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先週久しぶりにスキーで調子にのり
急斜面を攻めるも
板が外れ
息が詰まる程
胸から肩を強打し大笑い

腕があがらず,寝返りも打てず
健康のありがたさを知る

全身を回転させ
あらゆる水の方向へ
力を逃がしながら
水を掴みながら
水中を泳ぐなど

しばらく無理です

とあらためて
知りました

そして今日はスキーパトロール
日赤雪上安全の更新講習

偶然3年前に山で御逢いした方がいて驚いた
講師の先生も3年前お世話になったお方

過去があり
未来あり

未来あり
過去があり

今はもう過去
のだが

未来がなけりゃ怪我もなおらず
波も来ず

光と影の狭間を
行き来する我々

そのどちらも知ること

そのどちらかが
かけたら月は見えない訳だから

影が消えたら
全ては無である

絶滅危惧種 日本人

日本は神様ご眷属の国ですね

とある方がおっしゃっていた

その時は何の事やら
わからずにいたが

まだまだ
人間に汚染されていない場は
神域のようなある特殊な感覚を
水中でも感じる

伊勢神宮の
内宮のさらに奥に入った時の
あのピリピリした独特な領域の知り得ない感覚に似ている

その何かこそ
日本人が古来より自然に
説明もなくとも
信じ護り続けてきた祈りに
通じて行くのだろう

道は様々
人生も幾重にも広がる
ひっくり返した墨壺

見えない
みえなくていい
その何かや領域に
心を傾けて来た日本人が絶滅しませんように

胸の心


自然から不自然に
戻ると

こんな景色に
包まれた世界
を知らないままでいた自分を
小さくおもう

おもうから行動
おもうのは胸
おもうのは頭でないから

胸のおもうように
生きる!

びっくりした!

数日間新潟の雪山にいた

日々びっくり!する為に人は生き笑う

偶然数年前
ニューギニアの海であった友と山で出会う!

思えば70年代
祖父の運転する屋根にも荷物を積んだ
グロリアワゴンで野沢温泉へスキーへ行き
熱い温泉の湯気とあの斜面にへばりつき
温泉の白煙に包まれた
野沢温泉の古びた
雰囲気がたまらなく好きだった

蒸したての饅頭と
鳩車や野沢菜を始め漬け物や胡桃など
まだまだ輸入品に汚染されていない
郷土と風土の時間や技を
感じる土産物屋さん

今思えば暮れから正月頃
道の渋滞など知る由もない4歳頃から
竹のストックと、木の板、皮のブーツで
スキーを教えてもらった
のが始まり

あのスピード感と
斜面の怖さや
その場所に挑戦するわくわく感
は波に通じる

案の定小学生になると
その野沢の林の滑走禁止を滑りコースにでると
絶妙な位置に大きな穴があり
その穴に板先が刺さり
足がポキリ
を2回

極めつけは
群馬の万座で直滑降でバランスを崩しながら
白樺の林にまともに激突!

このときは死んだか?と
思うほど時間が長く感じながら
飛ばされた

太もも
すね
くるぶしなど
3カ所をバラバラに折る

その時も助けていただいたのは
スキーパトロールの方々
と折れてないかもしれないから
頑張れよ!と励ましてくれた
救急車の隊員の方

でもやはり
あの誘惑に負けた

いやかけた

びっくり!する程
年甲斐も無く急斜面を攻めると
前のめりに両板が外れ
あぶない転び方で
右胸あたりから
びっくりするほど
息がつまり強打!し
おお笑い

今だ腕は上がらず
マニュアル車を左手でギアチェンジ!

折れてないようだが
打撲と筋肉の挫傷
のようだ

これは攻めた怪我だから良い怪我

あ〜この程度で良かった

山に祝詞を唱えていたおかげかな?

そして今日3年前に偶然にも両足を折った群馬の山で
(ここにくる為に30年前折ったのか?不思議だ)
4日間朝から晩まで講習し所得した
日赤の雪上安全法(スキーパトロール)の継続講習を忘れ!
危うく新たに取り直す事態に、なりかけたが
偶然にも日赤の方の御計らいで明後日講習可能に。

もっとも仕事に出来ていないが
あの当時助けて頂いた方々を憶い
いつか恩返しが出来たらと思います

ほどほどに
年を考える?か

年を考え
ほどほどにするか?

・・・・・
どっちも出来ないな

波だって思い切り
フルコンタクトでいかないと
死にますので

やはり
ほどほどな心持ちを忘れずに
強烈な心で大胆に行く!?

右腕が全然廻らないず
クロール禁止です
しばらく海は禁止です

普段の寝返りも起きる事も
ままならず
びっくりする程
健康のありがたさを知る

驚きと未知の旅で己を磨く訳ですね

カゴの鳥ではないからね

センター試験ってなんだ?

学校や塾に通わされてる子供達へ

真冬の大寒波の
つなみの下で
独りお祈りをして
泳ぐ変なおじさんがいるように

あんまり学校や塾で
イスに座りこみ
順位や良い学校に入る為の
記憶力大会は
ほどほどにして
外で遊び自然へいきましょう

良い学校や
良い会社に入る事が
人生で大切な事ではないから
水槽の魚やかごの鳥は
楽しいでしょうか?
自由でしょうか?

家族とはなれ
一生広い海や自由な空に戻れないのは
どうでしょう?

