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あんすりうむ

連日大にぎわいのお店
写真を見に来て頂いてる訳ではなく
この天高の独特なお店の空間と、スタッフの心根と味がいいのです

もちろん写真はこの美しい空間を
より如実に官能的に野性的にするための
飾りであるから
余計に大きくしたり
作家の思い入れだけの1枚を
飾るとその場の流れが苦しくなり

お客様の滞在時間に影響します

着心地ならぬ居心地が悪くしないように

海にいて居心地がわるくならないように
この都会の場を、不思議な海の心地になればと
毎年展示をさせていただいています

数年前日赤の救助員で硫黄がモクモクと湧く雪山で
スキーパトロールの資格を山にこもり朝から夜中迄共に訓練した同士のような
友人夫婦からお花が

杏流無 あんすりゅうむ
たしかに 杏 の無の流れ

いえいえ
偶然変換したらこうなったのですが
不思議です

誰が考案したのかわかりませんが

花言葉は
飾らない美しさ
だと御聞きし

心から暖かな
奥深い贈り物だと感じました

こういう事が余裕というか
気持ちが大事です 

いつも彼らの繊細な思いやりには心がペコリ

雪は海の恵みか、山の恵みか?
を頂きました

海の繋がり

あまりの忙しさに
ブログを忘れてました

代々木上原駅前のファイヤーキングカフェさんで
7/18~8/20まで個展が始まりました

この写真は、18日明け方3時の設置模様

オーナー阿部さんも自ら手伝って頂き
毎年、もう12?、13? 年目の深夜の設置にも
だいぶ慣れました

阿部さんの家系は
ねっからの海軍軍人

おじいさんは真珠湾攻撃時から戦いぬき
最後は巨大空母 信濃艦長として
四国沖で48歳の生涯を自ら終えねばならなかった
阿部俊雄さん

ちょうど今の僕の年です。

信濃は戦艦、大和、武蔵と同じ3番艦として
建造中でしたが、大砲で打ちあう日本海海戦とは
その戦法はかわり、イタリアが初めて示し
日本が真珠湾で博打をうち、成功した
航空機による攻撃に変わったのに

古い考えと、妙な日本の凝り固まった
現実と、自らをかんなみない
大艦巨砲主義に引きづられ

又レーダーの開発より
精神力だという
不条理で非合理的な圧力を
みとめざる得ない、昭和20年
戦艦を空母に改装した
のですが、特攻機桜花をらつみながら
わずか1本の魚雷で緩やかに沈みむした。

丁度僕夫の年に責任をとり
日本海軍の古いしきたりにより
艦と命をともにした古武士です

弟にあたるおじさんも海軍の提督です

そんな不思議な海の命を
おじいさん達に見て頂けたらと

平和な世の中
本当は長く生きられた命を
自ら、国の為、大義の為に終わらせなければ
ならなかった阿部さん

趣味というか
わざと命を捨てかけながら撮影するなんて
贅沢で平和だからできるのです

どんな理由や跡付けの考証
よりも
あののぴっきならない国難の時代と、大本営の虚像に
消えた約130万人の命

右とか左ではない真っすぐな部分で
靖国神社に詣でこうべをたれるのが
今の生きた振りをしている我々の役目だと
いうのは胸で感じることであり

頭で考えた行為ではないはずです

アメリカではアーリントン国立墓地
イギリスでは ダーウィンも眠るウェストミンスター寺院 

日本は国の管轄ではなく、個の神社だからとも
言う人もいますがそんなのはいい訳

国の為に殉じた彼らを
国の認めた墓地で祈られている事実

欧米ではアーメンキリスト様が
仲介役ではあるが

敵味方とて
その意味、いや真意は同じである

彼らの周りには幾億の家族や仲間がいたのです

「分け登る麓の道は多けれど、同じ高嶺の月をみるかな」

であるから

仏教もキリスト教も
教がややこしくしてる事実は別として
信心があれば向こう様には必ず伝わるわけです

太陽や、月や海や風さえも
我々を観察し
その心までもレントゲンのように見透かされています

お教や呪文は
その鍵のようなもの
すでに読んだ時点で
間違えようと
なんだろうと

伝わるのです

地球を尊重し
敬ってきた時間は
絶滅寸前であり

動植物が絶滅する訳ではなく
人間の地球への距離が離れ
た姿に過ぎないのでしょう

風、石、木々、魚、サメ、イルカ
うみ、太陽、瀧には命が宿り
世界の地で貝を吹き
地球の精霊やスピリットへ感謝を伝えた時代

全ては絶妙に人間より
はるか昔から地球を壊さず生きて来たのに

人間だけが、自分の都合だけで
目先の金の為に
何でも欲しがり
手に入れようとせめぎあう今

世界の海へ行き年々
その村の暮らしに、石油製品やケミカルな洗剤が輸入され
その使い方も知らない昭和30年代の日本のように
今の千葉や伊豆をはじめ地方の海岸沿いの家もいまだ
台所と洗濯排水は川へ垂れ流しで

汚染は日々進む
もう地球は昔には戻れない
透明な海がもうなくなる日
青い海がいつかなくなる日が 近いと
感じてます

どうしましょうか?

神楽坂の現像所 データフォトさん
フィルムや印画紙が海外で発明され輸入され100年

今や現像機も印画紙も風前のともしび

日本製デジタルカメラで写したデータをスキャンし
印画紙へ幾度も焼いて行く

自分ではできないから職人さんの感覚におまかせ

98年頃からデジタル化した写真業界
ユージンスミスの助手をし
車や人物の撮影をしていた、柏原誠 師匠

ある日 
笑いながら「俺は写真や やめるわ!」
お前は海にバ〜ン!と行け!
写真機は所詮道具だぞ

と言い出して 

驚いたあの日

「これからはデジタルカメラになり
俺たちの腕の見せ場がなくなるから
つまらね〜

だからな絵描きになる!」

言い本当にやめたオヤジの
あの潔さは生涯忘れない

昔はあの酢酸の酸っぱい匂いの暗室で
自らプリントし納めた
ちゃんと写ってるのか?
現像失敗しないか?
納品に間に合うか?

