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Ubud

1995年頃のバリ島のウブド。

森と渓谷に囲まれ、芸術家の多く住むこの場所が好きだった。
なんともいえない不思議な場に惹かれ、オーストラリアへの行きがてら
年に数回訪れていた。
観光バスもこないまだ静かな村の時代。
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ボール

水にも空にも色はついていない。
子供の頃手ですくった海の水を、見ているように。
この地球は不思議と極限のない美しさがつまったボールだ。
地球が丸いように、波とよぶ島に寄せる波動も、水の中では丸くなる。
厳しくもどこか優しさに溢れた青い雲。
空の雲も宇宙から見れば、海の中とは逆にしたお椀の様に丸く地球を包んでいる。
全ては海を境に青く丸いボールになるわけだ。
体を包んでくれるのは空間と水間しかないように、H2oの構造しかり。
水と空気は常に一つである。
血液の成分が海とよく似ている事など、人はこの海であり海の子供なのだ。
命の風の道を唱ったナバホ族の祈りの歌を、20年前オーストラリアの本棚に見つけた。
北山耕平氏と彼らがうたい伝えてきた言葉は、言い表す事が出来なかったが、まっすぐに
心に響き、知っていた記憶を憶いださせてくれた。
その人達に生命をあたえたものは風
今 私達の口をついて出てくるのも風
風がくれた生命
風が止む時私達は死ぬ
今でも指の皮の下に風の道が見える
私達の祖先が創られた時
風がどこに吹いていたのかを
それはいつでも教えてくれる
            ナバホ族に伝わる古い祈りの歌

表層

表層しか知らないでいた。
波という言葉は、あたかも一つの「物」のように単一で、物質的な物言いだ。
明治政府が西洋化をおしすすめ、仏像焼きながら作った造語「自然」しぜん。
本来は仏教用語「自然」じねんを、ネイチャーに利用しただけ。
と禅に深く関わる書道家大橋陽山氏から聞いた。
ジャンクな町と地球を都合よく線を引く為、つけた言葉だ。
実際に触れてみないとわからない。
実際にその場にいないとわからない。
いや、既に何が良くて、悪いのかを本当は皆理解できている。
もっと言えば「良い事」ではなく、「当たり前」の事を人は知っているはずだ。
太陽がいかに大切で、地に足がつく大地が大切なのかを知る様に。
教わる事でもないわけです。
笑い話だが核ってなんでしょう?
この地球に、宇宙にないものを人間が作ったのだから、分解など出来る訳が無い。
「除染」という「巧妙な」言葉ほど、「自然」と同じく欺瞞に満ちた言いまわしはない。
実際には丸い地球の川から海へ、海から山へ、よその國へいくだけ。
このやっかいものは、半永久的に地球や生命を傷つけながら動き回るだけのお話。
でも核は莫大なお金になるらしいから、好きな方が多いのですね。
どこかの企業やエコビジネスが言う「自然」こそ「不自然」だとわかる日がくればいい。
意識がその向こう側と繋がり、気づいた時に、町や海岸におちているゴミを拾っている。
地球を知った様な顔の科学者やメディアの、薄くて馬鹿なお話に耳を傾ける時間があれば
まづは「自然」しぜんへ行きましょう。
この地球をもっと好きになります。
そのうちきっと気づく日がきます。
雨のフィジーの離島の300m程沖
地球の海の崖の中で。
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風は椰子の葉をさらさらと音を奏で
この静かな小さな孤島を包みながら、作為の無い色で染める。
僅かな時。僅かな今。
ここに来なければ知らないままでいたであろう。
この潮を含んだ冷たい風も、遥かかなたからここに来、様々な景色を見てきたのだ。
人も同じ時間を生きながら、本当の意味で生きている事を確認するため、
島から島へ旅をしているのかもしれない。
風の温度に地球の厳しさを知った。
フィジーの離島で
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海のご褒美

