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大丈夫

日本の海
きっと海外のようには水も濁り
撮れないから
大雨の日に行くも

やはり川からの汚れと
曇天の中
写真もどんより

これも自然のありのままだが
展示会には出せない

そうこうして
も何度も太陽の位置、季節など
を行き当たりばったり
何度も写していたら
不思議な時間に立ち会える

禅の言葉
大丈夫

自分を信じぶれないこと

らしいです

なるほど

地球と自然の力から
からのギフト

質問

昨日
浅草で古くから革靴のメンテナンスオイルなどの
輸入販売業をされている、R&Dさんからインタビューを
受けさせて頂きました。

静社長様にこの夏のファイヤーキングの個展でコレクション頂いた
写真の御納品もかね
あらかじめご用意くださった質問にお答えさせていただきました。

聞かれて初めて口にする事や
自分はわかっていたが、言葉にする事で確かめ合う事

座右の名は?と聞かれ
頭は真っ白に
考えた事も無く
う〜ん 生きて戻る?違うな

好きな音楽は?

音楽は今は聞かない上
人が作った音はいずれ飽きるので
自然な音がいいです
など

はたして、数々のインタビューの中で大丈夫だったかな?

でもまさか一人で人里離れた誰もいない波の中から
地に足が着く都会で、ご興味をもってくださり
写真までご購入してくださる事が奇跡だな〜

皆様に感謝いたします。

思い込み

ブレないこと
確固たる意志と結果である作品で見せる
作品とは おこがましい が

シャッターを押す指先に
何らかの指図をした訳だから
仕業です

その仕業を見せれるようにあちこちに行く
関係ない様な事も全て意味があります

夏の終わりにデジタルカメラが水没!しました
浪に巻かれ海底にケースが激突!し
カメラは天国
俺は地獄

ま〜色々ありますが
因果応報

それぞれに
役目とでこぼこは
待ってますが
ま〜前へ

散々に浪に巻き込まれ
絶体絶命から戻れたのも
戻ろうとする意志と
死ぬときは死ぬ
というあらがわない気持ちです

気持ちが負けると
腰がくだけ
浪にさらわれます!

来月、おきまりの高野山から吉野山から伊賀から岡山へ行こう
会いたい人々に会いに行きながら
また自己をチューニングする新たな時期だ!
と自己暗示

思いきいり
思ったまま動く
事で、信じがたい少し先の未来がまってます

と思い込む

思い込まなきゃ
一人で波にのなかへは行けません!

本当の地球へ

この数年海外の波は故意に行かなくなった

水が透明で泳いで行けそうで
サーファーがあまりいなくて
波がある場所

これがなかなか難しい

2002年頃から取り憑かれたように
続けた
武者修行と称した独り旅
波があるかは出たとこ勝負

なにより海外は特別怖い
環境も波も桁外れにでかく強烈だ
サメやらバラクーダやら潮流やら
完全な他人の家に土足で入り込む訳だから

常に「すみません!」

時がたち
地球が人間に知り尽くされ
過剰に破壊されていく事実

遥か遠く遠くに行かなくては
地球ができたころからの山や海は無い現実

防波堤もテトラも電線もビルも無い場所

いつか絵本でしか見れなくなる

ここフィジーの離島も
飛行機数回乗り継ぎ、空港で5時間待ち
小舟1時間
3日がかりだ

飛行機はまるで子供の頃の古い遊園地の
乗り物のごとく箱
シートベルトも適当で
すべてがゆるい

でもこんな波が生きている

おいおい嘘だろ〜と
胸に恐怖のアドレナリンがぎゅっと集まる

そんな心が潰れそうな怖さと美しさの狭間で
古い時代の精霊やスピリットを純粋に信じれる時間にいる

ありのままの嘘をつかない地球と宇宙で
死ぬ可能性のある場に心を置くことが
いかに人間に大切か

我々は地球のボスじゃないと
もう1度考えなくてはいけない

この波の話し

ここはサメがいるうえ
浅いので満潮しか入れない
前に足をかまれたサーファーがいたが

あいつは村にも挨拶にこなかったから
お前は村長からセブセブ(お祈りの儀式)もうけてるし
家族だから大丈夫!


根拠ないこの自信が好きだ!

夕暮れ大雨がふり
沖で待っていた船が村人を迎えに行くと言い
いってしまった

20分後がやっぱり1時間
どんどん潮が引く高速な波と
大雨の夕暮れの波で
間一髪の連続に集中力が切れ
胸に怖い!が凝縮する

あと10分来なければ
泳いで1キロ戻らないと闇の海は死ぬな

すると雨の中エンジン音が波音の轟音と重なる

うれしい薄墨の景色から黄色い雨合羽を来たセブ

ごめんごめん!

おいセブ!
フィジータイム!だな

そうそうフィジータイム!

ホッとした一瞬

もう2度と行けない海

充分じゃないか

日本の波
これは真冬

頭がキンキンになる以前に
早起きと暗いうちの準備がつらい

若い時は海外の未知の空気と水を
知りたくてたまらなかった
南の島も随分と汚れて来たな〜と感じ

月日がたち
日本の美しさとよさに惹かれた

といっても昔の浮世絵の様な日本はもう絶滅し

フィジーやタヒチの離島の様な
昔のままの雰囲気はない

今やビルやコンクリートの防波堤の隙間の海
ビルの隙間から見る太陽と月

魚介類のうまい食べ方を知り尽くした
店主の料理やや温泉まである

海外はシャワーだけで
体の疲れがとれにくい

日本の行政の大きな過ちは
沖縄や地方に公共事業の金をばらまき
本当は意味の無いとはわかりつつも
破壊して作る人工の海岸やテトラポットが象徴

海に砂がとられるから?

おいおい
砂は海のものだ

だから丸い地球の下の方に行けば
若干だが昔のままの海があった

チャイナマネーをばらまかれ
おかしくなったフィジーやパラオのように

昭和30年代の銀座の川を埋めて
高速をつくった日本の愚行は
ようは地球のどこかでじゅんぐりに繰り返されている

ゴミや放射能も結局は地球の中にたまるだけ

そろそろ本気で考えたいが
なかなかどうして、足並みはそろわない
危険度が10万年消えないものをどうしてつくるのか?

