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貴船神社へ

翌朝天台宗の元祖比叡山へ行きたかった
伊賀の忍の滝寺延寿院もこの延暦寺のつながり
忍達もおそらく徒歩で向かった聖域であろう
次の電車は20分後らしい
目の前に滑り込んだ電車は鞍馬行きであるから
そのまま貴船口から鞍馬山へ行く事にした
数年前、波の撮影で命をお護りください
鮫に足を齧られませんようにと
参拝させて頂いてからはや数年
冷たい川音に沿いながら
紅葉の残像を水の神様貴船へ向かった
石段の先に
社と龍神の湧き水があり
作法にのっとり清めてから
龍神祝詞を読もうと
脇にはさんだ祝詞の束を2度も水の中へ落とした
おちついて行動しなくてはいけない
清めたと思いながら
びしょぬれの短冊上の長い束をなんとか折りたたみ
参拝した
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江戸時代の画家
伊藤若冲が晩年に隠遁した寺(石峯寺)
と伏見稲荷は同じ山であり
晩年一斗の米と僅かな代金で
伏見稲荷図を描き
石仏を寄進したという
当時は今の伏見駅まで参道が続いていたという
若冲の古里の禅僧にある絵をみせると
私も今まで見た事が無いと
実は数日前とある
日本画を看板なしで30年間販売してきた事務所へ
先週ここで見た若冲絵だとみせられたピンクの狐が気になっていた
古い物にはそれなりのものが宿るからと思い
伏見稲荷の清め砂を持参した
初対面のオーナーさんは
何故か玄関ではなく
ピンクの狐の後ろ姿の絵の前に置いた
「そこに置くんですか?」
「うんこれ伏見稲荷だから」
聞けばその絵は晩年の若冲が描いた絵であり
250年の時を経て伏見稲荷が再会した訳だ
本当に驚いた
呆然と見ていると
狐がいまにも振り向きそうな感じで
なんだかこれも何かの縁であり
しかるべき場で祈られる絵だと感じ
購入させて頂いた
もう2度と逢えないと思うと
なんだか胸が締め付けられるようで
大波の独り旅や、35年前に数日だけ家に泊めて頂いた
パラオの今は亡きおやじさんを憶った
買えないものを買ったと
自分に言い聞かせた
だから若冲じい様に聞きたかった
伏見稲荷をお参りしたかった
そして墓前でもちろん
「じい様
これ書きましたか?」
その後250年前のままの
裏山の竹やぶに生きる
石仏の群がる山にいった
不思議な空気が漂い
若冲さんの隠遁した理由が
すこしわかったような気がした
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Fushimi Inari

京都は伏見稲荷神社へ

山全体が自然霊と農耕の神を祀る聖域である
遥か昔から
この山に登り
この山を見つめてきた
幾万もの人々の純粋な信仰が
京都を護ってきた
この朱色の鳥居くぐるたびに
身が清められていくような
不思議な山である
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行場

山奥の瀧の行場
湧き出る清水の瀧
ここもきっと
誰と無く選ばれた特別な場所なのだろう
入り組んだ岩の奥に不動明王が祀られている
瀧は龍王であり、水天がまとめ
そのいっさいの親分が不動明王であるから
瀧とお不動様はセットである
数字や科学や証明書ではない
力や地球の歴史を信じていられたらいい
説明も理屈も掛け値もない
とても簡単な時間
急に腰の抜けた仲井眞前知事がやめる寸前に
自民党の強烈な意志と共に
辺野古の埋め立てを進める
イサギ悪い書類を出したらしい
こうした正直な場に来ると
地球を馬鹿にした,口先の大人達で汚染された日本
を改めて知る
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ホログラムと波形情報

最近ある本を読んでいるが

こうした本が公にでるようになった
全ての物質も人間もホログラムらしい

3次元にみせる、波形の波形情報でできていて
原子もそもそも物質ではないから
現代の科学者は今,説明の出来ない事が起き困惑している
科学雑誌2009年にはNEW Scientistが
あなたはホログラムだと題しているように
貝殻,花、人体、など形成過程が
黄金分割やフィボナッチ数列が繰り返し現れる理由であるという
宗教は原因と結果が逆だともいう
「波」はまさに形が無い物で
「波」ではない
波は鼻からないのだが
岸から見た見た目でロールした形を,人間が波と呼びつけた以上
物でなくてはいけないから、あたかも沖から来た物にした
池に水を投げた波紋も同じ原理だ
あれが物のではないと
つじつまが合わなくなるなる訳だが
写真が3次元に見えたり
色が過剰に青いのも人間の目では追いつかない
パラパラ漫画だからなのかもしれない
波は実は波動であり、水素結合力の絡み合いにすぎない
水が固まり合い,引き合い,粘り合い、手をつなぎ合った
目には見えない微細なコマとコマである
穢れない海は透明であるから、ますます人間界を困惑させる
津波は沖の水ではない,エネルギーは だ。
泳いでいるが泳いでない
波のくるであろう,場所に入り込み
微細な水の1コマで待ち受けて押している
いわば忍術であり、周波数を自ら変えているとも言う
カメラがこの人間には見えない事態を写してしまったのが
この写真だという事だ
色も形もいじる今はやりの写真は写真ではなく屑だ
真実を写すのが写真であるべきだ
心の傾いた瞬間が 真実の自分であるから
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体術

ノースショアのショアブレイク
子供にとっては、背丈以上の大波
を潜ってかわす
足が着かないくらい、急に深くなるこの海岸
頸椎が折れないように、しっかりとアゴを引き
波のおなかへ頭から突っ込む
体で覚えた事は2度と忘れない
地球の水は記憶を持つ
いにしえの記憶は感情かもしれない
水に包まれ
水に抱かれ
水に溶け込む
この美しさと強さの対峙する時間が
この子供達がいずれ未来の海を、憶いでとこの水の感覚で護るのだ
腰の抜けた仲井眞前知事にかわり
新たな次元をみつめる、新知事の翁長さんが県民の声であれば
沖縄の辺野古が破壊され、埋め立てられないよう祈るしかない
何億年の時間が自然に作り上げた世界、珊瑚や生き物達を
食べもしないのに,生き埋めにするなんて人間様
はどんなに傲慢か
戦争に勝って,居座るアメリカ
アメリカ軍で食べる時代は終わったといいながらも
のどに刺さった骨なのだから
例えばもう一度、やまとんちゅうから送られる
海岸整備を名目とした埋め立ての工事の莫大な税金
様々な不可思議で不合理な問題を別な名目で
沖縄の自然を元に戻す為の同額を使用法を変えて
支払えばいいのだから
このままでは
沖縄は全て輸入された砂を敷いた人工ビーチと防波堤の要塞になってしまう
自分が今日まで住んでいた家や町を破壊されたらどう思う?
地球を馬鹿にするののもいい加減にしろ
この強く美しい地球を生身で知らない大人達に
汚染された国々を憂う
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質疑応答

