔の人々は修験者は何かしらを感じ、観てきた
感情移入がとても大事
今のデジタルスマホ社会で失って退化した感覚
新興宗教の仏教が輸入され
蘇我と物部が争いながら
情報が口伝で広まるにつれ
自然と人々は力づよく、優しい瀧に
独特な野生的感性で
善悪を見据える御不動様や龍神様を
瀧に溶け合わせてきた
ここの瀧は大雨の時など
年に数回山に現れるという
講の方達の崇敬や信仰の優しさを感じる
堂内はお掃除道具がたくさん
気になっていた
堂内の枯れ草は
なんとやすでだった
ついでに外の落ち葉や
雨樋のつまりを掃除している間も
おじさんが水をボトルに大量に汲んでいた
暗い堂内を見ると
なんと横の祭壇は出羽三山!と書いてある
月山、湯殿山、羽黒山(昔は鳥海山)
の時間と祈りが染み込んだ2枚の大きな板が2枚
享保とある
江戸時代に山形の出羽三山から
今では車で簡単に来れるが
こんな山奥にどうしてきたのか?
きっと村の人に聞いて
歩いて登ってきたのだろうが
感動した。
ちょうど数週間前
羽黒さんの権禰宜さんからお電話をいただいたばかり
出羽三山祝詞を家でもと姉ていたから驚いた
暗い堂内で
セミの声と清流の音に包まれ
出羽三山祝詞を唱えた
こんな田舎の山奥に数百年も前に山形から歩き
2回はきた、羽黒の修験者はどんな思いで
ここで祈ったのだろう
彼らの崇高で純粋な気持ちは
孔子て数百年後も、代々脈々と地元の方々に
大切に守られているのが
日本の素晴らしさです
なんだか
今日は海はもう行かずにいいや
お掃除をしていたら夕方になった
また来なければ。
不思議な人から人
神様から神様のご縁
仏様から仏様
真理は一つ
大宇宙と海があるだけ
海岸に集まる
武術の稽古を終え
明日行く予定だった
葉山のパタゴニアの板の修理の引きとりに行くことに
アートフィールドの後輩の元へ東京湾の反対側へ
その前にリペア代がなかった!
探してポツンの山の中の
初めて入るコンビニの駐車場で
隣に来た車に声をかけられた
振り向くと
サーファーで
僕と同じ玉井さんのゲンテン の板に乗るコアなスノーボーダー岩見さん
8年ぶりか!
千葉の金谷からフェリーではなく
アクアラインを縦断しピンポイントで会えた不思議
後でまだこの辺にいたら
また会いましょう〜
大浜の海の家で昼寝し
天皇陛下の別荘、警官だらけの御用邸の
向こうは一色海岸
砂浜には
お盆に先祖が乗って帰る馬が
乗り捨て
海から帰ったのか?
初めて来るが
大浜はガラガラなのに、こっちは
海の家もすごい数
人も凄い
サップで逆立ちする人
不思議。
岩見さんから指定された
海小屋へ行くと
なんとパタゴニアの元社長の辻井さん!とばったり
8年ぶり!
海に海の男が偶然
集まった不思議な日
ガソリンがなくなり
人もまばらな横浜中華街へよる
入ったお店は関東風醤油味の
蒸し鶏が微妙
自宅に帰ると
武道の胴着を入れたバケツがない謎
そうだ
あのコンビニの駐車場へ置き忘れたか?
荷台から盗まれたか?
それはないか
今からまた葉山へ道着を探しに行く
9月はすぐ
ある方に夏はシーズンですね!
