STAFF : Uncategorized

拝啓

海はつながっています
いうよりも
陸地の隙間を水がたまっています
海の水は海流で地球上を旅をしている
学者は言いますが
13年間裸で泳ぎ
死なないような術を研究し
身を以て観察体験した結果
その土地や
その沖合に留まって生きています
波はそもそもなく
透明な波動というエネルギーが
生んだ,水のある動きの一つです
驚く事に
沖の水は海岸に1滴も来ていません
お風呂で水面を手で水を動かしてください
動かした手にあたった水は反対には来てません
動きだけがきています
それが波動で
波です
透明な水がなんで
海により色が違い
重さを持ち
固さや柔らかさを感じるのでしょう
水素という約150度にやじろべいのような
形の水素と酸素の結合と不可思議な
変化自在な代物の仕業らしいです
重さを変え,質量も変えられ
雪になったり,霧になったり,海の雲になったり
それは忙しいんです
ま〜理屈はこのくらいにして
葉や花びらがひらひらと散る姿に
死生観を観た日本人
これを「わびさび」とも名付けたようです
一つの事象でありながら
一つの答えではない
つまり
様々な意味を含む事象は
自然にしか再現できません
人間は唯一の答えを
或る期限迄にだしたがり
その一つの答えを正解とし
探す癖があるようですが
そんなものははなからないのです
波の中も同じく
儚くも美しい2度とない
瞬間です
太古の記憶や
祈りの声を
含んだ水が日本には漂ってます
日本人という前からいた人々や
世界のネイティブな行者達が絶滅危惧されつつある今
今だ彼らが地球の野山や海で祈りを地球へ
手向けている事を
現代人の私たちは忘れてはいけません
日本は小さな重箱ですが
これだけ神社仏閣がひしめいた重箱
はないんだと,外へ旅をすると気づきます
それが旅が教えてくれると
言う事でしょう
やってみないとわからない
言ってみないとわからない
行ってみないとわからない
だから禅やら修験やら密教やら,神道やらがそれぞれに発達しながら
絶妙にブレンドされたのが日本の奥深さです
地図や航空写真で波あるかな?
あてのない波を探す一人旅をしてきました
昼間は
待った!も休憩も手加減もない大波に
惚れ込み,はたかれながら
波音と月明かりの夜に
心を裸にされた訳です
眼で見た景色と同時に
地球の人間以外の生き物や
様々な風が感覚的な微妙な周波数で
胸の辺りを刺激します
頭はその後です
それが感覚的に生きていた
忍者や日本人を始めとする世界の
人間が地球とのバランスと尊みを知っていた
時間への旅でしょう
意味が全くわかりませんが
感応力と方丈(禅でいう自身を見つめる庵)はどこにもあると
いう事でしょうか
答えをだそうとするから迷います
自分がいいと感じた
僅かな光へ正々堂々と
向かえばいいのでしょう
それを,時代的には割と新しい仏教では光明というらしいです。
いろんな方法で一生懸命に求道すればいいだけです
それには現代人には少し
自由な時間がいりますが
旅費以外はお金はいりませんので
どこでも出来ます
この写真は
雨に包まれ
海に包まれた神社と先人の祈りを
含んだ海の裏側です
ファインダーは見て押してないから
自分でも見ていて飽きません
記憶にない瞬間を記録した訳です
全然意味がわかりませんね。
では
そんな訳で
そうとうおかしいので
来週は高野山から伊賀甲賀へお祈りにいきます
S5.jpg

白浜で

白と青い恵比寿達磨で有名な
白浜神社の祈りの山を望む海である
大雨の中、初めて撮ってみた日本の海は
南太平洋の海外には及ばない透明度と波の大きさ
だが独特な感じだった
This photos was into the japan
It is famous for white and blue Ebisu Dharma doll
It is the sea overlooking the mountain of the prayer of Shirahama Shrine
The Japanese sea which I took in a heavy rain for the first time
Volume of transparency and wave inferior abroad of the South Pacific
But this is this
It was a unique feeling
7O4A9170.JPG
7O4A9180.JPG
7O4A9142.jpg
7O4A9263.jpg

雲見の宿

雲見漁村の
漁師宿 「吉右衛門」さん
前の日に仕掛けたエビ網を朝の3時に
あげに行かれて、お膳に並ぶ海の幸
海藻やゴミをのぞき、エビを丁寧に網から外すのは大変な手間である
山が豊かで海が豊かであるから
こうした多様な生態系を眼と舌で味わう
伊豆によくある伊豆にはいない
イクラや韓国の養殖アワビや甘エビはでない
男らしいご主人の磯地魚の宿で
お一人13,000円はすごい
本国ポルシェ社とも縁の深い
ポルシェのこだわりの整備会社ムラタチューンの小松会長が
大昔から来ているという宿に
ドイツポルシェの現役プロドライバー、ウォルフガング カウフマン氏
と,小松さんがスカイツリーの真下の会社の道で出会った
タヒチのボラボラ島の船に住むベンさんも
日本の凄さに驚嘆されていた
我々とて驚くお料理と
お気遣いである
ぜひ!
雲見温泉 吉右衛門 0558 45 0358
静岡県賀茂郡松崎町雲見357
7O4A8845.JPG
7O4A8832.JPG
7O4A8834.JPG
7O4A8943.JPG

雲見

西伊豆は雲見
岩がご神体でる
浅間神社
急激な石段を登り
木の根が絡み合う森の先に
この社は漁村を眺め佇んでいる。
静かな人為の及ばないあの妖精の住む
フィジーの森で感じた
あの独特な同じ感覚で鳥肌がたった
数千年もこの地を選び
社を造り
祈りを捧げた先人の智慧を尊ぶ

7O4A9028.JPG

7O4A9038.JPG
7O4A9096.JPG
7O4A9087.JPG

フィルム

フィルムしかなかった

大量のフィルムを買い込んで

空港の税関のX線で被爆しないように

鉛の袋に詰めたりと

撮った後も大事に保管し

日本に持ち帰った

デジタルにはない

見えない

確認できない

その必要もない

という

黄金律の緊張感の1枚1枚に

プロとしての代金を頂けたのは昔の話し

パソコンやスマートフォンが

人間を駄目にする

電気中毒とでも言うのか?

電車に乗れば右も左も携帯中毒者

人間の地球との感覚を奪い

下ばかり向いて

全然周りが見えていない

カメラも今じゃ金属な機械でなく

プラスチックの家電である

カメラの端の塗装が剥げたりなんだり

あの独特な金属音の響くシャッター音も

今ではシャッター幕はないのに、カシャッ!という

電子音で写した気分

光もあってなきゃ

パソコンソフトで調整すれば良い

そりゃ誰でも

いい加減な1枚になる

こうしたフィルムを光にかざし

自らの歩いて泳いだ道を憶いだすのもいいものだ

P1.jpg

国境とは?

生きる為の食料と
電気のない村の発電機と船の燃料ガソリン
に村人と部外者俺
を満載の小舟で1時間
彼らの村へ向かう
昨今の
カリフォルニア?サーフカルチャーの
衣装もアクセサリーも不毛な事と知る
日本人の体形にも文化にも異質なアメリカの
「はやり」に汚染されている
ハンバーガーをコーラで流し込む
いわゆるお手軽なアメリカ文化に汚染されている
エネルギーに満ちた、人を知らない透明な波の中で
風雨に包まれ,凍えそうな島に
引き潮の海につかり、漁に出なければ餓死する厳しさに
彼らは直面し,その越えられない壁に沿うように生きている
美しいじゃないか
彼らの優しさと笑顔は
そんな強い地球と
生きているからこそなしえる
自然な謙虚さである
南洋の島々に
日本人が忘れちま大切な時間が
つまっている
どんどんと地球のはじ迄行かなければ
海も濁ってきた現実
所詮地球は丸い水のボールだから
魚や鳥に国境がないように
人間は彼らから学ぶべきだ
IMG_2792.JPG

岩山

幼い頃
数日間だけ泊めてもらい
船で島々へ連れていってくれた
レイモンド アキオさんと家族
あれから30年
今も彼らと出会える事を楽しみに
今は亡き,びろんじゅの実に石灰の粉をかけ噛み
船を操るアキヲおやじを憶う
スタジオにある
ロープでしばってくれたシャコガイを見ながら
あの当時へいざなうから
電気のおもちゃじゃ こうはいかない
美しいラグーンの水は
太平洋戦争の傷跡を記憶として
持っている
彼らが「いわやま」とよぶ
南洋の松島のような島々とその湖のような浅い海
アメリカとイギリスに誘い込まれ
仕掛けられた戦争とはいえ
戦争を進めた
海軍軍令部永野修身と陸軍杉山元、東条英機
やら大本営の力は
天皇陛下も近衛文磨総理にも
決断出来ない力が存在していたという
あの関東軍の石原莞爾さえ
石油もないのに人の土地で戦争をするべきではないと
言っているにも
関わらず
人の家や庭で、骨も置き去り、銃弾も打ちっぱなし。
その関東軍の若者達が、当時は聞き慣れないパラオの最南端
ペリリュー島とアンガウル島で全滅した事実を
日本人は忘れてはならない。
枯れ葉剤をまき散らしたベトナム戦争もしかり
よその国の領土を破壊し,軍需産業の金儲けの事実は
70年たっても継承されている
人間は自分の首をネクタイで絞めている
P s.jpg

