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鎌倉
浮世絵から伝わる宇宙観
1851年
歌川国芳 文覚上人 那智滝修行図
不動明王の周りには眷族さんがいます
その中の セイタカ童子、コンガラ童子が
お不動さんの手足となり
以心伝心
冬の滝で修行し
低体温症と心臓麻痺?で流された
文覚(京都御所の北面の武士)を救い上げている逸話
奉書の紙漉技術の高い日本
越前鷲とも言われ、コウゾの木をフィジーのかばのように
叩いて、細かな繊維にして作られる
途方もない根性と労力
下絵を打ち合わせを綿密にし
途中で絵師がやっぱりこうしたいなど
堀氏は硬い桜の木の板に
裏返しに髪の毛1本、ルーペもない時代に緻密に彫る
色により板が違い
色の枚数だけ板があり
今の印刷の基本(黄色、緑、赤、黒で色を作る網点と言って小さな絵具の粒を吹き付け
ルーペで見ると黄色、赤、緑の単色の粒なのだが、遠くから見ると色々ないろになる
これが線 精密な綺麗な印刷ほどこの線がたくさんあり、インクの粒と感覚が狭く細い
またその粒に盛るインクによっても奥行きが変わる。
これは写真集を京都の美術印刷のサンエムさんで制作していただいた時に
松井会長から教えていただいた
僕の写真集は270線デニスまで塗るから1枚の写真を5枚の色の違うステンレスの板で再現し
西ドイツの機械 ハイデルベルグで刷った。
その後ある不思議なご縁で伊勢神宮の内宮に特別奉納していただいた。
浮世絵も実は
型押しのエンボスを作る板があったり
幾重にも重ねるイメージを空想し
描いて彫る訳で
それはすごいことです
最後の摺師も
馬連でインクをのせ
力一杯繊細に竹の皮の面で回転させ押す
ずれたり
髪の毛や水の表現にインクがのりすぎたらやり直し
初刷りが木の目が写り
色も写しいが
なんせ170年前にガラスやアクリルの額がないのだから
庶民は障子や壁に貼ったり
桐ダンスにしまって眺めたり
きっと浮世絵には
当時の人の指紋や言葉を超えた
安易に遠くへ行けな買った時代の旅への情緒を聞いてきた時間があります
今のなんでもパソコンやスマホで調べて
写真までみれる時代とは、違い心が豊かになったのでしょうね
水の表現、岩や苔の配置
不動明王や文覚の表情など
普通の狸か馬の毛の筆でこんなにも細かく描けたのだから
恐るべし技術
132mの那智滝(現地に行ってはいないのかな)をイメージし
当時の紙の最大の長さが42センチくらいだから
それを3枚縦につないで絵を描いた国芳さんも凄い
版元は企画し販売する
まとめ役
写真なんか
電気製品で押したら写りすぐ見れるから
誰が写しても同じになる
そこで写真に何か内包するというか
動きや生きているような何かを自演ではなく自然に
残すのが技であり、難しところ
間違えなく
構図や頭や目で見て四角い枠を
作り始めたら、きな臭い意図にまみれた
心地悪い写真になります
ここにはその人の人生観や性格や
生き様が明確に関与してきます
そこが写真の不思議です
旅をして、馬鹿みたいに押して
失敗しながら、人生の憂や喜びや寂しさや怖さや全て
がこの1枚に出るのも写真の魅力です
今日の1枚と明日に1枚も違います
たくさん文覚さんや国芳さんのように
色々思うとこもあった人生
独り旅をしてください
江戸で生まれた浮世絵
大東亜戦争の1945年3/8ごろからのb 29のよる
焼夷弾の無差別爆撃で、多くの職人や浮世絵が肉筆画を始め
た芸術品が廃塵とかした事実
多くの浮世絵は海外の流出したものが
故郷へ戻ったものとも聞いています
しかし
どうやって保存していたのか
浮世絵の中の水だけが知っている
水は情報や感情もあるとも
絵具もすみも水がなければ
伸びていきません
水素結合力と波動がなければ
絵具は伸びず、溶け合ません
実は水分子の隙間に絵具の粒子が入り
色が変わったように見える絵具も
顕微鏡で見たら、水と顔料の粒は別々になっています
紙が顔料を吸い込むのではなく
紙の隙間に顔料を含んだ水が、水素結合をして
動き浸透しているのです
波と水
滝の落ちる原理だけは
変わりません
水素結合がなければ
滝は落ちてこず
婆さんも桃を川で拾えない
古来からの息吹や原理を大切にしていくこと
が環境?を守ります
浮世絵を大事に思い
当時の彼らの思いを偲ぶと
自ずと何が大事かが日々わかってくるのかもしれません。
ここから先は
自由自在
大胆に繊細に
修行と失敗を糧に
積み重ねていく情熱を
儚い浮き世に燃やすこと
また国芳さんや彼らの
水の表現力を妄想し
海へ!