おばあと話をしていると、そこはさっき話をした人の家。
「茹でたてだからおいしいよ」と珊瑚礁に住む甲羅の固い丸いかにを頂いた。
流れと外敵から身を守る為か進化した形はすごく美しい。
まるでボールのようだ。何よりもこの甲羅の固い事。
歯が甲羅で滑ってとても噛み砕けず、珊瑚の石でたたいて食べた。
それは甘くおいしいかにだった。
足の折れていないかにを選んで手渡してくれた優しさ。
聞けば昨晩暗闇の海でつかまえたとの事。
しばし海がつまったご褒美をいただいた。
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亀の子

人が住む集落は海に平行に建ち並ぶ高床式。
目の前が珊瑚礁の海が一面に広がる。
ここで大きなグリングリンの波がくる。
窓にはガラスなどある訳が無く,風は家を駆け抜ける。
美しくも地球の強い暮らしの中で。
乾燥させたヤシの実は、火種にする。
日本では亀の子たわし。
海に帰ったような帰らない様な亀の子供。
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サンタクロース

海辺の村の家々は皆高床式。
ヤシの葉がさされ、波音でうたた寝。
そんな時間がゆっくりとたゆたう。
笑い声の先には、サンタクロースの帽子をかぶり、マジックで体に刺青を書いた子供。
純粋な人々へ、うまいこと布教したキリスト様の影がここにも。

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コンセントニンビー

入り江と砂州のある美しいヤコ村
全ての存在が正しい場所と時間でなりたっていた
貝殻や落ちたヤシの葉で遊ぶ子供達を見ていると
ごくごく自然な循環の中で生きる人々に多くを教わる
他から持ち込まれたジャンクな物も、足りない物もない完璧な世界
エアコンの効いた飛行機で乗り付けた我々へ
多くの学ぶべき事、思い返す事がこの国にある
進み過ぎた世界に、人の心は追いつけない事を知り
おばかなコンセントのはえた自ら人が作った物で
人の魂は縛られ締め付けれていく事に気づく
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ねぐら

風通しの良すぎるバンガローがしばらくの寝床であり、機材置き場。
マラリアを持つ蚊から守るため、蚊帳に包まれ寝よとの事らしい。
海は目の前。
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山車Dashi

ニューギニアの首都ポートモレスビーから国内線で2時間、インドネシアとの国境に近い場所についた。
しばらく手で積み降ろしをされた荷物の山が山車の様なカートで出るのを待った。
おもおもいに山から自分の荷物を引きずり出す。
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曲線

ごく自然にあるものは、曲線を選ぶ。

川は海へ向かい、海も途方もない時間で海岸線を満たした。
珊瑚礁の白波。
島が隆起と沈降をくりかえしながら、今の土台ができた。
海底のサンゴの岩盤が急に浅くなっている為、波が生まれている。
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旅情

明け方ポートポレスビーについた。 

そこから国内線でインドネシアとの国境近くの村へ行く。 

カップの壊れ具合が、なんとも旅情を誘う。

 
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ニューギニアへ

首都ポートモレスビーから国内線で2時間程で、インドネシアの国境近くの海の村へ、極上の波とまだ見ぬ世界へ向かう。 

かの大戦でジャングルに海に呑まれ、本当は長く生きられた命を、国の大義名分で無理矢理若くして終わらせなければいけない状況に圧倒された人々がいた。
海ももちろんだが、今回はまづ祈らなければならない。 

ハワイも初め殆どの太平洋の島々ではこうした物語がある事実を、我々日本人は心の何処かにとめておかなければならない。 
純朴な美しい島を勝手に戦争に巻き込み、兵器も骨も置きっぱなしの状態があの戦争でもあり日本でもある。
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一服

蚊を媒介とするマラリア原虫用。
前後もあわせ16粒毎日一つ飲み込む。

一粒900円の毒の玉。 
自ら一服もらねば生きられない地球の強い場所へ。 
ニューギニアもかの大戦で10万以上もの方々の命が消えてしまっている。 
泥縄式の作戦と、飢餓や病による死亡率は97〜98%だと言われている。 
今の政府や原発関係者の素晴らしいご報告は、欺瞞と自らの立場や体裁を維持したい大本営となにもかわっていない。 
こんな国にする為に若い命が失われたとは、思いたくはないのだが。
 
