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稲取へ

伊豆大島が流れていきそうな冷たい風がびゅうびゅう吹き付け

波もない

龍宮神社に御神酒と卵をお供えしお掃除

青い漁具の部位と缶を拾う

いつもあるペットボトルがないのは

多分風向きで海へ流れたのでしょう

このところ天候も悪く、風も強く海で泳がず

全て自然の流れ

海へ出る時より帰りが危ない

岩のゴロゴロした

波に浅瀬で叩きつけられたら大怪我だ

今まで気をつけているから、そんなことはないが

波を見てもしきたら、又沖へ向かうこと

波が無くなったら一気に海岸へ向かい

足ひれを外し逃げるように上がる

世界中の海岸でどこで入るかを決めるのは感覚でしかない

入ってみたら流されたり、濁っていたり

海から上がると、充実感と共にホットする

体温を奪われないこと

無理をしないこと

自分の力を正直にみる

全て自己判断が正しいから

人に惑わされず

帰るのも勇気

やがて

美しくも恐ろしい海に寄り添えば

寄り添うほど

人は本来の約束を思い出す

海や山で美意識と礼儀を教わる

それは人間界も同じこと

いや人間界がスタンダードではなく

この海が全て

命が一瞬で危ぶまれる海を常に胸に

海は人生に寄り添って溶け合い

正しい道を教えてくれる

頭は捨てて海岸へ

海にも空がある

空にも海がある

だって水だから

水に包まれ生きている

水が青いのではなく

そらが青いから

空が赤なら

海も赤くなる

透明な水がいつまでも

修行の末にあるのは胸の中、修行という言葉も後からついてくるもの

頭は捨てて

いくだけ

師匠たち

古武道の師匠は今は土居清

昔は師匠と呼べるほどの弟子ではないのですが。近所の島津兼治先生

16歳の時に近所にほねつぎを開いていた先生。お父さんも講道館の柔道家で

いつも毛糸の帽子で表でニコニコしていたおじいさん

で、骨法や骨接の凄い先生だと亡くなってから知る

ある日、なんだか武道や戦いを避けてきたのですが

島津兼治先生に習いたいのですが

と言うと。夜の公園ので稽古をしていたが、なんだピンとこなかった。

しばらく日が経つと

君は僕の言う通りに1年間歩いてごらん。

ただこれだけだった

毎日気をつけて行った通りにするんだよ

1年後真面目に・気をつけて歩き

どれ

見せてごらん。

うん。よしそれでいいんだ

あれ?

これでおしまいですか?

これでいい。よし続けなさい

あとね、これを教えよう

僕がね16代目?だったか17代目がなくなる時に

教えてもらった口伝を教えてあげよう

もう時代が昔とは違うから。なくなる時ににね

武道は皆口伝でね、残していくんだ

ときいた体の使い方は今も海で生きている

生かされているのかもしれない。

数十年後、街でばったり会うと

先生は和服で

先生! お〜! 僕今泳いで写真撮ってるんです!

そうか〜!

あのね

こうだ!と道で体を回転させ泳ぐまねを1回!

こうだ!

こう!

指先からね勢いよくいきなさい!

いつもマイペースで急にスイッチ入る先生に笑ってしまう

分かりました〜

じゃ うんまたね

サモアに2年連続行ったのは、もう15年前だ。

フィジーの離島へ行く空港であったハワイアン と

同じ島へ同じ日程で行くことが分かり

海や食事を共にしたのはその数年前

暖かな彼らとは

フィジーで落ち合うようになり旅を共にした

ある日、サモアに行かない?いい波がある

波は透明だとは思うけど、ジャングルの先らしいんだ

日本からハワイへ向かい、数日彼らの家にお世話になり

4時間かけまさに南下し

又5時間も空港で乗り継ぎをまち

アメリカの領土になったサモアに一泊し

わずか20分の昔のサモア ウポル島へ

そこからが大変で、所々アスファルトに穴が開いたり

未舗装の道を車で5時間

ようやくついた川の横のバンガロー

緑のジャングルと村の中にあるようで

子供たちが水浴びや洗濯に行く

洗剤がじゃぶじゃぶ川へ流されている

ガンジス川のように、全てがこの川の水が命をつなぐ

海は遥か沖の浅くなった岩盤にあたる波

問題はいつも薄濁り

海底が見えない場所を泳ぎ

サメが来ないか気が気でなかった

大抵川の河口で濁った場所はサメの村がある

1年いきもういいかなと思ったが

又ハワイの友人が行くと言うのでまた行った

ガイドが海を歩いて数時間かけると岬の森に囲まれた

波があると言う

歩くってなんだろう?

