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知る

競技や技ではないサーフィン。
やらない人からみれば、サーフィンは呼び名も含め軟派で軽いイメージなのだが。
間違いなくスポーツではない命がけの行為に、敬意をはらわざるえない。
そして自身も彼らを見ていくうちに、競技もサーファーさえも撮らなくなっていく。
思えば自分なりの海との向き合い方を知る為に、ハワイに来ていた。
それぞれの時間。
それぞれの海。
流れにそって。
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世界中のフォトグラファーが、巨大な望遠レンズで一列に並び撮る。
一度は並んでみたが、レンズの先は同じサーファーだと気づき
2日目におかしくなって笑った。
だから以来このての撮影はやめた。
やってみないとわからない。
自分に合うか合わないだけの簡単な事。
海に違和感がある接触はしたくない。
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戻る

昼頃目覚めた。
雨も上がっていた。
やはり、溺れた海に戻る必要に押された。

この時が一番気持ちが重かったが、このまま逃げたら終わりだと感じていた。

たぶん死にかけた同じ場所へあえていく事で、心のダメージを和らげたかった。
ドキドキしながら海を望む小道から丘に出ると、
海は大荒れでクローズだった。
もちろん海にはだれもいなかった。
正直泳がなくてホットしたが、逃げずに来てよかった。
海はまだまだお前の力では、来るなと伝えてくれたと感じた。
そして気持ちを変え子供達でにぎわう、エフカイビーチへいった。
幾度かせまりくる波をかいくぐるりながら、朝の事が頭をよぎったが、
心が悪い方向に持っていかれないようにした。
結局1時間半程泳げたというのが正しい。
特別な写真は何も撮れなかったが、特別な時間を与えてもらった。
海もそうだが、子供達の楽しげな穏やかな時間に救われた。
朝の出来事は自ら招いた事故だった。
明日から何年も続くであろう波の時間を精一杯生きようと思った。
夜は宿の庭で普段飲まないタヒチのHinanoビールを1本だけ飲んだ。
気分がいいから、おごそかな乾杯というやつだ。
海では心のあり方がいかに大事かを改めて知った。
もちろん自らの力にあった場に行く事。
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12/20 2002 虹

8時にハワイ特有の赤いの泥の水たまりを避けながら、車へ乗り込んだ。
ノースショアは雨まじりにかすんでいた。
数分で目的の海岸に着いた。
泥棒が多い為、車を表通リに停め車内に何も残さないようにした。
海へ出る道で偶然昨日会った、イスラエル人にすれ違った。
しばらく観察するとサーファーが数人沖に見え、泳いでみようと思った。
もう一度宿へ戻り軽い朝食と機材を準備し海へ向かった。
雨で固くしまった冷たい浜に広がる海でストレッチをした。
(とても今では考えれない至って簡単な気持ちと準備だった)
そして沖へ泳ぎ出すが、すぐにカレントに流され、絶え間なく崩れる波に木の葉の様に翻弄され始めた。
降りかかる水とパワーは桁外れだった。
息が上がり巻き込まれた。
さらに片足のフィンが脱げた。
気道の辺りからヒューヒューと音がし、何故か酸素が肺に全く入らなくなった。
穴が開く訳がないのだが、のど元を触り何がおきたのかを知りたかった。
暗い泡の中で恐怖とパニックに包まれた。
やがてあまりの苦しさに、泳がない方が楽なのではと
暗い水中で弱さと怖さに潰されかけた。
これが今思えば死線というものかもしれない。
昔パラオの深い海で意識がなくなりかけた時を憶いだした。
あの時と同じく、一人の中には二人がいて、これはもう一人の弱い自分だと落ち
着かせようとした。何故か先祖のひいじいさんに助けを求めた。
努めて冷静にすると音は肺に通じる気道の弁で、恐怖で細くなっているのだとわかった。
とにかく深い呼吸をし落ち着かせたかった。
スイッチを入れた様に気持ちがこの世に戻り、自分の体と繋がった気がした。
同時に次には笑っていた。
肺に水が入れば終わりだから、これ以上水を飲まないように口を片手で覆い
海岸までの距離と流れを溺れながら目測ではかった。
変な話だが、これ以上の最悪の溺れ方は意識がある内にはないという、
2度と出来ない体験をした事がうれしくてたまらなくなった。
数分後なんとか波に乗りながら足がつく海岸にもどった。
フラフラで足にも乳酸がたまり、すねの筋肉がかちかちで動かず、
寒さと怖さで、体が震え、しばらく呆然と小糠の雨の降る冷たい海岸に座った。
見上げるといつの間にか海に巨大な虹がでていた。
やってしまった!
素人がエベレストへ来たのだと痛感した。
もうすこしは泳げると思った自分が何も出来ずに溺れた事にがっくりきた。
本気で訓練をしなければ、命はすぐについえてしまう。
大好きな海に潰されたが、すべては甘い自分のせいだと海に謝った。
しかしこのままでは今日は終わらないと感じた。
あえてもう一度今日ここに戻り、泳がなくてはこれから先の自分はないと直感した。
この絶望的な気持ちも戻さなくてはいけない。
身も心もどっと疲れた。
途中スーパーで甘いデニッシュを買い、ひたいを壁につけながらシャワーを浴びた。
髪も乾かぬうち2段ベッドに潜り込んだ。
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12/19〜20 