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外来種

新しく便利な物とは

今、私達日本人は、電気の車を始め、お金を獲る為に企業が編み出すジャンクな商品に毒されている。
たしかにフィジーで使われている石鹸は、界面活性剤の入った毒の石鹸かもしれないが
その反面、1本のシャワーから出るひねれば出る山の水があれば、これでいいのだ。
後先を考えない放射能も含め、これ以上地球の力だけじゃ分解出来ない物質を作るもんじゃない。
南洋の島々で彼らの暮らしをみていると、大事な事を憶いだす。
山のタロイモ畑から戻った親子と、水を浴び子供達。
昔と変わったと言えば、人々が服を来て、木の船がFRPになり、椰子の家がトタンになっただけだ。
キャプテンクックではないが、よく落ちる石鹸や洗濯洗剤は世界の南の島の最もジャンクな外来種。
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フィジーへ

村人はマットなどにつかう葉を海辺で乾燥させる。
簡単そうで実は、何度も天日に干してはしまう作業。
生活がどんなに便利になっても、家、船、服以外は数百年、数千年前と変わらぬ暮らし。
楽しく幸せに暮らすには、これ以上の過剰な便利は必要ないという事だ。
ここには多くの教えと、 地球に沿った本来の姿が生きている。
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Makaha 2002

地図を助手席に広げマカハへ。
古き良きローカリズムが残る場所だと聞いていた。
たしかにノースとは異なりなんだか、穏やか。
古いピックアップトラックが風景と人の暮らしに溶け込んでいた。

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2002ノースショア

ハワイの人々は本当に海に慣れている。
子供達はまずパイプライン横の、このププケアのビーチで練習する。
自分も同じくたくさんのことを、体で学ばなければならなかった
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青く一列に高速で巻き込む波。
畏れと美しさは表裏一体。
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裸足で砂を感じ、大地と繋がる。
寄せては返す波は、彼らにその長い海の変わらぬ物語りを伝え
太陽は私達をここへ又たくさん戻ってくるよう、忘れがたい色で包む。
波と共に動き感応している子供達に比べ、大人になるとこうして、
地球だけで遊ぶ行為を忘れてしまう。
海辺に行けば憶いだす、たくさんの色がある。
どこへ向かうのかをそっと海は教えてくれる。

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忘れがたい色で包み、

絵はがき

旅は独りで行くのがいい。
様々な困難や不安以上の喜びが必ず待っているものだ。
考え、迷っていれば、それは行け!というサイン。
2002年、防水ケースを作り、右も左も見えないまま、ノースショアへ泳ぎでた。
危険きわまりない波へ生身でいく恐ろしさに、生きるすべを全身全霊で感じとるように
なった。
今迄知っていた怖い思いの、「遥か彼方の怖い」がここにはあった。
だから、やがて古来から人々が行ってきた、ありのままの地球と太陽への、感謝と祈りへと自然になっていく。
どこかのおひげのおじさんや誰かを拝み倒すのではないのだ。
間違ったジャンクな東京にあのままいたら、見る事も、この水の動きも、味もわからずにいた。
もっと早くきたかったとよく思うが、今来たから、そう思えるのだ。
旅は連なる波の様に、人々を魅了し続ける。
積み重ねられていく、自身の絵はがきのようだもいえる。
旅へ出ただけ人は、この地球から大切な言葉や、知っていたはずの懐かしい香りを
憶い起こさせてくれる。
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優しさ

2002年の丁度今頃、ノースショアにいた。
独り車を海岸沿いに東に走らせた。
やがてなんとなく車を止め海岸へ出ると、丁寧に飾られた木が冷たい風に吹かれていた。
静かな寂しげなこの海岸で、人々の優しさの風にそっとなでられた。