いえ、実は夏は撮影しません。
水が濁る
人が多い
撮れる時は撮れるから
ま〜いいか
と秋と冬を待っても
波と太陽の塩梅がこれまた難易度が高い
最近は人の撮影を徐々に依頼してくださるようになりました
オーストラリアを一人旅していた1993年ごろ
当時は人の写真を写そうとも思えず、ピントこなかった。
ただ単に人や情景を読めなかっただけですが
何千枚と無駄に写したフィルム写真はどうしようもないものばかりで
お恥ずかしい
あの頃はカメラと旅の修行という訳です
ネットもなく自分の足や、見たり聞いたり探し当てた
秘境やいい場所は人もいなくて良かった
今は行く前に簡単に調べて
事前に画面で景色を見てから
景色を見る
やがていろいろな撮影をしていくうちに
波の撮影と並行し、独特な雰囲気の祭りの人々に
何かを感じれるようになり
撮りたいな〜とスルスルと人の波へ入るように
今思うと人は波はどうです
少し前に移動して押す
波と同じなんだと感じれるように
飾りない大胆な素のオヤジたちは
ドキュメンタリーだからいんですね
戦場にきっと近いというか
かっこいいモデルでもないなんでもない、ごく近所の、町工場や商店のおじさんですが
神様へ心を尽くす飾りない姿は
海と同じく、差別も優越やお金持ちとか意味がない
人をフラットな心持ちにするのでしょう
しかし
この世はコロナで、コロナのない神仙界の神様の祭りも行わず
すると不思議なことに3月から始まった
チャコットさんのバレリーナさんの撮影
お客様にお聞きすると
バレエの世界にはこうした撮影がないとのこと
初日の夕方には
撮影5日間で15人のお客様のご予約が
夕方には一杯になる盛況ぶり
本当に美しく優美な1枚に
喜んでいただけ嬉しい限りです。
予約が取れないというご意見も踏まえ
撮影日を今後増やす方向で
馬場社長、マーケティングの担当の方々と準備中です。
その合間
9月から10月の個展ファイヤーキングの写真を選び
海へ遊びにいき毎回クラゲに刺される最近
あんどんクラゲが浅瀬に増えてきたな〜
ビリビリ!なんて全っく気にしません
クラゲよけの得体の知れない液体を体に塗るなんて
虫除けと同じく使いません
自然にいくのだから
あたり前です
僕も子供の頃は海パンで泳ぎ
全く気にせず、もし見えたら
避けていましたが
山口県で腕に巻き付い
たあんどんクラゲの痛みや傷は今も思い出です。
全てそれも経験
海はもっと強い生き物や
潮の流れや波があります
人間はそうした、人間様より強い時間に
触れてこそ、自然や宇宙の尊さを知り
この浮世に自らをバランスを調律し生かしていくのです
僕の痛い順
ミノカサゴ
スズメバチ
シロガヤ 岩場にいる白い鳥の羽のような海藻
クマンバチ
ファイヤーコーラル(珊瑚)
ハオコゼ
オニヒトデ 海ですぐに毒を絞ったらセーフでした
ガンガゼウニ
アシナガバチ
海蛇、ダルマオコゼと、毒の槍を出すイモ貝のアンボイナは海で注意してます
ヒョウモンダコは見たことがないです
エイとカツオのエボシもたまたま刺さらたことはないですが
友人は2人刺されました
カツオのエボシは
海に飛び込んだら、ちょうどそこのいて
まるで頭を鈍器で殴られたような衝撃と激痛
アカエイは5寸釘のような穴が開き
折れたら、ギザギザの返しがあり手術です
足が痺れて病院直行だと
笑ってました
もし毒魚に刺されたら
火傷しない程度の熱湯をかけると解毒ですが
海ではお湯がないので
血を絞り出すことです
すぐに海から上がり
ヒスタミン軟膏や、最近はクラゲようのムヒのような薬も見ました
海は化膿しないようにクロロマイセチン系を塗ります
珊瑚が実は危なくて、南の島では
いつも化膿しなようにしてます
常在戦場
海や山や川も怖いです
浮世
作品は広重の弟子2代目広重
その前に
江戸城の火消し侍の息子
安藤重右衛門(広重)は歌川豊広の門下で浮世絵を習いは決めたのは
1811年頃、幼名徳太郎15歳だという
この頃の武士は扶持(給料)が少なく
傘張りは、提灯張りなど職人にならざる得なかった
武士の政権から
江戸の武士や彼らを食べさせ
商業を発展させるため
近江などから商人が好待遇で募集され
江戸の町は伊勢商人や江州商人が商売に現れ
江州商人と犬のくそ
と言われるほど
江戸には多かったという
この頃から美しい日比谷入江や江戸湾は
破壊され、人間の都合で埋め立てられたから
商いや金を生むことは、宇宙と自然破壊に自動的に溶け合う
1856年の初め
広重に変身し
版元との打ち合わせの結果
美人画も描くが、やはり広重は魚や風景の緻密さとドキュメンタリー性が群を抜いている
そんな浮世絵も売れていた彼が
還暦を迎え剃髪し浮世を捨てる道を選んだという
江戸時代の寿命を思う時
広重さんの胸に現れたいた想いとは・・・・
そして斬新な 遠近法と江戸を歩き
江戸名所百景を描き始めた
1858年 上の山下
市谷八幡
びくに橋雪中
は2代目の作と言われている
まだまだ描きたかった途中で亡くなり江戸も消えていく
最後はたくさんの狐が変身するため集まる場
王子の狐の狐火の絵だ
師匠の死後7ヶ月後に制作された赤坂桐畑雨夕景も
師匠の制作中の版木が残っていたのか?
