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赤目48瀧
さかのぼること西暦680年の飛鳥時代
役の行者がこの地で瀧に向かい修行をすると
赤い目の牛と不動明王が現れたらしい

48の瀧があると学研の本は書いてあったが
それは間違え

仏の名のついた瀧は大小あわせて15前後?
いずれにしても
阿弥陀さんが若いとき48願をたて修行したのに
かけそう呼ばれたそうだ

古来よりあまたの修行僧や修験者のあこがれの地であり
この地に住む忍の修行場であり
瀧のたもとにある延寿院は祈りの場であったそうだ
それがいまでは車で麓迄行かれる時代

この静寂な深山の昔と何も変わらない岩や
瀧の飛瀑と瀧音を前に
先人達が思いを馳せた時間が保存されている
不思議な霊場であり聖域であろう

庭師

又伊賀に来た
数年前から泊まっている
野趣のあふれる日本庭園の伊賀の宿で
偶然帰りがけにこの広大な敷地を手入れする庭師さんと出会えた

聞けば全国の庭屋さんで武者修行をし
この伊賀の宿の庭をまかされているという
親方の名前は晴さん
実は伊賀の人ではなく
奄美大島から流れてきたという
不思議な人生ドラマ
僕が目指しているのは
自然な借景の庭がだから
野生の木々を自然に自由に生かしてるんです
京都の整った奇麗な庭ではないけど・・・・

1つの修行でたどり着いた風流を感じた
再会を誓い
また!

日本の良さと鎖国


やはり日本近海の波の裏側をあてるのは相当難しい
のは当たり前だと知る

雨、風、川、太陽の位置、潮,宇宙の電磁波などの
様々な絶妙なバランスで、数十億年?成り立ってきた時間と海岸線に
人間が及ぶ者でもない訳

そこでなんとか生き残る為に、環境に進化した魚や生き物達の家に
土足(足ヒレ)であがりこみ散らかすのが俺

さてそんな人間は?といえば
後からきて,勝手に壊すは、生き埋めにするは
もうやりたい放題なこの百年

こう撮りたいなんてのも
人間様のエゴであるから
穫れた魚でいいように
撮れた写真でいい訳だが

どうしても欲が邪魔をする
反面その欲という(こだわり、希望、絵図ら)があるから
頑張るのも事実
でもたくさん欲しない事
足るを知る という言葉を忘れがちな昨今のジャンクな暮らし

この部分の見えない線と塩梅が2016年現在の
過剰な物質消費文明では難しい

電気も水道もないあの美しい原始の波の島フィジーの村人だって
携帯もテレビも見てみたい
自動の洗濯機があればらくちんだ
手漕ぎ舟から僅か40~50年
FRP製の船とヤマハのエンジンをやめる事はできない

我々といえばそんな昔話の暮らし捨て去り
家に着けば
ぱちりとボタンで電気をつけ
電子レンジでチンして、自動洗濯機や食器洗浄機であくび

昔は火をおこし、食事も狩猟や農耕をしないと死ぬ訳だから
寝ておきたら生きる為の活動がメインだった

今は余暇な時間が多いから、テレビをパチリ!
部屋にこもり,地球の雨風や、危険を感じない
生きるための真剣さが薄れてるから
海や川を破壊出来る感覚日々消え失せる

一日中、家に居たら
地球に住んでいる事さえ忘れ
火星でもいいかな となるのもわかる
こんな電気製品のパソコンの前で打ち込む自分もジャンクです。

やはり
この地球で命がすこしかかりそうな生き方がないと
人間は堕落し自己破産すると感じます

あとは個人個人の義と精神性を山河と静かな方丈で気づく
地球と心の常識と道徳に即した
ぶれない心でしょうか?
自分がやられて嫌な事は相手は嫌なのは同じです

心ですねきっと。

感じるのは頭じゃないです
感じるのは胸の辺り
心臓が自動発電して動く不思議の迷宮だが

最近は頭でしゃべる人が多いです
写真も頭で撮る人が多いです

ノーと言いにくい
学校や組織に組み込まれたら
そりゃ調和と相手を余計に思いやる日本人の良さがいたずらをします(自制?)

戦争を仕掛けられ、まんまと漂うように罠にはまり
予定通り黒幕ユダヤを通じアメリカとイギリス、火事場泥棒のロシアのいわゆる連合国の
シナリオ通り負けた日本

皇室のキリスト教、フリーメーソンらの国家転覆
そんな連合軍の6,3,3の合計12年の文句を言わない従順なメダカ養殖のはてが
今の日本でしょう(彼らの統計上、文句を言わない人間に飼いならすには12年が必要らしいです)

同じ民族を詐欺で謀り、電柱に不動産広告を貼り捨てして
政治家は常に記憶喪失になり,秘書になすりつけ
おじさん!馬鹿?
と小学生でもわかります
誠意がない嘘というやつです。

そんなかんやで
スーパーの広告チラシのごとく
あの手この手消費者をあおり、
嗜好性をちょい出しして売りつける企業(数年先の機能ちょいだし売り上げ計画書があるんでしょうが)
買う人がいるから作る訳で
悪循環の底なし沼にはまった我々

手間ひまけない簡単に生きる手段につけ込み
売りつけるそんな企業と広告代理店

すぐ壊れ部品のなくなる燃費のいい電磁波の箱の日本車(触媒のいいのを売れば良いんです)
日本の食文化を埋め立てる狂った電子レンジ(マイクロ波)料理や
ガンになるIHキッチンを押し付ける魂を売った料理研究家

そんな彼らに汚染され

受け身の我々小市民は
物事を大事にしなくなる
地球を馬鹿にする図式

やはり効果はすぐにみえなくていい
神仏を拝む心を忘れないのが日本
ベテランになれば石も海も全部が神様だとわかる
出来る素晴らしさ

それにはやはり,天然の地球や日本庭園を観なくていけません
開けたらじじいになる浦島太郎のあの恐ろしい玉手箱や
絵にも書けない美しさを知ることが
普通の道徳感、常識になると信じたい

日教組の学校の先生や文科省の人に教えてもらわなくても
誰にでも備わっている正しい感覚と感応力は地球から教わるのが正しいのです
アイヌをはじめ世界に残るネイティブの方々のように、
それを心で知った大人が小さな子たちに教え伝えればいいのです

町を見渡せば
ゴミをすててはいけません
携帯電話は電車の中やレストランでご遠慮ください

教わる事でないのですが
ルールをあえて書かなくてはいけない現実

明治政府が行った、ほねつぎ,武術、神仏分離などの愚行以来
随分と日本人の魂が消えたのは間違いないでしょう。

でもお墓なんてすごいです
石にむかっておじいさん!あいにきたよと
真顔で本気で言える民族です

97で死んだ僕のじいさんは生前
高級な国産の「彼らに都合の良い石」を進める墓石屋さんに
「あのな〜墓なんて生きてる者も見栄なんだよ〜
こんなの木でもその辺の石ころでもいっしょだろ〜」

