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人は器
京都書道の大先生
杭迫さん
仙人のような独自の笑顔
独特な流れる気の生きた水墨の流れ
聞けば山中鹿之介さんのご子孫
尼子に尽くした彼は、出雲安木の上月城が落城し捕虜となり
岡山の阿井の渡しで
捕虜となり連行中毛利側の侍に殺された
とも、生き延びたとも、自害したとも謎
いずれにしろ心に寄り添い
尼子義久一族の再興の願った
武勇の男 山中鹿之介さん
鹿之助さんは
出雲の安木にある、山城にもいらして
供養塚もある
岡山にもお墓があり、出雲とも
御供養へ行かせていただいたご縁
月に向かい
願わくば我に七難八苦を与えたまえ
とよんだ句は有名で
その昔は国民教育として教科書にも載っていたそうだ
月岡芳年さんも浮世絵にしている
人は器
普段は僕の3倍話す
比叡山で修行しお父さんは
戦後どうしようもなく
目黒不動で野宿寸前の時に
当時のお坊さんに救われ、お寺に住み込むことになる
伊賀赤目不動は
テロリスト信長に焼かれ
その侵略後、家康により伊賀の侍と忍は和睦
和睦とは言葉だけ
神社仏閣を燃やし
女子供の首をはねた信長は決して許されまじ
一方的なロシアのような愚行に
命を惜しまず戦った彼ら
伊賀を安定させるために
藤堂高虎がこのお寺を祈願寺とし
(家康の背を向けた御位牌もある)
赤目滝詣りの衆という、法華経を全国66の国に納経する
集団がいたが、おそらくは忍で諜報活動もしていたのであろう
通行手形がいる時代
このお寺からは特別に御押印が発行され
木札を持っていたのであろう
そんな住職の護摩焚きは
その場を変えて
何かが降りている
雨
作為を消すのではなく
作為を写真に持ち込まない
撮りたい、撮ろうという思いで
撮影する現場に行くのだが
商品やモデルの絵コンテや
着地点をメイクやディレクターで目指す
いわゆる広告、商業写真は別な写真
僕の場合は
行ってみて、さらに泳いで見て
撮れるか撮れないか
後でわかる
この辺も2022年ごろまでは
フィルムもあり36枚写して
また泳い出戻り
フィルムを詰めて
5時間くらい漂って、波を潜っていた
マウイ島のホノルアベイで2002~3年の冬に
宿がホーキパだったから片道1時間車を走らせ
帰るのは夜になっていた
話を戻すと
つまり
「写っちゃった」
もちろん被写体は透明な水と太陽
超感覚的なアンテナを呼び覚まし
場所探しから、水中の波へ向かう
すべての世俗の汚れや時計を外し
昔からの正しい本物の天然の海と波を
指先から足さきまで、圧力のある天然のMRIのように通過すると
あ〜生きてるな〜俺
これだ!これこれこれ!
と大笑いしていた
真剣に宇宙と海と向あわざるえない
自分の嘘やなめたり、おごれば
即身成仏
自分の嘘とは体力や泳げないのに
その力を客観視せずに、行くこと
それでも予想できない事故は起きるのだけれど
それ前の準備や、力量を鍛錬し
研究して死ぬなら
それは潔いスッキリした討死
切腹ではない
生き死にがかかること
戦争ではなく
平和だからわざと命をかけれる贅沢
考えすぎないこと
黙ってやること
独で向き合うこと
答えははなから無い
電気製品や時計は捨てて
自分の時間で右左、上下泳ぐ
怖さを泰賢すること
心の目を逃さないこと
キャッチする野生的感覚を磨く
すると体が自然に動いている
胸で動くこと
頭は捨てる
先生は自分かもしれない
大自然の無限な教え
宗教は日々の暮らしやこの宇宙にある
人間界の宗教のホコロビにかどあかされないこと
アイヌやネイティブアメリカン、忍たちの心によりそい
供養する
明け方の宇宙の光
彼らの生きた時間と変わらない
汚れた人間界とは別な次元がまだここにはある
思うことは同じはずです
観光地や作為と人間臭いテーマパークでは無い
独り旅へ行けば行くほど
自然に磨かれていく
神社へ自分のお願いを押し付けないこと
神仏は尊ぶが
頼らないこと
うみで独り
誰も助けちゃくれません
助かるような作為をしない
手紙
ビルマからの便り
軍の検閲係に読まれ(この頃は渡辺と印がある)
場所や作戦の事、などは上からマジックで消されたり
削られたりするから