嘘のない世界

おいおい
俺は何してるんだ?
笑う。
見渡しても誰もいない
サーフボードもない

一人絶海の海で
巨大な海に飲み込まれながら

まるで漫画のような事態と
しのがなければ死ぬ瞬間が
何度も何度も来る
嫌なら海から逃げるしかない
岸に着けば生
戻れなければ死

スポーツの試し合いとは
違う
本当の死逢い

待った!も
まいった!も
休憩もない
水も飲めない

これが波の正体だ。

そもそも波なんてない
あれは波動の動きだ

延々と水が水素結合し離れては集まる姿を
人間様が勝手に波と呼びつけたが
実際は波なんて物はない。

沖の水は一滴も来ちゃいない
1cm先の水もここには来ちゃいない

一個の酸素に2個の水素がやじろべいの様に
約150度の角度でくっついている水の分子

そいつがくっつき合い、離れてを繰り返す
雪であれ,氷であれ、霧であれ地球の水は
増えもしないし,減りもしない。

とにかく
不可思議なもので
その水素同士の隙間にゴミがあると光を遮るから濁るといい
透明な水はその水同士の連結するクラスターも奇麗で
きっとなんらかの、生きたエナジーがあると
信ずる

海は生きている
その全ての繋がりを理解し
礼を尽くす人を
海は知っている

とむすぶ。

人生は裸で生きなくてはいけない訳だ

178.jpg

ここにいること

ここは1900メートルの山
対岸に富士山を望む
祈りの山である
毎朝
毎晩
大声で地球への祈りが手向けられ
ここには、徒歩で登山で延々と続く
待った無しの山道の先の浄土である
様々な憶い
様々な想い
様々な思い
を背負い
人々は何十年とかよう
幼い頃,両親に連れらて以来登る人
願い事をする人
願い事の御礼に来る人
何故かつらいけど
毎年来ちゃうんだという
おじいさん
人生の様々が
延々とここで祈られ
浄化されて行く
朝5時に起きて
夜9時に寝る
肉類はなし
の質素な精進料理
6日もいたら体が細胞が記憶が
リセットされるだろう
日々山を登り
山を下る人が居る
日帰りの人も入れば
泊まる人もいる
刻々と地球がこうして
呼吸しているように
人間もそのリズムと予測不能な流れに
生かされていると知る
人間の作る騒音もジャンクなテレビもない
素晴らしい地球だけの音と
昔のままの時間がここに留まっている
その
何かを感じ
ご老人もふくめ
毎日、この頂を目指し
旅の人々が行き交う山
何かがあるが
それは見えなくても
言葉で表さないでもいい
ここにくれば
わかる事だから
7O4A7819 .JPG
7O4A7827.JPG
7O4A7837.JPG

神仏習合の山

山は神仏習合の毅然たる態度で
我々を迎える
どうも日蓮宗の寺という大義が強い
この1900mの山迄
荷物用の小さなロープウェーが出来てわずか15年
それまではボッカとも剛力とも呼ばれた
人々が背中に担いでここまで3~4時間登ったから驚きだ
6人で交代で背おう籠もある
当然この山で出会う人間は
全員自らの足で、昇り降りをしてきた訳だ
いわば既に修行である
いくつもの結界のなかの結界が
意味するもの
幾重にも幾千年もの時間
過去からここに来た人々により
祈られてきた事実が生きる
毎朝
毎晩
1時間以上
地球の事、神々の事、仏々の事
この池に住まう龍神様へ
国の安泰を願い
個々の人々の邪気を払い
願いを唱う
天災などでで亡くなった魂を鎮める
馬や牛のマークの車に
檀家の目を盗んでそっと乗る
町の坊様とはひと味違う
純粋な修行僧達
これが日本の無形文化であり
祈りが紡がれる瞬間に
立ち会っている
と知る
ここに来なければ
生涯知らない時間が
世界があった
旅を続けよ
7O4A7290.JPG
7O4A7281.JPG
7O4A7434.JPG

富士山

実は富士山が特別好きではないが
地平線の丸いある点にれば
高さのおかげでどこからも見れるのは間違いない
太陽が地球の自転で富士山を絶妙になめる
大雨の中、苦しく登った山だけに
この光景は感動的だ
この太陽が数日後、お堂を射抜くらしい
がそれは天気次第
太陽がど真ん中に来るその頃は
ダイヤモンド富士山カメラマンや
日蓮衆を巧妙に利用された新興宗教の数百人
純粋な信仰宗教の方数百人の
の一大イベントが3月とこの9月の年に2度
僕もこれから5泊この山寺に停滞する
これでも十分美しいが
富士山カメラマンはいない
レンズは50mm
ロバートフランクではないが
これが人間の視野に近いと言われている
7O4A6668.jpg
7O4A6688.jpg
7O4A6714.jpg

寄生

延々と続く雨とつづら折りの道を
登ること約3時間半
背中の荷物が本当に重く
独り押し黙りながら登った
暗くなる前の17:00に山寺
日蓮宗の敬慎院に着いた
茅葺きの建物は320年の時を吸い込み
この参道を太陽が駆け抜け
お堂の龍神様を射抜き
出雲大社へその光は向かうという
仕業が今から718年前に創られたのだが
その遥か昔から修験者達が
この山に7つに池に何かを感じ
どうにかして歩いて祈った事実と
時間が下界と閉ざされたこの山麓の窪地に
漂っているのは
誰でもわかる
これが聖域と呼ばれた由縁であり
不可思議な伝承の続く山寺である
たまたま日蓮の「島」であったから
お弟子がこの建造物が日蓮宗だが
空海さんや最澄さんや、親鸞さんが見つけたら
宗派の異なった山寺であるが
高い峯の頂上は同じであるとすれば
宗教の向こうの世界に
仏教が輸入され宣伝される前からある地球感
森羅万象、ネイティブ、アミニズムの
元祖の地である事を
忘れてはならない
宗教は民間寄りで
つまりは人間くささを垣間みれるから
人間界の苦悩と迷いの闇から
それぞれの光を見つける
1つの手段であろう
地球があり、太陽があり
海洋が呼吸する時間の中で
人間が考案した
唯一無二の宗教なんて
存在出来ない事実を
よく観る事だ
この「ある宗教家の人間」の決めたルールは
宇宙や地球の流れとは
異界の世界であり
所詮、はなからそれぞれの角度で差がズレが生じている訳だ
なんていったら
誤解されるが
まづはこの地球に心と体を傾けた結果に
人々の迷いや悲しみを救う為に
編み出された手段だという事だと思われる
この地さえ
この山が
この池が存在してきた
から
この山寺があるのである
人間は地球に寄生している
のだから
7O4A6460.JPG
7O4A6463.JPG

7O4A6485_1.JPG
7O4A7314.JPG

七面山へ

思い立ち山梨県の七面山へ
朝10時現地から,山寺に連絡をすると
あいにく宿はいっぱいだと
山寺の方が言う
大祭のため
人も車もごったがえしている
引き返すか
と渋滞の車を
ガソリンスタンドでUターンさせ
ガソリンを補給中に地図を見た
すると裏道で行けそうだ
すると
妙に行く気になり
麓がどんなに込んでるかでも見て
可能なら瀧でも浴びさせて頂き出なおそう
山の入り口の木立は車で一杯だが
測道にどうにか停め
瀧へ向かった
すると山寺の知り合いの修行僧から
連絡があり
「宿坊は泊まれます、おかしいな〜
普通は断らないんですけどね
誰だろう?」
いずれにしても
昔はこの瀧を浴びてから
登攀したのだから
流儀にのっとり
初めての白糸の滝へ
近くの宿の私有地なため
許可と住所を記し
白い上下に着替え
法螺貝を吹き
祝詞をささげ
龍の真言を唱えた
40m程上の崖の緑のじょうろのような口から
ほとばしる,白い水の飛瀑に
そっと身を寄せながら
落下する固く冷たい水に打たれた
冷たい水に震えながら
瀧から出て
法螺貝を吹くと
塩とお酒をもった人々と
出会う
聞けばこの先の男瀧へ行くという
地元の宿の行者さん
連れて行って頂けた
その瀧はさらにその奥で
巨大な白い水壁となり
滝壺をせり上がらせ
かき混ぜていた
その人
宮武さんは,大雨の中、塩と酒で清め
大声で気合いと,呪文を唱え
瀧の中へ入り
両手で岩を掴み
瀧にしがみついた
 
あれをやるのか?〜
怖い!
胸迄の深さの滝壺から出てくると
いやお前さんは
まだ端っこでやらんと死ぬ
俺があんたを押さえておくからな
宮武さんは僕の両肩を支えながら
首を引くんだぞ!
折れるぞ!と
大声で南無妙法蓮華経!と唱え
僕は九字切りをし龍と,不動の真言を叫ぶ!
ぶるぶるに冷えた体が
肩と首にあたる固い水に叩かれると
なぜか、ぽかぽかしてきた
言葉では伝えにくい
何か突き抜けたような
爽快感と地球の畏怖を感じだ
大雨の中枝や石が落ちてくる事もあるから
と行っていた矢先
僕が出て次の方が入ると
頭上から黄色い頭位の石が岩をはねながら
本当に落ちてきた
おやじさんは
これは龍神様や!と
この辺りの石とは性質も色も違う不思議な
その石を大切に持ち帰った
不可思議な流れと
不可思議な時間に立ち会った
偶然が重なり
女瀧と男瀧を同時に浴びれた
聞けば今は大阪に住んでいて
偶然久々に来たという
ほんの数秒ズレたら会えなかった奇跡
さ〜もう13時だこのまま山へ行かねば
7O4A6449.jpg