とついていくと

車で30分ほど走りがけを下り

海岸線を歩く

機材を濡れてもいいようにして

背中に背負い、時には溶岩の岩の海岸を胸まで浸かり

歩いた

皆サーフボードを片手に

二時間ほどまさに海を歩くと

遥沖に波がある

森を望む岬

水は透明で

高速な波が巻いていた

泳いでそこまで30分

急にまた浅くなる海底は硬い珊瑚の岩盤

爆風のような波を逃げるには

海底まで潜るが

浅くて逃げきれない為

穴を探して体を入り込ませ横になる

緊張がきれたら巻き込まれる、恐ろしくも美しい聖域

そんな海で

大きな美しい波の裏側から押した1枚

緑の森が波越しに写った こと知るのは帰国後の現像でだ

フィルムを変えにまた戻り

又海へ

帰りの同じ道を延々と黙って1列に歩く

もう2度と行かないであろう

幻の緑の海ティアベア 白い花という意味らしい

僕の胸の中やこの1枚を見ると、海を歩き数時間先にあった

まるで桃源郷のような不思議な聖地

は白い花の記憶として、永久に残り続けるだろう

海がアルミニウムのようにしわむ

目には見えない水素の様々な動きが作る謎

太陽は必ず上から見れず、上から宇宙の気を吸い込んで寄せ付けながら地球と海を射抜く

宗教の脆弱な言葉や教科書の永久に届かない光を観る

一つ言えるのは、生身で、裸の心なる何かで

そこに立ち会う事

たくさんの無限な未知の可能性を秘めたドアが待っている

また太陽は必ずやってくる

写真はファインダーを一切見ない

見なくても写るときは写る

靡「Nabiki」

波はしばらく待機。

雨や寒波の風が強く水中が濁っている。

プランクトンも人もいない真冬がいいのだが

暗い海へ行くのはいいのだが、準備に朝が早い

夕闇の海は恐ろしい、暗くなる前までに戻れるのか心配

日本はいいが、海外のサンゴ礁矢岩の水路見えなり

そこに波がきたら最悪だ。

パプアニューギニアでもうギリギリの暗さに浅瀬は怖かった

水も若干にごり、海底にオニオコゼやウニや様々いないことを願うしかない

足をつかないように波を見ながら帰るのだが

本当いうに危ないのは出る時より帰る時

世界中の未知の波を泳いできて、不思議と大きな怪我はない

軽く足を切ったりはすしたが、大人になり慎重に思慮深くなったのかもしれない

水温で冷やされる低体温症も危ない。ウェットスーツなしでは泳がない。

体を守り、若干だが浮く。水中眼鏡も僕には大事

波のタイミングや海底の岩やサメや様々レーダーを回転させるように360度見ている

サメの場合は沖から来るから、海底が見えている浅瀬の波が立つところは安心だが

青黒くふかい海溝(チャンネル)を泳ぐと木、濁った海は本当に怖い

濁っていたら入った瞬間に帰るのだが、極 薄濁りの時はチャレンジする

川の河口は危なくサメが来る、実際フィジー の河口の海で1度だけ泳いだが

怖くてすぐに上がった。その後そのむらの知り合いの子供が腕を噛まれ

数年後オーストラリアのサーファーが戻らなかったと聞いた

サメが悪いのではなく、サメの家に土足で入った人間の運が悪く餌になっただけ

海や自然は恐ろしいのではなく、力や摂理と循環が人間界とは違い厳しいのだから

海や山に頭を下げ、胸の内を話しかけ、畏怖の思いで祈った世界中のネイティブの人々

は自然な事だ。沖縄の辺野古にしても、安易に数億年の時間でできた美しい海岸や

サンゴ礁や魚たちを生き埋めにするなど

いかれているが、それが今の地球人

悪事をすれば必ずその人に帰ってくる

闇を見て光を見る

自然と名付ける前からの、数億年前と変わらぬ景色に

身を修め、胸を投じる。

世界は靡(なびき)だと思う

人は器

京都大徳寺前の精進料理の老舗 一久 

大徳寺から出ると店先で数年ぶりにお会いできた大旦那

いつも優しく、味、特に素材と醤油にこだわり

200年近い歴史を超えてきた老舗中の老舗

ルールがありますやん

ルールを守りながせんと

自然界の中に創作というかな

人間は1から10まで揃うてる中に、一つの想定外

のよさ、それが魅力であって

とんでもない想定外は人間は変な方に考えちゃう

人間が考えそうな想定外

さかい

想定外は必要性のある遊びやな

大事

それがないと

写真も同じやな

先が出てしまうからね

作為ね

人間はね

DNAあるからね

醤油をこだわっていかにゃいかん

そこにうまみ中かね、こくね

ソース、スパイスなんか、ワサビとか

日本的なものの口があるけども

山椒以外のね

胡椒は洋もののイメージになるからね

なんぼいいと言われてもね、健康にいいとかわかるけどもね

うちにはマイナスになるから

使うに こだわらんといけない

庭や店舗の設らえ、御膳やお椀も漆塗りの一流品

200年前と同じ味

恐るべし修行と継承

瑞峯院

京都大徳寺内の瑞峰院 

九州の侍でキリストさんを大切にしてきた

大友宗麟さんの菩提寺

やがて大徳寺で修行をし禅僧のなる

庭は海を表し、石で十字架を表した重森美玲さん

430年ほど前の利休の茶室が代々大切に修復されながら残る

ワビサビの黒の中に光をみいださせようとして利休の

独特な枯れ、冷えた深いグレーの茶室

朝1番で急に玄関を潜ると

昌道大住職がお茶を飲まれていた

お〜 きたか!