追加された絵と目録を含め120枚でこのシリーズは終了する
が寿命がまだ残っていたのなら、さらにその技術と人生が生む作品が
永遠に残るったであろうが
それが儚い命と無常の世界
北斎が90を超えたらおうぎを究め
100歳になれば神妙の域に達するものと考えている
110歳ともなれば、1点1点生き物のごとくなるであろう
と
江戸の景色を見ると青い絵具
をたくさん使い
川の多さを改めて知る
そして広重と同じく火消しの息子で
広重の養女と夫婦になるも,20歳もの歳の差のせいやら何やら別れ以後森田の名乗る
2代目(鈴木鎮平)の作品の一つが
この六十余州名所図会の天橋立(1859年安政6年)は
師匠広重が前年亡くなる翌年
重右衛門=広重と同じく名前は鎮平=重宣にする
確かに鎮平はぐっとこない。
写真もガイドブックもない時代
浮世絵や名所を描き版画で作られた(増産するため)
絵を手にとった江戸の人々の楽しみと旅への扉だったであろう
額もない時代
1枚800〜1000円くらいと言われた
浮世絵を買い
家に貼ったり、タンスにしまい出して見たり?
どうしたものか
この1枚も海外に流出し
戻ってきた1枚で
初刷りではないが、初刷りの真ん中あたり
神社や木々の茶色や
遠景の紫の夕陽
遠景の白い入江も初刷りは水色のグラデーションが入る
しかし近くの緑の透けた山や、海岸線には
キラ摺り(雲母)が見てとれる
浮きと絵は当時できた
最大のコウゾの手すきの紙の画面を
縦横無尽に大胆にかつ繊細にデザインされ
伝えようとした江戸の職人たちの思いが残る
大きな作品はこの紙を縦や横に合わせ1枚にみせデザインされている
写真はいい加減で
その瞬間を感じて押すから
一瞬の閃きと、その場の瞬間を観る力がいるが
押すだけでいいが
絵やしかもこの版画は色や奥行きなど
事細かな打ち合わせと、強烈な技を保持する
版元、素描師(浮世絵師)彫り師、摺師
の合作
これはクライアントと企画者、写真家、メイク、スタイリストと同じ
最後は写真家がおいしいとこをかっさらい、写真家の名前が1番に前に出る謎
僕の写真は、旅も行くまでも全て
一人で海の中で押すので合作ではないですが
ともあれ江戸の封建社会から
庶民も自由や味覚(京都から伝わったという江戸時代の料理)
など楽しめ始めた時代が自然にうんだ
後出しな言葉では芸術だが
日本のこうした美術品は地球上に類を見ない
緻密さと以上で過剰なこだわりと
何よりも色に対する極度な感覚は4シーズン(四季)が僕は
感情や情緒や宇宙の儚さや尊さを胸に訴え理解し
同時に茶道や武道、神道など
が、溶け合い実直に何千年も育てた風ばなのだと思う
今の僕たちも
目新しい安いジャンクなものや食べ物ではなく
一呼吸
空気や海の水は江戸時代や平安時代と変わらないのだから
目ないものを観て、触れる時間を、自らが蓋をしたり
ひもをかけた箱を開けて見たらいいと思います
何か広重さんたちの吐息がどこかに残っているはずです
古美術や、老舗の味、古い車からは
自然観、宇宙観、人々の思いやりや丁寧さなど
作品とともに今も呼吸する何かが
あると僕は思います。
古武士のように生きろ
と名付けた
古美術や茶道、写真を愛した
アメリカのトラックを販売する
玉川の城南ジープの先先代重太郎さんのことを思い出しました
ファイヤーキング18年目
ファイヤーキングカフェ 個展ももう18年目です
オーナー阿部さんありがとうございます。
そもそも写真の題名はその時ないので
後付けになるからないです
が
友達のおじいさんやおばちゃん(失礼)
お兄さん、お姉様がたは年々歳を重ね
老眼だからあんた見えないわよ!