初めから決めておき
斜めに読むとい場所がわかるようにしたとか
ごく一般的な今年書けない戦時郵便
書いてから日本に届くのは2〜3ヶ月後
まれに航空便でビルマへ12日で着いたこともあったようだが
手紙が家族のもとへ祖国についた頃には
戦死している場合も多かった
祖父は琵琶湖の近く
甲賀や水口あたりに先祖がいた
江戸時代は水口久兵衛 が山本に養子に入ったりして
爺さんは築地の波除神社で生まれ
ひいじさんたちは近江八幡から
築地へ来たという
やがて関東大震災で焼け
まだ鮎や亀もいた清流だった目黒川へ
27歳
きっちり
と書けるだけ一生懸命に書いた手紙
思うのは家族のこと故郷のこと
戦争の戦いのことは聞いたことがなく
つtらい体罰や敵や捕虜のことも
今思えば話さないようにしていたのかもしれない
盧溝橋事件を起こした
牟田口廉也の愚行
本人はおめおめ帰りだんまり
その作戦部長の河辺、辻参謀は当時の先輩
なんとか牟田口れんやの(個人的な盧溝橋を巻き起こし日中戦争のひだねの責任)を
錦で飾ってやりたいという
個人的、大本営の強制的で、それに毅然と反対し文句を言えない空気と参謀達の
決断できない決断が、多くの兵隊を犠牲にしたのが大東亜戦争
誰もが反対する、補給も制空権もなく、数1000メートル級の山脈や
未開のジャングルに、シッタン河、チドウィン河などの大河
食料は羊や牛に兵器を運ばせ
いざとなれば殺して食べればいい
チンギスハーンの作戦と言い
牛はすぐに歩かなくなり、羊はさらに無理だった
インドのインパールを落とせばいいという無謀な作戦
物量と合理性で勝る連合軍は
パラシュートやグライダーで物資を運び
日本軍はマラリアや飢餓で消えていった
日本に味方していたビルマ人
チャンドラボースもやがて、日本軍の素行や未来に失望し
反旗を翻し昭和19年以降敗走の渦と無理な突撃で死んでいった
祖父は器用で電気の知識もあり
満州からビルマへ4年
鉄道兵として習志野にあった鉄道5連隊で
訓練したと聞いた
主戦前にはタイにいたので
捕虜にはならず
21年に浦賀に呉で空襲され甲板に大穴のあいた空母葛城で帰ってきた
こうした手紙が70通ある
ビルマから日本へ心を運んだ1枚の手紙
1枚の写真と同じように
残り伝え続ける時間があることを改めて知る
写真とは
夕陽の神事を古来は大切にしていたという
一日の終わり、闇が来るが、やがて朝が来るスタート
命の再生と闇の狭間
命の呼吸と
闇にしか持てない不思議な怖さと美しさ
音が太古の昔に戻る唯一の時
虫の音と波音草の揺れる音
夕暮れの夕闇の迫る、磯の波
暗くなると浅かろうと岩だらけで
帰ってこれない、足場が見えず怪我もする
出雲大社の方が いなさの浜で泳いだら
何か写るかもしれませんのでどうぞ
でも稲佐の浜は濁っている
島根中みぎから左海岸線を
走り車をとめ海を感じ探したが
ピントこなかった
もう1度もどり諦めかけ
散歩していると
何かを感じた
言葉では難しいが
ここがいい
ここは祈りの場だと
なんだか感じた
ゴミを拾い
御神酒をまいて
祝詞を捧げた
写真はドキュメンタリーでなくてはいけない
というより
写真機を押せば
自然にドキュメンタリーになるのだが
昨今は簡単に、作者の好みに後から加工できるので
もういじりすぎて
切って貼って、拡大して
これは写真ではなくグラフィックだ
つまり
その時に撮れていない
訳です
デジタルになり
全てが早ければ
安ければいい
写真はその場にいて
俗にいう被写体と対峙する
ドローンや定点カメラは
写真だが写真でない
自分がそこに飛んで、泳いで
そのすべてと溶け合い
その前後の記憶が押した瞬間に成り立つものだと信じる
車
雨の裏
天気図も天候も調べる気はなく
フィジーの空港で5時間セスナを待ち
小さな海辺の山の隙間の広場のような場所のふわりと降りたセスナ
パイロット2人 僕1人か、村人1人
どこへ行くんだろう
まるで近所に行くように
短パンにサンダル
荷物もビニール袋だけ
買い物?
30分ほど海岸にいると
小さなボートががきた
エンジンを止め、座礁しないように
エンジンを斜めに上げて
長い竹の棒でやってきた
馴染みのドライバーが満面の笑顔でミキー!