すべてが緊張の連続と大変な作業だった

それが今では嘘のように
コンビニで物を買う感覚になり
1枚の写真を大事にしない風潮に飲み込まれかねない

今年で13年目の代々木上原のファイヤーキングカフェさんの展示
この場が毎夏あるから、作品意欲をかき立てられる

毎年新作を,夏の個展が終わりだすと撮り始め
15~16枚選んできた

電卓を使わないと答えがだせない頭で
13×15=195枚

そこからお客様のもとに飾られて行った不思議

波達は元気かな?

今があり未来があり
その今が瞬時に過去となる


実は連続して回転しては繰り返す

多にして一
一にして多

観念的な世界観を押し付けられがちな今
日本の国土の約8割が山だった性質上
今よりも美しい景色の日本の俗世間から
目の前にそびえる、音信不通な山に入り
擬死再生を試みた過去の修験者のように

実際の体験と体感、感応した事実を
本当の自然界で知れば

頭でこね考え、イメージした虚構の愚かさを知り笑う

万物や生命は地球に絶妙に溶け合い
人間がだけが一方的に、この地球を破壊している

自分の小さな力と巨大な地球の力を正直に認める
ことが、あの魔界から生きて戻る手段の初歩である

日本は島国である
ならば
美しい魔界の海で祈ることも
山に分け入り瀧をあおぎ、磐座を崇めた先人の憶いと
同じだと信ずる

何はともあれ
朝日の差し込む波の中は本当に美しい

これ以上の言葉はない

今を見るには少し前から観る事

波を写す行為が波の中の修験道だと信じてやまない

1枚の写真に救われ
1枚の写真に背中を押されて海に落ちた訳です

本質を観る
本質で生きる
本質をパチリ

たくさんの今から教わり感じたのは頭でなく胸でした

見て頂いた皆さんの胸の辺りが「ざわざわ」しすような1枚を

7/18火曜の11:30~ 8/20日曜深夜2:00まで
代々木上原駅前に展示させて頂いています。

ファイヤーキングカフェ
渋谷区上原1-30-8
Tel 03-3469-7911
wwww.fk-cafe.com

笑う

ラロトンガ島

なんだかポリネシアの響きに惹かれ

それも誰もいない太平洋の岸から400mの珊瑚の浅い崖にいる

独り浮きながら

何してるんだろう?俺?
独り大声で笑う

心を洗われた訳です

ひげのじいさまの教会で
洗うのとは
根本が違う

古来から生きる地球に表れること

これが大事

人や物では
所詮その人の生きて来た雑味や
アクがある

これぞ今はやりの
オーガニックの元祖

地球と海の爆発!
と再生!

正しい地球での距離感

笑うこと
怖さをしること

かたときも
隙もやましい心が邪魔してこなように
両目で心で
迫り来る波を読む

ちなみに
たまに聞かれますが
弟子はとってません

自分の死で精一杯!

ライフガードが溺れる海
小魚は元気に泳いでます

タオ

自分が何者になるのか?

名刺になんて書くのか?

自分は何です。

言いたい訳だが

これがなかなか難しい

間違いないのは
お金を考えず

自分がみつけた光を
濁らせないこと

ある時期にきたら
選ばせられる

その時に
自分の声か?
己を裸に

覚悟しないといけない

それには過去から今を
嫌な思いや、さけて逃げて来たことを
見つめる事かもしれない

大きくラジオの周波数を変えてみる

僕の場合
息の続く限り

できるだけ裸で海に行くべきだ

俺は酸素ボンベで短い時間だけ海に入り
泥棒だ

ずるい!

全てを捨てる
身も心の中の邪魔も

なんてある日思い立つ

大事なのは行動。

東急ハンズなど数々の夢のある時間を
創造された、フライフィシングが大好きな浜野安宏さんに
14歳でつれてこられたパラオで

32歳の時に立ち返って
そのホームステーした家の主
逝去したアキヲさんのお墓の前で

海の苦しい修行はなんだろう?
俺は海を知ったふりをしていたな
と恥ずかしい自分を見た

すると
戦場ではんく
波の中!だと
今迄なかったフレーズが降りて来た

でそのまま波の中へ

それから数年後
スパイラルカフェで展示をした際,仲良くなった
1Fのカフェの店員だった芦沼君と話す機会が

彼に写真を見せると
「うわ!〜これ人に見せた方がいいですよ〜」

いやいや
あと5年程撮りためてから出すよ

「僕の家の近くに良いギャラリーカフェが
あるから今日言って来て話してみます」

それが今年で12年目の」ファイヤーキングカフェ

その初めての展示2005年
ある方が何枚も写真を購入してくださり

数年後の同じカフェで
どうですか?最近
まねされないうちに写真集をだしたくて

「まね出来ないでしょ〜これ」

問題は膨大な制作費!
すると写真の制作費、数百万を
惜しみなく大胆に
ポンとだして頂いた熊谷さん

人生は不思議と関係ない様な昔の時間と
人々野優しさで繋がっている

あの34年前
ある1軒のホームステーした家とそこの家族

20年前連絡もせずにパラオへ
グアムから前の席に座った女の子
家に着くその女の子が家の前に

なんだ〜
の当時8歳のユニス!

数年前彼らに連れて行かれた、広島出身の岸川さんのカープレストラン
話せば僕の広島の婆さんの友達!

