STAFF : Uncategorized

告白

泳ぐ前に礼をする

セージを炊く
太陽ワカンタンカへ祈り(ネイティブホピ族が言う太陽)
その場を祈る
ラジオ体操もわすれない
恥ずかしいなんていってられない
それもこれも
恐怖の暗闇に引きずり込まれ
溺れ流されぐちゃぐちゃにされ
意識がずれて三途の川へ行きかけたから
以来いくつかの言葉と
海への感謝と無事に戻れるように印を結ぶようになった
基本は不動明王、龍、なによりその昔、忍びが崇拝した摩利支天と忍者先生
行かなくてはわからないから行く訳だが
体1つは常に怖いから、災難から敵(サメ?)から見えないようにしてもらう
いわば暗示とお護り
海は嘘がない世界
ずれがない世界
大きな海はそこにあるだけ
そこでどうなろうが,地球も自然も作為も意図もない
やましい気持ちは捨てなくてはいけない
人間が所詮小さい訳だから
無理な世界へ足を踏み入れた事実を知り
体が冷える前には、足がつく海岸へ戻らなくてはいけない
自分の撒いた種は自分でかりとる
とにかく頑張って泳ぐ
死の線を泳ぐ意味
カメラの事なんてよくわからないから、質問されても知りません
実はカメラマンじゃないのです
20090610_2054.jpg

雨風

ざっくりえぐられた砂浜から砂丘を降りるように波打ち際へ向かった
海岸からわずか15mほどで5ftの波は白く一列に爆発していた
山の位置を確認しながら、きつい潮流に逆いながら泳いでぐも
どうしても大波の中に引き込まれる
その上海面はミズスマシのように動き回るサーファーでぎゅうぎゅうだ
15分でサーファーにうもれ、水も濁っていたので撮影をやめた
足の立つ浅瀬まで数百メートル横に流された
こうしたとき、まっすぐ岸へは戻れないから
必ず流れながら斜めに海岸へ慌てずに戻る
頭は心理的に最短ルートを選ぶが
体感と心は落ち着いて斜めを選ぶ
時間が経つほど、酸素の消費で筋肉に乳酸が溜まり固く動かなくなり
パニックになりやすい
遠くに聞こえる波音を後に、鳴き砂の珊瑚の浜辺を歩いていると
強烈なスコールが雨の煙ですべてを隠した

開店前のライフガードタワーで雨宿りする家族
こんな小さな頃から
朝の美しい潮騒に、雨風の音が記憶に残るなんて
幸せだ
もちろん海にお辞儀をわすれずに
礼!
20130415_9999_17.jpg
20130415_9999_18.jpg
20130415_9999_21.jpg
20130415_9999_26.jpg

戻る

カネオヘの友人宅へ泊めてもらった
12年前フィジーの乗り継ぎをを待つ5時間
当時は何もないタイルばりの空港を
うろつくボディーボーダー達に会った
旅は不思議なもので、偶然にも日程もこれから行く小島も同じで
以来彼らの住むハワイ、日本、サモア諸島、インドネシアで
それこそ波にあわせて会ってきた
サイズは6ftパイプラインでも久々の波に皆チャージ
そんななかボディーサーフィンをする人々
海から戻った彼らは満足感に満ちている
海は心身を僅かな時間で浄化してくれる場だ
山とは違い、泳げなくてはいけない
刻々と変わる海に自分を重ね,自分の身の丈で戻る
山で初心者なら休憩も,歩幅を緩めることも出来るが
海は必ず戻らなくてはいけない、食べる事も飲む事もできない
体温の低下と、妙な胸騒ぎが
ここは地球のもう1つの世界で
永くいられる場ではない事を知らせてくれる
だからこそ人はその僅かな儚さと
厳しくも美しい波間に、身も心をゆだねる時間が必要だと知っている
僕もこれから海へ
20130415_9999_2.jpg
20130415_9999_4.jpg
20130415_9999_6.jpg

漬け物

ヤシ
パパイヤ
バナナ
南洋の島での生きる上で欠かせない樹木
もちろん無農薬で灼熱の太陽へ向かいぐんぐん育つ
町の僕たちと言えば
野菜は体によいからと
規格サイズや収穫時期をあわせるなど種をいじられ、農薬を精一杯吸い込んだ野菜を
ライトアップされたステージから産地を選んで買うのだから
皮肉な話し、「薬の漬けもの」で体に良いのやら悪いのやら
すぐに反応が出ないような薬品だから、ここら辺が放射能と同じ
にくいことをしてくれる
20130413_9999_89.jpg

