STAFF : Uncategorized

みつち 神社(こうもう)

常陸の国
茨城はみつち神社 
2300年前から祀られてきた御祭神は
水を司る女神 みつはのめの 大神

国家鎮護の神 ほんだわけの大神
自然界の木々の神 くくのちの大神なども祀られている

今では森と田んぼに囲まれたこの地は
昔は一帯は一面の入り組んだ海であった
というから
地球と宇宙は凄い
この山も海底にあり隆起したのだろう

エベレストで岩塩がとれるのもその証拠

その名残り
として境内は2枚貝の貝殻だらけ
数千年,数億年前ならお宝?化石?
だが
あまりに沢山のか白い貝が、土の表面にある
シジミを食べた後に、近所のおばちゃんが撒いたのか?

みつち、みずち
は龍の1種を指す

裏手にはひっそりと
いくつもの石の祠

祝詞を唱え
九字をきり
貝を吹くと

一瞬
草木の中から真っ白い何かが走った

ここが現場である

南太平洋で独り
生死のかかる生き甲斐の場

あの緑の山の麓から
小舟で
時には泳いでここまで来る

この1枚は潜ってかわして
素面に出て呼吸した瞬間に振り向いてパチリ

フィルムは写真のように
周りが黒いふちになる
今見ると味がある

波を潜ってかわさないと
この位置を維持出来ない

怖さがかつと呼吸があれ
体がかたまり
角度や勢いが甘くなり
必ず巻き込まれる

波に対して常に平行?
鯉の滝登り

実は撮っているより
潜って逃げ回る方が多い

2時間で30回~50回?は潜る

全部が撮れる波では無いから
水面に向かい口呼吸する

片道、片手泳ぎで20〜30分
精神力である

サメが餌と間違えてこないか
足もとや周囲の沖に
眼を配り
水面では大波に眼をくばる

やがて
独特な野性的な忘れて来た感覚を
取り戻し

海で独り幸せだな〜と
加山雄三さんの声

1 自分にしかわからない、緊張の意図が切れたらすぐもどる
  すると急に無性に怖くなる(何かに見られている感じ、自然のその場の古い神様? か何かがいてもう帰れという感じ)

2 もう撮れた手応えがある

3 波が小さくなって来た

4 夕闇が迫る,体温が冷えた

なんだか
戻ると決めたら正直嬉しい

雨でも、とにかく選ばず行く!
たとえ沖で数分でもいい

引くときは一気に引く
この塩梅は感覚だ

ともかく気持ちを退けない事
大人や他人の言う事は聞かない

自分で判断する
その答えは正しいも間違えもない

始めはなぜ波に近づけず
何が理由で巻かれるのか?を考えたが

所詮人間様と地球は その力の差は1対2000だと理解し

やられる時はやられる

迷うこと、悔いる事、考えすぎる事
がよくない

プラス
腹を空かしたサメやウミヘビやはぐれたバラクーダがいる
絶海の海で人間様は餌である
強烈な毒のウニや貝もいる

完全なるアウェーである

人間は海には来なくて良い存在だと知るが
魚達は怒りもせず遠くから見ている

数百種類のサメの種類で
危険なのはたぶん13種類

これらをしっかり覚え
彼らの動きを良く観察し
目を見てそらさない

経験上、様子を見に来たら
向かって行くと逃げるなど

こうした教科書に無い事が
勉強になる

こうした時間が
人を正しくする

絶対に海に育てられた僕

眠い時に寝る
 

表裏

怖いもの知らず
も大切

気道がしまり

肺の空気が押し出される程
波に巻かれたり

一列の巨大な波が目の前で崩れると

本当に胸に怖さが集まる

これは頭でなく
脳でなく
胸なのは間違いない

胸のざわつき
胸騒ぎ
胸が躍る

よくよく見渡すと
良い言葉とヒントが漂っている

胸の思うがまま
行動する

又行くか?と聞かれたら
あまり行きたくない
海の雪崩

美しくも
恐ろしい

昔ばなし

フィルムはkodak ektaclome
実際には感度は50だと聞いた

カメラはCanon Eos7 
レンズはCanon 20mm f2.8
ケースはアクリルの特注品

これを握りしめ世界中へ旅をした

暗中模索
ならぬ
波中模索

本当に波があるのか?
水は透明で
泳いで行かれるのか?
ボートを頼めるのか?
サーファーがあまりいない場所か?