出雲日御碕神社前
経島(Fumi shima)と言う島の内部は空洞で
参道や石を故意に意図的に敷き詰めた祈り場がある
出雲大社、出雲教講のできる前
古代の出雲族の夕陽神事の大切な場所
天照は実はニギハヤヒ 男の神 とも言われている(ニギハヤヒは神武とも素戔嗚とも、様々な神が習合、溶け合う)
霊蛇(龍)を祀る
出雲大社=大きなしめ縄のある社は千家家の神社
千家さんのご先祖の尊福さんの広告的活動が効果で広まった
その右隣の出雲教講=北島家=地元の方の信仰が厚い
奥には少彦、弁財天=イチキシマヒメさんの社もある
古来は重要な祭事は全て北島家が行ってきたが
やがて交互おこうなうようになるが
今や、パンフレットにも北島家はない場合もあり
千家さんの出雲大社が目立つように宣伝される
どっちが出雲の神社?
もちろん両方です
霊界のヒーラーで御霊の供養の大国主=大黒
息子 事代主=エビス
弟タケミナカタ=龍神は
天照の国譲り=分捕りにより納得いかない弟タケミナカタは
戦い、やがて武人の神タケミカヅチに追いやられ
諏訪へ
諏訪は安曇族の聖地=福岡の海神神社の祈りびと安曇族が移住
本当かどうか真意は神みぞしるので
細かいところは置いておき
いずれにしても
神様も戦った神々の供養や自然や宇宙の感謝と尊ぶ思いを
大切にしてきたのでしょう
古事記も日本書紀も人間が書いたので
正直どこまで本当か?怪しいです
怪しいと思うことも人間界の考えですのでが
人間より遥か彼方にあった海や山と石や水
そうしたものには魂はあります
宗教が入り込めない時間を大切に感じること
胸の衝動を大切に
海へ行く
海とは何か?
未だわからない
が
明らかに地球にある
もう一つの地球
呼吸ができず
空間と水間
動きも違う
陸地の空間の摩擦や重力の影響も軽くなる
水を手足や指先で感じて
掴んで動くには、陸よりも
繊細で早く
力ではなく感覚と効率
実はゆっくり味わうが
動かす動的動作は鋭い
これは周波数の違いというか
頭や感覚や心と指先や頭や腰の使い方が違う
あえて言うなら古武道に近い
鮎が滝や流れを登る
なんらかの摩擦がある
確かに波は来たら垂直に向かわねば
抵抗で潰される
波分子の波動のある一定の皮のような激流と
方向性に足して
必ず垂直に頭から抜けないと波の裏側へいけない
動いてないなみの中に入ればそこは無風状態なのだが
波の塊は動いてくるから、その狭いポケットに入るには
体の使い方と人間界の動きではない
先に動く動的アクション入るが
これがなかなか最初はできない
ない場所へ飛び込むと
動いてきたある水波動の塊を超えられたり
受け流せる
とはいえ水は分子レベルでエネルギー波となって動くから
どこで切る?かが難しい
終わりも始まりもない
山登りは違う
魚の滝のぼりも
無駄な力は使わずに
ある真っ向からくる流れの隙間に
硬さを感じるスピード角度で圧を産み出し
逆流を登っていく
うなぎの動きも大事で
海ではよく使うが
くねるバックだけはできない
海は魚が先生
基本はハタとあゆの動きを真似る?