絶海の孤島で
絶大なる力
絶好のチャンスに立ち会う
絶対絶命の茶碗の縁で
そとに転げ落ちないように
意識すると
落ちるから
そんな事を
うだうだ
考えないように
と考えない
事がなかなか難しい浮き世
とどのつまり
死んだつもりで
本心で死んでもいい心持ちが
最後は自分を救う訳だ
出来ない!
泳げない!
もう無理!
なんて
言う暇があれば
波に向かって泳げ!
限界は自分が決めているから
そのまやかしの線を越えれば
自然に
心で笑う
怖さに限界もないから
行いを修めていくのが
行者であろう
それが修行であるが
構えて大仰なことではない
日常の小さな日々にもそれはある
そんな事を
この中で
この場で
自然に教わってます
In a solitary island in the distant sea
Great power
I am present at a golden opportunity
By the relationship of the bowl of the absolute end of life
Do not fall down in the outside
When I am conscious
Because I fall
Such a thing
Nonsense
Do not think
I do not think about 
The world that very has difficult thing
End-all
I intended to die
The feeling that may be killed in the real intention
Finally, it is reason to save oneself
I cannot do it!
I cannot swim!
Already impossible!
How
If I have time to say
Swim against a wave!
Because oneself decides the limit
If I go over the fake line
Naturally
I laugh for a heart
Because fear does not have the limit, too
Mastering an act
It will be a Buddhist ascetic(Shyugen)
It is an ascetic practice
It is not the thing that poses, and is exaggerated
It is in everyday small days
Such a thing
In this
At this place
I learn it naturally
IMG_3848.JPG

七面山

ご縁をいただき
参拝させて頂いている山寺
女性の龍(七面大明神様)をご本尊に
稲荷社、不動堂など神仏習合の行場
日蓮宗でありながら
聞けば海上安全など水難の守り神である龍
と自然霊を祀る
山梨は七面山敬慎院において9/18 金〜19土
大祭が執り行われます
また9/23は一年に2度だけ
太陽が山門を抜け斜面を駆け下りた光が
お堂の七面様(女性の龍の神様)を射し
その光は出雲大社へ向かう
不可思議な現象に出会えます
いわゆる「レイライン」光の道です
山を4〜5時間修行のように登ると
巨大な山門と茅葺きのお堂があり
祈り場と宿坊として数百年
この山に佇んでいる
理由が
ここに来れば、言葉を越えた部分で知るでしょう
日本の僧侶、修験者、参拝者達の祈りの
まっすぐで,真っ白な気持ちが
日蓮宗でありながらも、古来から続く
神仏習合の本来の自然な日本の姿として
ここに生きています
毎日、国の安泰、鎮護国家、平和安穏を祈られて
くだっている僧侶の皆様の意志と行いこそ
無形な文化財であり
日本の誇りだと思わずにはいられません
随分と少なくなりつつある聖域が
このお山に
あります
望月別当さん
小松さん、江口さん皆様
よろしくお願い致します。
どなたでも,参拝宿泊できますが
4〜5時間延々山を登りますので
靴、下着、雨よけなど
それなりの装備でおいで下さい
水は途中で補給出来ます
登山道があるため
鎖場や尾根を歩く危険はありませんが
延々登ります
人生でこんな素晴らしい体験はできないので

ぜひ!

7O4A8144.JPG
7O4A8136.JPG
7O4A8264.JPG
7O4A8873.JPG
7O4A8354.JPG
7O4A8301.JPG
7O4A8311.JPG

地球を手に入れる事などできない

毎日太陽が昇る
というのは間違えで
太陽の位置に地球がまわる訳だが
絶妙な月と太陽の線で
地球のどこにいても
まんべんなく太陽の光があたり
まんべんなく月を望める
地球の70%をしめる海の水、地下水や川もいれたら
ほぼ水の上に
水の隙間に寄生している人間
飛行機もない時代
仏教では極楽西方浄土の信仰で
海へ小舟でそのまま沖へ
海の彼方の見えない極楽へ
自らの意志で流れた僧達がいたという
いまでは飛行機で
お金と暇さえあれば
地球の裏側へもいけるから
西方浄土の見えない世界感をも失われいる
カレンダーも時計もない
フィジーの離島では
引き潮と満ち潮を知り尽くし
新月の1年に1度
皆がババロウと呼ぶ
色とりどりのゴカイが
珊瑚の浅瀬を埋める
11月のある朝になると
海は子供から大人まで総出で
これをすくっている
もちろん彼らには御馳走だ
生で、揚げてたべる
これは
どうも人間がなんでも知っていて
科学と研究で裏路地まで知り尽くし
この地球で人間が一番だと雄弁をかざす訳だが
そんな馬鹿な話はない。
人は過剰に知りすぎたのか?
36枚フィルムで撮れればよかった
今じゃデジタルになった写真機
いや
もう機械ではなく
家電だから
写真機とは呼べないのかもしれない
まだまだ人間なんて
なにも知っちゃいない
人里離れなくては
美しい世界は写ってくれないのか?
人里離れた地球が
今もどんどん失われていく
人が地球に公害になりつつある
静寂な間に
これでもかと 身を置き
地球の怖さに 
これでもかと 身を置き
頭ではなく
胸で感応する歴史が
特にこの日本人には
深く染色されているのだが
ほとんどの人々が忘れている
もう1度足下を見なくてはいけない
何度でも
あらゆる加減ない美しい地球の雨に
傘を捨てて打たれたらいい
誰もがきっと同じ事を
胸に憶うはずだ
胸に秘めていた憶いが
この地球との正しい時間を
憶いださせてくれるから・・・
7O4A3658.JPG
7O4A4874.JPG
7O4A4736.JPG
7O4A3352.JPG

波の裏側の旅

タヒチの横ラロトンガ島
雨まじりの沖で
波をやや正面から
受けてから体をひねり込み
シャッターを押す
両目でよ〜く見て
感覚を張り巡らせ
水の中で動き回る訳だが
動画よりも
やはり1枚の写真がいい
長らくフィルムで撮っていたおかげもあり
現像した1枚から読む時間が
そこに生き続ける
電源もモニターもいらない
もっとも波動の水崩が早いのと
はなから四角く作ってしまう意図的なファインダーは見ていない
もしファインダーを見たとしても
この1瞬は眼では見えていない
から
見ても意味がない
どっかの写真教室の「これが良い構図です!」と押しつけの構図と同様
眼で見たら頭で絵をこねてしまう
それは本来の写真の胸で感じた情熱の1瞬とは違う
写真のはらむ危険な欺瞞の迷宮におちいる訳だ
作為がつまった1枚は御免だから
両目で波をじっくり受け入れ
大胆に押す
私意も思惑も捨て
無意識な世界が
もしかしたら涅槃寂静というのか
ここは祈りの場で
方丈で
修行の場であるのは変わらない事実
事実の1瞬をここに
追伸
数日前
海で波に叩き付けられ
鼓膜に穴があいた
鼓膜が破れると気持ち悪さと強烈な目眩いがする
すぐにあがり、様子をみたが
以前のような破れた感じはしなかった為
海へ戻ったが
ごく小さな穴があいているらしい
ちょっとした油断と運の角度と
水圧と風圧でいつだってこうなる
そういえば
音も鼓膜の振動で聞こえるらしいが
水の中ではくぐもった音に聞こえる
水中でも様々な生物の音(ブダイが珊瑚を噛む,シャコのはさみの音などにぎやかだ)
そして胸まで響く波音の雪崩の轟音に包まれる。
地に足がついた浮き世では
感じえない時間に生きている
これを知らなかったら
ここに来なければ知らないままでいた時間がある
旅は心を豊かにする
旅は自然に本当の自分をみせてくれる
波の裏側の旅もいいものです
地球で生きるには、つねにリスクがあるという事実を忘れてはいけない
そのリスクを排除する為の暮らしが
現代の我々の、「ズレた時間」だということも
憶いだしてほしい
そのズレを心で知った時から
こみ上げる楽しさと、無限な幸せとともに
気づけば誰もいない海岸で
1つゴミを拾うもの
募金でも環境保護でもない訳だ
山河の破壊にして我々の暮らしがある現実
では
ゴミとは何か?と言えば
人間の過剰な工夫で作り上げたケミカルな物、
燃やせない過剰な物に他ならない
そもそも自然界にはゴミなんて言葉が
もないのだから
もしかしたら
俺たち人間がジャンクなゴミなのかもしれない
ファインダーという四角い檻に飼われないように
7O4A3031.JPG
7O4A3032.JPG
7O4A3034.JPG
7O4A3038.JPG

日々健康があたりまえだが
すこぶる健康で
すこぶる心が落ち着いていないと
全ての判断が鈍り
到底こんな場へ独りで泳いでいけない
体一つ潜り込める隙間を探して
回転しながら空を仰ぎ見る
人間界の地上とは時間の使い方がちがう
体の動かし方が違う
高速な横軸の水のトルネードを
寸ででかわしつつ
本能と感覚で早めに動くのだが
頭で考え
ファインダーを見たら
もう波はない
間合い
自身の心
地球や風と海
波と体
この間合いを
極める事は
まるで古い武術や行者の行と同じなのだろう
これが楽しくてたまらない
写真機の恩恵
海の恩恵
ひいては古来から脈々と手渡されてきた
日本の祈りの作法とその意味を知る事になる
楽しく
死が直接そばにあり
これほどわくわくする時間の
生きている実感に幸せを感じ
アドレナリンの海に漂う

7O4A3104.JPG

上級編

あてのない旅はどきどきだ
あてのない海の波の裏側のガイドブックはないのだから
身を以て自分でいくしかない
完全なるアウェーであり
お前誰だ!〜と
言わんばかりに
海の神様がそれはずごい!
ライフガードも誰もいない
遥か沖まで泳ぎ
戻らなくてはいけない
遊泳禁止である
様々な祝詞や真言を捧げ
九字きりといって
修験者や忍者が過去数千年行ってきた作法もする
これは簡単に言えば
9人の仏様の印と言葉で浄化するおまじない
水晶の玉こそもたないが
もう人間界の向こうにいくだから
山や海へ裸で行く者が
「必ず持つもの」になる
お護りと自己暗示の世界
悪魔降伏 怨敵退散 七難即滅 七生即成秘
六根清浄 懺悔
どうか
無事に戻してください
どうか
幾ばくかの時
幾ばくかの写真を撮らせてください
ネイティブアメリカンが言う
父なる太陽ワカンタンカに祈る
話はそれるが
熊野古道のある宿のおやじさんも
熊野本宮へはいるまえの発心門王子で
太陽のお父さん
大地のお母さん
と昔から祈るのだと
教えられ
まさにこうした、地球での自然行為は地球上で同じな訳だ
独り海で太陽をみると
本当に安心するが
大雨で
太陽の見えない海は
その恐ろしさで潰されそうになる
嘘のない世界
嘘のつけない世界
嘘のつけない一枚
嘘をつく意味のない世界へ
政治家先生
オリンピックロゴのデザイナー佐野君
ぜひ!
7O4A3154.JPG
7O4A2856.JPG
7O4A2943.JPG