最初はフィンも国産のGullのフィンだったが
幾度も波にさらわれ、脱げてなくなった

沖の波の中で
なくなったら本当に怖い

ホノルアベイへ通いながら
マウイでフィンを探した
歩いてもいいですか?と店内を歩き

最初はRedlly
今はViper の固いタイプ

図鑑で魚のハタの様に
クイックで動くにはこれ

足首が柔くないと相当きついが
水をとらえる力は抜群だ。

水中メガネはやはりGull
日本の葛飾区立石のメーカーで
一貫した機能美とゴムがとにかくよく
ずっと愛用している

数年前,偶然に商品の撮影を依頼され
た事もあり不思議なご縁だった

水中メガネは分解も出来
度までいれられる
本当に丈夫ですごい!

今のメガネも何度も無くしけたが
浅瀬や裸眼で水中を探し見つかる相棒

水中メガネがないと
足ひれより危険だ

海底の地形や
波の動きと大きさ
逃げ道など
サメをみつけたり

命に関わる大切なもの

様々な分野の
コアな道具を創る方が世界にはいて

その結果
こうした写真が生まれて来た

つまり
合わせ技1本である

写真はサモア諸島のウポル島
昔、初めてのフィジーで、空港で5時間待ちの際たまたま会い
偶然同じ日程で、同じ島だったハワイアンの
ボディーボダーTate宅に泊まらせてもらい

南下すること5時間
僅か20分の隣の島へ行くのに一泊し
国内線に乗り換え
車ででこぼこ道を2時間

本当に遠いぞ!

が2度行った

日本からの旅費が70万!
しかし川沿いの高床式のサーフキャンプの食事は今までで一番!

村人も最高だ。

遠望できるポイントは遥か沖にあるが
ボートですぐなのだが

とにかく川のせいか?
洗剤のせいか?
水は濁っている

ボートから飛び込み
波の場所まで、青黒く濁った深いチャンネルを泳ぐときが
一番怖かった

一度、いやな予感がして振り向くと
大きなロウニンアジとツムブリが足ひれの、音と泡に反応し
凄い勢いで深場から表れ

水中で’コラッ!’というと逃げ
またしばらくすると現れる


ルアーだな
と笑う

カヌーで漁をし
川で洗濯をする(石けんや合成洗剤をじゃぶじゃぶ流すのが気になるが)

昔ばなしの様な国が地球にはまだ残っていた

いつまでも
開発の遅れた不便な遠い島に
行かねば美しい時間は残っていない事実

便利をはき違えた
都会のあり人間の我々
昔には戻れなくとも
これ以上地球を破壊し海を汚さない努力は
出来る訳だが

このままでは
汚染物質やプラスチックやビニールが海に漂う
沼になる

海7
陸地3+埋め立て1?
海が広いからわかりにくいが
小さな島々が輸入品や洗剤で汚れて来ているのは間違いの無い事実

キリストが輸入され
自然を大事にともに生きる知恵や教えを忘れた南の島々

アーメンの前に
拝むのは太陽と海と大地であろう

けむけむ

巨大な波がリング状に島に添いながら
全てを飲み込んだ
当然俺も飲み込まれた

この煙を”けむけむ” と称し
あまり美しくキラキラ煙がふって来るから
試しに入ってみたら

溺れた!

水中で溺れた!

つまり中はまさに乱気流と洗濯機のようで
体がバラバラに動き,見た目との裏腹にびっくり

それ以来
この”けむけむ”に入らない!

もう2度と撮れない1枚
海が一瞬で轟音と雨雲のように暗くなる
隙間を探し深く潜った

フィジーの離島の沖300mの波裏
36枚フィルムで撮影した1枚

憶いでに焼き付くのが写真

水の分子が奇麗で不純物がなく
そんな水は水素と引き合う力もガッチリ

水の隙間に過去からの時間の記憶を含み
海の水はこの辺りから動かず
この地で生き続けている

のが僕の感覚

学者は学者

体験者は身を以て感じ得るものがある

言葉や数字でない世界

だからこうして
氷、石、木目など地球の素材の形になる

水が無ければこの世は存在しない?