車のブレーキは
一度密閉した小箱と押し出すピストンの板マスターシリンダーの密閉された液体を押し
前後タイヤに通じる、別な密閉した箱とピストンの板に送る
板の直径により
その力は変わるらしい
液体は圧力をかけられない
圧力をかけても水は水
氷は逆に水に戻る
水中で泳いで瞬時に動くには
ある特殊な動きと使い方がいる
これは言葉では言い尽くせない
仙人や忍が使った訳です
その研究こそ
海や川にあり
教科書はゴミ
全ての教えはこの宇宙と自然界にある
禊ときよめ
目に頼らない
カメラに頼らず
大事のはするが所詮は機械
押すのは指先の先にある
頭ではなく胸
胸から入れと
神道や禊や祈りの人
川面凡児さんも滝行や海浜での行を重ね
正月に片瀬で海の行の指導をしたのち
肺炎で亡くなった
享年68歳
冷たい海は体にきます
血管を細め
心臓は血液を送るために
自然に圧力をあげ
ホースを絞るように血管に圧を変かけ
寒さは万病のもとというが
僕も寒がりで
夜明けの冷水の冬の海は確かに心臓がトクトクする
危ないですね
これはそんな冷水の雨の海
あためで考えるように
学校で養殖されてきますが
これが厄介で
勝手に妄想したり、ネガティブを作り
また行動すれば胸にスッと入る全てを
遠回りさせる
つまり
考えるより動け
頭はイメージを作ればいい
どう動いて、どう切り抜け
どんな状態かを判断する
常に体や心に問いかける自分
己の力量と置かれた自然界の絶対的ルールと強さに
どう流れ、ひらひらと動くか
そこに、目には見えない神々や自然へ
心を尽くし、感謝する
海や滝はものではなく
有機的な何かだから
尊ぶことに尽きる
修行の場ではあり
その絶対的な宇宙の動きが全ての教えと黄金律的な波動があるから
確かにただしてはくれます
が
そこに過剰に頼らず
人間のご都合で
禊で邪気を捨てたら
その場を清めることを忘れずに
擬臣を捨てて汚染しっぱなしな昨今
神社も勝手な神頼みや
一方通行の都合良いお長いばかりする日本人
湯島天神に合格祈願したが
子供が受からなかったから
お金返してくださいと
いうお母さんがきたと
お聞きした
各神社も、維持管理や神様のお供えお賽銭やお布施のためもあり
恋愛やら、商売繁盛やら「効能」を書いているから
誤解を招く
そもそもは、絶対でも効能ではなく
ご利益と書いているのも
勘違いしやすい
神社は祈祷して願掛けをする場ではないのだが
江戸時代ごろから民衆にも広まる
広告的要素
海も山も神社も
みんなの美しい場所だから
お願いします
ミラノで
常盤稲荷
NHK放映は別な日に
人は器
京都書道の大先生
杭迫さん
仙人のような独自の笑顔
独特な流れる気の生きた水墨の流れ
聞けば山中鹿之介さんのご子孫
尼子に尽くした彼は、出雲安木の上月城が落城し捕虜となり
岡山の阿井の渡しで
捕虜となり連行中毛利側の侍に殺された
とも、生き延びたとも、自害したとも謎
いずれにしろ心に寄り添い
尼子義久一族の再興の願った
武勇の男 山中鹿之介さん
鹿之助さんは
出雲の安木にある、山城にもいらして
供養塚もある
岡山にもお墓があり、出雲とも
御供養へ行かせていただいたご縁
月に向かい
願わくば我に七難八苦を与えたまえ
とよんだ句は有名で
その昔は国民教育として教科書にも載っていたそうだ
月岡芳年さんも浮世絵にしている
人は器
普段は僕の3倍話す
比叡山で修行しお父さんは
戦後どうしようもなく
目黒不動で野宿寸前の時に
当時のお坊さんに救われ、お寺に住み込むことになる
伊賀赤目不動は
テロリスト信長に焼かれ
その侵略後、家康により伊賀の侍と忍は和睦
和睦とは言葉だけ
神社仏閣を燃やし
女子供の首をはねた信長は決して許されまじ
一方的なロシアのような愚行に
命を惜しまず戦った彼ら
伊賀を安定させるために
藤堂高虎がこのお寺を祈願寺とし
(家康の背を向けた御位牌もある)
赤目滝詣りの衆という、法華経を全国66の国に納経する
集団がいたが、おそらくは忍で諜報活動もしていたのであろう
通行手形がいる時代
このお寺からは特別に御押印が発行され
木札を持っていたのであろう
そんな住職の護摩焚きは
その場を変えて
何かが降りている
雨
作為を消すのではなく
作為を写真に持ち込まない
撮りたい、撮ろうという思いで
撮影する現場に行くのだが
商品やモデルの絵コンテや
着地点をメイクやディレクターで目指す
いわゆる広告、商業写真は別な写真
僕の場合は
行ってみて、さらに泳いで見て
撮れるか撮れないか
後でわかる
この辺も2022年ごろまでは
フィルムもあり36枚写して
また泳い出戻り
フィルムを詰めて
5時間くらい漂って、波を潜っていた
マウイ島のホノルアベイで2002~3年の冬に
宿がホーキパだったから片道1時間車を走らせ
帰るのは夜になっていた
話を戻すと
つまり
「写っちゃった」
もちろん被写体は透明な水と太陽
超感覚的なアンテナを呼び覚まし
場所探しから、水中の波へ向かう
すべての世俗の汚れや時計を外し
昔からの正しい本物の天然の海と波を
指先から足さきまで、圧力のある天然のMRIのように通過すると
あ〜生きてるな〜俺
これだ!これこれこれ!