お茶飲んでなお菓子食べい

コーヒーも飲もうな

うん

いつも暖かな海のようなお方

京都にきたら必ず逢いたい御仁

海水は冷えると密度が増し重くなる

水分子がより集まり圧縮される訳で

冬の波は固いイメージがある

冷たく重いなみの裏側

落下した水もその重さで海底深くにくる

影はやがて光で覆われ

消えてしまう

光の影を観る

宇宙や地球は生きているにしても、悲しい事実が起きている

どこの誰にも起きるとはいえ

綺麗言並べても

きな臭いので

日々できることをし

しばらく海に呼ばれる日を待ちます

スタジオ

www.park-studio.jp

不動前徒歩3分。南むき公園前のスタジオ&ギャラリーです。

モデルの宣材写真、ファッション、人物撮影をいたします。

またレンタルスタジオとしても、お貸ししております。

裏に狭いながら、メイクルームもあります。

よろしくお願いいたします。

事前にご連絡下されば見る事も可能です。

謹賀新年

本年もよろしくお願いいたします。

明けましておめでとうございますとは、言いにくい年初め

地球は生きていて、あらがうことはできない現実

海も生きていて、見ている

それが海そのものなのか?

周波数の違う同時にあるが

人の目には見えない世界なのか社会なのか分かりませんが

海とは海岸とセットで

世界中の海岸のもつ妙な感覚を感じます

泳ぐ場所は海であるが、実は海辺の陸地と

そこに動いて息づき、風により命を生んだ波と名付けた動く水

その何かを無理に知る事も、手に入れようとする事も必要ない

科学や理屈の及ばぬ時間を大切に手渡してきた、アイヌやアボリジニやネイティブアメリカン、修験者も同じ

教科書も戒律と言った、人間界のルールを宇宙と自然の風に押し付ける時点でズレていく

ある線を超えたら死ぬ

しかし

ある線に行かないと感じえない時間もある

先人たちが、風や石や川や瀧に魂なる何かが

あると自然に認識し、供物を置き、こうべを垂れ、手を合わせ、胸を寄り添い

祈ったのも当然のことだろう

誰かや仏の個性に濁らされてはいけない

時間は過去と未来がつながって動き固定されていない

写真を現像すると過去の産物のようだが

実は違う

動き、過去も未来もある

茶碗や家具じゃそうはいかないが

人や波は生きて呼吸している

常に見えない風

聞こえない色に

触れること

ビルの隙間のおしゃれな植木鉢に閉じ込められた観葉植物や

鑑賞魚の水槽から自ら出ること

海岸にたち足を水につけ

深い呼吸で音を吸い込み

美しい色彩を胸で感じる

子供の頃、一日中海の中にいたかった

澄んだ山口の無人島で魚たちを見ては、図鑑にはない

実際の動きや習性や色など

何を見ても胸が躍った

大人になったら釣り道具やか熱帯魚屋が海の仕事にをしたいと思った

網を2本持ち水中で魚を生け捕ることが生きがい

やがて防水ケースのカメラを手に波の中へ

海で死ぬ思いをしたいと思いよかった

写真の師匠の師匠ユージンスミスや一ノ瀬泰造さんの生きた戦場のように

本物の海を知りたかった

それには道具を捨てて裸で行かないと海に失礼だと感じ

水中眼鏡とダイビングのフィンで冬のノースショアで泳いだら

やっぱり溺れた

避けては通れない海の道

待ったなしの恐るべし海の力

恐るべしネガティブに引き込み、パニックになる自分

あらゆる死なない工夫もするが

基本は自分の泳力や経験と、どんな状況でも切り抜ける胸の内

潔く引くときは引く勇気

自然と呼ぶ前からある、国土や海への敬意を忘れず

泳ぐ人 跡を濁さず

海の雲、空の雲

同じだが違う

同じなのは風

新潟は雪が降ってません

年々海の天気や風が変わり,撮りにくくなっているように地球が壊れ始めているのでしょうか?