いつかはこの美しい海も汚れ
防波堤により波も絶滅する日がくるのだろうか?

人が増えすぎ
自給自足ができず
何処のスーパーでも人工マグロが買える時代
地球は限りある惑星だが

あってないことが
あってるような錯誤の社会

裸で波にいくと
心身が清められながら
己の小ささを笑う

初めて

初めてカメラを置いて山へ
大雨の中
初めて日帰りでお山へ
とはいえ
前日とその日は、麓のお堂をもつ宿でお世話になった

初めて2年前瀧を浴びてでると
すれ違いざまに出会った、荒行の僧宮武玄澄さん
暖かで日本中を祈りで繋ぐ、宮武さんご夫妻

思いついたまま
初めての事をする

初めてから流れ始める

初めての連続と不思議なご縁

同じ時間は無いのだから・・・・

写真はその2年前

七面山

2年前にここにいた

山梨県の七面山のお堂 敬慎院

どなたでも宿泊できますが
昔のままのスタイルの
大広間で同じ長い布団で寝る
食事は質素な野菜料理
日本昔話のスタイルをつらぬく

今は日蓮宗の管轄というか管理、祈祷して頂いてますが
その昔は修験者達が何らかを、感じ、見?

行場として自然に生まれた場
延々と山の中を3~4時間登ると

昔のままのお堂と
龍神様が住む巨大な池がある

太陽が富士山の真上に登る
3月と9月,光が真上に重なる瞬間に
山門を抜けお堂の、七面様を照らし
出雲大社へ抜ける、不可思議な自然の設計

目に見えなくとも
手に入らなくともいい
地球への信仰心が脈々と受け継がれ
今がある日本

人生で知らないままだと
もったいない場

ぜひ

明日から急遽
お誘いをうけたので登ります。

わたくし

茅ヶ崎に生まれた

目黒のステンレス職人の祖父の家には
何十本もの祖父の手製の水槽と南の生きた魚がいて
ぽこぽこと泡の音に包まれた
スキーの板まで手づくりな祖父

とにかく水を大切にしていたのは戦争の体験から
満州とビルマに赤紙で呼ばれ2度行き
奇跡的に戻れた4年に見てきた時間の
多くを語らぬまま96であの世へいっちまった
人生の先生だった

4歳位から素潜りをしていた
壇ノ浦を望む父の田舎
植物圓の園長で画家の祖父がすむ
山口県の海と真鶴で覚え
魚を生け捕りにし、取っ手のついたビニールぶくろに
電池のエアーポンプをつけ
持ちかえり
家の水槽で飼こと

食べられる魚やたこは食べること
下関の城下町長府の路上でばあさんから
見た事も無い魚を買って食べる事に命を燃やした!
祖母は料理の先生

魚の図鑑ばかり見ていた

小学生までシュノーケルは買ってもらえなかった
理由は実は危ないからだ

水がパイプに残り、波をかぶり
慌てて海水を飲み込んだり、弱い空気を吐く力で水を飛ばせないから

中学になると魚の生き死にが知りたくて
熱帯魚屋でアルバイトをした
時給は0から200円300円
とにかくその道に入るのが早道だと思った

やがて水槽の撮影やTV局やハイビジョンの撮影、BARの設計もたくさん受けたが
生き物の生き死にと
人間の無理な使い捨ての様になりがちな結果に嫌になり
やめた

そして海の学校へいき
ライフガードの資格をオーストラリアでとった

翌年カメラをさげ
オーストラリアへあても無く行き
立ち寄った9時間のバリ島に心を奪われた

日本に戻りダイビングの撮影を始めた
やがて酸素ボンベとカメラを背負い世界中の海で
死にかけ,死ぬのは仕方ないが、ゴムホースや、道具と水圧の負担で
死ぬのは死に切れないと感じ
魚にストロボをあてる行為に恥ずかしくなってやめた

ちょうどその頃14歳で3日だけ
泊めてもらったパラオの海のオヤジが
水中写真展示の青山を歩いていて死んだのがわかった

エネルギーの糸が切れた感じがし
電話をするとまさにその時急に亡くなったと
わずか10秒の電話さえしなかった自分

南の土饅頭の墓で
憂いある命のかかる写真と行動をしたい
戦場?いや
海の苦しい修行を通じ
0から海を知りたい

裸で波へ行け!
ともう一人の自分が予感した

あの日々があり
今がある
一寸先は闇だから
おもしろい

そのわずか光を
自らのやり方で照らせばいい
あとはそこに向かうだけ

誰だって不安と怖さがある
それを自力で越えてみる

黙ってやり続けるうちに
頭の妄想と空想以上の
あ〜これこれ
とにんまり一人で笑う時間が待っている

頭で考えたことなんか
なんの役にも立たない

学校や塾の勉強が
海や山や川と生きなくちゃいけない日本で
無意味だと改めて知る

良い会社に入り
金をかせぐ大人になる為の
落雁の型のような養殖場から
逃げること

誰もいない波の中で
自由に波に飲まれ
遊ぶ事

最高な時間じゃないか

地球の時間は
全てを洗い流し
心をもとに連れ帰る

魂と心身の浄化

自動掃除機や
電子レンジに腹が立つ!
自分でいよう

死んで悔いを
この世に1滴ものこさぬよう

パイプラインで泳いでみたら
やっぱり溺れた!

そうして今この1枚があります

独り旅へ行け!

死んじまった先祖と仲間を大切に

あとは何とかなる!

河岸

高野山へ車で行く
山道で運転しながら何度もよんで覚えた
般若心経

全ての神や仏が聞きなれた
オールマイティーなおまじない

実は宇宙の事を言っている

死んだらお釈迦
といったのは誰か?