何億人もの人が
ここノースショアにそれぞれの想いを抱き
通ったのだろうか?
この美しい積み重ねられた時間は、誰もが心地よいのだから
アメリカがほっとく訳がない。
コーラとハンバーガーや海辺のホテル、車など
数えきれないゴミがこの島に持ち込まれ
ハワイの伝統をあっさりと消して行く
昔の景色を見に行く為の道
海も年々濁っていくのもしかたないが
地球も同じ宇宙の島であり
その凝縮された姿がハワイでありフィジーでありパラオであり島々だ
イースター島の文化の滅び方が
いまの地球の姿の未来だと,例えられるように
限りある事を知らなければいけない
20130413_9999_87.jpg

案内人

魚の子供ではないから
やはり初めはそれを教え、見守るナビゲーターが必要だ
ここハワイは海のつまった人々がその、夢の案内人だ
畳の上の水練は意味がない
一面に広がる不思議な潮の海に行き
ここでその水の力と動きにあわせる
アロハとはよく言ったもので
僕はこれも
Alo 合わせる
ha    呼吸 
だと信ずる
20130413_9999_129.jpg
20130413_9999_127.jpg

河童

1時間あまり泳ぎ
体が冷えたから海からあがった
冷たいシャワーを浴び,車で着替えていると
遊びにきた親子に声をかけられた
「撮影?住んでいるの?」
流暢な日本語にびっくり。
「いえいえ、観光なんです」
と変な返事に。
結局もう一度みんなで海へ行く事に
ハワイの子供達は河童の子供
海に波に水になれている
びっくりするようなショアブレイクも潜ってかわす
海で海の感覚や,水の堅さや柔らかさを体で覚えるとは
この事だ
小さなボディーサーフィンのハンドプレーンを持ち
流れはじめたら斜めに陸へ向かい
危ない深さになったらすぐ戻る
町の子供との生きる時間の差は埋めがたい
一生の大事な教えがここにある
20130413_9999_106.jpg
20130413_9999_96.jpg

丸い世界

水が冷たくなってきた
波もあまり来なくなった
とうとうと湛える塩水の水面は分子レベルで絡み合い
純粋な水の持つ動きだけで波打ちながら、離反し山を作る
人の手が入っていない自然界のもは
必ず曲線になる
水も山の形になる
山ももとは海だったから
空の雲も海の雲ももとは同じ海だから
居場所の違いだけだ
そんな簡単でありながら、人の手には全く及ばない時間と景色の中で
人は野生をおもい
美しさと恐ろしさに畏敬を抱くのだろう
町の暮らしにそんな時間がないこと
そんなように、思える景色や時間がないこと
誰だって心がギスギスしてまう
ポイとゴミを捨てちまう
この美しさと怖さをしれば
そんな事なんて自然に出来ないのだが
人為のない地球との時間が必要だ

   20130412_9_.jpg

読む

延々と続くクリーム色の分厚く粒の粗い砂浜にいる
それぞれの時に
海岸に引き寄せられた人々の意識と
同じ心地よさを感じた穏やかな足跡が
幾重にも蛇行しながら、彼方に消えていく
この砂も数千年前は海の珊瑚として生きていた
人間が知り得ない時間と空間の密度が保たれた場は美しい
テトラや人工物のない、地球の摂理で遥かな時間と自然に出来上がった
うねる浜辺がいいことか
人々は戻れる算段と準備をして
冷たい水の中へ行く
山と違い海や川は長くはいられない
地に足がつかない中で体が冷えて、食べ物もない
もっとも危険な領域でもある
この水間も地球の記憶を知っている
しかし山も海も川も容赦はない
それがあるがままの姿であって、それ以上も以下もない
ご機嫌を伺い、観察をし
自分の力量と体験を天秤にかける
そんな読むという行為が今、人には大切なのだ
無意識に地球の流れを読める力を憶いだし
楽しみと冒険を今生の僅かな時間に頂く
裸に近いほど、そのエネルギーを知る
沖から雪崩のような海雲がせまったら
間違っても退いてはいけない
波が来たらとにかく前へ向かう訳だ
するどく潜って波とすれ違い、呼吸をする
人が作ったスポーツ?と呼ぶ
競技やルールは通用しない
試合ではなく仕合いだから
その繰り返しの1枚1枚を、安全な場所で観ている
20130412_9999_.jpg
20130412_9999_36.jpg