雪山の「雪の元」は日本海の海の水やら雨やら

地球は大気圏のボールの中で海の水やすべてが

宇宙へ行かないようにできています

言い換えれば、地球の中の水間、空間の中でやりくりするしかないのです

沖縄の問題の埋め立て、全国の不可解な埋め立て、テトラやケーソン投げ込み

山を削り、気をなぎ倒し、除草剤や、凍結剤を撒いてできた、人工的なスキー場や

破壊されていく海岸線は2度と戻りません

人間様になりすぎた人間界

約200年前から家康などにより、人間のご都合で悠久の時間が自然形成した

2度と戻らない海や山や滝が破壊されてきた

今は、重機のおかげもあり当時とは比べ物にならない程の速さで壊され、ペットボトルや漁具のごみが

魚より多くなり、ペットボトルを食べる方法を考えるかもしれません

広重の浮世絵で青かった東京湾が黒く濁ったように、100年後の海は青くないかもしれません

現実を知ること

海や山へ行き。

胸でわかること

今年もありがとうございました。

ハワイ島 この時期は昔はハワイにいた。ノースショアやマウイへ

恐るべしパイプラインやすべての海で喉が閉まるほど溺れたのがハワイの始まり

人間はこの限度も手加減もない美しさと怖さを知ることで

自然に自然と呼ぶネイチャーと呼ぶ以前からある物語を

大切に胸で思い続ける

車メーカーもどんどんゴミになる

新しい車など作らずに、大事にできる部品を作り治せばいいのに。

エコやサスタナブルやら

大きな嘘で宣伝し消費者を作る

1991年頃のシボレーk 10と赤ちゃんを抱く女性と友達

アロは合わせる、溶け合う

ハは呼吸とか気

だからアロハ

ハワイアン の叡智を学ぶ

止まらない風

止まらない海の水

海底の砂丘も波によりその姿を変え続ける

冷たい水の空の隙間から太陽が注ぐ

人為の届かない世界をいつまでも大切に

言葉はお飾り

中国の道教は

開祖も教義も経典もない

ネイティブアメリカンやアイヌなど古来の地球人の方々が共通する

また今日せざる得ない感覚と体験が

万物には精霊が宿るとかいる

と自然に伝えている

これを俗にアニミズムというが古代の中国では精霊を鬼神と呼び

天神、地祇(ちぎ)人鬼の3種があり

天神は天と日月星辰だけではなく、暑さ、寒さ風雨なども精霊になる

地祇 は大地の精霊で山川などをいうらしい(道教と日本人 下出積與)

説明はさておき

どうも波そのものは、風が生む産物であるが

それだけでは、言い尽くせない何かが宿る気がする

つまりはなんらかの有機的、生命=水分子とその水が持つ記憶が影響しているのでは

天道のとはすべての根源

天童の目的は仁義礼智信の人道にあり、これが身を修め国を治める人の道だとしたのが儒教であるが

でも、儒家の説く仁義礼智は人為的なものでダメで

天童は人為の発生する前から存在する太古の道であり、人為の外にある

人為を徹底的に排してこそ、初めて無為自然になれる

この無為自然の道をしめしたのが老子

この辺りの感覚とおそらく体験的な事象は意味深く

今の日本人や、地球人に大切なしおりのようなもの

だと感ずる

修行という行為、つまりなんらかの自己鍛錬、自然界の中でしか感得できない大切なこと

ビルや檻の中の今の暮らしでは生涯知り得ずにいること

窓を閉め、イカシタ植木鉢で植物を飼い、スイッチ一つで便利な便利と怠惰な時間が

そうした感覚や自然のありのままの怖さや強さと、同時にある美しさも

記憶から失せる

そうすると自ずと自然や海をなめる

山や海や町にゴミを捨てる

浮世絵の肉筆画を見ていると

時間をかけ描きつつ、風流な美意識と美しい自然界と溶け合う人を出現させる

その独創的でありつつも、どこかに太古の自然界や風流を愛し慈しんだ人の優しさを感じる

彼らは、まさか100年後の隅田川や海が埋め立てられ、美しい原風景や社まで破壊され

消えるとは思いもしなかっただろう

人が太古の自然界の感覚が遠ざかるほど

比例してこの地球は破壊されていく

古代の中国に見習い、憶いだし

海や山へ一人で向き、人間の小ささと、同時に神秘な色彩と音の風に

委ねれば、それらには共通する人為の及べない何かあると自然に知る

道教がこの波の中のことに通じ

古武道がまたこの波の中の体術的、心術的に通じ

独り波の中へ裸同然で行くことが、仙人の領域、神仙界、竜宮城

へつながっているかもしれません

よくわからないことを書きましたが

多分そうです

鋸山

四国の著名な武将の末裔、現在の名前は母方を受け継ぎ土居清

海での稽古とゴミ拾い

海も師匠も穏やかで暖かい

このところ雨風の海、数年前に比べ雲と風が変わってきた。                       地球が少し壊れてきたのかな? 

とはいうものの、人間様の手や科学を超えた叡智に

尊ぶ時間が自然と名付けた境界線

日が登る前、水平線が白くなり始めた波の中。びっくりするほど冷たい海は静かで独特な風を感じる

日本の海の水は日本らしい。水の中でないような水のの中。H2oの謎

Chacott Photo Shooting

Chacott 代官山のビルは著名なデザイナー佐藤おおきさんのデザイン

様々な美しいデザインの空間で

みなさまをお待ちしております。

写真は20m近い吹き抜けの階段

昼間はこのような明るい雰囲気、夕方から夜はさらにムーディー

な雰囲気になりますので

ご予約のお時間を、変えるのもおすすめです

室内とも暖かなオレンジの光の中で一瞬を残します。

ぜひ!