と大笑いしていた
真剣に宇宙と海と向あわざるえない
自分の嘘やなめたり、おごれば
即身成仏
自分の嘘とは体力や泳げないのに
その力を客観視せずに、行くこと
それでも予想できない事故は起きるのだけれど
それ前の準備や、力量を鍛錬し
研究して死ぬなら
それは潔いスッキリした討死
切腹ではない
生き死にがかかること
戦争ではなく
平和だからわざと命をかけれる贅沢
考えすぎないこと
黙ってやること
独で向き合うこと
答えははなから無い
電気製品や時計は捨てて
自分の時間で右左、上下泳ぐ
怖さを泰賢すること
心の目を逃さないこと
キャッチする野生的感覚を磨く
すると体が自然に動いている
胸で動くこと
頭は捨てる
先生は自分かもしれない
大自然の無限な教え
宗教は日々の暮らしやこの宇宙にある
人間界の宗教のホコロビにかどあかされないこと
アイヌやネイティブアメリカン、忍たちの心によりそい
供養する
明け方の宇宙の光
彼らの生きた時間と変わらない
汚れた人間界とは別な次元がまだここにはある
思うことは同じはずです
観光地や作為と人間臭いテーマパークでは無い
独り旅へ行けば行くほど
自然に磨かれていく
神社へ自分のお願いを押し付けないこと
神仏は尊ぶが
頼らないこと
うみで独り
誰も助けちゃくれません
助かるような作為をしない
手紙
ビルマからの便り
軍の検閲係に読まれ(この頃は渡辺と印がある)
場所や作戦の事、などは上からマジックで消されたり
削られたりするから
初めから決めておき
斜めに読むとい場所がわかるようにしたとか
ごく一般的な今年書けない戦時郵便
書いてから日本に届くのは2〜3ヶ月後
まれに航空便でビルマへ12日で着いたこともあったようだが
手紙が家族のもとへ祖国についた頃には
戦死している場合も多かった
祖父は琵琶湖の近く
甲賀や水口あたりに先祖がいた
江戸時代は水口久兵衛 が山本に養子に入ったりして
爺さんは築地の波除神社で生まれ
ひいじさんたちは近江八幡から
築地へ来たという
やがて関東大震災で焼け
まだ鮎や亀もいた清流だった目黒川へ
27歳
きっちり
と書けるだけ一生懸命に書いた手紙
思うのは家族のこと故郷のこと
戦争の戦いのことは聞いたことがなく
つtらい体罰や敵や捕虜のことも
今思えば話さないようにしていたのかもしれない
盧溝橋事件を起こした
牟田口廉也の愚行
本人はおめおめ帰りだんまり
その作戦部長の河辺、辻参謀は当時の先輩
なんとか牟田口れんやの(個人的な盧溝橋を巻き起こし日中戦争のひだねの責任)を
錦で飾ってやりたいという
個人的、大本営の強制的で、それに毅然と反対し文句を言えない空気と参謀達の
決断できない決断が、多くの兵隊を犠牲にしたのが大東亜戦争
誰もが反対する、補給も制空権もなく、数1000メートル級の山脈や
未開のジャングルに、シッタン河、チドウィン河などの大河
食料は羊や牛に兵器を運ばせ
いざとなれば殺して食べればいい
チンギスハーンの作戦と言い
牛はすぐに歩かなくなり、羊はさらに無理だった
インドのインパールを落とせばいいという無謀な作戦
物量と合理性で勝る連合軍は
パラシュートやグライダーで物資を運び
日本軍はマラリアや飢餓で消えていった
日本に味方していたビルマ人
チャンドラボースもやがて、日本軍の素行や未来に失望し
反旗を翻し昭和19年以降敗走の渦と無理な突撃で死んでいった
祖父は器用で電気の知識もあり
満州からビルマへ4年
鉄道兵として習志野にあった鉄道5連隊で
訓練したと聞いた
主戦前にはタイにいたので
捕虜にはならず
21年に浦賀に呉で空襲され甲板に大穴のあいた空母葛城で帰ってきた
こうした手紙が70通ある
ビルマから日本へ心を運んだ1枚の手紙
1枚の写真と同じように
残り伝え続ける時間があることを改めて知る
写真とは
夕陽の神事を古来は大切にしていたという
一日の終わり、闇が来るが、やがて朝が来るスタート
命の再生と闇の狭間
命の呼吸と
闇にしか持てない不思議な怖さと美しさ
音が太古の昔に戻る唯一の時
虫の音と波音草の揺れる音
夕暮れの夕闇の迫る、磯の波
暗くなると浅かろうと岩だらけで
帰ってこれない、足場が見えず怪我もする
出雲大社の方が いなさの浜で泳いだら
何か写るかもしれませんのでどうぞ
でも稲佐の浜は濁っている
島根中みぎから左海岸線を
走り車をとめ海を感じ探したが
ピントこなかった
もう1度もどり諦めかけ
散歩していると
何かを感じた
言葉では難しいが
ここがいい
ここは祈りの場だと
なんだか感じた
ゴミを拾い
御神酒をまいて
祝詞を捧げた
写真はドキュメンタリーでなくてはいけない
というより
写真機を押せば
自然にドキュメンタリーになるのだが
昨今は簡単に、作者の好みに後から加工できるので
もういじりすぎて
切って貼って、拡大して
これは写真ではなくグラフィックだ
つまり
その時に撮れていない
訳です
デジタルになり
全てが早ければ
安ければいい
写真はその場にいて
俗にいう被写体と対峙する
ドローンや定点カメラは
写真だが写真でない
自分がそこに飛んで、泳いで
そのすべてと溶け合い
その前後の記憶が押した瞬間に成り立つものだと信じる
車
雨の裏
天気図も天候も調べる気はなく
フィジーの空港で5時間セスナを待ち
小さな海辺の山の隙間の広場のような場所のふわりと降りたセスナ
パイロット2人 僕1人か、村人1人
どこへ行くんだろう
まるで近所に行くように
短パンにサンダル
荷物もビニール袋だけ
買い物?
