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予感

魚が知能がないなんて
嘘だ
明らかに海を知り尽くし
海流や波が危険な事を知っている

絶対に波の崩れた場所には
いないようにしている

実は観察し魚から波の抜け方を
教わった

タヒチの横で
帰り道がわからなくなると
魚の群れ現れ教えてくれた

これは本当だ

昨今の狭い水槽に金魚を詰め込んでみせる
アート?程
ひどいものはない

透明な水槽でライトを横や下からあてるのは
ストレス以外のなにものでもない
水も悪くなる劣悪な
おせちの様なぎゅうぎゅう詰めの箱

魚は光を背を向けるようになっている
海で逆さまに泳ぐ魚はいない

あれは皮肉な事に実は
人間の欲と傲慢の現れをさらしている
無理に無理をかさね
命なんて何とも思ってない人間の証だ

協賛する企業も
地球を俯瞰してみなくては
マイナスのイメージだ

鯉の滝登りは
落下する水の分子の
普段より固まった水の固さを利用して
ヒレと体でぐいぐい登る

波の中に体があっても
足ヒレが水面にでたら
空を切り
その場から動けない

逃げる事もできない

あえて大波が来たら
その懐にいきよいよく
潜り込んで逃げる
あまりの波のルールに片足が空中を蹴る事もあるが
慌てず体をくの字に折りながら頭から水中へ沈み込む

この写真を撮る以上に
何百回も潜っては浮き上がる
繰り返し
水を感じる体術的な技術と感覚がなにより

どんな波に巻き込まれても
あきらめない心

健康第一
心身清浄
道具は一流

海を楽しみ
わくわくする自分に自画自賛!

あとは無心で押すだけ

海はいつでも待っている
包み込み
美しく
厳しい

ただそこにあるだけ

いつでもいい
静かに海を見にいくといい

波音のあとに
予感を海は連れて来るから

やがて
音ずれの中に

光がみえるから・・・・・

なんでも黙ってやってみる

流れる

本年も皆様には
個展をはじめ波の裏側を見てくださり
又、波の裏話を御拝聴くださり
この場を借り、御礼申し上げます

来年の三月迄は寒いので本当は嫌ですが
日本の波へ向かい

その後南太平洋のどこかへ
波を探しに行こうかな?
といった
曖昧な流れにのっていきます

冬へ向けオーダーした
パタゴニアへウェットスーツを
引き受けに行くと

お店は真っ暗でお休みでした
新年は2日から

人生は一度きりかどうかは別として
記憶のある限り

地球に嘘無く
なんとか感応しながら
笑っていられたら幸いですね

よい年になりますように・・・・

青いなみへまた行きたくなりました。

近江八幡


気になっていた事をかたずける

以前から気になっていた
ご先祖の地
わかっているのは江戸時代から
明治にここ近江八幡の永原町から
どういう訳か大正はじめに築地の波除神社の前に
一族郎等大移動した

戸籍謄本でみて訪れると
朝鮮街道とも石碑のある1本の道の両側に、黒い杉板の家々
このどこかにご先祖がいて,この琵琶湖に近い平らな地
昔、朝鮮から人々を招いてもてなしたようで宿泊の地であったようだ