何これ?絵なの?と
何度説明しても
それなのに
何?泳いで撮ってるの?
酸素ボンベなし?
と何年説明しても自由に忘れるお姉さん
子供から大きな子供まで
分かりやすく 海から見た宇宙と添えました
昨日、海の帰り夜中に
特急でデザインしたので
少々雑ですが
本心が掴んでいればいい
という海の教えのまま
ざっくりと!
是非みなさま
おいでください
10月1、2日は古武道の師匠の先祖の神社やお墓参りに行くので
数日いませんが
毎日のように夜はカフェにはいます
連日海へ
エルカミーノは経年劣化でスターターが壊れ
城南ジープ安江さんが
特急で無理を言い交換くださり
一発始動で元気が出た
デザインが大事
海の後輩の海小屋
8/31まで空いてます
サップやカヌーなどのんびり
普通の海の家とは違い
デザインと水平線の高さにこだわる美意識
大浜公園の目の前に1軒だけTST葉山
ぜひ!
お蕎麦は年に数回しか食べません
マクドナルドとラーメンは何十年も食べません
城南ジープの先代 武士古
芸術家でジャーナリストのお父さんが
古武士のように生きろ!と命名
若い時に家族を残し
グアム島におにぎりやをやるから
見てくると言ったまま1年帰らず?
帰国後
車好きと持ち前の旅人と冒険心で
知り合いの車屋さんで修行し
独立後、アメリカからトラックや4Wdを輸入販売して39年
そんな親父はそば通で
ある時ある蕎麦屋さんで、つけ汁の味で布つねさんの暖簾?
と言い出し
店主がびっくり
親父はいつも杏ちゃん
蕎麦いこう!
あのな
蕎麦はね
もり1枚
かけ1杯でいいかい
先にもりね〜
すぐにかけね〜
とあの親父の声を思い出し、永井荷風さんが通った
尾張屋さんで、もりとかけ
を頂いた
蕎麦湯が薄いな
かんだ藪そばさんはトロトロだったな〜
その時はかき揚げそば
火事でもえた後の新しいお店も
江戸と古典的な美意識の塊
今は亡き
皆さんの優しさを忘れずにいたい
味がつなぐ思い出
短命二郎
浮世絵が好きです
これは、江戸で生まれた国芳さんが47~8歳頃の仕事
1845年ごろ
1798年に日本橋で生まれ
小さな頃から江尾習っていたそうです
浮世絵は描いた作家さんも凄い(当時は筆しかない)ですが
彫り師さんが髪の毛一本
青の濃淡や様々な打ち合わせを重ね
摺師さんが摺った1枚
大英博物館にも同じ版木の兄弟があります
1枚の版木ではなく
1作品には木の板は
色の数だけあり
それを頭で考え色をつけたくない部分は彫り
残す部分は紙へ移るから
物凄い空間的なイマジネーションを持った芸術家の集団でした
摺師は寸分の狂いなく何十枚もの板とと紙を合わせ
場合によりは、筋彫りや片押しまであり
今では絶滅した名人が江戸にはいたわけです
判は版元(これは山本屋平吉)
と幕府の改印で
干支などが半分づつデザインされていたりします
(版木は桜が硬いため使用されますが、後摺りになると
繊細な髪の毛の部分のような細い部分や色が重なったり
版木が磨耗していき初刷りに比べると
その差が分かります
版木は最後は凹凸がなくなり
風呂の薪に使われたりし
江戸っ子はすっぱり!してます
初刷りは木の目がそのまま写されている
細かい部分や、朝焼けや、ぼかし部分が微妙にのこり
色も綺麗です
