STAFF : Uncategorized

贅沢

翌日も日本海側の大寒波の到来のせいか
太平洋には山のごとく動かない積乱雲

夜明けの見た目で4cm水平線の上に雲があり,実際は 400~500mか?

雲のない日の
あの独特な海面をなめるように届く赤いレイライン
は無理だろうが

これも自然ですので
楽しみに
冷たい海岸で座禅した

人間のいない、人間界の音もない
太古の地球だけのこんな光景のなか
いられるだけで幸せなのに

さらに欲深く
波の裏側から見てみようなど

贅沢な話です

やはり旅は
流れである

その不可思議で
予想だにしない扉が

今までの
自分を瞬時に変身させる

あの日ハンドルを反転し
また戻らなければ

知らないままの
景色を
知らないまま
でいた

その方が怖い

なんでもやってみる

頭で決めず

感覚で選ぶこと

人生は
いい学校や
いい会社に
入る事ではない

計算も嘘もない
強い地球の美しさに身をおき

心が揺さぶられる中で

大切な人間の人倫と地球との
距離や常識を
身をもち
心をもち
知れば

生涯忘れません

人生は競う事ではなく
自分で育むものだから

なにも心配ない。

明日の夜明け
頑張ります

無題

みた事も無い色彩と
みたこともない形は
数十億年も繰り返された
日々の出来事だが
魚達も2500分の1のスピードで見えないので
カメラのおかげでこんな風景が止められる

人の目にも触れる事がない時間

人の手にはけっして届かない時間

だからその事を知る人々は

そうした時間と地球と生き物達に敬意を尽くす

地球にその答えはある

答えは一つでもなく

自由だ

30分で太陽の位置も高くなり始めたので岸へ戻るが
何より体が冷たさで限界だった


光陰のごとく
2度と戻らない
時間のようだが

光の余韻
一枚に止めた光から寄せる波

忍やもののふの斬り合いのような
間合いに
死と生が同時にあると知る

たしかに
人間界では
過去は過ぎた事に
しがちだが

常に過去
常に未来
の狭間


納得し
覚悟し
よく生きる事

距離と時間

やはり
戻らなければ
知らない時間

いつも言うが

1つの物のように
例える波など
そもそも無い

うねりと呼ぶ目には見えない波動による
水素の離れてはくっつく連鎖であり
沖の水など一滴も来ちゃいない

1200秒の1秒の1600/1の瞬間は
人間の目には見えない
高速パラパラ漫画だから

美しいに尽きる

作品に題名なんか後づけ
したら
失礼しました

と感じます

これが
ありのままの地球と人の距離感です

寒波

暗い朝に身体をつくり
祝詞を捧げた

遥か彼方の
太陽が昇る位置には
厚い水蒸気 雲があるが

夜明け前の
オゾンの満ちた
冷たくしまった空間と水間に
踊りでた

寒波という名の通り
水中こそ本物の寒波
危ない冷たさに

沖から寄せる
鳴り止まないうねり

やがて太陽が
波の隙間を射抜く

1200秒の僅かな時
原始的な地球から幾ばくかの
野生を頂いた

月明かりに呼ばれ

雪だったら改めてるか?

伊豆稲取の浜の湯さんに仕事に
行くか行かぬか
迷いながらも
車を走らせた

ロビーに着くと
なんと山梨の標高1000mの七面山
で7年も修行され、現在は身延のご実家武井坊という
宿坊の僧小松さんが!

聞けば予約を今日に変えて
来たという不思議

翌日仕事を終え
東京へ1時間半走るが

急にハンドルを反転させ
もといた場所から雪の
ちらつくさらに南の海へ
向かった

理屈抜きに
なんだかそうした方が
いい気がした

月明かりの中
思いのほか波みある
宿もこの天気でら偶然空きがあると

流れに乗ってみる

ピンボケ2

当時の僕には
まだまだデカ過ぎる波
最初の波が一番でかく
必ず決まったローカルのオヤジが
滑り落ちるから
タイミングを合わせ
片手で精一杯クロール!


帰国し現像所へ楽しみにいくと
ピンボケ!

15年前は36枚フィルムで精魂込め
精魂込め泳ぐも

水影でこんな事の繰り返し


今があるのです

思い出のピンボケ

ピンボケ


2002年の冬のマウイ島の最西端の
ホノルア

あの頃も旅は航空券だけで行き
朝から宿さがし

すると空港に宿の案内紙があり行くと
偶然広島の日系人の方の
いいコンドミニアムを海の近くに
見つけた

波はあるのだろうか?

地図を助手席に開き
毎日片道1時間かけ
かよった思い出の地

赤土とサボテンの
美しい海と優しげな
昔のハワイのままの雰囲気に

沖からせり立つ
物凄いレギュラー「右に崩れる波」
の中、頑張り

現像すると
全てピンボケ!

笑う
しかない

ニコンへ行き
ピントが
きません!

と聞くと

波をとる様に
作ってありません

バッサリ
大人な返事に

キャノンに買い替えた。

懐かしいピンボケ

毎秒 心が遠ざかる

日本の波の裏より

とにかく冷たい冬の波
暖かな南の波と
温度差で音の伝わり方は変わるのなら
水素の形も、水素原子の手の繋ぎ方も
幾分違うのだろうか?

透明で大きな波という条件が
そろいにくい日本の波は
正直1枚に表すのが相当難しい

技術以上の
昔の人々が自然行為である
何か地球を読むような感覚
が必要とされている

もっとも
透明な無い物(波)を撮るのに
なぜ?
黒い影が存在しているのか?
答えの無い不毛な思考は捨てる

ファインダーは一切見ないが両目では見て押す
もっとも肉眼では早くて見えないが
常に見たことも無い地球の凄さを思い知る

水中を泳ぎながら
波をかわしながら押す
1秒の500分の1という
時間で止めた1枚は
日々見えるもの、見えないものを感じる

似ているな〜と思うのが

観を1とし
見は2の次
とせよと伝える
宮本武蔵であるが

心の奥深い鍛錬と根気
大胆で鋭利な思いつきの
すれ違う瞬間

肉眼では見えない時間がある
のは古武術であり人生と同じようだ

目で見ているものは正しくもなく
色も形もなに一つ見えていない

頭の隅々をつつくような
頭で考える事の無意味さ

何でもインターネットで知ってると
思う風潮の今
体験にまさるものはない

ちまたの幸福感やら
なんやら、自己啓発やら

そんなものは
地球に行けばすぐにわかる訳です

都会のおかしな箱庭の世界やおかしな便利と
過剰に企画され制作された情報で

地球との間合い
を毎秒遠ざけられ、心が忘れられていく

心の感覚をおざなりにして
生きちゃいないか?

