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6/4 11:00

空港のカフェで寝ようかとも思ったが眠れず。

街へカレーを食べに行く。
フィジーは実はイギリスの植民地時代、サトウキビなどの労働で来たインド人が多く住む。
街にもヒンヅー寺院やモスクがあり、インド人のカレーがフィジーに根づいた。
だから海を渡る離島の村でロティーやカレーを食べるフィジアンが不思議だった。
これぶつ切りの鳥が入ったチキンカレーで200円。ここはライスかロティを選び、ダール豆
のカレーもついてきた。
最高のごちそう。
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Fiji6/4

朝6時半フィジーへ着いた。
ムクドリの群れが鳴く,独特の厚さと香辛料やゴミの野焼きの匂いがする。
ニューギニアやオーストラリアからの飛行機も一足先についていた。
イミグレーションはごった返し、出るのに40分も並んだ。
これから6時間国内線の乗り継ぎを待たなくてはいけない。
Arrived at Nadi in Fiji on 6:30am
The crowd of the starling barks, and it smells like the open-air burning of peculiar thickness, the spice, and garbage. 
New Guinea and the airplane from Australia also were attaching a little early. 
The immigration queued up for as much as 40 minutes to be jammed, and to go out. 
Hereafter, wait for the change of six hour domestic flight. 
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惑星

我々が外から見る事のできる地球も、海の様な雲に覆われている。
改めて銀河の星の1つにすぎないのだと思った。
外へ出てみなければ、感じられず、忘れてしまった内在するドアを開きに行く。 

旅ってそんなものかもしれない。

 
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佐原水郷女に見送られ

空港で今どき、こんなマネキン飾るんだ と感心。
名前が荒っぽい。「水郷佐原 あやめおんな」 
国賓用の赤いロープに、なぜかあやめは船の中。
15:30のフライトへ向け。
For flight of 15:30
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フィジーへ

今からフィジーへ旅立ちます。

今回はコンチネンタル航空でグァム島経由です。
明日の早朝フィジーへ着き、国内線を5時間待ち、小舟で1時間かけ島へ向かい、到着は明日の夕方です。
フィジーは衛星回線も全てがゆるいので、ブログはアップ出来るかわかりませんが、やってみます。
短い滞在なのですが、村の子供達を含め写真集をまず撮影した海へ広げて,海へ見てもらいたいと思います。静かに身も心も潮流の中チューニングしてきます。
では皆様もよい一日を。
Now be going fiji.
transit guam from nadi fiji for about 10h.
see you !
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Fijiへ

写真集の報告をかね,もうすぐフィジーの離島に行く。
どういうわけか、10年前から決まって6月に行っているが不思議だ。
南国ながら、雨の日や木陰は肌寒いから、毛糸の帽子やジャンパーをきた村人も多い。
なにより皆なんだかおもしろい。
そのなんだかがよくわからないのだが、純粋な人間力がある。
おかしな電子レンジのない国へ。
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青墨

正直ここは怖かった。人が入ってはいけない領域の感もあった。
水がヌメットして微細に動く感がした。
水深は2m。 浅い場所で崩れる波動はそのパワーが早くて固い。
常に流れと位置を確認し、あまりに怖くお祈りと呪文を唱えた。
鮫の巣があると村人は言う。
危険なタイガーシャークなどの回遊性の鮫は巣はもたないから、よくいるという事だろうか?沖のほうを目を凝らして見つめた。
夕暮れは危ないのだ。
大波が来たら、白い海底までもぐって珊瑚の岩に身をよせよけるだが、あまりせまいところへ行くと引っかかって出れなくなる為、極度の集中力と緊張感が充満する。
夕暮れスコールが一面を覆うと、まるで水墨がのような景色の中、雨の水滴にうねる水面は
生きているようだった
波は沖から続々と島の形にそいながら、弓のように迫った。

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南へ

写真集も刷り上がったため、撮影してきた海へご挨拶に行く。
村の小学校に1冊置いて子供達に見せてあげたい。
夏に大阪,東京で同時期に展示会もひかえているので、長くはいけないのだが、地球の音しか無い場所に溶け込みたい。
月日と共に波の写り方も変わるのが不思議な事だが、写真も心のありようなのだ。
妖精の話や南十字星を司る神様はどなたか?村の古老に聞ききにいこう。
トンボの様な飛行機で海岸づたいを飛ぶ。高度が低いから鮮明な景色がよりよく見える。
島が無ければ空と海の境界線が見えない場所。
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サモアで

サモアの田舎
夕方、近くの湧き水のある場所に、村人は水浴びに来る。
子供達は何をしても自由で楽しそうだ。
長い時間、素足で踏み固められた土の坂道を家路へ向かう2人。
遥かな土地で同じ時間を生きる彼らに出逢うたび、大切なメッセージを教えてもらっている。それは人として、この地球と寄り添う人として素直でたくましい姿。
「足るを知る」そんな事を憶いだした。 
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セミさん