その2本隣の道にひいばあさんの実家があったらしい
が何処だかはわからず

県が助成金をだし
昔のまま風に維持しているらしいが
これが一昔前の何処にでもあった日本

東京は震災と空襲により
おかしく変身したが
ここは戦災にもあわずに昔のまま

和菓子でっちようかんと、宮司の関係である和菓子の包装から味が美しい「たねや」さんを
境内に抱える「ひむれ八幡宮」と水郷を中心に
通りが碁盤の目のように走る

この辺りの大小関わらず,先祖がお参り下であろう
寺社を
見つけ次第御参りした

ご先祖を知っているのは
神様とこの社や木々や水郷の水であろう

先祖から水と関わりがあるようだが
近江商人の血はどこへやら

ひいひいじい様は江戸時代 水口久兵衛というらしい
会いたいな〜

魅力

明け方
琵琶湖と比叡山を模して

松尾芭蕉の句碑もある上野の忍の池と寛永寺を作ったのは
伊賀の瀧寺を菩提寺とした,徳川のお伽集、元津藩 藤堂高虎

その無足人(地侍)は松尾芭蕉の父
祖父は信長と戦い討ち死に

裏では徳川を操作する天界が作らせたという

藤堂高虎の江戸屋敷は
駒込南谷寺(なんこくじ)
赤目不動を祀る

江戸時代には井伊藩にこちらの忍び40名を返せと書状も残る

それは1581年の信長の死ぬ1年前に起きた伊賀の乱 

この日を境に伊賀の民や地侍や忍達の人生は
変わらざるえなくなる

神社,仏閣が焼き払われ、女子供も容赦なく切られたと

そして全国に伊賀者、忍は身を隠し
傭兵として雇われ散って行く

その藤堂高虎の位牌があり
徳川に背を向けるように位牌を
祀るのが伊賀の赤目滝にある
天台宗延寿院

ここが忍の基地であると
感づいた信長に焼かれながらも
灯籠だけは当時を知る

最後に伊賀の人々や忍が
ろう城した
柏原城もすぐ近くにある

最後は全滅ではなく
徳川に現況を書きつづった
服部家
そして何らかの工作の上
猿楽師により信長もあまりに抵抗がすごく
降参しない伊賀忍に手を焼き
毛利達の動きも心配になり和睦したという

話は飛びましたが

信長が比叡山に火を放ち
700〜800人の僧侶,女子供を殺戮したのは1571年

琵琶湖にも
湖畔にも伊賀町、甲賀町があったそうです

京都の北東部、鬼門にあたために最澄建てようと!と言ったのが始まり
そもそもは大山っっっくいのかみ (山神)を古来から祀っていたが
788年に中国系の薬師如来を根本中堂を建ててから安置

日本の中心,日本式仏教の編み出された地
当時の最澄さんを先導に
鎌倉時代以降は法然、日蓮、栄西,親鸞が修行したのに
日蓮宗と天台宗は口喧嘩を越え闘いに
群れになると
よろしくないいいのか?

当時のあまたの仏教考案者のあこがれの地

なんらかの彼らを
惹き付けざるえない時間と
何かがあるようです

今の延暦寺はどうでしょうか?

夜光虫

昔は暗黒と月明かりの世界だが
現在はイルミネーション

一見奇麗だが
これは福井の原発の光か?

人の暮らしが地球とは慣れて行く理由に
電気がある
昔はせいぜいろうそくで早く寝た

が 今では仕事も遅くまでし
夜遅く家に帰り、電灯とTVをパチリ
PCをつけ夜ふかし
原発は嫌いながらも
電気が好きな現代人

バランスが大事だが
一度便利な物を手にしたら
離しにくい人間界

これは下界の自分を見ている

延暦寺

雪の舞う
延暦寺へ宿坊は新しくなった
延暦寺会館

一杯か?と思われるような
予約係の話しとは裏腹に
3人しか宿泊客はいない為
静かだった

根本中堂はただいま修復大工事中

僧兵が自然発生した背景も
日蓮宗と戦いや
信長の殺戮と焼かれたことは
どこにも書いてなかった

天台法華経
日蓮宗は法華経
と,強固な独自の考え方でせめぎあった経緯は
ともあれ

当時はまだ新興宗教だった各宗派の
マスター達が修行した聖地

よくもここまで
歩いて登り
この地にお堂を建てたものだと

彼らに
ここを選んだ理由を聞いてみたい

中国から来た最澄さん
空海さんも仲良くあの世で
足をほどいていることでしょう

平和がなにより

根本中堂の薄暗く
数段低くなった薬師如来を安置し
祈る場は独特だった

何かが集まっている
聖域であり
よく来てくれましたね
という暖かな感覚だった

古い祈りを吸い込んだ
古木と薄暗い不思議な空気でした

なんだか
夕方もう1度行きたくなり

独り静かなお堂で
お祈り

琵琶湖

結局電車でも京都から近いとわかり
比叡山延暦寺へ
この時期は琵琶湖の坂元周辺からの
道しか無く

雪が降ったり晴れたりと
麓から車で30分で延暦寺へ着いた

きっと昔は10時間はかかったであろう
この山

日蓮や栄西、最澄、空海、親鸞と
皆この地に登り
何かを見つけたく勉強をし

根本中堂の薬師如来が
その全てのじかんを聞いてきた

琵琶湖は昔
この何十倍もあったという

景色に溢れる人

景色から人が溢れ
撮る気になれない

朝の祇園近く
嵐山の夜空

土産物屋と食べ歩きの店
人力車
も夜も稼働

喧噪に疲れる

やはり比叡山へ行くか?