墓石屋さんは苦笑い
たしかに・・・・

日本人は本当は巧妙に作られた神や仏を敬うまえから、山や空や海や太陽を祈ってきました
これは祈りのプロではない民衆に,感情移入しやすい人間に似た仏やた
いい雰囲気の神殿を(モニュメント、形)
により拝ませるような空間をプロデュースして行くのですが
これは結果的に、日本のあちこちの土地と民衆の繋がりや伝承の心を大切に聖域となり護られてきた訳です
やおろずの神々といやつです

見えないが本心がそこにあるかでは
やはり小石でも木でもいいのです

墓参りの帰りに
なんかすっきりしたな〜・・・
と 都合良くでいいんです
この塩梅がいいんです

ちゃんとお祈りをしてくだされば
都会のお坊さんが檀家から接収したお金で
牛や馬の車にのるのもいいのです
都会のいやらしい強制めいたお布施は嫌われますが
都会には多くのこうした道がズレた坊様もいるのも事実
修験者も悩みを解決したくてやってる人もいます
あの山伏の格好がしたいからやってる人もいます
でもいんです
スタートが大事です
結果はそれなりに着いてきますから

話が飛びましたが
南の島々のように昔は,石油や化学製品がなく
循環していたから環境の負荷もないですが
放射能のゴミと同じく今では土に帰れないから燃えないごみは,毎日埋めてるのが事実
本当は、毒がでないすごい機械を開発して燃やしたらいいんですが
なかなか
だから年々南の島々はよその島から、輸入された石油製品や電池など
で汚染されていrます
また人々もバナナやヤシの実の感覚で海やその辺にポイ捨て。
日本の一部の漁師が、漁の網や船底に塗る錫のペンキや、タバコを海に捨てるのと同じ
その根元は共通してます

あのワイキキ島ももう埋める場所がないんじゃないか?と思うくらいの観光地に
これも明治政府に,アメリカに接収される1州ではなく、日本にしてくれと助けを求めたカラカウア大王は
正しかった訳です

見てください今のハワイ
古来からのハワイアンは、差別を受け、仕事がなく薬に走り
王族の聖域ワイキキ(水が湧く場)は
海岸はカリフォルニアの砂をまいて人造ビーチをかもしだし
食文化も町並みもカリフォルニア化しました
そこで喜ぶ日本人は大丈夫でしょうか?

パールハーバーに拝む人がどの程度いるのでしょう?

フィジーもイギリス人のクックなどの侵略者により
香辛料の欲しいイギリスの奴隷インド人が連れてこられ
インドカレーがフィジーの主な料理になり
島人はヒゲのおじさんを信じ込み
自然を大事にしなくなり
海山にゴミをポイ捨てな事実。

太平洋の多くの南の島々が
宣教師の工作活動により
古来からの伝統儀式や宗教と共に
食文化が消されています
食文化解体は国家の解体かもしれません
長い風土と完成で生まれ育ったのが料理です
だから日本料理とその伝統を彩どる料理人はものすごいと思います。

おひげのアーメンはいつのまにか
子供達を塩漬にするシンタクロスと手を組み
12/24のキリスト生誕をはなぜか日本中が間接的に
盛り上げています

地球とのバランス感覚が大事です
全ての教えは教室のなかではなく地球にあります
誰かから教わる事ではないのです

政治家先生には「忍者の正心をわすれない、ぼく、あたい」と称し
毎年波を泳がせる
プログラムをくんだらどうでしょう?

嘘をつかなくてよくなりますよ

協力はおしみません。

かしこ

寿福寺

またまた伊賀のお話です
どうもこれは彼らの生きた時間を少ない人へでも
すくしでも本当の忍者を知って頂ければ
またお役目だと感じていますので
おつきあいの程を

南の最後の決戦場柏原城の近く
赤目渓谷と瀧衆を抱えた天台宗延寿院の近くに宿へ戻る途中

伊賀忍の集会所であり重要な会議をしたと言われる古刹(空海の像あり)
田んぼに囲まれた山の無量寿福寺へ
対岸には信長の信雄が傲慢な力で築き
伊賀忍が落城させた丸山城を望む

これがそもそもの
天正伊賀の乱の信長の伊賀へのジェノサイドの始まり

伊賀の下山甲斐(裏切り者かは未だ不明)の導きで
(故郷が城下町もなく疲弊しているので権力を取り込み繁栄と金を名目に誘致?信雄は騙すため近づく。下山は信長を罠にしかける?と狙ったとも憶測されるが
未だ真意は闇である。忍そのもが実践的な体感的な術や口伝であったため書物としては残っていない(忍術書はありますがあくまで精神や武器に着いて)
ですので僕の書いているのは、これらは様々な方が菊岡如幻の伊乱記を参考としている本などから調べた程度です)

侵略してきた信長の子になった北畠信雄(伊勢の北畠軍、北畠に手を焼いた信長の調略で騙され滅亡された銘家)
と元甲賀の忍?の滝川三郎が伊賀を攻め取るための出城

1578年天正6年10/25この出城を焼き払い
あまたの武将を討ち取ったため
信雄が怒り、翌年天正7年に9/16に伊勢から攻撃をしかけるが
情報を入手していた伊賀全土の忍達のチームワークの待ち伏せや
山の得意なゲリラ戦術により多く武将が討ち取られた。

信長が魑魅魍魎の住まう魔界と呼び、どこの支配も受けていなかった伊賀
(甲賀はすでに信長にばんざい)
これに怒った信長が2年後天正9年9/26に伊賀に5万の兵隊で
伊賀は化け物の国じゃ、彼の地に生けるもの女子供、狐狸とて生かすな!

伊賀人を独り残さず抹殺する殺戮作戦を行う

結果,忍は全滅はせず和睦を信長が求め
生き残りは郷土や全国に散り忍術が日本中に伝染したようだ。
また戦国の世に傭兵として出稼ぎにでたようだ

廃線マニアじゃないが
ここもそんな彼らの
郷土愛と命がかかわった場
清廉な祈りの場でありながら
この野山とこの地に呼吸を感じた

ありがたい導きで偶然これた場である

百地丹波守 城跡

もう夕方
こんなに伊賀中を走り回ったのは初めてだ
これで今日は11カ所目

伊賀忍の3人の頭領、服部家、百地家、藤林家
数ヶ月前偶然長野で部屋が一緒だった
アイルトンセナやマンセルのF1レースの写真家菊池一仁さん

何気なく話をすると
百地家は私の親戚です!

なぜ君は伊賀へ?
波の写真じゃないの?