神社でも読むんだ
と羽黒修験の星野さん

神仏習合の時代に神様が戻りたいはず

その通り

幾億の祈りを聞いて来た
木の仏には仏師がモノかたタマにかえる

大工がする棟上げ式も
その意味で
命あるものを殺し
形を変え長く生かす
人間の勝手な解釈
にしろ
神様の許しをえたい訳だ

神様は
ある一人のひげのジジイではない

裸で海で泳いで
死んだらお釈迦を知ればわかる

政治家よ
河岸(かし)を変えても何もかわらんよ

太陽と月の距離や大きさがわざとにしろ

人間なんか小さなウグイス

いいから泳げ

たかなり

山あり海あり

アンデスで塩がとれるのは
山がその昔、海だったから

山から湧き出た水が
川と呼ばれ
海にたまると塩気が同じになるのは地球の妙技

そんな不思議な海と地球を
人間が科学や研究してもわからず

わかる分けも無く
わからなくていい

この日本の波の裏側もよくわからない

月と太陽と風とうねりと山の仕業

人間の頭を越えた世界

胸がはっとする時間

頭は胸の高鳴りを止められないから・・・

なんでもやる!こと


2017 9/19 は連日の雨と水蒸気の雲で富士山もなにも見えず
雲が2300m以上涌き上がる

来年の展示に向け作品撮りもそろそろ
考えないとですが、どうもこうも
この3年は日本が気になりしかたない。

日本の波の方がなんだか
祈りが染み込んでいるというか

山岳信仰で瀧や川で溶け合った何かが
流れているせいなのか?

日本の波は独特な風合いになる
事は1枚の嘘をつけない写真が示す

1枚1枚
そこに行き,結果は頭で作られた妄想だから
なんでもドーンとやってみること

忘れがちな日々を大切に

そもそも日蓮宗,浄土宗は他派を認めない風潮があり
幾多のもめ事を起こして来たのも事実だが
それはさておいて

お堂にて

法華経の守護の行者擁護
末法総鎮守

七面様は右手に鍵を持ちだったと思います
左手に宝珠をお持ちです

右手の鍵でで皆様の心を開けて頂いて
左手で新しい命 魂を授けてくださるお姿です

この七面様50丁の
何かご縁が会って登らせて頂いた
何か不思議な事や、御上人様のご縁があってのお導きとか
又御来光のご縁であるとか
何かご縁がなければ、このお山は登ってこられません

何か
見えないもののご信仰があってだと思います

健康でなければここでは御逢い出来ません

何か無ければこのお山にには登っていただけない

体調が悪ければ御逢い出来ていません

私たちはその事を日々
忘れがちでございます

このことを六根清浄と申します

目,口、鼻、耳
人の事はわかりますが
自分の事はよくわかりません

日蓮上人様が,要約された
良薬を残して頂きました

よくぞ今日この時に
本当に偶然かもしれませんが奇跡です
この場で御逢い出来る事は,一生会えなかったかもしれません

どうぞそのことを胸にきざんで
日々過して頂ければありがたいと思います

良い御修行をして頂けたらありがたいと思います

我が命
我のものならず

天よりもふらず
地よりもわきです

ありがたき父、母の
御身を分けたるこの身なり

この身を使わさせていただき
一日一日を一生のおもいにもなして
強く正しく生きる事を

どうぞ皆様方

私たちが生きている事は
遠い過去から命を頂いていることでございます
その日々そのことを憶いだして頂き

またどうぞお元気なうちに
このお山に御登り頂けたらと思います

ありがとございました

元七面山別当 望月浄澄 現 身延山宿坊 麓坊住職

一体感

特別に撮影させて頂いた
純粋な日蓮宗の方々と
そうでない方もみな
ここに社が出来てから720年漂う間にいる

年に1度だけ,お籠で現れる
井上上人さんの
長きの渡り祈り読み込まれたお経と
30人近い僧侶の大声で叫ぶ様な
高速な法華経に包まれる

目にみえないもの
時間を純粋に受け継ぐ人々
がこの地球に僅かでもいること

自然霊をはじめ
あとから日本に海を渡った様々な神や仏

美しい原始の地球と宇宙があり
宗教、宗派あり

伝えたい気持ちは同じ訳だ

ぜひおいでください

山梨県 早川町 敬慎院 5200円で参籠(1泊2食)
動物、生臭ものの持ち込み 禁止です

山でうっかり
下界で買った
コンビニのたらこおにぎりはセーフ?
グレーゾーンです

古事記の神話としての信憑性の水準をしめすものは
日本書紀の様な政治的、イデオロギーが的配慮とは対照的に
神話的思考による統合と
その編者おほの万侶によれば、とねりひえたのあれ(舎人稗田阿礼)が口伝で
誦(ず)していた各民族の伝承をまとめ2種の本、を様々な異本と照らし合わせ,校正し統合したものであるという
北沢方邦 日本人の神話的思考 より

松岡正剛さんが紹介されていた
神道とは何か 伊藤聡 著

神道という用語は早くも養老4年(720)の『日本書紀』にすでにあらわれている。古事記にはない
こうした神道の前駆性を柳田国男は「固有信仰」とみなし
和田萃は「基層信仰」と名付けた。基層という言い方は当っている気がする。

ちなみに中国では『易経』が神道をとりあげて、自然の理法と捉えた。

「神道は微妙にして方なし。理に知るべからず、目に見るべからず、然る所以を知らずして然(し)る、これを神道と謂ふ」とある。

どこかきたのか?
にしろ
まづは美しき山河と地球がり

物理的にどっかから来たのか?
いや神秘的秘法で
既に、宣託や夢で,選ばれた人にある日に見える様
普通には見えないようにセットされていたのか?

よくわかりませんが。

どっちでもいいんです

この地球を大切にさえすれば

しかし今の人間界は
破壊して今がある

自然な美意識

どうやって運んだのか
分解?
巨大な花飾りのマントウと纏
がお囃子ときらきらと舞う

徒歩で登った人々しかいない
独特な苦楽を共にした様な和やかな時
昨年会った方
毎年会う方

なんらかの信仰心に背中を押され
足を持ち上げ一歩一歩来た訳だ

この参道はひたすら登り
普通は景色が見えたり
平らな場所があるはずだが

ここはひたすら石まじりの階段道
これがきつい!

