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伊賀

三重県は伊賀

古民家の宿「ささゆり庵」を
修験者の松林さんがオープン
厳かな空気の中
ホラ貝が響きわたる
地球と自然の神々への祈り
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考えを及ばせない

闇の宇宙へ繋がる空間を空と名付けた
雲は微細な海や川の水であり、重くなれば下方へ落ち山河に戻る
近づいて撮るには飛んでいくしかない
海の中には空気の雲がある
これは上方の空へ向かう
まだ言葉がないから
それだけ穢されてない訳で
机を抱えた学者先生が行けない場所
なんだ
H2oの居場所が違うだけだと知れば
俺たちは水中に生きているのだと知る
水中では水という密度に支えられ,包まれているから
たとえ6メートルの波に押しつぶされ水間を落ちたとしても
海底の固い珊瑚の岩に、ダイレクトにヒットしない。
つまり体をまとわりつく水がクッションにもなってくれる
水で汚れが落ちるように
心と体の汚れを,天然の地球の記憶を知る水で、洗濯してもらう訳だから
効果は抜群である!
とはいえ・・・・怖すぎる
波をやり過ごしても、サメ様を始め生きる為に
餌を探している方々は真剣だから怖い!
人間が生まれてから
日本の学校の四角い水槽内で
記憶力を競いあった時間では
到底「考えも」及ばない世界が存在している
宇宙の大海であり、自由にどこへも行ける
「水を得た魚」とはこの事か と知り
狭い頭で考えを巡らせた過去はおさらば!
なんて,ある日気づく。
旅へ行く
今の日常で何が出来るかなんて意味が無い
あてのない地でこそ、野生の本領を発揮する訳だから
とにかく行けば、その「考えが」及ばない世界が無限に待っている
今から12年前、こういう写真を撮ろうと思い
波へ向かった訳ではなかった
何がなんだかわらないから
未体験で困難な修行の地は海じゃないか?
ハッと!感じた日から変身した
足をつけて生きろと!と言わる世界から
この足がつかない場へやっぱり逃げた!
凝り固まった嘘の人間界でいう海岸から離散した
元来た場所なんてもう戻れない
延々と海が陸地に続いているのだから
どこだっていいんじゃないか?
旅ってそんなもんだ
きままに自由に,自分の決めた方向へ流れていけばいい
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証人

地球のすべては、互いにあるべき姿で
溶け合いながら生きている
人間だけがいつの日からか解け合わず
数億年の景色をぶっ壊す
この向こうが結界であり
聖域であり
海であり
海の向こうの陸地である
仏も神も森羅万象のなか溶け合うのが
じねんな姿
そこで経験を積むのが修験であるが
一神教はそうはいかない
誰かが言った事、書いた事以外は認めない訳だから
そりゃ戦争だ!
そもそも神様のふりをした人間が言った事など
悠久の宇宙と地球にあう訳が無い上
地球はいらないと言っている。
だから不況やなんとか活動で押し付けるしかない
最初がズレているのだから 
そのズレのまま互いのいい訳を探すだけだ。
神仏習合や世界のネイティブな心持ちは
最後は同じ頂で出会うのだ
本来地球に生きる意味のパズルを探す方法の違いだけだと言える
死んだつもりで行け!
捨ててこい!とはたしかにそうだ
その狭い頭の中の枠とは無縁な
予期せぬギフトが旅先で待っているのだから
絞り出して考えた事が脆弱なのは明らかだ
独り旅へいくなんて
いいじゃないか
まっさらな自分を自分にさらけ出してみたらいい
日本には古来から信じがたい長い時間と多くの人々の足跡を知る
生きた地球がまだまだ息づいているのだから
この岩も数億人の歴史と祈りを見てきた証人である
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沖縄人工ビーチ

琉球王朝は、薩摩とメインランド日本にいわば植民地化され
沖縄と名前までつけられた。

やがて戦場にさらされ、武器も打ち込まれた艦砲弾も骨も置きっぱなし 
多くの人々には家族がいる以上先祖がいる 
20万人以上の人々の命がしみ込んだ島だという事実を 
政府や観光業界は一斉に薄い布切れと、人工ビーチで隠してきた 
集客的に有利になる白砂の海岸を持つ海辺の豪華なホテル 
その砂はエジプトの砂だとご存知か? 
無くなるたびにこっそりと、どっさりと、埋め立てる訳だから
天然の海と人工の海岸である
国産伊勢エビを食べたつもりが、オーストラリアのロブスターだった話し以上に 
本来の天然の海岸に2度と戻れないのは,落ちたら這い上がれない,コンクリート
で固めた東京湾とて同じ 
たしかに公共事業とアメリカで食べなくては「現代風」の生活は成り立たないのだが・・・・ 
本土より総事業費1020億円。
このうち357億円が沖縄振興予算から人工珊瑚礁や護岸工事を請け負う建設業者に注がれる
世界の小さな島々は
よそから来た外来人と輸入された余計
な物で溢れている 
つまり沖縄の白砂の海岸で泳いだつもりが,実は埋め立て地の輸入砂の人工の海岸で
ある事実
黒い溶岩の島ハワイの人造ワイキキの海岸の白砂も
カリフォルニア産である訳で
海水だけがハワイアン  
しかしながら、こ沖縄にはよそ者の身勝手思惑に翻弄されながらも 
御嶽や水神を崇め、悲しい時間を鎮め祈る人々が
数多く住むのは
世界的にも稀有な事実である
アイヌであり、ハワイのカフーであり、ネイティブアメリカンのシャーマンとて同じである 
地球と宇宙の、祈りに祈りを塗り重ねてきた島である
先祖の御霊を憶い、世界が平和であれ、美しくあれと
ガジュマルの大木に
きじむなーよ戻っておいで 
事実があり歴史があり今がある
ありのまま事実を観ながらソーキそばをすすればいい
戦争で亡くなった20万の御霊に手をあわせてから海へ入るよう
観光局もこれからはいいましょう 
沖縄の海岸問題について書かれておららえます由、転用させて頂きます
下記軽々しいのでぜひ参照 

海の底が激しくぶつかり水面に姿を表した
人はそれを山と名づけた
日本もボルテックスのであり
日本そのものが磐座である
もちろん緑が生えていない姿と時代は
人間は知らない訳だから
人間の都合のいい殿様気取りもづっと後の話し
生き物達が命をかけて生えて来た時間
それぞれがその特性と、生きる確率の高い場所に根を張ったのも
南の海の珊瑚も同じく、海の木々といえるだろう
これこそが天然の地球であり
自然ではない
アウトドアではない
誰かがまるで,禅庭のごとく配置した山
昔のままの景色と途方も無い風雨が
さらした時間が語るもの
止まっているように見える地球も
実は常に振動し見えない1コマ1コマで動いている
風がどこからきて
どこへとどまるのか
を知りたい
風とはなにで出来ているのか?
海の水がいったいどこまであるのか
どうしてどこかに漏れないのか?
誰かが調整したように、塩分濃度がいつも同じな海
海の魚は海水を飲んでいない
特殊なえらで塩分をこしているので
もし飲んでいたら、海にいながら塩漬けの干物になる
実に簡単な事を考え,知るたびに
誰かの仕業と思わざる得ない
それが神様なのかネイティブが言う、創造主タイオワなのかは
ピンと来ないが
間違いなく人知の知り得ない事があっていいわけだ
数字や科学は後からとってつけた,研究成果と胸算用
だから様々な色の魚達が海の中にいる訳だから
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島と防波堤