人間以外の生き物は、生身のまま
何億年もこの地球や珊瑚と木々と
お互いを痛める事も、破壊する事も無く
絶妙なバランスで生きている

それにくらべ
人間達はどうだ

地球に巧妙な嘘を並べ
自らを欺瞞させ
地球の親分のように振る舞う日々

日々の厳しい地球から逃げる建物や
暮らしで今がある事実

ま〜それはいい

都会の家は隣の家とぎゅぎゅうで
防音性のいい、パチリで電気がつき
いつでも空調の利いた部屋にいれば
朝日も夕陽も見ないまま夜になり
地球にいながら地球と生きていないことになる

もう昔には戻れない

誰もが今では人間が地球の害獣になり
そのバランスを乱していると
気づく事くらいは出来るはずだ


波の裏から戻り
感じました

新聞は原発予定地の山口県の上関や
沖縄の辺野古と同等
美しい海を今更破壊しアメリカの基地に
揺れる島の実情が東京新聞に

現実をよくみる事
足下をよくみる事

そして地球をよくみて、かんじること

すると自然に地球に間違った行いは
できないはずだから
それは人間同士も同じです

事実と嘘

事実はこうだ
先住民マオリをつい害し乗っ取り
名前をまで変えたイギリス人の島
ニュージーランドを経由し

キューイの原産は中国の揚子江だが
飛べない鳥に似ていたので
その鳥にキュ?イと名付け
果物キューイを養殖し
いつの間にかキューイはニュージーランド産
鳥もある日から君はキューイ

スズメも鳩も同じく迷惑な話であるが

はたまた山を食べ尽くす羊とて
元々いない害獣で

いつの間にかニュージーランドの名物に

事実はこうだ

そんな島に一泊し翌朝タヒチの横の
クック諸島のラロトンガ島へ

そもそグーグルアースの宇宙からの写真で
波があるかな?
の旅

誰も泳いでないポリネシアの波を泳ぎたかった

事実
この波は偶然見つけた波で島ではここにしか
波はなかった

レンタルバイクで1時間で島を一周し
波は無いか〜と最後に近くの海一望のホテルランチをとり
来た道をなんとなくユータンすると

車線が逆になったせいもあり
さっきまで気づかなかった林の奥に
3台の同じレンタルバイクが

もしや!
と思い林の遥か先に
ごま粒のようなサーファーが

嬉しかった!


遠いな〜 と笑った

毎日通うがうちに
満潮のときしか

浅すぎて危険な為
満潮の1時間しか入れない事を
波に叩かれ、流され,ウニに刺されて知る

毎日30分ずつ満潮がかわり
偶然昼間に満潮の時に来たようだ

偶然の偶然をなんと呼ぶのか?
そんな不思議でたまらず
海で独り含み笑いをする日々

独りでこんな沖で
雨が振り
心が潰れそうになった
ここまで30分泳ぎ
40分しかいられなかった

久々に
戻れない可能性の高い場だと
身も心も納得せざる得なかった

そんな嘘も手加減も待ったも無い
昔のままの地球の場だからこそ
張りつめた空気と水中の固い波
おそらく今迄で世界で知りうる
一番早くて固い波だった

人に穢されずに残る美しい聖域
ここも何か大きく
古い海の神様の住まう場のひとつ

このギリギリ感こそ
幸せで生きた心地がする訳だ

この感覚が今の
ぬくぬく生きる我々日本人には必要で

日本人なら特に必ず感じます

足下から珊瑚でつながるあの島
この水をはじめ
自然に頭がさがる憶いに

命がかかること
命の大切さとは
その内容かもしれない

たとえ死んでも
悔いの無い今を笑うように

いにしえのサラーリーマン侍ではない
侍や忍の人々の死生観と宗教観
を垣間みた

事実はやはり
なんだか
また行きたくなった

全ては客観的な事実

写真もパソコンで都合良くいじる写真は
写真ではなく,グラフィック

地球に対して
なるべく
ドキュメンタリーでなくてはいけません

よくぞ

あの白波を毎朝、毎日観察している
行ってみないとわからないから
とにかく行く
雨だろうが嵐だろうが
波が無い時以外は状況は選ばない

なぜなら選ぶのはずるいから

酸素ボンベなどずるい人間の都合の道具は捨て
足ヒレと水中メガネだけで行く

独りで持てるだけの荷物と機材で
裸同然で行く

サメの種類を暗記し
来たら目力で追い返し
それでも来たら鼻先を叩く練習をし

行くぞ!
と決めたから

とはいっても明らかに危ないときは
着いて5分でもすぐに戻る

全神経と7感10感を使い
気配を感じ取り
野生に戻る

人間を捨てる訳です

村人の小舟がでないときは
あそこまで
片手と両足で泳いで30分
浅いラグ?ンから 急に深くなり
また浅くなる場は
まさに命がけの決戦場
この世との決別であり
あの世への入り口

あそこまで行き
フィルムが入ってなかった事件1回
フィルムが巻けてない事件2回

それはがっくりするが
焦った自分が悪いのだから
30分泳いで戻り
また30分泳ぐ

たまに気の狂ったサーファーがいる
と心が安心だが
この波は海がへこむ程、海面がせり上がる
あっという間にロール波となり6m程の落差になる
その真下がこれ
巻き上げられ,浅い海底に叩き付けられ
背中にその何十トンもの波を食らったら
死ぬ

紙一重に
本物がある
古い武術ににている

何億年もの古い時間が作り上げ
この島の自然環境や風や村人の足跡により
出来た傑作

人がた安く壊し
た安く行っては行けない場
村人も今迄ここでは泳ぎもしない

今思えば伊勢神宮の内宮のさらに中のような
妙なしまった空気が圧倒的に存在し
言葉には表せない
その必要もない妙な次元

始めの1週間は怖すぎて
なかなかブレイクする奥へ
泳ぎ寄れず

ぬきあし
さしあしで

ようやく今では受け入れられた気がする

それでも正直
早く帰りたくなる
戻ると決めた瞬間に
一気に怖くなりつつも
ホッとする

どうみたって
遊泳禁止
である

ライフガードも誰もいない海で
1対1
いや1対何十億の古戦場

とにかく喉がかわき
鼓動が早くなり
胸にその濃縮された恐怖が電気となり集まる

パニックにならないよう
肉体的には誰もがパニックから
逃げもどるすべ

それを験力というなら
その技をここで習得したかった

魔法の1つでも覚えたかった

泳力のあの世

本当に独りでこの世界を
この場で見た人間が
今迄いなかった奇跡と
不思議

幸せだった

くどいくらい怖さは何処にも隠せない

人間にはこうした地球の強さを
生身で知る必要がある
ひげのじじいも誰も助けちゃくれない

波が来たら退くはない
波が来たら
とにか沖へ向かい
常に波に対して垂直?直角?
に意気よいよく向かい
ギリギリで見切り潜って水中で体をひねり泳ぐ

大声で気合いもいれる!

