浜の湯
伊豆稲取 浜の湯さん
7/19グランドオープンする
Bar にコレクションして
頂きました。
5mの黒い壁面に
海のゲート
写真だけに四角く
あたる特殊な照明
伊豆稲取 浜の湯さん
7/19グランドオープンする
Bar にコレクションして
頂きました。
5mの黒い壁面に
海のゲート
写真だけに四角く
あたる特殊な照明
日本の波の裏より
透明な水
太陽の位置
波
この兼ね合いが仲睦まじい場を
探すのが難しい
風、時間、雨など
地球にまつわる宇宙現象が
さらに難易度を増す
長くいれば撮れるものでもない
不可思議な偶然とミスにより
それを起こさせる何よりの原因
大事なのは
今からその点に
行こうと感じたまま
動く事
頭ではなく
胸で・・・
自然に呼ばれ
撮れる時は撮れる
撮れない時は撮れない
何も心配も
問題もヅレもない
事物や今起こる事は中立であり
そこに意味をどう与えるのかは
インドカレーのスパイスの差異であり
たいした事ではない
が
人間がそこにやっかいで,身勝手な心配や焦りを
勝手に調理しこじれる訳です
つまり例の
意味もない
味もない,匂いもない
という宇宙の法則を上手にまとめた
般若心経に通づる
が
それとて人間が思いつき
考えだした人工のお経であるから偏ってはいけない
自然より
個人的には天然のほうが原始的な意味あいを含む
天に気道があるようにと
寅さんが言っていたように
人がどうすることもできない
宇宙と地球の海の力
そこに添って生きて行かねば
生きらえない刹那である
無限の自由なドアが待っている
胸のあたりで感じたままに
生きる事が
自然と地球を尊び生きる海の道です
7/19〜始まる、代々木上原ファイャーキングカフェ
での展示にむけ
神楽坂の現像場で作品選考
しかし今は決めれず
昔とあまりに変わった
隈研吾さん設計の赤城神社へ参拝し
月曜日に最終決定に
いつも何が写るか?
毎年のファイャーキングカフェさんに
ふさわしい一枚が集まるのか?
天然の自然をよく見て
泳いでみるしかない
とにかく海へ行くしかない
それを胸がソワソワする
と表す
ちょっとしたミスや無理が
機材の水没や命とさよならに。
昨年展示が終わった秋から今まで
海外に行く気になれず
ひたすら日本を巡った
日本の夕暮れの海
やはり美しき時間
不可思議な場に密かに輝く場を
古来の人々は今の我々よりも
胸で感じる事が出来た
時間がここにもあった。
昔の方達が
その純粋な心で地球を
敬い国の鎮護を祈った
形状が神社であるが
その聖域と祀る家には神様が必要だった
のではなく
神様が先で
もっと言えば
石や滝などの独特な雰囲気の香りを
嗅ぎ分けれたのです
我々はそんな
金では買えない
胸で感じたままの
美しき物語に生かされている事を
よーく知らなければならない
沖縄で無理に命を潰した方々に
阿部さんの紙に考えて誰かが書いた原稿は届きません
今回は僕自身も
近くを
自身を
観るという
内観の結果の現れがこの
「陰陽」
1つで2つ
2つで1つ
光と闇に今があり
その今とて
既に影である
誰にもある影を観ること
紀元前219年徐福とともに伝わった技術が忍のはじまりらしい
日本では587年に聖徳大子に仕えた甲賀の大伴細人が
志能便と名付けられ
いつしか忍に
書物ではなく口伝で歴史を観てきた彼らの事は
今となっては永久にわからない
書物があったとしても
伊賀者を全て殺戮しようと企てた信長に焦土にされたため
焼かれた為
きっと旧家には伝承され隠されているが
表には出てこない
太平洋戦争で、政治利用された楠木正成も忍であり
その家系は能の観阿弥、世阿弥にまで届くという
もともとは渡来人である伊賀甲賀の忍が積み重ねてきた
名誉も地位も関係ない
己にかした、はかない思いを背負い
村の人々や君主の義と勇気と無念に
心を打たれ
生きる術を探した彼ら
そのネイティブな不思議な忍術にひかれ
海で祈り、いまでは彼らの地で祈るの日々
父方は龍や天狗を祀る広島県の風早の祝詞八幡神社の血が流れ
母方は近江や甲賀の木挽きだったのも何かの縁と因果であろう
漢字では心に刃だが
忍とは
全てを認識すること(悟)
一切は空で、実相である
真理の上に心に安じ不動であるのが 法忍
その時々と因と縁の組み合わせ
それがありのままであるから
受け入れる事
歯を食いしばり忍ぶのではない
おそらく当て字だと思う
実際は
生きる事も
滅する事もいとわない
正心がかられの元
独自で感じた真理のもと
自己が受けとるべき人生を認める事
一切のものは不生不滅と認めると
書いた比叡の僧 鎮源
名声も地位も望まない
光と陰の両方を見据え
生きる日本人の誇りと矜持だが
今の政治家や大人達には蚊帳の外
伊賀忍とは数百の砦を構え小競り合いを繰り返してきた地侍である
無理矢理な大きな力に対抗する為に、三重の山中で生きる術として
独自に自然に育った訳で
密教や修験とも絡み合い
実際には生きる為の姿勢と,精神にその重きを重ねて来た
わかっている範囲では
外的に対し伊賀では12人の頭が(伊賀上野城の前にあった平楽寺や、寿福寺(今も現存)に集まり会議をし
その時だけは一致団結したという
甲賀では53の忍や修験者の家系で「惣」そうと呼ぶ
団結と決まり事で、毒蜘蛛を飼うことを禁止したりとした、管理する組織があったという
レジスタンスである。
今でも甲賀は火薬や薬の産地として有名であり
製薬会社や置き薬は甲賀地方に多い
ここは甲賀の修験道の聖地「飯道山」
最盛期の勝手に神仏分離を強制した明治になる前迄
宿坊も40近くもあったという
熊野から勧請された神を祀り
独自の山岳信仰と修験道の足跡が染み込んだ山道と磐座である
この山には不可思議な自然な岩穴や鎖場の地形があり
ここで士豪「忍」が修行をしたと伝えられている
九字切りをし般若心経をとなえ
お酒とお塩を撒いた
皆様のおかげで
今の日本があります。
花は咲き
散って土に還り
また花となる
無生法忍とは生死も超越し煩悩を離れ涅槃の境地に至る
同様に涅槃寂静ともいえる
そんな心の境地をしめすのが忍だと信ずる
とらわれない心の自由
地球を感応し呼応できる修行を積み
地球にあらがう事なく
地球に時々の環境に時間に則しながら生きる道
宗教を越えた世界間が
どこかの威張った殿様や武将に
媚びてじはりつくサラリーマン侍ではない
己の信念と真理に沿いながら生きる
生き方があれば戦争を起きないのだが
原発や金が大好きな大人達に埋もれた地球を
そんな彼らの精神が救うはずだと信づる
集団ではない個の強さで繋がる惣をもう一度
遥か沖の海
岸から400~500メートル沖迄
片手と両足で泳いで行く
片手というのは右手は4〜5キロのカメラケースを握っている
海では浮力のおかげで重さは感じないが
水の中でもその抵抗はすごい
手首が逆にねじれ折れそうになった事もある
あまりの水圧で、ナイロンのひもが切れた事もある
シュノーケルもつけない
あれは事故になる上、波の抵抗で水中メガネがちぎれる為だ
15年前酸素ボンベを捨て
なるべく簡素な道具だけで行く事に決めたから
問題が常に起こる状況で
余計な問題を呼び込まない為にも
口で肺に吸い込んだ空気が全て
巻かれても,引きずり込まれても
ひたすら息を止める事
この約束を破ると海水が肺に入り
溺れ死ぬ
物理的な道具と体の問題なのか?