青いバケツの中で

ハワイ諸島オアフ島の北
ノースショア
2002年の冬にここにあてもなく
訪れ
朝空港に着いてから
パイナップル畑の一本道を車を走らせ
夕方五時に宿が見つかるまで
それは思い出深い時間が
ここにはある
なによりも初日に
気道が閉まる程溺れたのはよかった。
パニックになると人は楽な方に逃げ
この苦しさから解放されたい為に
泳ぐのをやめちゃえ!といった死ぬ間際
人間の脳のおかしな判断に迷った
意識的に冷静に
精神的な部分を元に戻せば
結局は戻れるのだが
遥か沖では、そうはいかない
海での溺死のプロセスを体験出来た事は
貴重で正直嬉しかった
あれ以来
心と体
小さな自分の力と
圧倒的に凄い地球の力
の中で止観し
「おそらく」
越えてはいけない一条の線を
行き来きしてこれたから
地に足が着いている訳だ
その証明写真が波の裏側。
12年後フィジーの離島で会った
ハワイアンの友人に誘われ
再びこの地に戻り
泳いだのだった
なぜ長い間ここに来なかったのか?
つまりは白人のサーファーの渋滞と
水の濁りを避け
南へ南へと下がっていったのだが
もちろん文明と美しい昔の地球がうまく調和した
オゾンに満ちた朝のノースショアの海岸は
人々を魅了する
のだが
僕には人里離れた
静けさと
絶対的な地球だけのエナジーに
包まれたかった
自然のままの世界にあると言い伝えらえてきた
見えない力を観たかった
ワイキキをはじめリゾートや住宅開発や汚水で
ハワイの水が汚れたように
遥か南の島々も
数百年後はわからない
所詮は青いバケツの水に生きていると知りながらも
人間は止められないエスカレートし続ける馬鹿な便利と金を求めるいじょう
地球の自然環境は破壊されていく訳だ
しまいには武器を作り戦争をしかけ
よその国で戦争をやらかす
戦国時代のありさまだ
今から70年前の
1941年12月8日に
このノースの空から真珠湾へ向かった若者達がいた
戻れなかった54人のパイロット達と9人の特殊潜航艇の若者達
がこのこのハワイにいた事を忘れてはいけない
仰ぎ見ながら
彼らが見た心の景色と
今の景色の差を海から憶った
20130415_9999_115.JPG
20130415_9999_112.JPG
20130415_9999_129.JPG

伊賀 忍

ご縁あり

伊賀赤目48瀧を護る,三重県は伊賀の山奥、
天台宗延寿院と
ただならぬ関係になってはや数年
ここは1400年の時間を見てきた古刹で
密教行法や様々な武術や自然感を会得した廻国巡礼、山岳修行を納めた聖(ひじり)
は、赤目瀧衆として法華経を日本の66カ所の祈りの場へ納める旅へでた
これはいわば納経を理由に情報を集めた,伊賀の忍の基地だといわれている
富士、出羽,大山等は山詣りといい
赤目、那智、谷汲,華厳等を瀧詣り といった
その証としての印、御宝印を授かり,持ち帰った訳だ
それをしっていた信長はこの寺を焼き討ちにした訳だ
江戸になると、徳川のおとぎしゅうで、上野の寛永寺、日光東照宮、伊賀上野城などを
プロデュースした,高山公 藤堂高虎の菩提寺になる
彼の配下には松尾芭蕉の父親もいたのだから
松尾芭蕉も何かしらの密使と、金銭のサポートがあり
全国を俳句を作る振りをして、旅した訳だ
羽黒山にも彼の庵があったという
伊賀赤目の山で赤目不動が夢に現れた
天台羽黒の支流に属した万行律師が
駒込の地の庵に安置したのが,南谷寺の赤目不動のはじまり
で藤堂高虎もたちよったという
そして高虎は伊賀の瀧衆の忍の情報を統括し
徳川が帰依した上野寛永寺の慈眼大師天海に報告したという
からこれまた味わい深い時間が上野と駒込と伊賀の山を繋ぐ
きっと天台宗瀧泉寺の目黒不動にも立ち寄った事だろう
無生法忍
生死を超越して、もろもろの煩悩は慣れた涅槃の境地
忍法の絶対境地である
内外無垢、心身清浄、自由自在、融通無碍なり
心は何者にも囚われる事のない「明鏡止水」の境地に到る
波の中もまさにこの境地との行き来である
生きる教えはこの地球と心にある
誰かに言われてやる事でも
誰かの言う通りにする事ではない
地球に心を傾け
想いを伝える事で
自然に正しい行動に
正しい場へ
自然に収まるものだと
忍達は知っていた訳だ
7O4A1807.JPG
7O4A0204.jpg
7O4A0056.jpg

生まれ変わり

写真は嘘をつけないから
自らがその被写体にすり寄るのがいい
望遠レンズはパパラッチ
昨今の写真屋は後でいじりたおすつもりで押すから、
もはやこれは写真ではなくグラフィックだ
撮ったままでいいのだから
撮ったままがそのものだが
どうも余計な味付けをする
だから色もいじり
引っ張ったり消したりしたら
その場でパチリと写した意味がない
本来の素材の味を出すのが腕なのは
料理人とどこかにている
海で
抜き足
差し足
流されていないか?
水中の珊瑚の岩が足もとから続く
遠くの陸地と繋がる事実を
命が潰れるかもしれない場で知る
海の雲が覆い
風が吹いてきた
雨が水面をうつありさまは美しい
つかの間の青い静寂にいる
雨とは海の水が海に戻る輪廻である
海の中にも雲がある
これは空気であるが・・・
雨音を波音の轟音が消す
水中で音は空気中より十倍速く伝わるらしいが
それよりも、波と呼ぶ回転しながら迫る波動は早いから
音は置いて行かれる
もちろん崩れる行為の後に
音が生まれるのだが
どうもここでは違うようだ
人間界の常識や普通は普通じゃない
ここに身を置く事で知り得る事がある
あきらかに水は生きていて
こちらを観ている
大雨の誰もいない岸から400メートル沖で
胸が潰れる思いと
絵も言えぬ濃密な怖さに包まれた
怖いと
感じるのは胸の辺りの何かだ
その何かを心と言うのか?わからないが
四角いいけすの学校教育で養殖された
頭ではないのはたしかだった
胸が躍る
胸がつまる
胸が熱くなる
やはり人間も魚達のように
鳥達のように、胸の辺りで感じて生きている
地球に生身で向かう時間が
多くを気づかせている
あまりの恐ろしさに
15分しかこの場にいられなかったが
それも海での判断だ
心でわずかなその何かを感じたら
その感じたままに体を使う
その何かの音連れを
人間も感知できるのだ
昨今やたら広告で「五感を刺激」なんて馬鹿げたコピーを見るが
人間には無限なアンテナと
地球との感応力があるのだが
悲しいかな広告屋にはわからない
お客に今風の言葉を売りつけるのが仕事だが
ちと無責任だ
体験がないのだから
誰かの書いた文やデザインをまねるしかない
それは、よく記憶にございませんと言い放つ政治屋も同じ
ここに裸で泳いでこい
2度と嘘なんかつかないから
人間も生きながらに
生まれ変われるかもしれない
クック諸島の沖より
Because the photograph cannot tell a lie
Oneself should draw close to the subject
The telephoto lens is a paparazzo
Because I intend to do everything to play with it later, 
and the photo studio of these days pushes it,
This is already graphic not a photograph
Because it is good with shooting it natural
I do seasoning unnecessary for some reason
Therefore I play with the color
If I pull it and put it out
There is not the meaning that I copied with a click on the spot
It being an arm to show taste of the original material
I am with a cook somewhere
In the sea
On tiptoe
Stealthy steps
I did not drained?
A rock of the underwater coral continues from the step
A fact to be connected to the far-off land
I know it at the place where may lose a life
The cloud of the sea covers
Wind blew
The state that rain beats against the surface of the water is beautiful
Short-lived blue quietness needs it
Rain is the samsara that the water of the sea returns to the sea
There is a cloud in the sea
This is air, but …
A roaring sound of the sound of the waves deletes sound of rain
The sound is 10 times faster than it, and it seems to come in air underwater
Because the wave to approach while turning to call a wave than it is early
The sound is left
Of course after an act to collapse
A sound is born
It seems to be different for some reason here
Common sense and normal of the terrestrial world are not normal
I may know it by putting the body here
The water is valid obviously and
I watch this
From the bank where nobody is of the heavy rain off 400 meters
With the thought that a chest is destroyed
The picture was wrapped in deep fear not to be able to say, too
If I am scared
Is it anything around the chest to feel?
I do not know it whether anything is called a heart
I was cultivated by the school education of the square fish preserve
It was sure that it was not a head
Heart is excited
Heart is jam-packed
A chest becomes hot
After all as for the human being like fish
I feel it around one of a chest and, like birds, live
Time to go to the earth by the living body
I remind you of most
In excessive terror
I was able to be in this place only for 15 minutes
It is a judgment in the seas, too
If I feel something a few for a heart
; is feeling it, and use the body
Some kind of sound companions
I can sense the human being, too
“Stimulation looks at the ridiculous copy for the five senses” by an indiscriminate advertisement these days
With the antenna which is infinite for a human being
There is a response power with the earth
A sad kana common crier does not know it
It works to palm off modern words on a visitor
A little irresponsible
Because there is not an experience
I cannot but imitate a sentence and the design which somebody wrote
A politician-like declaring that memory does not include it well is the same
Swim in nude here
Because I never tell a lie
In the pattern that the human being is vigor
I may be reborn
From the Cook Islands
7O4A3352.JPG
7O4A3353.JPG
7O4A3354.JPG