「どうやって?
撮ってるのですか?」
巻かれようがなんだろうが
ひたすら息を止めて肺に水が来ないように泳いでます
すみません
体と心を落ち着かせて体操をします
海岸でお祈りをします
忘れ物がないか最後の確認します
カメラの防水ケースの閉め具合を見ます
沖まで600~700m泳ぎます
鮫がこないか?バラクーダがいないか?
泳ぎながら足下や四方をみます
波の際から徐々に崩れるポイントへ水面移動します
片手でカメラを握り巻き付けているので
左手と両足で疲労しないようにゆっくり泳ぎます
流されていないか?遠くの山や海底の珊瑚の位置で確かめ
常に鮫がいないか?産卵中のイソモンガラやウミヘビ、バラクーダがいないか
見ます
立ち泳ぎで水面をよ〜くみながら,数十メートル先から迫る波が爆発し
崩れそうな場所へダッシュで泳いで移動します
波の崩れる前に水中へ潜り(ジャックナイフ)しながら勢いを殺さないよう回転し
体制をコントロールしながら水中で波をよく見ます
まだ撮りません
崩れさせて逃げながら目で見てここだ!と感じた瞬間に押す
けっして目から頭に情報はいれません
ファインダーは一切見ません
見ると人間臭い人為や作為がはいるので見ません
でもたまにフィルムを入れ忘れたり、うまく巻けていない時もあります
「どうするんですか?」
くよくよしない,怒らない!自分の冷静さがかけた。と言いながら
泳いで戻り,また来ます
この写真は崩れ去る水面の動きを撮りたくて
時間をずらして撮りました
「あれ?酸素ボンベはないのですか?」
ないです。
「ちかくに誰か助けてくれる人はいるのですか?」
遠すぎていません。
「死んだことはありませんか?」
う〜ん、少し。
死ぬ寸前はパニックと筋肉に乳酸がたまり固くなり動かなくなり
精神面では、苦しさから楽な方ににげるため
自ら泳ぐのをやめてしまします
人間には2つの自分がいます
強い自分と
弱い自分です
選ぶのは自分自身です
どんな困難でも
スイッチもチャンネルも自分で変えられます
間違いありません
テレビに御主演の政治家せんせのように
記憶にありませんなんて言えません
嘘が無い世界ですから。
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海原で生身で泳いで逃げ回った日々
水は生きていて
太古の記憶を持ち、
あるときからその、いつもの海が場が
受け入れてくれたような感覚を持てるようになった
実は最近ある本で
ドイツのポルシェ博士で有名なシュットガルトの航空宇宙研究所で
水は情報記憶能力を持ちわせ
水滴にも独自の構造があると発表された
同じ水のはいった容器からそれぞれ別な人に
水を移させると、その採取者の個別情報が水滴に現れると証明されたらしい
記憶の基礎がは波形であり、つまりは波動である
川や海が常に情報を水の分子に取り込んでいるという事で
福島の放射能水は地球や他国に甚大な被害を与えているにも
関わらず,再稼働や、諸外国への放射能販売をも行う日本
いい加減、除染だなんて馬鹿な話もやめてくれ
だから多少は海洋を旅をする海の水も
フィジーの水はフィジーの記憶を知っているという訳だから
海の表情も水の動きも固さも、なめらかさも違う訳だ
その生きているかもしれない
という感覚と感応力を憶いだす旅が
この波の中へ,裸で向かわせた記録であり記憶である
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現代アート展

先日現代アート展に出展しました。
現代アートは難解であり
凝りすぎてすっきりしない。
そもそも写真は現代アートではなく、ドキュメンタリーで
あるから
お披露目会の場は選ばないといけない
江戸時代のアートと,現代の平成26年のアートの差は?
絵の具や何やら,石油製品の飽和で様々な素材で
ひねって、ひねった
作者の作為の賜物に囲まれ眠れるのか?
年々奇妙な人形やらなにやら
で青山246ぞいで30年間,目利きとして日本画、浮世絵界で著名な
紅屋ギャラリーさんで
もう2度と見れないであろう
若冲のピンクの狐の後ろ姿や
禅僧 白隠の書画
数百年の息づかいと、そこに彼らがいた
という見えない存在や空気を味あわせて頂きました
本物は数百年たっても飽きない
簡単な道具と墨や絵の具と
江戸時代の戦国の世からの未来と
様々な職人の自由で大胆な地球感が詰まっている
情報も足で歩いて見た範囲で
これだ。
すばらしい時間だった
波の写真は何億年と変わらぬ波動であり
天然、無着色、無味、無臭の海の地球
無農薬オーガニックである。
目では見えない瞬間を、1枚の写真は教えてくれる
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カバ

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カバという胡椒科の木の根を手で煎じる?
飲み物。
もちろん動物のカバなんて皆知らない
伝統的なトラディショナルなフィジーのスタイル
何ヶ月も乾燥し,その根を木でたたき、山の水をいれながら
手で絞り, 絞りあげる
まるで草木染めのような作業
味?
もちろん
ピリッとした木の根の土の味
軽い覚醒作用がある
アルコールより以前にあり
客人を歓迎する際に毎夜飲む
無農薬のこの山のカバはフィジーでも高品質
軽く手を叩き,自然の神様に感謝する

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海神社

怖いから美しい
人間様の力の遥か彼方だから謙虚になる
しかしながら海も,海岸も人間様によりいとも簡単に
汚染され,破壊されている
今に地球の全ての島々が,都会のビルの蟻塚のように
四角いコンクリートになる日が来るのだろうか?
ただの水ではない
水の分子レベルで記憶と時間がしみ込み
全ての生き物達やこの地球の生き死にをも左右する
聖域であり神域である
神社とおなじである
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うみ