それとも精神的な問題なのか?
瞬時に知り臨機応変に対応したいのだ
すごく臆病であり慎重でいながらも
瞬時に決めたら迷わず力一杯向かう事
透明な水が瞬時に轟音とともに全身に圧力と
暗黒の闇に包まれる
経験は大事だが
経験がその恐怖を呼び起こす
空が見えなくなれば
急いで沖へ向かい鋭く潜る
泡の中で何も出来やしない
ただひたすら頭が上に向くまで待ち
暗闇から光が見える水面へ向かうのだが
気を失いそうになる程苦しい
空気を吸いに口から水面へでると
大波が頭上から降り掛かる
これを受けたら背骨が折れるから
アゴを引きながら,瞬時にひねりながらジャックナイフという潜り方で
体を斜めにしてその力を逃がしながら
ひたすら潜る
正直
相当水に慣れ
それなりの覚悟と
強い気持ちがないと
身も心ともバイバイだ
ありとあやること
ありとあやゆる術
ありとあやゆる言葉で
地球に頭を下げ
無になる
無になろうとすると
無になれない
撮ろうとすると
絵をこねて
人間臭い気持ち悪い写真が誕生。
気持ちを強く持ち
自分から逃げない事
大波から心を逃がさない事
きみまろじゃないが
ハワイで気道が閉まる程溺れて
あれから15年
地に足がついた世界で
怖いものなんてなくなった
命のやりとりに
光を探した・・・
あまたの政治家先生のように
「記憶にない」なんて
恐ろしくて言えない。
嘘と人間を置いてこい。
生きたいと願う事
精一杯好きに生きる事しかない
と知る
理論や科学の向こう側
学校という畜養生け簀の外であり
教科書を暗記した大人の
教室や机では絶対に教われない
人の道が
地球との義が海にはあると
信じている
よくもこんなの石段を組み上げたものだと
感心する
山頂には2000回,3000回とこの山に登った方々の石碑がある
雨と霧と風に包まれる鳥居をいくつもくぐり
まるで天国のように彼方まで続く階段
祝詞を捧げ
地球の力と美しさを
人々が今一度思えるように祈る
この地に佇み1300年
幾億人もの今は亡き人々が観てきた
この景色は全てを見
全てを知っている
キリストは教だから
教徒しかいないが
日本には古来からこの地球とともに存在してきた
「ある何か」と神様達とも
上手に溶けあったインドの仏達が
その脇をかため,奥行きをかもしだし
一人の唯一無二の,十字架にくっついたひげのじい様の偶像崇拝とは異界なる
日本では、人には強制も強要もおしつけない
自由に独り山の中に住みながら修行をかさねたひげのじい様
神様は石や風や水であり、先も後もなく
もっと純粋でおおらかな森羅万象で
真理をわしづかみにした
民間信仰とともに育まれてきた訳だ
こうした地球と溶け合いながら護られてきた
聖域を読む力に感心し,感謝した。
うちつける雨も風も受け入れてきた
山岳信仰の美しくも厳しい時間が
霧の1粒1粒に含まれながら
全てを物語る
ゆっくりと時計をはずして
海に山へいくといい
昨夜かねてから天狗の太郎坊さん住まう
京都の西、愛宕山へ行くつもりだったが
大雨の予報に流され比叡山に行く事にした
宿から時間ギリギリのバス停へ
何を思ったか
駅の反対側に走り
戻るも乗れず
なにげなく
バス停を徘徊すると
仙人のような胸迄あるヒゲの方がいらした
もしやと思いお尋ねすると
愛宕山へいくと言う
仙人がいるのも不思議で
こっちに来い!
と「仕組まれた」な
思わずひっそりとにやけた
ガラガラのバスに揺られる事50分
緑に包まれた不思議な場所に着いた
古い時代
おそらくは781年 和気清麻呂(わけのきよまろ)と慶俊僧都(けいしゅんぞうず)が
山城の阿多古神社を山頂に移したのがはじまり
天台、真言の修験者達が自然に集まり
火防ぎや天狗信仰とあいまり
民間習俗の中に広まった
日本中のプロ,アマの人々の
純粋な信仰が染み込んだ山道
頂上迄50丁目という石塔があり
当時は各町目ごとに茶店があったというから
ぜひ1つでも再現してほしいものだ
今では石垣だけが残る
寂しげな道だが
当時の参拝者の人々の足音が聞こえそうな
不思議な空気が漂っていた
大雨の中、山頂にある愛宕神社を目指す
ここは全国の天狗の親分 愛宕太郎坊さんの住まう山
霊験深い聖域である
あまたの人々の足跡を知る山道へ
フィジーの宿
宿はお客を呼び込む為に
相当な資金と覚悟で絶景の場を宿にする風潮があるが
現実では海や環境のダメージも大きい
ここでは珊瑚の岩にコンクリートで小さな土台を作り
あとはすべてティンバーで出来ているから
最低限の破壊
トイレは巨大なタンクにため
日本の海辺ようにバクテリアで分解しつつ
川や海ではなく、土に吸い込ませるらしい
水は山の水
歯磨きや石けんのシャワーはそのまま地表から海へ
土は白く変色していた
しかし
あまりに遠く
強烈な波と珊瑚礁だけの島に来る人はすくなく
数年前にクローズ
村人の知り合いの家に泊まるしかないが
ここまで誰かの小舟でないといかれない
スーパーも電気もないほぼ
自給自足の昔話の島と
妖精の住む
霊気と霊験ある山と海
2002年にここに来ていなければ
今の写真も
今のように祈りを捧げてなかったのか?