ビンテージボード

代官山 Sundays New york
波に乗り継がれた手製の板達
当時のワックスや砂
色彩や傷やリペア後が
この種の道具の持つ光彩を放つ
thanks Key Murakami & Sundays surf
7O4A3636.JPG
7O4A3669.JPG
7O4A3650.JPG
7O4A3676.JPG
戻れる確率を読み
戻りたいか?と自身に確認する
人間の忘れた無限なフォースを引っ張りだして
この地球のありのままに,身も心も添わせて行く
泳力やプールの水泳とは異質な世界がこの地球にある
酸素ボンベを買って入る
スキューバダイビングの征服感とは真逆な世界
サーフィンとジェットスキーの差は埋まらないように
足ひれだけで,泳いでみれば瞬時にわかる事がある
このジャンクな人間界の時間さえ嘘だと知る
何を言ってるんだ?お前?
と言われても
構いやしない
それが独自の体験であり
独りで山河に行く事に深い人生の道が続く
人間様を捨てる場なのさ
そう
いつ戻るのか?は
自分で決めて
2度と振り返らない
決めた事を
とやかく考えない
決めた事を変えても良い
たった今、思った事が未来と過去になるのだから
それが地球の流れに生きる事
7O4A2777.JPG

幼い頃は山口の無人島で魚を網で生け捕る事に命を燃やした
飼えそうで,持ち帰れそうな魚を
取っ手の着いたビニールの入れ物との電池のブクブクで持ち帰った
潮にまみれたまま、うっかり居眠りをすると,電車の中でビニールが傾き
海水がこぼれたりと、それは大変な思い出
でも何故か水槽で長生きせず
なぜ?死ぬのかを知りたくて
頼み込んで近所の熱帯魚やさんに小僧に入った
最初はただで、時給200円から勉強は始まった
そんな13,14歳の時、1977年から美しい生きた自然体験を子供達へと活動された
浜野安宏さんのマリアナフリースクールに参加さえてもらい
サイパンとパラオへ行かせてもらった
間違ったら指が飛びそうなでかい鉈で椰子の実を割り
ちょっと生ぬるくチリットした味の、椰子ジュースを飲み
図鑑のその彼らを見て,水の中で歓喜した!
太平洋戦争で亡くなった方々の慰霊におもむき
北の日本を望む崖で拝んだ
ドイツ〜日本〜アメリカ人の植民地という名の侵略で
他人の土地を土足で奪い破壊し,銃弾も骨も置きっぱなし
で、数万の墓場にされたミクロネシア諸島
天皇制を教育した日本
パラオは、日本が置いてけぼりにした日本食や言葉
と、今でも裕仁天皇の記念切手を発行するなど
他人の家に異文化を強制的に入り込む溝は深い
浜野さんもそんな,マリアナの人々への恩返しをと
あの当時に既に実行されていたのは凄い事だ
世界統一を目論む輩の仕掛けた、宗教戦争の図式は
今も変わらない

生い立ち1

グーグルアースで探してここに来た
泳ぎ始めた頃、傾いた丸い地球儀を見ては憧れた南の島々
ここは恐ろしい川の交差する
荒磯だ
地元のボーダーに聞いて
出る場所
戻る場所を聞いた
どこからはいるの?
「ここからジャンプイン!さ」
ここ?
どこからもどるの?
「ここ」
ここ?
ここはボードがないと無理だな〜
あの大と地続きなこの海底
海の中にも当然山がある
 
 子供の頃、落ちたらあがれないコンクリートで固められ、放射熱でゆだった
恐ろしく汚れた運河と東京湾と
不思議な事に、この海水でつながる美しい南の島々に憧れた
ヤシの実を飲んでみたかった
珊瑚礁の図鑑の魚をこの目で見たかった
1974年頃の4〜5歳から,真鶴の海や、山口県の無人島で透明な水を知った
祖父や父や叔父に連れられたので
ガイドがいた
今、都会の夏の子供達の環境や、教育環境は人形焼き状態だ
塩素とペンキで青く塗った人工ルプールがいけないとは
言わないが
練習したら早いうちに波にもまれたらいい
海や川が好きで
同時に持つ恐ろしさを知り
頭ではなく体感と体験で挑む子供を
見てくれる大人が必要かもしれない
来年は葉山でそうした
競技とは無縁な
生きる術と,自由で優美な人生を
地球から知るプログラムをやれたらと
思う
最初はガイドが必要だ
そのうち自分が自分のガイドになる
ナビや地球の歩き方なんか捨てて
感覚的な野生を取り戻せ
7O4A2832.JPG
7O4A2738.JPG
7O4A2731.JPG

波にあこがれ
波を探す旅へ向かい
波を探す
波を観察する
波に向かう心づもりし
遥か沖の波迄泳いでみる
波に九字きりをし、祝詞や龍や天狗の真言,忍の呪文を捧げる
あとはどうにでもなれ!
人生の岐路にいる
人生の最も激しく生きた時間にいる
地に足がつかないおかしな場で
どうしたってあの大波をくぐり抜けないと窒息死である
右も左もない
ただ真っすぐに心に刀を添え向かう
刀のしたに心で忍である
水と波
雪と波
霞と氷
陰と陽
心と体
同じ物であり実は一つ
これを地球の理
真理という
心は本来、水や鏡のようなもであるから 
光を照らすのは他人ではない
生きたおじさんが教祖の新興宗教や
キリストじい様達の「あざといズレ」
とは無縁。
あれはどう下駄をはかせて見ても、結局は募金集めのねずみ講である
まーいいやそんな事
下記は伊賀甲賀11人の忍者の秘密をまとめた書
万川集海 (1676年に忍の子孫、甲賀の藤林保武氏がまとめた本である)
訳 中島篤巳 氏のご尽力で現代語訳された 
を引用を引用させて頂く
身をかばって生きようとする執着心が邪魔をし
意識分別の罠に陥り
五行の理を忘れ心が迷動し事が定まらず
事物の理もわからなくなって周囲に振り回され
迷宮に陥る
さらに目の前の魔物に恐れおののき
気持ちが動転して手足の動きが乱れ
顔色も失せ弁舌がしどろもどろになる
必死即生
を信じて行動する
死を決心すればかえって難を逃れ
生き延びるものである
必生則死 必ず死ぬという一心で行動すると生きる 呉子
身を守りながら生きようとすると
帰って死ぬ事のほうが多くなる
この理は実に意味深い
思いっきり死ぬぞのと思って動くなら
結局は三忘(意識、分別、計略)の境地に入ると雑念が消え
心の隅々迄明々と定まる
すると物に動じなくなるので
物の理が静止し
鏡に写ったように明らかになる
すなわち周囲に惑わされず、目前の魔物に恐怖心を抱く事もなく
みじんの疑念もなく本心に立ち戻るので
常に機会を見失う事なく
体や心も理にかなって難なく動くのである。
それは盤上の玉、水上のフクベのごとく臨機応変が自在となり
勝ちを求めなくとも勝ち
死ぬべきところも遁れる
生き抜いたというやつだ
う〜ん
まさに
実は僕のは母方の出目は甲賀地方であり
甲賀の忍の足跡をたどり
最近では伊賀でもご縁ができた
今から13年雨前に波の裏側へ泳いで行くという決意と
不思議とネイティブアメリカンの所作と、忍達の地球や心に
対する所作が同じに感じ
泳力や畜養された常識の向こうへいくには
古来の人々の純粋行為と祈りが必要だと感じ
フィジーの海で忍の呪文をとなえていた
これも理であり縁であり天道である
まさに波の中では
信じたくない波が迫るが
ひたすら波と前へ向かいかわすしかない
退いたら死である
そこでは心の軸が大切で
思いっきり行く!中途半端はやられる!
これにつきる
忍者の道は
森羅万象と心や体を会わせながら
精一杯に生きた,日本の大切な正心体系であり武術である
信長や東大寺の理不尽な圧力に立ち向かった
郷土と仲間を護るレジスタンスである
ショー小杉の馬鹿げた茶番映画は虚構であり愚行である
影に生き
光の中で己を探して・・・
ここに行けば瞬時にわかる
迷えば行け!
7O4A2878.JPG

自然に添うだけ

残念ながら

四角い頭の文部科学省に畜養された
学校というフィッシュポンドでは教えられない
自然という言葉も,明治政府が偽造した言葉である
自然と銘打ち,都合良く線を引いた
政治やと不動産や開発者の団子兄弟が望んだ
反地球の町になった訳だ
頭で考えるのは意味がない
学者や大人は頭で考えろ!とせきたてるが
実はそうじゃない
行動も
口をついて生まれた言葉も
本当は胸の辺りから
自然発生したものでないといけない
政治家やはやりの企業家の得意な
空っぽのお話しは「口からでまかせ」となる
時間が必要だった
自問する時間も
ゆっくりじっとその自然を見る時間も
この暮らしでは蚊帳の外
人間様はこの地球のリズムと怖さを破壊し
逆転させてきた訳だが
結局は俺たちはこの地球に属している
のだと知らなくてはいけない
地球を物質的に豊かになったふりをした人間のリズムに
強制執行してきた現代
その美しい自然をみるには,遠くへいかなくてはいけなかった
その昔、ミクロネシアのフリースクールの校長浜野安広さんに
繋いでいただいた、親元を離れた大自然と大海の満ちた、パラオとサイパンでの
日々があり今がある
その3日だけのホームステーから33年間
今だその時間と家族との交流があり
今がある
限度の知らない地球の強さと
その美しさの中で
感じえた時間
実際にヤシの実を鉈をふるって飲んだ味
幼い頃の体験と記憶が今も何かと繋がっている事を
憶い起こす
群れで固まるのでなく
独りの時間をたくさんすごし
心のおもむく方向へ
独りで判断し
飯を食って寝る
また明日になれば
太陽が一面を照らし
波が風がうねりを運ぶ
じっと観る事
24でオーストラリアへのチケットだけで
あてもなくカメラと、ひとり旅へ出てみた
32でチケットだけで想像もできない波の中へ
あてもなくカメラと、ひとりと旅へ出てみた
ずっと時間に人間の思惑に縛られない
海の旅をしてきてコレが撮れた
教わる物でも
教える物でもない
想像は想像を超えられない
ちっぽけな頭
学者がいう
波なんて物が
本当はなかったように・・・・・
真実は自分で見てくるしかない
20090618_2788.JPG

行け!