Kyoto

噂には聞いたが
この数年で
京都は大混雑

海の彼方から押し寄せた異人さん
著名な寺の庭など
静かに時を読み
感傷にひたる事など
あの世

夜まで妙な色彩絵の光で
照らされた竹林や
嵐山の妙なド派手なプロジェクションパッピングで
照らされた寺

あの手この手で
人を集め

どこを向けても写真に絶対人が写り込む

だから夜こっそり雨の中を散歩した

amino

丹後の網野
焼いた杉板は潮にも強い
暮らしの知恵

そぼくな心のおばちゃん

サーファー達も
今では高速が出来,京都から2時間半だが
その昔は6~7時間かけて波乗りに来たという

美しい日本の時間がまだまだ
ここにはある

楽しみ

ガリガリ
何かをこそぐおばちゃん

スパイク付きの長ぐつでも
すべりよる!〜

聞けば手製の木のへらに金属(バネの部品)
をつけた棒で,滑りやすい海苔の上を歩いて
ガリガリ

見ていて心配だが

まだここに堤防が無い時代から
岩海苔を採るのが楽しみだという

水で5〜6回洗い
砂やゴミを落としたあとに
すだれで漉して天日に干せば

絶品の岩海苔の板

波も穏やかな丹後の景色

守山さん

オーナー守山さんはサーファーである
この人のお人柄と優しさを
忘れられず
世界中から
日本中からこの冬の丹後半島へ
カニと守山さんにあいに来る

ぜひ!

丹後

京都で数年前パプアニューギニアで会った
サーファーであり
時計ブランドニクソンの孫社長と
待ち合わせをし

孫さんが昔ハワイであった
レジェンドサーファーの守山さんの
丹後のカニ宿 守源さんへお誘い頂いた

カニと波は真冬だけ
そんな日本海へ下見に

カニとは越前蟹
今や様々な偽名で、松葉蟹やら香箱蟹やら

彼らは水深250~300mから引き上げられ
冬の日本海の御馳走になる

波は冷たく
鉛色の日本海の景色

いつか泳いでみたいが
それにしても
真冬は太平洋でも冷たいのに
日本海は危険な冷たさだ

少し未来から

今から8年前位に
青山スパイラルでの展示に不意に現れた
林幹
名前も似ているから
妙に仲良くなり
妙に波の裏側に興味をもってくれた

彼は能登半島加賀の太鼓を叩く
太鼓師?
音楽家?

漢字だと
和太鼓奏者
と書くらしい

彼も
空間と雰囲気に少し前にあわせ
叩ききる
そんな自由大胆な音に
タップダンサーとピアニストが存分に舞う訳だ

きっと良い写真も撮ると思う

ふんどししめて
おりゃ〜!
とは
異次元の

信じがたいアンビエントなつつみに
会場は時に鎮まり
波のように熱気を帯びる

素晴らしかった

神ごとである

過去と未来

人物の撮影依頼が増えて来た

人はは波と同じく
一瞬

玄人のモデルではなく
いわば普通の人を
まわりこんで
すれ違い様に写す
一瞬

どうも波と同様
少し先を写す事と知る

今は
もう過去だから

ストロボはなるべく使わない
あるがままの光を読む

しかしポラロイドもいらない
昨今の電気製品なカメラ

もはやデジタルカメラは写真機ではない

フィルムも買いにいかず
現場でフィルムも用意せず
ポラロイドもきらず
露出計も使わず
大事に持ち帰らず
現像もいらない

便利と安易

しかしながら
かわらないことはある

この辺りを1枚から教えられる
嘘をつけない彼らの目

写真の過去と未来
懐深い写真の魅力

日本に来た
沖縄戦や水俣病を写したユージンスミスが
日本で撮影したプリントや
撮影を共にしていた
我が師 柏原誠

「おいおい
きみきみ
所詮写真機は道具よ」

おまえさんの気持ちでバーンと!
行けよ!

と言っていたのを憶いだす

この写真はTED長尾さん
数々の著名なアーティストの荒波のプロデュースを
こなしてきた顔

和太鼓 林幹と我々を異次元へ
誘い込む業師である

Tedさんいつもありがとう!

来年は一緒に展示イベントをします!

寒中


同じ海域の夕闇と朝闇
夕闇はその名の通り闇へ向かう 怖さがある
朝闇は怖さから明るくなる エナジーに満ちている

夕闇が最初
で朝闇が翌年

2016 陰陽
2017 黎明
2018 はどうするのか?

そろそろ新しいウェットも
パタゴニアでオーダー中だ

寒い夜明けの海は辛いが
行くか!