今日は一日宿探しで終わった。

リビングには何人かの外人がいるが、話すのも面倒だから

昼にハレイワで食べ残した、シーフードプラッターを、薄暗い部屋で食べる。
ご飯の横にオイリーなすごい量のホタテやエビ、シイラ(マヒマヒ)。
夜は寒く、かけるものは何もないので、持ってきたバティックにくるまって寝た。
夜中あまりにも疲れたせいか、幽体離脱しそうになる。
本当に抜け出そうになり怖かった。
そして明け方だろうか、東京で入院している祖母の夢を見た。
すごくしっかりしていて、昔の元気な姿で現れた。
やっぱり気持ちをしっかりもって生きなきゃいけないわね。と
すごくはつらつとしていた。
妙にリアルな夢で、現実じゃないのだが、元気になったのかと錯覚した。
8時に起きると、木の床をたたく雨音がする。
どうも雨が降っているようだ。
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North Shore

ガソリンスタンドと地図を探した。
道を間違えて真珠湾へ来てしまった。
水兵に中指をたてられた。あらら。
やがて赤土のパイナップル畑の下りの1本道の先に白波の海が見えていた。
車を海岸沿いに走らせるとサンセットビーチへついた。
二日前に世界大会があったそうで、波はものすごいほれていた。
とりあえずサーフショップで聞き込みに入るが、宿はこの辺にはないと言う。
なんだかんだ探すうちに、もう日が傾き始めた。
本当に泊まる所がないのには驚いた。
行くあてもなくブラブラしていると、やがてもともと聞き込みにはいった
サーフショップの近くに、バックパッカーと書かれた小さな木の看板を見つけた。
試しに中へ入るともう18:00。レセプションを閉めるところだったらしい。
眼鏡の太っちょのおじさんに、クレジットカードを確認され、
部屋はあるから選んでくれと言われた。
12人1部屋のドーム25ドル。
 3組1部屋55ドル。
 2組175ドル
1組用 250ドル
ドームはきついから、55ドルを選んだ。
3組の客とリビングとトイレ、冷蔵庫をシェアする。
あてがわれた部屋は2段ベッドだけの、濃い木で出来た落ち着いた宿だった。
すでにオージーのサーファー2人とイギリスから来たカップルが泊まっていた。
シャワーをひねり何よりも寝たかった。
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2002 12/9