これから未来へ
間違いなく勇気と約束と義理を守り
心や自分の力をよく理解し
地球や周りの人の迷惑にならずに
挨拶さえ出来れば
大丈夫です

おじさんは宗教も大学も会社にも入っていないけど
冬の海で死にそうになりながらも、こうしてなんとか生きてます

1枚の写真は人間界を越えたその証明です

絵でも写真でも歌でも
自分を証明できる何か1つを見つけてください

そんな事を憶いました

見た事の無い世界を30分間に
何十回もみれる事など
なかなかないですね

日本人絶滅危惧種

北大路魯山人 白崎秀雄 著 文芸春秋 昭和46年発行

を今は亡き陶芸家でジャーナリストの父を持つ
アメリカのビンテージカーを輸入販売されていた友人で先輩
本人 安江武士古より頂いたのは今から3年前

お父さんから古武士のように生きろ!と命名されたと聞いた

美しい魯山人の描いた文様のケースと
オレンジがかった丁寧な装丁と独特な字体

それは不信というタイトルから始まる

当時の魯山人が経営し,素材のままの味と
器まで一体となった名物はグルメや知識人から絶大な
評価を受けたが
最後は、骨董品収集やその言動で自身が追い出された
赤坂の星岡茶寮「ほしがおかさりょう」

素人であれだけの作品や派手な影響力と
結婚7回を含めた
そんないで立ちで
多くの正統な修行を通過してきた同業者、業界人らから
賛否揶揄されていた時代

料理は器から自分でその料理や自然感にあわせたもの
出なくては、駄目だと行き着く迄の時間を
魯山人亡き後に,魯山人の作品や当時関わりのあった膨大な人々の
インタビューへ流れる美しい文章

ピカソや日本画家 河合玉堂をはじめ
他に対して甚だしい誇大妄想的な言動の多く

はじめは瀬戸や加賀から焼き物職人を連れて来て
他人がこね焼いたそれらに絵付けをし
自分の作品だと言う詐欺まがい

しかし魯山人没後(たにしがもとで病気とも)
白崎さんは
ある場所で出された
伊賀シノギ皿に驚嘆する

「私はある料亭で鮎の塩焼きを出され、笹の葉を敷いてそれをもった四方の皿との配合の良さに
思わず箸を置いてしまった。

黄釉の陶板の四方をうねらせ,変化を付け、横へ数条の溝を抉り(えぐり)
そこにガラス化した緑色の釉が、せせらぎの岸辺の水のようにたたえらえている
その上に横たわっている鮎はいのちあるものの様に鮮やかだった

いや,それは単なる料理を盛る器物を越え、明らかに鮎料理そのものの,味覚の1部を形成していた。」

中略

洗わせて手にとる

その皿には、要するに圭角があり(丸いのだけど角がある意味)
角が立っていた。思えば魯山人の藝術は、その基本となす書や扁額にしても
いわゆる和風を尚んで日本的な柔らかみをたたえているものでも、ただ柔かいと
言うだけではなかった。常にどこか鋭く屹立(きつりつ 険しくたつ)する圭角をひそませていた

魯山人が生前
昭和8年刊行 魯山人作陶百影解説の序に

なぜ作陶を志したか という一文に行き当たった
魯山人はここで魯山人は今まで上絵だけつけて魯山人作の銘をつけて来たのは
「一種の詐欺行為であった」と記し

つづけて「制作の全てに当たらねばならぬ」と覚悟し
「そこで手元に窯を築き,轆轤場(ろくろ場)を設けるにいたったのだ」と述べていたのである

すると魯山人は鎌倉に築窯してからは
全ての作業にあたったというのであろうか?

魯山人はそうとは書いていなかった
読者にそうとしか思われぬように書いて
実はそうではなかったとすれば、この表現の狡猾(こうかつ=ずる賢い)
さはきわまっている

その心事は,又頗る(すこぶる)わたしの興味をそそるものだった〜

奥深いな
北鎌倉の円覚寺のすんでいた,変わり者のひいじいさんも
魯山人とあったのか?聞いたら

現在86歳の息子は知らない 

にべもなく
かけいのある 庭を見て

そうだ
むかし横須賀の議員秘書だった若かい小泉首相とは
横須賀線車内で酒飲んで仲良くなり
友達だったな〜 

それは知ってるが
なんだ魯山人とは関係ないのか・・・・

しばらく
して
おまえさん
そこに魯山人の皿がちょっとあるから見てみろ〜

何だ!あるじゃないか!

ちょっと
関係をかすった話し

やはり確信しました
写真もその場で
覚悟を決め
大胆に見ないで押す!

頭で考えぬいた気持ち悪い構図や
写真家の気持ち悪い念や想いは
策者である

Photoshopで合成加工し
いじり倒した
こずるい写真
の蔓延した
写真機が出来100年の今

写真でなくグラフィック作品と呼んでくれ

撮れてないの
撮れた風

弁当の鮭はにじますなのに鮭と書き
いわゆる天然風ブリや
大分産ブリ
すしざんまいの本マグロ(天然とは書いてない)

と同様に
狡猾である

そんな狡猾な日本人が増えた事に
侍や忍者はあきれています
日本人は絶滅したのか?
何処いった?

考えず行動

つべこべ言わず

感がえて
勘えて
やってみること

四角い学校や塾の競い合いや記憶力順位の意味の無い
事を知り,子供達は自身を取り戻すように!

大人が自分が自分を
養殖マグロにしてしまう世相に
上野動物園の動物は幸せか?を

よく知る
影と光

を生き抜くこと

1枚の写真は人間界を越えたその証明です

そんな事を憶いました

三途の川

大きな青いタヒチ周辺の横町の波もシビレルが
日本の波は本当に手加減なく冷たい
寒がりの僕はせいぜい30分だろう

目眩いや目のピントズレ
手のしびれ
へんな呂律「ろれつ」
意識が軽く鈍るなど

無理をすれば低体温症ハイポサーミアになり
渡し場で並んで呂律がまわらないまま、三途の川の婆様に六文銭
はかっこわるいし、並ぶのが嫌だから
俺は泳いでやる

「真田幸村はいつ死して悔いなしと
六文銭を肩身離さず、のぼりも六文銭なのは
西に東にたなびいて、生き残った藤堂高虎に比べ
男的にぐっと来ると」

伊賀の忍の寺の住職が言っていた

たしかに

成仏の差はなんだろうか?
生きる差
死への差
北斎が死の間際
後5年神が命を持たせてくれたのなら
もっと良い絵が描けるのに 
と魂はしっかりピンピンしても
入れ物の体が参ってしまうのは
儚い浮き世で今がある訳だが

好きな事をし
好きな場で
死ねれば
もののふの矜持という訳で

自殺はいけません。

そんな場です
ここ

流れ

きたきた大きなうねりが沖から来た!