目では見えない色彩の波動と波長
カメラが写し,残す謎

その謎を理解し
その謎を夢中に感じると
写るようです

小部屋

このお寺にこの人あり
無量光院の土生川正道先生

世界で祈りをささげ
世界からこの世界に入りいたいと
決めた人々を受け入れ育て伝える先生

このお寺にに海外からのお坊さんも多い

1時間半のお経と護摩焚きあとの
朝のひととき

この部屋でコーヒーを飲みながらの
お話しは暖かで贅沢な時間

ありがとうございます

日本離れ

畳の広間で
頂く精進料理
くつろぐ時間

その場にこうあるべき無駄の無い
しつらえ,花、屏風
適材適所に飾る間を読めた日本人の歴史
がここにある

料理をみても美しい

ここに来ると
日本人なのに
日本を忘れた時間を巻き戻される

美しいな

留まり続ける祈り

うっそうとした
お墓と杉林と苔の世界

毎日50を越えるお寺で
厳しい修行を越えて来た屈指の僧侶達により
民衆により
焚かれるお香、護摩、お経
が1200年このちにとどまる

これは凄い祈りの力と
霊魂が光に戻る場である

儚い人の一生よりも長く生きる
杉の巨木も御神木である

1200年

高野山は今だに
山奥にある

うねる道路を車で安易にこれるとはいえ
この途絶されかけている雰囲気と

空海さんに空から見ると
蓮の花に見立てて作られた
この地の魅力は
1200年を越えた

幾万の僧侶や修験者のあこがれの聖地であった

そんな昔ながらの祈りを続ける
昔ながらの宿坊 無量光院

高野山

高野山へ
実は数週間前の台風で山が崩れ
山の崖を走る線路が破壊され
数年単位で開通の見通しが
たたないらしい

東京から
なんだかんだで
8時間〜9時間はかかる

徒歩でこの険しい山まで
来た事を思えば安易にいける
霊場である

外人も観光客も
あらゆるお墓と霊魂が集まる場
毎日50あまりの寺院で護摩がたかれ
祈られる厳しい真言密教の道場である

作品について

このところ
お客様より展示会の時でしか
販売はしてないのですか?
とご質問が寄せられています

芝浦のオンワードさん始め企業様以外にも

一般のご家庭にも飾って頂いております

こちらのご案内不足で
今迄は波と同じく一期一会で個展中か
一度ご購入してくださったお客様しか
知らない入手方法でした

現在はWEBでこれ!とご指示くださるか
当方のデータカタログのようなシートを見て頂き
選んで頂く方法です

来年6月に向け都内にギャラリーを
数年前ご一緒に展示させて頂いた
隈研吾さんとのご縁で御願いしています

そうなれば皆様にいつでも見て頂けると思います

ちなみにこの写真は
真冬の伊豆の海の御来光

波よりも
早起きと気絶しそうな寒さとの戦いです。

昨年伊勢神宮にご奉納させて頂いた写真集を
お持ちのお客様のご自宅へ
まるで飾られるように
待っていた様な場所でした

「かざってから
家の中がなんだか空気が変わりました」と
うれしいお言葉

カメラを覗いて撮らず
色もいじらない
ありのままの姿です

海の神社と海で祝詞を捧げ
海中に漂いながら
九字切りという海への浄化と
いつまでもこの自然がありますよう
人々がその物語りに気付きますようにと・・・

人は小さなものです
海原に漂い
きらきらと輝きながら
全てをお見通しの朝日の中は
古来のままの地球ともう一つの宇宙のです

メインのサイズはW900×H600ですが
W750など場所によりサイズはいかようにも出来ます
無理に大きくしてもお部屋の流れを駄目にします

又このように写真を吊るギャラリーレールも施行できます
業者に頼むと高いですが
材料費で施行させて頂いてます

額装や実は未公開の写真もありますので
ご興味のおありの方はメールをくだされば幸いです
お気軽にどうぞ

作品にはシリアルとサインを手書きで御入れし
展示した場を祝詞と九字切りをして祓い清めます

実は僕の広島の海の先祖は風早にある
祝詞八幡神社の宮司の家系で

きっとなにか繋がりがあるんでしょうね


これは日本
色をいじったり
していない海の色

最近の若者は!ではないが
最近のカメラマンはPhotoshopで色付けし
撮れてないのに撮れた風に
自分風に書き足して修正してしまう

もうこうなれば写真ではない

そもそもカメラは人間が作った
不思議な時間を止められる機械だが

実は大事なのは印画紙
こんなものを実験し
現実化し過去を止めておくなど
宇宙人ではないか?と思う程の発想力

で現実は
酢酸臭い暗室から流される
現像液は銀を含んだ猛毒である

その昔、90年代の終わり頃
町中のカメラマンは自宅や現像室からそのまま
下水へ川から海へ
師匠の暗室や自宅を締め切り
やってはみたが、ずるい事に現像作業は好きでなかった。

大量に焼くプロの現像所は一応

その全部は無理だが
その猛毒の廃液を
フグの内臓を捨てる業者しかり
その許可のある業者に売り渡す

すると現像もしない役人の描いた基準で作られた
東京湾の遥か沖なら流しても良いという
「基準とルール」に
船でバラまかれてきたのが事実

あれれ〜
美しい自然を撮りました!
といいながら、その裏面は水に流してきた我々

今ではカメラは電気製品とメモリーなるものに記憶
するから猛毒は現像時にはでないが
カメラやリチウム電池の生産過程ではでる仕組み
ならまだ地球に優しいのか?