今はもう過去
その今が数年後数十年後教えてくれる時間がある
過密で過剰な物質社会から
逃げ出して
原始の姿の地球と
そこに寄り添わなくては生きられない村人に
何が大事なのかを教わった
殺虫剤?
風呂用洗剤?
匂いとりスプレー?
除菌?
なんだよそれ
笑
おかしな世界だ
命の関わるおっかない地球と
限界のない美しい地球を
体感しないと
ますます人間はジャンクな商品を作り
ジャンクな魂になっていく
地球を魚達を虫達を馬鹿にしすぎという訳だ
いまさら皆で洞窟に住んで木喰という訳にはいかないから
馬鹿はバランスよく程々にする事だ
このままでは
人間改め馬鹿者
と未来の人に書かれる
でも
そう思う人が増えたらいい
もう十分だ
もう十分破壊し
便利になったじゃないか
知足という事
波動でうねりながら水の水素結合した塊が,一番大きな時点で波になる
波は一つの物ではありませんが,サーファーは一つの波に乗っています。
でも正確には一つの波動に乗っているんです。
?
「波」という一つの形に人は思いがちです
北斎の版画絵のように水面ではそう見えるのが
当たり前ですが
水中では違います
15年も水中で波を観察してきた僕の見立てでは
水中で迫る波は透明な力「エナジー」です
水は波に置いていかれてます
波なんてないんです
?
何度も言いますが
沖の水は岸に来ちゃいない。
サーフィンでも沖から盛り上がる水が自分のところに来た!って時にパドルしますが
実は来たのはエナジーで
沖の水ではないのです。
?
今からお風呂に水をはりスーパーボールを浮かし
手で水面を自分の方に動かしてみてください
どうでした?
スーパーボールは同じ位置です。
?
手のあたった感触が水の密度です
密度が高い程(水素結合力が高く水の分子が濃密に集合)
水は固く感じます
でかい波になります
で
水をゆっくり押してみたら どうですか?
水を勢いよく押しては?
手をお椀のようにしては?
手に当たった水はこちら側に一滴もきていません
動いているように見えるだけです
高速でパラパラめくるマンガの原理です
つまり 微細な1コマ1コマの瞬間に水が離れては違う水とくっつき
又離れているのです
これが水素結合の繰り返しです
水素は一つの水素に,約150度で均等に二つの酸素がついて移動してます
一つの状態では気体として空や泡に
2つ、3つとくっ付く程重くなり
水となって見えます
空の雲は水です
海の雲も水です
?
周波数の差も生まれているかもしれませんが
これはうまく説明出来ないので 次回として
謎めいた
馬鹿な科学でわからない伝承や伝説は
こうした人々が強い天然の地球で感じた物語です
わからなくていいんです
全ては絶対に人間にはわかりません
仏教や神道も地球ができた後に人間が作った訳で
より地球を尊ぶ為に
わかりやすくした手法や偶像であって
特に他宗教を認めず殺し合う
おひげのアーメンなんてのは人間じゃないですか
きなくさい!
生きた人間の教祖様の新興宗教など
人が病んでいる証拠です
本当は人間が考えた宗教はいらないんだけど
なんて言ったら元も子もないですが
純粋な祈りの思いと心があれば
神様は感応してくれます
きれいな神殿でなくても、石でもいいのですが
正心が迷うから
方向性とモニュメントとして必要かもしれません
拝みやすい,感情が入りやすい雰囲気も
大事です
とどのつまり
海の音を聞き
波の中を泳ぎ
たまには溺れ
ウニに刺され
魚を捕まえて
捕まえられず
新鮮な魚を食べたら
正しい道へ
いや道なんてものもなくて
正しい地球との約束の日々を
普通に暮らせると思います
おかしな環境保護なんてしなくていい
ゴミなんか拾う必要がない世界
太陽の動きにあわせ
その潮流に生きる生物の暮らしこそ
完全なる世界です
人間様が
随分と地球で
大手を振りながら
ふんぞり返った結果が今の世界の状況です。
日本人は古来から
修行をして見えない自己を
地球や宇宙の森羅万象と匠に
浸透させかさね会わせてきた
すごい感受性の高い繊細な民族です
修行僧、行者さん、侍や忍者など
あまたの方々の、地球と命にかかわる行為と修練で
今の日本があるはずです
もう一度
日本人に生まれてきた今生を
静かな森や海辺で感じてみてはどうでしょう
同じ時間を生きている
のだろうが
見知らぬ世界へ自から旅へ出れば
まったく予期せぬ景色に
突然ぽつんと投げ込まれた小石だと知り
謙虚になる
命がそこにかかれば
なおさら
見えない事象を読む力を総動員
日本では修験道でも
禅にしろ
庭にしろ
仏教にしろ
神社にしても
不思議なある領域を感じ
そこに独特な畏敬の心があると知る
手段が様々ある
世界でこんなにも、様々な方法で
自己と地球や宇宙を見つめる道がある国はそうはない
ほんとうに遠い島
飛行機がなければ
生きている間には来れなかった未知の世界
テーマパークでも電気仕掛けのねずみの国でもない
太古のままの水と珊瑚礁に生きる生き物だけの世界
余計な物も
余分な物も
ない完全なる天然の自然の世界に
そっとよりそい生きる人々がいる
その場を穢さず
壊さずに
人間の都合だけの防波堤もなにもない海は生きている
一人この轟音と光と闇で
すべては浄化され
ふつふつと生きる元気と生きた甲斐を知る
都会のビルの隙間や
人工の公園や海岸では
知らないままでいた自分が怖くなった
同じ時間生きているが
抜け殻からぬけた訳で
本当の自分ではなかったな
なんて
1枚の写真は時を越えながら
教えてくれる
動画は電気もスクリーンも機械もいるが