伊豆の南
写真は撮影者の意図で作られる幻想で
都合のいい絵でありながら
嘘の無い究極のリアリズム。
無心で心から美しいと思う1枚と
よく観るとなんか変だから、普通は表にだされない
もやのかかった疑念の1枚
不自然さと美しくない景色を嫌い、天然自然のままを望み遥か遠くまで来た
旅行者の思惑と、いろいろな世界を観た価値観をもつ旅行者の目。
計算されて設計図に忠実に
元々あった岩や生き物を
生き埋めにしてできた、コンクリートの防波堤
東京湾や伊勢湾しかり
日本の海岸線の多くは四角いコンクリート製だから
落ちたら這い上がれないのは、波より助かる見込みが薄弱で
死が近くにある
そもそも海の気高き怖さから避けるように
暴風の度に船を移動させずに楽に守り、荷物を降ろしやすい足場が防波堤
この地で海と生きていない人間の勝手な戯言としても
人間の地球への一方通行な無神経さの象徴であることを
どこかにとどめておくべきだ
地方特有の、公共事業と政治屋、建設業者の
うれしい思惑のつまった防波堤
話は飛ぶが、数年前訪れた島に不自然さを感じいろいろな方に話を聞いた。
竹富島の港が防波堤だらけになった理由
交番が無い理由
台湾から輸入された水牛が重い牛車を引く理由
白鳥や鶴は渡り鳥だが、水牛はそもそも違和感がある。
白い砂を敷き詰め
沖縄中から古民家を移築し
あたかも古くからそこにあるように宣伝し
旅行者の嗜好性を高め,お金を落とさせるテーマパークの島
渡り鳥観光客は、あっという間の休憩と観光でどこかへ飛び立つから
考える間がない。
いわば壊れて行く地球の縮図である
排水の問題やゴミの問題も含め
小さな島の現況は,大きな島アメリカ、中ぐらいの島日本をはじめ
実は同じ。
しかし大きい島は汚れがごまかしやすいから、見えにくい。
旅をするときれい事と平行し、世界の小さな島がぶっ壊されている。
もう少し地球を思いやる
公共工事は出来ないものか?
ま〜無理だろうね。
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龍穴 伊豆

海が途方も無い時間をかけ
削った龍穴
龍が住んでいそうな静かな
どこか厳かな空間
この中だけは、さっきまでの時間の外のように感じる
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外来種

日本人は、どうつっぱった所で山を海が恋しい訳で
潜在的に宇宙と地球が生きている事を知っている
日本人はその美意識とたぐいまれな自然と感応できるセンスを持っている
まるで箱庭のような小さな地球を奏でる間を
独特な感覚と、長い時間をその1つの時間として表現し
鍛錬と修練をかさね,地球になるべく失礼の無いように創りあげた歴史を生きてきた。
万物に命があり
全てに魂が存在し
風が波が生きていると覚えていたのも
そんな昔のはなしではないはずだ。
東京で高さを競ったスカイツリー
千葉にあるのに東京ディズニーランドの箱庭
騒がしい電気で動く機械の人工的な世界
あんなものを一日眺めたところで
表面的な楽しみは金で買えるかもしれないが
心にのこり続けながら、魂をゆさぶるものはなにもないだろう
浦安の漁民を追い出し埋め立てたで電気のネズミの国。
本来は聖域である島が
輸入されたおかしな、名物やジャンクフードで汚された宮島
台湾からつれてこられた水牛にのる,西表島や竹富島
沖縄に米軍が居座り続けるように
大なり小なり日本の島々も、本来の島になかった、外来種で
絶滅においやられ、ぼろぼろになっている事実を
昔の日本が鮮麗に残る宮島で知る。
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宮島名物

その昔宮島は古戦場であったから、毛利は血を吸った砂浜の砂を入れ替えた
今の参道は埋めてて出来た道で、今の裏の道がその昔の参道であった
神社と山は変わらないが,今ではコンクリートのホテルが建ち並び
参道の様相もここを訪れる人も,昔とは随分と変わったようだ
島がそもそも,墓場であり神社や山岳修験の聖域だから
昔では考えられない、歩き食いが今では誰もとがめない
いずれ立ち小便がでたら,日本も終わりだ
過疎化が進み,一時は観光客も激減した宮島
今ではそのPRのおかげで見た事も無い奇抜な立ち食いファストフード店が
虚偽の名物を語り本土から渡りはじめ
古い土産物屋の間に並び始めたのもこの7〜8年
時代が変われば品変わるのもわからなくはないが、本来の祈りの島から外れたPRで
観光客を呼んでしまった,観光局、宮島の商工会議所、厳島神社
間違えに気づかない日本人と間違いを知らない海外のお客さんが
これ以上蔓延しないうちに、世界遺産だとか言う前に
古来から祈られてきた人々の歴史をもう一度大事にしてほしい
お猿もちゃんと小豆島に返してください
今の日本人の教育の場となれ
祈りの場とならん事を祈る
そもそも宮島名産は鹿でもカキではなく
厳島神社や大聖院をはじめとする聖域寺社と
それらと地球の平和と国の安泰を純粋に祈った人々の時間なのだから。
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変な名前杏橋