すくなくともカメラメーカーも
数年ごとに,本当は数年前に開発したのに
あたかも新しい物として
ちょい出しして
売りつけるのは

数年後壊れるように作る車メーカーと同じ
泳がないと死ぬと勘違いしている今の経済

偉そうな人間の目で見た、地球の色が正しくないこと
人間が作ったカメラの方が正直な皮肉

日本の夕暮れの一瞬
この海を護る神社で祝詞を詠んでからパチリ
のファインダーの奇跡の瞬間

色々考え
教わります

泳力の彼岸

この日も大雨
基本的に天候は選ばない
クローズといって波がもう
ぐちゃぐちゃに爆発した時は行かないが

ここは沖から4〜5発のセットが来る
セットとはある感覚でまとまって来る数本の大波を言う(サーファー用語)

空が隠れたこれに巻き込まれた

胸に恐いアドレナリン潮が引くように集まる
ここで気持ちが引くと負けて腰の力がぬける

沖へ向かい片手でクロールするが
が間に合わず目の前数メートルで
崩れた6mの波
もう潜るしか無い!

ド〜ン!と
暗黒の泡と絵も言えぬ力に巻き込まれ
焦らないようにしたいが
水面方向に見える光の穴のへ向かう

水面で息を吸うが浅瀬にもってかれ
さらに巨大な波が崩れ
暗黒の洗濯機へ

頭が上を向き
なんとか口から水面に上げた瞬間に頭の上に波が!

もの凄い轟音と闇
空気をあまり吸い込む時間がなく
水を飲みながら巻かれ
水中でもがいてしまう

本当に苦しさと
恐怖で胸が潰れそうになる

片手にカメラだから
片手で水中を泳ぐ

4発目が来たら
もう肺にも体にも酸素が無いから
まづい!と感じるが

4発目は来なかった

ぜいぜいしながら斜めに右へ右へと
水面を片手でクロールした

身を以て知った時間は
忘れない

海はわざと命を奪おうと
した訳でもなく

あるがまま

ありのままの地球と海

に小さな人間が間違っていただけ

半端なく喉が乾き
心臓がドクドクしている

泳力の彼岸で・・・・

心配のたね

水の隙間がきれいに並び
ゴミなどがない透明な水ほど
水同士が絡み合い、動きに反応する

これは水の分子レベルの話し
たぶん日本のゴミや汚れが水の中に(水の分子に絡む)
と水同士が水素結合しにくくなり
波もすぐに崩れたり
大きく空へ持ち上がれない

つまり腰がない波

だと思います

フィジーの離島の流されたら終わり
の外洋の水平線から常に奇麗な水と
波動を受ける場所は地球から日々絶滅していく

人工が増え過ぎ
人間が過剰な便利と過剰な欲により
原始的な地球に人間の都合のいい暮らしや、電気製品を
持ち込む程、その地球には必要ない
人間の便利と快適さが むしばんで行く事実

バリなんか良い例だ
海も汚れ
田舎の田んぼの真ん中に
今迄そこにはなかった高級ホテルとテレビが持ち込まれ
そこから眺める景色が素晴らしいと売り込む始末

自然と人間界のせめぎ合い
ホテルから見る景色は素晴らしいが
反対から見た景色は最悪だ

思った程早くに、このままでは青い海も
青い地球もいずれは絶滅して行くに違いない

地球の海に垂れ流している、汚水は
徐々に遠くに流れ

その離島にも他の国から余計な
電気製品やビニール袋をはじめとする
島にはなかった石油製品が輸入され
海と島から汚れている現状

どうしたものか?

どうすればいいやら?

昭和30年代の環境を考えない破壊と汚染をした日本が
世界の島々で繰り返されている

50年後この海も
村もどうなる事か?