だからこそ苦労もひとしお感じ
100畳近い巨大な280年前のお堂
天井には竜の絵と
空想の花が描かれ
その花びらが参拝者に降り注ぎ
力を与えると言う

奥の七面大明神(女性の龍神様)
には「感応」
とかかげられ

感じて応じる

素直に純粋に
感じたままに行動が
正しく自らにふさわしい訳だが

その「ふさわしさ」に
フタをする日常から飛び出せ!

太陽が年に2度富士山山頂から
山門を抜け
このお堂の龍神様を照らし
出雲大社へ抜けるレイライン

誰がこうして
設計したのか?

はるか日蓮宗からこの地に
息づいた、山人、や修験者達の
ここはすごいぞ! という感じたままの
信仰心の宝物

これが日本人と日本の美しさだ

修行僧

今だ下界から閉ざされた七面山に7年間修行をされた
小松裕嗣さん
偶然立正高校が同じといっても、
彼は本物の身延山に由緒ある宿坊 武井坊の副住職

僕は行き場無く、投げ込まれた賽銭のようなもの

しかしあの学校で夏の2ヶ月,5コースを借り
ひたすら水練修行をしてもらったおかげで今がある事実

天狗の様な小松さんと岡田さん
物質が溢れ、じゃんくな物や、地球や人をたばかる者に汚染された今
地球と己の距離と方角を知る
大事な行為です

感じた事を行動に移せるか
というのが
信仰だと思います と

日蓮上人
が南無妙法蓮華経を大切にしないとこの世の中は
よくなりませんよ
と書いた書物を鎌倉幕府に3度おさめにいくも断られ

3度もちいられずんば
山林にまじわるべし

という言葉通り
身延の山へ移り住んだと

youtu.be/KJ89EqaC3aQ

晴雲

お題目と太鼓の音色
強力さん6人が4人ずつ代わる代わる
太い木の棒を肩にあてながら
1歩1歩登って来た
お金をもらってもきつい修行だ

8人あまりのお坊さんに囲まれ
籠にのる井上大上人さん
も登りながら、揺れながらお題目を唱えている

江戸時代の籠のごとく
座るイスも竹籠で
昔ながらの作りが美しいが
前後の木の棒だけでも相当重いはずだ

降りられると
憂いあるお声で読み上げるお経が
晴雲坊のお堂の七面大明神にこだまする
年に1度だけこの場に

この晴雲坊36丁目
荷物専用の索道の荷受け場が40丁目
ここにある,生活品、飲み物、食べ物、はすべて
娘さんが40丁目まで背負いとりに行く

92歳のおばあさんもここに住み
数ヶ月の1度、病院に薬などとりに行く時だけ
降りて,登って来るというからすごい

険しい山の暮らし

再会

黙々と汗だくで2時間45分
背中の荷物が重い

ようやく35丁目(頂上で50丁)のお堂
晴雲坊についた

1年ぶりの再会と
写真をご奉納させて頂いた

わざわざ持って来て頂いて
ありがとうね〜
わ〜
龍神様だね〜と
急に普通に言われ
驚いた

とちゅう10人あまりのお坊さんと
強力さんの担ぐお籠にのり休憩中の
井上大上人を追い抜いたが
しばらくすると山中からお経が聞こえて来る

ほっと一息
サイダーを頂いた

山中で

途中4つの休憩所(お堂のある坊)をめざす
ここでだされる,全ての飲み物から簡単な食べ物は
すべてここまで、索道(運搬用の小さなロープウェー)で
運ばれる

水は各場所にこんこんと湧く水がある

35丁目の晴雲坊のおばあさんに
波の写真をさしあげるため
手で持つにはきついから
リュックに結わき写真を背負う

年に1度の大祭は40人位のお坊さんも登り
お経を大合唱する

そんな山で,七面山で昨年まで御修行されていた
井上上人さんに出会う

1年ぶりに来ましたと

嬉しい山中での再会

無言

瀧を浴びて戻ると
さっきまで空いてなかった木立の場所に
車のスペースが空いていた
誰かが山から下りたようだ

いつ来ても独特な雰囲気だ
木立に囲まれ、目の前の
白糸の滝の飛瀑の音に包まれ
この厳しい山の頂上の、龍神池と敬慎院を目指す

米や灯油や資材を運ぶ、ロープウェーはあるが
人間はお坊さんも、おじいさんもみな徒歩で登る

薄暗い延々と登りの山道
すれ違う人々と声をかけながら
無言で登る

雄瀧

数年前のこの日
一人で白糸の滝(雌瀧)を恐る恐る
浴びさせて頂いた後

ある数人の白装束の方々が通り過ぎ
最後に来たオヤジさんが
にこやかに、法螺貝ありがとうね

聞けば真言などの荒行僧、宮武玄澄さん
奥の奥様のご実家が管理されている
弁天堂と雄瀧へ行くから

一緒に更に恐る恐る
入らせて頂いた
水量にあわせその独特な怖さは
感じた者しか知りえない空気

そんな思い出深い瀧へ

道には台風で折れた枝が散乱し
まだ今日は地風以来だれも来ていないようだ

恐る恐る
見るからに強い瀧と
滝壺に渦巻く流木

塩で清め
祝詞と忍者の呪文の
お祈りを総動員し入るが

水量と落差で肩が痛い

ものの1分
お不動様の印を3度

もう十分で満たされた感覚と
戻った方がよい気がした

不思議と体内が軽くなる
波を水平にかわす所作と同じく
地球の呼吸で浄化して頂いた

この瀧の作法と伝説を教えて頂いた
宮武さんに感謝。

さて山へ

白糸の瀧

この山奥に原始のままの姿を残す
山梨県の七面山の入り口にある
白糸の瀧 「雌瀧」

江戸時代まで
高野山同等 女人禁制の山である

あまたの人々が
昔のままのこの岩肌と飛瀑を見

禊ぎ清めた瀧
禊ぎ清められた悪そうな物は
流れてしまう訳だが

この岩肌がその数十億の祈りの声と心を察している

今日は台風のあとで
一般的には禁止とのこと
ここは,貝を吹き祈るだけにした

大祭に為に登る僧侶が2人
瀧を浴びると言う


僕は約束通り今回は拝むだけに

普段は何をしているのか?知らないが
この日に集まる男達は
生き生きと生きている。

全てをさらけ出し
全てを捧げる神事である

氏神

年に1度の氏神様の祭礼
五穀豊穣と村と地球の平和と安泰を祈る
祭礼を祭りと呼び
御神輿を担ぐ人
御神輿を組み立て分解する人
数百人の人々が夜に集まるこの日が好きだ