30分ほど海岸にいると
小さなボートががきた
エンジンを止め、座礁しないように
エンジンを斜めに上げて
長い竹の棒でやってきた
馴染みのドライバーが満面の笑顔でミキー!
ガッチリ抱き合い
ガソリンを頼まれたから
待ってくれとたくさんのガソリンと食料と水を積んだ船で
1時間
風が冷たい
軍艦どりやアジサシが飛ぶ
飛魚がエンジンオ音に驚きジャンオプする
こんな海にはサメもいるんだろうな〜
藍色の海を緑の松島のような島伝いに走ると
遠くに頂上が雲にかぶった独特な島が見えてきた
スコールと夕陽の島は美しかった
電気も商店もない島がいくつあるやら
よくもこんな遠く(日本から見たらだが)
彼らにとっては村から村は船が車がわり
緩やかな暮らし
タロイモやカバという胡椒かの木を育て
その根を乾燥させ、水で何度もしごき、絞ると
幻覚作用がある水ができる
それを村々で夜になると
皆で飲む
味は泥水
お通りのように
車座で手を叩いて
10杯のむと吐いた
確かにボ〜ッとする
宇宙を見たり幻覚は見ないが
皆で楽しい空気感でケラケラ笑っている
古来から続く風習と
土地のや自然の精霊や
現代の科学の無理ではない
海のかみや生き物たちの正しい宇宙の風に
溶け合う気がした
都会であくせく
飯を買うため
車に乗るために働く自分が
馬鹿馬鹿しいといつも笑う
実際に山にはレッカという幼生がいるとみんな言う
子供の大きさでむしろを着ている
らしい
足が早く
捕まえると、逃す代わりに
願いを叶えてくれるらしい
何人もの人が真面目にその体験を話してくれた
そんな海はやはり
怖い
波が大きいから怖いとか
ではない
もちろんあの何トンもの
崩れる白い波の6mはある波が
海面に当たる爆発の中に
いられるのか?不安になるが
明らかに
何かにみられ
海は生きていると感じ
人間も野性的な感覚を取り戻し
これが宇宙や海との正しい関わりだと
胸がなった
頭ではない
学校の勉強でも
コンクリートプールで早く泳ぐ水泳ではない
風や波や潮に合わせて
呼吸し、瞬時に判断し動かねば死ぬ
これが鳥や魚が古来から変わらず
身に着け、生きるための術であり
自然な時間
魚は一日をどう感じて
何を思い、美しくも恐ろしい
水中の珊瑚の隙間にいるやら
胸に響く轟音の波のした
うるさくないのかね?
ちっとも怖い感じは持ってないようで
僕を見るとある距離を保ち、泳いで海底や珊瑚をつついている
フィルムを詰めて片道30分
歩きではなく
片手で泳いできた
そして
サメがいないか常に回転し
波が来れば逃げ回り水中に潜り
波の下へ回り込み
また過ぎ去る波を全身に感じながら
水面で呼吸する
呼吸の大事さないと死ぬ
と今更ながら普段のあたり前を大事にする
海で1番は呼吸だ
どんなにカッコつけても
息ができないと死ぬ
波に巻かれたら
全く吸えません「
待ったない波の連続で
何度も意識が暗くなり
怖さで胸が折れそうになった
気持ち一つ
が自分を救う
浮き輪もない
誰もいない
そこがいい
やる気がないければ
死ぬだけ
そんな雨を波の裏側から見た1枚
予定
京都の予定は
5/17 22:00~
多分東京も同じかと思います
僕よりさらにアナログな、一休さんのような住職の話なので
日程東京が違ったらすみません
平安時代から残る
五百間もの一切経
古田織部が60歳の時に
天海とおそらく藤堂高虎(織部の弟子で、城作りの名手で伊賀延寿院のお不動様に助けられ、他由縁で位牌がある)
信長の伊賀に侵略の後
信長と伊忍は徳川の命令できた
ならの大倉五郎という神楽師をかいし和睦
その翌年信長は本能寺で死んだことに
伊賀上野城はそもそも
伊賀にはなく
あそこは伊賀の人々や侍、忍の宗教聖地
高野山のような平楽寺という平家系の伽藍があるが
信長軍が鉄砲で撃ち火を放ち
僧兵や神主や女子供1000人以上を殺し
後で
信長系の筒井が作った伊賀には必要無い物
それを作り直した高虎
今や伊賀市は忍者=忍者ショー!=上野城と
いう忍者には迷惑な関係ない観光的アトラクションにし
地侍や忍や伊賀の民の本心と信心を踏みにじっています
伊賀上野城は伊賀忍者の時代にはない!