波は禅的である
自ずと己を見据え
己を見つけたくなる

波は沖から来てるが
沖の水は来ていない事実
波なんて物はないのだ

そう見えるだけ
幻をみて
その幻に夢をかけともの動く
最高な人々

求道者であろう

苦しく危険な波に
板1枚で挑み、一体になる

僕はこの身一つで
地に足が着かない世界を漂い
思いにふける

夜、しんしんと降り積もる雪が好きだ
雪がこすれ合う音なのか?
しんしん なんて素晴らしい表現だ

人生をどう表現するか?
自分自身が納得いく音を探す

サーファー達はそこに
最も近い生き物だ

This is Sun rise at japan
so cold winter came with Clear sun beam

I’m so happy in tha Water

見た事が無い景色が
刻々と表れる
様々な暖色に変化する太陽が創る奇跡

崩れる波を撮るのは
首が危ない

潜って押す
タイミングが
さらに幅がないのも
難しい

フィジーの大波が教えてくれた生きる術
が15年後の日本で又使う

過去がなけりゃ
今は無い
今もすでに過去なのだが

過去にすがるのではないが
ポジティブに、しっかりと過去を生きて見ないと
今は無いのも事実であろう

過去と今はどっちも
同じ中にある
片方では駄目で

移り行く波の動きのように
呼び合うもの

その風をふかし
共に動くのは自分

明日の風は明日吹くさ

のいう訳です

フィルム

2003年の今頃
フィジーの離島にいた

空港で5時間待ち

グライダーの様な飛行機と
海岸からボートで島へいくと

地球の果ての
波の裏側に
青く光る聖域があった

36枚フィルムで十分だった

よそさまの土地と海
ギリギリの状態で泳ぐ訳だから
酸素ボンベも
人間側の要求も
身も心も無心でないと
なんだか
海岸に戻れない気がした

人間の泳ぐとか
泳げるとか
そんなものは何一つ通用しない事は
頭上の島を包むように崩れる大波に巻かれ
知った

風がひとたび吹けば
波も水温も瞬時に変わる
水深は2m程
海の水が急に静かに集まると
水の壁が迫り来る

空に1羽
白い鳥が様子を見に来た

周りには誰もいない
日常では必要の無い行為

でもなんだか無生に
幸せだな〜なんて
水面に浮いている

サメが食べに来ないか?
大波が来ないか?と

都会じゃ使った事も無い感覚と触覚を引っ張りだし
そうか〜
眼に見えない力や験力はこうした
際に使えたらいいな〜と

思う行者達の気持ちがわかった

都会にいたら
こんな野生を感じず

知らないまま棺桶なら

この波に飲まれて棺桶のほうがいい

足すも引くもない

飾らないありのままの美しさに

惚れたわけだ

そうした写真じゃないと
人にも海にも失礼だと思った

やってみりゃいんです
何でもドーンと!

今年のファイヤーキングカフェの展示は
こうした未公開のフィルムから最近の日本の御来光と波
を織り交ぜながら

海を海の神様を繋げたらと思います

改めて過去に感謝すると共に
色々な海の話をして行けたら幸いです

200年

今年で14回目、14年目の夏の個展
ファイヤーキング カフェ

過去の未プリントだったポジと
今までの写真を多彩な青で展示します

これから神楽坂の現像所にて焼いて頂きます

今回で印画紙も無くなりつつあり
巨大なプリンターも廃棄してしまう為
ここでは最後のプリントに

時代が変わり
国芳が仕掛けた
御用絵師や様々な自由を禁止され抑圧された
江戸の封建社会からの逸脱と
庶民にゆとりが生まれ

手作業の職人達が贅をきわめて,熱狂した
浮世絵が、印刷になったように

印画紙と現像液がインクジェットへ移る

インクジェットはまさに、電気とボタンの打ち込み
行程もしかり、仕上がりも味が無い

広重さん達が
この波の裏をみたら
櫻の木で版画にしてくれたかな?