遠いフィジーの沖の景色です
誰もいません
もちろん島には車も電柱も電気もありません
波音、崩れる音,水音
水中は大きなぶだいが珊瑚をかじる音
波音、崩れる音,水音がします
水の中の音は耳にお椀をかぶせたように聞こえます
村の水は山の水です
その水は昔うみでした
雨でした
見えるのは緑の妖精がいると言われる山
山は雲をからめながら
独特な世界観で毎日うみを見ています
言葉を越え,誰もが何かを感じる場が世界にはあります
日本人は神聖と言います
およぎながら
僕も山をみています
僕は、なみのうごきを,早めに見ています
この世の時間の動きとはどこか違う動きで
寸前で波をかわします
都会のジャンクな人間界では,その使用法を忘れた感覚で
いきています
そうでないとあの世です
うみの中は,珊瑚やさかでびっしりですが
年々珊瑚礁に釣り糸がからまり,電池がおちています
人を知らない海
石油製品も馬鹿なスナック菓子もない世界が
徐々に汚染されています
その使い方を教えないままに,輸入した外人の異物です
当然この、天然のうみにとって僕もゴミにすぎません
うみの悠久の時間のなかには
溶けこめない事をあらためて知りました
体温をあっという間にうばい
水も,食べ物も無い場です
疲れたからと、腰をおろす切り株も無い、休憩もできない場です
常に漂いながら、自分の力の充電量の塩梅を確認してます
40分ここまで泳いだ以上
戻らなければいけないのです
しかしながら
こうした見た事も無い世界がここにはあります
酸素ボンベもなく、ひたすら泳ぎ,36枚フィルムだったから
見せてくれたギフトかもしれません
海は生きてます
様々な神様がここにいると憶うようになれました
ペコッとおじぎして
一日が終わります
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方角

ハワイ諸島
遊泳禁止の自己責任
少しだけ浮く板に寝そべり
体で波を読み,感じながら溺れぬよう、あの世へ行かないようにする行為
いつのまにか、純粋だった波乗りは
技を競い点数を比べるものになりさがった
そもそも目指す方角が違うのだから
良いとか悪いではない
波と呼ぶ地球の呼吸に、海に沿ってるか?
ストレスがないのか?の話しをしたい
方角は自分で自由に決めるのがいい
旅ってそんなものだ
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この瀧はまるで生きているようだ
地球に沿いながら、水が選んだ自らの道
瀧がやがて川となり
また瀧になる
川になる
海となる
海の瀧は,地球が丸いから無いらしいが
波はいわば海の瀧である
すぐ脇には赤い鳥居の不動堂があり,又シマヘビの子供がいた
落差55メートル
那智の滝は133メートルだから日本で一番らしいが
ここもご神体である
先の池大神も那智の滝から勧請されたと聞く
こんな瀧が車道のすぐそばにあるのは驚く
簡単すぎる!
ま〜瀧がここにあり
道路を作っただけか
これ以上入り込むなよ!人間!
なんて場所だ!
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ゲート

池大明神
鳥居があり神社であるが
この磐座のこの地は
おそらくゲートであり
ごく自然に古来の人々の、地球への信仰心が濃かった時間
言葉の向こうにある何かを感じたから作ったのだろう
そう思わざるえない不思議な場所だった
帰り道の案内板を信じておりると
そこは道なき「賽の河原」
濁流で散乱した木の根や流木がいたる木々に
ひっかかる
このすぐ下の龍の瀧を破壊した、砂防ダムのおかげで水が0じゃないか
人工の川だ
水はどこへ流しているのか?
八匹の龍の統括は水神の長、水天様であり
さらには不動明王化身は?利伽羅龍王、大黒龍王であるから
お不動様も瀧の近くには祀られている訳だ
法華経などでは、仏法護持の龍神であり
雨や豊穣、一説では疫病をも、もたらす水神
ご神体は役の行者,ここも神仏習合である
この杖を持ち,高下駄をはいたじい様「役の行者・役の小角・役の優婆塞」
は、仏教、道教、陰陽道、神仙思想、密教を修行したじいさまで
簡単に言えば、魔法使いでありヒーラーであり、地球の実践者であるから
忍や修験者が放っておく訳がない
いわば行をつんだ実践者であり、験力使いの家元である。
自然にお不動様と一緒に祀られている場合がおおい
僕は海で山で、この人,役の行者と,龍神の真言と印を唱える
それだけ,海は恐ろしく
誰もいない遥か沖の波へ行く時点で、死は現実味を増し
地に足が着く海岸に帰れる確率は誰にもわからないのだから
目に見えない力でお助けください!と
つまり他人の家に上がり込むのだから
今のような雨合羽や「アウトドア」メーカーの道具が無い時代
忍達や地球の体内で修行をしてきた人々の気持ちが
僅かながらもよくわかる
そんな感覚がいつの日からか携わった?
持たされたのか?
海のひとり旅はごくごくあたりまえのように
その関係上、どうしても祈る行為を、ことさら深い意義を知らせてくれる
誰か一人を、生きている人間を絶対神としなくてはいけない
一神教の宗教を越えた部分
様々な宗教とは線をずらした部分の
地球に人間様が現れたころのあるべき姿と関わり
地球と生き物達への尊重と、「尊ぶ」心をおもいだし
電気仕掛けの国の理屈やへ理屈のゴミや
えばりんぼうの人間の傲慢さを捨てに
洗いに海に行く訳だから
修験者が山で死んで生まれ変わるという時間と
まったく同じだと知る
彼らは自分を山伏と言う
僕は自分で海伏と言う
だからここ最近は,日本の山河や信仰を読んでみたいと旅しています
ファインダーも見ないで押す
1枚の奇跡な写真を頂いて
ビルの木々の都会の人々の屋内にかざり
幾ばくかの海や水や地球への記憶を呼び覚ます
海のゲートを創らせて頂いているのかもしれません
海はいつでも待っています
お好きなときに
行きたい時に
ジャボン!としてください
特に
政治や先生へ
ぜひ裸で海へ!
ご案内いたします。
海は無理に名刺をくばったり
テレビや町会の餅つきを強制したりもしません
名刺とカメラを置いてぜひ!
嘘のない世界だから
嘘つく必要もありありません
たしかに、誰かが書いた心にも無い言葉はお忘れになりますが
自らが体験した、心にしみ込んだ想いは、忘れませんから
なんだかどこかで瀧音がするから
いってみよう
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車庫飛ばし