何発も待った無しで迫り崩れる暗黒の波に
もみくちゃにまかれた時ほど、怖く苦しい時は無い

何も出来ません

それが試合ではない
果たし合いの境地

よくぞ行き
よくぞ戻れました

という訳です

フィジー

この島は日本からだと2日かかる
南半球の下フィジーのさらに南の小島
フィジーで一泊
翌朝田舎の海辺まで
トンボのような飛行機で1時間
さらに小舟で1時間

500人の村人と
間違いなく穢してはいけない空気の漂う
神社の向こう側のような海がある

山には妖精が住むと語られ
人々は自給自足でくらし
その凄みを増す

日本人が学ばなくてはいけない
時間がここだけにある

とはいえ
月や海や山を崇めて来た地球にそった宗教観から
約100年前の宣教師により輸入され
流布されたキリスト教によりその時間は破壊されたが
こうして日曜になると,家からわずか数十?メートルの教会に
とびきりのおしゃれで行く、漁師のおかあに
ミキーも行こう、服貸してあげるから

家で飯食ってけ〜と誘ってくれる家族達

それが自然崇拝を排他し
おひげが一番!で絶対無二!の大先生!と言っても
あんまりそのあたりは流石フィジーで伝わりきれてない
彼らそのものは純粋行為なんだな〜と知る

そんな島の対岸にあった僅か8つのサーファーの宿がしまり
はや5年

そこに行くには船しか無く
携帯も無いかれら

そんな村人が数週間に一度船と数年前に共同購入した発電機のガソリンを買いにくる
だから家には,昼間の数時間しか冷えない冷蔵庫も最近ある

だからこの島へは
1時間はなれたその田舎の海岸で待つしかない

つけば
もちろんテント生活だ

ま〜今年はやはり行きたいな

向こうからは逢いに来れないから

正直、紙一重でいつでも死ぬなと感じる海と
はやく岸に戻りたいと思うような波があったからこそ

今のとにかく藁をもつかまりたい,ひもでも良いからお願いします!という意味で
祝詞をはじめ様々なお祈りや真言を唱えるスタイルを作り上げた訳で

カリフォルニアの海ではこうならなかったろう

人生を上下、左右する場に立ち会って
人生が枝葉のように開けて行く

行くしかないな

おもうがまま

文久3年1864年

今から154年前に三代豊国が(国貞)
79歳の時に描いた
ジジイが岩からバカーン!
と現る浮世絵は今の印刷物、写真集の基礎を元祖

数々の不可思議な変身を描いた中の1枚
奇術比べ蒙雲国師

緑の岩にはラメがはいり
ヒゲや米粒のおうとつまで
再現した
徳川の封建的な武家社会と
抑圧からの逸脱が浮世絵の背景にある

惜しみない自由と
惜しみない技術
惜しみない修行

惜しみない命

いくつになっても

遊んで生きろ!

自由に笑え!

一枚が154年後も
語りかける事実を
彼らは知る由もなかった

僕も海の裏側で
数百年後の人々に
伝わる

そんな一枚にかけていたい。

なんて

本年もありがとうございました。

独り旅は雪国より

飼われ犬

人間はレールの上を歩く生き物でないが
気づけば同じレールの日々

日々の作っては壊し
物を捨てながら
札束をかせぎ

結局はその札を捨てている
お金はゴミ箱に入れないが
代わりの物は簡単にポイ
出来る不思議

やっかいな札束がたくさんいらず
ゴミをすてなければ
適度な仕事でいいはずで

ペット?と呼ぶ犬に服を着せる必要もありません

地球のルールにそいながら生きていた時間を遠ざけ
実は厳しい地球を遠ざけながら生きてきた今
そりゃ
誰もが地球の事象を感知できなくなる
大切なのは
大切な物ではなく
大切な場であり
大切な時間だと知る

木をわざと植えた
公園なる不思議な場所では
気づけない距離

重力や感触を感じて生きている
それを現世(うつしよ)と呼ぶらしい

水中でもその密度と呼ぶ
水のクッションとスピードや水量に比例した
重さや固さがある

石以上に柔らかい水も
その量と高さにより
固くなり
まともに受けたら死ぬ訳で

それをまともに受けながら
力と重さをまったく受けないですり抜ける技が
出来たら
これが写せる場にいれる不思議

プールの泳力やスピード競争のあの世

揺るがない心がここでは何よりも大事な現世

沖縄の辺野古の何億年もかけて育った珊瑚礁と魚達が
生き埋めにされようとしている

物は作れても
地球を人間は作れない事ぐらい
わかってるくせに

知らない振りをし
生きた振りの政治家の悲しいこと
恥ずかしいこと

アメリカのプードルか!

修験


2002年の冬のマウイ島の聖地
ホノルアベイ

フィルムをつめ
目の前の山から
サボテンがまばらに生えた
赤土と岩の崖をジグザグに降りて

泳ぎだす

目の前の崖下には
洞窟があり
飲み込まれないように
なんて言われたが

こっちはそれどこではない
常に飲み込まれている

そんな中
いつも巨大はうねりのセットに
乗るこの散切り頭のおじさん

笑顔ですれ違い
逆の波の上から撮ってみた1枚

後に
彼がここのローカルで王族の血をひく
方だと知る

泊まっていたホオーキパの宿から
車を飛ばして1時間
5時間も泳ぐ日もある程

特上で
上級な波が
打ち寄せる

不思議と心地よい
幸せに満ちた場だった

ラジオも
インターネットもない時代
地球の流れに身を置いて
感覚と感で
生きていた時代

彼らが体の感覚と
強い精神で滑空する
2度と同じ波が無いように

この一体感こそ
修験である

やっぱり!