1208

54人のパイロット

9人の最初から戻れない

ハッチも開かない小さな潜水艦で命を落とした若者

ハワイ真珠湾が先の攻撃と嘘をついた大本営と政治家

事実、時間で言えばマレー半島の山下さんの攻撃が先

華々しいプロバガンダで嘘を並べてきた

フランス政府が仕掛けてくるが乗るなと再三言われたのに

仕掛けられた戦争にはまった日本

法華経と日蓮の信者、関東軍石原莞爾はよその土地を取ってはいけないと言っていたとも

中国に侵略、盧溝橋を引き起こした牟田口廉也は

誰もが反対するビルマの無謀な作戦を上司に掛け合い、温情と反論できない空気で

押し進めたインパール作戦

骨を埋めると言いながら

おめおめ帰ってきてだんまり

僕おじさんは、ビルマの北密林のフーコンで行方不明になり空の桐の箱。

僕のじいさんはビルマの鉄道隊だったが、間際にタイ国に逃れ、1年後浦賀に空母葛城で戻れた運

後から行くからな!と

特攻隊に若者を無理やりを送った冨永参謀もフィリピンが危ない空気になると

早々に台湾へ逃げたが、特攻を押し進めた大西瀧次郎は割腹

ワイキキはカリフォルニアの砂で、海水はハワイ

ワイは水キキは湧く

昔は王族やカフー(祈りて)の祈りの聖地もアメリカに接収され、今やおかしなことにアロハ

だから観光客が食べ、ゲップで流し込むコーラはアメリカ料理

パンケーキや街の食事はハワイの食事ではなく

本来はタロイモとキャッサバや発酵させたタロイモのポイや

魚のポキがハワイの味

日本にきたら寿司や天ぷら、うなぎにどじょうが守らているのは

類まれな伝統な技を練磨する職人さんと、そのシンプルながら奥深い味を知る日本人の凄さ

しかし日本人観光客は、ほぼ真珠湾へお参りに行かない

世界は領土の取り合いと

宗教の戦争

アイヌから、力と騙し討ちで略奪した和人と松前藩だが

結局はロシアに盗まれただけ

地球人は何をしているやら

欲深い破壊を繰り返し

エシカル、サスタナブル、エコなど

辻褄の合わないおかしな言葉で霞にぼかす

海や山や滝や石にも魂があり

風は生きている

こうなるともはや「祈り」とかいう言葉もきな臭い

誰もいない海岸でゴミを拾う

公園でゴミを拾う

胸を合わ瀬、祖霊や彼らを憶うシンプルな事でいい

神社に2列で並ぶのも間違え

効きは一緒で、利己的な姿でしかない

他力や仏だのみや坊さんだより、神頼みは問題を引き起こす

海は自力

政治家も裸でネクタイ外して波の中を泳げば

全てが瞬時でわかる

覚えてないなど言わせない

永田町に水泳部の顧問で行きますよ

侍をはじめ日本で命を落とした彼らの供養を忘れずに

地震、天災がやってくる

地球は地球人だけのもではなく

宇宙という海に浮かぶ、島に過ぎないと知りる事

ますらをの悲しき命積み重ね

積み重ね護る

大和島根を

三井甲之

Chacott

ドキュメンタリーな1枚。色加工やいじりなしの写ったまま。

1年だけ1998年に明大前のスタジオの写真家 柏原誠 (オヤジ)に写真の光と現像、4×5ハッセルブラッドやら

の使い方やを教えてもらいましたが、師匠というより友達というか妙に気が合い、大胆で優しさに包まれた男でした。

お前さん

なキョーバシくん

写真機に写されるな

こんな物な機械だから

所詮機械よ

いいか

カメラの窓な

あんなもん見るな!

いいな

バ~ン!とな押せ!

あのね

モデルのなきらっとする瞬間あるから

引っ張り出して押せ!

禅問答のようだが

今思えば、人生はあっという間に短く流れていく

瞬間、瞬間

頭で考えて

どう生きるか

どう生きていくかではなく

今をエナジーギンギンにやれ!

集中と精神性というか、無我夢中に大胆に斬る感じ?

と聞こえる

哲学

古武道の師匠の土居清とどこか似ている

とにかく何かのご縁で、撮影させていただくので

皆で全力で

なんと30分から1時間で8カットから10カット違う1枚を撮ります。

ご家族のもと、お子さんの成長や、還暦のお祝いなど

1枚の写真がご家族のもと、思い出が残れば嬉しいです。

そう

写真の仙人のような柏原のオヤジの口癖

バーン!といけよ!

あのオヤジはいいオヤジだったな〜

誰?のこと

おっ

俺がアシスタントをさせてもらってた

ユージンなユージンスミス

いいオヤジだった〜・・・・

戦場カメラマンから水俣へ

ドキュメンタリーな男たち

そんな彼らもあの世からバーンとやれ!いいぞ〜

と言ってますねきっと

Chacott

Chacott PhotoShoothing

も1年半、200人近いお客様を、チャコットスタッフと撮影させていただきました。

海外はオーストラリア、香港、シンガポール、中国、マイアミからきてくださり

国内も長野、静岡、栃木、四国、九州から

ありがたいです。

そんな昨年撮影させていただき、親子さん共々初めてお会いした気がせず。

代官山のチャコットの入り口でばったり再会は嬉しかったです。

お菓子とお手紙をいただき、ありがとうございました。

1年はあっという間で、大きくなられてました。

また来年!きてくださいね。

厚い雲に隠れていた太陽も出てきたが

水が濁り撮れなかった。

入ってみないとわからないから

とにかく思い立ったら行く

自然界へ人間様の都合を押し付けないように

あの先に宇宙があり、海もあるのだろうか

宇宙へ行くより、深海へ行くほうが難しいらしいが

そんなところはいく必要もない

ありのままの地球の風に胸を包んでもらえばいい

街でも車で走ってると数年ぶりの知り合いにあったり、ばったりあうことがお多い。

先日も波が小さく波を探しに明け方、1年ぶりに伊豆のたたど海岸に行く。寒くて1度上がり温泉に入り、またこの海岸へ持った。シャッターが下りなく浅瀬で立ちながらカメラをいじっていると、サーファーが横を走り抜けた。板から降りておきへ歩く人が急に僕をよんだ

誰だ?