まだまだありますが
思うがままに生きる事
おもうがままに行ってみる事

小さな事でも
波のようにいつか仲間やら嬉しい事を
連れてきてくれる

この数年夢中なのは
日本の朝陽と波!

暗黒と光の極端な
陰陽

どっちがかけても
存在しない

タオの世界である

新たな自分を写真から読む

うけたもう!

闇からの光
青く透明な波は今思えば
見えやすく、撮りやすいかもしれません。

崩れ散る波を
一度かわしながら
反転して撮る

から

崩れる波を待ちながら
崩れ来る波を
かわして撮る

言葉では難しいので
会期中に御逢い出来た方には
ご説明します

体の使い方は同じ
心のもちようは変わったのかと
思います

大きな透明な太陽が照りつける見える波から

向かい来る波を受け止めて
さらに僅かなタイミングで
動きながら撮る

わかりませんね

なんでしょう

大人になった?

というか

難しくも挑戦しがいのある
僅かな時間でありがなら
極度な集中心で
暖かな地球と生きている

感覚を知りました

羽黒山伏の方々の言う
うけたもう!の
境地なのかもしれません

個展開催 ファイヤーキングカフェ!

夏の個展のお知らせです
期間  7/18(火)~8/20(日)
タイトル 黎明 REIMEI
場所 代々木上原 ファイヤーキングカフェ

Open ? am 11:30~ am 2:00 ?sat .sun, holiday ? pm 12:00~am 2:00
www.fk-cafe.com
TEL 03-3469-7911
渋谷区上原1-30-8 (代々木上原駅前です)

昨年は日本の夕暮れの波の裏側でしたが
今年は夜明けの波の裏側

まだ暗い真冬の日本

水面を走る太陽と共に刻々と
向かって来る波を受け止めて撮る
僅か20〜30分の難しい撮影でした

様々な太陽と光色と波

近くの海の神社で祝詞を捧げ

不思議な世界を見させて頂きました

忘れない感覚


生涯で忘れえぬ1枚

記憶は曖昧だが

この時の感覚
水の早さや固さ
心臓がきりきりする緊張感

全て鮮やかにどこかに保存されている

グーグルアースで宇宙からの波を見た独り旅
ついた場所は荒磯!だったマジックに大笑い!

2日かけニュージーランドを経由し
雨の中をバイクでここへ来たこと

よせばいいのに
スローシャッターで沖へ向かうも
雨がふる誰もいない沖あい400m

拭いきれない
あまりの怖さに15分しかいれずに
退散!

拭いきろうとも
拭いきれない怖さの存在をしっかりと知る

雨の中ウェットを来たままバイクで帰り
途中の市場でタロイモを買い
日本からもってきた味噌でにてたべたこと

何もかもが
斬新な体験で
日本の町にいたら一生知らないままでいたこと
に怖さを覚えた

人生は未体験のほうが
多いに決まってる

誰かが商業的に作った
ジェットコースターや映画じゃ駄目なんだ

ありのままの
古来から変わらぬ景色と
変わらぬ強さに身を置くこと

海とは
足の着かない厳しい場から戻れたら
寝転べる優しい静かな場所に行く

このバランスに心をかたむけ
体を使う

想いを大切に
精一杯覚悟し
大胆に力を尽くす

あきらめる必要はいらない

おかしな暮らし

幼い頃の物語にでてきそうな南の島の人

独り大海で漁をする

クックやマゼランに見つかり汚染され
愛をときながらも,戦争をし殺生をしてきたキリスト教

そんなおひげおじさんの威光を強くしたいため
昔は自然を大事にしてきたが
そこを隠蔽したキリストの教え

そんな外来種の汚染に屈しない
時間こそ今や地球の宝である

自然にそくし
太陽に潮流にそくし
あらがわず生きる日々こそ
がほんとうの名前も戒律も強制も無い
教えであ

あらがえば死であるから
死生観という言葉はなくとも
身を以てわかりきっている彼ら

地球があり
そこにあわせてしか生きれない人間
ある独りの誰かが言った事や
唯一無二など
そもそもズレがある訳で

窓を閉め電気をテレビをパチリ!

よ〜くみれば
闇と太陽の動きに合わせて生きている
のだが

その距離感が失われている

それが地球や海を大事にしない事へ
繋がる訳だ

強さ、怖さを知る事
片時も気が抜けない地球を忘れない事
存分に美しい朝日と夕陽に包まれる事

生きる意味は
金儲けじゃない訳ですが

どうにもこうにも

困ったものです

ゆっくり?いや、普通の速度で生きる

ニューギニアはいまだ
木をくりぬき
横に浮きとなる木を絶妙な距離でわたす
カヌーで海へでかける

原始的というか
これが地球と人の距離感だと感じる

体力がものをいう
命ががけの命を守るお供である

多くの魚を捕りすぎない
自然な暮らしの自然素材

日本の高速化した世の中

夜行列車が廃止になった
列車旅

と同等時間がかかるから
観える時間がある

今の人間は早すぎる

固いな!珊瑚がに!

前にも書いたが
暗い家の中ではカニを茹でて食べていた

知り合い?

妙に昔から知ってるように接してくれる

ほいよ〜
と大きさのわりに
丸くずっしりした
脚が全部ついた
一番良いカニをもらうが

かじるが
歯が滑る?

歯が折れたかと思った!

大笑いされるが

まさに歯が立たない
分厚い甲羅!

みな丸かじりは
どんな歯をしてるんだ!