おやじさんの名前はセミさん。54才の芋やキャッサバを作る農夫。
初めて逢ったのは今から9年前。以来村へ行くとまず探す。
ひょっこり村で出逢うと満面の笑顔。
胸の刺青は何故かじゃんけんのグー!
ある日村の集会場で逢ったから、カメラをまわして海について聞いてみた。
「セミさん海ってどう思いますか?」
 マイクを自分で持って話し始める。
「えっ? 海か?海な。うんきれいでいいぞ〜ナイスだな! ナイス!」
「え〜今日は俺の54の誕生日なんだ」「今日ね今日」
 「ほんと! おめでとうございます」
「うんうん おめでと〜ございますな」 
自分でおめでとうと言い皆大笑い。
「いつかえるんだ?」 
 「あと1週間かな〜」「そうか うんうん」
「お〜今日は俺は幸せなんだ!〜」
と、いう訳で皆幸せな、まったく違うインタビューになった。
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京都で

京都サンエムカラーの松井会長のご自慢の作品ギャラリー。
源氏絵巻や親鸞上人の直筆の文の復刻など、美術印刷に関しての技術と研究心はすごく。
宮内庁の書や仏教界の書画など、おそらく日本でここまでの技術を持った方々はそうおられないでしょう。
1刷りは水性のカリードインクという特殊なインクで東京で刷り上げました。
実は1刷りは世に200冊しかありません。難しすぎこれしか出来ませんでした。
印刷は写真とは、全く違う紙やインクなため、青の色出しの難易度が高くそれは大変でした。
2刷りは5色の油性インクで京都で新たに刷りました。印刷物は全てマゼンダ、黄色、青の三つの色のを小さな一つの点にして、その微妙な重なり具合(ルーペでよく見ると3色で1点がクロバーの様に重なってます)で色が決まります。
人間の目がごまかされているのです。
よくいう何線とは紙に何列、三つの重なりあうインク粒の線を引くかという事です。
又通常マゼンダを引くと、他の色を引っ張るんですが、この写真はそのままマゼンダが無くなるといった、今迄の印刷では考えられない色の構成(撮ったままですが)が判明。
それはそれは大変でした。
ある意味透明とも、青しか情報がないともいえます。
BLUE FORESTはこの写真に写る、ファイヤーキングカフェで最初に写真を購入してくださった熊谷さんと、2人で創ろうと始めたのが、今から2年前でした。
素人の2人がこの本だけを売る為に作った出版社で、最高峰の技術を持つ皆さんと作れた事はミラクルでした。
未来へ残る波の図鑑として、コンセントも必要ない、改めてめくっては眺める間を楽しんで頂ければ幸いです。
美しい苔の上に落ちるもみじは、やがて分解され苔となり、1部はもみじに生まれ変わります。
1本の木が生命圏を創りだす宇宙を表す様に、限りある地球の青い物語りがいつまでも続くように願います。
1本の見えない青い線をみすえながら・・・・
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印刷所

11月から12月にかけ、京都サンエムカラーさんへ。
今回の西ドイツ製ハイデルベルグという高級印刷機は1枚を5種類のインクで刷って行くのです。5台には色の違う5種類のインクがはいり、それを現場の方々が5台の機械の間に入りながら、ライトテーブルのPD(色のディレクター)さんが微妙な色指示を出し仕上げて行きます。
紙は乾くとインクを吸い込む為、その時々の紙質と厚さを経験値で変えながら、インクを山の様に立たせています。立たせるとは盛るともいわれ、インクもたくさん使用し難しい技術ですが、写真に奥行きがでるのです。
小さなルーペで除いては色のバランスをその都度かえる感覚的な仕事です。
下の写真の銀の板は版下で、1枚の写真に5枚もの板が必要で、それぞれに異なる色情報がのっています。
絵師、摺り師、彫り師、や全体のまとめ役など、実は数百年前の浮き世絵の制作となんら変わっていないのが、驚きでした。
テストプリントの最後に写真家がOKのサインを1枚1枚に書き、本印刷に入る念のいれようでした。
この写真集は紙から製本まで、日本の職人さん達のすべてハンドメイドで創られました。
ずっしり重いのは紙の厚さとインク量が同等のものより多いのです。
おかげさまで、贅沢な写真家みよりにつきる、写真集になりました。
出版社も6年前のファイヤーキングカフェで、個展中に写真を通じ出逢った方と2人でこの本の為だけに作りました。
従来の本の世界にはない手法な為、一般の書店には現在置いていません。
0〜始まった10年後に1つの形が残せた事、人、海に感謝です。
また新しい10年が始まりました。
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写真集が出来る迄

この写真は2010年3月1日
我がスタジオで写真を広げ選抜中!10年間の中からここまで選ぶのも大変な事でした。
作者の過度な思い入れがないよう、ナチュラルに選ぶためみなさんにおまかせしました。
アートディレクションをお願いしたForm Processの八木さん、立石さん。
アップフィールドギャラリー&現像所マネージャー 上野さん
吉川紙商事 山本響さん
皆様ありがとうございました。
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5/10 kamakura

午後思い立ち鎌倉へ向かった。
地震以来初めて入る海。
濃緑色のみなもに墨色の雨が降る、美しい時間だった。
仲間達にも逢え、暗くなる迄水の中にいた。
心身ともにクリアーになった。
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Honolua