ガッチリ抱き合い
ガソリンを頼まれたから
待ってくれとたくさんのガソリンと食料と水を積んだ船で
1時間
風が冷たい
軍艦どりやアジサシが飛ぶ
飛魚がエンジンオ音に驚きジャンオプする
こんな海にはサメもいるんだろうな〜
藍色の海を緑の松島のような島伝いに走ると
遠くに頂上が雲にかぶった独特な島が見えてきた
スコールと夕陽の島は美しかった
電気も商店もない島がいくつあるやら
よくもこんな遠く(日本から見たらだが)
彼らにとっては村から村は船が車がわり
緩やかな暮らし
タロイモやカバという胡椒かの木を育て
その根を乾燥させ、水で何度もしごき、絞ると
幻覚作用がある水ができる
それを村々で夜になると
皆で飲む
味は泥水
お通りのように
車座で手を叩いて
10杯のむと吐いた
確かにボ〜ッとする
宇宙を見たり幻覚は見ないが
皆で楽しい空気感でケラケラ笑っている
古来から続く風習と
土地のや自然の精霊や
現代の科学の無理ではない
海のかみや生き物たちの正しい宇宙の風に
溶け合う気がした
都会であくせく
飯を買うため
車に乗るために働く自分が
馬鹿馬鹿しいといつも笑う
実際に山にはレッカという幼生がいるとみんな言う
子供の大きさでむしろを着ている
らしい
足が早く
捕まえると、逃す代わりに
願いを叶えてくれるらしい
何人もの人が真面目にその体験を話してくれた
そんな海はやはり
怖い
波が大きいから怖いとか
ではない
もちろんあの何トンもの
崩れる白い波の6mはある波が
海面に当たる爆発の中に
いられるのか?不安になるが
明らかに
何かにみられ
海は生きていると感じ
人間も野性的な感覚を取り戻し
これが宇宙や海との正しい関わりだと
胸がなった
頭ではない
学校の勉強でも
コンクリートプールで早く泳ぐ水泳ではない
風や波や潮に合わせて
呼吸し、瞬時に判断し動かねば死ぬ
これが鳥や魚が古来から変わらず
身に着け、生きるための術であり
自然な時間
魚は一日をどう感じて
何を思い、美しくも恐ろしい
水中の珊瑚の隙間にいるやら
胸に響く轟音の波のした
うるさくないのかね?
ちっとも怖い感じは持ってないようで
僕を見るとある距離を保ち、泳いで海底や珊瑚をつついている
フィルムを詰めて片道30分
歩きではなく
片手で泳いできた
そして
サメがいないか常に回転し
波が来れば逃げ回り水中に潜り
波の下へ回り込み
また過ぎ去る波を全身に感じながら
水面で呼吸する
呼吸の大事さないと死ぬ
と今更ながら普段のあたり前を大事にする
海で1番は呼吸だ
どんなにカッコつけても
息ができないと死ぬ
波に巻かれたら
全く吸えません「
待ったない波の連続で
何度も意識が暗くなり
怖さで胸が折れそうになった
気持ち一つ
が自分を救う
浮き輪もない
誰もいない
そこがいい
やる気がないければ
死ぬだけ
そんな雨を波の裏側から見た1枚
予定
京都の予定は
5/17 22:00~
多分東京も同じかと思います
僕よりさらにアナログな、一休さんのような住職の話なので
日程東京が違ったらすみません
平安時代から残る
五百間もの一切経
古田織部が60歳の時に
天海とおそらく藤堂高虎(織部の弟子で、城作りの名手で伊賀延寿院のお不動様に助けられ、他由縁で位牌がある)
信長の伊賀に侵略の後
信長と伊忍は徳川の命令できた
ならの大倉五郎という神楽師をかいし和睦
その翌年信長は本能寺で死んだことに
伊賀上野城はそもそも
伊賀にはなく
あそこは伊賀の人々や侍、忍の宗教聖地
高野山のような平楽寺という平家系の伽藍があるが
信長軍が鉄砲で撃ち火を放ち
僧兵や神主や女子供1000人以上を殺し
後で
信長系の筒井が作った伊賀には必要無い物
それを作り直した高虎
今や伊賀市は忍者=忍者ショー!=上野城と
いう忍者には迷惑な関係ない観光的アトラクションにし
地侍や忍や伊賀の民の本心と信心を踏みにじっています
伊賀上野城は伊賀忍者の時代にはない!