と不思議なご縁


訪れたかったこの城の跡に
ここも信長軍に攻められ落城した,郷土の人々の様々な思いが詰まった
戦いの地

400年前この地に彼らはいた
この不思議な400年前が停滞した空間と
大地に彼らの精神に同じ日本人として感謝。

ここもそんな彼らが勝てない戦としりながらも
命を賭し生きた証が存在する場である

貝を吹き
線香とお経を唱えた

南へ

翌日ならいの風が強烈に吹き
神社の横の海は、荒れていた
南へさらに向かい風が岬でかわせる海岸へ向かった

海はやはり一見透明に見えても
細かい汚れと、風が運ぶ黄砂と花粉やらでかすんでいる

やはりコンディションをあてなくてはいけないから
日本は難しいな〜と実感
太陽の位置が大事だと改めて知る

絶対的な波の水量が南太平洋とは違う
水量と垂直に巻き込むあの高速で巨大な破壊が
あの青を生むらしい
命が終わる危険も無限に高いから
生き甲斐はあるのだが

なにより海底が珊瑚の岩盤だから
波動が砂に吸収されずに跳ね上がり
舞い上がる砂もゴミもないから
それは澄んでいる

といっても
年々汚れる地球の潮溜まりは
どんどん汚れていると実感する
そのスピードは緩やかだが、開発とホテルの汚染水が流れる
赤道のバリ島辺りはもう昔とはまったく汚れた

所詮広いと勘違いしている海とて限られた水で
あっちからこっちに移動すのだから
放射能の水だって薄まるにしろ
絶対に無毒になる訳ではない
埋め立てもしかり

マグロだってきんめや大きな魚ほど
水銀や毒を溜め込むらしいから

大気汚染とは違い
体にすぐに影響の出ない海の保全は
後回しだ

この海も津波に備え
最近は15m~20mの防波堤を作りたい!と
静岡県が工事業者と言い放つ状態

根本的に地球を馬鹿にした話だ
所詮自然には勝てない
勝ち負けではないのに

いつまで人間は地球を征服すれば気が済むのやら

この波とて百年後にはもうないかもしれない
2度とない瞬間が
永遠にない瞬間になっている
海の現状をよ〜く学校で子供達に教えてほしい

とにかく最善の心身の準備と自分の事実の力を
目の前の景色と比べいくしかない
経歴詐称もここではいらない
名前も過去も未来もない

今を存分に感じて
水に生きる智慧を引き出すのだ!
5感?なんて馬鹿な話しで
それ以上の可能性と感覚が自分には備わっていると
信じてほしい

頭で打算し計算する毎日はもう捨てて
自由に心が動く日々にしたら
きっと良い笑顔になっている

世界の海の中から波の裏側を見てきた
から,地の足がついた場での教えには
及ばない尊い時間があった

絶対に全てはわからない地球であり
また
その必要がないんだとある日知る

では明日から南房総へ

漁師小屋におやじさんがいた
代々この地で伊勢エビ漁師をしながら
魚屋さんを開いている

今じゃ魚を買いにこないから
もっぱら、ペンションやホテルに
さばいた魚を配達しているという

今じゃ料理人もさばかないで
並べるだけだ

エビ漁も明け方3時に岩に刺し網をしかけ
夕方引き上げるけど
風がふくと,船が簡単にひっくり返るから
危ねーんだ
命がかかるんだ

網がスクリューや岩に絡まり
昔と違ってナイロンだから
切れないんだな

ナイフで切ったり
エビが絡まったり

後の網の修理も大変だから
若いのはやらねーらー

9月から天気や風が吹いて27日しか
漁にでてねーんだ

密漁者もいるから
警察が夜見回ってるんだ

伊勢エビの食べ方で
おやじさんは何が好き?

俺か〜
具足煮だな〜
みそ汁とか〜
めったに食わねーけど
毎日見てるからな〜

やっぱり火を通した方が
エビはうまいね

そうだ
そうだ〜

なんて網づくろいの邪魔をしながら
穏やかな夕日に網も照らされ
いつものねじり鉢巻

海の男である

日本の波の裏側

まったく興味のないかたへ
伊賀の古戦場あとのお参りは申し訳けないのですが
あれもありこれもあり

やはり命がけの地球と先人への感謝という部分では
繋がりを消す事はできず
すみません


海へ戻り

伊豆半島へ数日間作品撮りへ
日本は水が濁っているから嫌っていたが
昨年の冬,奇跡的にカメラの設定を間違え
奇跡的な太陽と波の狭間で写せて以来
妙に難しい刻々と変わる自然界に魅了される

冬の風のない、ある太陽の位置、と太陽が沈む方向などなど
1枚に作為は求めないが
やはりこんな感じで写ったらな〜という
儚い希望のもと,寒い海へポチャン!
寒いから30~40分で凍り付きそうだ

やはり海が荒れたあとか、木屑や砂や海藻が舞う
これでも濁った海だがしかたない

なかなか日本で写すのは難しい!

が今年は日本の波で展示したいのです。
ので
頑張ります。

敢国神社


夕方になってきた南に戻りながら
途中伊賀の護り神
甲賀三郎を祀る
敢国神社を再訪

ここで伊賀の乱の後、信長達が訪れた際に
先の音羽の城戸、土橋の原田木工、印代判官3人の伊賀忍が情報をつかみ
伊賀のかたき信長を、火縄銃で狙撃したという
近習者7〜8人は倒したが信長にはあたらず
山へ逃げたという

当時の伊賀中の忍や地侍の方々の庇護と参拝を
見、その心が染み込んだ社は感慨深い
この土地と神様が証人である

雨乞い山の砦

地図に示す山が見え,山への入り口を探した
車1台がやっと通れるあぜ道
を感で曲がってみると

渡来人像と石碑があった
近くに車を止め歩くと
登山口と書かれた看板が閉め切った柵の向こうにみえた
獣害を避ける為針金で固定された柵をこえ
山に登る(帰える際は必ず閉めてください)

伊賀の山はだいたい2~300mの横長の山に囲まれた盆地で
霧が多く出るため、京都,奈良からも近く(京都から9里(隠語でいがぐり)
文字を書いたり,渡来人の移民や流入で芸能的なことなど
文化的な事も土地がかくまい。隠すように吸い込んだ
松尾芭蕉、能の観阿弥世阿弥など多くの文化人もここから発生した

忍術もそもそも出城での小競り合いの中で生まれ
この山奥でゲリラ的な戦闘とし、密教や行者のある験力を吸収し
物がない時代に、どうやってこの地球に生き、強力で傲慢な敵から郷土を護るのか?
というまさにこの隠れ里が自然に育てた生きる術であるから
今の日本人の精神的な軸となり、サバイバルや軍術の基礎であるが
どうも手裏剣でドロン!というズレたプロパガンダだ。

正心、義、武勇、郷土愛、仲間の結束を重んじ
特に裏切りは、物騒だが耳をとるとか即、死刑など厳し管理していたようだ。

ま〜任務では平気で嘘をついて間者となり忍び込むのだが
忍術書には、主君や依頼者の義をつらぬき、任務の為なら心の迷いに区切りをつけ
行く!と都合良く書いてある

伊賀は「惣」と呼ぶ独自の自治体系(3人の上忍と12人の忍び頭)の配下に
地侍=忍者の中忍,下忍が居た訳だ
から格差社会でもあったろう。

それぞれが勝手に何々の守(かみ)など名乗り、出城(砦)気づき
家もからくりの施した、有名な忍者屋敷にしていたというから、数百年にわたり部外者に目を光らせた、常に戦いの状態であった。
普段は農民や武士の格好や行者になり全国を巡り,情報を入手していたという。
伊賀,甲賀は薬や、火薬の製造を編み出していた