タイミングをはかり
水中に鳥の鵜のように潜りながら
体をひねり込み
ファインダーはみないで
人差し指で押せるように改良した
水中カメラのボタンを押す!

瞬時に体を動かさないと
いけないので
ファインダーをいやらしく覗き
頭で考えてたら動きも遅れ

さっき迄の穏やかな時間が一転二転する

一度海にはいれば
露出などの設定はしないので

感と経験を
少し先の未来の波と符号させる

のだが
設定を間違える

実のところ
この日もダイヤルを何故か?
今迄試した事の無い設定に間違えたが

これがいい具合に撮れたから不思議

間違いさせられた
のだ

贅沢

翌日も日本海側の大寒波の到来のせいか
太平洋には山のごとく動かない積乱雲

夜明けの見た目で4cm水平線の上に雲があり,実際は 400~500mか?

雲のない日の
あの独特な海面をなめるように届く赤いレイライン
は無理だろうが

これも自然ですので
楽しみに
冷たい海岸で座禅した

人間のいない、人間界の音もない
太古の地球だけのこんな光景のなか
いられるだけで幸せなのに

さらに欲深く
波の裏側から見てみようなど

贅沢な話です

やはり旅は
流れである

その不可思議で
予想だにしない扉が

今までの
自分を瞬時に変身させる

あの日ハンドルを反転し
また戻らなければ

知らないままの
景色を
知らないまま
でいた

その方が怖い

なんでもやってみる

頭で決めず

感覚で選ぶこと

人生は
いい学校や
いい会社に
入る事ではない

計算も嘘もない
強い地球の美しさに身をおき

心が揺さぶられる中で

大切な人間の人倫と地球との
距離や常識を
身をもち
心をもち
知れば

生涯忘れません

人生は競う事ではなく
自分で育むものだから

なにも心配ない。

明日の夜明け
頑張ります

無題

みた事も無い色彩と
みたこともない形は
数十億年も繰り返された
日々の出来事だが
魚達も2500分の1のスピードで見えないので
カメラのおかげでこんな風景が止められる

人の目にも触れる事がない時間

人の手にはけっして届かない時間

だからその事を知る人々は

そうした時間と地球と生き物達に敬意を尽くす

地球にその答えはある

答えは一つでもなく

自由だ

30分で太陽の位置も高くなり始めたので岸へ戻るが
何より体が冷たさで限界だった


光陰のごとく
2度と戻らない
時間のようだが

光の余韻
一枚に止めた光から寄せる波

忍やもののふの斬り合いのような
間合いに
死と生が同時にあると知る

たしかに
人間界では
過去は過ぎた事に
しがちだが

常に過去
常に未来
の狭間


納得し
覚悟し
よく生きる事

距離と時間

やはり
戻らなければ
知らない時間

いつも言うが

1つの物のように
例える波など
そもそも無い

うねりと呼ぶ目には見えない波動による
水素の離れてはくっつく連鎖であり
沖の水など一滴も来ちゃいない

1200秒の1秒の1600/1の瞬間は
人間の目には見えない
高速パラパラ漫画だから

美しいに尽きる

作品に題名なんか後づけ
したら
失礼しました

と感じます

これが
ありのままの地球と人の距離感です

寒波

暗い朝に身体をつくり
祝詞を捧げた

遥か彼方の
太陽が昇る位置には
厚い水蒸気 雲があるが

夜明け前の
オゾンの満ちた
冷たくしまった空間と水間に
踊りでた

寒波という名の通り
水中こそ本物の寒波
危ない冷たさに

沖から寄せる
鳴り止まないうねり

やがて太陽が
波の隙間を射抜く

1200秒の僅かな時
原始的な地球から幾ばくかの
野生を頂いた

月明かりに呼ばれ

雪だったら改めてるか?

伊豆稲取の浜の湯さんに仕事に
行くか行かぬか
迷いながらも
車を走らせた

ロビーに着くと
なんと山梨の標高1000mの七面山
で7年も修行され、現在は身延のご実家武井坊という
宿坊の僧小松さんが!

聞けば予約を今日に変えて
来たという不思議

翌日仕事を終え
東京へ1時間半走るが

急にハンドルを反転させ
もといた場所から雪の
ちらつくさらに南の海へ
向かった

理屈抜きに
なんだかそうした方が
いい気がした

月明かりの中
思いのほか波みある
宿もこの天気でら偶然空きがあると

流れに乗ってみる

ピンボケ2

当時の僕には
まだまだデカ過ぎる波
最初の波が一番でかく
必ず決まったローカルのオヤジが
滑り落ちるから
タイミングを合わせ
片手で精一杯クロール!


帰国し現像所へ楽しみにいくと
ピンボケ!

15年前は36枚フィルムで精魂込め
精魂込め泳ぐも

水影でこんな事の繰り返し


今があるのです

思い出のピンボケ

ピンボケ


2002年の冬のマウイ島の最西端の
ホノルア

あの頃も旅は航空券だけで行き
朝から宿さがし

すると空港に宿の案内紙があり行くと
偶然広島の日系人の方の
いいコンドミニアムを海の近くに
見つけた

波はあるのだろうか?