宮島へ渡った

数年ぶりに修験の山「弥山」にのぼり
山頂の天狗堂,不動堂や神社にお参りをしたかった。
この間京都の伏見稲荷でみつけた,海や山の神の祝詞集の
練習をかねたかったのだ。
実は父方の先祖は広島の風早という、瀬戸内と山に挟まれた地で
そこの菩提寺浄土真宗「元行寺」の隣にある神社「祝詞八幡神社」
の神主の娘がひいばあさんにあたる。
その神楽殿にいくつもの天狗や龍王を祀る神社がある
ひいじいさんのじいさんまではわかっている
安政時代の 杏橋清助 柳助 三木次 忠次郎 達磨 から僕
このひいじいさん
三木次が飄々とした大工で漁師で今で言う銀行の為替トレーダーだった。
(生前会った事があるが、白いステテコとひげをへそまでのばした仙人のようなじじい)
今の5億円をあつめこの地にインフラや学校などを作ろうともくろむみ
3億ためるもアズキ相場で大失敗!ちんちろりんの1,2,3のごとくかっぱぎである!
昔は駅から幟がたっていたと、未練たらしく話した当時子供だったじいさま
この辺りの山から広大な土地のすべてを失った。
ま〜我欲の為じゃない上、あいつならやりそうだと、笑い話しだと思うも
じいさま達は子供ながらある日を境に逆転したあの風にゆれる幟を夢に見
怒っていた。
で弥山と海に建つ厳島神社へ向かったのだ
参道で何か違和感を感じた。
そもそも聖域で祈りの島だから食べ歩きも禁止なのだが
今ではルールもマーナーもどこへやら
メディアがあおるように、食べ歩き番組を放送したおかげとPR効果がテキメン。
ならば縁日のてきやはいいのか?と言う複雑怪奇な話は置いておき
小豆島から輸入された猿と
過疎化し高齢化した土産物屋を借りる
本土の商人達がたくらむ、ロハスなカフェや
宮島名物とうたう、串刺しの冷凍練り物や,中華まんじゅう
お客は歩いたまま食べた上,土産物屋にはいるという暴挙。
もう聖域でも神社もへったくれもない。
これではあの有名で奇妙な竹下通りと変わらない
今にどこかのプロマイドを売り始める日も近い
もう常識なんて通じないのだから
毅然としたルールが監視カメラのように必要になるのだろうか?
それでも雨にぬれた寺社や木々の緑は時間をずらして美しく輝いていた
思えば母形のばあさんは毛利の関係だから、これまた呼ばれているのかもしれない。
また過日伊賀の山に、300年前の行者のご先祖の足跡を
当時の御朱印帳をたよりに旅する方に出会い驚いたが
その当のご先祖も、ここ厳島に徒歩と手漕ぎ舟できていると後に知る。
今から30年前にホームステーしたパラオのおやじの行きつけの
日本食カープレストラン岸川さん
昨年なにげなく,広島の話になると疎開した先が風早で
うちのばあさん達と遊んだ事があるのよ〜と
杏橋は変わった名前だから覚えてると
ぐだぐだ書きましたが
ご先祖が変な名前でよかった話し。
どこで誰がみてるかわからいから、恥ずかしい事にならぬよう
宴席で回って来たお皿も1つだけつまんで隣にわたそう。
だから旅は面白い。
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海岸で

雨の降り注いだオゾンが満ちた朝
雨宿りをする旅の親子
店をあけはじめるライフガード
それぞれの思い出とともに
海岸ですれ違う人々
人には海が必要だから
皆、自然に海岸に集まる訳だ
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去年の今頃

去年の今頃はハワイ島で丁度50周年目のフラの大会
メリーモナークに呼んでもらった。
地元の人でも入手が困難なチケットがとれたらオアフの空港にいる間に電話するが、
とれなかったらこのままハワイ島行きのエアーチケットは捨てて
ノースショアに行くつもりだったが
なんととれた!

で見れた。

大会とはいえやはり凄い観衆の目の前の100畳くらいの壇上で舞う訳で。
なみの精神力ではない。

修行と修練を感じ感動した。


正直フラに興味はなかったが生で感じなければわからない。
古典フラKahikoのチャントと祈りの舞は鳥肌が立った! 

写真は優勝したmanalani English さんのAuraという現代フラ,
甘い音楽と歌声がすごい。
コンセプトも衣装もレイもうまかった。

Manalaniさんの映像は4にあります。

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波だ

不思議な事がまた起こる
今日
久しぶりに目黒不動尊と忍の祖の役行者と、滝の行場で
真言を唱えた。

すると今、伊賀赤目のお寺から赤目不動尊の御影が届いた。
聞けば古い版木は文化財に指定されている為
昔に刷り師の方が摺った15枚存在する1枚との事

同じ日、300年前にこの寺に来たご先祖の御朱印をたよりに
その足跡をたどる岡山の方にも1枚贈られたとの事

住職曰く、ご縁の深さと、遥か遠くでこの伊賀赤目不動をお祈りいてくだされば、それが最良の場所だと感じたから と


涙。

お堂でもないスタジオに大変なものが届いた

出会いがそもそも縁なのだが
その昔から人生にあたかも配置されていたような現実。

数ヶ月前にふと立ち寄ったあの時間から始まったと思っていたが
実は今の住職のお父さんは、伊賀から
ここ目黒不動尊で約60年前に滝行をしていたとの話し。

これからも素人ながらセージを焚き
海で龍と不動尊と行者の真言をとなえ
独り神仏習合の祈りのまねごとを
世界の海に手向けさて頂こう
山伏ならぬ海伏として生きなくてはいけない。

波の中で生きたいと願う時間と
一枚の写真が教えてくれた大切な数々

天然の地球への感謝と祈りの為に人は存在する

美しい時に埋没し,心が揺さぶられる時を
いかに過ごしたかで
人は自然にALO HAとなる
祓えたまえ清めたまへ となる

(一人りの大先生の教科書を崇める一神教や、現存する大先生に寄付する新興宗教は論外として)


世界のネイティブな人々と国には言葉を越え

祈りの手段の違いであっても
結局は同じ意識で、地球と太陽に万物に感謝をささげているのだと知る。

日本には修験道、神道,仏教の三つどもえで今があり
またそれは太陽をはじめ山川草木の全てに魂はあり,循環で感謝だと言ってるだけの
至って日常の当たり前の,地球との対話である

人生、旅であり
行動である
必ず予期せぬうれしい未来が待っている

とにかく感じたらそのまま進む!

波から教わった時間である


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地球と宇宙への祈り

神道、仏教、修験道の本来の日本の神仏習合のネイティブな自然観
が今も息づいている、伊賀赤目の瀧の山寺天台宗延寿院と津島神社
35代目になる松本住職の声明
橘寺 こがのしょうくん氏
津島神社宮司 滝野氏の雅楽
三重修験道会 松林しょうてつ氏のホラ貝と太鼓の響きが般若心経にのり
山を渓谷を瀧音と溶け合いながら音叉となり人々を包んだ
願いと祈りがこの地の先人達や忍,行者達へ届いたであろう。
毎朝,毎夜
高野山から山形の羽黒山、身延の七面山をはじめ全国の寺社で
数千年の時間とともに、魂の解放と平和と国の安泰を脈々と祈る人々がいる事を
我々日本人は忘れてはならない。
人生とは
地球を尊び、慈しむ心の奥に
我々の陽炎の光陰を探し続け
旅をしていく事なのだろうと思う
清らかな空間と赤目の皆さんの優しさに
改めてお礼を申し上げます。
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赤目48瀧 Akame 48 taki

伊賀忍者達が修行をした、あの山の奥にいくつもの瀧がある
その延々と続く瀧音を
法華経にたとえた古人
仙人が住むと伝わる山を
深い雪と霧が包んだ
There is many water fall in the depths of that mountain where Iga ninjas trained themselves
water fall sounds which meanders
The ancient people who compared it to a Lotus Sutra
When a hermit lives; a mountain divided by 
Deep snow and fog surrounded it
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カムイモシリ