写真はいつだって電気もいらずに自由に見れる
映像は2年間で一切辞めた
やはりこの場だからこそ
海や地球をダラダラ撮るのではなく
1枚の瞬間に心を込めて写すのがいい
こんな果たし合いのような
嘘もズレのない世界がたまらなく好きだ
2002年頃のマウイ島ホノルアベイ
インターネットもまだ不十分で、感で探し
感で泳いだ日々
毎日ホーキパの偶然見つけた宿から
車を飛ばし1時間
島の最西にある
サボテンと赤土の崖の海ホノルアベイ
沖では頭〜ダブルの延々と盛り上がる
レギュラーの波が生き物のように走り
ローカル達が思い思いにチャージしていた
そんな沖からかならずでかい1本に乗るローカルがいた
笑顔だけで全くしゃべらない真剣な姿勢に
やはりサーフィンはスポーツではないと感じた
そんな聖地の独特な風と波まで
幸せだった
波を駆け落ちてくる
彼らに怒られないよう
邪魔にならない程度に
溺れても極力笑顔で話しかけた
泳いで崖を登り
フィルムを詰めては
又泳ぎ
1日5時間泳いでいた
宿に帰るころにはもう夜になっていた
途中町のバーガーキングにより
塩漬の道具と体をぬるいシャーワーで洗い
部屋でマカデミアコーヒーを落し
飲むのが1日の終わり
たまにやっている菊TVの
奇妙な英語字幕の暴れん坊将軍が楽しみ
つかのまの日本はやはり
木枯らし紋次郎や時代劇である
懐かしい時代と再会した
以前パプアニューギニア政府観光局さんの
御はからいで行けたニュ?ギニアの海
「撮れるかどうかわかりませんが、ぜひおいで下さい!」と
2回もご招待くださった政府観光局の山田さん
感謝です。
ここは
第二次大戦の激戦地ウエワクから飛行機で1時間
悪路を3時間
太平洋に面した島の真ん中あたり
地球誕生以来の
美しいそのままの景色と人々
電気も水道もない昔のくらし
もちろん油まみれのハヤリのラーメンにも汚染されず
洗剤もない為
海の砂浜と海水でこすって終わり
夜になれば波音と風音に
あちらこちらの浜辺でおこされる
たき火のオレンジの炎がちらつく
1つだけ残念なのは村の目の前の海岸がごみだらけ
よそから輸入されて来た,ビニールや缶や瓶のゴミはその辺にポイ!
なぜか紙おむつ(主にオーストラリアや中国から輸入)まで
この辺は教育というか
捨ててはいけない理由を説明出来ていない
パプアニューギニアの今がある
椰子の実、バナナの皮はその辺にポイ!で
何百年ときた生活が正しいのだが
地球に還れない
新たな石油製品が地球を破壊している
我々とて
分別をゴミ箱に捨てたつもりでも
実際には燃やせない場合や(間に合わない、ダイオキシンがでるから燃やせないおかしな法律)
の結果は、東京湾のゴミの島に押しつぶす現状
目の前から消えたようで
実は地球からは消えてない
法律的可能投棄のようで
実は倫理的不法投棄
なのである
まーフィルム写真(いわゆる銀塩)
の銀を含んだ有害な現像液も小笠原沖で流せば良いという
おかしな法律
しかも個人的に焼く場合や、写真事務所はそのまま垂れ流しだった事実
放射能を流すのと同じな訳だ
インドや中国が,化学物質や石油製品の不法投棄で
海洋や大気がとんでもない事になっている今
どうするんでしょうね?
白黒テレビが映り始め
韓国人力道山の空手チョプで湧き
因果関係を認めなかった
小和田雅子さんの祖父の会社チッソの垂れ流しによる
海洋汚染と水俣病
まるで高度成長期の日本である
昨今の何がエコで
サスタナブルやらエシカルやら
ニューギニアの田舎に来たらそれが
少しはわかるかもしれない
太陽と、海と緑の地球にそいながら
たくましく生きる彼ら
十分なよそ者がいないから
汚染度は低いのだが
数十年後にはどうなっているやら
彼らだって
洋服も携帯も欲しいと思うだろうから
もうこの景色はないかもしれない
地球の海の透明度はゆっくりと
濁り始めている
大きな水たまりだから
一見汚れてないようだが
目の前から,汚れがあっちに流れた
だけである
地球という限りある
青い水のボ?ルの中で生きているのだ
そう
写真は偶然会えた
おじさんサーファーと木の板に乗る子供
ふいに泳いでいるのかな?と思うような浮力で横に現れた
今年で7歳
お父さんが山の木で削り
バケツのフィンをつけてくれたんだ
と心温まる話し
海底は数億年前に生まれた
小さな珊瑚の集まった固い石灰の岩盤だ
波が激しく
ここでは枝状の珊瑚は皆折れて育てない
地球が海が
自然にその力のなかで
生物の棲み分けをさせている
強い地球や海に即して
生きる事が本来の関係性なはずだったが
人間は海や山を埋め立て
生き物達が数十億年かけて育んだ入り江や
瀧を破壊し生き埋めにしてきた事実を
忘れてはいけない
人間は地球との約束を忘れ
都合良く駄法螺を吹いている訳だ
生身一つでこの沖まで30分以上かけ泳ぎ
誰もいないこの外洋に漂う
完全な覚悟と
完全自己責任の嘘のない世界
この完全な世界に
勝手に飛び込んだ害虫だな俺は・・・・
南太平洋の離島で
都会の人間の暮らしが
美しくも厳しい地球から身を守るために
まるでシェルターのような蟻塚に住まう
様になれば、朝日も夕陽もみないまま
夜になる
スイッチをパチリとTVを観賞
そりゃ心が自然に離れてしまう
子供も大人も平等に降り注ぐ雨に濡れ
波の中で太陽を見た日から
ちいせい事を頭で
考えていたな
と気づく訳だ
感じるのは頭ではなく
心であり
受験術で競い合う
四角い机の学校でも
四角い塩素のプールじゃ
ないってことさ
誰にも平等に
無限な可能性の光が
あたっている
一番や二番の順位ではない