甲賀は薬の製造の知識にたけていて今でも製薬会社は、置き薬や薬は近江や甲賀に多いのもうなずける


山は怖かった。
20分くらいか、ひたすら頂上を目指す
城マニアの方が言うには、掘り割りや櫓あともあるようだが
僕にはわからず。

頂上の小さな祠が(中は石)あった

あまり人が来てないように思えた
ここにも忍頭 山内さんの砦があり
白兵戦に巻き込み数日間戦ったが
多くは信長軍に囲まれ、銃を遠巻きに乱射され
ここで玉砕したという
敵味方とも,随分と悲しい血が流れたのであろう

お酒とお菓子をそなえ
線香を焚いた(山は枯れ葉だらけだから、線香は火をつけたまま置かず、頃合いを見て完全に消すこと)
般若心経と彼らの魂の鎮魂と感謝を捧ぐ

正覚寺 湯舟

道を間違え、信長を敢国神社で狙撃した
忍術にたけた、城戸さんのお墓と行者像へいけず
(狙撃は失敗しその時は逃げたが、その数年後仲間の裏切りで信長に捕まり琵琶湖近くで自害したという)

結局は流れで東湯舟という,甲賀との境にある
伊賀の上忍の1人藤林長門守さんの墓所と城跡へ
そのまま彼が崇敬していた氏神の手力神社へ参拝

ここへは伊賀に来たら必ず呼ばれるように訪れる場
彼らの勇気と無念をお祈りをし
しばらくここを離れがたかった

何かのご縁で東京からこの山奥に来た

この後彼らが、持ちこたえられなくなり
移動し多くの忍びが玉砕したと言われる、雨乞い山の砦の山へ
向かってみる

地図でみれば10分くらいか?

個展に向け

明日から国内の波の撮影にいってみます。
みますとはやはり、海外も同じく行ってみて
入ってみないとわからないのが、天然の海なのです。

サーフィン紙のカメラマンとは違うので
雨でも風でも僕は入ります。

またご報告いたします。

7月には恒例のファイヤーキングカフェでの展示があり
実はもうかれこれお世話になり10年か11年の個展になります

何とかもう少し写ってしまったら
いいのですが〜
地元の氏神様にお参りし入ります

水のすんでいる冷たい時期の挑戦です。

どうなっちやったか?
今日と明日回れるだけ伊賀忍の足跡と
命を終えた場にお祈りにいく
線香、塩、酒、お菓子、花、数珠、錫杖、シャンク貝、カメラ、地図
お茶、ワンカップ酒、柿の葉寿しを背負い
茶がえるで走りまくる

とにかく細い三叉路の道に鳥居だけがある
以前にも社殿がない?と不思議に思った山の神社
道路整備の被害でトンネルを越えると参道とひっそりと
苔むした山あいにその神社はあった。

堀秀政は2300名の兵で甲賀信楽から,民家、寺社に放火しながら侵略した。
861年創建の熊野高倉神社は信長の兵に焼かれそうになる

しかし火をつけると,神殿に突如ひらひらと童子が現れ火を消してしまい
怒った林三郎という武者が斧で斬りつけると
その斧が跳ね返り武者は即死し
焼かれずにすんだという
そのときの傷が社殿にあるそうだが
宮司さんも不在で、社殿は奥だから確認出来ず

がなんだか独特な空気である
童子さんに怒られないよう
貝を三度吹き祝詞を捧げた。

又訪れたいと
心が感じた神社である

皆さんには全くおわかりにならないでしょうが予定です

(伊賀の上忍)服部半蔵の決戦の砦、忍術書の藤林先生(西念寺)決戦の地 比自山 ー 高倉神社 – 伊賀忍音羽の城戸さんのお墓(西音寺)ー 藤林(伊賀の上忍)忍術書の祖さんのお墓(正覚寺)
藤林さんの氏神(手力神社)ー 決戦玉砕の雨乞山砦 ー 敢国神社ー 無量寿福寺 百地三太夫(伊賀の上忍で、昨年偶然長野で知り合った車の大御所カメラマンの親戚)
へあとは流れで

彼岸

かれこれ1時間半位この山の中にいる
この山には彼らの生きた道や無念を知り
祈る人々を彼らは待っているような気さえする
決してネガティブでなく
今の乱れた日本に必要なルーツがある

関ヶ原のチャンバラではない
もっと深い時間が伊賀と甲賀の
山に囲まれたこの地と霧とに隠されて

海ももちろん行っているのだが
ここ最近は,海外にさんざん行った結果
日本の素晴らしさと、高野山も含め
こうした宗教を越えた、聖地の隙間に我々は
生きた振りをしているのだと気づき
全ての生きる行為の中に、波の裏側を泳ぐ行為が
符合していきました
年を重ねることも必要です

書道家の大橋陽山さんが
年を重ねた人となりの書も
見る人が見ればわかるものなんです

芸能書道家はさておき
もちろん基礎がなくては、文字で遊ぶ事はできませんが
経験や基礎が、自由に書こうとする心や
うまく書いてやるという心が
邪魔をするものなんです


写真も変に学校や先生に教わり
あの四角いファインダーの構図を覗き込みすぎると
やはりうまい写真になってしまう

あのファインダーというやつは厄介なやつで
物撮りでは仕方ないが
心で思ったイメージを簡単に覆し
頭で考えて押させるので
どうも新鮮さがない
自由な感じがしない
窮屈な1枚になる

富士山やカワセミを撮るおじさんがが
ど真ん中に置いてしまうのも
狙いすぎ

で私事
今年の展示会は「日本だ!」とひそかに日本を泳いでは作品を
集めています。
が難しい!
波が小さい!
水が濁っている!
サーファーが多い!
日本の冬の海は寒い!

透明度を求めるからプランクトンのいない冬が良いのだが
寒い!