突然空間が氷の雨 「雪」につつまれた
冷たく澄ん呼吸が
この山と伊賀の民の歴史を
感じとろうとしていた
おかしな電気の箱庭に閉じ込められて生きる我々は
山河に時間をゆるし
その場にとどまる時間がありゃしない
全てに魂が存在しながら
命を繰り返し、互いを認め感謝するという
ごく当たり前の事象を
何度でもそこに行き
ここに立ち
憶いだせれば、それだけでよかった時間が
日本には生きているはずだ
祈り、奏で唱う、といったそれぞれの,方法で
それぞれに伝える行いこそが尊い自然な行為だと思うようになる
カムイモシリ 神々の世界
から
アイヌモシリ 人間界へ
人の周りの事象には全て魂が宿り
それぞれの役割をもち降り
その役割を終わると帰るという
アイヌ民族の自然な道と同じく
地球と呼応し対等に生きてきた人々の時間こそが
本来の姿であると信ずる
祈りは
けっして山寺の空海さんや最澄さんをはじめとした、その意志を受け継ぐお坊様だけの
行為ではなく、個々が神主であり
祈りの者であればいい
檀家と墓石屋、様々なイベントで稼ぐ都会のお坊様とは違うのが
こうした山河の辺境の地で祈るお坊様
どこかのおっさんのきな臭い一神教でなく
地球とこの目には見えない森羅万象の多様な自分と存在を
静かな地球だけの音の場所で感じればいいだけなのだが
おせっかいな教えやおしゃべりがが入るほど
その純粋性を濁らせて行く
濁った部分にお金があるのだからしかなたないのだが
ここ伊賀で生きてきた忍術や行者や祈りの霊場が、信長に攻め滅ばせられた事と同じく
アイヌを抑圧した松前藩や明治政府の欺瞞の行為は
今の政治屋がしっかり受け継ぎ
利権と金でネイティブな彼らと地球を馬鹿にした歴史は世界に起きてきた
熊をこの宇宙の崇高な存在とし、その強い霊性の恵みに感謝をした儀礼
イオマンテの時間
人は,安全と快適という怠惰を追求し
地球が強く怖いという事から遠うざけた結果
植木鉢を置いた電子レンジ付きの家に住み、休日に電気の車を磨く
というごく自然な流れに飲まれている
おかしな物質に包まれ
不便な地球から遠ざかるほど、一方的に意志を破壊された地球の強さも美しさも
記憶喪失していくものだ
人の心も電気化し、コンビニ化していく
つまり、いつでもどこでも手に入る
という勘違いを買ってる訳だ
なんて偉そうに
ジャンクな世界のコンピュータだから書ける現状をかんなみ
そのバランスを取り戻すため、恐ろしい暗黒の波の中へ向かっている
熊の存在は
僕には波であり,僕を食べようとするサメである
そして何より,海で祈り裸に近い状態で泳ぐ事が
個人的な地球との義なのかもしれない
ありのままの地球の
怖い体験と強い力を知る事で
自然に「なんだか心地よく謙虚な」領域へ向かう道が日本にはまだまだ残されている
先人達が数千年を賭し、守り祈ってきた時間が
ごく身近にもある事を知るため
ぜひ人工的な植木公園ではなく
ちょっと「あなどれない」天然の地球へ
言葉を失う、見た事の無い美しい時間で
憶いを忘れぬよう人を魅了するのも地球であるのだから
旅へ行くしかないだろう
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言葉

わかっているだけでも,今から1400年前に
ここで修行をした人がいたという
深遠な渓谷を深仙と読んだように
言葉をそこにずっと置いておきたいから
文字が生まれたという と
白川静さんの本で読んだ事を憶いだす
言葉は霊性のある言霊だと,羽黒の修験者星野さんは語っていた
言葉は感情と視覚のあとに着いてくる符のようなものだから
自ら体験と同時に見てきた時間が心にとどまらせる
目とじて、溢れる言葉がお多いほど
その人がどれだけ
美しい時間を歩いてきたかを
言葉はだまって語るのかもしれない

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特殊な場

弘法大師はとにかく、どこにでも来ている
この窟も空海が護摩を炊いて修行をした事になっている
苔むした瀧の渓谷のまま
様々な龍神への祈りとともに
時間は生きている気がした
嘘と同じく自然なんてとってつけた言葉は
やはりいずれ齟齬が生じる訳だから
人にはこうした天然の地球が必要で
古来の人々が世界中で感じた,特殊な場が
数千年の時間を維持したまま我々を待っている事は
素晴らしい
修験道、仏教、神道とうまく溶け合いながら
幾万の聖の想いと願いがこの渓谷の瀧音となり
人々をいざなう
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深仙 Shinsen

伊賀忍と全国の寺社へ
徒歩で法華経を背負い旅をした行者の寺
あの霧の山奥はいくつもの霊蛇の住む瀧と仙人がすむ
深仙
時間や歴史を超え
誰だっていってみたくなる
Heavy dusky forest
waterfall (Taki) of several folds
A dragon lives with a hermit
The present Japanese whom only a thing to see with reason and eyes believes
With here invisible power and innumerable time
There were the people who believed them
The voice of Iga ninja and people following Taki
I know this mountain
Iga Ninjya, Mie
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伊賀の山寺