地球の美しい景色に順位がないように
無限な美しさに包まれるように
なっている
崩れる間を「絵」を待つ訳です
波間に漂いながら
沖の盛り上がる波動を読み
一番崩れるであろう場へ泳ぎ
肺に詰めこめられるだけの空気を吸い
息を止めて
崩れるであろう真下に潜って水中で待つ
待つといっても
ほんの数10秒で
頭の上を巨大な水の壁が移動し
さっきまでたいらで透明な水面が
急に縦になりながら
見えない角度で崩れ落ちてきます
そこをすれ違いながら
シャッターを押す
これも36枚フィルムでしたから無駄に押せないので
自然に決め撃ち!でした
すれ違うとは
波は岸へ向かい高速で動いて行くので
僕が水中でホバリングしていてもいいのですが
大きく速い危ない波は
僕の沖へ向かう力と
沖から岸へ向かう波「波動と水流」の
すれ違いになります
その時僕に波に負けない、もしくはかわせる術と力がないと波に絡められ
引きずり込まれます。
もう無重力で
海底に叩き付けられ
運良く怪我をしなくても
それは苦しいなんてもんじゃないです
しばらく体がぐるぐると暗黒の泡から出られません
動いている水と
動いてない水
これから動く水を感じて
瞬時に判断しその線のような場ですれ違うのです
なるべく体力と無駄なエネルギーを使わず
かわすんです
仙人の域ではないですが
これは古い武術の間であり
呼吸であり気当たりとの様なもので
遠くても近すぎても駄目なんです
なんてづっーと後になり気づきました
本人はとにかく夢中でとにかく体で覚え
恐怖に勝つ心臓を作るのが大変でした
だから人間界だと
そう怖い事はなくなりました
地に足が着いていますし
呼吸も出来ますからね
そんな危険でミステリアスな場が海であり
それ以上に美しい感覚で心が揺さぶられます
皆さんも
美しい感覚に生きていますか?
美しい物ではなく
美しいと感じる間です
都会では忘れがちな人間に本来備わっている
フリーダム
自由です
毎日満潮が30分づつ遅くなる
5日目すこし慣れ始めた波で
違う絵を撮ろうと
岸でスローシャッターに設定してみる
サーファーがあがってきた
どう?
「まあまあだね」
目を凝らすと沖には誰もいないようだ
なんだか雨雲が一面を囲い
雨のベールが包む
何分の1がいいのか検討が着かないが20分の1で防水ケースを閉めた
相変わらずクロールで30分位で沖へ
途中背が立つ程で水深は膝くらいになり
ウニや珊瑚を壊さないようにフィンをはいたまま後ろ向きで波を見ながら
歩いた
10m〜15m先から深くなっているようだが
うまく抜けられるか?
ここが一番危ない
ものすごい波が弾け背丈くらいに爆裂している
波が消えたタイミングを合わせ
一気にダッシュで泳いで沖へ向かう
せーの!で
波へジャンプし沖へ
冷たく暗い雰囲気の海は一段と怖い!
誰もいない鉛色の海と波が一列に迫る
風もない沖で透明な箱と雨に閉じ込められた感じだ
今迄にない行きた心地がいがある時間
水中の魚達は相変わらず楽しげだが
こっちは必死だ
待ったなし!の休みない、重く高速の波が続々とグリングリンに
弓矢のように向かってくる
そんな波動をそのつど,潜ってはかわすが
なんだか寒気というか、例の嫌な感じがする
う〜ん
怖い!
なんか危ない感じがする。
常に深みからサメが来ないか浮いてる間も,潜りながらも周囲に目を配り
沖の水の盛り上がりを異常な迄に気にする
張りつめた固い空気に
喉が押され
乾いたが水はない
誰もいない沖合400mの大雨の海は本当に痺れる
流されても死んでも,誰も見ていないから
海のゴミとなりバイバイ
なんども気持ちが潰されそうになり
その度に大声で忍の九字きりを唱え
印を両手で立ち泳ぎしながら組む
どうも
気持ちが
すっきりしない
変な怖さがとれない
戻るか?
いや〜もう少し乗り越えないと
へコキだろ!と戦う
立ち泳ぎで,歩いてきた辺りを見据え
岸に戻れなくならないか観察しては
沖からの波をかわす
潮がぐんぐん浅くなり
その分さらに波が速くなる
帰ろう!
結局ものの15分くらいしか気持ちが保てなかった
そんな15分の中の1枚
ポイント迄往復1時間
ぐっと疲れたが
判断は自分で決める
戻るのも勇気
行かないのも勇気
いったら思いっきりやってこい!
地球とはそいいう場で
生きています
生涯忘れない時間に生きている
美しい時間とは?
未知の世界
「え」も言えぬ胸の辺りから涌き上がる幸せ感
アドレナリンが体内を循環
怖い事
ひと掻き間違えたら死
で
どんなにがんばり
水中で回転しても
足が写る
事もある
ここはクック諸島
どこですか?
タヒチの横で
ニュージーランド経由で2日かかります
僕も知りませんでした
馬鹿なコンピュータのおかげですよ
グーグルアースの衛星写真で決めました
いわゆる鳥瞰図ではないですが
島とつながる珊瑚のリング
白い波
を探して
でも行ってみて
波に一番近いよさそうな宿を予約したら
そこはヘルメットをして石鯛を釣るようなごつごつの尖った荒磯でした!
怖い!
やったな〜・・・・
衛星写真だとわからなかった
磯!じゃないか!
海にどこから入り,あがるのか?
出口が見えないとはこの事
サーファーに飛行機でも町でも一人もあってないから
駄目か。
13年あてもない波の旅で
初の外しか!
と海を眺めるために歩くと
いきなり足を,靴も切れそうな鋭利な岩肌で
ビーサンがぐりっとそりかえり
やっぱり足を切った
すると
釣りのおやじが一人来た
こんにちは
ここ泳げますか?
「泳ぐ?」
サーファーいますか?ここ?