綺麗だからと言っても
版木が疲れたのをごまかすために
厚塗りしてしまう場合もあり、目利きが必要です
昔から、ヨーロッパやハワイにもあるように
欧米人に大量に買われ流出してしましました
わずか150年前にいた名人たちも
時代がかわり
赤、黄、緑、黒の4色で印刷される
今の機械の手法で全滅
手法は版木と同じ4枚のステンレスの板で印刷されますから
同じです
赤、黄、緑の細かなインクの大きさと各色の量で
青や茶色など色を作り
ごまかしています
アミ点と呼ばれ
特殊なルーペで見るとその吹き付けたドットが見えます
高精密な印刷ほど1個の点が小さく
たくさんの吹き付けの線があります
それがいわゆる何線という意味です
浮世絵も現在でも復刻されている会社もあるようですが
あの時間に作られたものとは
目には見えない何かが別なものです
が
最近は最近彫った版木で騙すWという会社もあるようです
見分けがつきにくく困ります
その凄さと芸術性の極みをいち早く
胸で理解した欧米人は写真展をしても
よく分かります
育つ環境や
学校で芸術に溶け合う時間があり
また感覚的に自由で個々が
日本のメディアやテレビに洗脳されにくいというか
これが普通なのかもしれませんが
人は人
自分は自分という正直なんだと感じます
1枚の版木
いや1種類の図案で摺られるのは
約200枚程度と言われています
水滸伝の漁師の息子
短命二郎が潜水し敵を倒した絵です
この人と関わると
皆短命になると言われ
呪術的な魔力があるんでしょうか?
3人兄弟の真ん中でひょうの刺青があるそうですが
この図のはないので入れる前なのか?
あえて入れなかったのか?
国芳さんと話したいです
写真も現像とインクジェット(吹き付け塗装)とは別なものですが
どんなに細かくても、現像したプリントが写真であり
インクジェット印刷は印刷物だと思います
費用が全然違うのも
材料費や打ち合わせや手間賃が違います
いいものは高いというとなんですが
安いものは安かろう悪かろうなのは
日本車や電気製品、家具などみれば一目瞭然
消費させて儲ける仕組みが
今の地球の問題です
いいもの、修理できる
それだけ愛着が湧く物
を持つことが結局はお金的にも
エコですね。
電子レンジや殺虫剤なんか捨てて
海へ!
浮世絵は神保町の五拾画廊さんがお勧めです
土屋社長さんが優しく丁寧にご説明くださいます。
僕も良いご縁と作品を
お分けしていただきました
海の学校の葉山の漁師の後輩が
8/31まで海の家tst葉山をやっています
大人の雰囲気で
普通の海の家と違い、高床式の建物は作るのに3週間
解体に2週間
これを毎年自分で20年!
凄いことです。
ジェットスキーの駐車場をしながら
サップやカヌーなど自由に遊べます
貝殻でできた島へ行ったり
のんびりどうぞ
飲み物食べ物の持ち込みも
バーベキュー焼き台も貸してもらえます
その場合は大人3500円
炭と焼きたいものをお持ちください。
駐車場は葉山大浜駐車場
土日は混んでますが
平日はゆったり
僕は大体午後1時から行きます
終了は1730
ぜひ!潮風に
注意最近あんどんクラゲがいます
クラゲよけのジェル(効きは半々)売ってます
後輩も僕も全く気にしないので
体に悪いから
塗りません!