あれは、電磁かけのネズミのぬいぐるみの浦安ディズニーランド同じ
話はそれましたが
事実です
で高虎さんが織部が
家康は火を放ち家康暗殺の首謀者と疑惑をかぶせ
切腹させられたのち
堀川高校の地の屋敷を整理し
徳川や豊臣系が茶碗や茶器を分捕り
興聖寺の大旦那としてお寺を守り
織部さんたちを供養された
文句一つ言わず72歳の織部重成さんは
長男重嗣37歳と伏見の屋敷で切腹
次男重尚 三男重広も江戸で差し違え切腹
4男重行は興聖寺のお墓の前で屠腹
5男重久は大阪城の戦いで討死
奥さん仙さんは彼らを弔い
仏門へ
織部さんは
お茶の作法があまりできず
ねっころがってお茶を飲んだとか
細かいことには囚われず
大胆でありまっすぐな感情豊かな方らしい
ある日、お茶のルールを知らず桜をお茶会に持ってきたお客さんの
桜を丁寧にいけていたとか(桜は派手な為使わないそうです)
織部は自分では茶碗やろくろを回してないようですが
本当のことはわかりません
しかし
美濃や唐津の色彩豊かな緑の釉薬で
花鳥や猿や幾何学模様を描き
伊賀や信楽では主に花いけを作ったそうです
芸術的直感的な美意識とすごい
感覚を持たれていたんでしょう
織部さん切腹
1651年6/11
次男、三男6/14
興聖寺にお墓あり
元々大徳寺で修行された禅僧でもあった織部さんは
奥さんが亡骸を大徳寺の塔頭に相談にこられ
筋としては大徳寺でお預かりしましょうと
明智光秀さんのお墓と隣どうしになったそうです
そんなわけで
今はなかったですが当時は2箇所にお墓があったことに
と大徳寺のお坊さんに聞きました
余談ですが
江戸時代の画家
曾我蕭白さんのお墓も織部さんの近くに
やはり画家で儒家、神主の富岡鉄斎さんが文字を書いた石碑もあります
有名な曽我蕭白さんのボストン美術館の龍図は
ここにあったそうです
本堂には龍神様がいらして
江戸時代のまま
あとは火災で焼け後から作った物だそうです
そんな芸術家の眠る安寧の地
水を修めるための水火天神と共にあったこのお寺は
ある聖域だったのでしょう
ここからまっすぐ数百メートルで
陰陽師安倍晴明の屋敷もあります
天海さんが謎の僧で忍びたちをも
使っていたそうですし
高虎さんも伊賀で受け継ぎ
忍者や松尾芭蕉のお父さんも地侍で抱えていたそうです
襖は出るか?わかりませんが
放送予定だそうです。
住職より
初めて伊賀忍のお参りは2013 6/11
その時、高虎さんの位牌を持ち、話しかけ
お寺中をお掃除した
(高虎さんは家康の御伽衆ですが東の東照宮に背を向けて位牌が安置)
興聖寺はいきなり夕方きたのは 2020 11/11
去年分かったのがここに、高虎さんがきていた
織部さん命日が1615年 6/11
高虎さんの御位牌を手にしたのと
織部さん命日が同じ謎
伊賀赤目滝 延寿院 高虎さんと赤目不動を祀る
この寺の住職は仲良しで
僕を俺の兄さんと呼びます。
掃除しとるか〜!と目を光らせてます
ブラックな真実の歴史に詳しい天台宗の
話好きの松本住職がいます
ぜひお声かけください。
事前に言えば準備があるので
強力な護摩焚きもお願いできるかもしれません。
追記(御神酒とお気持ちお包みください)
高虎さんは天海と
西の琵琶湖と延暦寺と竹生島
にもして結界として魔法陣としてか
北斗七星=寿老人=妙見様(日蓮宗)
空から見ると北斗七星の形で江戸の不動明王を設置し
琵琶湖のミニチュアの霊力を生む場として
東の
不忍池と寛永寺と弁天島(ここにも伊賀生まれの芭蕉の句碑がある)
をわざと作りました。
昭和30年代埋め立てて野球場にしようという
恐ろしい安易な案も出ましたが
却下され良かったです。
ハワイを旅していた
のは2002年頃
アリューシャンからくるうねりが
ハワイ諸島に届くとき
海岸でその波動は旅を終える
それを人は波と呼ぶ
物好きがこの巨大な水の壁に木の板で乗ったのが
サーフィンの始まりだが
世界で自然に行われていたようで
伊豆七島ではヘイナルと呼ぶと昔聞いた
僕はその波を裏側から
いや波を通してその先にある宇宙の太陽を
写していた
波を写しているのではなく
波の中から宇宙の象徴である
太陽を写していた
命をとして
泳いで行く
最低限の道具でこそ
海の真髄を知れるかもしれない
そんなある日の思いが
ずっと僕の胸を押してきた
人はある日
ふと
気づくことがある
絵も言えぬ笑みが溢れる
確信めいた謎の感覚
僕は今でも
この目にも見えない
未来を決める感覚を大事にしている
それは固定された物ではなく
常に振動し調律し
この世界、あの世界と変化していく
36m枚のフィルムを金属のカメラにつめて
旅をした
帰国し
現像所に持ち込み
数日間さらにワクワクし
できあがったスリーブを現像所のライトボックスで
確かめ
また家に戻り
ライトボックスと拡大して見れるビューワーで見た
そしてハサミを入れ
プラスチックのマウントに1枚1枚入れて
保管する
時間をかけ
あの途方もない海の旅と歩いて泳いだ
1枚の時間が
ゆっくりと教えてくれること
はやければいいもんじゃない
あっという間のただの移動するだけの新幹線の旅より
夜行列車の旅が懐かしい訳だ
奥の細道のように
足で歩いて感じた人々や景色から
その昔の先人の呼吸や足跡まで
感覚をフルに細胞で感じた旅は
今の旅人には永久にわからない
自分の歩幅で
自分のひとかきで泳げばいい
見るのではなく
読み、味わうこと
間が大事
迷いはないこと
体が自然に動く
少し先に感じるとは
言葉は難しい
同じ波はない
角度も水素の塊の束の大きさも
スピードも違う
なるべく遠くから
波を見つめ
水面を泳ぎながら
波が崩れるであろう最高の位置と
自分が間に合うか?