初めてカメラを握り泳いだオーストラリアから数ヶ月後、冬のハワイにいた。
武者修行の為、世界中の波を泳ぎ、感じたかった。
何を撮るととか、口でとやかく言うよりも、とにかく経験と実践がなによりも自身が納得できるのだと確信していたから、毎月の様に世界の波へ向かった。
早い時期にいずれ泳ぐであろう、避けられない道。
冬のノースショアで泳いでみたかったから、チケットだけを買い、オアフへ向かった。
昔からガイドブックを持たない旅を続けてきたが、今回も何もわからないからドキドキする。
すると空港内でバックパッカー&バジェットの看板を見つけた。
そこにはかけてくれとばかりに1台の電話が置いてある。
受話器をとるがどこの宿にも繋がらず、何度目かに女性のオペレーターがでた。
どうも住所と家の電話を教えてくれと言う。
数秒後電話の向こうからは 
「はい杏橋です只今撮影で留守にしています・・・・・」
なんと家にかかった。
英語力無さと、行くしかないんだなと、独り大笑い。
ともかくノースへ行く為、空港近くにあるレンタカー屋へ向かった。
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Honolua

急な赤土の崖のサボテンのわきに、サーファー達の裸足で固められた蛇行する細い
けもの道があった。
登る人、下る人が譲り合いながら、それぞれの思いで沖へ向かう。
おそるおそる、沖の波へ泳ぎ出した。
海の神様に祈った。
2002年冬のマウイ島
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スネーク

2002年の冬のマウイ島はホノルアベイ。
地図を助手席に広げ、この日から毎日ホノルアベイへ向かった
パソコンもなければ波の情報の見方もわからなかったが、それでよかった。
サボテンと切り立つ崖下で、一面に開けた海にレギュラーの大波の割れる場所だった。
ここも僕にとって世界の海岸で好きな場所の1つだ。
波は偶然にも毎日よく、多くのレジェンドがここに集まっていた。
今は亡きシェイパークリスバンダーボートと出逢ったのもこの日。
この写真はいつも大波に一番奥から乗ってくるレジェンドスネーク。
最近、偶然雑誌でも御見かけしたが、古いハワイの王族の血を次ぐやはりホノルア
のレジェンドの方だった。
ローカル色の強い場所な上、神聖な感じがしている。
36枚のフィルムを入れ、崖を降り100m程沖へ泳ぐと、太陽と波に包まれた。
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戻る

カメラを変えフィルムを詰め替えては海へ戻った。
2時間程撮影しても、波はあった。
やがて山に雲が流れ、雨が全てを包んだ。
水中から見る雨は美しい。
幾重にもうねる墨絵の様な水面に、パチパチと時間をずらし波紋が打ち付ける姿は生き物のようでもある。
もとの海の水がまた海へ戻る瞬間だ。
幾度となく船に戻ったが、そろそろ本当に船に戻ったほうがよい気がした。
波を泳ぐ時間と共に緊張感が薄まりつつある。
感覚的なことだから、上手くは言えないが。
それが常の答えなのだと信ずる。
大波をかわし回転しながら押した瞬間、シャッターが水中で折れた。
既に1台は水没し、いよいよ暗い海から戻る決意をした。
波をかわしながら泳ぎ、雨の中の沖の船へ戻る。
途中ふと眼下を2mくらいのブラックチップシャーク(安全な鮫)がコバンザメを体につけ
沖へ泳いで行った。
鮫は海の神様。
海と生き物達に感謝した。
最後の日に写真集が1冊出来そうな数の写真が撮れた。
いずれ機会が訪れたら、写した順番のままお見せしたい。
またあの雨の様にこの海へ戻りたいと思う。
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明日最後の海。
流れる雲と自分だけが、湖のような静かな空間にいる。
自然の光だけに反応する、地球の存在物と空間と水間。
人は何でも知っていると思いよがっても
地球と紫の空に繋がる宇宙は、普遍的な美しさで人々の心を洗う。
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セブセブ