太陽





珊瑚
木々

すべてが絶妙なバランスで
数十億年育まれ
自然に自然に彩られたキャンバスが地球であるが

目先の金と
間違えた安全や
地球感のない役人が決め

破壊するのは人間の得意技

数百年後
浮き世絵師達が創造もしない世界が今である

浮き世絵師達が図案化した景色や風土でしか
昔の日本が見れなくなって
僅か200年

200年後
この海ももう無いかもしれない

先を見据え
今を焦らず
過去を大切に

時間とは?

フィジーの離島の容赦ない青
容赦とは人間よりの思考であって

地球にとっては,容赦でも、掛け値でもない
ごく当たり前に数億年繰り返されてきた日常

人間が入る隙間もない
強烈な力を帯びた水の分子

ポジフィルムを眺め
よくもこの海に呼ばれ
よくも無事だったな〜と

時をへて見る

36枚フィルムをつめたカメラと
覚悟を決めた日々が懐かしい

今じゃフィルムも絶滅

やがて人間達がこの聖地を破壊したら
地球からこの青も絶滅するだろう

一度破壊し、埋め立てた海は
2度と戻る事は無いのに
人間の欲望は底なしなのか?

もう十分じゃないか

たくさん写したら、戻れない気がした

36枚で撮らせて頂けたらいい
よその家に、土足でごめんなさい
と感じていた

見た事も感じた事も無い
青い巨大な波に
身も心も浄化された

忘れかけた
絵も言えぬ鋭く美しい怖さ

その怖さと感覚が
人間の心や行動のバランスを育む

現代の浮き世では
忘れられた地球との時間

時計をはずし
これが本当の日常の時間だと知れば
誰もが笑みが湧いて来る

本当の時間を生きた振りをしている
自分が怖くなった

知りえた日々

2002年の今頃
フィジーの離れ小島に

ここは本当に怖い

海の水が海をひきつれ

あっと言う間に
波の壁が全ての視界にある物を包む

美しく 太古のまま
人の汚染を知らない海

世界から日々青い海が濁っている今

何が大事なのか
何が少しあればいいのかを

この青い海が教えてくれる

1枚

日本の波の裏
冷たい水と闇と光

危ないサメ、はぐれバラクーダなし

沖まで数百メートル泳がなくていい

波を崩れさて撮るから首が危ない

青い写真は撮れない

良いところ
きついところ

前人未到
前人未泳

先生は海。

体をどう動かし波をかわし
どうするかは
誰にもわからないが

海で波にさらわれそうになっても
とにかくアゴを引いて首をまるめる
あきらめず、ゆっくり波にあわせて泳いで呼吸すること

あの波はかわせないかもしれない
溺れるかもしれない
などと世迷い言は捨て
生きたけりゃ泳ぐしかない!

冷静に冷静に

そんな激しい瞬間と瞬間の隙間に
こんな瞬間がある


うっかりみとれていると
崖から落ちるように
嘘のような瞬間に手のひら返し

何が写るかわからない
から
本当におもしろい

1枚にかけた

1枚の紙に写された
あの日

写真はいい

好きな時に
棚からひっぱりだし
壁に飾り

日々その表情をうつろいながら
あの日に戻し
思い出をつなぐ

映像じゃない

1枚の写真に潜み
1枚の写真にかけた瞬間

写真はあらためていいものです

Exhibition

This color was original

When the print of the photographic paper is the last than a processing laboratory in this year

The demand for photographic paper print and passage of times when materials face the extinction

I don’t disappear from the life, but it seems to become ink-jet

That purpose
I print the unlisted wave that photographed a film last

7/8
It is collaboration in sum tambour(wadaiko) Kan Hayashi and Tomofumi Tagawa at Takaido G rock studio