間に合わないか?
同じ場所では撮れないから
常に波に合わせて水面を片手でクロールし
波から目を離さない
89年オーストラリアのライフガードの資格教習が
命を幾度と掬い上げた
ギリギリまで波を水面で見て
懐に入り
水中で逆さまに回転し
カメラを持つ腕を波にさかわらず
顎を弾きながら
体の水中での位置や浮かび上がる惰性を
感じつつ手首の角度で
崩れ去る波へカメラのレンズを向けて押す
一瞬のことだが
説明文にすると
こんな感じです
陸地の人間界では
時間の使い方が違う
めっぽう早い
恐ろしい大量の水の雪崩に身を投じる
アドレナリンと
心地よいスッキリ感
これだ
これこれ
生きた心地を
すれば人は、宇宙の潮騒に胸をかたけ
寄り添う
人間は色彩を光の反射で見ているという
レモンが黄色いのは、光がレモンに一度あたり
レモンが黄色く反応した色が目にきているのだから
光がなければ直にレモンは見れない
暗闇では見えているが色がないから見れないだけ
であそこに在る
まるで般若心経の教え
水面から見た
海が青いのは空が反射したり
水深だったり
浅い海は透明
徐々に
緑
青
濃い青
この間にも色があるのだが
人間の目には見えていない
水中から見ると太陽を透過し透明になるはず
だが水が動き、水素の隙間や立体的になり動くと
影が生まれる不思議
水中は
そんな人間界の常識とは別
透過、屈折、反射(透明なものも反射する)
コップに入れた透明な水さえ揺らせば
影が生まれる
ここに謎とヒントがある
水は人間には見えないスピードと周波数の違いで水が幾重にも重なり、離反し動いては
また
ある法則 により水は水素と酸素のやじろベイのようなハンガーのような形で
最高6個まで繋がり、また自然に電気的、振動的、エネルギーを与えると、あたかも意識的に離れ
また酸素と水素がくっつく謎
そこに塩分や様々なミネラルが色に作用するのかもしれない
冷たい空気は気圧が圧縮され
空気の密度も重くなるから
海の波や巻き込んだ空気も、硬い感じがする
硬いがサラッとしている
学者じゃないから
わからないので、どうでもいいのですが
なんらかの物としての動きがあり人間が知覚できていますが
実はもっと野生的、感覚的に感じていることを
深く見つめ体感し、感じたのがムカh市の人々や忍びたち
北斎なんかきっとすごい感覚的な力が澄んでいたんだと思います
宇宙からきた太陽光線がなくてはならない地球
広い眼でみれば
宇宙という何かから透過した光が地球という水素にあたり
呼吸し色彩を変化させている
これがアロハ
呼吸
生きること
ネイティビアメリカンがいう世界
今は宇宙の可視できる光は太陽だけだが
目には見えない光線も来ているはずで
いつか違う太陽の光も来るかもしれない
太陽系は一つではないのだから
海の話は尽きない
命を生み、植物や珊瑚が光合成を行い
海の中の渓谷に花を咲かせたように森を作っていく
魚がうんこをしてバクテリアが分解したり
横エビやカニが死骸を食べたり
土と同じ生態系が海にもある
海も山も同じわけです
山を見ていると陸地が海にぶつかり
そのぶつかった場所(海岸)からそろりと
海へ入ればそのまま、海底へ続く
海の底は山である
山も昔は海であるから
山で塩や海洋生物の化石が出てくる
小さな管狐を竹筒に入れて
呪術を使った人たちがいた
長野の戸隠の飯綱山は
やがて狐に乗った烏天狗を祀る
修験者や忍たちの聖地
昔山には特殊な菌類(苔)があり
それを食べていたとも
今は戸隠の越志宮司さんが
村の中の神社と山の神社を代々守られ
宿坊もやらている
起こしになるさいは