日が傾く夕方に海岸へ行こうと感じた
まづは、食べ物を探しにマーケットへ車で向かうのだが
昔なら生きる為に漁へ出るか、畑で収穫だろうが
便利なもので、個人的な嗜好に欲望に時間を使える
戦後世代の我々は
昔の日本とは時間の使い方が随分と様変わりしたものだ
変わった事さえ見えにくい、こうした写真の箱に住んでいる
じゃあ「人が快適と呼ぶ」ここから一歩も出ずに生きられるか?
どだい無理だろう
動いてないもの
生きていない空間で
人は生きては行けない訳だから
所詮人工的な水槽じゃ、ストレスで死ぬ水族館の魚と同じだ
居はあくまでも雨風をしのぎ、寝に帰る場であり
伊賀の芭蕉が羽黒山中の水辺に構えた庵のような
己の静けさに戻る場である
一人旅は時間があるから
一人旅は自由で時間の流れに生きられる
実は一人旅は周到な準備がいる
そんな一人旅の景色は一生忘れないものだ
海から独り無事に戻れるようにといつも願う
その場へ行かねばわからないから、旅へ出て
人は誰もが山河で最後は祈るのだ
自分にではなく、その場の大きな力と美しさ,悠久の時間から生きるその場に
これこそ自然に頭がさがる
アウトドアなど呼ばれた場へ行き
不自然な金と時間の雨に毎日さらされていた
こんな事
東京の,ジャンクな町じゃ思いもしない
旅って野生と自分を忘れない為の、現代特有のバランスを取り戻す行為だ
別に海外にわざわざ来なくても、いいのだから
日本をもっと知らねばと感じた
こうしてグダグタ書くのも旅なのだから
20130412_9999_28.jpg
20130412_9999_30.jpg

8年

20130412_9999_13.jpg

20130412_9999_9.jpg
20130412_9999_23.jpg
20130412_9999_5.jpg新しい車が増え、古いピックアップが少なくなった

高速をあおり、ウィンカーを出さないくるまが増えた
人が増えた
これが8年ぶりのハワイの印象
あれほど来ていた海岸の道の入り口を忘れ、何度も通りすぎた
昔いたレセプションの女性は休みらしく
薄暗い2段ベッドのシェアルームのキーを渡された
日暮れに部屋に、無愛想なバイクで来たらしい白人のおやじがいた
リビングにビールとすしを食いかけのまま、どこかにいった
朝オフィスに呼ばれると
その女性がいた
当時と変わらぬサバサバしたエネルギー
「ごめんなさいね
Wブッキングで別な部屋を案内したらしいわ」
海沿いの部屋でようやく落ち着いた
昔のようなシェアルームは面倒だと感じるにも8年
昔毎冬泊まっていた部屋を見に行った
木の家はそのまま、緑の中にあった
このテーブルで毎晩、泳いだ波との感触をしるし
この階段から裸足で海辺へむかった
溺れて死にかけた日に戻った場を歳月がいっそう懐かしくした
案外広いとおもった部屋が小さく感じさせた8年
蝉も8年土で暮らし、地上で7日羽を震わせ命を終える
時間は続く

オアフへ

ハワイに戻ります
雨のハワイ島からオアフ島へ
8年ぶりに戻るハワイ
その昔フィジーの離島へ行く為、空港で5時間待っていた
そこで同じ島へ行くハワイアン達と出会い
今こうして彼らの結婚式の撮影を頼まれた
あてのない旅が
こうしてあてのある旅になる
もちろん場所が同じでも、同じ旅はないのだから
新たなあてのない旅だと言える
積重ねられ、ふりかえると地球の様々な場所と海に足跡と泳いだ水の感覚が残っていた
旅ってそんなものだ

20130411_9999_10.jpg

20130411_9999_3.jpg

箱寿司

地球は語りかけるなんて
恩着せがましいものはない
人がいるずっと前から、地球のリズムでただあるだけだ
魚や、動物、木々が絶妙な配置ができていて
雨がふり海へ注ぎ、また空から山へ
ものすごい循環が自然に出来てきた事に、驚くべきだろう
地球と名付けた所詮限られた水槽で生きてる
今やモーターをまわし、フィルターをつけて生きているようだ
このまま汚染が進み、淀んだ青くない空と海、山の水も飲めなくなるまで
何もわからないのだろうか?
電気の流れるコンクリートの蟻塚に住み
電気の車、電車に詰め込まれる町の人
ビルで空も見えない
動物も魚もよりつかない町が増えていく
地球の音も、温度も暗さも忘れ
心がギスギスしながら
植木鉢を部屋に置き、潜在的な緑に救いを求める人々
バランスを取り戻すため
今や人は 変な言葉「アウトドア」ウエアを買い込み、野山や海へ行く
そもそも全部アウトドアだから、うまく名前をつけたものだ
地球はありのまま
嘘もない、飾らない光と影である
誰かが書いたような模様の魚が海にいるように
知らない事だらけでいいのだ
美しさに限度もなければ、厳しさににも限度はない
無味無色
ただあるだけだから、人や科学者の考えで
子供達を四角い箱庭で競争させ、頭だけ良くしないでおくれ
そんな世界に独り身を置き続ければ
きっと人は恐ろしくてゴミを海に捨てれない
自然と環境保護団体にとやかく言われなくとも、パンダに募金をしなくても
正しい事しかしないだろう
きっと正しいという言葉もいらないのだから
そこに立ち、自分で気づく事がなによりも一生忘れない
打ち寄せるギフトになる
それがホピ族の言う第一の世界トクペラだったのかもしれない
まづい事にこうして僕もこんな時間に、電気仕掛けの機械で書いている
IMG_3192.jpg