solo exhibition of 7/30~8/26
Yoyogiuehara fire King cafe

September
I display an opening in a gallery before the firmness

フィルムと印画紙が絶滅へ

代々木上原ファイヤーキングカフェの2005年から14年目の個展

不思議なご縁と
未知の旅の先で待っていたこと

こと とは事
事象であり
過去である

未来は見る事はできないが
過去は見れる

過去の少し先にあること
過去とは今でもある
未来も過去である

「今」もこの文のように
微細な瞬間の過去の積み重ねにある

今年はなんだか
回転しながら輪廻しながら
今までと未来を行き来するイメージ 
が漠然と浮かぶ

今年の個展のテーマは
一昨年が日本の夕陽 陰陽
昨年が日本の御来光 黎明

写真に題名はつけない
なぜなら撮ったときは題名はなく
それは後付けであるから

宇宙の摂理の波や
自然に対して,身も心も裸で撮らせて頂くコンセプト
からズレる訳です

題名は写真を良く見せるプロデュースであるが

人間の恣意を押しつける事には違いない

題名を見て写真を見るのではない

写真は
その場に1瞬に立ち会った
強烈な1枚でなくてはいけない
ドキュメンタリーでありそのまま
無添加でなくてはいけない

安易な嗜好性の高い
ドローンの1枚では意味がない

題名なんかなくても1枚はうったえてくる

アニーパイル、キャパ、一ノ瀬泰造さんが見た戦場
50mmレンズとフィルムカメラで近づいて
死線を行き来した彼ら

結果 彼らは帰れなかったが・・・・
まなざしの先にあった写真は残る

海で生き死にをしたかった
本当の海を知りたかったから
裸で行ったら、本当に気道が閉まる程溺れた

だらだら長くなりましたが

実は15年以上プリントをお願いしていた
神楽坂の現像所データフォトさんが印画紙プリントを
僕の個展を最後にやめると聞いた

印画紙がなくなりつつあり
印画紙に焼き付ける巨大な機械を廃棄してしまう

「最後のファイヤーキングまでは
とっておきますが・・・」

今後はインクジェットになるとのこと
比べる性質が最初から違うのだが
微妙な色の諧調はどうしても印画紙にはかなわない

昨今のカメラのデジタル化と印画紙を使用するフォトグラファーが
絶滅しつつある世相にかき消されるのは
寂しい

だから
過去の未公開のフィルム写真をメインに
展示します
最後のアナログ全快!写真展

村里遠くにしておのずと寂静たり

大きな波を探していた
フィジーの離島で独り挑んでいたあの日々

夕方になると
海が冷え
闇がその全てを飲み込みはじめる

フィジーの裏側の彼方は南極だ
波のたつ沖は不気味な黒い水をたたえ
何が出て来てもおかしくない
独特な雰囲気だ

水中にも自分以外誰もいない
サメがとにかく怖いから
いつも周囲に眼を配る

正直
全て怖い!

待った無し!

流されても藻くず
溺れても藻くず
誰も助けちゃくれない
藁をもつかむ とはこの事かと知る

あまりの現実をもう笑うしかない
空を隠しながら
島を包むように三日月がたに崩れる大波
その崩れ,弾け飛ぶ白い波がしらは水面から6mはあろうか

暗黒の泡に引きずり込まれ
天地不明の苦しさと怖さは

たまりません!