人生日々何が起こるやら
その日々を体験し今があり

こうしてグダグダ書いた瞬間にもう過去であるから
次の行で俺は成長してるのでしょうか?

2001年頃のハワイのパイプライン
様々な人生の憶いや想いの
あれこれを背負い

男はパイプラインだな!

独り無理矢理背中を押したあの日

初めて泳いだパイプラインで
やっぱり
この大波に飲み込まれ

さらに3回巻かれ暗黒の海へ
ヘルメットをかぶり大丈夫だったが
浅い海底の岩にあたり
足は切れ

胸にあったはずの空気は消え
瞬時に怖さが
その胸に充満した

この位置が最悪である

今なら撮らずに泳ぐが
この当時は位置がわかっていなかった

怖いのも見たさ

真実の飾りも容赦もない
波動に死の線を垣間みた

大事な1枚

やはり当時はこれが普通だったフィルム
自分で詰めて36枚にかけたフィルムはいいものだと
15年後に知る

お気軽な気持ちになる
デジタルとは違い

あの限られた枚数とIsoやら
頭が変になる露出の兼ね合いを
イメージした日々

気道が閉まり意識が薄れる程
溺れた翌日ここに来た
この日

人智を越えた凄みある未体験の恐怖は

自分の中にあるのか?
それとも外から来た者か?

そんな事を独り
見知らぬ3人でシェアする木の宿に戻り
考えた

怖さがいけないのか?
波の位置なのか?
あの波をくぐり抜けるには?
どういう訓練がいあるのか?

考えたらキリがない
のが思考とちっぽけな頭

前へ?

いや違う

右へ
左へ
水の中へ
斜めへ

決めたら迷わず
腰抜けにならないように
軸を保ち大胆に踏み込む事

いや
ふみ泳ぐ事

らしい
です

色々な困難や
迷いがあるから
いいのです

そんな15年前の俺

でもやっぱり
こうしたい!

やっぱり
行ってみたい!

このやっぱりは
自分だけの予感です

ぜひ
そのやっぱりに身を任るのも一興

なんだって
やってみる事

溺れ続て15年
なんとか生きてます

間違いない場

Am 7:12
横殴りの瀧行である
もちろん
まともにあの圧力を受けたら
体がバラバラになる程に巻き込まれる

母なる海に抱かれる
なんてお世辞であり

本当は容赦ない鬼母

そんな手厳しく
命の左右する場で
生きることに
幸せを感じ

頭の中や
体内とは別な場所に保存していた
現代風の日々を
きれいに捨て去り
浄化してくるのが

はい

間違いないです。

密かな水

無限というのは
はかりしれない世界をさす

日々、毎秒
人が見ていない世界が地球に在る

言葉や漢字が
そのものを,その景色の本来の姿を人間臭く邪魔をする
しかし本来とは何の基準?なのか
これは誰も知りえない

地球が誕生して多くの
生物が絶滅してきたように

地球の景色も毎秒汚染され
40数億年前の昔の美しさとは
比べ物にならいくらい汚れた
地球も実は絶滅に向かっている

汚れた海

まあまあ透明な海

透明な海

と別れているが
所詮は丸いボールの中の水の話

日々河から空気から
戦争の弾や実験
写真の現像液
塗料やら
燃えないゴミの埋め立て
プラチックなど
毎秒人間がいる以上海洋投棄で汚れまくる

もう昔のままの
景色はもうないにしろ

その景色のうつろいと時間を密かに知っている
残され隠れている水が
地球のどこかに
生きた水晶ののように残っているとしたら
こんな一瞬かもしれない

後戻りはできないが
その光と陰を知り

あらたな手段と意識で
すこしでも長く地球を汚さない方法は
あるはずだが

よく観ること


1つの酸素に2つの水素が
やじろべいのごとく105°くらいでついては離れる不思議
水の濁りはこの隙間にゴミがつまり光を遮るためで

温度が高くなると引力がまし(お湯で汚れが落ちやすくなる理由)水素がある限定された分子をひきつけ
凍ると隙間に空間ができ浮く
生き物のように自在に変化し地球の中を
雲となり、霧になり、雨になり、河になり,海に戻る

そこに塩分があり
太陽光線が様々な角度と光の色で
不可思議な模様を生んでいる
だから2度と同じ模様や波はない

波は波動が水に作用する水素結合と引力のいたずらだから
波なんてものはそもそも無い
が見た目しか信じれない現代人は
勝手に「波」「Surf」「Wave」とか呼んでいる
シマウマ、きりん、かば、ぞうり
とて人間名

いい迷惑である

地球のありのままが
日々破棄され
おかしな便利と今の暮らしがあり
こうしてパソコンで文を書く馬鹿な俺

線香花火


明け方の海にいた
鳥達がなくまだ薄暗い林をぬけると
一面の砂浜と海
しかし雲が厚く太陽が見えず
波も小さいな

自然な摂理
自然の摂理だから
しかたない

1度は入るのをためらいながらも
せっかく5時に早起きしたので
彼方の4cmくらいある雲の隙間から
太陽が海面を照らす瞬間にかけた

するとどうだろう
濁った冷水の波の水面を
数秒だがオレンジの線香花火が太陽からジグザグに現れた

それがその瞬間の1部

先日の伊豆と繋がる水とは信じがたい氷水の中で
グローブの手は震え
頭がくらくらし
10分しかいられなかった

海水温が低い冬はきつい

しかし
はいってみてよかった
頭で未来や予想はせずにとにかく行く事
は今迄の独り旅の基本じゃないか

コツコツと不思議な予期せぬ
景色が集まるのも
この写真の醍醐味だ

しかし
外房は危険な冷たさ
だから入るのはやめます

来週は南へ移動する

あてにしない事


闇からの光陰を見つけるため

待つ事
そこにいること
日常の人形焼きのような暮らしから
はずれなければ
弾かれなければ

知らない世界こそ
日本人が
地球と自然を慈しむ心へと向かう
祈りの言葉はその手段の1つにすぎず

言葉にならなくとも
そこに本心があればいい
地球も神様は全てレントゲンのように
お見通し

囚われない事
自由に生きる事
お金の不自由さを知り
あんまり働かない事
簡単な道具だけで山河へむかうこと

あとは自身の気持ちのみ

手ぶらで生きる事

なんとかなる以上の
ギフトが地球の各地や水中で待っている

朱印


薄暗い闇からの光を待っている

本当に太陽はくるのか?