地図を助手席に開き
毎日片道1時間かけ
かよった思い出の地

赤土とサボテンの
美しい海と優しげな
昔のハワイのままの雰囲気に

沖からせり立つ
物凄いレギュラー「右に崩れる波」
の中、頑張り

現像すると
全てピンボケ!

笑う
しかない

ニコンへ行き
ピントが
きません!

と聞くと

波をとる様に
作ってありません

バッサリ
大人な返事に

キャノンに買い替えた。

懐かしいピンボケ

毎秒 心が遠ざかる

日本の波の裏より

とにかく冷たい冬の波
暖かな南の波と
温度差で音の伝わり方は変わるのなら
水素の形も、水素原子の手の繋ぎ方も
幾分違うのだろうか?

透明で大きな波という条件が
そろいにくい日本の波は
正直1枚に表すのが相当難しい

技術以上の
昔の人々が自然行為である
何か地球を読むような感覚
が必要とされている

もっとも
透明な無い物(波)を撮るのに
なぜ?
黒い影が存在しているのか?
答えの無い不毛な思考は捨てる

ファインダーは一切見ないが両目では見て押す
もっとも肉眼では早くて見えないが
常に見たことも無い地球の凄さを思い知る

水中を泳ぎながら
波をかわしながら押す
1秒の500分の1という
時間で止めた1枚は
日々見えるもの、見えないものを感じる

似ているな〜と思うのが

観を1とし
見は2の次
とせよと伝える
宮本武蔵であるが

心の奥深い鍛錬と根気
大胆で鋭利な思いつきの
すれ違う瞬間

肉眼では見えない時間がある
のは古武術であり人生と同じようだ

目で見ているものは正しくもなく
色も形もなに一つ見えていない

頭の隅々をつつくような
頭で考える事の無意味さ

何でもインターネットで知ってると
思う風潮の今
体験にまさるものはない

ちまたの幸福感やら
なんやら、自己啓発やら

そんなものは
地球に行けばすぐにわかる訳です

都会のおかしな箱庭の世界やおかしな便利と
過剰に企画され制作された情報で

地球との間合い
を毎秒遠ざけられ、心が忘れられていく

心の感覚をおざなりにして
生きちゃいないか?

人間以外の生き物は、生身のまま
何億年もこの地球や珊瑚と木々と
お互いを痛める事も、破壊する事も無く
絶妙なバランスで生きている

それにくらべ
人間達はどうだ

地球に巧妙な嘘を並べ
自らを欺瞞させ
地球の親分のように振る舞う日々

日々の厳しい地球から逃げる建物や
暮らしで今がある事実

ま〜それはいい

都会の家は隣の家とぎゅぎゅうで
防音性のいい、パチリで電気がつき
いつでも空調の利いた部屋にいれば
朝日も夕陽も見ないまま夜になり
地球にいながら地球と生きていないことになる

もう昔には戻れない

誰もが今では人間が地球の害獣になり
そのバランスを乱していると
気づく事くらいは出来るはずだ


波の裏から戻り
感じました

新聞は原発予定地の山口県の上関や
沖縄の辺野古と同等
美しい海を今更破壊しアメリカの基地に
揺れる島の実情が東京新聞に

現実をよくみる事
足下をよくみる事

そして地球をよくみて、かんじること

すると自然に地球に間違った行いは
できないはずだから
それは人間同士も同じです

事実と嘘

事実はこうだ
先住民マオリをつい害し乗っ取り
名前をまで変えたイギリス人の島
ニュージーランドを経由し

キューイの原産は中国の揚子江だが
飛べない鳥に似ていたので
その鳥にキュ?イと名付け
果物キューイを養殖し
いつの間にかキューイはニュージーランド産
鳥もある日から君はキューイ

スズメも鳩も同じく迷惑な話であるが

はたまた山を食べ尽くす羊とて
元々いない害獣で

いつの間にかニュージーランドの名物に

事実はこうだ

そんな島に一泊し翌朝タヒチの横の
クック諸島のラロトンガ島へ

そもそグーグルアースの宇宙からの写真で
波があるかな?
の旅

誰も泳いでないポリネシアの波を泳ぎたかった

事実
この波は偶然見つけた波で島ではここにしか
波はなかった

レンタルバイクで1時間で島を一周し
波は無いか〜と最後に近くの海一望のホテルランチをとり
来た道をなんとなくユータンすると

車線が逆になったせいもあり
さっきまで気づかなかった林の奥に
3台の同じレンタルバイクが

もしや!
と思い林の遥か先に
ごま粒のようなサーファーが

嬉しかった!