霊蛇瀧

なんともすごい名前の場所
山陰を写す龍がいそうな、緑の淵
どうも写真がぶれていた
後で住職の奥さんも「ここで写すと写真がぶれるんよ」
とおっしゃっていた。

僕にはわからないが、わかる人が来たらきっと、違う次元の入り口のような
何かを読み取れるのかもしれない
静かな不思議な場
ここで伊賀の赤目衆や忍達も目をつむり
大和敷根の香りを読んでいたのだろう

IMG_3149.jpg
IMG_3137.jpg

2時間くら奥の最後の瀧
この先はとなりの集落へ続く古来からの道
石でケルンが積んであるのは日本風
ハワイはティールーフにくるんだ丸い石
石がなにかと繋がっていることを、深いどこかで知っている
野生の癖であり、体の奥にある癖である訳だ
IMG_3032.jpg
IMG_3010.jpg

海へ注ぎ雨となる

山の養分が川から海へ注ぐ間に、分解と合成を繰り返し
この紅葉もやがて水になる
水が自ら選んだ場所だから、水が溜まって流れるのが川
川底がコンクリートでもないのに、吸い込まれないのが不思議だ
だから川や海なんだが、学者が言うには97%が水のボールの地球
水ガメであり、水の塊
今じゃ放射能からゴミや農薬、車のシャンプーから洗剤アタック!まで海へジャ〜だ
おかげで貝や海藻、魚から人まで、皆で
人間が勝手に作り上げたケミカルな毒をシェアし棺桶にいく
そうパタゴニアの40周年の会場で辻井社長が話していた
世界の綿(コットン)の収穫の93%は葉っぱがじゃまだから
枯れ葉剤を飛行機で巻いて収穫している
こいつは神経系や様々なダメージを人体に及ぼす猛毒
今だベトナムでは生まてくる子供達にダメージを与え続けている
ベトナム戦争中、開口健氏共活躍された写真家石川文洋氏が
今またベトナムで枯れ葉剤の残虐さを撮影されている
ベトナム戦争で地雷と捨てっぱなしの実験場にしたアメリカ
国連の地雷撤去条約にも遠目で細い目つき
さすがだ
 
ま〜そういう事だ
IMG_3067.jpg
IMG_3061.jpg
IMG_3129.jpg

奥へ

今15:30 帰りを計算しないと、暗闇で迷う事になる
このまま3時間ほど歩けば、山の向こうの集落へ続く道
今から数百年前忍びや、修験者達は
この森の暗部まで分け入り、瀧にうたれ、泳ぎの練習をしたのだろうか?
岩や石だけは彼らを知っている
冷たい淵で泳いでいいとも言われたが、幾人か歩いてくる人がいたのでやめた
(基本遊泳禁止)
ハヤやヤマメ、川ガラスなど、珊瑚礁と同じくこの陸の森も
生き物達の聖域であり、人間にはかなわぬ時間で生きている
IMG_3091.jpg
IMG_3007.jpg
IMG_3126.jpg

赤目48瀧へ

朝雨が降っていたが、流れく水は少なかった
巨石と深遠な緑の奥へ、飛瀑の音に、無心に誘われていく
ここで修行をしてきた忍びや地侍の弥勒信仰の
弥勒菩薩の48願からきたもので
48瀧がある訳ではない
自然界の曼荼羅であり
瀧音がお経であると言い伝えられている
宇宙の思想間がここに生きている
IMG_2969.jpg
IMG_2865.jpg
IMG_2888.jpg