珊瑚の石で叩いて
食べる
甘い海の味
マングローブクラブ似たうまさ

海風の吹く
海辺の優しさを頂いた

ニューギニアの海の暮らし
電気も水道も無いが

昔からの地球にずるい事をしない
厳しい暮らしを

自然に過して来た,優しさと
顔である

自然な円運動

引き潮の跡

泡に含まれるタンパク質や塩がつくる線は
波とおなじ微妙な曲線を描く

前にも書いたが
地球にあるものには角が無い

地球で適材適所で生きて来た
物質も生き物も
全て角の無い、円運動の様な形

トーラスと同じ
全ては回転しながら
生きるエネルギーであるから

波も砂浜の模様も
風も回転しながら
こうした一連の同じ姿に
自然になる

珊瑚も木々も砂浜の砂紋も
点と点を繋ぐと
怖いことにある形になるんじゃないか?

フィボナッチ

ゆっくり
あらためて
波の模様の点と点を繋いでみよう

古武道も円運動だから
地球と人の気のような
動きを昔の人は読めたんだろうな

千葉へ

昨夜思い立ち
なんてきざな

正直、海に入りたくなり
千葉の友人の海の家へ行く

やはり朝4時には起きるのをやめた

静かな地球の音しかしない場だと

身も心も自然体になる

深く寝ると
夢を見た

斜面の二股に分かれる
入り組んだ右の細い半都会な路地を
あるくと

お稲荷さんを祀る神社があった
これがわりと近代的な神社で

ま〜お祈りをし

その高台から見る景色は
さっきよりも
人工物に囲まれた町


ここは子供の頃かよった小学校の
白金ではないが
白金のイメージがきた

あとは忘れたが・・・

つまり今の自分の心境
つまり自然の神様と自然の暮らしの
バランスを表しているのだと感じた

波はあるが
水がやはり濁り
太陽も出過ぎたから
撮影はせずに

波乗りをした

ありのまま

ニューギニアのウォーターフロントの暮らし

潮風は高床式の木の家を吹き抜ける
夜は相当冷え込む
実は厳しいのだが
マラリアの蚊が風で飛ばされ
山よりも安全な海辺の家

何億もするハワイのアメリカ風な
風景に似合わない家とは違い

すべてが自然な素材で
自然にとけ込んでいる

のだが
石油製品や洗剤が
そのまま海に流されて行く現実

海には乾電池や
ゴミやら

そこで魚、やカニを捕まえ食べている

全体量や
千葉の海沿いの生活排水の垂れ流し
に比べたらなんて事はないのだろうが

日本が未だ,台所洗剤や洗濯洗剤の
垂れ流しの現実

原始の地球と人間の暮らしの境界線で

境界ができた訳

そろそろ旅へ行きたいな

実は1月にスキーで凍った急斜面で両足の板が外れ
受け身もとれずに、右肩からこけた
夜には腕が上がらず,うなっていたが
折れてはなさそうだから
いずれ治るだろうと,針治療できたが

あまりに治らないので
最近、広尾の日赤医療センターでレントゲンを撮り
診断して頂いた

やはり骨折はまぬがれたが
筋肉や靭帯をそれなりに損傷したようで
自然に動かしながら待つしかないようだ

攻めた怪我だからよい怪我だが
年を重ね、無理をしたら昔とは違うのか?と知る

ともあれ海外はもういいなど
と言いながらも

どうもこの波が懐かしくなる

すべて空港から宿までお膳立てされた観光地へ行く旅ではなく

波のありそうな場所から
波まで全て独りで開拓し挑戦し泳いでみる
訳だから

どうもその思い出が深く心や体に染み込んでいる為か
あの妙な緊張感やワクワク感
危ないな〜という死に直面する1時間が懐かしい

ここはニュージーランドを経由し
三日もかかり
レンタルバイクで波を探し
雨の300~400m沖で独り
タヒチの横、クック諸島のラロトンガ島

今迄で一番早い高速なロール波に
驚いた!なんてもんじゃない

波がせまり
タイミングをはからい潜って反転すると
もう遠くにロールが消えて行く

全ての動作を今迄よりクイックにし
満ち潮のうちに帰らないと
岸へ戻れなくなる恐怖に
毎日鍛えられた

海はあきらかに人間の住む場ではない!
体温を奪い続け
待った無しの一列の大波

何してんだろ
俺?


沖で独り大笑い

この海の初日まで
実はグーグルアースで見て来てみたら
波もなくサーファーにも逢わず

やっちまったか!と笑うも

宿からバイクで30分
偶然見つけた波に喜んだ

ようやく片手で泳いで20分

例の得体の知れぬ力と、ポリネシアの古い自然の神様?が
誰じゃ!おまえは〜!と言ってる感じがした

だから
住所と名前を海で言った。

馬鹿げた話だが
もうそのくらい素直になる海でした

人と地球の境界線を自然となづけ
その強く命をも脅かす地球の力をさける暮らし
が今の町の暮らしである

渓谷や瀧を壊し
山を海を埋め立て出来た人工都市で
好きな時に電気をパチリ

自然にそんな本当の地球の姿も力も忘れてしまう

好きな時にスーパーで魚や解体された動物の肉を買う
きれいな部分しか見えない現実こそ虚像である
そりゃ心もストレスです

するとどうだ
人間は余計な事をでかし
余計な物を買い集め
何の為に生きているやら

世界の先進国の人々は地球のボスだと振る舞い
しまいには戦争で海も山もめちゃくちゃに

たのみますよ〜
本当

ここまで泳いで来たら
心でわかります

地球の大切さ
その美しくも儚い脆弱さと
人間に何も悪さをしない珊瑚や魚達の楽園を

あ〜怖い
早く帰りたい!

でも
また行きたい!

アル中と一緒でしょうか?