祝詞をささげ
九字きりをした

やがて水平線から線香花火のような光が
水面を蛇行しながら伸びて来た!
暖かさまでも感じる光
光が含むエナジー
光も何かを記憶し生きているようだ

そして恐るべし波
どこまでも美しく
嘘も手加減もない純粋な海

昨夜迄の強風がやみ
雲が消え

水平線から現れた御来光の
朱光の波の中にいた
あの7面山の山頂の山寺での感覚と同じく
まるで御朱印を全身に押されたようだ

来夏のファイヤーキングカフェの個展は
これでいきます。

日本の黎明

夜明け前の海にいる
冷たくしまった黒い水に
赤い光のレイラインが射抜く

今から75年前
若者達が国の存亡をかけた戦に
暗号も解読され
ユダヤの手引きで
自然に引きずり込まれた

ハワイの真珠湾へ
75年前の黎明とは
異なる平和な暁

54人のパイロット達と
9人の特殊潜航艇の若者達が
戻れなかった
ハワイの海に行く際には
彼ら一人一人の名前を呼び上げ
その魂が国に戻れるように祈る

そして2400人近いアメリカ人とハワイアンも亡くなっている

空母飛竜の爆撃機の電信員として
参加した清村勇さん(当時19歳)の遺書を呼んで
フィジーの海にいた15年前

短い人生にいかに輝く光陰をひき
生あらしめるか
たとえ20をい出ずに死んでも悔いは無いと

又同じ飛竜の零戦パイロットの西開地さん(当時21歳)
不時着場のニイハウ島で,約束したはずの潜水艦を待つが来ず
盗まれた暗号書を奪い、彼をかくまった地元の日系人原田さんとともに自決された

それに引きかえ
わざと命をかけれるなんて幸せな事だ

そんな彼らが望んだ日本に
なっているのか?

世界は未だ戦場だ
日本も武器を作り売りさばき
放射能の装置迄海外へ売りさばく始末

10万年も消えない
行き場の無い核のゴミ

都合が悪くなると記憶のなくなる政治家

おいおい

大丈夫か?

岩屋

数千年前から
この地が
崇められ
あまたの宮司によって
祈りが逃げずにいた

だが
実は
ある1つの家族に
護られてきた事実

役の行者を祀る

南伊豆
石廊崎
石室神社

小澤宮司さんに再会。

エビ漁師

明け方の漁から戻り
網小屋で
岩で、傷ついた網を治す
オヤジさんに
前に写した写真を渡す

伊勢海老は前の夕方仕掛け
明け方、網をあげるが
岩のギリギリに
船と網をつける為

風があると
転覆して
死である

危険な漁だ

しかし
丘に上がると

おいー
後で寄れよ
少しだけんど
干物もってけー

海の優しさに感謝

自由

朝から風がすごい
風は地球をひたすら冷やし
海をより危険にする
草木や鳥が自由に舞っている

夕暮れを待つ
昨日、石室神社から戻るも
予想より
1時間も早く
太陽が山に消えたから

もう一泊し
夕暮れにかけた

サーファーもいない
風の海が
急に静かになり

あたりが豹変した

氷水のような
誰にも会わない水中で
存分に声をだし
存分に泳いだ

影の跡

太陽が地球の向こうへ
消える間際に

誰も海にも水中にもいない
寒さを超えた
冷たさに

その
何かが
偶然写るのかもしれない

寒さを忘れたく
自由な幸せに
大声で真言を唱え
気をまぎらわす

今まで
出来るだけ透明で
大きな波を求め
南の世界の水中を
旅してきた

実は
昨年から日本の
真冬の海にいる

日本海は無理かもしれないが

ある境地に気づいた訳だが

波にたより
すぎていた

波を撮るのは
簡単かもしれない

よくよく
波と呼ぶものを
見ていると

そもそも波なんて
無いと気づく

水面と水中に
動きと影さえあれば
波の大小も関係なく
その波動と光の狭間の

祈られてきた
時間が染み込んだ日本の
地域と海域に
密かに潜む影を求めた

パラオ

パラオの海
ファインダーは見ないでパチリ

いろんな魚が仲良く群れている
チョウチョウ魚は必ずつがいでいる
ブダイは群れで、単独で珊瑚をガリガリかじる
みな水槽の魚や、肌の色や宗教の差で喧嘩する人間とは違い
みな自然に仲良し

魚をもう15年写してなかった
水中写真の魚の写真は図鑑のような
左かしら(頭)はきつい
これは塩焼きの魚と同じ
心理的に落ち着く訳です

網で右側を先に焼いて
左側を焼くと
はい
左かしらの焼き魚である

それはさておき

14歳の時に
浜野安宏さんのマリアナフリースクールに参加し
2日だけお世話になったパラオの家族の縁が
30年続く不思議

何年経って
突然行っても

お〜来たか!
よしよし

と年月を越えた付き合いが
パラオにある

そんば海のオヤジが死んだ翌日
死んだ事がわかり
電話をすると数秒で奥さんがでる

アキヲは死んでしまったのよ

俺わかったよママ

そして彼の南の墓で
命を掛けて
海を0から修行しようと気づいた
2001年

30年前がなければ
今は無い話し

磨りガラス

スタジオの解体にともなう
引っ越しと写真作品の整理で
この1ヶ月動き回っていた

ので文も書けず

ふと今年の日本の写真をみていて気づいた

海外の大きく、透明な波に頼っていた
あからさまに、これ泳ぐの?

自分で笑うような波に
独りで泳いでたどり着いた
今の心境

心の境を
人は探している
求めている

心が求める間に
人は身を委ねたいもので
新たな自分の
新たな発見と変身に
人生をかけている

その境の向こうから
今迄のその線を観る

なんだ
随分難しく考え
余分に気負っていたな
と笑う

写真の世界は自由でいい
写真は被写体ではなく
撮るべくきめた、その何かに瞬時に心を傾け
押せるかどうか
どれだけ近くに寄るべきなのは,例のキャパの意見と同じ

最近の写真はソフトで加工し色を付けた物が増えている
こうなったら写真ではなく、グラフィックと呼んでくれ

忠実にその何かや場で感じた瞬間や偶然の1枚が
写真機と写真
写真機は今や電化製品
だが
写真だけは,フィルムがデジタルになっても
昔のままでいて欲しい

1枚の写真は読めるから
飾っていて飽きずに
強烈な瞳が物語る人生がある

変わらぬ事
変わる時代の風に
汚染されぬよう
変える必要も、余地もない1枚にかけていたい

そんな事を
思いました。

福塩

メンズファッション協会の理事で
革製品を制作、卸しのモルフォ社の小澤社長と

ファッションブランドの店舗設計からPRを手がけ
特に最近では美人すぎるメンズファンションライター丸山さん
のクラシスアソシエイツの森社長に
今巷で話題の
東郷神社でお清めとご祈祷された
福塩を頂き、写真の前と神棚に祀らせて頂いています。