お!〜15年ぶり。行方不明だったパタゴニアのもとスタッフChiharuさん。

聞けば宮古島でフリーダイビングをしながらヨガや様々修練し移住し、たまたま本土に来てここにきたという。

普通は戻らない海岸に戻り。

防水ケースとカメラのセッティングが悪くなり浅瀬にいて

たまたま波に乗ってきた

広い海岸でなかなかない不思議

最後は挨拶できずそのまま別れた

またいつかどこかで

先日もカメラをはじめって映したのはいつですか?

と聞かれ、最初の1枚が何だっのか?

小学校の時にコニカのカメラで

沼田のお祭りか?近所で見つけたアルファロメオのマーク?

これだという1枚でも、思い入れもなくとった程度で興味の対象にはいらず

当時は海でそれも磯でもぐりながら魚を網で生け捕り、タコやアワビやサザエを採って

食べるのが生きがい。水中眼鏡と2本の網と腰のパンツにあわびおこしが海への道具

それが今はカメラになった。結局は先祖がえりですね。

そして生け捕った魚は、電池のポンプでぶくぶく酸素をビニールに送りながら

持ち帰って水槽で飼うのが1番の興味

少し硬いビニールの取手のついた、楕円のビニールバケツだから、

よれて途中床が木の客車でこぼしたり

生きてるかな?と水をこぼさないように、片手に釣り竿と網を持ちよく歩いた。

今思えばバケツにすればよかったのに、電池のブクブクが取り付ける

ビニールバケツのポケットがないからか

発想も考えも浮かばず

やがて海の学校へ行き、オーストラリアでアリフガードの資格をとり、海の怖さとすごさを

生身で再確認した。波の中を泳いだ始まりは89年のオーストラリアかもしれない

夜の街でもよく遊んだ時代

1年後の夏、逗子を海にいたら、伊勢の方の英虞湾で仲間が死んだと聞いた

運転していた船から落ちたらしい

そんなに普段は特別仲がいいわけではなかったが、あたあのいろいろと厳しく辛かった

ライフガードの海へ行こうぜと約束していたが

命は儚い、水泳もうまく体のでかい彼は19歳。僕は高校をダブったから21歳だった

それからは谷中のお墓に通い早いものでもう32年が過ぎた。変な話し生きていたら関係はなかったが、

亡くなってからの関係が深くなり、海へ行くたびに

報告に行く。郵便ポストが墓石の石柱に針金で結わかれ、中にはメモ用紙と鉛筆が1本。

それがご家族との手紙のやり取りだった。

そんな暖かなご家族のお父さんが急に亡くなったとお母さんから聞いた。

最後のあったのは3年前のファイヤーキングカフェ。

お母さんは、日本だった頃のパラオの生まれだと知り、僕もホームステーをしていたからお互いびっくりした。

そのパラオの家族とも、あのある日の40年前の4日間から今も家族のような関係が続いている。

話は脱線しましたが

そんな約束を守れないまま、1年だけ原宿のアパレルの仕事につくが、口先だけの社長に頭がきてやめ

やっぱり約束の海岸へ行こうと決めた

何かがずるずると約束を反故にしていたが

それは単に自分の決断力なさ。ワーキングホリデービザをとっても当てもない国へ行く不安だったのか

日常にスタックしていたのか、決めたらスッキリした。

あの海岸へまづ行って、家でも見つけよう

誰かが新聞に家のレンタルが出てると2年前のオーストラリアの海沿いのマンションで聞いたのと、最悪は日本食のお店に看板がありシェアメイト募集の紙があると聞いた。そんな程度だった

まだインターネットもクレジットカードもなく、なんと僕は調べないから、ガイドブック地球のあるきかたも知らず、むこうについて誰かが置いていった本を見て驚いた僕を驚く日本人

行くと決めたら凄い早い。原宿のプロペラという服や雑貨の店で、キャンバスのバックを買いこれに

詰め込めるだけ行こうと決めた。バックパックの旅や便利なリュックの存在すら知らず。

調べようともせず、誰にもそんだんせず。

すると僕の本当の父がカメラでも持っていけば?とCanonのAEー1をくれた

それが始まりかもしれません

窓から写り残る景色が、ただ楽しかった。絵は描けないが自分でも絵が描けるんだと思った。

36枚フィルムを詰め、スーパーで現像しても普通にできていたし

マニュアルで経験と勘でダイヤルや数字を動かし撮っていた。

結局家を見つけ4ヶ月ほど住むが、退屈になり目的を達成した感じがして、一度帰国しいろんな国へ旅へ行こうと決めた

今はデジタルになりすぐに写真も見れてピントも自動であうから本当に凄い。あの頃は現像が上がる日を心待ちにして取り行き、袋を開いたものです。そしてあの頃の一か八かの旅がなければこの写真もなかったのは事実。