沖縄辺野古の国会質問
ある共産党議員「移設したはずのc-130は沖縄にこないんでしょ?」
防衛省「沖縄にもたまにいくでしょうね」「アメリカの運用だからわかりません」
そりゃそうだ 笑
C-130輸送機の駐機地は岩国でも沖縄で実際に活動
いわゆる車庫飛ばしであるが
飛行機だからそもそも車庫がない訳です
質問と答えが既に茶番なのは
そもそもアメリカの言いなりにならなければいけない
戦争を仕掛けられ,無条件降伏し、戦犯をねつ造され
安保条約にいやいや判を押した時点でのゆがみである
勝てば官軍であるし、もし日本が間違って勝ってたらどうだろう?
僕のじいさんは満州とビルマに2度戦争に生き、奇跡的に帰ってきた
一銭五厘の赤紙で、よその国に投げ込まれあとはよろしく!
現地で飯はなんとかせ〜という結果に多くの兵隊が帰らなかった。
侍精神をゆがめ、日本陸軍の明治時代からの、今の政治と同じく
ノーと言わせない空気と合理性に無理にフタをした突撃精神、
東条英機に戦陣訓を強制されたプロパガンダの結果
皆動けなくなった戦友は、ジュネーブ協定も教えられず
捕虜にもなれず、家族の写真を見ながら自決においこまれ
国の家族には、適当な死亡理由と白木の箱だけが届く
戦争は馬鹿なものだ!と言っていた
話はこの神社へ戻るが、拝む以前に
こんなに昔から大切に護り、祀られてきた社をないがしろにするのか?と感じた
まづ普通の人は来れない
来れないと言うのは看板はあれど
工事業者が東京発電(株)が町?が、
あいまいに立ち入り禁止にしている
 七面山の下りで膝ががくがくだ!
栗拾いのじい様の足を、さらに急な山道が後押し!しながら30分
淵を望む高台に八大龍王を祀り、その深いさらに奥の山頂に神社はあった
本尊は「お不動様」と「役の行者」
実はお不動様が龍の頂点、いわば親分である
忍者先生、役の行者は密教と絶妙に溶けあう為
歴史上、お寺上、神社上 ほとんどセットである
なぜ?忍者先生か
京都や東大寺の圧力や抑え込みを跳ね返してきたレジスタンスである
甲賀、伊賀の地侍や農民の彼らが(忍)
隠形の武人の神、摩利支天と行者と不動明王を信仰していた事実や
ようは神仏のご加護と,地球が強い中で誰もが思う自然な精神信仰へと向かったのだ
例えば、天台宗系の伊賀の赤目瀧を護る「延寿院」発祥の
法華経を背負い全国を走破し情報収集をした「赤目瀧衆の行者」や
甲賀の油日神社、飯道神社や岩尾山の山寺にその足跡を今だに見れる
その根源はここでも修験者達でありる。
彼らは割り符なり、ごおう印を特別に持ち、全国を通行手形なしで巡礼できたのだから
忍者がほおっておくわけがない。
昔はどこへ行くにも関所(税関のような場)とパスポートが必要だったらしい
明治政府の唐突な神仏分離と廃仏毀釈まで
うまくゆるく、地球とも絡み合っていたのだが
ある日を境に、数千年に及び、崇め拝み大切にされてきた仏像を焼き払う訳だから
その仏や神様の怒りは相当であり
力を増した政府の強制力は今に生きるのだが
悲しい思いをした人々がどれだけいた事か
この時点で人間の暮らしと地球を,自然という言葉で分離した訳だ
その以前から今で言う政府は、神田の山を削り、水道橋周辺から
江戸城に続く干潟や川や東京湾を埋め立てた徳川の愚行から始まる
人間本意の町づくり?に熱中する
人間がもはや害を及ぼす外来種になりつつある今
余計な事をしないほうが,地球にいいのだから
風力発電や電磁波のハイブリッド車が環境に良いと騙し続けなくてはいけない
ある自動車メーカーと同じである
今地球は傷だらけだ
俺の親父が絶対一番!だ!と
一神教で戦争が起こり
それを伺いながら
日本やフランス、アメリカはじめ多くの文明国がトレンドの武器を広告代理店と作り
武器の見本市を開催!
もう一つのお口で戦争は反対ですと言うのは
見えない机の下で手を握り、見える机の上で指相撲というやつだ。
海を川を埋め立てていく
地球は知っている
地球は生きているから
忍び達はそれを理解していた
それが日本中に呼吸している、目に見えない信仰心である
それを脈々と支える,修験者や僧侶や神主さんがいる
世界にもこんな国は無い
凄い事だと思わないか?
独り地球に分け入り、そこで体験を積む
それが本来のいわば常識である時代から続く
田植えも狩猟も,漁業もそうだ
命を頂く訳だから、ただきます!である
今じゃ自分で何も出来ないくせに
俺たちは好きな時間にスーパーで都合よく、産地を選び文句をたれる。
カリストのひげのじい様が悪いのではない
山河をばっこし,独り修行したおひげの自由人な行者様のほうが
ロマンがあり説得力に満ちあふれているじゃないか
誰かの言いなりの、教科書やテストはすぐ忘れる
心と体を寄り添うように自らを手向けた
体験と実践は心に残り続ける
ま〜信じるものはそれぞれで良いが
信じるものが「者」ではいけない
絶対無二の1つの教祖や教師や者は,ズレとカタヨリに依存していく
絶対とはこの宇宙と地球の呼吸なのだから
今の人間界は物入りだからいろんな種類がでてくる
参加者は皆純粋に迷っているのだろうが
間違いなく答えは他者ではないのだ
黒板ではないのだ
他力ではない
現代の忍と、現代の行者を
神々や地球は必要としているのではないだろうか?
アボリジニやアイヌやイヌイットやネイティブアメリカンを始め
世界中の地球と寄
り添って生きた彼らの教えを
俺たちは快適なビルの中で読んだらいい
そして一歩、山や海や川へいけば
美しさと強さと恐怖の中で
心と体に染み入る何かが必ず待っている
数年後
なんだ・・・自分もおなじじゃないか と笑う訳だ
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龍の淵