マウイ島のホノルア。2003年12月頃
サーファーにとっても島の人々にとってもここは聖地。
毎朝1時間かけ、宿からここまで車を走らせた。
初めての日地図を見ながら道を探し波を探した。
サボテンのはえる、赤土の崖の上から見える光景に息をのんだ。
眼下の波が長くでかい。人はゴマ粒だ。
しばらく観察して、はたして泳いでしのげるのか?考えた。
限界も限度の線がまったくないのも自然だから、最終的には自分で決める。
怖くないと思わない時のほうが実は少ない。
決めたら行く。
約束事は作らず、感じたままその場に沿って行く。
少し無理をしてダメだと察知したらすぐ戻る。
気持ちを常に前へ。
気持ちの整理がついたら、崖を降り波のタイミングを観察し沖へひたすら向かう。
下の写真はローカル寡黙なレジェンド。
波のいい日は必ず沖からいい波に乗る。
誰も泳いでいないから怒られるかとも思ったが、何日かして笑ってくれた。
人より強い地球に入る人々がいる。
こうした場所があることは、この星に大切な最後のメッセージなのだ。
再び海岸へ戻れるよう、感覚も体も心も偽りは捨てなくてはいけない。
海は余計な頭の隅々のジャンクな悩みを取り去ってくれるものだ。
夕暮れ、独りいくつものヘッドライトとすれ違いながら暗い道を引き返す。
この小さな島の何処へ帰るのだろう?
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Honolulu

ホノルルは到着口が暗渠の下。
まるで日本橋の頭上にかかる高速道路のようだ。
このカート必要なのか?
海外はカートはみな使いっぱなしでかたずけないから、こうした方がいる。
日本人のように元に戻すという観念がないのだから、かたずけないくていいシステムになっている。
カートのデザインもさることながらワインレッドのラインなんか、日本じゃいれられない。
7、80年代のアメ車のような遊び。
この余裕の違いは戦時中と何もかわらない。
戦闘機に裸の女性の絵を書くなんて、アメリカはすごいと思ったと語った方がいたように、
なにもかも違うのだ。
カートを集めるカートにのる、大黒天のような黄色いおじさん。
今では気持ちも楽しくコンビニエントに来れるこの地だが、かの大戦でこの未知の地で命を賭し、落とした若者達を憶うと、複雑な気持ちになる。
真珠湾には今もその当時の漢字で書かれた零戦の部品や、飛行帽などの遺品が展示されていた。
平和な時代「だましうち」と言われない国にしないといけません。
国民を歯に物が詰まった言葉ではぐらかす、今の日本の政治家先生へ アロハ!
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波が無い時は村を散歩する。
どの家も鮮やかなセンスで塗られた色で、すぐに自分の家だとわかる。
偶然、村の仲よし家だとわかりおじゃました。
紫色の家。末っ子もみな裸足。
シャイだがなんだかカメラに興味があるようで、大きな目でみつめる。
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パサール

インドネシア語でパサールと呼ぶ市場、入り組んだ路地に様々なお店が並ぶ。
ここを見つけてからは、波を泳いだ後には必ず遊びに行った。
乾物屋や八百屋、お菓子屋さんなどごちゃごちゃしながら、皆楽しそう。
おっ又逢ったね、さよならね。とあるべき場所にある、言葉と優しさ。
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ジャワ島ジョグジャカルタから陸路10時間。
地図で眺めても、なぜそんなにかかるのか?
走って納得。道がボコボコだからゆっくりなのだ。
のどかな風景。子供達が手製の凧で遊んでいた。
お互い毎日海岸にいるから、見つけると自然となんだかうれしく、懐かしくて笑ってしまう。インドネシアのこどもはジャッキーチェンが日本人だと思っているから、必ず「きめ」のポーズでご挨拶。
湧いたように現れては消える外人へ、彼らの挨拶と純粋な心にうたれる。
ここはいいレギュラーの波が立つ。
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記憶

肌に暖かさと潮風を運ぶ朝の太陽が、射るように海面に道をつくりながら届いた。
ネイティブは太陽の力と存在を崇拝していた。
全ての部族やネイティブ全体の血と物語が絶えぬよう、その平和と存続を崖の高みに登り祈ったという。
今では後から来た白人により、虚偽と力で征服され、居留区とは名ばかりの「いけす」
にいれられてしまった。
それが今の合衆国なのだ。
荒涼とした乾いた岩山から見ていた時間。
海があれば同じ様な景色なのかもしれない。
日本人はきっと緑の山から同じ太陽を見、祈ったのだろう。
太陽だけが知る記憶。
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竜宮 萬物萬象