一度神社の水で清め乾燥させ
祈祷するため、また人気の為に入手が難しく
只今生産が追いつかないようです

隆起した古代の海が山となり
そんな山からとれた海の塩が
こうして海と対面

法螺貝を山で吹き
命の循環を伝える
山伏と同じ行為である

福塩「お知らせ」でご紹介頂いています。

fukushio.jp

スタジオ解体最後の展示

昭和30年代に
適当に早くたてられた
「こうば」に住み着いて今迄
さすがに,柱は腐り危ない状況に
解体し建て直す事に
このこうばから、ホテルオークラやワシントンホテル、御召し列車など
数々の厨房やステンレス製品が生まれ旅立ちました
そんな曾祖父達の様々な音や想いを吸い込んだ
建物ともお別れ。

そこで最後の展示の模様です

1年半後
ここにあらたなスタジオ、ギャラリーが完成予定です

またご報告いたします。

写真講座

一切の竹やぶ
江戸城や有名な忍者の城ではないから
伊賀市もとくに案内板も石碑も作ってない。

かわいそうだな。
ここで伊賀の為に亡くなっているのに

感想は
霊感は無いがなんだか
昔だったら怖いだろうな
竹薮

誰も来てないのだろうな〜

山を下りると
大きな民家に軽トラが
おじさんとおあばさんがいた

山からおりて来た
カメラと花を持った
見かけない俺

を不思議そうに見る

すみません〜
山でお祈りをしていまして

あれ〜あれ〜
奇特な方だな〜

服部半蔵さんですか?

服部家の?

いえいえ
お参りに東京から来てまして

何の人?

写真の人です

あれ〜
ちょと
俺の写真見てください!〜
展覧会に出すんだけども
どれがいいか〜
プロの意見をお聞かせください

奥様
図鑑写真だからやめな〜
そんな見てもらうレベルじゃね〜
恥ずかしい

不思議だな〜
こんなところで
急に写真で繋がるとはな〜

でかい!
額装しちゃったんですか?

ド正面のセミの羽化!

う〜ん
なんかこう
構えて狙いすぎた感じ
だから気持ちはわかりますが
次はズラシて撮るといいですよ
草を構図の手前に入れたりして

奥様
そうれ〜みろ〜
プロはおみとうしさ〜

この手前の草
実は折って撮ってさ〜
駄目ですよね〜

う〜ん
それは駄目!

旦那さん
じゃこれは

でかい!
もう焼いちゃったんですか〜


ニュージーランドの山を歩く笑顔の白人女性ハイカー?
う〜ん

もうひとつあります!

でかい!
インドのガンジス川の夕陽
う〜ん

さらに
ガンジス川の船に棒立ちおじさん

うわ!
怖いですね〜
目がネコみたいに光ってますよ〜

ストロボ焚いたからですよこれ
両方の目の玉が金色!というか
まさにネコ光りビーム!

旦那さんも奥様も大笑い
怖いですね〜
これ

今度は焼く前に相談してくださいよ〜

でも凄いですね
全部海外旅行じゃないですか〜

なんか他にないですかね〜

と参拝も忘れ
写真講座

で本題
子供の頃遊んだ時
あの山に石碑と五輪塔があったですよ

本当ですか〜
どの辺?

俺は今から野菜を売りに市場だけど
あの辺!

随分ザックリな
すごくいい方の月井さん
又御逢いしたいな〜

御礼を述べ

又来てくださいね〜

さっきの山へ戻る

伊賀へ

このところ
築60年近いスタジオの立て替えと解体
連日引っ越しと
11/12~20の最後のスタジオで個展を開く為に(Newsに情報掲載)
機材や荷物を抱え動き回っています

ちなみに17:00~22時の夕方からの個展ですが
早くスタジオに戻れそうな場合は開けますので
急にはなりますが随時アップ致します。
のでどうぞお越し下さい。

木挽きの先祖は実は水口といい
近江から出て来て,築地の波除神社の前に住み
関東大震災で不動明王を祀る,不動前に来たというが
厳密には桐谷火葬場前である

ステンレスの職人だった祖父の工場跡で
ホテルオークラ,ワシントンホテル,お召し列車,米軍基地など
多くの場所にここで作られ,納品されました

とにかく手先が器用で,普段は物静かな祖父
生まれた頃にはここに,手製の水槽が20本ほどあり
海や山が好きな祖父の影響は大きかったのです。


伊勢神宮の特別な御奉納式を終え
やはりその夜には伊賀の湯煙の定宿へ
昼に電話し部屋の空きを調べて頂き

翌日は朝から信長の伊賀焦土、殺戮の蛮行である場
(おそらくは伊賀の国土のすべてが墓場)であるが
わかりやすい場である地侍や忍達の砦(城)跡のお参りへ

当時の日本でも独自の自治組織があった,伊賀と甲賀
普段は伊賀の中でも小競り合いをし
500もの小さな出城があり
それぞれに何々のかみ(守)など勝手に名乗り

伊賀の直線な山並みに包まれた霧深い土地に
外からよそ者が攻撃してきたら
皆で協力し排除する独自の掟が存在したらしい

信長も魑魅魍魎の住む場として
手を付けにくい場だったが

養子にした信雄の2回に渡る伊賀攻めの惨敗に
激怒し,2年後伊賀の裏切り者2名の手引きで
4万の兵で,伊賀の民と伊賀の存在を消そうとした
愚行が天正伊賀の乱である

9月から11月に渡り
各地で神社仏閣から家々に放火し
僧侶から女子供まで容赦なく殺した信長

それに真っ向から抵抗した地侍が忍であり
その後,戦国の世の流れにももり全国に散って行くのだが

影と光りに生き
命が常に掛かる人生において
正心を軸に,特殊な精神体系と武術
地球とのサバイバルや感応力の修行をした彼ら
そんな彼らの生き様と波を泳ぐ行為と重ね合わせ
ながら、彼らの地を巡る旅
なんだか溢れる涙で、ぐっとくるものある
それは不思議と悲しい涙ではなく
瞬間的に湧き出てくるというか、彼らから
気持ちが伝わってくるようだ