伊賀赤目不動,毘沙門,千手観音を祀る

南伊賀の山中、天台宗延寿院と津島神社

縁起は忍の祖680年頃の吉野の葛城で生まれた,忍者先生
役の小角「えんのおづぬ」にはじまる
室町時代からの日本のごく自然な神仏習合を色濃くまもる寺社
ここ延寿院から発行された納経版と牛王宝印があれば
全国66余洲(出羽湯殿山〜信州〜薩摩など)を渡りあるける
いわば旅のフリーパス切符発行所だった訳で、その法華経を納経するため
全国を徒歩で旅した聖が,赤目滝衆だと言う。
滝衆の黒幕は日光東照宮や寛永寺を普請した津藩当主で家康のお伽衆 藤堂高虎。
庭園デザイナーの 小堀遠州、彫刻の左甚五郎など一級の職人を抱え、
人材派遣の能力も高く、実は伊賀の人々が江戸城の石組みをしたようで
三重をはじめ18もの社寺を普請したいわば寺社仏閣の優れたプロデューサーである
「上野寛永寺天海にはせ参じた,聖達が伊賀忍=諜報者であり
その統括者(大頭)が津藩藩主でありこの寺の住職である高虎
つまり今で言う名誉住職な訳だ」
と住職は話していた。
平安時代に桓武天皇と最澄が造った京都
京の都二条城から(皇居)から見て鬼門の東北に比叡山を造ったように
上野寛永寺にいる天海という坊様が家康が幕府を開く際
京都の青写真を江戸に持ってきて造ったのが江戸城で
実際に指揮をしたのが高虎。
結果上野の寛永寺は江戸城からみて鬼門にある
人工池、忍池は琵琶湖をあらわすそうだ。だから忍びの池なのか?
国立博物館の位置に寛永寺の伽藍が、明治に官軍に焼かれるまであった図が
東京大学にあるそうだ。
高虎の屋敷でもあった江戸駒込南谷寺「なんこくじ」にも目赤不動があり
比叡山の南谷に配置するためこの地に作られたらしい
しかしながら西を裏切り東の家康の金と力と天海にすりよって
神輿を担ぎ直した高虎よりも
「家康に日本の半分をやるといわれても裏切らず、秀吉を離れないと言い
三途の川のおばあに渡す6文銭を常に携え戦いに出向く
真田幸村に男としてはぐっとくる」と聞くように
信長の子分、秀吉
そのまた子分で、お金に渋い石田三成については、家臣も家族も貧乏になると
泥舟を捨て、家康と天海にすりよった高虎なのだが
現在の尺度では彼の心の真意はわからない
しかしながらどこかで、延々と続く日本の戦国の平和と安泰を祈願した事、
高虎がいなければ日本の都は京都だったであろうことは,間違いない
外様大名がここまでの位置にいられた事も,伊賀忍の影響があるのではないか。
又本来位牌は、極楽西方浄土に西を背にして祀る訳だが
高虎の位牌は東を背に西を見ている
実際には家康の棺を西にむけよと西軍を睨んで見てる訳で、家康の神輿を担ぎ通した証だ。
当然応仁の乱から続く戦いにうんざりしていた民衆を思い,晩年は住職になった訳だから
滅罪と供養もこめた願いがしみ込んだお堂である
なぜ高虎が今でも奥深い山寺を菩提寺にしたのか?
いわれでは寛永13年目をわずらい、なおる見込みもないある夜
夢に老僧が現れ,携えた剣を高虎公の胸に刺しとおしたという
「日頃の信心の得により、汝を助けつかわす、我は南の方角に住むものなり」
と言い残したという
家臣の独りが延寿院を調べると,それはこの不動尊の右手の宝剣だったといい
その時の恩によりお堂を建てた記録が残るというから
目には見えない霊性や神仏の加護を信じれた時を読めることは興味深い
実はこの1週間前
東大寺を出た瞬間に電話が鳴り
今回の樹霊350年の櫻と雅楽の奉納イベントに誘われた訳だが
ついでに必ず2月堂もみておくれと促され
左手の山を登ると
そこには,昨年登った甲賀忍が崇拝した飯道神社の分祀と不動堂があった。
ちなみに母がたの先祖は甲賀という点もご先祖の導きらもしれない
そもそも昨年、雨の中初めて訪れ手をあわせた矢先、住職が家から出てこられて以来。
わずか3分時間がずれたら、住職ともあっていなかったであろう
配置されたような時間こそ、先祖や高虎さんと忍が
こっそり呼んでくれたのかもしれない
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iga Enjyuin 伊賀滝寺

赤目不動、役行者、津島神社、阿弥陀如来等を祀る神仏習合を保つ貴重な場。
天台宗延寿院
聞けば法華経を背負い全国の社寺を旅し、情報収集をした
修験者で忍でもあった滝衆の基地
羽黒修験の大先達であり大天狗、星野さんのおっしゃっていたように
神仏習合こそが日本に最も自然な姿なのだと改めて思います。
長いごくあたりまえの日常で生まれた民間信仰であり、山や祖霊や自然を敬う(経験を修める)修験の心の時間がこの場を通じ生きています。
室町時代の納経書には湯殿山も記されていましたので、ここから羽黒へ向かった滝衆(修験者)がいた事実もここで読む事ができます。
忍術にも羽黒流という流派もあり
日本全国に山伏と忍のネットワークがあったことを改めて知りました。
ここもそんな神仏習合を守り抜く貴重な時間が漂います
ぜひ人生に一度は、山形羽黒山とここ伊賀へ
ご縁があればぜひおいでください。
素晴らしい山と瀧の秘境で、
言葉はいらない大切な時間が観えてきます。
自然という言葉は明治政府が
ネイチャーにあてた あて字 禅の「自然」「じねん」を
「しぜん」とよばせた俗語です。
皮肉な事に今ではまったく不自然な話ですが、まだまだアウトドアブランドと読んでる次第
自然ってどこ?アウトドア?ってなんだろ?
そんな言葉を越えた時間こそ,自然であり
その何かを、古来より脈々と祈り紡いできた男達が、山伏です。
見えない世界こそ, 観得る時間があります。
海も山も同じく、だまって自分の足で行けばきっと
それぞれの人生の、忘れた大切なパズルがみつかると信じてやみません。
思い立ったら旅へ
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Untitle

There is un title even if asked about the title
Because it is one piece that shot the time of hundreds of millions of years
Because if it is a picture, anyway, a title of the photographs in particular is to keep it up later
A feeling and the artificiality that a human being brags about are different from what I want to do
Therefore it has resistance to be called a work
All goes only by own power there
At first a decoration wanted to only watch it in one’s room
The camera does not mind anything
Go in this wave that collapsed in the state that is almost nakedness
But, I knew it when I conveyed most while taking time
A person would originally promise with this earth
It is only an act to entrust pure prayer and heart to the sea.
題名をきかれても,題名はありません
何億年もの時間を、撮らせてもらった1枚ですから
絵画ならともかく,特に写真の題名は、後でとりつくろうことですから
人間が威張ってる感じと作為が僕のやりたい事とは違うんです
だから作品と呼ばれるのも抵抗があります
全てはそこに自らの力だけで行く
まずは自分の部屋に飾って眺めたいと思っただけなんです
カメラはなんでもかまいません
裸に近い状態でこの崩れた波動の中に行く事
が、時間をかけながら多くを伝えているのだと知りました
人が本来この地球と約束したであろう
純粋な祈りと、心を海にゆだねる為の行為にすぎません。
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長いたわごと

昨今、人の目で見えるものが正しい
というのはやはり間違いだ

日本人も目に見えないものと呼ぶその何かを
観、素直に感じる時間が、自然という不自然な言葉が
作られたわずか130年ほど前から隠されてきた

個々の動物や魚にあるような、この地球の強さと感応する何か
が人間にもあったはずで、今も奥深くに眠っていることを忘れてはならない

先日あるラジオ番組で「海って何ですか?」と問われたが
どうもそのときは言葉が見つからなかった
おそらくマイクを前に言葉を探し、きれいな言葉を見ようとしてしまったからだと気づき反省!