神様の御霊を御神輿に2日だけ夜に移し
夜に戻す、御霊入れから雨

数千年に渡り
神様は雨に打たれる
あまたの男達の心を
ずっと見てきた

この地に育った
村人の結束と
愛する土地や仲間との約束

平安時代の比叡山の僧 鎮源よって書かれた霊験集 法華験記 より

貪欲、瞋恚,愚痴に悩まされまじ  あらゆるぼんのうを離れ          瞋恚 しんい 「十悪の一つ。自分の心に逆らうものを憎み怒ること」 
驕慢、嫉妬、諸垢に悩まされじ                        驕慢 きょうまん 「おごりたかぶる、人をあなどって勝手にふるまうさま」 
二空を体得し無傾動たり      とらわれる事がなくなれば

ここにいたって菩薩の神通     利他の行による超越した能力を授かり、安らかな心になる
無生法忍を得ん                               

無生法忍 生死を超越して、もろもろの煩悩を離れ涅槃の境地に至る 

忍とは
剣術、古武術、火薬砲術、鉱石薬草、気象学、天体、海や山の知識や体験
諜報、や相手を観る力、心の鍛錬など多気に渡った
日本人の遺産である

とくに瀧参りは忍として,初歩的、基本的修行とし
往事は不可欠な通らなければならない道であり

六根清浄を旨とし
修行を山河で体験していった
いわばサバイバルであり修行者であったが
ずいぶんとゆがめられ、派手な手裏剣でドロン!と
間違ってつたわってきた

どこの大名や大きな力に、屈しず
最後迄、たとえ死んでもいいと,有名になるとか、虚栄心でもなく
自分たちの代々の土地と心を守り抜いたのが
伊賀の地侍,忍である

「忍」
の一字はすべてに通ずる

霊浩吐水

日々数十億年と
繰り返されてきたが
誰の目にも止まらなかった瞬間

霊浩吐水に沐す 
お瀧に打たれ身を清めんとす

まさに行であろう

成田山

これが成田山 新勝寺の石段

昔はもっとうっそうとした森で
湧き水も豊だったんだろうな
瀧もあったんだろう

なんだか不思議な気の漂う場所
高野山ににていた

記憶のかなた

日本の朝日

今日成田山の新勝寺に43年ぶりに訪れた
御不動様を信奉していた、祖母に手をひかれ
石段をたくさん登り
落雁を頂いた事を鮮明に覚えている

ぱさぱさした妙な歯ごたえで
さっぱりと甘く
なんておいしいんだろう

5歳の記憶

しかし階段はそんなになく

建物も立て替えられ
参道にあるうなぎやも
全く覚えていなかった

これでは記憶とは言えない
夢?のレベル

しかし聖地である

丁度この頃祖父に連れられ
67年のグロリアワゴンに(大きな車の印象だった)荷物を積んで
雪の降る夜に鉄のチェーンを巻いたあの独特な音で
長野の野沢温泉にスキーにいったり

真鶴の岩の磯で
水中メガネと魚穫りに夢中になっていた

同世代の子供達が海の家なる
お金をはらいシャワーを浴びるその家と
魚もいない濁った砂浜で
遊んでいたが
なぜ水も澄んだ
磯に来ないのか?不思議だった

いずれにしても
なんらかの手段がや大人がいないと
都会の子供は来れずに
海も山も知らないままでいる

育つ環境は人生を二分する

おかげでスキーで両足を折り
海で毒の魚に刺され
溺れ流されあの世の入り口へ

よくも復活して
海や山から戻ったな〜

江戸時代なら
治らない怪我である

先祖の存分な優しさと護られ
今がある訳です

かさねる

日本の波の裏側
朝日が東からグングン登る
いや実際には地球が回転する差だから

太陽が動いていない

波は動いて来る

動いていない太陽
動く地球の距離で色が変わり
動く波がとんでもない状況を生む様です
波が盛り上がり動き回る事で
不可思議な角度と反射や透過が起きて

あとでよく分析し洞察し観察するとこうなります

闇と光を知らしめるのは何か?