今回は村の酋長の家へセブセブと呼ぶ、お祈りにいった。

知り合いの村人がカバ、(胡椒科の木の根を乾燥させたものでゆるい覚醒作用がある)
を持参し外国からこの地へ来た僕に、自然とこの地への感謝と祈りをほどこして頂いた。
儀式はいたってシンプルで、家の中で何やら村人と酋長のかけあいで始まり。
互いに柏手を数回打つというもの。
日本の神道にも近い古いフィジーの物語。
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反射

穏やかな水面に風が走った。
遠くから迎えの船のエンジン音が聞こえた。
人工の光のない場。
暗くなった世界では、全ては反射と伝わる波動なのだと改めて知る。
見える物だけに頼り過ぎてはいけない。
微細な目には見えない波動を、人も感じる事ができるのだ。
そう思えた事も反射なのだろう。
この時間、ここに来ていなければ、見れなかったならば。
やはり旅を続けるしかないだろう。
旅ってそんなものだ。
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ジャングルでは自分の足跡と葉っぱがこすれる音、虫や鳥の声しかしない。
途中、山に葉っぱを穫りに来た親子に出逢った。
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太陽

水平線に消え行く太陽は、光の矢の様にこの場を射抜いた。
月も同じく何処にいても自分についてくる様に見えてしまうが、それは地球も丸いからなのだろうが、だから世界中にはこうした特別な場所が同時に存在している
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午後

傷はANTI BIOTIC ピンクの抗生物質と注射のおかげで、腫れも、だるさも引いた。

12:30波は巨大だが風に潰され爆発し、泳げる状態ではない。
沖で白い兎がとんでいる(白い風の波)
今日は朝から虹がすごい。
数秒から数分感、太陽と反対側に180度にわたり海を包んだ。
今日は泳ぐのをやめ、本でも読んでゆっくり休む事とする。
集中力が薄いのも体の状態がいまいちなのだから、自然にまかせる。
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6/10

昨夜より風雨が強く肌寒くシーツにくるまった。

朝7:30潮の音で起きると、東より風が吹き面がざわついている。

船で沖へ出ると山が一面の雲に覆われ、太陽が隠れ海は冷たく暗い。
小舟は波に飲まれない為に、アンカーをのばし、真っ暗な深いチャンネル
(さんごの岩盤の切れ目)に漂う。
集中力も弱い。
フィルムで撮るが水中が暗く、沖の船へ鮫がこないか足下をみながら戻る。
船に上がり、海全体の浄化を行った。
もう一度ポイントへ戻るが、温度差がありすぎレンズが曇っていた。
また船まで荒れた水面を泳いだ。
16枚程とるが風がさらに強くなり危険なので、上がる。
全ての海の生き物と太陽へ祈った。
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別れ

絵はがきのような景色で遊ぶ子供達。
絵はがきは旅人が作り出すもので、島の人々にはそんな物も必要はない。
美しくも強い原始の地球の中にいる彼らと、その僅かなひとときの別れを惜しんだ。
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たちよる

30分程走ると、船は霧のかかる山のふもとの部落へ。

道はない事もないらしいが、船が早い。
頼まれたガソリンを2缶渡しにいった。
夕暮れの冷たくしまった砂には足跡が続く。
それぞれの足跡の歩いた過去の時間が、いつまでも残り何かを伝えていた。
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島に地球にそう

ガソリンタンクを満載した船は島ずたいに、全速で南下した。

心優しいエイブルは家族の為魚を土産に買った。
「明日みんなで食べるんだ」と久々で年頃な息子とうれしそうに話す。
美しく強い地球にそって生きる人々と、ありのままの景色の中へ。
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船へ

雨もあがり子供達も家路に向かう。
静かな海岸で、あるべき時間と地球の姿。
もうすぐ船がでるようだ。
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おやつ