伊賀の南端

天台宗延寿院」ご住職松本氏

この地と瀧を崇拝し、全国に法華経を背負い徒歩で納経をしていた、山伏であり、忍の原型でもある赤目衆の伊賀の当時の足跡を今に残す方
信長に焼き討ちされるまでは、宿坊もあり当時のにぎわいと、
おそらく、技の鍛錬する場でもあったと聞く
延寿院は家康のおとぎ衆である津藩 藤堂家の祈願時であり、
一般のお寺のような檀家のない特殊なお寺
江戸の城の石組みはここ名張の職人であり、東照宮の彫刻などを小堀遠州などを、
金銭面や人材面で支えていたのが高虎だという
最後はこの目の前のピラミッドの山で即身成仏を願っていたというから
敷地内の瀧の神、「たきつひめ」をおまりしたのがこの神社のはじまり
今だ日本たるやが息づく祈りと神仏習合の、伊賀の最南端を守る古刹
 B&w3.jpg

忍者先生 役の行者

忍び達や行者達が信仰し、崇拝してきた験力や呪術を使った役の行者
伊賀だけでも125体確認されている
この山に囲まれた狭い盆地に、これだけ残っている事は特殊な場
もちろんさらに多くが、信長の焼き討ちにあい消失した
ここ延寿院も忍びのいわば基地だった為、焼き討ちにあったという
灯籠と一部のものが鎌倉時代で
あとはそれ以降だが、みな国の歴史と祈りがつまった宝だ
どれだけの人々が見つめ、祈ってきたのだろう
語らない仏像と掛け軸だけが知っている

  W5.jpg

ネイティブジャパニーズ

日本のすべてを表している軸を見せていただいた
延寿院 松本住職曰く
山の神天狗、仏さんに、忍者先生「役の行者」すべて仲良し
寛容で自由な昔の日本人の素晴らしい一枚
現在では空海さんの真言密教が広告的にもうまいから有名だが
天台宗は最澄さんが同じくインドから持ち帰り比叡山を道場にした
いわば伝え方の違いという訳で
カレーやナンやチャパティーを右手で食ってた彼らを偲ぶ
個人的にも仏教のこの世は来世をいいものにしよう〜という時間という教えより
生きている間に様々な修行をして会得し今と少し先をいいものに
といった空海さんの流れは我々素人にも、わかりやすい
修験道はさらに仏教や密教のいい部分を混ぜながら、山の中で実践、体験していく
訳だから、学校のような形の教本(教典)がないので、さらにしっくりする
人間の6根が邪魔するから、山できれいにしょうじゃないか!
と羽黒山の修験の先達、星野さんは話されていた
師匠が既に実践者な訳だから、紙で覚えた先生とは訳が違う
赤目の瀧を祀る延寿院をはじめ
大自然と人が名付けた、地球の人為の及ばない場に分け入り
実践し考え、感じながら行を修める方法は違いこそあるが
それこそ自然発生した素晴らしい日本の宝だ
平安時代?誰かが昔、こう言いました (たぶん)
なんて記憶力でつぶし合う学校の、おかしな点数を競い合わせる勉強より
実際に海に入り水の温度を知り、山を歩き体感し体験した教えと
良いとか悪いとは、別名次元で
どちらが深く人生に大切かは、そこに行ってみれば誰だって、すぐわかる
鳥や魚がそんな場所にいないのは当たり前、脳の大きさや科学じゃない
昨日こんな話を写真教室へお金を払い通う方々と話した
三脚で写真を撮ろうと一生懸命足を伸ばしている間に
そこには生きた時間は流れ、停滞した「物」しか写りません
ぶれようが、暗かろうがいい訳で
それこそ「人の押しつけと」、「思い通りの絵」の
気持ち悪い例の幕の内弁当写真になる
写真も人に教わるものではありません
そこに自ら独りで行き
感じたままパチり!
れが自由で楽しい写真であり
その人の生き方の証明であり
その人の人格が見えます
見れる写真は山ほどある
読める写真はもっといいもです
明日から数日間、羽黒山の修験者星野さんに御逢いしに行ってきます
W2.jpg

天台宗 延寿院

伊賀名張は赤目の48瀧
旅心をくすぐる名前をつけたもので
数年前からいかなければと
ナビなんてない車をヨタヨタ走らせた
あの坂の上に今から約1300年前に例の忍者先生が開いた、瀧と赤目不動を祀る
延寿院があると、道で聞いた
あったあった
歴史を吸い込んだ色濃い2つのお堂と
御神木と鳥居がある
瀧へいく前にまずは参詣せねばとお堂に立つ
ガチャ!っと隣の家からある人が出でこられた
知らない他人様の場だから、「お参りさせてください」と願い出ると
ある人はここのご住職だった
「あれ?どこかで前におうてますね?」
「開けましょう!」
潔く軽快な口調と暖かさで羽目木を外し始めた
しばし、秘仏目赤不動と、忍者先生をはじめ、山とを結ぶエナジー
阿弥陀仏を祀る真意など
特別の話と特別にお写真を残させていただいた
追記
こうした古い祈られた仏様を写す際
フラッシュは使ってはいけません
痛めるのと、まづ失礼!
今回シャッターが1回しかおりなかったから
撮るなという事だから、1枚だけ残させて頂きました
松本ご住職と偶然にも
あのタイミングで御逢いできた事は、今回の旅のすべてだと思います
ありがとうございました
この場を借り御礼申し上げます
w6.jpg
w9.jpg
w7.jpg