あれは、電磁かけのネズミのぬいぐるみの浦安ディズニーランド同じ
話はそれましたが
事実です
で高虎さんが織部が
家康は火を放ち家康暗殺の首謀者と疑惑をかぶせ
切腹させられたのち
堀川高校の地の屋敷を整理し
徳川や豊臣系が茶碗や茶器を分捕り
興聖寺の大旦那としてお寺を守り
織部さんたちを供養された
文句一つ言わず72歳の織部重成さんは
長男重嗣37歳と伏見の屋敷で切腹
次男重尚 三男重広も江戸で差し違え切腹
4男重行は興聖寺のお墓の前で屠腹
5男重久は大阪城の戦いで討死
奥さん仙さんは彼らを弔い
仏門へ
織部さんは
お茶の作法があまりできず
ねっころがってお茶を飲んだとか
細かいことには囚われず
大胆でありまっすぐな感情豊かな方らしい
ある日、お茶のルールを知らず桜をお茶会に持ってきたお客さんの
桜を丁寧にいけていたとか(桜は派手な為使わないそうです)
織部は自分では茶碗やろくろを回してないようですが
本当のことはわかりません
しかし
美濃や唐津の色彩豊かな緑の釉薬で
花鳥や猿や幾何学模様を描き
伊賀や信楽では主に花いけを作ったそうです
芸術的直感的な美意識とすごい
感覚を持たれていたんでしょう
織部さん切腹
1651年6/11
次男、三男6/14
興聖寺にお墓あり
元々大徳寺で修行された禅僧でもあった織部さんは
奥さんが亡骸を大徳寺の塔頭に相談にこられ
筋としては大徳寺でお預かりしましょうと
明智光秀さんのお墓と隣どうしになったそうです
そんなわけで
今はなかったですが当時は2箇所にお墓があったことに
と大徳寺のお坊さんに聞きました
余談ですが
江戸時代の画家
曾我蕭白さんのお墓も織部さんの近くに
やはり画家で儒家、神主の富岡鉄斎さんが文字を書いた石碑もあります
有名な曽我蕭白さんのボストン美術館の龍図は
ここにあったそうです
本堂には龍神様がいらして
江戸時代のまま
あとは火災で焼け後から作った物だそうです
そんな芸術家の眠る安寧の地
水を修めるための水火天神と共にあったこのお寺は
ある聖域だったのでしょう
ここからまっすぐ数百メートルで
陰陽師安倍晴明の屋敷もあります
天海さんが謎の僧で忍びたちをも
使っていたそうですし
高虎さんも伊賀で受け継ぎ
忍者や松尾芭蕉のお父さんも地侍で抱えていたそうです
襖は出るか?わかりませんが
放送予定だそうです。
住職より
初めて伊賀忍のお参りは2013 6/11
その時、高虎さんの位牌を持ち、話しかけ
お寺中をお掃除した
(高虎さんは家康の御伽衆ですが東の東照宮に背を向けて位牌が安置)
興聖寺はいきなり夕方きたのは 2020 11/11
去年分かったのがここに、高虎さんがきていた
織部さん命日が1615年 6/11
高虎さんの御位牌を手にしたのと
織部さん命日が同じ謎
伊賀赤目滝 延寿院 高虎さんと赤目不動を祀る
この寺の住職は仲良しで
僕を俺の兄さんと呼びます。
掃除しとるか〜!と目を光らせてます
ブラックな真実の歴史に詳しい天台宗の
話好きの松本住職がいます
ぜひお声かけください。
事前に言えば準備があるので
強力な護摩焚きもお願いできるかもしれません。
追記(御神酒とお気持ちお包みください)
高虎さんは天海と
西の琵琶湖と延暦寺と竹生島
にもして結界として魔法陣としてか
北斗七星=寿老人=妙見様(日蓮宗)
空から見ると北斗七星の形で江戸の不動明王を設置し
琵琶湖のミニチュアの霊力を生む場として
東の
不忍池と寛永寺と弁天島(ここにも伊賀生まれの芭蕉の句碑がある)
をわざと作りました。
昭和30年代埋め立てて野球場にしようという
恐ろしい安易な案も出ましたが
却下され良かったです。
ハワイを旅していた
のは2002年頃
アリューシャンからくるうねりが
ハワイ諸島に届くとき
海岸でその波動は旅を終える
それを人は波と呼ぶ
物好きがこの巨大な水の壁に木の板で乗ったのが
サーフィンの始まりだが
世界で自然に行われていたようで
伊豆七島ではヘイナルと呼ぶと昔聞いた
僕はその波を裏側から
いや波を通してその先にある宇宙の太陽を
写していた
波を写しているのではなく
波の中から宇宙の象徴である
太陽を写していた
命をとして
泳いで行く
最低限の道具でこそ
海の真髄を知れるかもしれない
そんなある日の思いが