竜宮神社。稲取の岬の海を見渡す山に佇む。
この土地に住む人々によりひっそりと、大切に祀られて来た山径には、江戸時代の頃に鶴と寄贈者の名前が掘られた石碑がある。
入り口の横には海難者を祀る石塔があり。
置かれているのは日向夏(別名ニューサマーオレンジ。ずいぶん荒っぽい和製英語だ)。
宮崎県のある邸内で1820年に突然現れたと言われている、ゆずの仲間。
中の白いふわふわごと食べる食べ方で、味は酸っぱくない薄甘いゆず。
今迄気づかなかったが、行者の方も足を運んでいるようで、ふと熊野の大峰山の札が貼ってあった。
この地球や宇宙の全ての存在と全ての事象という今が、良い方向へ互いに向かうよう、祈願されていた。易経の大自然の真理天道の源からきているという意味だろう。
ユングは森羅万象はシンクロニシティー(共時性、同時性)に通じると書いていた。
例えるなら、全ては点と点であるが、高いところから見れば円であり、またそれ自体も点であるわけで、中にあるとも、外にあるとも言える、類。
でも個人的には「ひゅうがなつ」と呼んで欲しい。
まだ見ぬ南国にたわわになる木の姿と香りを想像したい。
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漁師

引き潮の日、仲の良いおばちゃん達に逢った。
潮の一番いい時間に(なんでわかるのだろう)いつもやってくる彼女達。
今日はいつもの5人チームの刺し網だ。
水の中を服を着たまま、自在に動く。泳ぐのではなく水に慣れている。
捕まえた魚は網から外すと、泳ぎながら頭の辺りをがぶりとやり、とどめをさす!
野生のそのまま、笑った口の周りは血と鱗で光る!
逃してたまるかという生きる力を感じ。
スパーもない島でテレビを見てから、きままな時間にいっては、潮が満ちご飯は抜きな訳だから。
なにより皆海の中でも笑っているくらい、楽しみな時間!
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3 table beach

ハワイ オアフ島 スリーテーブルビーチ 2003年 冬
波音の夕暮れと子供達の声。
海岸に蛇行する足跡が消されても、その足跡はしっかりと覚えている。
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現象

高床式の宿の横を流れる川にスコールが来た。
南洋のある部分だけに起こる、雨や様々な自然現象。
川も、椰子の木も、雲さえも力ずよく生き、空気も水の分子もきれいなせいか、
便利な街ではわからない、景色と時間がここにはある。
地球が反応し感応しているのだと感じた。人は小さな存在なのだ。
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Hei wa

平和
どこまでも続く、調和と幸せ。
むかし西オースラリアのパースの海岸に二週間いたことがあった。
夕暮れと風で光る水面に三つのヒレが移動していた、遠いながらもイルカだとわかった。
なんだかまた逢える気がした事も忘れ、自分が何処へ向かうのか?自分は何者なのか?
そんな事を海岸に座って、本を読みながら瞑想していた。
そんなある日ゆっくりと岸の近くを3頭のイルカが泳いで来た。
そのうちの一頭のイルカが群れから離れた。
砂浜に乗り上げるようなスピードで向かってきた。
崩れる波で白いお腹をみせながら反転し、顔を水面からだ出した瞬間目が合った。
立ちすくみ驚きながらも、体の中になんともいえない暖かな幸せ感が広がった。
人より400万年前から生きてきたイルカや鯨が、人より劣っているなど思えない。
とライアルワトソン博士は言っている。
イルカとの言葉の辞書を作った(声紋がないから噴気口で音を出す)
ジョンリリー博士もイルカの叡智を秘めた知能と感情に魅せられた。
あの目を見ればどうもただの動物ではないのは明らかだ。
僕は魚も感情があり、様々な事を見て考えていると感じてやまない。
この地球には、自分の頭で思っている以上にたくさんのギフトがまっている。
だから旅を夢中でしないといけない。
様々な時間と雨音の中、生物の声や姿を観察し
彼らの住む水中の山である珊瑚の渓谷を見
海や水にも生命がある事を感じていくと
いつのまにか自分も、よそ者ではないのだと知るだろう。
いつからか旅に慣れ、随分と先の事を考えてしまっていたようだ。
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Samoa house

サモアの伝統的な家。
壁も無い風通しのよい家、古い家は全て木造だが、最近はコンクリートで床を少し高くした
家も多くなっていた。
どの家もカラフルな色で塗られ、庭には様々な花が手入れをされている。
フィジーには庭の手入れという慣習は無く、芸術的なセンスを感じた。
二年ぶりに逢った仲良しのおばちゃんの家は驚いた。
サーフキャンプに世界中のサーファーが持ち込み、置いていった雑誌を短冊に切っては、天井からつるしていた。
物があまり無い分、買っては捨てる文化の人々に、捨てられてしまう本もくして美しい芸術の空間として残った事にハッとした。
朝と夕方、使い終わったのペットボトルに泉の水をくむ子供達の姿。
これで十分なのだ。
サモアにも数年前津波が襲った。どうしてるか心配だが、連絡手段のない彼女達に逢うには行くしかないのが現状だ。
Traditional house of samoa. 
The house where the floor had been raised with concrete a little had increased recently though a house where ventilation without the wall either was good and old houses were all wooden, too. 
It is painted in the color with a colorful any house, and various flowers are being maintained by the garden. 
There was no custom of maintenance of the garden in Fiji, and I felt an artistic sense. 
The family of the aunt of the friend encountered after an interval of two years was surprised. 
When a surfer all over the world brought in to the surf camp, and the put magazine was cut in the strip of paper, it hung it from the ceiling. 
It made it to the thing that remained in people of the culture thrown away as a space of the beautiful book art thrown away with  when buying it to the extent that there were not so many things. 
Appearances of children who finished using and drink water of fountain to PET bottle in morning and evening. 
Enough by this. 
The tsunami overcame samoa several years ago. Being able to do nothing but being to go is a current state to meet them who do not have the contact method though it worries how about it does. 
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Water Tank