で改めて

海は恐ろしく美しい
ま〜恐ろしいにつきる。

帰ること,帰れることの確率がないなら行く場ではない
己の力量の正直さが命を守る
どうかなっては既に遅すぎるから、慎重に大胆に感じ
嫌な予感がしたら、とにかく引き返す

闇が迫り、体がどんどん冷やされ、心が流されていく前に
足がつく海岸に戻らなくてはいけない

山は休憩も、腰も下ろし,地図をひろげ、水も飲めるが
海は容赦ない
休憩も座ることも出来ない訳だから
そもそも人間のいる場ではない
NHKや科学は母なる海などと教えるが
とんでもない
鬼子母神である

一瞬で雨が降り,稲妻が光り、波が迫る
海も地球は全て一瞬で周波数が変わる
一瞬の判断と心の乱れでもってかれる

断固として苦しさや、恐怖から逃げてはいけない
実は逃げているのは自分の心だから
呼吸を整えお地着かせるしかない
地に足が着かない場でこそその本領が試される

こつは自己暗示をかけ,勇気をたたえ、あきらめない!
あとはどうなるものか、すっきり生きる事。

海で裸で泳いで知った事とは

やはり図工と水泳以外は学校の勉強はなに1つ役にたたない
なと思いました。笑

化け学と呼ぶ科学や学校の数学やI am tom が海外でどんなに役にたったか
日本の文部科学省と学校教育の窮屈さが、自由な子供の自信を潰してはいないか?

テストはすべて記憶力大会だから気にすることは無い
集客力とプロパガンダにたけた学校にはいるためのテストなのだからと先生は言っておくれ。

地球に教えがある訳だから,オーストラリアのようにサーフィンの授業や地球のことを教えなくてなんになるのか。
果てしない金持ちだけが行く宇宙の前に自分の庭だろと誰もがわかる。
海で溺れ、川に流された時、テストの記憶力や因数分解が何になる?

学校が嫌いでした?
滑舌よく はい!
束縛感と理不尽な強制が嫌でした。

例えばスポーツ?スポーツ?
そうルールに囲まれ初めて成立しますね。

例えば試合という「試し合い」はルールがあり、まった!も休憩もある順番を決める競争です。

例えば海や山は「果たし合い」であり刀の切り合い同様、一瞬で不具になるか死。
有名な宮本武蔵は強い相手とやらないから剣豪であったと書いた本、山の民俗誌 高須茂さんの言葉を憶いだす。

集中力と見えない何かをつかんだ者が記す領域がある
それが地球と人の純粋な掛け合いと修行であり、これこそ自然に修験道や忍道や密教やアイヌ、ハワイのカフー、ネイティブアメリカンやイヌイット,アボリジニの思想になっていくのだと信ずる。

コンクリートと檻の中の政治利用も出来るパンダ
マークを独占し募金だって集めるWWFという環境保護団体
狭いアクリルの箱の中のシャチや深海魚

本来いるべき場所じゃない場所にいるだけのまるで置物だ。
これまた荒っぽい名前の(動く物の園)に(水の族の館)
地球のボスは人間様!だというコレクションを見ている。
こんな漢字は亀甲文字にも彫っちゃいない。

人も所詮「物」なのだが
これは魂の入れ物である

日本の学校も天然自然に生きた魚や木々に触れさせる時間がいかに大切かを、授業にとりいれて欲しいものだ。

学者先生もわかっているほんの数千年の歴史を見ても、おのずと地球を謳歌し、美を感じ、尊ぶ時間があり今がある。
純粋に水が流れるような祈りの行為の中に
人間は生かされていることを知っていた時間があり
今のこの僅か100年があると知る。

今、人はまるで電気じかけの水槽にいる。
電気で動く酸素のブクブクを買いに自らを飼う為働くのか?

地球の強さと怖さを忘れようと,海や川や山を埋めてきたおかげで、こうしてパソコンで「アホー」なこと書いている「おかしなゆとり」が生まれる。

町の人々は生きてるようで,この地球に生きてないとも言える、地球の中の水槽にいるのは実は魚ではなく、我々の姿見
だ。

自然やアウトドアと呼ぶおかしな日本語の欺瞞を正当化した暮らしの中で、地球が始まって以来、一番のジャンクなゴミは人物だろうなと思った次第。
いい人仏になれるよう今生を頑張れねば
来世なんてどうでもいい
今なのだから

だか

正しい道を示す場

激流の流れリバーマウス
火山の黒岩と黒砂の混じる濁った海
濁って何も見えない海は気持ち悪い
こういう濁った河口にサメが集まる可能性が高いのも海のお決まりだから、すこし心配だったが、今のところは大丈夫なようだ。
「いるいる、きたきた!」褐色の肌と褐色の木の板と褐色の海に
パランと言う木で作ってもらったという
フィンもリーシュもない本当にただの木の板を持つ子供達が

村の子供達は長い波をのっては、歩いて沖の波へ
カニの甲羅のような公園と呼ぶ人工的な養殖場のような場で遊ぶ町の子供達とは

あきらかに自然観や体感力とは別の次元の笑顔と空気が、ひしひしと伝わる
本当の笑顔といったら語弊があるかもしれないから
政治屋や弁士など人工的な雑味の無い笑顔としよう

波動にもまれ、板をあやつる,時計も5時の時報もない世界
多くの教えがまだまだパプアニューギニアにはある

で、今回の旅はどういう仕組みかを発案したニューギニア人とイギリス人のクウォーター

アンドリュー氏から聞いた。

1 村にはきれいなサーフィンの板や服をプレゼント。

2 宿の宿泊代から一人あたり一日につきたしか12ドルほどが、サーフポイントの村だけに1  後にお金として渡される仕組み。サーファーが来ても来なくても公平に分配されるから

  おそらく一つの村に4000ドル前後は落ちるようだ

  だから観光客のサーファーはここで好きに波乗りが出来る訳。

3 観光局を通じ年間約300人で1週間で12人程度のローテーションで現在は4カ所のポイ     ントで乗れるらしい。

4  勝手に独りで来て乗れるのか?
   答えは可能。
   しかしポートモレスビーをはじめ、治安もまだ不透明な部分もあるか らニューギニア政府  観光局とSTWさんのツアーが結局は安全。

個人旅行でここに来ることも不可能ではないが、個人的には自己責任が他の国より重い感がある。
つまりはラスカルという山賊まがいの強盗がマラリアの蚊とともにこの国には潜んでいるリスクがある。身近なところで10年ほど昔だが身ぐるみはがされた知人の話は漫画のような笑いばなしだった。

5 マラリア海沿いでは風もあるのでまず大丈夫なようだが、出発の1週間前から帰国後もマ  ラロンという高価な副作用もある薬を飲むことエージェントは薦めている。
  毒性が強いので僕は飲まなかった。数回蚊にさされたが大丈夫だった。
 
6 なによりその地への尊重
  よその庭で自分は部外者である気持ちを伝えることも大切なのは世界と宇宙の共通項

「ケミカルなサーフボード板と洋服を渡すだけではなく
それが何で出来、地球にどうなるのかを、自然をぶっ壊し文明の濁った水に浸かった我々は
教え,学ばねば意味が無いからどうなの?その辺?」
とアンドリュー氏に投げかけたが,その辺りは答えが無いのも始まったばかりの今の現状だった。
文明の珍しい土産物が巻き起こす物質事象を僕は様々な島で見てきたから、そうならない為にも考えて珍しい土産を渡してほしい。

使用方法の知らないネイティブな彼らに
戦争やキリスト教のような余計な教えとゴミを置き去りにしないようにしなくては意味が無いと思うのは俺だけか?