ずっと僕の胸を押してきた
人はある日
ふと
気づくことがある
絵も言えぬ笑みが溢れる
確信めいた謎の感覚
僕は今でも
この目にも見えない
未来を決める感覚を大事にしている
それは固定された物ではなく
常に振動し調律し
この世界、あの世界と変化していく
36m枚のフィルムを金属のカメラにつめて
旅をした
帰国し
現像所に持ち込み
数日間さらにワクワクし
できあがったスリーブを現像所のライトボックスで
確かめ
また家に戻り
ライトボックスと拡大して見れるビューワーで見た
そしてハサミを入れ
プラスチックのマウントに1枚1枚入れて
保管する
時間をかけ
あの途方もない海の旅と歩いて泳いだ
1枚の時間が
ゆっくりと教えてくれること
はやければいいもんじゃない
あっという間のただの移動するだけの新幹線の旅より
夜行列車の旅が懐かしい訳だ
奥の細道のように
足で歩いて感じた人々や景色から
その昔の先人の呼吸や足跡まで
感覚をフルに細胞で感じた旅は
今の旅人には永久にわからない
自分の歩幅で
自分のひとかきで泳げばいい
見るのではなく
読み、味わうこと
間が大事
迷いはないこと
体が自然に動く
少し先に感じるとは
言葉は難しい
同じ波はない
角度も水素の塊の束の大きさも
スピードも違う
なるべく遠くから
波を見つめ
水面を泳ぎながら
波が崩れるであろう最高の位置と
自分が間に合うか?
間に合わないか?
同じ場所では撮れないから
常に波に合わせて水面を片手でクロールし
波から目を離さない
89年オーストラリアのライフガードの資格教習が
命を幾度と掬い上げた
ギリギリまで波を水面で見て
懐に入り
水中で逆さまに回転し
カメラを持つ腕を波にさかわらず
顎を弾きながら
体の水中での位置や浮かび上がる惰性を
感じつつ手首の角度で
崩れ去る波へカメラのレンズを向けて押す
一瞬のことだが
説明文にすると
こんな感じです
陸地の人間界では
時間の使い方が違う
めっぽう早い
恐ろしい大量の水の雪崩に身を投じる
アドレナリンと
心地よいスッキリ感
これだ
これこれ
生きた心地を
すれば人は、宇宙の潮騒に胸をかたけ
寄り添う
人間は色彩を光の反射で見ているという
レモンが黄色いのは、光がレモンに一度あたり
レモンが黄色く反応した色が目にきているのだから
光がなければ直にレモンは見れない
暗闇では見えているが色がないから見れないだけ
であそこに在る
まるで般若心経の教え
水面から見た
海が青いのは空が反射したり
水深だったり
浅い海は透明
徐々に
緑
青
濃い青
この間にも色があるのだが
人間の目には見えていない
水中から見ると太陽を透過し透明になるはず
だが水が動き、水素の隙間や立体的になり動くと
影が生まれる不思議
水中は
そんな人間界の常識とは別
透過、屈折、反射(透明なものも反射する)
コップに入れた透明な水さえ揺らせば
影が生まれる
ここに謎とヒントがある
水は人間には見えないスピードと周波数の違いで水が幾重にも重なり、離反し動いては
また
ある法則 により水は水素と酸素のやじろベイのようなハンガーのような形で
最高6個まで繋がり、また自然に電気的、振動的、エネルギーを与えると、あたかも意識的に離れ
また酸素と水素がくっつく謎
そこに塩分や様々なミネラルが色に作用するのかもしれない
冷たい空気は気圧が圧縮され
空気の密度も重くなるから
海の波や巻き込んだ空気も、硬い感じがする
硬いがサラッとしている
学者じゃないから
わからないので、どうでもいいのですが
なんらかの物としての動きがあり人間が知覚できていますが
実はもっと野生的、感覚的に感じていることを
深く見つめ体感し、感じたのがムカh市の人々や忍びたち
北斎なんかきっとすごい感覚的な力が澄んでいたんだと思います
宇宙からきた太陽光線がなくてはならない地球
広い眼でみれば
宇宙という何かから透過した光が地球という水素にあたり
呼吸し色彩を変化させている
これがアロハ
呼吸
生きること
ネイティビアメリカンがいう世界
今は宇宙の可視できる光は太陽だけだが
目には見えない光線も来ているはずで
いつか違う太陽の光も来るかもしれない
太陽系は一つではないのだから
海の話は尽きない
命を生み、植物や珊瑚が光合成を行い
海の中の渓谷に花を咲かせたように森を作っていく