愚痴ってみても
展示会の日にちはどんどん押し寄せます

で山にスプレー缶が捨ててる
役所に確認するとご丁寧にお答えが
土木課ではなく、自治会に聞いたところ
山の土地の境を赤く塗った地元のひとらしいが
誰だかは今はわかりませんと。

こんな観音様の霊山で馬鹿な話で
丁寧に穴をあけフロンが抜いてある
罰当たりな誰かが来た跡だけたくさんある皮肉

ジュースの缶やらなにやら拾うと
ゴミ袋いっぱい。

竹やぶを抜けると西蓮寺がある
遠くには伊賀上野城が見える
昔はお城はなく、平楽寺という伊賀の古刹の忍者の軍事拠点があったという
それもこれも信長達が,神仏とも焼き払った為に
その姿を知るのは、山の稜線と空と太陽だけである

しかし
我々が今生きている以上
ご先祖さんがいての事実

お墓といういわばモニュメントで交信所で
見えない世界とその血を祈り
崇めてこれたのも我々日本人である

きょうは彼岸である
三途の川岸のばばあに六文銭払うのがしゃくだな

比自山 Hijiki yama

今回で3回目の訪問となる比自山砦跡
伊賀忍達、士豪の方々の決戦場
信長が5万もの兵で伊賀を囲み、僧侶、神官、女子供まで、伊賀の民を独り残さず殺戮しろと命じた
1597年の伊賀の乱 9/27に
伊賀各地からこの山に生き延び、戦略的には勝ち目のない戦いに命を賭した場である

以前とは違い違う道から山を目指す
入り口の、祠は荒れ放題に見かね
川で掃除し、お神酒と線香を手向けた

山深いだけではない
僕のような素人でも寒気のする独特な霊気というか
何かがこの山にはある
偶然山を越えた尾根にいくつもの観音様が配置されていた
さらばる山奥へ祈りの場を探し登った

ここには昔、行基は刻んだ,観音像を祀る観音時があったという
天台真盛宗 西蓮寺もある
古来より伊賀の民の宗教的な聖地であったそうだ。

濃密な竹やぶと薄暗い森に
どれだけの人が来ているのだろう?

伊賀の12人衆の頭であった、百田藤兵衛氏、福喜田将監氏の城も麓に抱え
諸国から故郷の窮地を聞き、急いで戻った忍者や百姓,子供まで1万人の人々がここで戦ったという
最終的には敵の武将を幾人も討ち取り
雨の夜には川向こうの敵陣へ切り込みながらも

現在の伊賀上野城にあった平楽寺が焼かれ玉砕した際に
兵糧が燃え食料が武器がなくなり
秘密裏に南の最後の砦である柏原(滝野城)へ夜中のうちに移動したという

城マニアではないが、人工的な砦としての防御の土塁がそのまま残っていた。

この地で、郷土と勇義を貫くために,レジスタンスとして
信長の侵略とジェノサイドに立ち向かった人々が生きた事実を
我々は憶いだしてはいかがなものか

今の日本が腐っていることを、彼は何の為に命を落としたのか?と怒っている訳だ。

長い物に巻かれ、政治家や4月にまた値上げをする、高速道路族のような利権を食うシロアリ達
のサラリーマン社会。
上司の顔色を伺いながら
赤を青と言わざるえない心

文科省と日教組が染み込んだ教科書には載せない事実が
この地にもある事を忘れずに
心を手向けてもいいのではないか。

地元の人さえあまり来ず、あまりに寂しい伊賀各地
行政が中途半端な松尾芭蕉公園とし
いくつかの芭蕉の句碑を並べるのは
5時に帰りたいだけの「心ない公共事業」である

芭蕉はずっとあとの人だから(芭蕉の祖父がこの戦いで亡くなったと言われ、父親は藤堂藩の無足人(いわゆる地侍)
唐突な芭蕉公園には説明がつかず、この山とは無関係。
「嘘ではないが」「真実ではない」という事だ

伊賀の観光協会も、忍者コスプレ体験ではなく
小さくとも彼らの碑をたて
本当に大事な時間が郷土にあった事を
伝えて欲しい

心、技、義、勇、祈、正心を鍛錬したのが忍であるから
人の土地で暴れ回り破壊する戦国の武将とは別次元の
日本人の誇りである

百田藤兵衛、小沢知仙、横山甚六、戸田才六、町井清兵衛、森四郎左衛門、吉富左近,音羽半蔵をはじめ
多くの伊賀忍達と民の鎮魂を祈念す。

ここは初めて訪れた
有名な伊賀の3人の上忍のひとり
服部半蔵正成の城跡

皇居に残る半蔵門や駅名は
この伊賀の渡来人服部家が、1579年の天正伊賀の乱の信長のジェノサイドで
最後に立てこもった城で、伊賀忍者の和睦に徳川家康に頼んだ義があり

その後の本能寺の変の後に、家康の仲間の信長に恨みを持つ伊賀に生き残った地侍や忍から
護る為に300人の甲賀、伊賀忍者を説得し護らせた
経緯で江戸に伊賀,甲賀忍者をいい待遇で,呼び寄せたのがはじまり
青山,千駄ヶ谷には甲賀町、伊賀町が地名としてもあったはずが
役人のさじ加減でなくなるが
表参道のあたり〜千駄ヶ谷〜麹町周辺には数多くの忍者達が住んでいたようだ。
いわゆるお庭番だから警護である

天皇陛下がいつのまにか
京都のお家からお出かけになり
そのまま江戸城に引っ越し(幽閉?)され
るのは不可思議な現実であるが

ここでも多くの義と血が流れた

日々空を見上げる事も
水を覗く事も
忘れてしまう

これほど2度と無い不可思議な模様で
水は地球に留まり
宇宙へ流れ落ちないようになっている不思議

人間が自然を知り尽くす事も
電気仕掛けの水槽で水草や魚を飼っても
手に入れる事は出来ない

やはり人は
外に出て、天然の地球を
見て感じる事で
地球の大きさを知る

気づくと
誰もいない町の公園や天然の海岸で
ゴミを1つ拾っているものかもしれない

教えも
強制も四角い机の
向こうの世界

に漂う

地球はじっと見ている
無条件で嘘のない美しさと怖さで
いつだって足もとで伝えている

いや伝えているなんて人間臭い

そのまま雄大にあるだけだ

匂いも味もないままに


数万本の櫻が古来より、人々の信仰により植えられ
4月になると、山全体が淡いピンク色と観光客で埋め尽くされる。
明治政府がある日急に身勝手に神仏を分離し
仏を焼き払った廃仏毀釈でも
密かに隠され護られた秘仏の巨大な3体の蔵王権現
修験道の聖地でもあるこの山の全体が
ビルも建たずに昔のままに息づいています

来月の1ヶ月御開帳されこのように拝覧できます。
ぜひ!

門前の古くから佇む
国産のよもぎと手作りにこだわる草餅屋さん

優しさは味にも顔にも表れる
 
芸術は表現しょうと
しなくても
そのまま正直に見る人
食べる人の心を包む

ぜひ!