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海殻

海岸の砂も、もとは珊瑚や貝殻やかにの甲羅からできている。
これだけの砂が出来る迄に、何億年もかかったのだ。
繰り返し満ちては引く波にころがり、互いがやすりのようにこすれ微細なかけらとなる。
そんな時代を超え海を知っているのが海岸なのだ。
人も海の殻の中に生きている。
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海光線

風音と波音。
唯一海に太古から響き続く歴史の音。
そして太陽。
歌声とギター音は人工的なのだが、不思議と人為的な感がしない。
作為や無理がなく、波乗りと同じく、限りなく道具がシンプルだからなのかもしれない。
もちろん歌い手の心が、そこにはなくてはいけないが・・・・
砂浜に残る人々の足跡を見ていると、足跡の数だけある、それぞれの
人生の旅路に思いを馳せる。
数ヶ月先の自分が、どこの海岸にいるのか不思議で楽しみだ。
海から戻り、またここに戻る。
人は海岸に何かを伝えに来ている・・・・
何かを知りたいと思っている・・・・
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角刈り

朝起きると、スパニッシュ系の見知らぬ短パンの角刈りが、

立ちながらヌードルを食べていた。
やがて彼は台所でうれしそうに2杯目を作っていた。 
泥棒とかではないようだが、誰だろう? 
相変わらず宿に誰が泊まっているのかわからない。 
泳げる波はないようで、誰もうみの中に泳いでいなかった。 
宿に戻ると角刈りは庭の掃除をしていた。 
なんだ宿のスタッフか・・・ 
バックパッカーとはこんな所。 
ちなみに波はパイプライン。
まるで壁の様な大波が岸から数十メートルで崩れている。
 
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錆びJ

ぐさぐさに錆びたダッジラムのピックアップ。
このラットな感じが雨のハワイに溶け込んでいる。
持ち主は3階に犬と住み、酒の勢い大声でさわぐ、おひげのJと言うおっちゃんの車。
車はひとなりが見える。
やはり彼も錆びていた。
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知る

競技や技ではないサーフィン。
やらない人からみれば、サーフィンは呼び名も含め軟派で軽いイメージなのだが。
間違いなくスポーツではない命がけの行為に、敬意をはらわざるえない。
そして自身も彼らを見ていくうちに、競技もサーファーさえも撮らなくなっていく。
思えば自分なりの海との向き合い方を知る為に、ハワイに来ていた。
それぞれの時間。
それぞれの海。
流れにそって。
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世界中のフォトグラファーが、巨大な望遠レンズで一列に並び撮る。
一度は並んでみたが、レンズの先は同じサーファーだと気づき
2日目におかしくなって笑った。
だから以来このての撮影はやめた。
やってみないとわからない。
自分に合うか合わないだけの簡単な事。
海に違和感がある接触はしたくない。
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戻る

昼頃目覚めた。
雨も上がっていた。
やはり、溺れた海に戻る必要に押された。

この時が一番気持ちが重かったが、このまま逃げたら終わりだと感じていた。

たぶん死にかけた同じ場所へあえていく事で、心のダメージを和らげたかった。
ドキドキしながら海を望む小道から丘に出ると、
海は大荒れでクローズだった。
もちろん海にはだれもいなかった。
正直泳がなくてホットしたが、逃げずに来てよかった。
海はまだまだお前の力では、来るなと伝えてくれたと感じた。
そして気持ちを変え子供達でにぎわう、エフカイビーチへいった。
幾度かせまりくる波をかいくぐるりながら、朝の事が頭をよぎったが、
心が悪い方向に持っていかれないようにした。
結局1時間半程泳げたというのが正しい。
特別な写真は何も撮れなかったが、特別な時間を与えてもらった。
海もそうだが、子供達の楽しげな穏やかな時間に救われた。
朝の出来事は自ら招いた事故だった。
明日から何年も続くであろう波の時間を精一杯生きようと思った。
夜は宿の庭で普段飲まないタヒチのHinanoビールを1本だけ飲んだ。
気分がいいから、おごそかな乾杯というやつだ。
海では心のあり方がいかに大事かを改めて知った。
もちろん自らの力にあった場に行く事。
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