遠いな〜 と笑った

毎日通うがうちに
満潮のときしか

浅すぎて危険な為
満潮の1時間しか入れない事を
波に叩かれ、流され,ウニに刺されて知る

毎日30分ずつ満潮がかわり
偶然昼間に満潮の時に来たようだ

偶然の偶然をなんと呼ぶのか?
そんな不思議でたまらず
海で独り含み笑いをする日々

独りでこんな沖で
雨が振り
心が潰れそうになった
ここまで30分泳ぎ
40分しかいられなかった

久々に
戻れない可能性の高い場だと
身も心も納得せざる得なかった

そんな嘘も手加減も待ったも無い
昔のままの地球の場だからこそ
張りつめた空気と水中の固い波
おそらく今迄で世界で知りうる
一番早くて固い波だった

人に穢されずに残る美しい聖域
ここも何か大きく
古い海の神様の住まう場のひとつ

このギリギリ感こそ
幸せで生きた心地がする訳だ

この感覚が今の
ぬくぬく生きる我々日本人には必要で

日本人なら特に必ず感じます

足下から珊瑚でつながるあの島
この水をはじめ
自然に頭がさがる憶いに

命がかかること
命の大切さとは
その内容かもしれない

たとえ死んでも
悔いの無い今を笑うように

いにしえのサラーリーマン侍ではない
侍や忍の人々の死生観と宗教観
を垣間みた

事実はやはり
なんだか
また行きたくなった

全ては客観的な事実

写真もパソコンで都合良くいじる写真は
写真ではなく,グラフィック

地球に対して
なるべく
ドキュメンタリーでなくてはいけません

よくぞ

あの白波を毎朝、毎日観察している
行ってみないとわからないから
とにかく行く
雨だろうが嵐だろうが
波が無い時以外は状況は選ばない

なぜなら選ぶのはずるいから

酸素ボンベなどずるい人間の都合の道具は捨て
足ヒレと水中メガネだけで行く

独りで持てるだけの荷物と機材で
裸同然で行く

サメの種類を暗記し
来たら目力で追い返し
それでも来たら鼻先を叩く練習をし

行くぞ!
と決めたから

とはいっても明らかに危ないときは
着いて5分でもすぐに戻る

全神経と7感10感を使い
気配を感じ取り
野生に戻る

人間を捨てる訳です

村人の小舟がでないときは
あそこまで
片手と両足で泳いで30分
浅いラグ?ンから 急に深くなり
また浅くなる場は
まさに命がけの決戦場
この世との決別であり
あの世への入り口

あそこまで行き
フィルムが入ってなかった事件1回
フィルムが巻けてない事件2回

それはがっくりするが
焦った自分が悪いのだから
30分泳いで戻り
また30分泳ぐ

たまに気の狂ったサーファーがいる
と心が安心だが
この波は海がへこむ程、海面がせり上がる
あっという間にロール波となり6m程の落差になる
その真下がこれ
巻き上げられ,浅い海底に叩き付けられ
背中にその何十トンもの波を食らったら
死ぬ

紙一重に
本物がある
古い武術ににている

何億年もの古い時間が作り上げ
この島の自然環境や風や村人の足跡により
出来た傑作

人がた安く壊し
た安く行っては行けない場
村人も今迄ここでは泳ぎもしない

今思えば伊勢神宮の内宮のさらに中のような
妙なしまった空気が圧倒的に存在し
言葉には表せない
その必要もない妙な次元

始めの1週間は怖すぎて
なかなかブレイクする奥へ
泳ぎ寄れず

ぬきあし
さしあしで

ようやく今では受け入れられた気がする

それでも正直
早く帰りたくなる
戻ると決めた瞬間に
一気に怖くなりつつも
ホッとする

どうみたって
遊泳禁止
である

ライフガードも誰もいない海で
1対1
いや1対何十億の古戦場

とにかく喉がかわき
鼓動が早くなり
胸にその濃縮された恐怖が電気となり集まる

パニックにならないよう
肉体的には誰もがパニックから
逃げもどるすべ

それを験力というなら
その技をここで習得したかった

魔法の1つでも覚えたかった

泳力のあの世

本当に独りでこの世界を
この場で見た人間が
今迄いなかった奇跡と
不思議

幸せだった

くどいくらい怖さは何処にも隠せない

人間にはこうした地球の強さを
生身で知る必要がある
ひげのじじいも誰も助けちゃくれない

波が来たら退くはない
波が来たら
とにか沖へ向かい
常に波に対して垂直?直角?
に意気よいよく向かい
ギリギリで見切り潜って水中で体をひねり泳ぐ

大声で気合いもいれる!

何発も待った無しで迫り崩れる暗黒の波に
もみくちゃにまかれた時ほど、怖く苦しい時は無い

何も出来ません

それが試合ではない
果たし合いの境地

よくぞ行き
よくぞ戻れました

という訳です

フィジー

この島は日本からだと2日かかる
南半球の下フィジーのさらに南の小島
フィジーで一泊
翌朝田舎の海辺まで
トンボのような飛行機で1時間
さらに小舟で1時間

500人の村人と
間違いなく穢してはいけない空気の漂う
神社の向こう側のような海がある

山には妖精が住むと語られ
人々は自給自足でくらし
その凄みを増す

日本人が学ばなくてはいけない
時間がここだけにある

とはいえ
月や海や山を崇めて来た地球にそった宗教観から
約100年前の宣教師により輸入され
流布されたキリスト教によりその時間は破壊されたが
こうして日曜になると,家からわずか数十?メートルの教会に
とびきりのおしゃれで行く、漁師のおかあに
ミキーも行こう、服貸してあげるから

家で飯食ってけ〜と誘ってくれる家族達

それが自然崇拝を排他し
おひげが一番!で絶対無二!の大先生!と言っても
あんまりそのあたりは流石フィジーで伝わりきれてない
彼らそのものは純粋行為なんだな〜と知る

そんな島の対岸にあった僅か8つのサーファーの宿がしまり
はや5年

そこに行くには船しか無く
携帯も無いかれら

そんな村人が数週間に一度船と数年前に共同購入した発電機のガソリンを買いにくる
だから家には,昼間の数時間しか冷えない冷蔵庫も最近ある

だからこの島へは
1時間はなれたその田舎の海岸で待つしかない

つけば
もちろんテント生活だ

ま〜今年はやはり行きたいな

向こうからは逢いに来れないから

正直、紙一重でいつでも死ぬなと感じる海と
はやく岸に戻りたいと思うような波があったからこそ

今のとにかく藁をもつかまりたい,ひもでも良いからお願いします!という意味で
祝詞をはじめ様々なお祈りや真言を唱えるスタイルを作り上げた訳で

カリフォルニアの海ではこうならなかったろう

人生を上下、左右する場に立ち会って
人生が枝葉のように開けて行く

行くしかないな

おもうがまま

文久3年1864年

今から154年前に三代豊国が(国貞)
79歳の時に描いた
ジジイが岩からバカーン!
と現る浮世絵は今の印刷物、写真集の基礎を元祖

数々の不可思議な変身を描いた中の1枚
奇術比べ蒙雲国師

緑の岩にはラメがはいり
ヒゲや米粒のおうとつまで
再現した
徳川の封建的な武家社会と
抑圧からの逸脱が浮世絵の背景にある

惜しみない自由と
惜しみない技術
惜しみない修行

惜しみない命

いくつになっても

遊んで生きろ!