人間の目はよく出来すぎていて
夜景は見えても
写真には写らない
たとえばなしで

暗い部分や
明るい部分
を瞬時に計算し
べたっとした画面にしてしまう

だから人間は本当の地球の景色を見ていない訳です

人間の目に近いのはイカらしく
イカを10ヶ月飼っていたが
確かに目の動きで,餌の海老を見つけ
こちらを見ては体の形や体色をも変えるのは

明らかに見て知覚している
ので感受性もある訳です

だから感受性のまま生きる事が大切です
頭にいれてごちゃごちゃと
考えのつぼにはまらない為にも

頭で考えないで
心で行動していた時代

瞬時に心で行動する
衝動を日本人は得意なはずだが
いつの間にやら風前のともしびに

正心とは
幼い頃からじい様や婆様におそわり
海や川や山で怖くて美しく,心地いい時間を知る

机の教科書や体験してない人からは
絶対に習えない時間がある

頭がいい人が多い昨今
間違いを繰り返しながら
幾度も挑戦し,失敗すればいい

生涯を左右する
出来事がその小さな時に決まる訳です

習うより慣れろ

畳の上の水練

とはよく言ったものです

海で気道が閉まる程
溺れた事もあります

波は待った!なしです

試合ーためしあい
ではなく 

果たし合い 
の気持ちで
巨大な地球を尊重し頭をさげ

戻る時は戻るのも勇気です

自分の力と
立ち位置を正直に見る事

恥ずかしくもなんともないから

ビーチくリーン!
や環境保護!
なんて仰々しいことでなく

ある日誰もいない海岸で
ゴミを1つ拾えばいい

地球への僅かながらの気持ちが
積重なり
気ずくと足跡が
海岸に残っているものだ

生きる術

ファインダーは見ないで押す

逃げるのに必死で
見てられない
上見ると、俺様のエゴが良い絵を撮ろうと
働き、きな臭い写真が出来上がる
ファインダーでこねちゃう訳だ

水中でファインダー越しに水面を見る姿勢は
首をたてている
つまりアゴをひけない
アゴを引くとは首をおなかに曲げる

曲げないと首が折れる
ムチウチの原理
首は後ろ向きにに弱い

海で波に巻かれたら
とにかく丸くなる事

とにかく息を止め

とにかく水面にでるまで待つ

あとはゆっくりゆっくり泳ぎ

次の波を潜ってかわすこと

何処でも良いから
遠回りして岸へ
出来れば波の力を利用して帰る

今夏も水の事故が今年も多く
痛ましい

ちょっとしたことで
助かったはずの命

あまりに自然や地球と接しなくなった日々
学校や日常で
海や川の勉強と体験の時間が必要です

もちろん泳ぎ方も大事ですが

もし流された時の対処法と
自分を落ち着かせる心
最低限の泳ぐ力と最後は気持ち1つ

日本の小学校や中学校はリスクと立場を恐れ
なかなか、自然教室を実施出来ない現実

川の勉強は群馬の水上にある
ラフティングの会社ネーチャーナビゲーの、親友たちむらさんがリバーレスキューの講師として
一般の方、消防士やレスキュー隊の方に教えています

海は?
これがなかなかない。
波をかわす術 教室をいつかやりたいです

物に溺れた日本人

日本の御来光を波の裏から
日本人でありながら

着物を脱ぎ捨て
ジーンズをはいて
ハンバーガーを食べる我々

明治政府がある日から
日本を捨て始めた廃仏毀釈と西洋化
連合国が仕掛けた戦争で負かされ

学校教育も6,3,3の12年の畜養と洗脳

日本の漆器や竹細工,浮世絵など様々な伝統工芸が日々
毎秒絶滅している
ある外国人が、日本が数千年の流れで
継承されて来た宮大工などの特殊技能が
このわずか100年で消えている と

職人さんの根気と精神力と武術の様な鍛錬

今では
早く安く壊れる物や服を売りつける者
長く持つ物は高いのでなく適正な価格
だが
ゴミの様な安物が氾濫すると高く思う

あまりに過剰な物質社会で
エコやらエシカルやらフェアトレードやら

誰かと差をつけ結局は消費させる為のまやかし

地球で
もう嘘をつかないのは
海と山しかない

何が必要で
何が不必要か?

ベトナムで実験され森林を枯れさせた枯れ葉剤
猛毒エージェントオレンジ入りの様々な殺虫剤に匂い消しや、洗剤

自動掃除機、自動運転する車

おいおい
いらないだろそんなもの

聖域

もう生涯で2度と行かない場

いつもの波の位置の300m左

島にそって半円状にくるむ珊瑚の崖
その崖が急に浅くなる場所の
右から左

ここは満ち潮の時しか入れず
サメがいる場所

数ヶ月前勝手にヨットで来た白人が
村に挨拶もせずサーフィンをしたら
足首をがぶり!

でもミキーは大丈夫
お前は村でチーフ(酋長)にセブセブ(お祈り)もうけてるし
お前は家族だから

相変わらず根拠のない
フィジアン セブ

行ってみる船で?

モーターボートで10分
グリングリンの高速な波

飛び込んで!今
船がひっくりかえるから!

俺、沖で待ってるから

あっというまに
背中と心を
押し出しにあい

考える間もなく
ここにいる

1時間すると
強烈なスコールが

セブが雨合羽を来ながら
近づき

ごめん〜
子供や村の人船で迎えにいきたいんだ〜
どうする?まだいる?海に〜

何分?でもどる〜

20分!〜

きっと嘘だと
思いながらも

いるよ俺〜

40分がたち
やっぱり船は来ない!

あたりは暗くなり
水面を叩く一面の雨

潮がグングンと引き
強烈な黒い生き物のような波が
三日月型にドミノ倒しのように迫る

もう珊瑚の割れ目の穴に
体をいれて波圧をかわし

集中力も切れかけ
絶対夕食にサメが来るこのばで

水中の周囲を回転しながら覗いては
水面から顔をだし
今度は波を読む

妙に怖さが胸に集まる

いや〜来ないな〜セブ
もう帰りたいけど

泳ぐには相当あるな〜

多分遠回りをしないと危険だから
岸まで600~700メートルか40分は泳ぐな〜

もう5時半だ
あと10分位で帰らないと夜になる

最後はもう撮る気持ちにもなれず
ひたすら高速な波を潜ってかわす

やがて10分すると遠くからエンジンの音がして
墨色の雨の中
セブが来た!

おせえ!よセブ!〜

ごめんね〜フィジータイムだから〜

思い出の海

張りつめた独特な聖域の1つ

その夜のシャワーと
知に足が着く海辺の部屋で独り
1日を懐かしく感慨深くかみしめた

寄ること

一気に壁になり
雪崩になる

海崩れと言う言葉が無いのは
学者が知らないから

急に周囲の水が集まる
水が水を引き合うのだが

嘘の様な壁が水面にせり上がり
さっきまで2mの水深が
水深が急に5mになり鼓膜が痛くなる
これは遠くても駄目
望遠レンズは意識が通わないからパパラッチである

とにかく波の懐に近づいて
波に抱かれるように潜る訳だが

この青く透明な
ゼリーの動きを先に読んで
潜る

単焦点レンズで近寄って写さないと
被写体と呼吸しないと撮れないのは
間違いなく、ユージンスミス、キャパ、師匠 柏原誠の言っていた事

道具に撮られるなよ!
バーンと行け!

彼らの見て来た道を
海から見て・・・

願い

おいおい!
折れは一体何をしてるんだ!