「お〜たまにいるぞ!」
で
しょうがなく
バイクか車を借りて波を島中を探す事に決めた。
波を見つけないと落ち着かない
宿の人にレンタル屋を教えてもらい
電話をすると
明日の朝迎えにくると言う
で
早朝あんちゃんがきた
5分程で海沿いのほっ建て小屋に
う〜ん
バイクもいいかな?と感じ?
バイク貸してもらえる?
「免許は?」
あるよ
と
日本の免許をだすが
「うわ〜初めて見た何語なの?
笑 これじゃ僕たち読めないな〜」
「英語のない?」
ないんだよ〜
「ま〜警察で免許取ってください
今回は特別に貸しますよ」
「警察で免許?」
「そう,行けばわかります。島の免許がないと
それがないと貸せないんです。」
まったく予想しない展開
このまま行かずに
乗っちまうか〜?とも
思ったが
もしも捕まるとめんどうだから
翌日
雨の警察へ借りたバイクで行くこと20分(無免許になるが)
バイクがないとこれなかった奇跡
そして事務所に免許を出すと
「あ〜何これ?字が読めないわ〜
英語のないですか?」
南洋のゆるい空気と
アロハシャツの太った,男女の警官?だから
なんとか大丈夫だろうな〜
と交渉するが
意外にも英語,英語の一点張り
フィジーなら絶対いけたが
ここは厳しい感じで引きかえす
改めて翌日チャレンジ
結局ipadで期限や免許の種類を自分で打ち込んだ画面を
宿のコピー機でコピーし
持参すると
あっさり笑顔で
パーフェクト!
嘘?
で
「25ドル払い 表へ行ってテスト受けて」
テスト?
建物の雨で濡れた路地に赤いパイロンが一列に10個
警官が一人採点表をもち
「はい」
?
「あなたのバイクは?」
バイクこれ
「では40kmでジグザグ
で回転して
白線でブレーキしてください」
?
もう一度言って
いきなりやるの?
「そうです」
まづい!
バイク乗ったのはもう30年前だ
こけたら終わりだ!
カーブで足を着きそうになりながら
濡れた路面をジグザグに40km以上で走る
本当に
こけるかと思った
停止線から
若い蛭子さんのような警官の目を見ると怒っている!
「危ないよ〜40km
以下ですよ!」
怒られた
ごめん!
英語わからなかった
なんだよ又か〜
もう一度
なんとか走り
停止線から見ると
今度はうなずき「パーフェクト!」と親指を立てている
?笑
いいのこれで?
「はい」
「これであなたはここラロトンガ島で
車もバイクも乗れます。」
という訳でバイクの免許は30分で終わり
晴れてドライバーに
そのおかげで
島中を巡り波を探すが
波がない
もしあっても1kmも沖で遠すぎるのと
サーファーが誰もいない!
1時間はしりほぼ島を1周し、なんとなくもときた道を戻ると
3台のレンタルバイクを海辺の林にみつけた
おや?こんなところにバイクが
もしや?
目を凝らすと遥か沖にサーファーがいた!
やったな〜
嬉しいな〜
いるじゃないか!〜
君たちを俺は探していた!
が
えらい遠い!
沖迄300~400m泳いだリーフのエッジがここ
今迄で一番おそろしく
早い波だった
沖に出る瞬間のドロップオフの濃紺の場で
ダウンカレントに引きずり込まれ
体が縦になる奇跡!
数日かよい
ポイントがあまりに浅く
満潮の前後30分しか入れない事を知る
たまたま満潮が昼間だったが
3週間の滞在で後半はもう夕方から19時で入れず
毎日雨の日も,バイクでウエットを着たまま
ここまで片道30~40分かけ通った思い出の地
天は偶然で助けてくれた訳です
本当にマンガのような話し
で
足が写った・・・
西ドイツで展示会ができるよう
ドイツの皆様に画策して頂きつつ
今年の展示は日本の僕の原点
代々木上原のファイヤーキングカフェのみ
7月中旬だったかな 5週間。
海外いかないのですか?
日本にいるんですか?
と
問われますが
海外はしばらくいいかなと
年に8回言った年もありましたが
辺境の宿が閉まったり、水が汚れたり
あきらかの地球はぶっ壊れています。
又大人になり、この数年は量より質で行くようになりました
とらわれがなくなったのかもしれませんね。
特に日本を旅するうちに,日本の良さも知り
波こそ八百神様に呼ばれ
良い何かが写るのでは?と
「よこしま」な気持ちはしっかり、おいて海へ行くようにしています
明治政府以来、ユダヤと連合国に戦争で案の定負かされ
頭で考え
頭で生きるように畜養された日本人
最近分厚くてなかなか進まなかった本
デービッドアイク氏の本(題名は忘れたので後ほど)地球人の98%はなんとか〜
心臓が電気を発生し
人間の意識や気をつかさどり
頭ではなく
心臓こそが
「つまりは胸の辺りで感じた事」大切な調和と正しい道へ導くと
たしかにそうだ
なんていうか
太陽が昇り
波が来たりなんだり
自然な気持ち
はっとするのは胸です
大波の中、非現実的な今に
胸が恐怖と次の事態に向け
キューットします
頭はなんにも感じません
そこの頭(思考)を入れると
逃げ間違えたり、負の方向へ考えがはまり
肉体に元気がなくなり
死にます
瞬時の判断
なんていいますが
あれは
胸です
あたまの判断はもしかしたら
記憶装置として経験を読み返すかもしれませんが
胸のざわつきや
胸のあたりで感じた事が真理です
波の中では全身や胸から幸せ感はきます
撮影は3の次あたりで、400mくらい沖まで泳いで波をかわすのに必死です
人間には見えない美しい波動や天然の地球に包まれ抱かれている感覚が
なによりも幸せで
小さな自分を恥ずかしくも思います。
だから写真は見ないで押します!
迷いなくパチリ!
迷いは頭です。
頭にいれると構図を作ってしまい
写真家が俗にいう「我が心の向こう側」という気持ち悪く
きな臭い、撮られた1枚になります
日曜日になると公明党の信者
キリストの品のいい婆様や
電波妨害のためアンテナを無料でつけます・・・
とか馬鹿な
営業が来る
みな上からの指示で
気持ち悪い人工笑顔と
テープレコーダーのような会話
決まって馬鹿か!