自由に笑え!

一枚が154年後も
語りかける事実を
彼らは知る由もなかった

僕も海の裏側で
数百年後の人々に
伝わる

そんな一枚にかけていたい。

なんて

本年もありがとうございました。

独り旅は雪国より

飼われ犬

人間はレールの上を歩く生き物でないが
気づけば同じレールの日々

日々の作っては壊し
物を捨てながら
札束をかせぎ

結局はその札を捨てている
お金はゴミ箱に入れないが
代わりの物は簡単にポイ
出来る不思議

やっかいな札束がたくさんいらず
ゴミをすてなければ
適度な仕事でいいはずで

ペット?と呼ぶ犬に服を着せる必要もありません

地球のルールにそいながら生きていた時間を遠ざけ
実は厳しい地球を遠ざけながら生きてきた今
そりゃ
誰もが地球の事象を感知できなくなる
大切なのは
大切な物ではなく
大切な場であり
大切な時間だと知る

木をわざと植えた
公園なる不思議な場所では
気づけない距離

重力や感触を感じて生きている
それを現世(うつしよ)と呼ぶらしい

水中でもその密度と呼ぶ
水のクッションとスピードや水量に比例した
重さや固さがある

石以上に柔らかい水も
その量と高さにより
固くなり
まともに受けたら死ぬ訳で

それをまともに受けながら
力と重さをまったく受けないですり抜ける技が
出来たら
これが写せる場にいれる不思議

プールの泳力やスピード競争のあの世

揺るがない心がここでは何よりも大事な現世

沖縄の辺野古の何億年もかけて育った珊瑚礁と魚達が
生き埋めにされようとしている

物は作れても
地球を人間は作れない事ぐらい
わかってるくせに

知らない振りをし
生きた振りの政治家の悲しいこと
恥ずかしいこと

アメリカのプードルか!

修験


2002年の冬のマウイ島の聖地
ホノルアベイ

フィルムをつめ
目の前の山から
サボテンがまばらに生えた
赤土と岩の崖をジグザグに降りて

泳ぎだす

目の前の崖下には
洞窟があり
飲み込まれないように
なんて言われたが

こっちはそれどこではない
常に飲み込まれている

そんな中
いつも巨大はうねりのセットに
乗るこの散切り頭のおじさん

笑顔ですれ違い
逆の波の上から撮ってみた1枚

後に
彼がここのローカルで王族の血をひく
方だと知る

泊まっていたホオーキパの宿から
車を飛ばして1時間
5時間も泳ぐ日もある程

特上で
上級な波が
打ち寄せる

不思議と心地よい
幸せに満ちた場だった

ラジオも
インターネットもない時代
地球の流れに身を置いて
感覚と感で
生きていた時代

彼らが体の感覚と
強い精神で滑空する
2度と同じ波が無いように

この一体感こそ
修験である

やっぱり!


人生日々何が起こるやら
その日々を体験し今があり

こうしてグダグダ書いた瞬間にもう過去であるから
次の行で俺は成長してるのでしょうか?

2001年頃のハワイのパイプライン
様々な人生の憶いや想いの
あれこれを背負い

男はパイプラインだな!

独り無理矢理背中を押したあの日

初めて泳いだパイプラインで
やっぱり
この大波に飲み込まれ

さらに3回巻かれ暗黒の海へ
ヘルメットをかぶり大丈夫だったが
浅い海底の岩にあたり
足は切れ

胸にあったはずの空気は消え
瞬時に怖さが
その胸に充満した

この位置が最悪である

今なら撮らずに泳ぐが
この当時は位置がわかっていなかった

怖いのも見たさ

真実の飾りも容赦もない
波動に死の線を垣間みた

大事な1枚

やはり当時はこれが普通だったフィルム
自分で詰めて36枚にかけたフィルムはいいものだと
15年後に知る

お気軽な気持ちになる
デジタルとは違い

あの限られた枚数とIsoやら
頭が変になる露出の兼ね合いを
イメージした日々

気道が閉まり意識が薄れる程
溺れた翌日ここに来た
この日

人智を越えた凄みある未体験の恐怖は

自分の中にあるのか?
それとも外から来た者か?

そんな事を独り
見知らぬ3人でシェアする木の宿に戻り
考えた

怖さがいけないのか?
波の位置なのか?
あの波をくぐり抜けるには?
どういう訓練がいあるのか?

考えたらキリがない
のが思考とちっぽけな頭

前へ?

いや違う

右へ
左へ
水の中へ
斜めへ

決めたら迷わず
腰抜けにならないように
軸を保ち大胆に踏み込む事

いや
ふみ泳ぐ事

らしい
です

色々な困難や
迷いがあるから
いいのです

そんな15年前の俺

でもやっぱり
こうしたい!

やっぱり
行ってみたい!