サモア諸島でスコールの直後の虹。
蛇行しながら海にそそぐ河口もこの虹も、昔のままのあるべき場所にある景色だった。
村人は水をこの川のから湧き出る泉でまかなう。近年この村にも環境や人体に害のある、ごく普通の合成石鹸がでまわり、人々はその美しい水源地の泉で体をあらい、洗濯をしている。これは今、世界中の美しい辺境の村で起こっている問題なのだ。
それでも彼らに頭ごなしに悪いといえない。
なぜなら売っている石鹸や洗剤はそうした種類しか無く、何も誰も教えてはくれない。
彼らにとっては普通の事にすぎず、一昔前の昔の日本と同じ姿なのだ。
 もっとも日本のように、この世にはないはずのケミカルな原子力発電所はないので、まだまだ取り返しはつくのだが。日本には54の原子力発電所がある。
人は一度でもクーラーの効いた部屋にはいり、TVをつけたらもうその中毒になる。
電気製品への依存症も現代の病なのかもしれない。
サモアの石鹸と同じく、その使い方と、意識を変える必要が今の僕たち日本人に必要なのだと改めて思った。
あの手この手で次ぎから次へと消費させようとする、企業のジャンクな品々が地球をダメにしているといっても過言ではないだろう。
日本人が今回の事で、過剰なネオンや便利を手放し、今の暮らしを2〜3割おさえ、物質世界との距離を置く時期なのかもしれない。
 水や資源がどこから来ているのかを思う時、結局はこの地球という囲われた水槽のボールの中に暮らす他の国の人々へも責任があるのです。
 山から来た水を古来日本人は、若水(おちみず)と呼び尊んだように。
地球の静かな場で、5感6感で感じる間が失われていけば、自然から心は離れてしまうのです。地球は1つの生命体であるガイアだと説いた、ジェームズ ラブロックを初め、ネイティブの人々が語り継いで来た物語りに、心と耳を傾けていきたい。
例えるなら水槽で飼われているのは魚ではなく、実は人間が飼われているのかもしれない。
二度と海に戻れない彼らのすみかである国、珊瑚礁へ、シアン化合物や、洗剤の毒薬をまいては捕まえ、水槽にとじこめてはいけない。
 
 誰かに教えられる事ではない、既に知っていた時間へ心を傾けるだけ充分なはずだ。
地球の他の人々や子供達、海の魚達や、宇宙の他の星々に対しても僕たちの行動は責任があるのだ。
 被災した方々へ、皆さんの暖かく強い意志を送ってください。僕も毎日送ります。
It is a rainbow just behind the squall in samoa islands. 
The mouth of a river poured into the sea and this rainbow were certain sceneries in an old evading place had  it meandered
The villager covers water in the fountain that springs up from this river. It is harmful to the environment and the human body in recent years also in this village, and people are rough, and washing its body in the fountain on the beautiful head of a river ground appearing on the market of very usual synthetic soap. This is a problem of happening in the village in a beautiful all over the world, frontier now. 
It cannot be said to them it is bad for mercilessness. 
Because sell soap detergent such kind provide anything every teach.
It is the same appearance as old Japan before the age only a usual thing it for them. 
Chemical that must not be to this world like Japan though get back attaches still because there is no Nuclear plant. 
Japan had 54 Nuclear plant.
When it needs to the room where the AC works even by one degree, and he or she applies TV, the person has already become the poisoning. 
The dependence syndrome to the appliance might be a modern sickness. 
The necessity for changing the usage and consideration thought as well as the soap of necessary for we Japanese today because it renewed. 
It is not an exaggeration to say that it tries to consume from following by variety as follows, and goods of ..junk of the enterprise..  might make the earth not good. 
The Japanese might be this time, and be time when excessive neon and convenience are parted with, a living today is pressed 20~30 percent, and the distance with the material world is put. 
After all, when thinking where water and the resource have come, it is responsible for people in other countries that live in the ball of this water tank of earth. 
 If the Japanese can begin to think while it naturally entrusts them with the mind, I think going in a direction good as flow. ma= 間
The Japanese must call the first water drawn on OCIMIZU and respect the water that had come from the mountain from old times. 
If feeling it by five feeling six feeling in is lost in the place with only the voice in the earth, the mind is away from nature. The earth wants to listen to telling that native’s people have handed down with the mind when James lovelock is begun at the time of said one Gaia that is the life.  
As for keeping with the water tank, it is not a fish, and man might be actually kept if it compares it. 
Fhish’s cannot return to sea. Do not reel, do not capture the poison of the cyanide and the detergent, and do not confine it to the coral reef in the water tank. 
 