海でも行ってお天道様あびてきたら という
ま〜図々しい
心ない人々は頭でしゃべる
目ん玉は¥マークな訳だから
目は心の窓
とはよく言ったものです
日本人はどうなっちまったのか?
海へいったら嘘は駄目だとわかります。
僕は33年前の車に新品の触媒(最近のカリフォルニア規制の空気濾過装置)をつけ
全てばらして新品になおしましたが
「はっきり言って高い!」
でも
新しい車はエコなんて事はないので、いいんです。
作るのに相当な環境負荷と水銀など毒が生まれ
バイオマスというやつです、売りつけるための商品力が
昔のデザインや雰囲気とは代わり燃費?になり
(ユーザーも動けば良い、食えれば良い)感じが車の歴史を変貌させました。
安かろう悪かろうのファストフードと同じです
その辺の数字をいじりVWや三菱など各種メーカーは不正をした訳です
車がいくらエコな雰囲気でも
去年迄自分たちが最高の傑作として,プロパガンダで消費者に売りつけた
その排ガスが悪いと過去のディーゼル車や新基準に満たなくした車は
結局インドなどへ売られるだけで、排ガスやゴミは増えて行く始末
だから今インドは大気汚染!で大変です。
汚染物は地球のこっちからあっちに行くだけ
の放射能のゴミと同じです
自分の島や庭だけではないのですが
古い物があったら都合の悪い企業が
どんどんジャンクな物を作ります
畜養マグロが良い例です
ま〜文句も言いたくなる
流行にながされる我々
どうだっていい事です
最近流行の若冲さんが
ハヤリはまったくどうでもいい
1000年後に自分の絵が評価されれればいいと
言ったそうです
生まれて丁度300年以前は没後200年?だったか
色んなこじつけのおかげで拝見する事が出来ました
以前は展覧会も並ぶ事なんてなかったが
今じゃ休日は2時間平日も1時間と
若冲さんの嫌いなハヤリです
1800年に85 歳で亡くなり
216年だから割と早く我々はその道を
感じとった訳です
十数年前、京都にはじめて訪れ
たまたまはいった場が相国寺でした
調べるうちに若冲さんを知り
絵はもちろんですが、晩年は好きな伏見稲荷の山寺に住み
好きに描いた伏見の大胆で繊細な伏見人形図を
少しのお米と、極楽浄土を石仏で再現する石仏代と交換して
独身でいたそうです
仙人の域ですね。
そんな若冲さんの修行僧のような自由な祈りに生きた
彼の生き方に惹かれ
その後、別な人のすすめで自然霊を祀る
あの伏見稲荷の山へ参拝に行くようになりました。
実はきつねは眷属で(御使え)でじっさいは白鬚のじい様8(農耕の神様)がお稲荷さんと聞きました。
油揚げは正式には間違え。
で
あるお祈りの方に伏見稲荷の清め砂を頂き
で
ある日たまたま展示会で
知り合った
青山の骨董屋さんにその清め砂をさしあげると
オーナーさんが
掛けてあったピンクのきつね掛け軸の下に迷いなく置かれました
?
なんでそこに?
これ若冲の伏見稲荷のきつねの絵なんです。
ぞ〜っ〜
と
波の中と同じように
胸がざわつき
これは駄目だ!呼ばれてる!
身内でお祈りをして祀らないといけない!
と胸で感じ
買います!
と値段も聞かずに
恐ろしい事を口にだしてました。
懐ではなく胸で答えました。
もちろんそんなお金はないので
1年待って頂き
迎えに行きました
後日
若冲さんは禅僧でしたから
その静かな誰もいない筆塚の横の
お寺のお墓にきつねの写真を持参し行き
若冲さん!
本当に描きましたか?
とこっそり聞きました。
が
もちろん素人の僕には
なんにも聞こえず
独りで大笑い。
人生
全ては縁ありて
来たる
学校やプールで競い合わされた
一番や優秀なんて蚊帳の外
自分にとって一番でいいのです
一生懸命妥協せずに、やり遂げる事!
これからも胸の感じたまま
生きたいです。
城マニアではないので
城の事はしりませんが
ここも砦(城)があった
それも会議で最後はこの南のこの地で落ち合おうと
彼らの申し合わせ通り最後の地である
伊賀の北から、この南まで車で飛ばして30~40分かかるから
当時は信長の包囲網をかいくぐり
ここまでくるには大変な事だったろう
信長の殺戮とジェノサイドを真っ向から戦った伊賀の地侍(忍)
そんな彼ら彼女らが、伊賀全土から最後に目指した
南の赤目瀧のふもとにある,滝野城(柏原城)
書物には全滅とかかいてあるが
実際にはそうでない
数週間してもこの要害の地は落ちず
信長は留守の間、毛利や諸大名の動きに神経質になり
ふがいなき奴らよ といら立ち
最後は信長が和睦をしてきたという
その和睦には
この地の伊賀の頭 百地三太夫が服部半蔵に決別の書を送り
それを読んだ半蔵が、徳川家康に相談したところ
ある人物を介し天正伊賀の乱は幕を閉じたと言われている
その和睦を取り持ったのが
その城の城主、滝野十郎吉政
その末裔の一人がここに佇む津島神社の宮司
滝野紀継さん
塩と線香を焚き
昔のままの井戸や、掘り割りの城の中で
般若心経を唱え
法螺貝を3回吹いた
郷土とこの戦いで共に戦い散った家族や仲間を
愛し,無念のなかに消えた忍達
わずか400年前この空間で
起きた事実を受け止めるのは
僕のような素人にはきついが
伊賀に来たら必ず訪れる場である
彼らの義と正心があり
今の日本がある事実
今のおかしな日本を
彼らは憂いている
アメリカに50州目の領土に搾取され
カリフォルニアの砂の巻かれた人口ビーチ
ワイキキで寝そべる日本人が
真珠湾に手を合わせない現状と同じ事が
今起こっている
よくこんな事を聞かれる
今ままでで
一番奇麗な海はどこですか?
なんて答えてるだろ?
人里離れた南太平洋かな?