だから独りで山へ分け入り
供物と花を持ちお祈りをするようになったのは
今から5年前
人知れず伊賀の為、日本人の矜持と正心のもとに
巨大な力に逃げずに散った彼ら
死をいとわず、こだわらず
その意味が本心と本懐であればいいだけの彼ら

今の日本の政治家や企業家には無い部分

長くなりましたが
そんな個人的な憶いで伊賀と甲賀へ
懐かしい先祖の供養かもしれません

今回は3月に訪れた服部半蔵の城から
隣にあるらしい2つの砦跡へ行く事に朝決めました

車を留めそれらしい山を探すと
独りのおばあさんに逢いました
話せばその城主の城へ案内してあげると
柿を持たせてくれて
手押し車で山の入り口迄一緒に来てくれましたが

日蓮宗のお寺から薬師寺へ

違うけど悪いので
行ってきますねと言い

薬師寺から,薄暗い竹やぶの山へわけ入り砦へ
竹薮の隙間のよじ上り,竹に体を預けながら下り
蜘蛛の巣に絡まりながら
靴はずぶぬれ
マムシに噛まれたら嫌だな〜と本能のまま進むと

なんとかそれらしい開けた不自然な地形を見つけ
薄暗い中で経文を唱えました

彼らに届け〜
きましたよ〜


隣の砦へ

伊勢神宮

伊勢神宮に写真集 Blue Forest が御奉納させて頂きました。
伊賀の滝寺で数年前に出会った岡山鶏卵の会長丹野さん
のご尽力で、伊勢神宮の内宮の神楽殿にて
御奉納の儀式と舞を目の当たりにし
正座で足の感覚がなくなりながら

内宮の普段は入れない内宮内での参拝
から
特別室でお抹茶を頂きました。

全て道具から手ずくりで
神様に御奉納されてきた数々の品々から社殿
ものすごい時間と、揺るぎなく
力に満ちながら継承されて来た時間が
生きている場でした

特に内宮社殿の塀の中の聖域は
今迄に感じたことのない
キンキンした特別な空間でした

この写真集を共に作った熊谷さん初め
吉川紙商事、丸山さん、山田さん
ボブさんはじめ、皆様
この場を借り御礼申し上げます。

伊賀で繋がる不思議な波のご縁

バランス

人生をわくわくと左右,上下させる
出来事がいくつ体験するかで
その人の道は決まる

出来事と言うからには
その「事」がなくてはいけない

重力を感じる浮き世で生きるには
つまり事物である「場」が大事であろう

同じ時間この地球にいながら
同時に違う場所にはいられない
はずだから・・・・

電気仕掛けの電車に詰め込まれ
ビルや植木の公園の人工世界の隙間から太陽を見る

同じ時間を生きるなら
こっちのほうがいい
死ぬ事もあるんだろうが
確実なのは事実と向き合い
自身と向かい合い生きている実感だ。

飛行機を乗り継ぎ
小舟を乗り継ぎ
準備体操をして
心を瞑想し
片手にカメラを縛り付け
片手と両足で泳いで30分
サメやバラクーダの餌にならないように
常に周囲を見渡す

もし来たら向かって行く事
逃げない事

都会じゃ考えも及ばない
不可思議な行動に出る

さっきはさっき
今は今
刻々と変化する見た事も無い地球
どん引きする波が巻き込もうとする

待ったなし!のありのまま

全部が出たとこ勝負だが
これが正しい地球での暮らし

大波が幾重にも迫る
絶海の海で
まるで漫画のような
信じがたい体験と体感をしてきた

なんでこんな沖で波が立つのか?
魚が舞う底まで2m~3mの地続きの海底は
あの山に繋がる

白い鳥達が舞うあの山も昔は海の底

同じ時間生きていて
もしこの時間を
この景色と感覚を
知らない自分が恐ろしく思えた

まるで生まれ変わったような
感覚の雨に打たれ

心が躍る

何の為に生き
何の為に自分がいるのか?

働く為に食うのか?
食う為に働くのか?
物を買う為に働くのか?
良い車や良い家の為にローンに追われ

おかしな都会の仕掛けにはまった俺を知る

ここでは生きる感覚と知恵
雨風と波をしのぎ体を冷やさぬよう
夕暮れ迄にあの海岸に戻らなくてはいけない

泳いで来た以上
泳いで帰る
バスもタクシーも来ないから

地球との距離と約束を憶いだす

怠惰な都会の渦にはまった自分を笑う

こういう事です
旅って

こんなに美しく
恐ろしい聖地を知らなければ

祈りを心から伝える事も
しらないままでいた

きっと
今までの写真も撮れなかったろう

感覚のまま生きてみる

叩かれて伸びるタイプでしょうか?