人生でこんなに怖い事があったのか?と
その怖さは常に塗り替えられていく

そんな経験がかえって邪魔をする
過去の経験が怖さを呼び
ネガティブな気持ちをひきよせる

心の行き場を失うと死ぬ

心が潰れる思いに潰されないように
泳ぐしか無かった
夜,足が着く粗末な木の宿に戻り
よく生きてたな〜と感慨にひたる

思った事をノートに残す

ここでは波をくぐりぬけ
泳いで息を吸うだけ

単純明快が好きだ

限界は自分が決めている

頭で限界を決め
心がざわつき
自分から逃げると魂が抜け
あの世へ近づく

心と体の軸がぶれると
必ず巻き込まれた

経験,体験、修験

験を知り
己を知る

己の力を正直に認める

ここで生身で泳ぐには
それしかない と
はるか400m沖で思いました
地に足がつかない時間にまどろみ

え〜また泳いで帰るのか〜
山を登れば下ります
ここまで泳いだら
また海岸へ
根性と体力と気力

人里離れた遠くに身を置くと
心が鎮まり何事にもとらわれない境地になる

そうです

一隅

ハワイ島に行こうとするうち
火の神 ペレのキラウエアが噴火
地割れとマグマが噴き出し

家を失った方々もいるという
オアフのようにアメリカ化されていない自然の緑の島が
なんとか落ち着いてくれる事を祈ります

日本を撮れというお知らせなのか?
見た事も無い
日本の波の姿が
毎日、人間に見られずに繰り返されている

ビルの隙間から出る太陽とコンクリートの町では
鈍ってしまう自然感

地球は生きていて
我々を見ている

海も同じく
恐ろしい迄の美しさと力で
絶えず生きている

死ぬ可能性がある
こそ
人は謙虚になる

海と戦う為に行くのではない

海は心構えがいる

海が人を殺す気はもうとうない
ただそこにあるだけ
意味を含みながら
意味をおしつけない

人間が長い時間いられる場所ではない事実を知り

戻るのも勇気である

嘘も掛け値もない世界

これぞ海の真骨頂

生きてる実感と
おぼろえな自分が生きる意味を知りたくて

光を探しているのかもしれない

楽しみ

無心で波へ向かう

海岸で一人祈り
太陽と風を観

彼らが創りだした光景に魅了される

好きな事をしないと
人には伝わらない

好きでもない物を売っても
そこに心がない

地球の呼吸である波の心が息づく1枚が
お客様の手元で輝く事がなによりの幸せだ

今年は天候とタイミングがあわず
なかなか撮れない不思議

今迄ピンポイントで必ず行けば写せた1枚が
なかなかどうして難しい

これも宇宙の法則
地球の答えである

雨にぬれた海岸で一呼吸

海は逃げません

さて
楽しみが増えました

幼い頃
ヤシの実のジュースを飲んでみたく
コナウィンドとかいう,缶ジュースを買っては
これがヤシの実の味か〜と
騙された

珊瑚礁の魚達を実際に
南の国で見たかった

やがて眼では見えない
波をフィルムで写し
発光するような青い波を現像して驚いた

フィジーの裏まで3日
南極やニュージーランドが近い海
に一人漂う自分を笑う

タヒチでサメに囲まれ
子供の頃読んだ
本に出ていたように
獲物を狙う時
胸びれを下げて体を縮ませ
歯を見せるのは
本当だと知った

龍の真言を唱えたら
足下の珊瑚の海から
シマシマの子供のウミヘビが水面に
昇って来た

何度も沖で波に巻かれ
肺の酸素が全部出てしまい
4発目が来たら死ぬな
と泡の中で思い
なんとか水面に口からあがると4発目の波は
来なかった

あらゆる波にもまれ
キュウリの塩揉みのような
自分と生きた心地と
そこにいられた今が幸せだった

嘘も無く
本当も無く
うつりゆく太古の地球の時間

町から
遠く
遠くにいかなければ
もう透明な波は無い地球の事実

天然の地球が消えて行く

海岸も無く
落ちたらあがれないコンクリートの
濁りに濁った東京湾

しかし
日本にも青くはないが
独特な光と陰の日本らしさを
含んだ海がある事を知るのは
15年後

灯台もと暗し

遠くにいったから
近くに来た

遠くに行かなくても
近くにあるもの

近くにないから
遠くに行った

始まりと終わりは
同じ場所にあった

頭で決めつける
時間の無駄な事よ

黒板や学校の机からは
知り得ない時間を身を以て
心で感じ知る事

いい成績は
順位と記憶力の競争
プールのタイムはここでは無意味だ

体術
心術

バランス
タオ
陰陽
狛犬

古い地球に生きた人々の
憶いに戻る

そのために
人には儚く美しくも
つよい地球の力を

おかしな今
知っておく必要がある

写真になる

意識しすぎると
妙に力が入り
うまく体が動かない

例えば野球で、力んで打とうとすると
丸いバットの微妙な角度と位置にあたり飛ばない

写真も同じく
意識して良い写真?
を撮ろうとすると
構図の固い窮屈な写真になる

移り行く時間は
次の動きに
あわせるように
自分の位置を動きながら決め
押していく

健康でなくてはいけない
泳げなくてはいけない
水に慣れて
波を畏れ
波を怖がらず
波を受け入れ
波に瞬時にあわせていく

受けてから押す
受けたと同時に押しながら
心が逃げないように、体を逃がす

この大波を崩れさせてから押す
間がなかなかどうして、怖い

逃げると
「こいつ逃げたな」と写真が物語る

写真は人間様よりストレートで正直だ

1枚の写真になりたい

そんな1枚を残すため
1枚の写真になる

おし寄せる

古武道とは呼吸と間
体の短所,長所を自然にいなす
流れであろうか?