とおもいきや
冬の日本も素晴らしく美しい日が数日ある
でもとてつもなく寒い
寒いから分厚いウェットを着ると
海を感じない上
浮力が増し、沈みにくく波を逃げにくいから
こうした南の海の中とは感覚が違う
水中メガネ
足ヒレ
薄い短パンのようなウェット
と
防水カメラを片手で沖迄泳ぐ
最低限の道具でやりとりすると決めた海とは
感覚も怖さもまったく別次元だ
良いとか
悪いではなく
感覚的にぐっとこない
感覚をあそこまで研ぎすませられない
見えない水圧で海底に押され
肺の空気が出そうになる
轟音と青い暗黒の世界
なかなか見れない場に
見渡す限り地球人のいない、穢れない波の下
立ち会っている自分に独り酔う
いや
飛行機と船で
昨日迄生きた振りをしていた東京の自分
が嘘の様だ
これぞ
生きてるぜ!
ってことです。
ま〜
こんな事が
好きなんです
ここに戻りたいが、小さな宿がしまり
もし行くなら対岸の村に泊まるしかない
村に行くにはガソリンか食料を買いにくる,1時間はなれた海岸で
村人を見つけ
その船に乗るしかない秘境
当たり前に行けると思っているとこうなる。
ないがしろにしていた
可能性0ではないが
相当レベルの高い旅を期待しなくてはならない
でも泳ぎ始めた15年前
この恐ろしい波のおかげで今がある
独り波間で常に生死の境目を行き来していた
行っても大丈夫?そうな所から
行かない方がいいと感じた所まで
こんなにも命が簡単に終わる
場にいた事がなかった
お祈りもする
体操もする
食べ物も気をつける
怪我をしないように
溺れないよう工夫した
旅だから
行ってみるしかないな
この写真は展示会には出ない1枚
こうして息を止めて潜っては
空を見つめながら
崩れる瞬間を受け止めて待つ瞬間
この数秒後
巨大な波が爆発し
一面が闇となる
自然がまだ強い場所
昔のままの天然の海が様々な生物とある場所
地球は今
どんどん破壊され
埋め立てられている
放射能の水や
汚水が海にそのまま垂れ流されている
いつかこの波も
この海も濁ってしまい
この村にビルが建つ日が来てしまうのか?
本来の地球の姿こそ
絶滅してしまうのだろうか?
太陽に向かい
一年に一度咲いては散り
土に還る
その場にひたすら根ざして生きる植物
下関に住んでいた父方のじい様は92歳で亡くなるが
植物園で50年以上働き
階段を80段上る
九州と壇ノ浦を望む山の一軒家に住み
植物の絵を描いていた
住まいにお金を払った事がなく
だれかしらが
それなりの味わい深い古民家を無料で貸してくれていたそうだ
そのばあさんは料理の先生で
魚をさばき,穴子の頭や骨を焼いて煮て煮詰めをつくり
そのそばで包丁さばきをみるのが楽しみだった
トイレも汲取りの五右衛門風呂の家
自由な地球にそった暮らしをしていた彼ら
幸せそうに好きな事を
好きな趣味を散る間際までやっていた
それに比べ都会はどうだ?
余計な物を買う為に売られ
住む家のローンを数十年抱え
返済の為に働く
生きる為ではないんじゃないか?
好きな時間がどれだけあるのか?
体裁は食べるために働くと言うが
本当にうまいものは、あの海辺の田舎では
海でも山でも、いたる所にあった。
都会は動物も魚類も絶滅したから
どっかで養殖した動物かどっかから運ばれた
魚を買う訳だ
たまに電車にのると皆さん仕事をしているのだろうが
よくもこんなにも仕事があるのか?不思議でならない
人口が増えすぎた都会では
狭い土地にブ積み木のように縦に暮らすハメに
土なんて公園しかない
木だって街路樹か植木鉢
どうかしちまった都会の隙間を流れる俺
変な苦労をしないように
うつしよを生きないといけないな
と
思いました。
余計な物を捨てて
海山へ!
夕方あてもないまま、伊賀から甲賀へ
今から約7年前
波を泳ぎながらも
ここで甲賀の忍と
摩利支天のお力をお借りしたく祈りにきていた
7度目で初めて宮司さんに御逢い出来た
実は昨年の夏の個展の際にフラダンサーの友人の友人のご親戚だと判明!
そのフラダンサーとはその同じ代々木上原のファーヤーキングの個展で逢ったのだが
実は僕の小学校の同級生の弟のお嫁さんな奇跡
随分寄り道をしながらたどり着いたご縁。
で
母方山本の先祖が近江〜水口の出目である
水口久兵衛の息子文久3年生まれの水口末次郎(ひいひいじい様)木挽き が
滋賀県近江八幡の山本武兵衛に養子に来てくれ
山本の血を次いだそうだ
その妻津弥(つね)の父は辻忠兵衛といい
そのまた父は辻伝兵衛というらしい
がわかるのはそこまで
当然その前にもご先祖がいて今がある
今から250~300年前の話だろうか
山の麓で山本だろう
名前なんかもいい加減なものだ
庄屋さんやお武家なら過去帳があるが
我々のような庶民はもう見えない世界
しかし江戸時代生まれの婆様の写真がある
まさかピラミッドからたまにでる「オーパーツ」(その時代的にあってはおかしい近代的な物)
ではないだろう
だってカメラが江戸時代にはないはずだから
ま〜
こんな笑顔で全てがうれしくなる
5月初旬に、この油日神社で続く奇祭があるそうです。
伊賀の山にも1年に1度だけ
櫻が咲くこのしだれ桜は今年で350回を越えたようだ
伊賀の赤目48瀧を護る
赤目不動を祀る古刹で
現在の住職で34代目という
巨大なクスの御神木のうっそうとした敷地には
熊野から分けられた津島神社と
藤堂藩と阿弥陀観音を祀る社がある
伝承と言い伝えが1300年も伝わってきたこの延寿院
不動明王と赤目の牛が現れてから
この1300年間の幾億人の祈りが染み込んだこの地
人の命は儚いもので
光陰矢の如し
この数年松本篤明住職が櫻に感謝を捧げる法要の祈りの儀礼を
この地の津島神社の滝野宮司、三重修験道会の松林さんの3人を主に
神仏習合の時代を改めて再現している
神様やこの土地も櫻も
昔の普通の状態を待ち望んでいるに違いない
ちなみに手水の櫻は敷地内の別な櫻です