やっこずし

おっ
おかみさんがいらした。
すると昨日、修験者の方と僕の噂をしていたら
急に来たから驚いた!と

暖かなご接待を受けた

奈良県の眺めに良いレストランに選ばれたように
山々を見渡す

全国に発送も可能です
ぜひご賞味ください!
吉野やっこ寿し 

吉野

伊賀にそのまま向かうつもりが
通り道だから吉野の金峰山寺と
全て手作業にこだわる
老舗の柿の葉寿しの「やっこ」さんの
おかみさんに逢いに行ってみる

昔の人々が徒歩で数時間かけて登った峰々を
相変わらず上までずるく車でのぼる

小雨まじりの参道は閑散としていた
4月の櫻の観光客でおしくらまんじゅうの
おなじ道とは思えない静けさ

ここは宮島の参道のような
よそからきた、食べ歩きの串揚げ屋や、クレープ屋に汚染されていないからいい
昔のままの町並みこそ、観光客を呼ぶ訳だが
維持をするにはお金がかかる

伊勢神宮の参道はその辺りが徹底してうまく
昔ながらの石畳と、商店をまるでタイムスリップしたように再現している
例の賞味期限の偽装をしてきた「赤福」が数億円もの寄付をしたらしいから
地元では悪くも言えないと、ある方から聞いた。

今では普通にどこでも売っている,不思議な社会
人の噂も75日というやつだ。

このところ,高野山の宿坊は
まるでどこかのホテルのようなしつらえに
鍵を渡され部屋に入ると,テレビまである。
これでは正直、都会のホテルのようで
雰囲気がない。

しかしながらここ無量光院は昔のままだ
俗世界から、歩きもせずに苦労なくきた我々へ
歩くと床がきしむ、薄暗い廊下回廊をぬけ
古い襖絵の先に,畳の部屋がある
ここは明朗に護摩焚き(案件1件)一律500円だが

よその宿坊では,ホテルマンなみの若い僧侶が
丁寧に護摩木の値段を説明する
この小さいのが500円で大きいのは2000円,5000円からですが
よろしければ如何が?ですか

まるで食事のあとのデザートを進めるような高級レストランの店員

笑いながら
ちょっと待ってよ〜

質問ですが
これはその、大きさによっておまじない(失礼)の効力が
違う訳ですか?

・・・・・いえいえ
それはま〜
なんていうか
価格の差はありありませんけど

大きいとその,半年とか
1年とかこちらでご祈祷します訳です

効能は同じだけど
継続性があるわけですね?

ま〜
そうですね〜・・・・

宿坊も経営なのでしかたないですが
いわゆるこれは
戒名料金や、お布施もふくめ
曖昧な空間を金が行き来する
例の不可思議な空間のはなし。

吐く息が白い朝の1時間半
護摩焚きと祈りの時間が待っている

ハブカワ住職を筆頭に8人もの僧侶達が
東日本大震災、豪雨の地球災害の物故者を弔う。

恐ろしく均整の整った声明の声が
薄暗いお堂と、炎に揺れながら
寝てしまうのは、まるで催眠術にかかった感覚と同じ
目を閉じると,音は聞こえるが
心地よく意識が静かに横たわる

これを1200年間続け
これからも永遠に唱え続けていく
行為と修行こそが日本の文化遺産であろう

ハブカワさん、このたびも暖かなお心を
賜りました。

ありがとうございました。

廊下の若い僧はあだ17歳と聞く
家がお寺でもなく、在家として自らの志で
この山に籠り修行の道を歩んでもう2年

自分のこの頃を考えると
生きる質の温度差にぞくっとした。

奥の院には空海さんが眠られている
空海は山で犬を連れた山人に出会いこの地に導かれたと伝承が残る
狩場明神というヒゲのそれらしいじい様である。

この辺りでは丹生(水銀)がとれ
一説には空海はトリップする為に使用した中毒が原因したともいわれいる。

それは、はじめはイルカとのライブなコミュニケーションを研究してきた
ジョンリリーも同じかも知れない

400万年も前に地球に生きたイルカやクジラが人より劣ってるとは思えないと言った
もともとは科学者だったが、そのズレに気づいたライアルワトソンの言葉通り

イルカには知性があると気づいたジョンリリーが
50年代にサトリを求め
国も認めていた合法的なスイスのサンド社のピュアで高純度なLSD25をガイドと使用してた事も
同じかも知れない

そのアイソレーションタンクと名づけた
水温を体内の温度を保ち,裸で呼吸器をつけて浮きながら、過去から未来を体験する
ある装置で見てしまう世界に、政府は(個人的な主張と個性に溢れ,政府の言う事をきかない
コントロール不能な人間を恐れた訳だが)恐れその使用を
1964年〜1965年に急に禁止した。

言葉や教科書には書けない
その「何か」を古来から人々は
探求し自らの内面の奥底と繋がろうとしてきた訳だ

Kouya san

高野山へ車で向かった
東京から結局7時間程で
山奥の山奥へ
その昔はここまで歩いたのだから
容易でない覚悟と閉ざされた秘境だったに違いない
今では電車もある
車道も2本ある

毎朝,毎夕空海が開いた霊場の
この狭い蓮花に例えられる空間に
祈りの声明が響く

1200年かけて
この山あいの隙間に留まる空気には
もろん何かが潜んでいる

その何かに我々俗人は引かれ
その何かを見る為、僧侶達は祈りを捧げる


日本の海は寒すぎるので
やはりそろそろ、南の海へむかうか

フィジーへ戻るか?まだ見ぬ波へ向かうか?
まだ見ぬ波とは
精神的にもヘビーだ
果たして泳げるのか?
次、次来る分厚い波をかわせるか?
水は澄んでいるのか?

きっとむかしの果たし合い
はこうなんだろう

人間界のルールは通用しないところがいい
人は地球を尊びながら
その距離感と地球現象と一体となるために
地球へ祈る
空海やだれぞやさんが来る前から自然に存在してきた
地球と宇宙の循環
「今じゃ月にウサギどころか
はハイテクなビルも円盤もあるらしいが」

日本人はこのあたりを
心底理解出来るのだが
今の日本の社会では感じ得ない事かもしれない

どんどん南へいかないと
水は濁っている

どんどん南へいったら
寒い北国に着く不思議

微妙な位置で日本は4季があり
そのうつろいと,美しさと厳しさで,忍術をはじめた武術や
あまたの伝統的な様々な技術が生まれてきた

感じる力
観る心は
どんな国よりも
奥深いのが
日本人だと信ずる

地球で生きたふりをしていた
海を知り尽くしたつもりでいた
だから本当の海を知るには
全ての道具を捨て、裸で行かなくてはいけないと感じた
それがこの波の裏側へ向かった理由である

理由なんていくらでも湧いてくる
防水カメラを握りしめ、残った片手と足ひれだけで
どんなに時間がかかろうと、遥か沖まで泳いでいく
あまりに青く美しい怖さの中に独り身を置くには
酸素ボンベもストロボも、余計な心もしっかりと海岸に置いてこないと
人間達が「波」と勝手に名付けた透明な波動の中で生きては戻れまい

見てはいけないものを見てきた
どこまでも透明な水に1瞬の影が現れ、1枚の写真に写るようだが
両目で海を見据え、人間臭い作為が入る余地がないまま
ノーファインダーで押す

「波」なんて「物」はそもそもなかった
沖の水なんて1滴たりとも海岸には来ちゃいない
微細な水の粒子が、高速な紙芝居で水素結合を繰り返しては離れて行く姿を波と呼ぶが
これは実は地球の呼吸であり、つまり波動である