このやっぱりは
自分だけの予感です

ぜひ
そのやっぱりに身を任るのも一興

なんだって
やってみる事

溺れ続て15年
なんとか生きてます

間違いない場

Am 7:12
横殴りの瀧行である
もちろん
まともにあの圧力を受けたら
体がバラバラになる程に巻き込まれる

母なる海に抱かれる
なんてお世辞であり

本当は容赦ない鬼母

そんな手厳しく
命の左右する場で
生きることに
幸せを感じ

頭の中や
体内とは別な場所に保存していた
現代風の日々を
きれいに捨て去り
浄化してくるのが

はい

間違いないです。

密かな水

無限というのは
はかりしれない世界をさす

日々、毎秒
人が見ていない世界が地球に在る

言葉や漢字が
そのものを,その景色の本来の姿を人間臭く邪魔をする
しかし本来とは何の基準?なのか
これは誰も知りえない

地球が誕生して多くの
生物が絶滅してきたように

地球の景色も毎秒汚染され
40数億年前の昔の美しさとは
比べ物にならいくらい汚れた
地球も実は絶滅に向かっている

汚れた海

まあまあ透明な海

透明な海

と別れているが
所詮は丸いボールの中の水の話

日々河から空気から
戦争の弾や実験
写真の現像液
塗料やら
燃えないゴミの埋め立て
プラチックなど
毎秒人間がいる以上海洋投棄で汚れまくる

もう昔のままの
景色はもうないにしろ

その景色のうつろいと時間を密かに知っている
残され隠れている水が
地球のどこかに
生きた水晶ののように残っているとしたら
こんな一瞬かもしれない

後戻りはできないが
その光と陰を知り

あらたな手段と意識で
すこしでも長く地球を汚さない方法は
あるはずだが

よく観ること


1つの酸素に2つの水素が
やじろべいのごとく105°くらいでついては離れる不思議
水の濁りはこの隙間にゴミがつまり光を遮るためで

温度が高くなると引力がまし(お湯で汚れが落ちやすくなる理由)水素がある限定された分子をひきつけ
凍ると隙間に空間ができ浮く
生き物のように自在に変化し地球の中を
雲となり、霧になり、雨になり、河になり,海に戻る

そこに塩分があり
太陽光線が様々な角度と光の色で
不可思議な模様を生んでいる
だから2度と同じ模様や波はない

波は波動が水に作用する水素結合と引力のいたずらだから
波なんてものはそもそも無い
が見た目しか信じれない現代人は
勝手に「波」「Surf」「Wave」とか呼んでいる
シマウマ、きりん、かば、ぞうり
とて人間名

いい迷惑である

地球のありのままが
日々破棄され
おかしな便利と今の暮らしがあり
こうしてパソコンで文を書く馬鹿な俺

線香花火


明け方の海にいた
鳥達がなくまだ薄暗い林をぬけると
一面の砂浜と海
しかし雲が厚く太陽が見えず
波も小さいな

自然な摂理
自然の摂理だから
しかたない

1度は入るのをためらいながらも
せっかく5時に早起きしたので
彼方の4cmくらいある雲の隙間から
太陽が海面を照らす瞬間にかけた

するとどうだろう
濁った冷水の波の水面を
数秒だがオレンジの線香花火が太陽からジグザグに現れた

それがその瞬間の1部

先日の伊豆と繋がる水とは信じがたい氷水の中で
グローブの手は震え
頭がくらくらし
10分しかいられなかった

海水温が低い冬はきつい

しかし
はいってみてよかった
頭で未来や予想はせずにとにかく行く事
は今迄の独り旅の基本じゃないか

コツコツと不思議な予期せぬ
景色が集まるのも
この写真の醍醐味だ

しかし
外房は危険な冷たさ
だから入るのはやめます

来週は南へ移動する

あてにしない事


闇からの光陰を見つけるため

待つ事
そこにいること
日常の人形焼きのような暮らしから
はずれなければ
弾かれなければ

知らない世界こそ
日本人が
地球と自然を慈しむ心へと向かう
祈りの言葉はその手段の1つにすぎず

言葉にならなくとも
そこに本心があればいい
地球も神様は全てレントゲンのように
お見通し

囚われない事
自由に生きる事
お金の不自由さを知り
あんまり働かない事
簡単な道具だけで山河へむかうこと

あとは自身の気持ちのみ

手ぶらで生きる事

なんとかなる以上の
ギフトが地球の各地や水中で待っている

朱印


薄暗い闇からの光を待っている

本当に太陽はくるのか?

祝詞をささげ
九字きりをした

やがて水平線から線香花火のような光が
水面を蛇行しながら伸びて来た!
暖かさまでも感じる光
光が含むエナジー
光も何かを記憶し生きているようだ

そして恐るべし波
どこまでも美しく
嘘も手加減もない純粋な海

昨夜迄の強風がやみ
雲が消え

水平線から現れた御来光の
朱光の波の中にいた
あの7面山の山頂の山寺での感覚と同じく
まるで御朱印を全身に押されたようだ

来夏のファイヤーキングカフェの個展は
これでいきます。

日本の黎明

夜明け前の海にいる
冷たくしまった黒い水に
赤い光のレイラインが射抜く

今から75年前
若者達が国の存亡をかけた戦に
暗号も解読され
ユダヤの手引きで
自然に引きずり込まれた

ハワイの真珠湾へ
75年前の黎明とは
異なる平和な暁

54人のパイロット達と
9人の特殊潜航艇の若者達が
戻れなかった
ハワイの海に行く際には
彼ら一人一人の名前を呼び上げ
その魂が国に戻れるように祈る

そして2400人近いアメリカ人とハワイアンも亡くなっている

空母飛竜の爆撃機の電信員として
参加した清村勇さん(当時19歳)の遺書を呼んで
フィジーの海にいた15年前

短い人生にいかに輝く光陰をひき
生あらしめるか
たとえ20をい出ずに死んでも悔いは無いと

又同じ飛竜の零戦パイロットの西開地さん(当時21歳)
不時着場のニイハウ島で,約束したはずの潜水艦を待つが来ず
盗まれた暗号書を奪い、彼をかくまった地元の日系人原田さんとともに自決された

それに引きかえ
わざと命をかけれるなんて幸せな事だ

そんな彼らが望んだ日本に
なっているのか?