お行儀

あてもないないまま、地図をひろげ

その昔にこの地で命を賭して生きた
忍のわずかな影を感じれたらと思った
前から来たかった赤目48瀧へ
まづは大阪から向かった
小雨が降る中、伊賀の山は霧に包まれていた
山と雨、山と霧、山と雨は何も変わらず、同じ情緒を観ている
のだと思うと感慨深い
蛍の舞う闇に
遠く鹿の鳴き声のする山に
山から流れる瀧に
川ガラスの舞う川に
飛鳥時代に渡来人により持ち込まれたと憶測される忍のはじまり
日本書紀を始め、聖徳太子が「志能便」と呼ぶ者を使い、物部氏の動静を探らせたと記され
(戦う相手を知るには自然な事ではあるから普通の事ではあるのだが、証拠の1つとして
研究家先生が書いていた)
634年奈良で生まれ、各山で修行の末(富士山にも来た)呪術を使う役のおずぬの登場が
基根にある。(実際いたかどうかはわからないが忍者先生と呼ぶおじい、
やはり仙人のたぐいはひげのじい様のほうが雰囲気が出るから、広告的にもいいのだ)
伊賀、甲賀の人々は自然に、山中で自然発生した修験や仏教と溶けあいながら
東大寺の支配や信長を始めた諸大名の支配を嫌い発生した農民、山人、土豪
西暦1050年頃の伐羅軍団 バサラ(名張の黒田の悪党)が伊賀忍の母体だそうだ
伊賀には忍者先生が125体ほど祀られ今にある
それだけ、呪術、体術、薬法、変装(滝口は昔猿楽の村)といった
この地の特異な地域性と密に絡み合い戦災も免れ生きている
こうした特殊な忍の闇のロマンが研究者の心をに光をはなつのだろう
とにかく
彼らがいたのは事実
ショー小杉の忍者アメリカ映画は全くのでたらめ
いわゆるジューズでサメが悪者になったのと同じだ
あのおかげで、僕もいつも海のしたばかり見ている
長い時間とともに生死を求め練り上げられた
武術、体術、心の道であるのは間違いない
そんな僕もだから、命をおもうとき、地球から力を受け
命がけで生きてきた彼らを自然に、信奉し崇敬してやまない
教科書で秀吉や信長が何を言ったのしたのなんて
生きる上、この地球に何の意味もない研究家のマスターベーションで
文部科学省、教育委員会なる人々も日本の精神を
もっと組み込んでおくれ
慰安婦問題も同じく、なにより戦争が悪い訳で
事実、強制連行もあった、自ら志願し働いたねえさんもいた
ここに線など引ける訳がない
ABCの戦犯の線引きとて同じ
お寺の過去帳じゃないんだから
先生方たのむよ
地球で勝手に人の国を巻き込み
弾 うちっぱなし、武器 捨てっぱなし、骨 置きっぱなし
地球に行儀が悪い!
「飛ぶ鳥跡を濁さず」と選挙カーに書いておくれ
今回写真なし

ハワイの続きはまた

数日間だが伊賀と甲賀へ車で向かった
東大寺や信長らの権力者と、まっこう戦い
山岳修行や特殊な体術や心術と歴史に生きた
やがては忍と呼ばれた人々の里へ
w10.jpg

青光

2時間かかったが、宿に戻り
陽がまだあったから、海へ戻った
やはり水に中は心地いい
光とロールして巻き去る水は美しい
20130409_9999_68.jpg

雲が流れる姿は
水が流れる姿と同じ
そもそも雲は海の水であるあるから
H2oというように酸素と水の微細な粒
地球は
宇宙は
2度と見れない姿を我々に見せている
20130409_9999_112.jpg

戻る

海に戻れた

夕方17時半、日が暮れ始めるのは7時前だから
地元の子供達も学校から戻り、海に戻る
きっと彼らも時計ばかり見ていたのだろう
20130409_9999_20.jpg