目先の心配のタネをまく人間達

自動掃除機なんて馬鹿だ

電気に依存する暮らしはうんざりだ
といいながらパソコンを使う俺

在中

今迄なにもなかった透明な水中に
高速で回転する横の竜巻が現れる

そのロール状の筒が
一番早くなる次の瞬間には
何トンものせり上がる水が水面に落ちてくるのが波

波はなんども書いたが
エナジーである

プールの様な浅く固い海底に
撥ねかされたエナジーと
沖から島へ届くエナジーが
重なる瞬間が波である

瀧は重力にならい
天から降る

波は横に回転しながら降る瀧

言葉で言い尽くせない世界にいる

ここに生身で行かなければ
知り得ない感覚を知る

野性的な
原始的な
地球と宇宙のはじまりに
たちあった

実感

沖合300m
クック諸島ラロトンガ島

満潮の1時間しかはいれない
一か八かの場

美しい神様の住まう海
海の神社を祀り
しめ縄と結界があってもいい
不思議な場

泳いで片道20分
浅い体一つ分の海の隙間へ
鋭く潜る

常に刀の刃をくぐり抜ける感覚と
意識と集中力と7感を使い
襲い来る波を
人間界の時間を少しずらして動く

何を言ってるやら
わかりませんが

とにかく
日常の都会の感覚とは別次元へ

見ているものを信じない
見えて来る時間を信じて動く
無でなくてはいけない

怖さを持ち合わせてなくてはいけない
怖さに丸め込まれては行けない

この表裏一体の間に
身と心を傾ける事

海岸に戻ると決めた時
海岸に戻れたときの嬉しさと
安堵感

精神的にどっと疲れる
が充足した心地よさに

生きてるぜ!

笑う

明滅

太陽が明滅するのではなく
波動が動くたびにその水素分子の隙間や
狭間に光が反応する

光はただそこのあるだけだが
地球が動く事で
常に一定の光量がある太陽が
徐々に赤くあたることで
人はその現象を「日の出」と呼ぶ

日の出というもの
は存在しない

その方が新しい感じがする

もっともこの冷たい水中でも
その光の訪れに
暖かさを感じるのは

野生に生きていた時間の記憶が照らされるのか?

いずれにしても
世の中のものは人間が勝手に名付け
勝手な解釈でそもそもの色を
濁らせている事を忘れてはならない

その場で
その時間と
そのときの自分の心で振動した
全てこそが正しいと

忘れちゃいないか?

たいせつなこと

実は微細な風のかけら

流れに

どうも波があると泳いで写したくなるが

こんな日は無理です

最近波乗りに行かず
バタバタ、ズルズル
都会の波に翻弄され

いけない!いけない!

落ち着いて
ぶれずに慎むこと

旅の準備をして
ウェットスーツも新しくパタゴニアで作ろう

しかしお祈りの旅に自然に呼ばれ
そこで祈る人に呼ばれる

何年か前に人やお坊さんを写すようになるでしょう

と言われたのを憶いだす

時とタイミングは自然に半分は決まっているように
やってくるので
流れに身を任せます

今月は伊賀のお参りから吉野〜高野山へ
いつもの逆ルートで

大丈夫

日本の海
きっと海外のようには水も濁り
撮れないから
大雨の日に行くも

やはり川からの汚れと
曇天の中
写真もどんより

これも自然のありのままだが
展示会には出せない

そうこうして
も何度も太陽の位置、季節など
を行き当たりばったり
何度も写していたら
不思議な時間に立ち会える

禅の言葉
大丈夫

自分を信じぶれないこと

らしいです

なるほど

地球と自然の力から
からのギフト

質問

昨日
浅草で古くから革靴のメンテナンスオイルなどの
輸入販売業をされている、R&Dさんからインタビューを
受けさせて頂きました。

静社長様にこの夏のファイヤーキングの個展でコレクション頂いた
写真の御納品もかね
あらかじめご用意くださった質問にお答えさせていただきました。

聞かれて初めて口にする事や
自分はわかっていたが、言葉にする事で確かめ合う事

座右の名は?と聞かれ
頭は真っ白に
考えた事も無く
う〜ん 生きて戻る?違うな

好きな音楽は?

音楽は今は聞かない上
人が作った音はいずれ飽きるので
自然な音がいいです
など

はたして、数々のインタビューの中で大丈夫だったかな?

でもまさか一人で人里離れた誰もいない波の中から
地に足が着く都会で、ご興味をもってくださり
写真までご購入してくださる事が奇跡だな〜

皆様に感謝いたします。

思い込み

ブレないこと
確固たる意志と結果である作品で見せる
作品とは おこがましい が

シャッターを押す指先に
何らかの指図をした訳だから
仕業です

その仕業を見せれるようにあちこちに行く
関係ない様な事も全て意味があります

夏の終わりにデジタルカメラが水没!しました
浪に巻かれ海底にケースが激突!し
カメラは天国
俺は地獄

ま〜色々ありますが
因果応報

それぞれに
役目とでこぼこは
待ってますが
ま〜前へ

散々に浪に巻き込まれ
絶体絶命から戻れたのも
戻ろうとする意志と
死ぬときは死ぬ
というあらがわない気持ちです

気持ちが負けると
腰がくだけ
浪にさらわれます!

来月、おきまりの高野山から吉野山から伊賀から岡山へ行こう
会いたい人々に会いに行きながら
また自己をチューニングする新たな時期だ!
と自己暗示

思いきいり
思ったまま動く
事で、信じがたい少し先の未来がまってます

と思い込む

思い込まなきゃ
一人で波にのなかへは行けません!