子供の頃の海の時間が今を作ったのも事実。

夢中に一人でやることの大切さ。

漆黒の世界に

やがて薄暗い水中が

薄青くなる

人は目で色を光の反射で見ている

透明な光は目には見えない

透明な水も見えない

暗いから見えない

色は太陽が1度そのものにあたり

跳ね返り見える

しかし、海の中は透過して突き抜けてきているように見えるが

例えばカボスは緑でなく

太陽がカボスにあたり反射し、カボスのもつ緑の色が反射して緑に見える

カボスは緑でないが、緑の色素が皮に光がバウンドして緑に見える錯覚

暗いとカボスもゆずも黒です

カボスは硬い

水中で青いのは、青空を水中ごしにみるから青い(レイリー現象)だけではないと思う

水面という地球上のもう一つの異空間の層から水中に入った光「以外」の光も海底や水分子の角度や動く水素の隙間や、細かなゴミで反射し色がバウンドしている?さらにいろいろなスピードで動き、水素に潮まで入っている潮だってカリウムや様々物質がある

今やペットボトルのマイクロプラスチックもある

水中に入れない光が、全部反射したら海は暗いが

そこは透明だから水面を抜け、水分子の隙間を抜けてくる

海の色の違いは、太陽の角度と波のめん、水素結合の面の誤差が永遠に起こるから

沖の波の水は、ほぼ一滴も海岸にはきていないように

超細な透明な発泡スチロールのビーズでできている海

海は全体をさす言葉

事実は粒子とH2oの密度(透明ビーズ)で動いているから(これにエナジーの風が加わり波動となる)

押し合いへし合いしている為、1センチ先のビーズは前にあるビーズを乗り越えなければこれない

川は流れているが、これも水のビーズが絡み合いひっぱり、離れあうから

これを水素結合力といい、流しそうめんの原理この水の流れをどう水流という

川で溺れた人がいたら

後から飛び込んでも追いつかない

前に人が流れの緩やかな場や縁や岩の後ろエディーに入る場合や

後からの人が凄い泳力で流れより早く泳げた場合だが

流れた水で、流れと並行に手足をかいても、空振りする

これは摩擦がないからで、少し斜めにしたり縦横にして角度をつけ、水分子のビーズを

抑えたらいいが、なかなか流れる流速が早くなればなるほど難しい

流しそうめんに、金魚を流すのと同じ

でも問題が生まれる

なぜ鮎や鯉は滝に登れるのか?

逆らっているのになぜ?しかも上へ行かれるのか?

おそらく胸びれは邪魔になるから、特にシリびれを水の向きに対し、高速に垂直や斜めに動かし

体は落下する水に垂直で抵抗を少なくする、体重も軽い

あとは頭や体の連動した波打つうねり運動が、うなぎのように上へ行く

サメの鱗は水を後ろに押し流し、前へ体を進めるようにできているように

鱗もいいんでしょうね

きっといいんだろう

鳥が空を飛ぶのに近い?

僕もいつか落ちてくる波に逆に登ったら凄い

妄想こそ美意識への扉

学者や科学者なんていい加減なものです

自分で感じること、人に聞かない

自分で見て肌で水の流速や硬さを感じましょう

目が毒で真っ赤になる塩素のプールで真っ直ぐに競争なんてしないで

自由に上下左右に大自然の水に遊んでもらいましょう

在る事実

江戸の火消しで侍、浮世絵師に変身した、安藤徳太郎の偽名「広重」は写真的なデッサンにこだわり、写生こそが全てと言ったそうだ。

草鞋か足袋で徒歩で全国を歩き、時に馬にしろ籠にしろ、時間が今よりも濃密に緩やかに流れていたのだろう。

彼らが水中眼鏡で波の裏を見たら浮世絵にしてくれただろうか?

海の波や川や棚田に写る月や、瀧の動きを平面から動きを生ませた彼ら。

デザインや色にも拘理、芝の神明神社あたりに固まっていいた版元や絵草紙やで打ち合わせをしていた。

時計もない時代、なんとなく鐘が鳴ったり、人に今何の刻?と聞いたりして、大体の時間に集まったのだろう

奉書と呼ぶ、木「こうぞ」を細かく叩き、何度も漉くという越前の和紙

これも職人芸の硬い紙があってこそ生まれた浮世絵

今ではできない1ミリに3本の線を彫れた彫り師、絵を逆に何枚も重ねて絵になるように

感あげて彫るのも凄い、相当凄い小刀と息を止め、彫ったのだろう

髪の毛1本掘り間違えたらまた最初からやり直し

摺氏は寸分ずれずに、何枚もの桜の硬い木の版下に色を載せ、バレンで摺る

肉筆の浮世絵に比べ、緻密な腺や細かな描写ができた訳だが

布の目や模様まで空摺刷りし、着物の雰囲気まで再現しようとした

とにかくほんの150年前の海の埋め立ても、滝や川の破壊もない美しい日本があってこそ生まれた

この後も、世界にも現れない幻の技の結集

そう考えると写真なんて、押すだけだからいい加減な物です

しかし当時から海岸や海の姿は変わっても、波の裏側は江戸時代と同じです。

広重さんや湖竜斎さんや北斎さんに見ていただきたい

加工なし、ノーファインダーでカメラをむけて押しただけの1枚の記録

数百年後この写真を見た日本人が昔の海は透明でこんな色だったのか?と

いうのでしょうか?動き続けるマグロのような破壊に自然の海岸線も消え、テトラポッドや四角いケーソンの埋め立て、コンクリートやチタンの防波堤になれば

波も消えるどころか、芦ノ湖のコンクリートの堤防で波が鎮まらないように

地球はさらにぶっ壊れます

海と宇宙の連鎖と循環を尊ばない人間界は結局は自分たちを破壊します

自然に即す

海へ行こうと思い立ち

風や天気を見ると、風速10m波も小さい?