この二つをお参りし
戸隠神社の奥社の龍神様へお名前の心をそえ
御神酒をご奉納ください
話はそれましたが
海の中は宇宙
宇宙が海の中と同じとも
寒い真冬の空気も硬く重く
海もバクテリアが死に水分子が綺麗なひととき
日本で言えば数千年、ことわけをされ
祈られてきた神社なる謎の命の行き来する通信基地
の前で写ってしまった1枚は
美しいに決まっています
身も心も無心で
命をかんじながら泳ぐということ
をする
昨今の写真屋さんのように
写真は色を足したり、いじったり
いいところだけ切ったり(トリミング)一切しません
写ったまま
天然の魚がいいに決まってる
海にも色にも個性がある
全ては生きているということ
雨は海の水や
山に浸透し出てきた水らしいが
地球の水も風と同じく移動するらしいが
水の持つ音や、目の前の記憶は
うまく言えないが
その海岸海岸にとどまっていると思う
水が普遍的で常に、分子レベルで動いては離れて
波という現象が現れているのだが
クック諸島のある種のカワハギは
太平洋のものとは違い
インド洋の色と同じだった
遥沖までい泳いででいる自分の
おかしさを笑った
たとえ30分でも
命が終わる可能性のある
死生観しかない時間は精魂つかれるが
心地よくもあり
野生と本来の物語に戻る
そこが
この波の裏の写真の醍醐味
体術的
心理的観察や
心理的に追い込み
ネガティブにするのは自分自身の幻であるということ
ひたすら生まれ変わるように
臨機応変に前へ行くだけ
波が来れば戻る
剣道のためしあいのような
待ったもない
これぞ大宇宙と一つ
伊豆雨
大雨の箱根のアップダウン
あったはずの山のハイウェーで
ガソリンが消えた?
ガソリンの目盛りが
急に下がった謎
滑空するグライダーのように
アクセル踏まないで山を降りた
江戸時代の幌馬やメーカーの車
サバーバン
昔から乗りたかったが
大きさに、腰が引けていたが
乗ってみると意外にも小回りが効き軽い
荷物を屋根や狭い荷室に
考えて積み込まなくてもいい
船のような、ハンドリングも魅力
アメリカの自由と広さを感じる
人に聞きスタンドを探すと
制服を着たおばあちゃんのガソリンスタンド
ガソリンを120Lも飲み込んだ91年
山から川の水と一緒に
大雨の海に出ると
嵐の伊豆
美しいブルーグレーの海の雨
明日もこれでは水が濁るからダメです
きっぱり帰る
道中、アメ車屋さんの
城南ジープの安江さんが心配して
お電話をくださる
海
人は器
写真の生き方の師匠の一人
今は亡き柏原誠
全身エナジーの優しさと大胆さで全てを飲み込む
豪快で優しい気配りのオヤジ
あのな
カメラなんかみんな同じよ
いいか
こんなものは機械だ
カメラに撮られるなよキョーバシくん
いいかい
ハッセルも、ライカも、なんでもある
使いたきゃつかえ!
バ~ンとな
モデルの魂のキラッとした瞬間な
引き出して見つけて
それを鷲掴みにしろ!
ファインダーなんか見るなよ!
押せ!
1999年のある日
俺ねカメラ今日でやめる
?
えっ?やめるの
そうだ
なんで?
あのな
これからデジタルになって
車も1台とって
あとはパソコンで色変えるとか
モデルの下をいじったりな
写真じゃね〜な
俺は嫌だな
金も安くなり
腕をかってくれない時代になる
そうか〜
俺どうするかな〜
お前さんはね
やっぱり海行きなさい
あと人な
なんか写りますよ
お前さんは
僕は若い時ね
ユージンスミスのアシスタントでね
いいオヤジだった〜
うん
写真にな
うん
エネルギーバンバン!
ドーンと
何か見つけて
頑張りなさい!
大丈夫だ!