聖域

波が荒く枝状の珊瑚は折られて生きてゆけない
プールのように固い平らな珊瑚礁

ニュージーランドを経由し3日
ここが武者修行の場であり
神社にもにた地球とこの土地の聖域

あの日を知る

2009年のフィジーの離島
この辺りは船も通らない
絶海の孤島

車なし
電線なし
ビルなし
お店なし
テレビなし
電気なし

天然水あり
妖精あり
村人あり
魚あり
タロイモあり
カバあり(覚醒する胡椒の木の汁)
大波あり

最高だ!

太陽も雨も虹も昔のまま

途方もない時間が
珊瑚や岩が砂になった時間に

それぞれに生きる為に順応した
絶妙な配置があるべき地球の姿

数十年後、中国マネーに買われ
ワイキキや佃島の様な姿になったら
海の神様も大暴れだ!
なんて思いながら
穏やかな海面に漂うも

ある一瞬にして
魔界に一変

ここは気軽に泳いで来る場でも
海は人間の住む場ではない

そんな手のひら返しの連続を切り抜け
体を安全な場に自力で運び
真剣に神経を張り巡らせる連続が

岸に戻りたいと
急にどこからか
胸に運ぶ

アドレナリンだか
なんだかが胸にすーっと集まり過ぎると
怖さに負ける

見た事も無い
教科書にも町の暮らしにもない
地球の常識を身をもって
心をもって知る

あの日がなかったら
今はないのだから・・・・

昔の胸騒ぎ

波の中にいたかった
波の中に溶けこみたかった

あらゆる言葉をくつがえす意味

妖精の住む
フィジーの離島で

今では排水路と化した目黒川の東京湾の注ぎ口付近
蛇行した川を埋め立て真っすぐにしたらしい

祖父が幼い頃は鮎も登る
美しい土手の川だと聞いた
それも大正時代

しかし川の周囲にはあまたの神社と神様が
その時間を見つめながら
じっとその場で人々の憶いを見つめてきた

のだが
神社もそもそも人が作ったものである

口を開いて宇宙の始まり「あ」と言いいながら
海を昔は見つめていた狛犬の先は家が建ち並ぶ

ご存知の通り
左の狛犬は口を閉ざし「ん」である
あうん 呼吸とはこのこと

アロハと同じな訳だ

川も海もそれよりも遥か昔からあり
魚も亀も貝も海藻も
海という有機体と共に適材適所で
完全なる調和と互いを破壊しない
バランスで生きている

独りフィジーの離島に大海に漂うと
明らかに自分は異物であり
人間の命など簡単に消え失せると知る

1度でも染み込んだこの感覚は
記録されている

そのあたりが,人間と地球の大事だった
線であろう

6里夢中

Newsにも書きましたが

実はこれらの日本の写真は
暗闇の海から旭と波を写したものです

今迄は崩れ散る波を
水中で波をかわしてから
反転し陸地に向いて押してましたが

これは
沖から朝日が水面を走り
崩れる波を沖に向いて受け止めながら押すのです

すみません
説明がうまくできません・・・

刻々と変わる太陽と波の色彩をパチリ!
当然今迄通りに、ずるい一切の色加工はしていません

自分でも見た事も無い1枚に驚きました

崩れる波をギリギリで正面から待ちながら
撮るのは実は危険で難しく

個展で身振り手振りご説明させて頂きます

海も暗く水中で波の動きが読めないので
タイミングと感です

磨ぎ澄んだ心と
間合いです

だから神経がすごい疲れます

面白い撮影法を見つけました
しばらく夢中です

薄氷

雨のフィジーの離島

ビルも電線もない海から見える景色
海の中も
黒い沖の海も

すべてが昔のままの景色

一切の待った!も
手加減なんて知らない世界

正しい姿で
海,山、海底、砂浜、珊瑚、魚、波
途方も無い時間と
地球と宇宙の力のみで
造られている造形美は美しい

そんな絶対的な調和に異物は沖に浮かぶ俺一人

波の大きさではない
何かがあり
何かに見られている

波は潜らないとかわせない
そのタイミングがズレたら
あの世をぐっと引き寄せる

タイミングは間であり
前にも書いた拍子である

机の上では簡単に思える
つまり立ち泳ぎから頭から深く
鵜のように潜り逃げるには

泳力とは違う
心の強さが切望されるが
これが自然にできないといけない

日々訓練と経験をつみ
己の小ささと
立ち位置を正直に知る事

常に海はたくさんの事を教えてくれる

引き返し戻るのも勇気
行くのも勇気

難しい・・・

水中の話

海が重い

これが水の雲なら何十トンで潰れてるが
これは水中は空気の雲だから

なんとか

水の密度があり
それが潰れない理由

難しいな…

水どうしが
微細な隙間をもちながら
押し合う

難しいな…

絶妙な浮力で沈む水

難しいな….

水分子がくっ付いて
離れるから
高いところから
水に落ちてもクッションの役目

水中の高い場所
から深い場所に落ちたら

どうなるか?

海底の岩に叩き付けられるか
ひたすらもみくちゃにされ
肺の空気迄も押し出され
されるがまま
息が吸えない

それは表現のない苦しさと
恐怖でしかない

とかく
水中は難しい

言葉を越えた世界だから

人間は謙虚になる

言葉を越えた美しさに

生きた死んだの
くり返しに

色々思う訳です

ま〜幸せな感覚ってもんです

伝承

20mmレンズで波に入り込む
師匠の師匠ユージンスミスが沖縄戦でドキュメンタリーを求め撮影したように
マグナムフォトで戦場を撮っていたキャパの
50mmレンズで被写体に近寄らねば という心持ちは確信をついている

水中で望遠もズームレンズは使わない
できるだけ、シンプルな道具で
波に溶けたかったから
余計な事すらしたくない

ひたすら波の裏側を
必殺技で泳いで生き延びる!