世界は未だ戦場だ
日本も武器を作り売りさばき
放射能の装置迄海外へ売りさばく始末

10万年も消えない
行き場の無い核のゴミ

都合が悪くなると記憶のなくなる政治家

おいおい

大丈夫か?

岩屋

数千年前から
この地が
崇められ
あまたの宮司によって
祈りが逃げずにいた

だが
実は
ある1つの家族に
護られてきた事実

役の行者を祀る

南伊豆
石廊崎
石室神社

小澤宮司さんに再会。

エビ漁師

明け方の漁から戻り
網小屋で
岩で、傷ついた網を治す
オヤジさんに
前に写した写真を渡す

伊勢海老は前の夕方仕掛け
明け方、網をあげるが
岩のギリギリに
船と網をつける為

風があると
転覆して
死である

危険な漁だ

しかし
丘に上がると

おいー
後で寄れよ
少しだけんど
干物もってけー

海の優しさに感謝

自由

朝から風がすごい
風は地球をひたすら冷やし
海をより危険にする
草木や鳥が自由に舞っている

夕暮れを待つ
昨日、石室神社から戻るも
予想より
1時間も早く
太陽が山に消えたから

もう一泊し
夕暮れにかけた

サーファーもいない
風の海が
急に静かになり

あたりが豹変した

氷水のような
誰にも会わない水中で
存分に声をだし
存分に泳いだ

影の跡

太陽が地球の向こうへ
消える間際に

誰も海にも水中にもいない
寒さを超えた
冷たさに

その
何かが
偶然写るのかもしれない

寒さを忘れたく
自由な幸せに
大声で真言を唱え
気をまぎらわす

今まで
出来るだけ透明で
大きな波を求め
南の世界の水中を
旅してきた

実は
昨年から日本の
真冬の海にいる

日本海は無理かもしれないが

ある境地に気づいた訳だが

波にたより
すぎていた

波を撮るのは
簡単かもしれない

よくよく
波と呼ぶものを
見ていると

そもそも波なんて
無いと気づく

水面と水中に
動きと影さえあれば
波の大小も関係なく
その波動と光の狭間の

祈られてきた
時間が染み込んだ日本の
地域と海域に
密かに潜む影を求めた

パラオ

パラオの海
ファインダーは見ないでパチリ

いろんな魚が仲良く群れている
チョウチョウ魚は必ずつがいでいる
ブダイは群れで、単独で珊瑚をガリガリかじる
みな水槽の魚や、肌の色や宗教の差で喧嘩する人間とは違い
みな自然に仲良し

魚をもう15年写してなかった
水中写真の魚の写真は図鑑のような
左かしら(頭)はきつい
これは塩焼きの魚と同じ
心理的に落ち着く訳です

網で右側を先に焼いて
左側を焼くと
はい
左かしらの焼き魚である

それはさておき

14歳の時に
浜野安宏さんのマリアナフリースクールに参加し
2日だけお世話になったパラオの家族の縁が
30年続く不思議

何年経って
突然行っても

お〜来たか!
よしよし

と年月を越えた付き合いが
パラオにある

そんば海のオヤジが死んだ翌日
死んだ事がわかり
電話をすると数秒で奥さんがでる

アキヲは死んでしまったのよ

俺わかったよママ

そして彼の南の墓で
命を掛けて
海を0から修行しようと気づいた
2001年

30年前がなければ
今は無い話し

磨りガラス

スタジオの解体にともなう
引っ越しと写真作品の整理で
この1ヶ月動き回っていた

ので文も書けず

ふと今年の日本の写真をみていて気づいた

海外の大きく、透明な波に頼っていた
あからさまに、これ泳ぐの?

自分で笑うような波に
独りで泳いでたどり着いた
今の心境

心の境を
人は探している
求めている

心が求める間に
人は身を委ねたいもので
新たな自分の
新たな発見と変身に
人生をかけている

その境の向こうから
今迄のその線を観る

なんだ
随分難しく考え
余分に気負っていたな
と笑う

写真の世界は自由でいい
写真は被写体ではなく
撮るべくきめた、その何かに瞬時に心を傾け
押せるかどうか
どれだけ近くに寄るべきなのは,例のキャパの意見と同じ

最近の写真はソフトで加工し色を付けた物が増えている
こうなったら写真ではなく、グラフィックと呼んでくれ

忠実にその何かや場で感じた瞬間や偶然の1枚が
写真機と写真
写真機は今や電化製品
だが
写真だけは,フィルムがデジタルになっても
昔のままでいて欲しい

1枚の写真は読めるから
飾っていて飽きずに
強烈な瞳が物語る人生がある

変わらぬ事
変わる時代の風に
汚染されぬよう
変える必要も、余地もない1枚にかけていたい

そんな事を
思いました。

福塩

メンズファッション協会の理事で
革製品を制作、卸しのモルフォ社の小澤社長と

ファッションブランドの店舗設計からPRを手がけ
特に最近では美人すぎるメンズファンションライター丸山さん
のクラシスアソシエイツの森社長に
今巷で話題の
東郷神社でお清めとご祈祷された
福塩を頂き、写真の前と神棚に祀らせて頂いています。

一度神社の水で清め乾燥させ
祈祷するため、また人気の為に入手が難しく
只今生産が追いつかないようです

隆起した古代の海が山となり
そんな山からとれた海の塩が
こうして海と対面

法螺貝を山で吹き
命の循環を伝える
山伏と同じ行為である

福塩「お知らせ」でご紹介頂いています。

fukushio.jp

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