人は器
人は器
人は器
敬慎院
敬慎院
七面山
建部神社
高野聖
海
チャコットフォトシューティング
海の裏
宇賀神
竹からおそわる
竹のこもっていきんさい
雨の中
今ほってくるから
延々山を迷い
蜘蛛の巣だらけで
偶然服部半蔵の忍の山のお参りから
降りてきて
話しかかけらたのは6年ほど前
旦那さんが
いきなり
服部半蔵ですか?
笑
そんな訳ないですよ〜
え〜
お参りにきてくれてるの?忍者さんの?
貴徳な人だな〜
東京から?
なんでこんな田舎の山に〜
それ以来
何度も急に来ても
タイミングよく会える
前回は
なんだか竹藪にいたんだけど
帰ったほうがいいかな〜と
急に思うと
あんたの車があったわ〜
今回も雨でノラしごと上がったら
また車があったさかい
不思議やね〜
見えない何か
竹の子はねすぐに茹でるか
冷蔵庫やで
味が一気に落ちるから
東京はね
棚にね
飾ってある
いつほったかわからんん
竹の子を買うんだよ
でかいと1000円とか?
ほんまかいね〜
笑
自然を遠のけた暮らしやナビの付いた車が
人を弱らせ、野生を失わせ、感覚もにごら
せる。
人が作った物で人が大切なものを失っていく
竹の子とおばちゃんから改めて気づかされる
米糠入れあるからね
すぐ茹でなさいね
また電話してからきんしゃい〜
藤林長門守
甲賀と伊賀の湯舟に眠る
伊賀の上忍 藤林長門守さんへお会いしに
昨日、彼の子孫の眠る
西念寺のお墓で住職に貼ったりお会いできた
伊賀の12人衆のお一人
百田藤兵衛さんの比自山へ行くとじょう
そうだ通り道だと車を走らせ
お参りが終わると、御住職が、書道をやっていたが
気が乗らず、たまたま駐車場の鍵を確認しにいらした
10年で初めてお会いでき
しばらくお話をしていると
あれ
急に鳥肌が!普段はないんですが
と言われ
僕が風がきますよと言うと同時に
風が吹いてきた
やはりいらっしゃいますね
きてくだいましたね
住職と会わせてくださった訳です
甲賀の境の藤林(古い幾つもあるお墓には富士林とも)
10年前からここと、その後先祖の長門守さんのお墓と
彼らが立てこもり
多くの忍の方々が亡くなった雨乞山へ
お供えをし、お酒とお水を置いて
話しかける
なんだか涙が溢れてくる
近くには藤林さんの住まわれていた、山城もある
お墓は大正時代にここへ移動されたそうだ
見えないが、明らかに
風を感じる何かが伊賀にはある
信長の傲慢で巨大な力に
屈せず戦った彼らこそ
今の日本に大事な時間
侍の心持ち
故郷と仲間を守り命を惜しまんとした彼らを偲ぶ
日之出や
こうが
甲賀武士の崇敬と思いが大事にされてきた
昔のままの
雨の油日神社へ
宮司さんともお話しできました。
お酒を神様へ
螺貝をふく行者さんも
このところたまに、いらしてますと
人昔前は、善行の神社や寺でも
海の音色が聞こえていたが
ここ最近、行者さんが減ったのと
貝を吹かないでくださいという神社まで
古来からの作法の一つにすぎないのだが
海の命をやまで吹く(行者さんはたてる)ことで
命の循環を表し
山から全ての命が始まったと、考える
山伏の数千年前から続く、ごく普通の作法も
理解してもらえない神社さんもあることが
実は不自然です。
現代の目で神様や時間を見ないこと
美しい自然(国土)と、人々の純粋な信心が濃かった
ほんの150年前までの国土と暮らし
絶滅しそうです
行者さん
伊賀上野城の嘘
詳かではないが、今から約500年前1577年頃まで(信長の養子の息子が伊賀を武力で蹂躙にきたが、返り討ちに)
その後信長が怒り1581年伊賀を地球から無くす計画(ジェノサイドが起こるが徹底抗戦した彼ら彼女ら)
地租の意思を受け継ぎ、おそらく全滅するが
魂は変えられず、たとえ体がなくとも生き続ける
七世報国 七度死んで八度目に朝敵を倒すと言って自刃した楠木さんと同様です
戦時中、大本営が、その言葉を戦争のプロパンガンダに悪用し
特攻隊の青年たちにすり込んだわけですが
所詮俺たちは
湊川だよと、非理奉天、七世報国と書いた菊水の幟で
鹿児島沖で全滅した野中五郎さんと特攻機桜花の話はご周知の通りです。
昔、昔、日本が66の国に分かれ、土地土地の検問所である関所で、今のパスポートが必要だった
修験者、僧侶の祈り人は特別な免除があったとも言われている
ので、忍たち(この時代はニンジャという言葉はなく、後の創作)
間者、すっぱと呼ばれ?実際は分かりませんが
普段は農民で午後からは武芸や呪術の稽古をしていた
あの黒装束(実際は青に近い黒とも)は目立つのであくまで、あからさまな任務や夜の時だけ?