七面山を2時間で降りた、それも
日蓮さんの法華経を信仰したまではいいが
その間に生きた人間を入れたから「きまづい」
新興宗教の500人の団体が拡声器で、発音を変えたお経を騒ぎながら
降りてくる。
だから言ったろ
「他人に迷惑かけないで,誘ったりしないでやりなさいって」
700年続く霊山も日蓮さんも驚きだ!
足早に追い抜くと17丁目で(頂上まで50丁の目印)
途中大きな蛇が目の前を横切り驚いた
麓から車で30分、かつて硯の産地だった雨畑へ「あめはた」
実は銀座三越前で千日間托鉢をされている真言僧、望月さんに
偶然で会い、教えて頂いた場
池大神、と龍の住まう淵へ向かった
白菊を持って捧げてくださいと・・・
それらしき道を探した,探した
いくつもの、通行止めのバーと
いくつもの砂防ダムと干上がった川をさかのぼるが
魚達は2度と戻れまい
土石流で壊された道とガードレールの傷は
人間が何でも手に入れてはいけないという証明であり
人間の痛々しい愚行の道を歩いた
そこには2本の瀧があった
1つの青い淵があった
もう1つおそらく昔は瀧があったであっろう落差のダ砂防ダムが
恐ろしい事に、龍の住まう聖地を破壊しコンクリートで固めた訳だが
看板には東京発電と書いてある
稲又谷取水口とあり、この水をどこかへ移動させているようだ
間違いなくここは独特な秘境の滝壺の淵だったはずだ
白菊を供え
龍の真言を唱えたが
こんな姿に変えてしまった、人間界をどう
思われているのか?
悲しいな〜
今の地球と日本人の縮図を見た
インドから輸入された仏教は「歴史上の」ブッタ先生の教えや
「歴史上」の阿弥陀さんのような、過去世で積んだ善業や徳を報いで仏になった仏を利用し
来世で生まれ変わって,次に生まれ変わる世界を幸せに!いい暮らしを!
前世でいい事をしましょう!と
と言った具合に、よくわからん来年に向け頑張らせる、お金を操る新興宗教が蔓延
もしカエルに生まれ変わったらどうするんだ?
なんて誰も質問はしないだろうが
この辺りを彼らは匠に利用し「お金はお金じゃないからね」と
集める訳だから、一等地にビルが建つ
募金集めのうまい
パンダマークの環境保護団体WWFも一等地にあるのを思い出す
密教はそれらの仏さんがいたとしたら
彼ら彼女ら仏様の宇宙の根源の大日様から直に秘法を学ぶ
行きてる間に頑張ろうぜ!と言う訳だから、やや、すっきりする
大日如来は「理の法身」 
理は事物の現象の背後にあり
現象の原因はこの理であるという
全てはこの理から生まれてくるのだから
母であり子供である
これを大悲胎蔵と呼ぶらしい
泳いだから,溺れた?という訳か?
空海さんは理から流れ出たものが
「智の法身」だといわれている
結果、修行により大悲胎蔵の世界に戻るという
智とは,ただの頭の知識や知恵ではない
倫理を越えた、ある向こうに行き着いた「ある塩梅」を示す
それが太陽であり宇宙の自然の根源の大日如来と一体になる事らしいです
注 塩梅とはそれぞれの個人の感じ方だが、ほぼ宗教の垣根を越え
  同じだと観ずる
これが修行という事で、ざっくり言えば実は,普通の日々の正しい暮らしであろう
ネイティブアメリカンの言う母なる大地、父なる太陽と宇宙の創造主タイオワ
はさらにすっきりする
宗教は日々の自分の中にあればいい
ま〜宗教と野球の話は喧嘩になるのでやめなさい!
と昔、親に言われた・・・・のでこの辺で
この偉い公共工事の傷が「現象」を見
美しかったであろう、過去の瀧とこの場を偲び
業者だって仕事だからな〜
あ〜人間、俺もこんな事してるのかな〜と
胸に手をあてて
実際ひねれば水が出て、火がつくコンクリートの家に
いるのだから、同じか?「理」か?
結局は人間が悠久の注連やかな歴史を
破壊し本当にすみません!
ごめんなさい!と唱えた
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奥の院

奥の院へ
この巨岩に七面大明神様が現れたと言われている
ひっそりと磐座と共に奥の院は佇んでいる
地球の音だけの世界にとけ込んだ
階段をあがる,78歳のおじいさんとは
翌日の下山と数時間後に、とある山梨の温泉で出会う偶然
7時間かけ登って,4時間かけ降りるという
何かの力でここで出会う訳だ
ここも宿泊ができます。
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祓う

別れの朝
小松執事、望月別当さん、米枠さんはじめ修行僧の皆さんと
再会の為に別れた
冬は雪深く、マイナス数十度の世界
彼らはひたすら,毎朝毎晩大声で祈る
七面様、お稲荷様、日蓮上人をはじめ、あまたの僧侶や神様
3.11で亡くなった人々への供養
神仏習合を根とし、ある一つの頂へ心を手向けて行く
全身全霊で叫ぶ、この山の勤行は凄まじい
聞けばやはり,我々がこの山に捨てて行く様々な「もの」や「こと」
をぶっ飛ばす!
真言で言うところの
悪魔降伏! 怨敵退散! 七難即滅! 七復速生秘!
強気で!
えいやっ!である
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見えないものを信じる

地球創世時の音だけ
唯一「うつしよ」にいる証は、ジェット機の飛行機雲だけ
ひっそりと、しめやかに
歴史と信仰がしみ込んだ空間である
次元が違うのかもしれない
ここが龍神となった七面大明神がかつて住まう一の池
全部で六つあると
古来から修験者達が何かの験力で見つけてしまったのが最初
どうやってこの山奥に池があり、とこしえのエナジーを観たのか?
今だ謎であり
学者がひもをとこうと躍起になってもとけないひもである
それは謎でいいのだ
それは、現代の我々の鈍った感覚の向こう側の生きた時間だから・・・・
それが信仰心であり、地球を森羅万象を祖霊を慈しむ行為である
損得や掛け値なく、見えない何かへ
地球へ瀧へ,池へ寺社へ、全ての存在へ
言葉に心を添え、想いのたけを伝える時間が
積み重ねられた来たのが日本人であり
これが信仰の真理である
数百年後,数千年後の日本人へこの空間を手渡さなければいけないのだから
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羽黒修験者

山形県は羽黒から
修験者の最高位 星野尚文さんがみえた
江戸の聖地巡礼と称し
今日は等々力不動や天祖神社へ参られた
羽黒山山神社に伝わり
星野さんの経験と地球への想いのの染み込んだ
独特な三山拝詞はいつきいても美しい
あやに あやに くすしくとうと 月のみ山の 髪の御前をおろがみまつる
あやに あやに くすしくとうと 出羽の 神の御前をおろがみまつる
あやに あやに くすひくとうと 湯殿のみ山の髪の御前をおろがみまつる
海から山へ戻ったホラ貝の音色と
あいまり神様も心地よいことだろう
やはり羽黒へ独り行く事にした
神仏分離と廃仏毀釈で,古来から人々が信仰したアミニズムを焼き払い弾圧し
ネイチャーに「ジネン」と読んでいた禅の用語をあてはめ
自然という造語をつくり
人間と地球に線を引いた明治政府
人々が地球の美しさだけで、怖さを知らないようにされた
今の世の中,地球を馬鹿にし,地球へお祈りなんてどこのはなし?
ぺらぺら上辺でしゃべる、お話上手な政治やさん
誰かが書いた紙を棒読みし、記憶に無いとおっしゃられる
選挙ってなんだ?
選びようがないのだから随意契約というやつだ
山や海へこい!
嘘をつけなくなるから。
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籠る

結局4時間もかかってしまった

宇宙に開け
天空に歴史の重みが充満した山寺
言葉がみつからない不可思議な何かを
普段は眠る感覚で感じていた
ここは宿坊とは呼ばない
ここは山籠所と呼ぶ
700年もの間
山に籠りながら
全力のお経と
厳しい山寺で
人々の深く長い信仰が呼吸している
過度な便利とオバカな偽情報に欺瞞され
狭いコンクリートの水槽で生きた振りをしている我々
我々は何かを捨てに
我々は何かに生まれ変わる為に
ここに呼ばれる
人がいかに正直にこの地球と沿えるのか
この山は言葉の向こうで、息づく呼吸で教えてくれる
出迎えてくださった
望月別当さん、小松執事さんはじめ皆さんの
純粋無垢なお心と行に
ただただ感謝いたします
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ズレ