It is not what is taught by someone, and only giving one’s whole mind to the time that had already been known must be enough. 
Our behavior is responsible also for other staers of fish and space in other people, children in the earth, and seas. 
Please send your bright light, gentle mind to the struck people. I also send it every day. 
Arigatou
sorry poor english
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Australia

オーストラリア バーレーヘッズ。
1989年にここでライフガードの資格を所得した思い出深い場所だ。
その後はバリ島の宿とこの海岸沿いの部屋を行き来していた。
海岸ずたいに遠くに高層ビルの見える、田舎街の中なのだが
特別なエネルギーを感じる場所の1つ。
岬はうっそうとした山で、うねる様に道があり。ここを散歩するのも楽しみだった。
2001年に波の撮影もここから始まった。
太陽が道となり何かを伝えていた。
Bureigh Heads in Australia
The place here in 1989 where memories that the place is gained are deep as for lifeguard’s qualification. 
It came and went in the hotel in Bali and the room along the coast this afterwards. 
It is one of the places where special energy is felt though it is in country street where the skyscraper is seen coast far away. 
There is a road as the undulation of the cape in a dense mountain. Strolling here was the enjoyment. 
Taking a picture of the wave started here in 2001, too. 
The sun became a road and something was told. 

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Trees

昔フィジーの空港で逢い、偶然にも向かう島も一緒だったハワイアン達。
そんな心優しい彼らの誘いで、毎年の様に太平洋の小島で待ち合わせる事になった。
唯一の待ち合わせ場所の条件は、波のある島なのだ。
この時はそんな彼らの誘いで、ハワイの家へ泊めてもらい、数日後南下すること5時間。
1泊しさらに乗り継いで1時間、車で3時間。伝統的な暮らしを保つ懐かしの国サモアについた。海をのぞむ砂州と河の横の小さな木の宿に泊まり、同じテーブルで世界から吸い寄せられる様に訪れたサーファー達と暮らした。
時には数日、数週間とすれ違いの中、波を求めて彼らは様々な国からやってくる。
夜には、世界中の波の情報交換の話をはじめ、「ロールする波にもっていから危なかった」
「鮫とイルカを間違えた」など笑い声の中、
皆輝く眼差しに未知の波と喜びを写す彼らは自分自身でもあるのだ。
消え行く太陽と、あるべき場所にある椰子の木々。
虫やかえるの鳴き声、水面をたまにはねる魚の音など、の地球の音に包まれると、街で人間が作った物の音や、看板などの電気の色が、いかに異物なのかを改めて知る。
もちろん人間とて自然の生き物にとってはやっかいものなのだが。
自然とて不自然な言葉なのだが、
人はそのなかに身を置く事で大切な物語を憶いだしているのだろう。
It encounters in the airport in Fiji in 10 years ago, and Hawaiians with whom the island faced by chance was the same. 
Such mind excel invite every year small islands of Pacific Ocean meet.
The condition of the only meeting place is an island with the wave. 
Take in in the house in Hawaii by their such invitations, and this time for five hours that go south in several days. 
At three hours in the car of one hour one night stay change in addition.
It attached to country [samoa] of the bosom oak that kept a traditional living. It lived with surfers who had visited so that it stayed at the hotel of a small tree on the side of the sand bar and the river where the sea was faced, and it was attracted from the world with the same table. 
They come from various countries for the inside and the wave of several weeks of several days at times and passing each other. 
Night
all over the world wave information exchange story 
including roll wave have dangerous
shark dolphin make a mistake laughter
inside all shine eye difference unknown wave please opy own.

The sun that disappears and goes and having trees of palm in place. 
It knows how the sound of the thing that man made in the town and the color of the electricity such as signboards are foreign bodies when wrapped in the sound in the earth of the sound etc. of the fish that occasionally hits insect and frog’s cry and surface of the waters again. 
Though man is the troublesome one of course for the living thing of nature. 
Though nature is an unnatural word
The person might begin to think of an important story in putting the body on the average. 
Thanks so much , Surf Junkys.


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Beach

ノースショアでキャチボールをする子供達は、幼い頃から海とその環境に溶け込んだ自然な
風景の中にいた。
荒れた海の波音と彼女達の笑い声だけが聞こえた。
大事なものが旅へでると、あるのだと気づく。
都会にいても、ノースショアの路地裏にいても、僕は僕なのだが。
Children who did kyachibo-ru in North Shore were in natural scenery that merged in the sea and the environment from an early age. 
Only surf blake in the troubled waters and their laughter were heard. 
Even in the city , even the North shore Hawaii in the back ally ,but i’m a mine

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aloha

ノースショアの海岸に描かれたALOHA。
ハワイの言葉で、感謝とか呼吸を合わせるという意味を2文字で表すのだが。
文字より先に言葉があったのだとすれば、またそれは情緒があるものだ。
 言葉はその場にとどめる事は出来ないから、言葉をそこに持続させ置いておく為に
文字が生まれた。と何かで読んだ。
 ある場所で多くの人々が同じ様に心地よさや、美しさを感じた時、その場に捧げる言葉を
海岸を始め、地球はまっているのだと思う。
ALOHA drawn in shore in North Shore. 
Though the meaning of matching thanks or breath in the word of Hawaii is shown by two characters. 
There were words earlier than characters and it is the one with the emotion. 
The word was continued there because the word was not good at the thing stopped in the place and the character arose to put it. It read with something.  
When a lot of people feel ease and beauty similar in a certain place, I think that I start the coast, and wait for the earth of the word dedicated to the place. 
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時間は、どこかで生き続ける。