魚がうんこをしてバクテリアが分解したり
横エビやカニが死骸を食べたり
土と同じ生態系が海にもある
海も山も同じわけです
山を見ていると陸地が海にぶつかり
そのぶつかった場所(海岸)からそろりと
海へ入ればそのまま、海底へ続く
海の底は山である
山も昔は海であるから
山で塩や海洋生物の化石が出てくる
小さな管狐を竹筒に入れて
呪術を使った人たちがいた
長野の戸隠の飯綱山は
やがて狐に乗った烏天狗を祀る
修験者や忍たちの聖地
昔山には特殊な菌類(苔)があり
それを食べていたとも
今は戸隠の越志宮司さんが
村の中の神社と山の神社を代々守られ
宿坊もやらている
起こしになるさいは
この二つをお参りし
戸隠神社の奥社の龍神様へお名前の心をそえ
御神酒をご奉納ください
話はそれましたが
海の中は宇宙
宇宙が海の中と同じとも
寒い真冬の空気も硬く重く
海もバクテリアが死に水分子が綺麗なひととき
日本で言えば数千年、ことわけをされ
祈られてきた神社なる謎の命の行き来する通信基地
の前で写ってしまった1枚は
美しいに決まっています
身も心も無心で
命をかんじながら泳ぐということ
をする
昨今の写真屋さんのように
写真は色を足したり、いじったり
いいところだけ切ったり(トリミング)一切しません
写ったまま
天然の魚がいいに決まってる
海にも色にも個性がある
全ては生きているということ
雨は海の水や
山に浸透し出てきた水らしいが
地球の水も風と同じく移動するらしいが
水の持つ音や、目の前の記憶は
うまく言えないが
その海岸海岸にとどまっていると思う
水が普遍的で常に、分子レベルで動いては離れて
波という現象が現れているのだが
クック諸島のある種のカワハギは
太平洋のものとは違い
インド洋の色と同じだった
遥沖までい泳いででいる自分の
おかしさを笑った
たとえ30分でも
命が終わる可能性のある
死生観しかない時間は精魂つかれるが
心地よくもあり
野生と本来の物語に戻る
そこが
この波の裏の写真の醍醐味
体術的
心理的観察や
心理的に追い込み
ネガティブにするのは自分自身の幻であるということ
ひたすら生まれ変わるように
臨機応変に前へ行くだけ
波が来れば戻る
剣道のためしあいのような
待ったもない
これぞ大宇宙と一つ
伊豆雨
大雨の箱根のアップダウン
あったはずの山のハイウェーで
ガソリンが消えた?
ガソリンの目盛りが
急に下がった謎
滑空するグライダーのように
アクセル踏まないで山を降りた
江戸時代の幌馬やメーカーの車
サバーバン
昔から乗りたかったが
大きさに、腰が引けていたが
乗ってみると意外にも小回りが効き軽い
荷物を屋根や狭い荷室に
考えて積み込まなくてもいい
船のような、ハンドリングも魅力
アメリカの自由と広さを感じる
人に聞きスタンドを探すと
制服を着たおばあちゃんのガソリンスタンド
ガソリンを120Lも飲み込んだ91年
山から川の水と一緒に
大雨の海に出ると
嵐の伊豆
美しいブルーグレーの海の雨
明日もこれでは水が濁るからダメです
きっぱり帰る
道中、アメ車屋さんの
城南ジープの安江さんが心配して
お電話をくださる
海
人は器
写真の生き方の師匠の一人
今は亡き柏原誠
全身エナジーの優しさと大胆さで全てを飲み込む
豪快で優しい気配りのオヤジ
あのな
カメラなんかみんな同じよ
いいか
こんなものは機械だ
カメラに撮られるなよキョーバシくん
いいかい
ハッセルも、ライカも、なんでもある
使いたきゃつかえ!
バ~ンとな
モデルの魂のキラッとした瞬間な
引き出して見つけて
それを鷲掴みにしろ!
ファインダーなんか見るなよ!
押せ!
1999年のある日
俺ねカメラ今日でやめる
?
えっ?やめるの
そうだ
なんで?
あのな
これからデジタルになって
車も1台とって
あとはパソコンで色変えるとか
モデルの下をいじったりな
写真じゃね〜な
俺は嫌だな
金も安くなり
腕をかってくれない時代になる
そうか〜
俺どうするかな〜
お前さんはね
やっぱり海行きなさい
あと人な
なんか写りますよ
お前さんは
僕は若い時ね
ユージンスミスのアシスタントでね
いいオヤジだった〜
うん
写真にな
うん
エネルギーバンバン!
ドーンと
何か見つけて
頑張りなさい!
大丈夫だ!