ワイは水 ピオは曲がる

ワイピオの車で行ける終点
あれ?瀧はみれないのか?
ずいぶん短いな〜話がなければ15分
そこがツアー会社の手腕の見せ所であり、財布の口から文句がでないよう
つとめる訳だ
日本人のツアー会社を通すと、決まって2人からでないと参加できないが
現地では1人から可能。自分で車でワイピオのツアー場まで来れば55ドル
ホテルの送迎だと120ドル
当然ツアー会社は「公園に車を停めて歩いてご自分でもいけますよ」とは言わないから
見晴し台のPに車をおいて急坂をのぼりおりすれば、0円
もし車でここまで行くには、4WDを借りてこなければ行かれない上
運転に自信がない人はやめたほうがいい
テントを担ぎ7〜8時間あるけば、瀧の近くで寝泊まり可能
旅の様々なスタイルで、様々な体験が出来る訳だ
来てみないとわからないから、今回は初級観光客コース
なおさら次回は険峻な山を越え瀧へいってみよう
地球を憂うダニエルのガイド
写真は河の交差する車で行ける行き止まり
不思議と涙が出てきた
20130409_9999_269.jpg

流れる

雨雲の中を移動しながら、南へ向かった
海に間に合えば入ろうかと、思ってきた
ハワイ島の風土と暮らしにピックアップがとけ込んでいる
wai13.jpg

マスタング

90年代初めオーストラリアにあてもなく向かい、住み着いていた
当時観光客のレンタカーといえば、右ハンドルのムスタングとジープだった。
そんなムスタングも走っているものが少なくなった
役目を終えたという事か、庭先やガレージに多くの車が放置されているのもハワイ
太平洋戦争末期、硫黄島からB29の護衛についたマスタングの戦闘機のシルエットや
模倣的なアメリカ人の描かれたマークなどに、驚いた子供の頃
まさか日本人がアメ車にのるなんて、思いもしない出来事だ
ま〜そんな今でも車のデザインや自由な楽しさで、日本は当然アメ車の魅力には及べない
平和が大事だが、世界の警察と名乗るアメリカが武器を売り、
いいがかりをつけては、世界を実験場にし軍需産業で超えている現実
日本とて世界遺産になりそうな霊峰富士の裾野で
自衛隊が演習場と呼び霊峰の根元にミサイルを撃ち込んでいても
ユネスコは多めに見てくれそうだから
マウント富士の力はすごいという訳だ。
mus1.jpg
mus2.jpg

瀧がいたるところに見える
山を越えながら7時間歩くと真下にいけるらしい
テントをかつぎキャンプサイトへ向かう旅人とすれ違った


20130409_9999_213.jpg

ワイピオ

ワイピオには野生の馬がいる
昔、津波が起きたとき
馬が高いところに逃げ、村人もそれにならい助かったと聞いた
地球に生きる感覚を信ずる事
20130409_9999_222.jpg
20130409_9999_229.jpg

Haguro yamabushi

羽黒山の山伏(宿坊 大聖坊)
大先達の山伏名 星野尚文氏
羽黒山の深山で、霊験な修行をつみ重ねてきた星野さん
羽黒修験道は出羽三山と呼ぶ
湯殿山1500メートル、月山1984メートル、羽黒山436メートルで古来から続く
人がごく自然に感じ、尊んできた山河と
人の暮らしにはなくてはならない生き方であり
宗教を遥かにこえたロマンである
ここで、そこで脈々と祈られたマントラであり、自然回帰の1手段
この地球に大切な、ネイティブな心と地球のバランスを
忘れない為の水のような存在と信ずる
修験道とは吉野の山の忍者先生 えんのおづぬじいさん から始まり
山国日本各地へ密教や仏教と妙齢に混ざり合い今日に至る
スイッチを入れたように明治政府が修験やほねつぎは野蛮だと禁止し
神仏分離で西洋化を無理くり進める前までは
この140年前に作られた禅の「じねん」 を「しぜん」と名づけ
都合のいい線を引いたのもこれ
まー鳥の名前も魚の名前もいい加減なものだ
なにはともあれ
仏様がインドカレーと一緒に輸入される前から
ここにあり
そこにあった
夏には一般の方も参加できる、体験的な山伏の会も開催されています
とても優しげで暖かい星野さん曰く
「ま〜羽黒は教典とかそんな面倒な話しはいいんだ。
まづは山へ入り、滝にうたれる
まづは自分でやってみること、どんな世界も同じだよ〜」
羽黒は入り口はひろいから、あとは自分で感じ
次にやるかやらないかは自分で決めればいい」
聖域 地球と俗世界 
人をつなぎ、いざなう、わかりやすい最高の案内人
俺だって半分俗で半分聖だ
迷ったら旅へ一歩踏み出す
波へ向かった時間が蘇った
向かわなければなにも、おこらないわけだから
人には六根という思いがあるいじょう、おのずと行くしかない
「誰もが六根があり、それが間違いも起こすわけで
それを懺悔して、きれいにしてもらうため母なる山へ向かうわけだ」
たしかに
泳ぎたての頃、自然に波の中でごめんなさいと叫んでいた
やはり
Hoshino3.jpg
HoshinoB&W.jpg