クラゲがそもそも住むいえに
土足で遊びに行くのが人間
クラゲも足が切れて可哀想ですね。
正直
鎌倉ほでではないですが
海は濁ってます
秋になればまた海も澄んできますので楽しみです
真
息を止めるしかない
なるべく酸素を持たせる為
慌てない
怖がらない
考えない
無駄な動きが何より
筋肉や様々酸素を使う
口で吸って
二つの肺に貯めるとはいえ
少々
波の裏へ
全ての力を抜いて
溶け込む
泳ぎはじめて
初めてこのフィジー の孤島に来た時
初日はあまりのデカさと
漂う雰囲気に押さえ込まれたように
離れて観察していた
あんな波に巻かれたら
息ができず
マイナスのことを考え
思いつくと
そりゃキリがない
2日目
フィジー の空港で5時間待ち
一緒のセスナと小舟で2時間
来たハワイアン 達とまた海へ
誰もいないより
いた方が安心感がある
浮きながら海底の地形や波を観察し見ていると
大波の崩れる
際があることがわかった
遥沖から島を包むように空は見えなくなる波は
恐ろしい以外の言葉は出ない
思いきって
波の中へ滑り込むように潜って回転し押した
物凄い圧力と
轟音
日常の都会暮らしの神経や感覚は
捨てないと
ここにはいられないな
もっとも
これが
本当の海と人の距離というか
教わるというか
当然自分の修行なんだが
何か、宇宙の真理や真髄みたいなものがある気がした
黙って独り
機材を背負いこの島に通い始めたのは2002年の6月
海は古代のままの力と
目には見えない偉大な力というか
自然の存在が住み
見られているなと
感じた
行くたびに
波に飲み込まれ
怖さの限界を常に更新し続けた
気絶する寸前まで
苦しく酸素が0になり
それでもまた待ったなしで巻かれる波は
スゲ〜な!と感動し
ごぼごぼ海水を飲みながら
大笑い
南極に近いせいか?
ニュージーランドから来るスウェルは
意外と暴風で寒かったり
そこで風邪をひいたり
大きなバラクーダやダツ
サメが来ないかいつも周囲を気にする
波の立つ場所の水深は2~3m
泳いで行くまでが
20mほど深い海を泳がねばいけない
ここが気持ち悪い
そんなあれやこれや
野生や自然と呼ぶ前からの国土(日本では国土と呼んでいたらしい)
人間界と自然界の線はなかった
明治政府が勝手に西洋科を推し進め(キリストも)
祈りや自然や国土の神々、北斗七星やカガセオノ神と
つながり、霊性が高まり
個人の力や判断力が意識が高まり
いうことを聞かず
コントロールできないから
そうした、呪術や祈りや修験道を禁止した事実
世界のネイティブな民族の人々が
互いに同じ方向に心をたむけた事実は
宇宙の真理であろう
酸素ボンベは使わない
ゴーグルと足ひれだけで行く
フィルムで撮る
36枚終わったら泳いでまた
戻り詰め替える
一人旅で行く
たとえ死んでも悔いがないようにする
苦しくても頑張る!
我慢する!
必ず戻る!
このシンプルなルールで
早20年
人生は面白いものです
行動あるのみ
歩いてもよし
泳いでもよし
なるだけシンプルな道具と心持ちで
ジャンクな電気製品やまといは捨てて
宇宙というのは地球のことです
そんな遠い話ではないのです
実際に宇宙の光ー太陽を毎日見て浴びてます
地球も宇宙の海に漂う島に過ぎません
幾重にもある海の周波数
オーストラリア バーレーヘッズ
バリ チャンプアン渓谷
フィジー ナギギア島
パラオ
僕にとって消えることのない聖地
インターネットがない
静な隠れ家がたくさんあった
情報は自分の足と感覚
共通するのは海や渓谷と森の原風景
特にフィジーは海が怖かった、山も妖精がいると言われ
人間よりまだ強い地球があらゆる太古からの相互作用で
保たれた楽園というのは人間の都合だから
桃源郷に近い
なんだか言葉ではない
懐かしい直感的な美と
ここはいい!という
感覚
バリの90年代初めはまだまだ
田舎で、夜になると様々な寺院で伝統的舞踊が見れた
携帯のカメラやストロボを焚く人もいない厳粛な世界