命の時間、皆それぞれの方法で同じ峯に向かうのだが
見えない何かに捧げ、信じることを
実行しない
信じにくい
世の中の世間体と町並みに埋没していたと気づく
と言いながらも
こうしてアホな電気製品で文を書いている
電気を使いながら、原発反対はずるいというズレ
間違いなく教典(教科書)や戒律(独自のルール)
を熱心に推奨される、マスターや教祖のような
現世に生きた人間では,必ずいずれズレが生じる訳だ
なぜって
所詮人間が頭をひねって考えた事なのだから
最初から見えない齟齬が数ミリでも生じている
人間の前から生きる地球にはおせっかいな訳だ
その結果世界は宗教戦争じゃないか
ま〜それは横山に置きたらして
地球の森羅万象に心を傾け、自らの力で地球の体内で験を積み重ねること
その普遍的な流れに生かされていると知ること
地球の限度の無い強さや怖さや,美しさを知ればいい
日蓮さんも皆そうして原風景の中で
戦国の世の後の安泰を願ったことだろう
アイヌでは
カムイモシリ 神々の世界
アイヌモシリ 人間界へ
人の周りの事象には全て魂が宿り
それぞれの役割をもち降り
その役割を終わると帰るという
アイヌ民族の自然な道と同じく
地球と呼応し対等に生きてきた人々の時間こそが
本来の姿であると信ずる
随分ざっくり言えば
日蓮さんも最澄さんや空海さんと同じく
その筋のプロの前衛的ナビゲーターであるのだ
修験者が遥か昔から
この七面山に、池に、何かを感じ祈っていたと聞くと
やはり独り山河で経験を修めて行く行法に
どうもしっくりくる
言葉は脆弱かもしれないが、深みも含む
その表裏一体に人は地球は生きている
地球へ真言(マントラ)を唱える
お祈りでも祝詞でもいい
フラのチャントでも
ネオティブの言葉でもいい
アイヌの詩でもいい
カリストでもいい
どの国も、どの星も、気持ちは同じな訳で
そこに本心があるか、どうかということだ
「すみません!」
「よろしくどうぞ!」
「ありがとう!」
「トイレどこですか?」
「お願いします!」
宇宙共通の小さな独り言でいい訳だ
世界中で
海の中で
山の中で
川の中で
瀧の中で
言葉に心をのせて
正直につぶやけばいい
かけまくも かしこきいざなぎの大神様
どうか海でお助けください。
個人的な意見ですが
科学や勉強ではないのです
地球の波動とアミニズムの真理を理解したいが為に
僕は独り波の中へまさに擬死再生を繰り返してます
ウェットスーツも本当はまっ白にしないといけませんが
でも鮫にすぐ見つかります
本当に何度も三途の川を泳ぎました
藁をもつかみたいくとも,藁一本ないから
自力で泳ぎきるしかありませんでした
生きたいか?
死にたいか?
ただそれだけです
目を覚まして
独り覚悟して行けば
なんとかなるものです
おそらく自らに啖呵と仁義を切るのです
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夜の語り(修行僧 望月別当さん)

望月別当さんの優しい語りは
静かな夜のお堂の隅々へ流れた。
長いですが,素晴らしいのでそのまま載せます
「皆様お足を楽にして結構ですので
どうぞ楽にしてお聞きください」
多分皆様、明日の朝の御来光を楽しみにしてきてる方も多いのでないかと思うのですが
明日は丁度お彼岸の中日になる訳ですが
年に2度だけ朝陽が,御来光が9/23と3/21に
富士山の頂上から出て
丁度このお社の七面様を通って
出雲大社を通り、霊鷲山にいく
レイラインと言われいるのですが
その光の道が年に2回だけ行われます
ここは700年前に建てられた建物ですので」
どうしてこういう事が出来たのかはわからないのですが
おそらくここには、大きな信仰があったから出来たのだと思います
この七面大明神様は
実は日蓮上人様の法華経感
お題目の信仰
それによって成仏できた神様(女性の龍神)と言われています
この横の一の池に住んでいらっしゃったと言われて
お弟子様が717年前の9/18か19日に
ここにお社が建てられられました
その七面大明神様のご縁のお題目の信仰を
なさる方を守ってくださる神様で
法華経の行者応護 末法総鎮守(ほけきょうのぎょうじゃ まっぽう おうご そうちんしゅ)
と申します
「まっぽう」というのはお釈迦様の教えを信じなくなった人々が増えた時代を申します
その「まっぽう」の時代を護ってくださる神様でございますから
皆様方このご開帳を受けてられて、お姿を拝して下ったのですが
右手に鍵をお持ちだったと思います
左手に宝珠をお持ちでございます
右手の鍵で皆様方の心を開けて頂いて
左手で新しい命,魂を授けてくださる
それが七面様のお姿でございます
この七面様の参道50丁を登るという事は
何かご縁が無ければ登る事は、なかなか出来ないと思います
え〜御上人様のご縁があってのお導きがあってとか
何か御来光のご縁があってとか
何か不思議な事があったりとか
何かなければこの山は登っていただけない
そにには見えないものへの信仰がでてまいります
ご縁があって登らせて頂いた
皆様方でもしご体調が,今日、悪ければ、御逢いできなかったかもしれません
又健康で五体満足で日々過ごして頂いたからこそ、このお山で御逢いできました
途中でもし何かあったら御逢いできなかったかもしれません
私たちはその事を忘れがちでございます
よくこれを六根清浄と申すんですが
この自分の目、鼻、口、耳 6根あります
この目というのは
人の事はよく見えるんです
自分の事は全く見る事は出来ません
自分の心はよくわかりません
そこで日蓮上人が南無妙法蓮華経という良薬を残してくださいました
法華経を集約して,苦労して苦労してお薬を残してくださいました
このお題目を唱えていれば,七面様が護ってくださるといわれています
皆様方が病院にいって先生から薬を頂くと、病気は治ってしまいます
薬の中身は皆さん知りません 
わかりません
このお題目の薬というのは
ありがたい薬です
この薬の中身はわからくても
これを信じて日々過ごして頂ければ
必ず救われると言う事になるわけでございます
今日皆様方ここにご縁があって
来てくだっさた皆様方です
よくぞ今日この時に、本当に
偶然かも知れませんが、奇跡でございます
一生あえなかったかもしれません
どうぞその事を胸に刻んで頂いて
今夜一晩いい御修行をして頂ければありがたいと思います
我が命
我のものならず
天よりも降らず
地より湧きです
ありがたき父、母の御身を分けたるこの身なり
この身を使わさせて頂き
一日一日を一生の思いにもなして
強く、正しく生きる事を・・・・
どうぞ皆様がた
今私たちが生きているのは
遠〜い過去から命を頂いている事でございます
その日々その事を胸にしながら
過ごして頂ければありがたく
またどうぞ皆様また、元気なうちに
またこのお山にお登り頂ますこと
お願い申し上げましてご挨拶とさせて頂きます
本日は大変ありがとうございました
皆さんありがとうございました
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静かな山寺がし〜んとした
素晴らしいな〜
望月別当さんの,声優のような声と間は
その場でないとわからないが
人生でここを知らないともったいない
七面山 敬慎院 参籠所
どなたでも泊まれます
一泊2食付き 6400円
朝晩のおつとめのお経は圧巻
部屋は海外の旅宿バックパッカーで言うところの
「ド〜ム」です
 