うごめく波と一体になり
その波の懐こそが命を守るのだが

時にして巨大な波から離れたら巻き込まれ
ボコボコにされる

つまりは心が逃げたら死装束

諸刃の剣を上手に使う

最も危険な場であるが
最も安全な場でもある

その紙一重の差に惚れた
写真はそのご褒美だ

「そこんとこよろしく!」
と言った矢沢永吉の一言は深い

どうせファインダーは見ないから
手を伸ばした位置と角度がその全てを決める

レンズの絵の広さ(画角)を感覚に覚えさせ
できるだけ撮りたい場に入り込むしかない

これは 人も同じだろう

かよいあう
いや
相手に撮るぜ!
という仰々しい殺気を消して撮る

波と同じ

時間がすぎさり
苔むした庭のごとく

裸で波の裏側を独り旅をしてきた
時間が教えてくれる事がある

時間はあるようでない
あっと言う間に消えて行く

彼らのように想い考え哲学しながら
大胆に生きる!

間違いなく
必ず
考えも及ばない喜びと
時間がどこからともなくやってくる

1枚の写真はそれを具現化してくれます

話し
書く事は確かにしてくれます

写す事も嘘がばれます

写真術

カメラは24のとき
あてもなくオーストラリアへ向かう
道ずれが最初

父にもらったキャノンAE1
フィルムをしこたま買い込んで
搭乗ゲートのX線検査で駄目になる
という迷信が行き交う時代

1998年の1年
写真家 柏原誠オヤジのスタジオで勉強させて頂いた

自由で大胆な優しさに溢れ
人が好きで周囲にはいつも誰かしらが
集まる哲学なオヤジだった

その昔はユージンスミスの日本でのプリントをしていたと聞いた

ユージンは太平洋戦争でサイパンや沖縄戦に従軍した戦場カメラマン
大けがをし、人が殺し合う愚かさに気づき、やがて
水俣病を撮り続けたドキュメンタリーな反骨家

水俣病は周知の通り
小和田雅子さんの関係である
江頭豊の会社チッソが引きおこしたのだが
当時はその事実を隠蔽し全くその責を認めず

水俣病被害者に「死んだ魚を食べる乞食がカネせびりに来たな」
「腐った魚を食べるから汚い病気にかかる。伝染るから近づくな」(株主総会で一株株主の患者達に)と恫喝し
暴力団を雇って五井の集会で患者や新聞記者を襲わせた。
ユージン・スミスも脊椎を損傷。片目を失明した。

でも日本人を恨んでないとユージンは言った

そして柏原オヤジ

おい!カメラは所詮道具だぞ
おもうがまま行けよ!

ユージンは良いオヤジだったな〜

それが口癖だった

そんな柏原のオヤジは
ある写真の賞をとったら
ある日秋山庄太郎の事務所から
「賞を300万でゆずってくれないか」と言われてな

どうしたの?

そりゃ当然やったわ! タダで

やっぱりな
「賞はショーなんだ」な


笑っていた

なんやかんや
写真の師匠達は反逆の1枚を探求した男達

彼らに恥じぬよう
ドキュメンタリーで行く!
それが彼らが僕に残し伝えた写真術の心髄である

ユージンスミスと柏原のおやじが
そっくりなだったのを
最近気づく

ユージンスミス

「写真は見たままの現実を写しとるものだと信じられているが、そうした私たちの信念につけ込んで写真は平気でウソをつくということに気づかねばならない」

あとづけの題名

真冬の明け方に
波の中を泳いだら
撮れた

これが全てです

題名のない写真

題名は撮れたあとに
後からつける為
どうも微妙です

写真展だとギャラリー側からお願いされたり
DMになにかイメージがないと
しまらないなどあります

どうしてもショウですので
仕方ありませんが

僕の場合1枚1枚の状況をお客様に
説明することはできます
ノーファインダーですが
その前後の時間と動き続ける景色を
覚えているのでしょうか?
それだけ真剣に集中している?

ま〜時に延々と説明してしまい反省もします

ともかく1枚に
題名をつける事はしません

自由な大自然の瞬間に
人間の思惑を押し付けたら失礼で

そもそものコンセプトが裸で行く!ですから
その道筋も極めたいのです

見て頂いた方の
それぞれの感性と思いつきが
胸の奥から現れて
何かを憶いだして頂けたら幸いです

審査員のいる賞とは異なり

百人百様
写真も自由で
良いも悪いもないのです

どんどん撮って
どんどん自分の足で旅をして
数十年後アルバムで未来と過去を
行き来きしてください

写真はいいものです

キャパが日本はカメラ天国だ!と
いうように

日本の土壌はカメラマンには最高です

カメラマンのプロもアマもありません

口先だけの1枚は恥ずかしいので
がんばり続けるのがプロでしょうか?

気づけばある日
自分だけのアルバムが必ずできています

見ていたら
撮れない瞬間

波の裏側を泳ぐ?

いや逃げながら

命からがら押す

でも
何か一体感のような

通い合うような
何かを感じている

その何かこそ
が知りたかった扉かもしれない

イナゴ

旅って何だろう?