巨大な波が空を隠し
周囲暗くなった

本当に危なかった波の記憶

潜ってかわしながら
ふくらはぎとフィンにものすごい波の力がかかり
巻き込まれそうになった!
中は闇だ
太陽が波の爆発で隠されている

固い珊瑚の板(珊瑚が何億年も重なり出来た石灰の海底)
だからこんな波が急に沸き立つ

ここでは枝珊瑚は生きてゆけない
太陽に向かい固い骨格でグングン育つはずの珊瑚がないのは
ここがあまりに強烈な波で珊瑚迄もが折れ、育つ事が出来ないからだ

絶妙な波の向き
絶妙な水深

に絶妙なタイミングで波を見切り
潜ってかわして
押す

太陽は真上か岸にある
生まれて散り行く波と太陽を撮っていた

誰もいない外洋の海
あの先は濃紺の崖
何がひそんでいるやら

いつも沖を中心200度
周囲と足下に目を配らせる
サメやバラクーダがくるなら
ほぼその範囲である

完全な力と
完全に昔のままの地球がまだある奇跡に
溶け込みたいと願っていた

彼岸を知る

島々は歴史上
マゼランやクックやカリストをはじめ
外部からの生物で汚染されて来た

この数年めだつのは
昔は見かけなかった石油製品のお菓子の袋やビニール
電池,電池?と懐中電灯や水中ライト、ラジオなど
皆,海に捨ててしまうのが現実

すでにチャイナマネーでフィジー航空も
おかしなことになり
大金を持つ中国人を便利に連れて行くため
日本からの直行便がなくなり
日本のフィジー観光局もほぼ活動出来ない事実

村意識は大切で
ローカルと呼ぶ地元のサーファーの代々の聖地

思入れと大事にしてきた時間は
決して外から来た者にはわからない
マンションができると町は乱れ、ゴミが散乱するのも同じ原理
土地や周囲への愛情が無い訳だ

伊賀とて東大寺の荘園として強制年貢を
強いられ、それらの圧力を反発し

どこの外部の力で押さえつける大名にも
統治されていなかった空白の地
最後の日本人達であろう

山や自然と仏教、密教、神道、道教、呪術や山伏と
彼らが使えた験力
と自衛の為に生まれて来たのが地侍と忍達であるが
普段は農民や山伏である

そんな強い地球とサバイバルしながら生きなくていけなかった
その土地と、上下階級の中影と光の狭間で生きた彼ら

どうしてもほっとけない。

だから彼らが
命を捨てる事もいとわず
知でもなく名でもなく
通して来た義と
信長に目の前で女子供や神社仏閣を燃やされ
殲滅されそうになった天正伊賀の乱の無念

どうしたってぐっと来る

日本人の(渡来人だろうが)ルーツがあるように思います

森羅万象に生きる事

全知全能の一人の神が
この自然や宇宙の進行と秩序を作ると考え
宇宙が神だとしてみた 汎神論

大乗仏教では
宇宙の理法も、人間生活の法則も
あらゆる真理を含めて(ダルマ)と名付けてみた
その法がそっくりブッタである 汎仏論

法身 とは法イコール仏陀 だから 法身が自然現象になる?

難しいな

もっとも魚や珊瑚と自然より
ずっと後に来た人間が
とやかく言う事でないのかもしれない

その土地に住んでもいないで
後から来たものに
宇宙や地球の何がわかるのか?

仏教もわずか数千年
インドからの輸入品であるが
インドカレーが定着しなかったのは何故か?

イルカとクジラが人間よりも
400万年も前に地球にいて
人間より劣っているでしょうか?

と言った
ライアルワトソンを憶いだす

歴史も宇宙も人間が考えた妄想のうえ
文科省のおじさん達の思考で教科書が作られている事実

本当の歴史は
きっとひっくりかえるような事実で
驚かされる日がくるんでしょうね

日々
精一杯地球に人に
失礼がないように生きる

これが自然に朝日に手を合わせる様な
祈りになる訳です

言葉や教科書の彼岸

未来の人々の為に
まわってきたお膳のおかずを
裏箸で一つだけとってまわす事

知っていてよかった

独りで背負えるだけ
持てるだけの荷物

沖まで独りでいくから

誰も自分をとる人がいない

いるのはカツオ鳥と魚

パタゴニアのウェットスーツ
ロングジョンという長袖、半ズボンのオーダーメイド
恐ろしく着心地がよく
動きやすい,裏地はメリノウール

マスクは,フランスのクレッシーサブ

フィンはハワイで買った
カチカチの板の様なVIPER

未だお客様に
浮きとかひもでつけてるんですよね?

酸素ボンベあるんですよね?

と聞かれますが

道具はこの3つと防水カメラケースだけです

つまり片手、両足で30分くらいかけ300m〜位沖へ泳いでいきます

ライフガードなし
遊泳禁止の看板なし

とにかく
始めは本当に恐ろしかった
あのフィジーの大波によくいったな〜と
我ながら感心します

ウェイトはいるのか?
足ひれはどんなのがいいのか?

片手で泳ぎ
本当にこれだけで体力がもち
流れに波に流されずに海岸に戻れるのか?

とはいえ
誰も周りでやっていないので
聞くに聞けず

不安は余計な心配を呼び
負の連鎖を勝手に生むので

考えなずに
実行のみ!

足ひれは今まで3つ
波に巻かれて脱げてなくなり
モルジブ、マウイ、フィジーでは片足で帰る事も

それ以来短くて固いブレードの物をハワイへ探しに行き
流れ止めも足につけました

長いひれは、遠くにいったり,立ち泳ぎには楽ですが

波の中を全力で泳ぎ、クイット!方向転換したり回転するには
粘りすぎて駄目で

カチカチの短くて,水を捕まえる
魚のハタの様な動きと形を目指し
それに近いヒレを探しました

これは同時に足首への負担が凄く
足首が柔らかくないとすすまず
痛めます

ハワイのライフガードが使う
ダフィンはやわらかすぎ
足がすれるので僕は嫌いです

立ち泳ぎは5時間くらいする時もありましたが
最近は1時間で撮れたもので
もういいや
と集中して決め打をしてます

年々体力は落ちるので当時のように
雨のフィジーで大波に3発
40秒くらい巻かれたら
死ぬかもしれません

波に巻かれると
体力も奪われ
怖さで筋肉に乳酸がたまり固くなります
なにより自制心がぶっ壊れ
パニックに

このパニックは
自分の内側
の自分が引き起こす厄介で

そこをどうおさめて
考えないようにするかです

最後は精神力で
戻るしか無いのです

だから
こんなに嘘も無い
やるか?やられるか?
の世界に幸せを感じました

よかった

知っていて

その場に立ち会う

沖から来たエナジーに
水が反応する

北斎じい様に
この写真を見せたら
どんな絵を描いたか?