頭で考えたくないから

常宿に連絡するが数日団体で満室!

これは自然の流れ

しばらく太陽と波の風を待つ

人は自然という言葉のない時代から

宇宙に即して、寄生して生きるしかない

そこで、人間以外の万物に魂が宿ると信じ

科学や数字ではない、研ぎ澄んだ感覚と信念

を先人は大切にしていた

それは日本だけではない。誰もが胸にピントくること

パタゴニアの道具を使いたいのだが

正直ウェットスーツは寒いので、鎌倉の zero

ウェットは全てオーダー

体にフィットしないと命取りや、擦れてストレスに。

足ひれも相当ハワイの店をまわり履いて歩いて選んだ

日本軍失敗の本質=客観的に見て、失敗をしたらすぐに調整すること

海では瞬時の判断が迫る

非公開 織部3畳の茶室

織部がいた頃に作った訳ではないが

ここは妙な雰囲気が利休のワビサビの黒の窓のない世界とつながる

窓の多く四季や太陽の移ろいを感じ、楽しませ

感覚的に宇宙を感じようとさえた風の場

師匠利休の余計を排除した漆黒の楽茶碗や茶室

禅寺の和尚でもあった織部はそんな利休を吸収しながら

自由に感じて楽しむという、独自の感覚をブレずに確信し、器に猿や花鳥画を描かせ

それまでの、茶の作法に鮮やかな光をふり注いだ

織部が土を練り、描いた訳ではないらしい?から

学者の定説で言われているのはプロディーサーだったようだが。

それも実はどうだか?さすがに少しは描いたり、作ったんじゃないかな〜と思います

茶は中国から、臨済宗も臨済さん中国 正確には中国の前の国の時代

お茶は日本にもあったが

806年ごろ空海や最澄のお土産や土産話で始まりで栽培が始まったらしい

発酵させない緑茶、発酵させた紅茶。その間が烏龍茶

喫茶店の喫茶は鎌倉時代の栄西の喫茶養生記

仙人が飲むとか、体に良いと宣伝した訳が

歴史はさておき

今や、南の国の輸入のコーヒー豆が主流になる謎

お茶は無料なのに

なぜコーヒーは有料?

コーヒーマイスターとか焙煎気がどうとか

外見ばかりの言葉の付加価値どうでもよくなります。

坐禅して深呼吸。

静けさに身を置き、己を確認する

わからなくていい

わかる訳ない

ネットで物を買い、先に理屈や答えを知ったフリをして頭でっかちになる時代

古き長い時間、瞑想してきた先人の何かが残る場。

刀を外して平等にということで、狭い60センチ位のドアから入った茶室。

もちろん密談もしたし忍もきたな!あのにじり口から

どこかと通じれるこうした場は海や山や滝や川にもあるの同じ、人工的宇宙的体験の部屋

大切な時間はそこかしこに見え隠れしながら、いまだに訪れる人を無条件で平等に待っている

タスとか引くとかではない

考えすぎも、坐禅のしすぎもよかない

が、胸の赴くままに息吸うだけ

鯖街道

鯖街道とは若狭のサバを京都に徒歩で運んだ道。代々約100年続く鯖鮨やあれば天然の鰻、トロ鉄火

地下から湧き出る清水でつくるだしの狐うどんのお店。

その昔、貴船や鞍馬山僧正ヶ谷(天狗鞍馬山僧正坊が住み、義経に剣法の奥義を教えた山)の帰りに、なんだか地元の人たちのいる良さそうな雰囲気で美味しそうだな〜とふとたちより、味と雰囲気が好きになり、時間を作っては行き、数回めにけりがけると、「前にも来たよね?」と話しけてくださり。その次から写真を取らせていただく。携帯の写真や中の電話はもちろんご法度の当たり前が守られる雰囲気とオヤジさん。

朝から仕込んでな、いいサバないとやらんしね。11時から14時でおしまいや。

最近並ぶね?どうして?

あのな、もーなテレビや雑誌なろくなもんやない!もう絶対やらんわ!いろんな人がギョーさん来てな。まちで声かけられ面倒ねん。笑 写真も禁止や! あかん!NHKに取材でたりな もうあかん!

神輿だこが残る、貴船神社の氏子で今は若冲を応援していた相国寺の総代でもあるオヤジさん

余談

実は鞍馬寺は昭和24年ごろから、金星から来たサナトクマーラが降りた場所には変なモニュメントがあり、鞍馬弘教という新興宗教の場になってしまった。レイキヒーリングの臼井さんは山に篭りその宇宙のパワー?を得たとか、今やそれは商売として回路を開くとかうたい、最初はいくら、セカンドサードは7万!

なんと数年前バリ人からホテルでレイキの資格を買ってきた友人もいたビジネスに。

臼井さんもびっくりされているだろう。

自分でできること。自信を持って進められる仕事だけやる。当たり前の話。

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