日本のほとんんどが、秀吉や毛利や特に悪名たかい信長に
力で殺戮され、無理やり服従されていたロシアの赤い抑圧に近い時代
伊賀だけは徹底的に抗戦し、故郷を勇気と武芸で守っていた
甲賀は数年前に信長に、甲賀武士(忍)は郡忠惣というシステムがあり
多数決の協議の末
村人などを守ために無血降伏したが
伊賀と甲賀は地続きで、仲が良かったので
様々な葛藤や真実があっただろうが、判明しない。
伊賀は分かっているのは惣国一揆という
独自のシステムで3人の上忍(百道三太夫、藤林長門守、服部半蔵保名長)(愛知生まれの息子の半蔵まさなりではない)
12人の忍頭で決められた
傭兵的要素もあり
敵味方が複雑な刹那に生きていた
いわゆる、抜ける(抜忍)処罰も厳買ったようだが
僕の感覚や聞いた話では
役の行者、摩利支天や猿田彦=天狗、いずな権現など呪術的
な力を崇拝しつつ
香香背男(星の神)寿老人(北斗七星ー妙見)
陰陽師もいたというし
神仏を尊び己の精神的な正心を鍛え修行していた
心の人だと感じます
実際藤林長門守の子孫が(お墓は伊賀西念寺=不思議と四谷の浄土宗西念寺には服部半蔵の息子まさなりさんが眠る)
万川集海という忍術書のまとめに書き残した
ですので
伊賀上野城はそもそも一大聖地平楽寺の伽藍でしたので
焼きはらわれ、お墓も捨てられ
筒井定次が数年後に作ったそうです
伊賀市が上野城で、飛んだり跳ねたりするコスプレ忍者のショーを見せたり
上野城=忍者にしているのは大間違えで
侍や忍、郷土の人はきっと呆れておられます
信長の殺戮と平定(最後は徳川により和睦し、忍や侍は負けていない)したのちに
筒井順慶から主君を何度のかえ、最後は徳川の御伽衆で城造りのプロデューサー藤堂高虎
が作り替えただけで
火を放ち鉄砲で撃ち斬首し廃塵とかし1000人近い人が殺されている
あの場所の祈り場とは無縁な物です
お城へ行く駐車場からの坂道の左に
雑然と集められた、石塔や墓石がお不動様とありますので
御参りください。
伊賀上野城は歴史的にもトンチンカン!な現実!
写真はそんな12人の頭の一人
河合庄 田谷掃部介さんたちが全滅した山城
なんだか怖い霊気というか、お化けとか悪い意味ではなく
彼らの精神的強い意志で戦い、まだいらっしゃいます。
ここに初めて来てから約8年
なんだか懐かしくもある
彼らの聖地です
最近は、山城探検の人々が来ているようですが
僕はお酒やお水や供物を持ち供養へ
竹林や落ち葉も多く、お線香は火が危ないので禁止にしてください。
今の日本に消えかけている
長いモノには巻かれない
宇宙と心の真理と真如と精神力と武芸
渡来系の人々が土着したルーツですが
日本の誉です。
伊賀
伊賀忍と地侍、郷土方々の供養へ
1581年の天正伊賀の乱の
数年前、二度に渡り
信長の息子が伊賀に攻め込むも惨敗
起こった信長が、魑魅魍魎の住む国伊賀を
日本から無くす為、たぬきも生かすなと火を放ち
神社仏閣、僧侶や神主や女子供も殺戮した
裏切った耳洲弥次郎などもいた
有名な伊賀観光局が広告する
伊賀上野城は忍者の城でもなんでもなく
占領後、後からつくられた伊賀にはいらなかったもの
だから伊賀忍者と勝手に結びつけるのは
歴史的にも彼らにも失礼です
元は平楽寺という平家の関係の山の寺
いくつもの塔頭があり
伊賀の高野山のような聖域だったが
ここで1000人近い僧侶や伊賀の民や忍、侍がなくなっている
今も片隅に当時のなもしれぬ墓石や、お不動様を祀るので
ぜひお参りください
ここは河合の、田谷さんのお城
ここで忍びや侍が玉砕(この言葉は大東亜争寺の大本営の欺瞞の、アッツ島で初めて悪用され、全滅を美化した言葉)
強い傲慢な信長にも屈しない
心と武芸の誉
日本人に大切な時間。
延々と供養に山から山へ