ある雑誌で問いかけられた事がある

まづ独り旅と
大勢でいくツアー

まったく定義も意味も結果も違う

独り旅は人生に大切な教訓と経験を与えてくれる

不安と期待と
全然予期せぬ楽しい時間

ま〜
平和でないと・・・な

地球は今や破壊されボロボロだ

宗教戦争や思想の差
貧乏と金持ちの差
原発や石油製品で汚染された海や
宇宙までも衛星のゴミ箱

妙な差が生まれ
その差を比べすぎている

武器を作り
殺しあう愚かさは
まるで大昔と同じだな

昔のホピ族の話で
平和に暮らしていた人間の場に
どこからともなく
一匹のつぐみがやってきて
人間におしゃべりを教えたという

すると今迄,心豊かに暮らしていた人々が
肌の違いや容姿の違いや
互いの悪口をいいはじめ
やがて戦争になった

結局またもや宇宙の創造主タイオワが
地球をもとに戻す為に幾度と洪水や火や地軸をずらし
浄化してきたという

実は5度目の予言も伝えられている

すごくシンプルな事
「おてんとうさまはいつもおまえを見ているよ」って訳だ

母なる大地
父なる太陽

数年前、熊野古道であるオヤジさんが同じ事をいいだして
驚いた
熊野大社の手前の結界

発心門王子でそう言いなさいと

地球とて
宇宙に浮かぶ島なのだが

どうしたって
昔のままの地球には戻れない

南の小島の
都会の情報や物質に汚染されていない小さな島へ
行く事で
昔の地球を懐かしんでいるのかもしれないな

日々と同じく
関係ないと思える旅も
実は繋がり未来が待っている

みんなが明日から意識を変え
縄文時代のように
海で魚を捕まえ
山で狩りをしたら

地球は絶滅するかもしれないから

養殖の牛や豚や鳥やハマチやサーモン
を食べるしかないのか?

難しい問題です

地球の資源は限られているので
人工的に食べ物を作らないと

作る為に働き
作った物を金と交換し
作られた物を金で買う為に働き

実は余計な事をしている気がする

海と太陽を見ている時間がない!

結局地球でイナゴが増えすぎた訳だ

そんな事を考えるのも旅です

怖さ

このところ、天候や波と自身のタイミングがすれ違い
撮影ができず

これも自然な流れです

二度と無い時間を地球は生きている

我々の長い様で短い人生も
光陰矢の如し

たくさん泳げば撮れるのもでもない

感覚的ないいなと思う
精神的な要素が一番

波の状況は二番

人間の都合で
物事を考えてはいけない訳だ

こうまで
おかしいくらい便利になると

怖さにフタをし

怖さから逃げる

実はそのほうが
怖い事なのだが・・・・

風まかせ

昨夜から千葉の海にいました
久々に波乗りへ

夜、久々に独りでなく
友達と夜更けまで
海や車やバイクの話し

朝おっとり刀で海へいくと
風ビュンビュンで
本当なら良い波を探すんでしょうが

友達も僕も
波の質はともかく
目の前の海でいつもはいります

随分流されては
海岸を歩き
又海へ

全然ぐしゃぐしゃの海面の波にはのれず
ひたすらパドルしてました

人間があまり
人間の都合だけで波を選ぶのが
嫌なんです

もちろん広大な海には
そんな変わり者が数人遥か向こうに

ちなみにこの写真は真冬の伊豆の夜明けの波に巻かれた1枚

わがままな都合を押し付けないように

味わい

行者が白装束に着替え
お祈りをしながら瀧に打たれる

波乗りも海の水が波動となり,前から上から降り注ぐ
それをアゴを引き頭を沈めながら
波そのものを浴びながらかわす
のだが

瀧行と同じく
浄化である

大きな違いは
ウェットスーツなる冷えて死なないものを
まとうから
何度でも1時間でもいられるが

瀧は延々と降り注ぐ冷水をじっと耐え
体温も集中力も奪われながら浴びるので数分間

石も枝も落ちてくる

地球には自然と呼ぶ前から
そこらじゅうに,神様が宿り見守っている

見えないが
明らかに何者か?の力があると
地球に裸で行けば行く程よくわかり
自然と謙虚に正してもらえる

教室の教材では
知り得ない

人間に大切なあるルールと約束を
子供の頃から山河でじっくりと味わって頂きたい

しっくり

青い大波の写真は
あれはあれで難しいんですが
どうも満足でした
その先に何があるやら
この数年は海外に行く気になりませんでした

だから極寒の真冬の日本の光の中から
戻り、写っていた写真に新たな世界を見つけました

灯台もと暗しです

今迄海外の朝日も夕暮れも撮ってませんでした
もっとも撮れる時間が10分とあまりに短く
その時間だけにフォーカスする余裕はありませんでした

なによりも夕暮れは相当危険です
独りで沖迄300~400m
20~30分泳ぐため
帰る途中で闇になれば終わり
引き潮になればもう戻れません

何よりも闇の海は本当に怖い

海は美しいと例えますが
それは陸地から見ている場合で

沖に独り漂うと
ある時間を境に
早く戻りたくなります
ここは人がいる場所ではないと
言う事をひしひしと
体温の低下と比例しながら
どこからか危険な雰囲気が体に溶け出します

サメも朝夕はご飯を探してます

あのジョーズの映画でサメが危険で悪者だと決めつけられましたが
サメにしてみたら悪気も無く、生きる為に齧るわけです
海でパチャパチャやればルアーと同じ
おびき寄せている訳です

タヒチでもそうでしたが
サメが来たら強気で向かう事

サメの目を離さず
強気でガンつけて
ゆっくり離れる事

1度だめだとおもえばもう来ません
熊や虎と違い食う為に何度も攻撃はしてきませんので
大丈夫です

これで今迄大丈夫でした

話はそれましたが

このところ
この日本の明け方のわずかな時間に
かける1枚こそ
なにかしっくりきています

濃密な時間と深い満足感があります
目で可視化できる大波と違い
暗い水中から
さらに目では見えない時間を押す難しさに惚れてます

この「しっくり」を人は毎秒
見つけたい訳です

微細

太陽を写している
波は波動が振動し浸透した
水と水面の僅かな微細なひずみに
光を探してます

これを求道というのでしょうか?