二菜一汁
動物,魚類、缶詰などの生ぐさもの持ち込み禁止です。
持ち物
着替えと歯ブラシ類,タオル
風呂は石けん禁止
雨具もいれて山の格好で
山靴で登山してください。
駐車場は麓に数カ所あります。無料です
あまり教えるとつまらないのでご自身で
山寺の旅を満喫してください!

深仙

外の景色も見えない山中を登る事4時間
この山寺の僧侶の方々は2時間半で登ると聞く
まるで昔話のような世界が開けた
いくつもの結界とつらく苦しい徒走行の果てに観得るもの
700年以上も前から、この地にこの山に池に
見えない何かを観る為に
数えきれない人々の純粋な素足の跡がある
その何かに賭し
その何かを観ようと
この地に籠り
幾重にも行を重ねあわせ
この山に何かを捨てに
生まれ変われるように
旅人を暖かく迎える人々がいる
世界を探しても
日本を探しても
そうあるものじゃない
そうでなければ700年以上も
見えない何かを信ずることは不可能だから・・・・
この夜、夜のお勤めで
望月別当さんのお話しに
心が静かに揺れ動いた
この世であり
あの世である
宗派を越えて
地球に人々に
魂に
森羅万象へ
祈りを紡ぐ人々がこの深仙に生きている
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無言

無言
会話なんてない
しゃべりたくもない
しゃべろうとも思わない
ただひたすら山に分け入り
黙々と足を頂へ差し出す
山を目指す者の、ひとつの心の休憩場がある
そこはあまたの人々の志がと、この地への憶いが詰まっている
事実を知る
700年もの間、ひたすら修行のように登らねばつかない場
700年もの時間、絶える事無く人々を魅了し祈らせる山寺とは何か?
味わい深い山道である
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記憶

瀧の飛瀑に包まれた麓の参道から
この先の山は結界である
大昔、修験者が既に航空写真も無い時代
この山が含むいくつもの瀧や池に何かを感じ
その何かを、何かと共に祈られてきた聖域である
やがてこの山に、となり村身延の久遠寺から憶いを馳せていた日蓮上人の
亡き後、その意志を生かすため、弟子であった「にちろ」さんが
この山寺「敬慎院」が建立したという
今の建物は火事で焼失したとはいえ,270年前のまま
ご本尊は奥の院の巨石に現れた女性の龍王「七面大明神」
さかのぼること700年以上前から
ひたすら,この道なき山中を4〜5時間登り続け
見えない頂と、そこに歴史を吸い込みながら佇む山寺
「敬慎院」を目指す僧侶、修験者、旅人、信徒がいたのだから
その足跡と汗の山道が古い記憶の全てを知っている訳だ
これから目指す「敬慎院」宿坊ではなく
まさに籠もるのだから
参籠所と呼ぶ。
楽しみだ。
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山櫻

騒がしく派手な神輿祭りの裏には
こうした粋な祀り事を司る職人達がいる
これが日本人である
見えなくとも
目立たなくとも
己の道でひっそりと深山で咲く
いちりんの山櫻
こうした人々の支えで祭りがある事を
忘れてはならない。
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継承

この神社が創立され数千年
毎年1回の祭りとしても
数千回、数兆人と
脈々と村人達から,次世代の村人達へ手渡された来た事実に
我々は生きている
江戸時代までは瀧の美しい場だったこの地に
天狗や龍と同じく
自然霊の神、稲荷神社と共にたたずんでいる
短い人の一生の
何億倍もの時間が
受け継がれ,見えない何かを崇敬する心は
世界共通の純粋な祈りであるから
言葉を越えた世界,見えない世界のつまった玉手箱の中身なんて
見る必要は無い訳だ
現代人はなんでも過剰に科学を駆使し
手っ取り早く知りたがる
消費的なTVと同じく、そんなものはすぐに,忘れ,飽きてしまう。
世界中の美しい地球と共に存在する
こうした祈り固められた聖地の味わいと神秘性を
日本人はよ〜くわかっているはずだ。
コンセントなんて無くたっていい訳だから。
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祀り

祭りは祀りであり
神様への感謝を示す為に
脈々と伝えられてきた事象であり行いである
過去から今日まで幾億人もの人々が
この地球と氏神様への感謝を背負い渡してきた訳だ
憶えばすごい事である
日本人のアニミズムとも、修験とも仏教とも溶け合いながら
今に至る生き方が実は身近にある事を知る
素晴らしい時間に精一杯生きる人々と
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海雲と空雲

我々は水の中に生きている
体内が75%に水
生体水は海の成分によく似ていて
悪い血液を海水で入れ替える治療法もあったという。
あまりにいい結果のおかげで、薬カルテルが禁止にしたらしい。
空は空気の中の水の粒子
海は水の中の空気の粒子
人間臭く言えばH2oだから同じものであり
居場所の違い
人間界では水素結合力で海水が溜まる場所を海と呼び
実は「波」と人が呼ぶものは1つの「物」ではなく
水の連接で波動が伝わる動き出あり,有機的な「透明で細やかな呼吸」である
人間の目では見えない細かさで動いている事を,僕は水中で知った。
だから固定された物でも、沖の水が岸に来た訳ではないから
そもそも「波という物」は無いのだ
あたり前の事が忘れられ
水への感謝と祈りが失われつつある中
ホピ族を始め,日本では修験者が滝行と水垢離で
清め祓え
脈々と水の連接のような祈りを唱ってきた
マントラを訳すと真言というらしい。
地球の物や生き物に
名前はそもそも無いのだから
これ以上人間の都合を押し付けてはいけない訳だ
写真は同じ時期のハワイ諸島オアフの,空と海
色即是空、空即是色
ま〜なんでも同じである
頂は1つ
手段が違うだけであり
僕は水の中で波行をしてきた訳だときづく
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庭先