撮れました

今年の個展「陰陽」は
今迄の凝縮した時間というか
流れ着いたある線を越えた感があり
自らの今の周波数・・・・・

なんて
面倒な事を書いたが
どうしても分析する癖が

本当にはじめてオーストラリアの波を泳いでから
いったい、どれほど自分で尻をひっぱたいて
誰もいない大波に飲まれたか

泳いでいる写真がないから
本当は泳がず棒につけたカメラで撮影していたら
興ざめ!
まさか!
そんな今の政治家のような嘘


自分にしかわからないのだが
それでいいでしょう

山中にひっそりと咲く山桜かな


見えないと決めつけ
波も小型で水も不純だからと
その場にこれでもかと通う日々に
やはり何かが写るようです

透明なでかい波は
誰でも撮れるかもしれない
もう海外の遠い場所でわざわざ撮るのも
その「海外」にたよりすぎていたのかもしれません

この闇のような光のまたたきを
一瞬で見極めるのは本当に難しい

もちろん見ないで写す事を
さらに深く無意識で押す境地に
きましたが・・・・

またまた
よくわかりませんが

ま〜
難しく
やりがいのある
瞬間が少しは感じ取れるように
なったのかもしれません

紙一重に
全ては存在しています

陰と光
波と水

影が無ければ
写真には写りません

光が無くては写りません

生と死

心と体が離れると死です
最近魂の重さは26gだと
アメリカの学者が発見したそうです

死んだら誰もが26g軽くなるそうです

あるでしょうね。

16年間で3回だけハワイの友達と波の旅をしましたが
あとはもう完全に独りです
流されたらそのままです。

それはもう波の裏のガイドブックは無いので
歩いて,探して,泳いで

常に不安と恐怖が胸にぴったり
張り付いた感覚がつきまとう日々でした

それでも眠れない事はないけど
いつのころからか夢を鮮明に見るようになり
匂いや食べ物の味や
特に人の顔(ほとんど見た事ないですが)が
はっきり見えるように

ヒゲの杖を持ったじい様が
なんか良い言葉をかけてくれたり

金色の仏さんが出たりは
まだないですが

不思議な事です

振り返ると
自分の蛇行した足跡が海岸に延々と残る訳だ

波に消されても
自らがそれなりの気持ちで歩いた道は消えない訳だ

誰にだってある
これからもある

可能性は無限だが
どうしてもこの社会の異常な日常の
箱庭では
天空から降る雪も見えない現実だ

この便利で過保護に安全(自然の災害のない)な箱で
騒音やネオン看板の暗くならない夜に
ドアをぴしゃりと閉めれば

地球をなにも感じない
朝起きてビルの影で太陽すら気づかない

誰もが貝のようにフタをして
ドアを閉めて
テレビや携帯の液晶中毒に

心が渇いちまうな

夜空も星も
太陽さえ見ない日々

タヒチで読んだ
古い話

星とは何ですか?

夜空が真っ暗で寂しいから
神様が夜空に星々を置いて行った

人々がいつまでもその星を探し
冷たい海風が星を揺らし
風を揺らし
そんな時に
本来の人間の大切な想いを
憶いだすのです

様々な伝統技巧、浮世絵、日本料理、生け花,香道、古武道,墓参りなど
日本人は世界で一番のロマンチストだと思います。
我々日本人に誰もがそなわる特権です

波の中の砂嵐
目には水中メガネだから平気だが
頭から砂まみれだ

太陽が沈む位置
その高さ
海岸の高さ
ビルがないこと
防波堤が無い事
波が届く事

そこにその時
立ち会う事

まさに奇妙で数奇な縁

咿啞mでは電線も建物もなにもない
昔のままの海岸風景を探すほうが難しい
日々日本の海岸線も壊されている

地球にも生物にも大迷惑な港湾の埋め立てと
金を無理に生ませる無意味な公共事業
地方に行けば行く程
原発交付金をあてにする人々など
人は仲たがいをおこす

金は怖い
海で金があってもただの紙切れ。

環境とかロハスとかサスタナブルとか未来とか5感とか
そんな気持ち悪い
難しい事でなく

それが地球に我々に良いのか,悪いのか?は
小学生でもわかる事
健全な地球があり
その上に寄生する人間

波を裸で泳げば
その意味が瞬時にわかります

覚悟


死生あり

心眼

京都御所の侍である遠藤盛遠が夫のいる
袈裟御前を愛し
ある夜寝間に忍び寄りその夫を殺めたつもりが
そこに寝ていたのは袈裟御前であった

自ら幕をひいた過袈裟御前
それを機に
盛遠(もりとう)は出家し文覚(もんがく)となり

冬の那智の瀧でひたすら祈り2度死んだが

それを見ていた不動明王が,眷属のこんがら、せいたか童子に
命を救わせた説話を,江戸の国芳から弟子の芳年が
明治20年に図案化し彫ったもの

よくみると水煙の型押しまであり
ただならぬ魂の様相に一目惚れした

写真も絵も良いものいいが

自分達はシャッター音も偽造された
家電なカメラを
スーパーで買ってきてパチリだ。

随分と楽な事してるな
と恥ずかしい

全く物の収集癖はないが、妙に惹かれる事がしばし起きる
例の胸がざわつく感じだ

昭和53年頃の浮世絵のある研究者の方の文を読んでいた

安政3年(1858)
北斎漫画がパリへ輸出された,陶器の詰め物とし渡り
狂熱を引き起こした
江戸後期に生活のゆとりと趣味の向上に伴う
衣食住の豊かにする中
手軽に入手出来る木版印刷を
作る側はその労を惜しまず
必要を越えて贅沢な迄の資格の楽しみを満喫し
その多くは当然のこととして使い捨てた

奢侈(しゃし)禁止令が出るたび
武家階級に自由な表現を抑圧された為か
現実を超越する想像力がたくまし

人々の幻想の世が浮世絵に持ち込まれ
中でも御用画家の狩野派とは違う
国芳一門は反逆と卓越した幻画の制作者であった
当時は浮世絵にも検疫があった

やがて武家階級が没落し,上層商人だけでなく
街全体が文化を享受するようになった
江戸後期
時代と歴史が生んだ江戸時代の絵画や浮世絵

芸術という言葉自体が無く
様々な印刷技術の質の高さ

江戸の後期に武家階級の圧政のよる
適当ないわれも無い、冤罪や裁きで
24人に1人が斬首されたというから
とんでもない江戸時代だ

大田区の鈴が森
代官山槍が先
南千住の小塚原の刑場は
何十万もの人々の血と恨みを吸っている

なにわともあれ
印刷機もカメラも無い時代
当時は安かった浮世絵を見ては
旅先の様子を想像し
行ってみたいな〜
なんて1枚の版画から思いをつもらせたのだろう

戦争や地震や火事,湿気や虫
なによりも、当時はそんなに大事にされてなかった訳で
そんな150~300年前の
紙が残っているのも奇跡だ

当時数百円の絵が今では何十万、何百万もする
骨董品という言葉が作られ
高級になった


それにしても
紙すきの技
原案を書いて校正して行く広重や国芳
彫り師
何枚もの版木を寸分の狂い無く刷った刷師

とんでもない手間と夢が詰まった1枚である事は
間違いが無い

写真なんかいつまでネガやデジタルデータが残る事やら
昔メーカーが100年プリントなんて言ったが
誰も100年生きて、見てないのだから
やはり荒っぽい

昨今の人口爆発と価格競争の被害者
違う海で捕まえた魚介類や野菜を
別な港に運べば産地が変わる奇跡と同じく

安い怪しいネタの回転寿しの過剰な普及で
天然風マグロや半養殖など言語が作られてきた

昔は駄目だった安い鮭弁当は養殖ニジマスだが
鮭と言っていい
妙な許諾のおかしな浮き世

今も当時の武家政治の圧力と何ら変わらない
中国のような共産主義の日本

「浮世」絵はドキュメンタリー写真と変わっても
消えることはないだろう

正直な目と心
心眼を持つ彼らのような
ジャーナリストがいる限り

ページの先頭へ戻る