水の分子が美しく結合し合い
その隙間にゴミが無く
生きものようなその土地の力を秘めている

学者は学者でいい加減なもんだ
論文の数や順番で決まる賞の世界

はっきり言うが
この水は遠くに行きゃしない
その場で何億年も留まり記憶する

こちらを見ている

理屈じゃない

学問は通って時間をかければ誰にでもわかる

仏教ではよく煩悩を無くす
ことを目指すような風潮だが

そんなもの無くならない
無くそうと思う時点でよこしまな煩悩
悟りを目指します
なんて

なんだっていいから
ただただ繰り返す
黙って一つの決めた事をやっていく

こうなる為に
こうするとか

こうすれば
こうなれますか?

とか

到達点を賢そうに言葉を着せて
スマートに決めたがる昨今
ネット社会ですぐに何でも知った振り

来ればわかる
人間は魚にかなわない

地に足がつかないここで
どうするも
こうすもない

ただ潜って逃げ回るだけ
口から空気を求める程
酸素が恋しくなる

もう笑うしかない

ブダイ

ここがフィジーの離島の離島
よくもこんな場所へ来たものだ

そのうえ,泳いでこんな沖に独りで来たものだ


独りで含み笑い

幸せ

人生の不思議を心で転がす

この場のこの今を知らないまま
死んだ自分が怖い

など
など

涌き上がる想いにブクブクと笑う

何らかの因果
何らかの間違え

がなくてはいないはずの
人間を知らない海

妙な美しさと怖さの線

伊勢神宮の内宮の内宮の
あの賽銭箱の向こう
白い玉石の線にたった
あのピリットした感覚

何かが
いらっしゃる

初めてそれを聖域と呼んだ人は
凄い

漢字はともあれ

言語同断の世界に漂えるのは
地球で何人いるのか?

今も不思議でたまらない

魚はブダイの仲間
彼らが強烈な歯で、ガリガリ珊瑚を齧り
白い石灰質の粉が珊瑚砂になる

ある距離に来ると離れ
潮にたなびきながら
群れで泳ぐ姿は平和そのもの

美しい海を破壊する人間の
気持ちが知れない

実は、日々
九死に一生な暮らしだった
地球人

便利を通り越し
地球の強さに背を向け続け

今のように電子レンジもテレビも
余計な軍需産業インターネットも無い時代

なんとかして
生きなかくては
様々な願いや
憂いや憶いに時と自らを
重ねて生きた
日本人の祈りの旅も
命がけだった

おそらく
現存する行者の最古の御朱印帳が
広島にある

今から300年まえの
268も全国を五年かけ徒歩で旅した
祈りの記録簿である

その世界に一冊の生の記録簿に
出会ったのは
五年前

思い立ちあてもなく
訪れた
霧深い伊賀の山中の瀧寺である
瀧の飛瀑に

その瀧音に惹かれる
ように雨のお堂に1人

思うがまま
頭の計算機を叩かず
行く事

その山中の同じお堂に
300年前立っていた行者
丹下弥右エ門さん

時を超え
会わせて頂いた

過去の人は今の人には
会えないが
未来の人は過去に会える

やはり音ずれ
である

日々

人はなにかしら
の小さな音を聞いている

その音に
身をゆだね
流れてみる

想像の限界
四角い机の限界を

身を持って知る
記憶力大会の

巧妙に仕組まれ
ビジネス化された受験や塾

勉強で競い合わせ
よい学校へ
有名な会社へ
行く事が
嘘っぱちか

独り旅をしたら
瞬時にわかる

旅とは別段
遠くにいかなくてもいい
が日常からずらして
好きな事に向かうこと

今までのおざなりを
やってみるでもいい

僕の場合は
九死に一生にかけた

まったなしの波の裏側は
本当はいかなくてもいい

遊泳禁止の裏にある時間を身をもって
知るには
やはり命を祈り
命を捨てて

教えこまれた学校の常識の嘘をあばく為に
裸で行く意義があろう

一枚の写真は
その証明である

一度見たら
もう目を背けられない

自分がいた

長尾哲士 音楽プロデューサー

あまたの音楽家を育てた
音楽プロデューサーTedさん「長尾哲士」

「彼らが練習で打ち込んでいる姿を見て
素晴らしいな〜と
思いまして
この場をもうけました」

楽譜も
頭もいらない
この間合いと神事の様な場を
もうけて頂いたTedさんにも感謝である

最初に綺麗なゴールを決めない
セオリーを頭でめぐらせ、もてあそんでも何にもならない
蒸留水のようなゴールが大事ではなく

スタートの心配とそこをどう満たしているかが大事だと
ズブズブ、ドロドロの煩悩がなければ、何も始まらないと
話されたいた
高輪の高野山別院の阿闍梨のお話を憶いだした

理屈の彼岸へ

耳は聞く道具
感じるのは胸だから

うねり

林幹、田川智文 両氏
「うねり」に立ちあって。

太鼓は樹霊あるケヤキの大木
と牛の皮
バチも檜や楓など様々

太鼓は作り立てだから
素直な音がでる太鼓でしたと

千手観音のような手の動きが生む
楽譜のいらない2人

彼らの感応力
やはり人の自然感と心が行き交う訳で
コンセントのある道具には行き着けない領域がある

生きているもの達
生きていたもの達

本当ならけやきは、ある場所で天を目指し生きていたのだが
ある日きこりにより切られ,職人により
けやきから太鼓へ変身しなければ
この場もこの感覚も生まれない

死んで生きる
意味を感じ

彼らの無の境地に
偏差値や頭でっかちの妄想ではない
事実しかない
この場と音で

誰もがわかる一つの事

波動がまとわりつく
心地よさに

波の撮影と同じだ

古い武術ににている

彼らは、太鼓を宇宙に神様に自然に捧げる

これは
かみごとである

死ぬ気でやる気

ある2人と1人

暖かな涙がら溢れます

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