地図を広げ、人に聞きながら山道を走った
渓谷の斜面の宿は本当に素晴らしかった
夜は屋台でヨーロッパ人の旅人に混じり
お互いの旅の話をした
いつの日からか
完全な独り旅が多くなり
海の波の旅は沖の波へも独り
戻らなくても誰もわからない絶海の海で
宇宙の波動の終着の波の中にいた
何が撮れてるやら
よくわからなかったが
波の中で動きを一つでも間違えたら
大怪我や死ぬことも同時に生きることが
人生なのだと知った
危険な美しさと怖さ
人間が決して長くはいられない
のが海
感じること
学ぶことがいつも絶え間なく来る
行くから来るわけで
野生の間を思い出し
衝動的な行動をとにかく刻々と変化させ続けること
旅が教えてくれるギフトが無限に待っている
パラオの話はまた
ここがなければ今の僕はない
知足
1枚目はクック諸島
情報がなくいつかは行きたいなポリネシアで撮りたいと思い
グーグルアースの衛星写真で白波と海の深さや泳げそうな距離を
探り行った。
泳げると思った海は、切り立つ岩場で一度だけ泳いだが
水も濁り、帰れないのではな以下と思う海だった
バイクで島を1周し波はないか〜と思い
海辺のホテルでハンバーガーとコーヒーを飲み
宿家帰る途中
さっき通り過ぎた公園の先の森に
前にはなかった同じレンタルバイクが数台海に向けて停まっていた
もしかして海外のサーファー?と思い
ハンドルを切り海岸へ立つと
素晴らしく遠い海に数点のサーファー!
おっ!
あったあった波が!
急いで宿へ戻り
戻ったのは1時間後
ちょうど泳ぎ出す為に海岸でフィンを履いている
サーファーではなくボディーボーダーが3人上がってきた
こんにちは
どう?波は
流れはある?
ニュージーランド人と地元の若者は
そう悪くはないね
えっ?泳いで行くの?
カメラ?
満ち潮がひいてきているから
気をつけてね
と泳ぐこと15分~〜20分いきなり
深くなる崖ぎわで、ダウンカレントにのまれ
体が縦になる
片手にはカメラを握り
右手で思いっきり水をかき
足をバタつかせ逃げた
怖い!
遥か沖で独り、時間と共に浅くなる海で
日常で使い忘れた、触覚、感覚、鋭い緊張、怖さに包まれ
1波1波果たし合いのような世界
海から海岸へ戻ると決めると
正直早く帰りたいと思い、バイクで宿まで島を半周して帰る道のり
は人生の不思議と旅に来た喜びと
直感のまま生きることの自由を改めて気づく
シャワーを浴びて
充実した疲れに浸った
2枚目は
2015年頃から撮り始めた
日本の聖地
たまたま海に移住したサーファーの友人に
誘われた夕暮れ、サーフィンはせず撮ってみたのがきっかけ
その友人はその海で数年後亡くなってしまう
それ以来
波こそ小さいが冬をメインに海へ行く
寒いを超え、痛い
頭が朦朧として呂律が変になる
澄んだうみで東からきたご来光は美しい
変わらないのは海でゴミを開いながら
祝詞を読んだり、海へ祈ること
そしてまたこの海岸へ
戻れまたらいいな
と呟く
ぶやきや後悔は一切ない
やると決めたら
真っ直ぐにやるだけ
結果どうなろうと
臨機応変、自由自在
海の美しい透明感に包まれ
本当に妙な幸せになる
幸せってなんだか
きな臭いけど
無常の満足感と
生き死にの中の研ぎ澄んだ感覚
を自分で見つけていく喜び
刃風をギリギリでかわして
水中で反転!
日本は刃風をそのまま
2呼吸待って崩れた瞬間の少し前に押す
写真は見ていてはいけない
その瞬間が来る前に押す
ファインダーは一切見ない
それでもちゃんと撮れるときは撮れる
撮れない時は撮れない
人間様の都合の愚かさの訳を知れ
そして無限に存分にあらゆる日の根源はこの
宇宙と海に漂うことにあると知る知る
人生には様々なガイドのような人や友がいる
あの日、あの海にいなければ
友達とも見知らぬ旅のサーファーとも波ともあえない
思ったら行動
頭は捨てて
澄んだことや文句は言わない
黙って一人で海に溶け合う
やがてそれは禅の世界に似ていると気づいていく