もう1艘の船が島からきた。

ガソリンを購入したいらしいが、銀行の入金の確認待ちで2時間。

ピサはお客さんを乗せ沖へ出て行った。
小さな商店と誰もいないカフェらしきところへ入る。
店の人もピックアップでやってきた。
う〜んキッチンが微妙な感じだから。
冷たいフィシュ&チップスを食べる。
予想を覆し、魚は白身で本当においしかった。
店の人も種類はわからないと言う。
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海岸

ピサが言うには、新たに島にワールドバンクという、自然保護や後進国への援助チームが視察に飛行機で来ると言う。
あまりに診察が早く終わったので、数時間海岸で待たなければならない。
船着き場と飛行場をつなぐ道で。
子供達は船をまっているようだった。
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トラロープとピンクのリボンが道しるべ。
誰かが作った様な不思議な崖や穴が、この磐座に集中している。
溺れても落ちても自己責任。
しっかり足もとを確認し、落ちて笑われないようしがみつく。
これはごく自然の法則であって、ひねれば水の出る都会の現代人が忘れた事。
全てが祈りの場である。
この宇宙と人々の安泰と、ネイティブや忍の血が絶えぬように。
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Ecosophia ビエンナーレ開演

いよいよ堂島ビエンナーレが始まりました。

レセプションには報道、プレス等、関係各位の皆様にお越しいただき、華やかなOPENとなりました。
夜は大阪でヒルトン内バカラさんのご招待でパーティーを開催して頂きました。
その後杉本博司さん始め、森万里子さん他作家の皆さんと、お好み焼き屋さんへ行きました。
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6/8 Pm17:30

朝 結局少し泳いだが波が小さく、フィルムで36枚撮りあがった。
夕暮れ潮がさらにひき、潮の流れる音もない、穏やかな時間が流れた。
1匹の白鷺が忍び足で、魚を狙っていた。
不思議な色の静かな世界は、まるで動かない絵の中にいるようだった。
The wave was small, and it rose with the film by 36 exposures though it swam a little after all in the morning. 
The tide pulled further in the evening, there was not a sound where the tide flowed, and either calm time flowed. 
One white heron was watching for the fish by tiptoeing. 
The quiet mysterious color world seemed to be in the picture that did not move at all. 
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6/8

 しかし波を見ると潮が引き、風が強くつぶされたいた。

朝 冷たい海へ30分程撮影に行くと
「まだ何も穫れてないのよ」と言っていた友達のタベが午後になっても
独り沖で水につかりながら、釣りをしていた。
遠くひょっこり来た私達には美しいだけの場だが
ここに住む、住まざるえない人々にとっては、過酷な場所なのだ。
もちろんスパーもおばかなコンビニもない。
好きな時間に冷蔵庫で冷やされた魚を買う事が出来ない。
過剰に便利で過保護な水槽に暮らす我々。
生きる術も、地球の強さもとうに忘れている。
彼女達が山で焼くゴミや海に捨てられた釣り糸だって、どうこう言う資格などない。
私達の街の暮らしから比べれば、ダメージなんてたいしたことはないのだ。
本当はこんな電気仕掛けのパソコンを使うほうが、どうかしているのだ。
文明に暮らす我々は、環境破壊は受け入れていかなくては、暮らしがなりたたない事を理解しなくてはいけない。
折り合いをはじめ、地球への優しさ、なによりすこしの不便さが大事なのだ。
望遠レンズ越しに見える独り風が吹き付ける海にいる彼女へ、なんとも言えない気持ちになった。
しかし少なくとも彼女達はこの地球によりそい、正直に生きている。
一巻きの釣り糸と釣り針で穫れる範囲の魚で充分な事を知っている。
それに比べ私達の暮らしはどんなにお馬鹿な事か。
こんなに遠い島の村人だっては放射線はどうなの?
地震は大丈夫?
と心配してくれている。
海は繋がっている事を忘れてはいけない。
日本人はもっとこの地球に責務と責任を持たなければいけない。
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6/7