本当の地球へ

この数年海外の波は故意に行かなくなった

水が透明で泳いで行けそうで
サーファーがあまりいなくて
波がある場所

これがなかなか難しい

2002年頃から取り憑かれたように
続けた
武者修行と称した独り旅
波があるかは出たとこ勝負

なにより海外は特別怖い
環境も波も桁外れにでかく強烈だ
サメやらバラクーダやら潮流やら
完全な他人の家に土足で入り込む訳だから

常に「すみません!」

時がたち
地球が人間に知り尽くされ
過剰に破壊されていく事実

遥か遠く遠くに行かなくては
地球ができたころからの山や海は無い現実

防波堤もテトラも電線もビルも無い場所

いつか絵本でしか見れなくなる

ここフィジーの離島も
飛行機数回乗り継ぎ、空港で5時間待ち
小舟1時間
3日がかりだ

飛行機はまるで子供の頃の古い遊園地の
乗り物のごとく箱
シートベルトも適当で
すべてがゆるい

でもこんな波が生きている

おいおい嘘だろ〜と
胸に恐怖のアドレナリンがぎゅっと集まる

そんな心が潰れそうな怖さと美しさの狭間で
古い時代の精霊やスピリットを純粋に信じれる時間にいる

ありのままの嘘をつかない地球と宇宙で
死ぬ可能性のある場に心を置くことが
いかに人間に大切か

我々は地球のボスじゃないと
もう1度考えなくてはいけない

この波の話し

ここはサメがいるうえ
浅いので満潮しか入れない
前に足をかまれたサーファーがいたが

あいつは村にも挨拶にこなかったから
お前は村長からセブセブ(お祈りの儀式)もうけてるし
家族だから大丈夫!


根拠ないこの自信が好きだ!

夕暮れ大雨がふり
沖で待っていた船が村人を迎えに行くと言い
いってしまった

20分後がやっぱり1時間
どんどん潮が引く高速な波と
大雨の夕暮れの波で
間一髪の連続に集中力が切れ
胸に怖い!が凝縮する

あと10分来なければ
泳いで1キロ戻らないと闇の海は死ぬな

すると雨の中エンジン音が波音の轟音と重なる

うれしい薄墨の景色から黄色い雨合羽を来たセブ

ごめんごめん!

おいセブ!
フィジータイム!だな

そうそうフィジータイム!

ホッとした一瞬

もう2度と行けない海

充分じゃないか

日本の波
これは真冬

頭がキンキンになる以前に
早起きと暗いうちの準備がつらい

若い時は海外の未知の空気と水を
知りたくてたまらなかった
南の島も随分と汚れて来たな〜と感じ

月日がたち
日本の美しさとよさに惹かれた

といっても昔の浮世絵の様な日本はもう絶滅し

フィジーやタヒチの離島の様な
昔のままの雰囲気はない

今やビルやコンクリートの防波堤の隙間の海
ビルの隙間から見る太陽と月

魚介類のうまい食べ方を知り尽くした
店主の料理やや温泉まである

海外はシャワーだけで
体の疲れがとれにくい

日本の行政の大きな過ちは
沖縄や地方に公共事業の金をばらまき
本当は意味の無いとはわかりつつも
破壊して作る人工の海岸やテトラポットが象徴

海に砂がとられるから?

おいおい
砂は海のものだ

だから丸い地球の下の方に行けば
若干だが昔のままの海があった

チャイナマネーをばらまかれ
おかしくなったフィジーやパラオのように

昭和30年代の銀座の川を埋めて
高速をつくった日本の愚行は
ようは地球のどこかでじゅんぐりに繰り返されている

ゴミや放射能も結局は地球の中にたまるだけ

そろそろ本気で考えたいが
なかなかどうして、足並みはそろわない
危険度が10万年消えないものをどうしてつくるのか?

いつかはこの美しい海も汚れ
防波堤により波も絶滅する日がくるのだろうか?

人が増えすぎ
自給自足ができず
何処のスーパーでも人工マグロが買える時代
地球は限りある惑星だが

あってないことが
あってるような錯誤の社会

裸で波にいくと
心身が清められながら
己の小ささを笑う

初めて

初めてカメラを置いて山へ
大雨の中
初めて日帰りでお山へ
とはいえ
前日とその日は、麓のお堂をもつ宿でお世話になった

初めて2年前瀧を浴びてでると
すれ違いざまに出会った、荒行の僧宮武玄澄さん
暖かで日本中を祈りで繋ぐ、宮武さんご夫妻

思いついたまま
初めての事をする

初めてから流れ始める

初めての連続と不思議なご縁

同じ時間は無いのだから・・・・

写真はその2年前

七面山

2年前にここにいた

山梨県の七面山のお堂 敬慎院

どなたでも宿泊できますが
昔のままのスタイルの
大広間で同じ長い布団で寝る
食事は質素な野菜料理
日本昔話のスタイルをつらぬく

今は日蓮宗の管轄というか管理、祈祷して頂いてますが
その昔は修験者達が何らかを、感じ、見?