人の人生の絵巻の様なもを、アカシックレコードどいう。

その巻物にアクセスすると、いろいろと生きてきた過去や宇宙が見えるらしい。
「宇宙の創造や人類の歴史を含む森羅万象の情報が蓄積される、魂が綴る記録の概念であり、アーカーシャに写る業(カルマ)の投影像とされる」
10年前のノースの写真でしばらく話していきたい。
この80年代のクライスラー、車に物を残すと根こそぎ盗まれるのも悲しい現実。
とくに海岸線のメインロードと海の間のケヌイロードに、レンターカーなど止めたらいけない。地元のロコだからここまでやっても大丈夫。オープンカーで波乗りなんて絵図らがいい!
数年前機会を頂きレジェンドでヨーギマスタージョンペックと旅へでた。
サンセットビーチの木の上に住んでいたらしく、70年代のモーブメントの中にどっぷりピクルスになった、伝説のじい様。
ひげの仙人のような姿に、20kgものキノア(つぶつぶの食べ物)や枕を2つ持参。
「ペックなんでそんなでかい枕2つももってくるの」
「これか 昔LSDのとりすぎで宇宙からの電磁波や、変な声が聞こえるから両耳を挟んでこうして寝るんだ」
「キノアとよぶこの食べ物はマヤ人がエイリアンからもらった、エナジーフードで〜
宇宙からの声を私たちは聞くことで〜 体は自然に神からの声〜」と延々意味不明な話
「ほな枕はいらんよペック、音はあんたの中におるけ、もうそんなよーけ荷物もたんでええわ」と時空を超え広島のおばちゃんが言う。
独特なシタールの様にギターをつま弾くペックの音は、憂いと人生がつまった生き様だと感じた。今でも録音した音をきく度、なんだか本を読む様に彼の時間を感じるのだ。
やはりオリジナルがいいのだ。こういうじい様になれたら幸せだ。
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Pipe Line 2002 Dec

かつてここはバンザイ パイプラインとも呼ばれた。とにかくもうバンザイなのだ。

ここの海底は、珊瑚の固い入り組んだ岩盤の為、強烈なほれ上がった波が立つ。

2002年の冬に初めてここで泳いだ時の写真。
さらに奥にいるサーファーは、大きく息を吸い込み波の下をかいくぐろうとしていた。
ヘルメットして泳いでいた僕も、この後3つの分厚い山の塊に飲み込まれた。
特に潮が引いた時は入るべきではない世界で最も危険な場所。
ここで泳いでおかないと、と思い立ちとにかく挑戦した日が懐かしい。
 

Pupukea Beach

今から9年程前、冬のハワイへ通っていた。
パイナップル畑と赤土で染まった真直ぐな赤茶の道が現れると、遥か彼方に白波の立つノースショアが見えた。まるで止まっている様な白い波。
独特な雰囲気と潮の香りで、なんだかわくわくしたものだ。
初めて泳ぐノースショアは、それはそれは怖かった。
12月のクリスマス頃だったと思うが、雨とストームが近づき海は荒れ、誰も水の中にはいなかった。
日本では見かけないが、オーストラリアに住んでいた時にを憶いだした。
金属探知機で海岸を歩く人。
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海岸のモラル

ラトヴィア旧市街は石畳と古い建築物を残し、それは美しかった。
そして不思議とゴミが落ちてない。街の至所の建物の壁にタバコ用灰皿やゴミ箱がさりげなくあり、海岸も数百メートルおきに大きなゴミ箱があった。
ゴミ箱に捨てない人はいるのだろうが、最終的にはモラルなのだ。
日本もこうしたゴミ箱を置けばいいのだが、公園もしかり、関係ないゴミを捨ててしまう人がいるので、税金でまかなう関係もあり、積極的には置こうとしないようだ。
夏の湘南の花火のやりっぱなしのかすなど、自分の部屋ならともかく、他の場、つまりは海や山への憶いと、個々の精神性が低いのだろう。
 飛ぶ鳥後を濁さず。
国は違えど海は繋がっている事を忘れずに。
そしてなにより強く美しいこの地球にふれる事で自然と教われる事なのだが。
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ラトヴィア インドカレー 

数年前、ラトヴィア共和国へ招待をうけ展示をさせて頂いた。

驚いたのはインドカレーがこんな遠くにもある事実。
変な鉄格子を開け、薄暗い路地裏半地下のインドカレー屋へ警戒しながら入る。
客は誰もおらず、金ぴかブッタならなんでも設置し、どこかイギリスに植民地化された感の内装。日本のカレー屋で働く方々は実はネパール人だが、ここはほんものマハラジャだった。ランチ価格なんて海外にはないので、おそるおそるレジへ向かうと35ドル。カレーは丁寧でうまかった。
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25〜27