キャンプとは何か?
地球の自然の残るまっただ中でテントを張り朝を迎える
訳だが

日本の場合はちと違う
田舎の誰かの家の横
駐車場のような整備された砂利の上
あわよくばトラロープと番号が書かれ
「はみ出さぬよう張っておくれ」
「何かあればそこの家にいるから,ピンポンならして!」

トイレもキッチンもある

「なんで水場のトイレの横に集まるの?」

「う〜んなぜか皆さん、ここいらに集まりますね 笑」

もちろん大自然のまっただ中に住む
キャンプ場のオーナーも近隣の方も
当然テントで寝ない訳である。

何故か?
これが普通で
満たされているからであり

都会の馬鹿な俺たちが,町のジャンクな隙間の逃げ場であるから
商売になる。
考えたら田舎のおじさんの家の庭先でテントを張っている。

凝り固まった日本のバケーション中なら
右も左もテントであるから,これは都会と変わらず
よろしくない。
テント村でありまるで都会からの難民キャンプ。

お父さん達は着いてすぐテントをたて
バーベキューをし、ここでも働き家族に奉仕
翌朝,朝飯を作り
テントを車に整理しとんぼ返り

なんて
夢の無い話のようだが現実はこうだ。

そんな訳でありながら
電気製品から逃れ,携帯を捨て
地球の音だけの世界の夜と朝はいいもので
こんな海に行けばなおさらいいものだ

なるべく人気の少ない
小さな山奥の誰かの軒先を借りればいい

キャンプサイトで点のついてない方がいい
なぜなら多くは水場とお風呂がばっちりの,清潔なホテルのような
キャンプ場が好きだから。
行けば必ずやかましい
トイレと洗い場で並ぶハメに。

だから地図だけにのってる
ひっそりとした、キャンプ場を探すといい
いいキャンプ場はまるで秘密基地。

夜には遠くで鹿が鳴き、朝キツツキの音で目覚めるから。

地球を敬う心が背中を押してくれる。


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Ishimuro Shrine(South Izu Peninsyula)

石廊崎のishimuro Shrine

This shyurein master had been prays.  Shirahama Shrine for 30 years.
Also build about 500 bc   for hyuch long time ago 
some stupid guys painted and carving at the Shrine
Few Japanease  is lost own road when they forgot  about the mother Earth.
Earth gave to brerth with us 
Hophly keep on long long time story.
A Japanese in water of civilization and the westernization
We  forget a promise of a voice and the earth of the important earth
As well as a fish living in the narrow water tank
I live by avoiding the strong earth
I drew the line where the word nature was convenient

宮司さんは白浜神社に30年おつとめされていた方
色々なお話の中
岩屋のような明治時代の建造物に目をやると
縁結びを勘違いした馬鹿者達の,落書きや直彫りの名前の数々

聞けば夜もこのままだから、誰でも入れるらしい
安易にコンクリートの参道のおかげで誰でも来やすいのも皮肉な結果だ。

神社庁なのか県なんこかはわからないが
柵を設けるなり、カメラをつけるなりしなければ
愚行の終わりは無い訳で

悠久の祈りの時間と、あまたの先人の人々の心が失われていく。

ここに後から灯台が出来
指宿のリゾート会社がリゾートを作り撤退。
いつの間にやら神域がこのざまだ。

南伊豆町のパンフレットしかり
観光地として「縁結び」を広告に紹介するありさま

岬のしめ縄の磐座に,登って写真を撮る親子もいると聞く
お参りもしないまま、ピースでパチり
注意をすれば親に睨まれ。

お参りもせずお護りだけを購入し
「これってききますか?」 と問う若者に
宮司さんも苦笑い。

今神様は,自然の災害を人々に知らしめ
地球と宇宙を尊ぶ気持ちを教えているのだと
語っておられた。

戦争に負け占領されたあげく、沖縄の辺野古を安易に埋め立てる
行為も同じく、弾も骨も置きっぱなしのやりっ放しの地球。

地球を、見えない力を、馬鹿にしている証明が
大きく目立つこの時勢
 


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子供だまし

美しい昔の日本そのものが残る海岸線だが
すこし目をやると、コンクリートの四角い防波堤やらテトラポッドやら
港にするのはしかたないにしろ、それにしても埋め立てすぎるではないか
公共事業と砂の流失を名目に、埋め立てられていく現状は
沖縄の辺野古と同じく
とうてい人間では作る事も、2度と戻せない長い地球の呼吸と
歴史の時間を破壊していく訳だが
心のない行為や言葉は
誰かが書いたメモ書きを「お上手に読む」日本のセイジ屋さんの
仕業と慣習を目の前に馬鹿だと思うのは,子供達とて同じな訳で
これを子供だましというらしい
地球を馬鹿にし,子供騙しを繰り返す日本の大人達
一度海で裸で泳いでごらんなさい。
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洗う

食器だけはアルマイトとアルミ
油もヤシ油
で塩だけの味付けだから
鍋釜は海の砂で洗う
ロハスなエコ洗剤なんていらない訳だ
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失う

サーフィンは自然発生した海での遊び
ハワイが聖地のように言われるが
ここニューギニアでも昔からきっと行われていた
子供達は家の前でサーフする
自然の暮らしを継承し
自然に泳ぎを習い
自然に板にのる
電線も無い
電話も無い
ビルも無い
美しい地球と共に生きる人々がいる
それに比べ俺たち町の日本人はどうだ
生まれもっていた地球との呼応力、感応力を
を失いながらいきている。
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虫かご

ハワイ島のヒロから南へ40kmおりた
木にくっついた山の小屋にいた
来れば何とかなると思ったが
町の周辺の宿は全て満室
車を現地で探し、この不思議な宿に着いた
木の板にオーシャンビューファレ と書いてある
たしかに電気もない山の頂きに
窓ガラスも無い、壁が網戸の虫かごの様な小屋はあった
漫画のような夢のような宿
この世でも相当早い明け方
鳥達の鳴き声と
彼方からこの景色が現れた
あの先には波があるのだろうか?
そんな旅の途上に偶然みつけた宿と波
今代々木上原のファウヤーキングカフェでの展示に
そんな偶然の偶然がひきあった写真が展示されています。
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靡 Nabiki

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ここはフィジーから船と飛行機で2時間かけてきた離島
日本ならば、この場は磐座神社。
太古の海から隆起した巨大な石が島である
あの白波が僕にとっては、靡であり
祈りの場であり、命をかけた挑戦の場である
限度のない美しい時間で,人は足るを知る。
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