風もなく穏やかな時間だった。
異界とか辺境という言葉のように、この地球にもたくさんのこうした場が存在している。
いや 存在しているのだと思える様になった。
言葉さえ人間様が作った擬語にすごないのだが。
言葉はそこにとどめる事はできないから、そのままの時間を残すため文字が生まれた。
文字も写真も語り継ぐもの。
いずれにしても、そこにいなくてはならない・・・
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pink magick

澄んだ水は、まるで渓谷のような珊瑚礁をより鮮明にする。
何億年もかけ海水に含まれる石灰を取込みながら、生きてきた珊瑚。
数十メートル下の珊瑚はいったどのくらい昔のものなのだろうか?
海底から続く水面上の山に登れば、様々な珊瑚の化石を見る事ができる。
これは大昔山も海の底にあった証しなのだ。
珊瑚の仲間は非常に繊細だ。
温度や水質の変化に弱い上、光合成を行う藻と共生関係にある。
珊瑚は小魚の家となり餌となり、海を浄化するなくてはならない生き物だ。
近年人がつける日焼け止めや、日焼け促進液にも珊瑚を破壊する事が判明。
石鹸や日焼け止めも海外のナチュラルなものにしなくてはいけない。
ちなみに僕はスイスのヴェレダを仕様。WELEDA サンフラワーSPF20F20
有機栽培の原料で合成界面活性剤も、防腐剤もなくダメージが少ない。
有機の全てが良い訳ではないので、結局は使用しないのが一番なのだが。
石鹸はアレッポ(ギリシャのオリーブ石鹸など)
モルジブを始め南の離島ほど下水施設もなにもないので、秘境になればなるほど、リゾートを基点に多くの問題が発生するのも忘れてはならない。
海は冷たかった。
冷えた体ににぬるま湯のシャワーをかけた。
あたりまえだが風呂がない。
夕食はインドカレーとロティー、食後にロックなゼリーがでてきた。
車も電話もない島で、外から明らかに来たマクドナルドの様なケミカルな色素。
絵図らとしては南の島に映えるマジェンダピンク!なのだ。
きっとオーストラリアかどこかの輸入物だろうな。
いいのにそんなサービス。
でも楽しませてくれた気持ちを頂いた。
だいたい作った彼女達も大笑い。
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17:00

不思議な雲が地球を覆っていた。

エンジンの音がかすかに聞こえた。
エンジンを上げ、浅い珊瑚の水路を木の棒で操りながらから船がようやくきた。
島に戻ると水に入りたくなり1m近く潮の引いた海へ。
様々な珊瑚が太陽へ向け、ひしめき合う様に生きている。
生命力を感じた。
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6/5 15:00

村の山から海岸に降りたが、迎えの船が全くこない。

14:00にネイサンの娘が船で来るはずだが、海岸で待つ。
フィジータイム。
向こうから釣りから戻った知り合いの息子、コイがじいちゃんと来た。
何も釣れなかったらしい。
引き潮の海岸を歩くと、Panasonicの乾電池が珊瑚にまぎれ捨ててあり、子供達と拾った。
夜潜り漁の大人が使用済みの電池を、帰りがけにそのまま海へ投げているらしい。
これ中に水銀があるんだ。というと皆「本当か?」と驚いていた。
すでに壊れた物も含め17個を拾い、日本へ持ち帰ることにした。
「え〜おまえ持って行くのか?」
水銀が毒とも知らないだろうな〜
子供にしても大人にしても知る事、や教育は大事な事だなと改めて思う。
この先どんどん海も汚れ魚も珊瑚も少なくなる、この美しい島の未来が心配だ。。
釣り糸も多く捨てられた釣り糸に、珊瑚が飲み込む様に付着し絡んでいた。
珊瑚の生命力はすごい。
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