こうしてこの村を始めフィジーでは,村に商店が奇跡的にない。
だから毎日が狩猟と,収穫で終わると言っても過言ではない。
初めはこういうフィジーという異国の暮らしと、しか感じ得なかったが。
実はこの地球の全て暮らしで行われてきた行為であり,生きる術なのだと知った。
おばかなコンセントに囲まれた、軟弱な我々の様な日本人にも多くの教えと、叡智がある。
生きる力と,生きる術。
この地球と感応し生きている。
いや生かざるをえない。
それだけ地球は強いから。
地球にあるものから、銛や魚籠をつくり、海へ行く。
魚も大小さまざまな。これを家族で分けて食べる。
月に1度くる大潮の前後、獲物を捕るチャンスとばかり、村人は手に銛をもち、腰に釣り糸と針をぶらさげやってくる、それこそ、獲物と自然の潮の満ち引きに対応した準備。
みな服を来たまま泳ぎ,海を歩く。
島と島に珊瑚の岩の道が出来る。
そして11月のある日の1日、フィジーでババロウと呼ぶ,ゴカイの産卵がある。
岩の浅瀬に赤や黄色や緑の,細くて小さい海のゲジゲジが大量に現れる。
村人はカレンダーも無いのに、この日は必ず皆海にあつまり、いわば収穫祭。
不思議な事に多少の前後はあるものの、村人はこの日を当てる!
もちろんこれは、食べるわけだが。
生でヨシ、揚げてよしの、彼らの楽しみ。
おばちゃんにホレ!っと手をさしだされ、口へ入れてもらう
ぬるっと動くジュンサイのようだ。
昔からの地球に即した時間を彼らは示している。
我々文明というジャンクな電気の国から来た物達は、それを読みとらねばならない。
そして今,もう一度その生きる術を学ぶときなのだ。
雲が低く流れ,光が無くなると,彼らは海から山へ戻っていく。