ここまで独り自力で泳いでは潜り,沖を10m歩きまた波へ飛び込む浅さ
クック諸島はラロトンガ島
どこだそれ?
サモア諸島の横
タヒチの横
大雨の中、借りたバイクを走らせ
偶然見つけたポイントへ
肝試しで泳いだのが
これがあまりに遠かった!
ここはあきらかに厳しい!
今迄感じ得ない独特な
あからさまな怖さに
言葉は潰される
遥か沖
空気を吸いながら独り笑った
何してんだ俺?
不思議
不思議だ
何処だここ?
グーグルアースで波がありそう?
あてもなくきた3日目、島を1周し
ここを見つけたのが「運」という
しかし海中はやはり別世界。
プールでどんな早くおよげても
四角いテーブルの学校の勉強も
地球で生きるには何の役にも立たないと改めて知る
これを 畳の上ノ水練 という
この泳いできた14年の中で
どここよりも浅く,水が固い
人間界にはない妙な周波数というか,境界?というか
どこかあの例の霊山、山梨は七面山の行場を覆う空気に似ている
これなら
生きても死んでも「天命」だと思える
程の美しさ
なんでも一歩
地に足が着かない大海へ
踏み出してみる
行ってみなくてはわからない
邪魔をするのは
お前さんの小さな頭の妄想だ
バカなガイドブックなんてゴミ箱だ!
行けば1瞬でその
思い悩んだすべてを
1瞬で知る
悩むなかれ!
行け!
7O4A2856.JPG
7O4A2991.JPG

マオリ

ニュージーランドの先住民マオリ
マオリの人々が手と精神を清めたいわば手水
世界の野性的で厳しくも美しい地球で
自然発生したこうした行為と所作は
どこでも同じである
日本は書物として伝承として未だ数百年?数千年前の
こうした行為を神社や武術や書道などの中に継承され
目に見えている
こんなにも精密で図面もバカな電気製品もない時代に
心のおもむくままに掘られ、創られた日用品とて
やはり審美性に包まれている
つまりは
言葉に心のせ 伝えたマントラ 日本では真言や言霊とよび
言葉をそこにずっととどめておきたいから文字が生まれた訳だ
伊賀や甲賀の忍達が
闇と光の狭間で伝えてきたのは義と正心であり
数百年間も信長が大群で攻めた伊賀の乱までは
どこの大名にも寺領にも属されず
戦ったのであるからレジスタンスであり郷土愛である
女子供迄も切り捨てられたというから
「信長は人の義を踏み外したとんでもないじじい」とは
教科書には書けない文部科学省の役人達
ニュージーランドととて
現実では銃や大砲でマオリを殺戮し分捕り
ニュージーランドと勝手にイギリス系白人が名うった訳だから
大切な自然やおそらくは何千年も
崇拝してきたティキや磐座や海岸を破壊された
歴史は今の辺野古も同じである
御嶽と呼ぶ遥拝場で
その目には見えない
目には見えなくていい
何かへ伝えたいという気持ちが
本来の人の心の向かう気持ちである
これを自然という
ファイヤーキングで11年
ひたすら新作を撮りたくて
波と1つになるには?
生きてあの沖から戻るには?
そんな事をフィジーの離島で独り
考えていた時間が
海への祈りへとむかわせた
のだが、これはそんなに特別な,宗教じみた事ではなく
おそらく人間が持っていたはずの
毎朝歯を磨くような
地球への純粋行為である
7O4A5879.JPG
7O4A5881.JPG
7O4A5856.JPG

人間様の作為と思惑の外野で生きろ!

映像はバカでも読める 
と写真集に文章を寄稿してくだった
ドイツ文学者 池内紀先生
まれにTVに電気を流すと
メディアは視聴率と安易な
小型カメラで撮られた
目を引く映像を垂れ流しだ
だらだらと流す映像は忘れるが
1枚の写真は忘れない
とは、たしかのその通りで
僕も始めは映像も撮ったが
やはり、はるか昔にやめた
ビデオは一度押せばずーっと
撮りっぱなし。
見せ方の違いだから
良いとか悪いじゃないのだが
写真と違い1つの波に気持ちが入る隙間がない
1つの波に集中し、2度と命を奪われないように
するのだから、そんな気持ちを隙間に埋めている訳だ
ダラダラした電気製品の映像は波と対峙していない
命のズレを海を感じないのだから・・・
ワイキキや江ノ島とは違い
ここは地球の生物の楽園だ。
まさに自分が異物であると感じる
間違った沖縄やワイキキのような
外国の白砂をしきつめて作った人工海岸にはない
生きた地球と強い地球の中にいると知る
はじめてがこの恐ろしい海でよかった。
渋谷やワイキキじゃ祈ろうなんて思えない
ここなら独りで死んでバイバイの可能性が
グンと高いのだから
自然に何かに祈らずにはいられない
始めは忍者の呪文とネイティブアメリカンのセージを炊いた
ゆるぎない事実として
人間にはいくらかの地球の怖さが必要である
例の日本人的な思想「罰があたる』である
これは白人が世界に押し付ける「ひげのじじい」
の出番はない。
ゴミなんて捨てようなんて思えない
もっとアミニズム的、森羅万象的地球感である
早く言えば野性的、原始的な誰もが思う観念である
海ではこんな姿で
遥か沖のまさに地に足がつかない場所で
波をくぐり抜けては、水中で波を両目で見て押すか?押さないか?
決めながら,その波のエネルギーを寸ででかわし
出れそうな水面へ出て息を吸うくりかえし
アドレナリンを飲み込んで生きる
ジャンクな都会じゃ知り得ない充実感と幸せ感
でファインダーをみないでパチリ!
ファインダーは見た瞬間に
つまらない四角い絵になっちまう
心が動いた瞬間に押せてないので
それを作為という。
20090618_2781.jpg
IMG_3794.JPG

岐路

おまえさん!
よく見て!
よく観ろよ!
カメラは所詮機械だからな!
カメラに撮られるな!
いいな
バーンとお前は海へ行け!
俺たちには観れない世界があるはずだ!
いいな!チャレンジ!だ!
そんな言葉を最後に
ある日、水俣病を撮り続けたユージンスミスの
日本でのアシスタントもした写真の師、柏原誠は写真を1切やめ
絵を描き始めた(これがまた凄いエネルギーのかたまりだったから,感心した)
今からもう15年前の明大前の彼のスタジオで・・・・
それからまた25年前に3日だけ泊めてもらった
パラオのレイモンド アキヲ おやじの死を東京で感じた
電話をかければ、ものの数秒で
ママがでた
アキヲは死んでしまったの。
ママ
おれわかってたよ・・・
彼のお墓で涙がでた
まだまだ伝えたい事が山ほどあり
もっと会いにくればよかったのに、来ない自分を悔いた
済んだ事はしかたない。
来なかったのは自分なのだから。
儚い命
そこで言葉がおりてきた
戦場ではなく、苦しい海の修行を探した
海を知ったかぶりの自分へ
1枚の写真で証明したかった
それから
海へ裸で向かった
海の風景や魚の写真に息苦しさを覚え
酸素ボンベや,ストロボは、海に魚に失礼でずるいと気づいた訳だ
あの日の一言がなければ
俺はここへ向かわなかったのだから
あの別れの出来事が
背中を存分に押した
そして今そんな
カメラのおやじ柏原誠とも会えなくなった
誰よりも,波の写真を喜び
個展に足を運んでくれた
人生の岐路がある
一瞬の岐路がある
考えて考えて
考えても仕方ないと知り
あとはバーンと大胆に決めて実行あるのみ!
決めた事は振り返らず
失敗はよく観ること
だがそもそも失敗などないのである
子供の頃から,四角い机と教室で
うまく行かないと失敗だとすりこまれた
から仕方ない
つまりは
岐路にぶち当たった際
光を見つけるのは自分であり
どっちを選んでも
それなりの素晴らしい時間が待っていると知るのは
旅をしたものしか味わえない奥義である
頭で決めた結果を捨てて
黙って,大胆に慎重に旅へ行く事
彼らはそんな人生のガイドであった。
姿はないが、彼らの笑顔と優しさを感じて生きている。
儚い命
たとえ二十歳をいでずとも
人生にどんな光陰を引くかで
その人生は長く生きた人よりも深いのだと
真珠湾攻撃に出て戻らなかった19歳の爆撃機の偵察員清村勇さんは
出撃前に遺書を残した
潔さと強い精神力が支えた
今から74年前の若者の儚くも輝いた命があった
もし戦争がなく,平和な時代に生きていたら93歳である
本当は長く生きられた命を
無理に命を潰さなくてはいけない刹那
こうして趣味と嗜好で、わざと命を掛けれることは
幸せな事なのだと知り、彼を偲んで海へ向かった。
溺れても泳ぎきる
あきらめたら自らが選んだあの世であり
三途の川のばばあに六問銭を払うはめになる
一条の光を崩れた暗い波の下で探した日々が
今の写真を写させてくれたのだ
結果はとんでもなく未来にある
途方もない,考えが及べない何処からか
ある日急に、ギフトはやってくる。
とにかく
バーンと自由に飛び出すことだな
おやじ!
1k.jpg
K3.jpg