 手前が牛で奥が羊。どこへいっても外来種羊の数の多さと寒さには驚いた。国全体が牧場のようだった。帰国に向け街の宿を予約し、フードコートへインドカレーを食べに行く。

日本人に身近な仏教も仏も、そもそもインドから人の手で輸入された思えば、インドカレーに足が向くのも自然なのかもしれない。
 もっとも空海が密教と同時にインドカレーを広めたら、村々で小麦でチャパティーを焼いていたかもしれない。わらじにもんぺ姿のお百姓や、花魁が袖をまくり、カレーを右手で食べる姿は粋なのだ。弁当も平面な三角のおにぎりではなく、三面体のサモサでもいいもんだ。仏像もしかり、この立体的な思考がうまく神道に混ざったのだろうか?
まだ暗い4:00に飛行場のカウンターに行くと、またもやオーバーチャージ!
冷たい銀色の台になんとなく優しく置くが、冷たいデジタル計が冷酷にきっちり計量。
オークランド〜成田で350ドル頂戴と言われた。(10kgオーバー)
今回、行き帰りでオーバーチャーが全部で5万円もかかったのは痛い。
ほとんどはニュージーランドの出入国で発生!した。
 フィジーでは、まるでタロ芋を計るように雑談を交え、60ドルおまけしてもらい80ドルになった。そんなフィジーがやっぱり好きだ。
 
 カツオ鳥が何処からともなく現れる。生きた森も生きた海とも別れ、電気仕掛けの飛行機の中に密閉され、運ばれる中、食後に年配のスチュワートの方に、チーズとワインはいかがです?と聞かれた。
酒も飲めないしいつもならお断りするのだが、なんだかそれもいいかなと、受け入れる。
 途上、荷物を失された場合を考え、手荷物に入れた、マジックで日付けを書いた、冷たい金属のフィルムを見ると、海に共に行った唯一の証しのような気がした。 
 帰国後、数年ぶりに逢えた写真に笑うリックは、なんだか大笑いする仏像のようだった。
なんだか懐かしくなり、なんども戻りたくなるのだ。厳しい波の中から戻り、彼らに逢う事で僕も救われているのかもしれない。と思った。
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6/24

 海外に行くと日本では感じられない自然への緊張感を感じる。
この海岸は車を止めた場所から、海岸はこっち。と手書きの看板をたよりに、羊の群れがいるぬかるんだ山の斜面を歩き、牧場主の私有地に迷い込みながら30分程で着いた。
こんな辺ぴな場所に、本当にサーファーは来るのだろうか?
橋の無い川を渡りごろた石の海岸へ出ると、アフガンやネパールの山で見る死者を祀るケルンの様な石組みがあった。冷たく吹き付ける風のこの場所で、初めて人のいた時間を感じた。
人けの全くない濁った冷たい海と、打ち上げられた巨大な海草を見ると、食物連鎖の頂点にいるホオジロザメの存在がちらいついてならないから、泳ぐのはやめた。
 延々と澄んだ空とも空間とも言える、海より上の部分から吹き付ける風は、遠く地球の海原を旅し、この場所を通過し山へ向かっていった。
 なんだか訪れた人々の様々な憶いの残る、不思議な場所なのだと感じた。

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6/24

幾重もの雪の残る山を超え波を探しに海岸へ。
冷たい風が吹き付ける海岸に、波は無かった。
山を通じ川から流れてきた石が、途方も無い年月の中、均等に薄く円くなったとはいえ、理屈を超えた静かな美しさを感じた。様々な色の冷たい石を手にとり、指でなでると石の暖かみを感じた。

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6/23 

春が近いとはいえ日本の真冬の寒さ。小さな小屋でオイルヒーターを入れたまま毛布にくるまる。星に見られている様な夜空。
真夜中、ポッサムがグァー、グァーと鳴き屋根を歩く。
海岸へ犬と行くが潮がさらに引いていた。

 先住民族 マオリの資料館へいく。山間の極度にローカルな場所なので地元の人がいないとわからないが、展示物は歴史的な価値のある物が多く素晴らしい。
パワーを秘めたクリスタル、緑色のジェイドで作られたティキや戦いの斧を始め、釣り針は巨大な鯨などの骨を用い。 神の杖や人形など呪術的なシャーマニズムとアニミズムといった、フィジーや日本にも共通する、自然や自然の神様への畏敬や感謝の想いに、はるか昔の地球の話しを改めて憶いだす、時期なのではないのだろうか。遠くイヌイットの人々とも通じるのは、中途半端なハイブリッドカーもおばかな電子レンジもない、強い地球を感じれた時代の、生きて行く為に自然発生した行為そのもなのだろう。
コンセントや電波に囲まれた日本人にいい事なんてないわけで。
Fish&chipsを注文したが、量もしかり、オイリーな塩塩chipsを、慣れた手つきでチャップ袋を開けては、ほおばる知り合いニコさんの姿に、フィジーの子供とは明らかに異なる環境に又はっとする。
幼いころの見るもの、聞くもの、感じる物は大事です。
追伸 ミュージアムの方へ
入場料400円安すぎます。
なによりも、もうすこしきっちり保管したほうがいいぞ! と ここで働くオーバーオールにモヒカンの兄さんに、神様の杖が言う日が来る事をねがう。
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