語り部

ワイピオに生まれたダニエルとかたときと離れない娘
会話や動きも独特だが
ダニエルの持つ不思議な感じと
強い地球の守り神のようなハートに心をうたれた
レイに使うククイナッツは油が豊富で、彼のおばあさんがよくろうそくにしたこと
ティーリーフに石をくるみ、神聖な場にそっと置いて祈る意味
タロイモが地球にできた最初の食べ物の神話
まだここの川にはエビも魚もいる
あの山から流れる滝も、このワイピオとよぶ曲がりながら海へ注ぐ川も
全部生きていて、すべての地球に住む動物も木にも大切な場所なんだ
リスペクトと感謝を忘れないで欲しいと願うんだ
皆さんのそれぞれの国に帰ったら、僕が話した事を持ち帰り家族や友達に伝えてほしい
帰りの車中
「ダニエル、日本人も今地球から心が離れて
地球を大事にしない人々が自然に増えているんだ
怖さや美しさを知れば、絶対に出来ない事だよな
生まれ育つ環境を、時代や場所のせいにしちゃだめだな」
「ライト!ライト!」
そうなんだよ!
ここにもいた。
インタビューにまた戻る日がくる事を確信し
旅の素晴らしさに感謝。
20130409_9999_257.jpg20130409_9999_289.jpg
20130409_9999_260.jpg
20130409_9999_248.jpg

Waipio

北へ延々と車を90kmで走らせ2時間半
ワイピオ渓谷へ向かった
古来神聖な場所して今に続く、渓谷
旅は新しい文明の道具で海の向こうへ渡りながら
古い地球とそこで生きづく物語を垣間みる
相反する行為の先の非日常と思いがちな、実は懐かしく記憶の
奥にある自分を見に行くようなものかもしれない
千葉にあるのに東京と呼ぶ、電気仕掛けのネズミの国じゃ知り得ない
生涯に焼き付く感情や感覚をこの目で知る事が
子供達や大人達にも、今大切な事だ
アメリカ人の考えためずらしいぬいぐるみや
電気と、人が作った仮想で人工の世界も、それは、物珍しく
楽しいだろうが
それ以上のものは知る事はできない
それ以上とは何か?
無限な地球の旅を続けるうちに聞こえる
未知の驚くべき風の音であり
理屈のない嘘のない世界の入り口で
限度のない美しさに包まれ
束縛から放たれた開放感と己を観る
内観しながら、現実の自然にぽつんといる自分を見る
そして
皆きまってこう言う
「なんだもっと早くここにくれば良かった」
電気の箱は所詮、電気の箱でそれ以上はないわけだから・・・・
人為とは限界をいかに巧妙に隠すか否かにすぎないトリックだから
20130409_9999_202.jpg
20130409_9999_208.jpg
20130409_9999_209.jpg

ハワイ島では船を、船台にのせ走るピックアップが多かった
日本では自由におろせる場もない上、運ぶまでの道も狭く無理な話しだ
バックした車は船台をそのまま海へ、船が浮いたら車は前へと
合理的で自己責任であり、自由だ
人工的な防波堤と、おろし場があるから可能なわけだ
夕暮れの海に船は出て行った
20130408_9999_150.jpg
20130408_9999_152.jpg
20130408_9999_183.jpg
20130408_9999_162.jpg

混濁

水滴が丸いように
波も海も海の雲も丸くなる
東京湾をはじめ、日本の町の海は、四角い水槽だ
海岸はコンクリートで埋め立てられ
テトラが投げ込まれ
海に落ちたら、はい上がる場所がないから
人が作ったもので皮肉な事に溺れてしまう
世界にはまだまだ、昔のままの姿で
大昔の記憶で、我々をいざなってくれる場所がある
沖縄じゃないが、漁業保証や、政治やアメリカの圧力で
先祖から守られてきた、美しい海岸や砂を売って欲しくない
が都会と島暮らしの経済格差は縮まらない
そもそも島は小さいから、妙なマンゴーを売る他に稼ぐ事態が無理なのだが
車だって、コンクリートの家やテレビも欲しいのだけど
この埋まらない気持ちを、辺野古の海で埋めてほしくはない
澄んだ水があること
この意味は何か?
明治天皇に日本にして欲しいとたのんだ、カラカウア大王のいた
ハワイも、いつの間にやらアメリカのハワイ州になっていたわけだ
20130408_9999_2.jpg
ページの先頭へ戻る