一神教のうまい言い分で
アニミズムや自然崇拝をはじめ地球感が失われてきた島々
島国日本とて同じ状況がすでに起きている事実も忘れてはならない。
アメリカもイギリスも,ソ連もドイツも島なのだが


どうも「なんとか」「うまいこと丸めたい」人々がいるのがこの地球。
正しい道は日々の暮らしと、この天然の地球にあることを忘れぬよう生きねばならないと
思った。
ジャンクなビルの隙間を流れる我々へ
正しい道を示す場所が、ここニューギニアである。

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対峙

何が素晴らしいのか?
何が大事なのか?
皆その何?を感じたくて,旅へでるのだろうけど

じゃここに今日からずっとここにいて
彼らの食生活とヤシの家で暮らせるのか?

掘り下げれば、僕たちは飛行機でのりつける都合のいい観光客な訳だから
こうしていい部分だけを,形よくのせている自分がださいかもな。
と考える。

真実の地球を目の当たりに
戸惑いながらも、こうして記憶の引き出しを開いてくれたこの地

実は海風の吹きすさぶこの海に生きる彼ら
の自給自足の暮らしは厳しくも過酷な訳だ

安全な奇麗な箱の中に住む我々は
トイレットペーパーに香りをつけたり余計なことをやる 笑

身勝手きわまりない我々は
このままでいてほしいと思うのは純粋な部分でありながらも
都合のいいことを忘れてはいけない

原発も電子レンジも防波堤も、文明が過剰な便利に進んだ我々の過ちのシンボルであり、日本の姿である

数億年かけ自然に出来たものを壊すのは簡単だが
2度と人にはもとに戻せないのだが

ま〜魚や珊瑚や鳥,動物,風や石など人間以外の万物を
なめた結果だ
馬鹿にすんじゃね〜ぞ!っていつかひっぱたかれないと駄目ですね?

で僕も
こうして電気仕掛けのジャンクなおもちゃで,記事を書いている
まずい!

でむすびは?

カメラのレンズは単玉で
撮りたいと感じた心の先に自分の足で
近づくき、泳いでいく

望遠レンズや、ズームレンズははパパラッチだと思う
そして最近のカメラはしょせん電気製品です

何年後、何十年後まで1枚は語り続けます

映像慣れしている現代人
流れない流されない1枚をよく観ること

子供達も海も山も嘘はつきません
そのジャンクな文明の、ずるさと嘘を落としに僕は旅をする訳だ


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子供達が持ってきた木の板
これがサーフィンの板だと言う
形もサイズも自由で一枚な板
山から切り出した木で、お父さんが作ったと言う
あたりまえの光景が
当たり前だと思えないズレが都会人にはある
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伝承

失礼ながら小さな小屋は家だった
中には簡素な木の寝床が2つ
南の島は食べたい時に食べる
乾かしたヤシの実に火種から火を移し、あっという間に火がついた
竹筒にサゴヤシからとったポロポロした澱粉を詰め
このまま火にくべるようだ
聞けば毎日このサゴヤシの粉とタロイモと,魚が穫れたらたまには魚がつくらしい
フィジーの珊瑚の村では毎日女性が、巧みに漁をしていたが、ここニューギニアでは
女性が海に入り漁をしているのをまだ,見たことが無い
ビタミンや栄養はどうしても足りないのはいたしかない
女性は必ず眉間のチャクラの位置に入れ墨がある
バッテンや矢印や,点々といった落書きのような墨
誰に聞いても入れた入れ墨に意味はないという
服こそ来ているが
風がふきつけマラリアの蚊がいる海辺で
原始の生きる術と暮らしを目の当たりに
我々がいかに是弱で怠けた暮らしか思い知る
我々の家の中は値札の着いた、誰かがどこかで作った物だらけ
この地球にあるものしかない素材で、伝承された雨をよけ風をよける編み方や結び方
自然に地球にとけ込み美しく、智慧の詰まった家は美しい
彼らが先祖から教わり脈々と生きてきた証がこの海辺に生きている
素晴らしいじゃないか!
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ドナルドのいない国

マダンから車で2時間
ここまで来ると,未だ天然地球に生きる人々の昔のままの暮らし
本当の自然という言葉はここに使うべきで、都会に住む我々の都合のいい線
自然やアウトドアという言語が恥ずかしくなる
その辺に無造作に落ちている平らな板
これがここのサーフボード
家も全てヤシやバナナの葉を丁寧に編みこんだ天然素材
飛行機で飛んできた我々が、どこか違う世界のジャンクなゴミだと気づく
厳しくも物質やドナルドピエロの輸入されていない国
我々はもう一度ここに立ち、多くを憶いださなくてはいけない
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夕闇

山で稲妻が走り、一面が雨に包まれた
熱帯の濃密な夕闇に飲み込まれないよう願い
体も冷え、体力も消耗し、戻らなくては危険な感じがした
すると一匹のブラックチップシャークが様子を深みから向かってきた
安全なサメだとわかっていても,こちらから潜って彼の方に向かうと
濁った暗い深みに消えて行った
サメが来たら退いては行けない,弱みをみせずゆっくり向かう事
水面に顔を上げると矢庭に沖からせまる巨大な一列の波が迫った,
鋭く潜った瞬間、全身を重く早い波動が突き抜けた
珊瑚礁の海岸はどこからでも上がれるわけではなく
遠回りをしても元来た岩礁の切れ目まで泳がなくてはいけない
全てが人間の力を越えている
これが地球の姿であり
人の心の姿勢である
正しい道を,地球と宇宙は我々に示している
加減の無い美しさで何かを伝えている
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過去の景色

パプアニューギニア
1942~1944の間に太平洋戦争により日本人約10万人、台湾の高砂族、インド兵、オーストラリア、オランダ,アメリカと戦火の渦に消えた。
東から西へ敗走した日本兵は,多くがマラリアと飢えと栄養失調で亡くなった上
怪我や病で動けず自決せざるえない、若者達がいた事を忘れては行けない。
多くの輸送船が沈められ海没した人々も幾万。
ミクロネシアのパラオ、サイパン、グアム、ロタからマーシャル諸島、ハワイの真珠湾を初め
太平洋全てが墓標であり、鎮魂の山と海なのだ。
当時この同じ場所の景色を見ていた方々は
どんな色に観えたのだろうか?
平和な時代を望み、帰れなかった彼らに
素人ながら日本酒と羊羹を手向け、セージを炊いた
祝詞をあげ,彼らの魂が安らぐ事を祈るしかなかった。
波音と風が木々を揺らす,地球の音しかないこの場で
波乗りで遊べる時代が来るとは夢の又夢だろう。
よその国に土足で上がり込み、戦争をする事が本来おかしな過ちなのだが
毒には毒をという図式が軍需産業と政治家を染めるてきたのは,今も昔も変わらない。
平和な時代とこの美しい波と呼応するのもいい
しかし心のどこかで、そうした事実をあったことを忘れないで欲しい。
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地球に添う