行場として自然に生まれた場
延々と山の中を3~4時間登ると

昔のままのお堂と
龍神様が住む巨大な池がある

太陽が富士山の真上に登る
3月と9月,光が真上に重なる瞬間に
山門を抜けお堂の、七面様を照らし
出雲大社へ抜ける、不可思議な自然の設計

目に見えなくとも
手に入らなくともいい
地球への信仰心が脈々と受け継がれ
今がある日本

人生で知らないままだと
もったいない場

ぜひ

明日から急遽
お誘いをうけたので登ります。

わたくし

茅ヶ崎に生まれた

目黒のステンレス職人の祖父の家には
何十本もの祖父の手製の水槽と南の生きた魚がいて
ぽこぽこと泡の音に包まれた
スキーの板まで手づくりな祖父

とにかく水を大切にしていたのは戦争の体験から
満州とビルマに赤紙で呼ばれ2度行き
奇跡的に戻れた4年に見てきた時間の
多くを語らぬまま96であの世へいっちまった
人生の先生だった

4歳位から素潜りをしていた
壇ノ浦を望む父の田舎
植物圓の園長で画家の祖父がすむ
山口県の海と真鶴で覚え
魚を生け捕りにし、取っ手のついたビニールぶくろに
電池のエアーポンプをつけ
持ちかえり
家の水槽で飼こと

食べられる魚やたこは食べること
下関の城下町長府の路上でばあさんから
見た事も無い魚を買って食べる事に命を燃やした!
祖母は料理の先生

魚の図鑑ばかり見ていた

小学生までシュノーケルは買ってもらえなかった
理由は実は危ないからだ

水がパイプに残り、波をかぶり
慌てて海水を飲み込んだり、弱い空気を吐く力で水を飛ばせないから

中学になると魚の生き死にが知りたくて
熱帯魚屋でアルバイトをした
時給は0から200円300円
とにかくその道に入るのが早道だと思った

やがて水槽の撮影やTV局やハイビジョンの撮影、BARの設計もたくさん受けたが
生き物の生き死にと
人間の無理な使い捨ての様になりがちな結果に嫌になり
やめた

そして海の学校へいき
ライフガードの資格をオーストラリアでとった

翌年カメラをさげ
オーストラリアへあても無く行き
立ち寄った9時間のバリ島に心を奪われた

日本に戻りダイビングの撮影を始めた
やがて酸素ボンベとカメラを背負い世界中の海で
死にかけ,死ぬのは仕方ないが、ゴムホースや、道具と水圧の負担で
死ぬのは死に切れないと感じ
魚にストロボをあてる行為に恥ずかしくなってやめた

ちょうどその頃14歳で3日だけ
泊めてもらったパラオの海のオヤジが
水中写真展示の青山を歩いていて死んだのがわかった

エネルギーの糸が切れた感じがし
電話をするとまさにその時急に亡くなったと
わずか10秒の電話さえしなかった自分

南の土饅頭の墓で
憂いある命のかかる写真と行動をしたい
戦場?いや
海の苦しい修行を通じ
0から海を知りたい

裸で波へ行け!
ともう一人の自分が予感した

あの日々があり
今がある
一寸先は闇だから
おもしろい

そのわずか光を
自らのやり方で照らせばいい
あとはそこに向かうだけ

誰だって不安と怖さがある
それを自力で越えてみる

黙ってやり続けるうちに
頭の妄想と空想以上の
あ〜これこれ
とにんまり一人で笑う時間が待っている

頭で考えたことなんか
なんの役にも立たない

学校や塾の勉強が
海や山や川と生きなくちゃいけない日本で
無意味だと改めて知る

良い会社に入り
金をかせぐ大人になる為の
落雁の型のような養殖場から
逃げること

誰もいない波の中で
自由に波に飲まれ
遊ぶ事

最高な時間じゃないか

地球の時間は
全てを洗い流し
心をもとに連れ帰る

魂と心身の浄化

自動掃除機や
電子レンジに腹が立つ!
自分でいよう

死んで悔いを
この世に1滴ものこさぬよう

パイプラインで泳いでみたら
やっぱり溺れた!

そうして今この1枚があります

独り旅へ行け!

死んじまった先祖と仲間を大切に

あとは何とかなる!

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