水の竜巻が水中で横に回転しながら、まるで生きた龍の様にうねる
水の中に水中がある訳で、そんな不可思議な事実として1枚の写真は語る

人には波の裏側を写していると言うが
本当は何を写しているのか未だわからない
水から太陽を写しているのかもしれない
見えない風を写しているのかもしれない
これは誰もいない何億年も人を知らない「波」という目には見えない有機体と
溶け合った15年間の記録である

地球は人間が手に入れる事も、手に入れてはいけない。
いずれは絶滅していく青い地球の、美しい怖さと儚さの中で、人は自然に地球を尊ぶものだ
青空の雲は空気中の水の粒子、青海の雲は水中の空気の粒子
なんだ同じ水素原子じゃないか と笑う訳だ

写真は真実しか写せないから、被写体に出来るだけ心をよせる事
写真は一切の嘘をつけないとカメラから教わった

Photo From Cook islands Rarotonga の沖500m

Nigata

Niigata mauntain

雪はじつは海である
山はじつは海の底だった
日本海の海水が大陸からの風で天に昇り
雪になり
川から海へと海も地球を巡る訳だ

ONWARD

オンワード芝浦新社屋1Fフロントに展示させて頂きました
今回空間をプロデュースされたJUGO藤井さん、片島さんはじめ
みなさんの美しい間の充実感の追求に感無量。

又この場を借り、オンワード廣内会長、馬場社長初め皆様へ
御礼申し上げます。


リニューアル

このたび、ウェブサイトをリニューアル致しました。
スマートフォンでも見られるように、この度もフォームプロセスさんに
デザインして頂きました。
よろしくお願い致します。

延寿院

吉野から伊賀上野城〜伊賀の南へ
ここ伊賀忍者が崇拝してきた、瀧寺の天台宗延寿院と松本さんと御逢いし
お祈りする事。
ものすごい強い赤目不動と忍者先生役の行者さんにご挨拶と
34代続く代々の墓地をお掃除させていただく。
吉野のやっこさんで頂いた柿の葉寿しをシェア。
伊賀上野城の城主で、忍者を抱え,上野寛永寺や日光東照宮をプロデュース普請した
藤堂高虎さんの菩提寺であもある
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宮武さん

宮武のおやじさん
雨の吉野山から伊賀上野城へ
実は数ヶ月前偶然、山梨県の七面山の麓の瀧に1人打たれ
震えながらいると,写真のおやじさんとすれ違った。
聞けば奥様のご実家が祈祷所で岩田屋さんという宿をなさっていると。
ご好意で奥様のおじいさんが建てたお堂がある
さらに山奥の男瀧を浴びさせていただいた
塩を体にかけ
瀧に撒き
お酒をたむけた
そしてふんどしだけで
おやじさんは滝壺につかまり完全に見えなくなる
荒行
怖いな〜あれをやるのか〜
いや
あんたは出てくれなくなるから
はしっこや!
アゴを引くんだぞ!
首が折れるぞ!
なるほど
海と同じだ。
僕は大声で龍の真言を唱え
おやじさんは南無妙法蓮華経を大声で唱える!
もの凄い水圧な為,両肩を押さえて頂きながらやっと。
大雨で寒くてたまらなかったが
浴びると自然に体がぽかぽかしてきた
カンカンカン!ドボン!っと
瀧からあがると黄色い巨大な石が落ちてきた。
誰のもあたらず、拾った宮武さんは龍神様だね。
と大事に持ち帰られた。
聞けば聖徳太子の血筋の由緒或る、行者さんであり,高僧であると
話の流れで「実は伊賀へよく行くんです」
と言うと
「え〜なんでや〜」
「わしも伊賀に家があるで!
今度伊賀で会おう!」
と約束通り
指定された待ち合わせは伊賀上野城の駐車場で17:00に
雨の中を吉野から向かう
う〜ん忍者のご縁か?
結局お宅というよりお堂によんでくださり
表が神様、裏が仏様の神仏集合の宮武さんだけが持つケンサクをみせて頂き
様々な自然へのお祈りの奥義を教えて頂いた
それにしても
山梨ですれ違い
互いに縁の或る伊賀で出会う奇跡。
不思議だ。
知らずとはいえ「おやじさん」と、勝手に呼んでいましたが
その世界では著名で宮家の血が流れる
荒行の行者さんで最上稲荷,天台、真言,日蓮宗の高僧
宮武玄澄さんでした
宮武さんありがとうございました。
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地球に教わる

汝達聖は
不動使者と成り
赤目山を降りて扶桑大日本国66餘州の神技冥道を巡らん
弥陀の本願はもとより
妙法の功徳、明王の加護を有りて
全周廻国の満願を以ちて則ち
菩薩の神通「無生法忍」を得ん
無生 とは般若畢竟の空也
法忍 とは忍法の絶対境地
内外無垢 心身清浄 自由自在 融通無碍 也
心は何者にも囚われる事のない「明鏡止水」の境地に到る
汝は本尊赤目不動と一體無二也
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正心

雨が降り続き
その天から落ちてきた水が集まり海へ流れて行く
甲賀忍、藤林家が江戸時代に先祖の叡智を後世に残すべく書いた
忍術書万川集海 とはこの宇宙観を示したもの
忍とはこれ正心なり
正しい心へいざなうのは
結局は地球であり
自身に他ならない
輸入された仏教をも越えた、もっと古い時間が日本には或る
この森羅万象の美しい人為の及ばない地球があるから
人々は仏像を彫り
方丈で瞑想し
言葉を真言として手向けた
仏教はわかりやすい
シンボリックは形として全国に自然に出現し
民衆にプロパンがだとして大成功を修めた訳だ
最澄さん、空海さん,日蓮さんも
皆憶いは1つだったのだから
その手段と方法の妙絶な差にすぎない
様々な宗派の聖地を旅をする程
結局は地球を拝む事になると知る
神仏集合のもっと前にあったものは何か?
に気づくともっと自由になれるかもしれない
天道と運命があり
様々な過去生もある
そに不可思議な過去と未来の縁が混ざりあう
のだから
巷の予想屋の言う占いはあくまでも占いである
から
気にしないように
他力ではいけない
自分しか知らない正しい道は
己の中に生きているのだから
心配することなんてないのだから
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赤目山