写真と映像とグラフィック

最近よく映像は撮らないんですが?
と聞かれますが

今はもう撮りません

動画はカメラがうまく色も補正し
記録動画としての説明力はありますが

映像は1枚の力には及べません

一発勝負ではないから
真剣勝負感が無いためやめました

映像は状況説明や雰囲気を伝えるには素晴らしいツールですが・・・

写真集に寄稿してくださった池内先生もおっしゃってましたが
映像は見てもすぐに忘れてしまう と
たしかにその通り

やはり僕は1枚でいいと
どこか手作りの茶椀を手にとりながら
毎日移り変わる感覚やその作者との関係性まで
観賞するようなものでしょうか?

一切とは言えなくても
人間をなるべく、海へ入れたくなかった

昔は深い世界中の海へも行きましたが
ストロボも酸素ボンベもそのとき捨てました

良いとか
悪いとか
便利とか
死にますよ
とか

どうでもいいんです

最低限の道具で
海に向かうと決めましたから

僕はこのやり方で
いいんです

ずばり写真は間合いと出会いです

戦場で50mmでライカで写して来たキャパも言ってましたが
できるだけ被写体に近づき撮ると

あの四角い覗き窓ファインダーは怖くて
写真が上手になると作り始めてしまうんです

写真は肉眼では見えない一瞬を
パチリと押し

3次元を2次元にしてしまいながらも
4次元的に見せるのが技かもしれません

平面なのに立体的に観えてきます
アオリとかは技法ですので別ですが

ま〜読めるというか
いいものです1枚は

禅の思想にも実は近く
自分も他人をも豊かにしてくれます

昔は目でみえる
透明な大波を探しに世界中を泳ぎまわった

言葉も暮らしぶりも違う外国で
波を見つめていた

まだ見ぬ世界と暖かな海へのあこがれ
ヤシの実を飲んでみたかった子供の頃
都会には椰子の木はなく
珊瑚に住む色とりどりの魚もいなかった
からそんな憶いも強かったのかもしれない

人の出会いと
その人の死により
この写真がある

34年前のパラオのあの日
家に泊めてくれ
船で島々へ連れて行ってくれたアキヲさん

そもそもそこへ連れて行ってくれたのは
自然の中で子供達は学ぶべきだと感じ
子供達の実践体験キャンプを企画して頂いた浜野安宏さん

実は浜野さんのお父さんは修験者だった

ま〜
命が自然と天秤にかかる
危機一髪の世界で知りたい事があった

南洋の土饅頭で急に
湧いたように感じた確信

裸で海で苦しい修行をせねば

海外の島は
今憶えば独りの時間がさらに濃密に
波の裏側の事を
どうしたら行き帰りができるのか?
静かに深く考えるには
よかったのかもしれない

テレビもなにもない
過剰な文明から逃げるように
南へ南へ下った

やがてフィジーの離島の青い大波がフィルムに現れ
驚いた

人間の目の色が
正しくもなく
全てでないこと

頭や経験は全てではなく
新たな体験こそが
終わりない答えだと知り始めた

もう海外の大波は同じかもしれない
と感じる時に

日本の夕暮れを泳いでみた
驚くことに波は小さくとも
写りこむ光と波に
日本でも撮れるんだと知るのはその13年後

翌年には真冬の暗い黎明の朝日へ向かった

太陽を崩れる波を影として撮らなければ
透明な水しか写らないから
「影」を探していた

太陽は岸の上にある事
その光を隠す海の雲や屈折した大波が条件だと決めつけていた

しかし向かってくる波と共に
沖にある太陽でも写るのだと知った

波も太陽も同時に
向かってくる「影」

挑む気持ちがなくては
死ぬかもしれないが
挑みながらも受け入れて行く「間」を
15年後に自然から教えてもらった

冷酷な海は嫌だが
こんな世界がある

大きな目で見た姿に
とらわれて
決めつけてはいけない

自分にとらわれてはいけない

なんでもかんでも
挑戦しこの身ひとつでやってみること

海の影が教えてくれた

彼らに感謝しないといけない

秘伝

山と空から
海と空へ

しばらくは海も荒れ
水も濁る為
お休みかな?

独りこんな時間を見れただけで幸せです

ここに行くには
いくつかの「いけない」「こと」がある

泳げないと
カメラを使いこなせないと
海をばかにしては
無理をしては
ファインダーを覗いては
まっさらな心でいないと
人間の恣意や思惑をおしつけては

あとは無になること
地球に海に祈り
又地に足が着く海岸に戻れるように祈る

鶴の恩返しと浦島太郎の合作

いや
作品ではない
たまたま撮れてしまった
独りで見ては行けない世界?

那智の瀧

2000年続く那智の飛竜権現
上からご神体である瀧をすみません。
露出を失敗した!
ヘリが早くあっという間に撮らねばならず
太陽の位置も瞬時に変わる難しさ

しめ縄のある3つの注ぎ口から落ちる133mの瀧
あまたの修行者達がこの瀧を目の前に感応し
人生を捧げた

青岸渡寺と那智大社を望む

昔、熊野古道からこの地にふらふらで着いた夕方
美しい瀧の飛瀑と
青岸渡寺が当時は宿坊をされていて
純和風な部屋の日本庭園から望む山々に驚き

1週間いたいと3度言うと
あっさりと、何泊もしない方がいいで〜
帰った方がいいで〜
と坊様に言われ
腑に落ちなかった

近くの宿も
明日休みたいからごめん〜と言われ

結局あきらめて帰った

林じつかがという,木の葉をまとい
何千日もこの瀧と山中で修行した行者が
この滝壺に身を投げたという

これは自殺ではなく、修行を重ねた者の
大自然に還る崇高な行為であるという

京都武士,遠藤も出家し、文覚となりこの瀧で真冬に修行し
命を落としかけ、不動明王に救われたなど

不思議な力と人々を引き寄せる
昔のままの景色と時間が生きている

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