はじまり

写真集にも選ばれた1枚
フィジーの離島へ,セスナと小舟で向かう事2日
とんでもない
人間を知らない水のかたまりがうごめいていた
あまりの恐ろしさに喉が渇いても水がないから
泳ぐ前に無理に水をたらふく飲んでおく
いってみなければわからないのが、この地球の刻々と変わる瞬間であり
風や太陽の熱などの気象、潮、地形
数億年の途方もない時間が自然に作り上げた景色にいる
山だって元々海の珊瑚であり
誰かや鳥が運んだたねが始まり
36枚フィルムで写してきた時間は2度と味わえないのだろう。
今のデジタルの利便性
つまり
枚数や写した写真をすぐ見て次回に修正(体術的な事)が出来る
コンビニエントで、チャンスが増える事を知ると
フィルムがあったとしても、戻りにくいのが現実だ
波という物は
実は存在しない。
太陽の光の透過と屈折と反射にともなう影が
この透明な波動を明らかにしているようだ
1瞬、暗く黒くなるのは水の泡の影
夜ではなく
赤道直下の水面に暗黒の闇が生まれる始まりがある
決めている事がある
自分に都合良く
写真を引っ張ったりのばしたり
色を変えたりと
最近のカメラマンのような嘘の作為は一切しない
簡素な道具で
簡素な心で
独りで完結して
陸地に戻してもらうのだから
最後まで
人間様の身勝手な押しつけや
思惑の1枚にしてはいけない
心が嘘や迷いに包まれた瞬間
にこの世とはお別れである
そんなことも
独り自分の背中を無理に押しながら
波の裏側へ迷い込んだ日々が教えてくれた訳だ
四角い机や
科学者頭でこねた答えは
そもそもズレている
地球が教えてくれる
体と心で感じた体験こそが
この地球で、いかになんとなく自然に生きるかを
それぞれを
それぞれの
一条の光で導かれていく気がする
なんて
ごちゃごちゃ書いたが
近い未来に
フィルムも現像機械もなくなると聞いたら
なおさらこの1枚が感慨深い
江戸時代の写真をみて驚くなかれ
同じく数百年後には
もうこんなにも美しく
地球をありのままに映し出す風景も
どこにも見れなく時代が間違いなく迫っている
今の地球に誠意のない物の生産と
常に新種を売りつける為の開発や
数億年の時間を埋め立て
汚水を流す日々を
TVで奇麗で過保護な家の中から見ている時間が
加速させている
地球の怖さや,寒さや熱さから遠ざけるのが
今の住宅事情だが
地球の怖さや畏怖を忘れた人々がどうなってきたか?
今は亡きネイティブな人々が語り継いだ伝承や物語に
俺たちは聞かない振りをして
生きた振りをしている訳だ
馬鹿は死ななきゃ治らない から
死にそうな場で
死にそうになりかけ
今がある
始まりがどこかに常にある
その始まりは自分で決める
その始まりをよく観る為に
耳と心を手向ける時間が地球が必要としている
明日から青山のノートンギャラリーで
個展が始まります
15時くらいから在廊しております
M12.jpg

どうやって撮るのか?

山が隠れる波
フィルムで撮影すると
画面の周囲は黒い枠となる
よくどうやって撮るの?と
ご質問をうけるのだが
水面で沖を見ながら立ち泳ぎ
盛り上がり
せまりくる波の崩れるポイントを読みながら
水面移動
そして
崩れる波の場所を予測して潜り
水中で崩れた波とすれ違いざま
反転しよ〜く両目で見て,シャッターを押す!
空気を求め光に向かい
水面に浮き上がる
フィルムは36枚だから本当は水面は撮りたくないのですが
この時はパチリ。
常にファインダーは見ない
見ると絵をこねてしまい
嘘くさい写真になる。
両目で見て、心が動いた感覚です。
じつは大変なんです。
もう2度と同じ波もなく
生産が終わったため
フィルムで撮る事もできません。
しかし
よくここまで泳いで戻れたな〜
フィルムだからなおさら,この時間を味わえます
写真は嘘をつけないから
The wave which a mountain is covered
When I photograph it with a film
The people of the screen become the black frames
Take it well how’s it?
I receive a question
I stand while seeing the offing on the surface of the water and swim
Upsurge
While reading the collapsing points of the wave which approaches, and comes
Surface of the water movement
And
I predict the place of the wave to collapse and sink
A wave and the cross-purposes state that collapsed underwater
I turn over and push the shutter judging from both eyes well!
And
I find atmosphere and go to the light
I rise to the surface of the water
Because the film is 36 pieces, I do not want to actually take the surface of the water
Then with a click.
I do not always see finders
I knead a picture, and it will not be assumed that I see it
It becomes the suspicious photograph.
Judging from both eyes, it is the sense that a heart changed.
In fact, it is serious.
Without a wave same as another twice
Because production was over
I cannot take it with a film.
However
I swam well to here and was able to come back
Because it is a film, I can still more taste this time
Because the photograph cannot tell a lie
Fsuimen.jpg

地球へペコリ

通い続ける
遥かフィジーの離島
トンボのようなセスナと、小さな船で2時間
この山に村がある
いつの日からかこの
人里離れた海の山辺に人が住んでいる
1つは山から水が湧き出ている
1つは引き潮になれば,珊瑚の上を歩いて狩りができる
水と食料が確保出来る訳だが
スーパーや電気はないから
その日、獲物がなければ山で育てたタロイモだけ
日本のジャンクな都会に寄生する我々からは
信じがたい過酷な暮らし
しかし来るたびに
同じ時間を生きているのか?
不思議に思う
異次元?
俺は死んじまったのか?
ついこの間までとは
全っく違う生き方の使い方
生き延びる為の躍動感がほとばしる!
生きた振りをしていた自分とバイバイ。
同じ時間
同じ地球で
同じ太陽なのだろうが
何かもが生きていると感じ
何かもが美しく
常に死が隣にある
都会の人間界じゃ使わない感覚や心を
使わなければ死ぬこの感覚がたまらない
正直にならざるえない。
1つでも嘘があれば嘘は必ず
あとで帰ってくる
そんなことを
独り泳いで戻れた
波打ちぎわの小屋に戻り
思い出す
静と動
生と死
光と陰
空間と水間
別々の様で
同時に存在する世界
待った!
ルール
手加減もない!
これが本当の生きた世界
忍者の世界だと感じ
依頼海で忍者の呪文を唱える
あ〜よかった
これを知って!
同じ時間もし都会で
四角い牢屋のような電車にいたら
こんな時間をしらないままの自分がいたら
怖いと思った
これ
つまり
恐ろしいと美しい
の中で簡単な道具だけでいると
祈らねばいられない
だから世界中で同様に
様々な所作で言葉で
地球へ心を送り続けてきた訳だ
祈りたいのだ
人や人工物ではなく
この風や海や太陽や
山や珊瑚や魚達が
絶妙にこれほどまでに厳しい世界に
恐怖を感じず
自然体で生きている事に
ペコリと
頭が下がる
人は地球の怖い体験がなくてはならない
地球や水は俺たちを観ている
IMG_3794.JPG
IMG_3775.JPG
IMG_3781.jpg

羊は名物じゃない

日本が満州と呼びつけた失礼と同じく
ニュージーランドと英国人が拿捕し名付けるまで
ここは,過酷で美しい神々とのある距離と
地球と共に生きる人々(マオリ族の)聖地だった
ものすごい張りつめた集中力と美意識が
この地球風土と生きてきたのが
こうしたモリや様々な装飾品に読める訳だ
地球にあるものだけで
作られた生きる智恵と工夫とサバイバルの賜物
法螺貝とてハワイアンと同じく
島伝いに伝承され、自然に伝えたいと願った
地球への畏怖と祈りの手段
日本では山伏という
海のもの
海の音色を
呼吸にのせ
魂を山に響かせ
感応する
その行為こそが芸術であり
地球遺産である
もしも美しい波や地球が失われ
ビルの谷間を流れる都会の人工世界だけになれば
そんな行為をしようとなんて思いやしない
ゴミや核を作っては売りつける時代
誰もが自然に感じる事
誰もが教わらなくとも知っている事
こそ正しい生きる道であるのだが
宗教感は自分の今にある
この地球にあるのだから
誰かや,誰かが押し付けた
教科書や絶対無二のルールなんて馬鹿げている訳だ
そんな自然な
水のボールの地球
雨が振り
海に戻り
海から雨にもどる
青空
青海
澄んだ空気や水は青くなる
いつかこんな波の写真が
もう見れなくなる時代が来ないように祈る
地球のネイティブな人々は同じ行為を捧げ
同じ言葉に心をそえて
地球を尊んできたのだ
名物はよそから持ち込んだ
キュウイフルーツでも
羊でもない!
マオリの伝統と絶滅していった生き物達の記憶が染み込んだ
ジェイド(翡翠)にある
7O4A5863.JPG
7O4A5873.JPG
7O4A5853.JPG
7O4A5867.JPG
7O4A5861.JPG