また伊賀の瀧寺,延寿院に来た
西暦680年頃の飛鳥時代
「役の小角」がこの地にはいり
瀧に向かって行を修めると
目の赤い牛に乗った不動明王が現れたという
以来ここを赤目不動
阿弥陀赤目48瀧と呼ぶ
この瀧音は阿弥陀の経文と同じく
訪れた者達を「ある次元へ」いざなうと言い伝えられてきた
ここは伊賀忍の修練場であり瞑想場であったという。
松尾芭蕉、能の観阿弥世阿弥など
特異な人々を生んだ地である
瀧衆とは法華経を背負い,瀧参りの聖達が66もの寺社へ
徒歩で馬で旅をして納経をしながら
様々な情報を集めていたという
それが伊賀忍である
彼らが見た景色と
彼らが聞いた瀧音
1000年以上もそのままある。
人の命は儚いが
瀧は1000年で幾度か同じ川を流れ
岩肌と木々に囲まれたこの場は
まるで時間を止めたように
あの時へいざなう訳だ
人為を越えた不可思議な空間が地球である
松本篤明住職より
頂いた赤目の言葉である
魔王降伏の法場=威力をもって天魔を鎮める
鎮護国家の勝地=国家鎮護を祈願するのに優れた場である
村里遠くにして無傾動タリ=村里から遠く離れている為、心が揺らぐ事がなく
             修行に最適な場である
人倫離レテカ自ずと寂静タリ=人や俗世間から離れている自然の中のため
      修行に適し、心が(寂静)欲もない満たされた完全な精神状態になる
たしかに
そんな場である
信長や理不尽な圧力と戦い散ったレジスタンス
光影に生きた忍達を偲ぶ
オンアニチェ マリシェイ ソワカ
イギリスを始めとするキリストじいさんの汚染で世界は戦場である
様々な世界の南の自然と生き、祈る時代があった場へ訪れたが
ここに来て
改めて日本の奥深さを知る
これだけ全国に祈りの場や,神社仏閣の密集した国もないだろう
マオリ族ならティキ
アラスカではトーテムポールなど伝承が残るが
日本程緻密で精巧な,仏師により誕生した仏や神の姿はない
見えない時間や場を読み
観る事に時間をゆだねた先人達の技である
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やっこ さん

吉野は金峰山寺前で,お店を構えて90年をこす
柿の葉ずしのやっこさん
突然顔をだすとおかみさんが,丁度お送りしようかと
思っていましたと
秋だけの特別な紅葉の柿葉でくるんだ
市松模様の箱詰めをくださった。
全て手作業の手の込んだ御馳走です
全国お取り寄せもできます
ぜひ!
やっこ 0746-32-3117
9:00~17:00
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修験

雨の吉野の山にきた
今から1400年前に
付近の山中の瀧で修行した役行者のまえに
現れた蔵王権現を祀る
修験道の始まり元祖である
修験道はアミニズム的で民間信仰である
ごく自然に発生し密教や仏教と溶け合いながら創造された
宗教を越えた1つの地球対話の方法である
輸入物の仏教より古い時間を含んでいる事実
偶然再会した修験者で僧侶の
中村さんは実修し実験したのが「修験者」
であるとおっしゃられたように
まさに自らの山中での体験や経験で修めた術と作法の道を
修験道というのだが
昨今の記憶力を競わせ優劣で比べ
頭で考えさせる昨今の学校と言う
養殖生け簀とは別次元な素晴らしい地球学校である
こんな優劣や成績など生き上で全く馬鹿げた時間である
日本の人口40万人に対し
修験者が17~8万人もいた事実
実習とも実験とも中村さんは言う
山中で経験や体験を修めるのが修験であり
つまりは現実主義の実践者である
明治政府が西洋化を汚染し
修験道廃止をし,
自然という嘘の言葉で
人間と地球に線を引いて150年
今だその後遺症が日本人に残る訳だ
町と地球に
自然という言葉で都合良く線を引き
その怖さや、大変さから遠ざけた
過剰な便利な暮らしが
おのづと地球との対話や体感の距離の
海溝をつくった訳だが
近所に自然もなく
植木鉢を買う今の時代こそ
大切な事ではないだろうか?
I came to the mountains of rainy Yoshino
Now 1,400 years ago
Before Giyoja Enno who trained himself/herself at the waterfall of nearby mountains
I enshrine the Zao Gongen  of a Japanese god that appeared
It is a beginning of mountaineering asceticism ancestor
Mountaineering asceticism is like Aminizumu, and it is folk belief
It was created while occurring extremely naturally, and blending with esoteric Buddhism and Buddhism
It is the method of one earth talk beyond the religion
The fact that includes the time when it is older than the Buddhism of the import thing
What Nakamura kept a fruit, and tested “a mountaineering ascetic”
The course of art and the manners that I right mastered by an experience and the experience in own mountains
It is mountaineering asceticism
I right say the school of these days to let you think with a head
A culture fish preserve is the splendid earth school which is the other dimension
For Japanese a population of 400,000 people
The fact that the 170,000~8 all people had a mountaineering ascetic
Syugenjya Nakamura says both the training and the experiment
It is mountaineering asceticism to master experience and an experience in mountains
In other words, it is a practitioner of the realism
The Meiji government pollutes westernization
I do the mountaineering asceticism abolition,
By false words called nature
Draw a line on a human being and the earth; and 150 years
It is the reason why aftereffects remain to the Japanese now
On a town and the earth
I draw a line by the word nature conveniently
I kept it away from the fear and importance
An excessive convenient living
Of the distance of talks and the bodily sensation with the earth
It is the reason that made a trench
In the neighborhood without nature
As for the present times to buy a flowerpot
May it be an important thing?
www.kinpusen.or.jp
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Kouyasan

This is KOYASAN
Kukai   (Shingon Mitukyu) open from at 1200 years ago.
On earth the sky Sea which is said to be the mercury poisoning feels what
Did you prepare such a place into these mountains?
I certainly assume the Dainichi Buddha who is space and a solar incarnation Buddha
I maintained exclusion of women
This Mt. Koya-san of secret mountains
It seems to be the placement that I compared to the lotus
This mysterious space that sky Sea began to knit
A blueprint of 最澄Saicyou which thought out Tendai sect together over China
The end of the ascetic practices that I adopted skillfully
I am said to be the opening
A sky esoteric Buddhism of the Tendai sect religion is a certain history ancestor historically
The Kukai is good reason
A daimyo and Saint が groups of the whole country, the cause of the protection of the worshiper
It is a place to be able to go by train and car in now
水銀中毒ともいわれる空海はいったい何を感じ
この山中にこんな場を作ったのか?
宇宙と太陽の化身である大日如来を絶対仏とし
女人禁制を維持してきた
密かな山中のこの高野山は
蓮の花にたとえた配置らしい
空海が編み出したこの不可解なスペース
共に中国に渡り、天台宗を編み出した最澄の青写真を
巧妙に取り入れた修行の末が
そのはじまりと言われる
歴史的には天台密教の方が由緒或る元祖だが
空海はうまかった訳だ
大名や全国の聖が集まり、参拝者の庇護のもと
いまでこそ電車や車で行ける場だが
その道は険しい
そうはいっても
とんでもない精神力と修行を紡いだ阿闍梨達が
伝承してきたこの1200年の時を木々や石は記憶している
いまだ閉ざされた濃厚で
幾億人もの僧侶達の祈りの影が
この窪地に留まっている事が
我々俗人を魅了する光なのかもしれない
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