延々と道がうねる

いくつもの蛇行し濁った川
植林もされていない薄暗い森
車は道路の穴を避けながら
海辺の村へ向かっているようだ
必ず川の近くに村がある
水道も無い電気も無い昔ばなしの暮らし
雨水をため,川や海の砂で鍋や皿をあらう
主食はサゴヤシの粉を竹筒で蒸したものや、それを固めたサクサク団子、タロイモ
毎日毎日これだから、ビタミンや栄養不足の子供も多かった
大人はみなビートルナッツの実を噛み、そこに石灰の粉をかけると
苦い覚醒する真っ赤な汁になる
家も全て自然と(この国にはいらない言葉だ)地球の木々でできている
よくみればヤシの葉の壁が幾何学模様を編んである
それに比べて自分の家はどうだ
何一つ自分で採取して作ったものなどなく
植木鉢まである
全て値札にまみれた、ジャンクな電気製品に囲まれ何の為に
働いているのやら
安全で地球の雨風の心配がないから
余計な事をし
余計な物を買う
水槽で魚も飼ってみる
アホな情報がなくていい
地球と呼応し生きる為に編んできた時間が
この村であり、大切な歴史と伝統と風土に生きた時間である
水槽で飼われているのは魚ではなく
実は都会の人々なのだ
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空港を乗り継ぎ2時間走る
道は海沿いに1本
ジャングルがこの道を飲み込まないように
唯一人為の入ったアスファルトの道
どこからともなく人が出てくる
村は川と海のある場所に必ず存在する
その昔の日本の兵隊さん達が通った景色は変われど
この濃密にせめぎ合い太陽に向かう緑の匂いや温度は
当時と何も変わっていないのだろう
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マダン

マダンに降り立った
その昔の日本軍の重要な基地でここから西へ
連合軍とマラリアに追われ、転身という名目の敗走をして行った
戦争を知る人ももう残っていないように
今では時間をまるで奪い去ったような
田舎の平和な空港だった
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山河に消えた命

日本から僅か6.5 時間でニューギニアのポートモレスビーに
戦時中この飛行場に、ラバウルにあった海軍基地から多くの若者が零戦で攻撃をしかけ
またこの飛行場から飛び立った飛行機により、数万名の人々が船ごと海没し、爆撃され撃墜された。
この飛行場を奪取する為に、食料もないまま2,000m級の山々を越えながらも
戻れなかった若者達もいる。
彼らのみた深い緑の山の木々と海が,その生きた証人である。
70年が経ち、同じ日本人が今度は陽気な観光なのだから
大義名分と上からの命令に命を潰された英霊は
どう想うのか?
どう願うのか?
太平洋戦争の言葉の通り
今もわだつみの声とともに、骨も船も、飛行機も弾も山河に置き去りだ。
時代,国難、国策、戦争?
なんであれ、事実は事実として
手をあわせるべきであって、ハワイにしろミクロネシアにしろ正直にこうした現実を
お客様を魅惑する為のパンフレットに書いた観光局はあるのだろうか?
帰れなかった彼らと、それを待つ家族や子供達がいた事を
考えてほしい。
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Yuki

Snow from ocean
Ocean made from snow
Ocean was traver in the Earth
雪も海から来た
海も雪でできている
海は地球を旅してきた訳だ
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水槽に生きる人

古来から山岳で続く修験道の擬死再生
彼らは命の源であの世である山を宇宙ととらえ
人知れず祈りを捧げてきた

海は沖縄地方のニライカナイに続くと信じられる
うたきと呼ぶ特別な場所があるように、人々は視覚を
超えた部分と部分で特別な場所に心に象形文字を刻んだ訳だ

先日ラジオのDjの方に海とはなんですかと?と問われたが
言葉がまったく降りてこなかった。
帰りの電車から風呂の中から寝るまで、ぶつぶつ自問自答した

水面は恐ろしさと美しさの狭間だ
足がつかない外洋の沖
水に足をつけた時から、戻れる確率と戻る意識を常に持ち
危ない感じが少しでも知らせたらすぐに戻る勇気。
ここはまったく別な世界であり、死の入り口だ。
山と違い、ちよっと休憩も水も無い生きられない場だ。

雪崩のような波の下、太陽がなくなる暗黒の水の中でも
慌てず、落ち着くには何が必要なのか?
あの波の動きの中に溶け合うにはどうすればいいのか?と
南の島の海から戻ると、海の吹き付ける薄暗い小屋で
そんな言葉を考えては書いていた

波が崩れ水中で転がり,息ができなくなり、ここが改めて別な世界だと知り

ごめんなさい!と謝った。
もし溺れて心が楽な方へ逃げれば、あの世だから
人生もすべての因果は自らの選択だと受け入れ覚悟する。

しかしながらこの、2度と見られない限度のない美しい存在を知ると、やっかいな事に2度とここから戻れなくなるのも事実だ。

言葉の脆弱さは,修験者が黙って山に入るように、自身の身で体験を積み重ね知るものだ。

宇宙と地球の全ての時間を見てきた水
あるときは水蒸気となり風となり旅をする
雨となり山から海へもどるもの
雪になり山にしみ込んでいくもの
川になるもの,瀧になるもの

地球自体が水球といってもおかしくない。
ここがただの水たまりだと思ってはいけない
あきらかに有機的で生きている。

そこで全てとのつながりを理解し
礼をつくす人を海は知っている。


生身で地球の中にいけばいくだけ
国を問わず誰もがそれこそ自然に、山河に祈り山河を慈しむものだ
学校で言われなくたって、その辺にゴミなど捨ない訳だ。
電子レンジの電気の砂塵渦巻く、都会のビルの人口的な水槽の中
じゃわからない。
宗教は自分の中にある。
全ての教えはこの地球にあると言った。
ネイティブの古い言葉を憶いだした。
子供達にも、きていな箱に入った火星の石なんて見せるよる
海につま先をつけさせたほうが,良いに決まってる。

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溶け合う

Ocean need Mountain

Mountain also Ocean
Coral is home for Fish 
Moutain was From Ocean
Mountain is seen with future in this sea. 
Only the human being from the day of when living while each melts together 
exquisitely are doing the excessive thing. 
海にも山が必要だ
山も同じく
足の下の珊瑚も魚達の家である
昔山は海の珊瑚だった
雲や風や雨は山をなでながらその長い時間の光陰をひく
未来の山がこの海中の珊瑚の山
地球にあるものたちは,互いと溶けあいながら生きているが
いつの日からか人だけがやっかいな者になった
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