観賞イルカ魚

水族館なんておかしな名前で

海や山で上手に捕獲した生き物を飾り
拝観料をもらう
結局は株式会社である
しかしながら,海や山に行かれない環境の人々や子供達には
地球や命を知る貴重な階段となる
ジュゴンやイルカやクジラは国の伝統文化(つまりは食)
に関わり
食べ物がスーパーにない時代からの風土や厳しさが育てた
生きる為の手段であったのだが
時代がその常識をズラしている
動物の肉でも何でも買える時代に
わざわざイルカを食べなくても・・・
人間よりも400万年前に地球にいたクジラが知性を持ち
ただ者でない事を,人間は気づく時なのかもしれない
素潜りで深海に挑んだ
エッチなフランスのじい様ジャックマイヨールは別として
イルカと会話をし,知能や知性に気づいた、ジョンリリーやライアルワトソンの残した
我々が味わうべき言葉の意味は深い
沖縄の水族館がよそから、ジンベイザメを買おうとすれば
大型のサメやクジラ捕獲の技術と利権と威厳ある
タイチ町から釘をさされる訳だが
食文化や伝統とは別な次元の現金収入である
もちろんエンジンやFRPの高速な船の発明もあり
伊豆でも行われてきた
銛で着いて海を赤く染める漁は現代人には
絵図らがきついのだが
実は牛や豚はどうなのかと?なる
まさか町の高級スーパー
で生きた牛の解体ショーを見せたら皆
抗議であるが
本来は知らないと「ズルイ」世界である。
今座っている皮のソファーやバックも
生きていた動物である
タイチで年間約160トウ捕縛されたイルカは
国内の水族館はもとより
海外に生きたまま売られ
それを仲介するのが、水槽を抱え
珍しい観賞魚や珍しいサメを売る卸業者である
仕入れはただだが、交通費が高い。
パラオのドルフィンスイムのイルカもタイチブランドである。
でも訪れた日本人へのガイドブックには
実は 「日本製イルカ」ですとは書いていない
パラオの海で日本のイルカに会い30分120ドル払う訳だ。
そもそも
動物や魚や,イルカを狭い箱に幽閉し
飼う事自体が問題であり。
「稀少生物の研究目的なんです」笑
など
一方的な人間の都合であり
魚も動物も地球も望んじゃいない。
生きる為に食物連鎖で食われ,祈りがあれば成仏だが・・・・
人の心が飼われている
だから都会の人間は奇麗な植木鉢にはめ込んだ植木を馬鹿な値段で買い並べ
水槽で数万もする魚を飼うのだが。
山奥や海辺じゃそんな店は成り立たない
なぜならそこらじゅうが
植木であり水族館である
地球の自然のない
人工的な箱庭に住まう人々の心を
つけねらう商法である。
観賞魚?とはなんでしょう?か?
結局は
アボリジニが年間捕獲数を護りながら
ジュゴンを食べるように
マタギやアイヌが熊の魂を祈るように
生きる為に最低限数食べる
そして、魂と地球へ祈る
この辺りが日本人には薄くなった部分なのかもしれない
地球の強さと怖さから遠のく暮らしが
今の暮らしである
いただきます。
とは
命をいただきます
であるから・・・・
An aquarium is the funny name
I display the creature which I captured well in the sea and a mountain
I get an admission fee
It is a company after all
However, to environmental people and children who do not go to the sea and the mountain
It becomes the precious stairs knowing the earth and the life
A dugong and a dolphin and the whale the traditional culture (in other words, a meal) of the country
に relation
Climate and the strictness from the times when the supermarket did not have food were able to grow up
It was means to live
The times shift the common sense
In the times to be the meat of the animal at all, and to be able to buy it
Even if do not eat a dolphin expressly; …
The whale which was on the earth than a human being 4 million years ago has intelligence
It may be time when the human being notices in not being an ordinary person
I challenged the deep sea by diving without diving equipment
Apart from Jacques Mayol of naughty French grandfather
Of dolphin and John Lyly and Lyall Watson who talked, and noticed intelligence and intelligence left it
The meaning of the words that we should taste is deep
If an aquarium of Okinawa is going to buy a whale shark from the other place
There are a technique of the large-scale shark and whale capture and a right and dignity
It is reason given a warning to by the Taichi town
It is the dimensional cash income that is different from food culture and the tradition
Of course there is the invention of the high-speed ship of an engine and the FRP
Even Izu has been performed
The fishing to arrive with a harpoon, and to dye the sea red to modern people
Illustrated map and others are strong-minded
In fact, it is how about a cow and the pig
Indeed the high quality of the town is super
If show the dismantling show of the で live cow; everybody
It is protest
It is originally the world that “is unfair” when I do not know it.
As for leather sofa and Bach sitting down now
It is the animal which lived
The dolphin that it was arrested approximately 160 a year canes in Taichi
The domestic aquarium from the cost
I am sold with living abroad
It has a water tank to mediate it
It is a wholesaler selling a rare admiration fish and a rare shark
The stocking is free, but transportation expenses are high.
The dolphin of the porpoise swimming of Palau is Taichi brand, too.
But in the guidebook to the Japanese who came
In fact, I do not write that it is “a dolphin made in Japan”
I encounter a Japanese dolphin in the Palauan sea, and 120 dollars is reason to pay for 30 
minutes.
In the first place
I confine an animal and a fish and a dolphin to the narrow box
To keep is a problem.
 which “is the study purpose of the rare creature”
It is a one-sided human circumstance
The earth overlooks the animal, too, and there is not the fish, too.
Is lived on a food chain to live, and is entering Nirvana if there is prayer, but …
The heart of the person is kept
Therefore the urban human being buys the garden plant which you fitted in a beautiful flowerpot at a stupid price, and line up
I keep the fish which does tens of thousands of with a water tank.
In the heart of a mountain and the seaside, such a shop is not managed
The whole that place
It is a garden plant and is an aquarium
Of nature of the earth there is not
The heart of people living in the man-made miniature garden
It is the commercial law to follow.
Is  an admiration fish?
After all
While an aborigine follows the number of the annual capture
Eat a dugong
So that [ Matagi ] and Ainu pray for the soul of the bear [Shoot The bear man]
I eat a number to a minimum to live
And I say grace to a soul and the earth
This neighborhood may be the part which became thin for a Japanese
A living to fade away from strength and fear of the earth
It is the present living
Let’s eat.「Itadakimas」] say japanease
I will have a life Itadakimasu – Get kill the life
 We couldn’t eaten Plastick !

キュウイ

計算により頭で整備された町
木を切り
海を埋め立てできた
いわば人工のレゴの世界
地球のリズムと生業に即して生きた
マオリを銃で撃ちながら占有したのが
ニュージーランドという国
名物は、中国は揚子江原産の果物「キュウイ」
羽のない鳥キュウイに似ている為
中国から輸入し
今ではまるでニュージーランド原産に
プロパンガンダされた
マクドナルドや羊と同じく外来種である
本当はマオリ族とその地球への祈りの伝統の時間であることを
我々は忘れてはいけない
he town which was maintained with a head by a calculation
I cut a tree
I was able to fill up the sea
The world of, so to speak, artificial Lego
I lived in line with rhythm and occupation of the earth
What occupied it while shooting a Maori with a gun
Country called the New Zealand
The noted product China fruit “Kiwi” native to the Yangtze River
Because I resemble bird Kiwi without the feather
 imported by China
It is totally originally from New Zealand now
It was done Propaganda
It is a naturalized species as well as McDonald’s and a sheep
Being actually a Maori and traditional time for prayer to the earth
We must not forget it
7O4A5851.JPG

離れる

ニュージーランドへ向かう朝がきた
波はハリケーンのおかげで
結局5日しか海に入れず
そのうちの最後の1回は沖に出れずに
ウニを踏んづけた訳だが
まったく情報もないまま来た割りには
撮れたということだ
余計な人間のおかげで
ウニも大けがだ
この写真
そういえば海で真上数十メートルを飛行機が飛んでいたように
泳いだポイントがここ
まさに最初にこの島に降り立つ時に
写した1枚が
泳ぐポイントになるなんて
不思議な話だ
まったく情報もないままに
この島に来た割には撮れたのかもしれない
なによりも
この島の昔のままに残る景色と波に溶け合え
たことが、素晴らしかった
日本からはしかし遠い
だから絶滅寸前の美しい時間が生きている訳だ
また来よう
この恐ろしくも美しい波へ
Morning toward the New Zealand came
The wave thanks to a hurricane
I can enter the sea only on 5th after all
Without last once of those being able to appear in the offing
It is the reason that stamped a sea urchin
On the coattails of a too many human being
The sea urchin is a serious injury, too
This photograph
That reminds me as an airplane flew in dozens of meters of right above in the sea
The point that swam is here
When I right get down on this island first
One piece that I represented
Swim; that is pointed
It is a mysterious story
As there is not the information at all, too
Although I came to this island, I might come out
Than nothing
Blend with scenery to remain on the old days of this island in a wave
was splendid
However, it is far from Japan
Therefore it is the reason why beautiful time just before the extinction lives for
In addition, let’s come
To this wave which is terribly beautiful
7O4A5834.JPG
7O4A5848.JPG

ルディー

coral sands

オーナーで
ハワイアンミュージシャン
ルディー
ハワイの血とラロトンガの血が流れ
鼻息で拭く竹笛、ノーズフルートや
ウクレレで日本の歌も歌う
会った時から
写真に写したいな〜と思っていたが
帰りの朝、出会えた
「こうして自然な楽器で
こんなふうに、ひくと
海も波も反応し、その動きが変わるんだ」
こんな海と陸のギリギリにずっと住まえば
感覚的に,野性的に感じるんだと思った
つまりは祈りになっていく訳だ
生きる時間の差が
こうまで人の心を動かす瞳になるのか
ルディーから教わった
7O4A5709.JPG
7O4A5747.JPG
7O4A5641.JPG
ページの先頭へ戻る