今世紀の最悪な発明はプラスチックと放射能
今や地球にとける事も無く日々、海洋を山を汚染し続けている

物も無い時代
命がかかったやり取りに
生まれた術

波の中でも
意識しているのは指先の動き
と水流に指先や体が垂直にあたるようにする
0度

空から見て波に対しては必ず90度
間に合わない場合は
ひねり込んで90度にする

頭と首の使い方が大事で
頭が波を抜ければ
自然に腰はついて来る

腰が波から抜ければ
なんとかなる
だから
泳いでいるのは上半身だけで
足は推進力とオットセイのようにカジのように使う

大波で身を以て知ったのは
腰と背骨の線がズレると
完全に逃げ後れ
巻き込まれる

そこで大事なのは心

怖いのだが
怖さを捨てる

巻かれる!だめかも!
と考えると必ず波にやられる

気持ちが負けると
体がうまく使えない

空手の呼吸と気にも通ずるのかもしれない

海で礼をし
礼で終わる

祝詞を捧げ
九字切りをする

あらゆる失礼や
現世の常識を捨てる

すると水中で
崩れる波を待って
受けとめられる
この数秒後波が落ちて来る
から首が折れないように
首を曲げて逃げる

首のムチウチは後ろから追突
前からはならない
とにかく波に巻かれたら
首を丸める

生きるか死ぬか

のっぴきならない
状況と何トンもの水を
ある線でかわしながらパチリ!

見えない線を観る

これが波の裏側の醍醐味と極意

波は来たら陸地に退く事はない
どんな大波にも、正面から向かう

それ以外に生きる道はない
のだから

夏のファイヤーキングカフェの個展は
どの写真にしようか?

楽しみは脈々とおしよせる

同時に
数百年後この美しい海が絶滅し
昔の人はこんな美しい海を撮っていたよ
と、青い海を知らない未来の先生が
教科書で子供達に教える時代が来ない事を祈る

日本の海ノ裏側
屈折、反射、透過
光が反射してはじめて物がみえるように

光なくして
色彩も形も存在しない

動くガラス細工のような透明な水に
ステンドグラスのように後ろからあたるのに
なぜ見える?

ま〜どうでもいいか
これが事実

存在はしているが
見えない闇である

闇がなくては
光は生きて行けないように

つまりタオである

陰と陽のバランスだと
と説く
道教の教えは

天然の地球に身を任せた
先人のシンプルな答えであろう

全部わかなくていい
全部わかりっこない

人間より遥かにすぐれ
長いときを
生きて来た地球

心配

水は押し合いへしあい
陸より低い所に溜まる
大きな塩水の池が海
山の中の池が塩水でないのはなぜ?
川が塩水でないのに鮎やウナギは行ったり来たり

引力の力で押さえられ
丸い地球から
宇宙へこぼれない不思議

それでも鯉の滝登りのごとく
どうしても引力に逆らい空へ向かっては
落ちて来る姿を波と名付けた日本人

英語 ウェーブ
インドネシア語 オンバ

見た事もない世界を
つきつける地球
いや 宇宙

地球というのは人間くさい
地球も宇宙という海に浮かぶ島である

広い視野でみて
海に漂うプラスチック
南極の氷からもとれ
海底にたまる微細なプラスチック
埋め立てや海洋汚染

地球の問題はやがて宇宙の海へ
波及する

数百年後
こもままでは青い海は
無くなる

いまでも遠くに行かなければ
青く澄んだ海の水にあえない事実

インドネシアのバリ島の海洋汚染とプラスチックゴミ
この15年で海は濁っている
昭和30年代の日本の汚染を
今世界の、発展途上国が繰り返している

まづいな

言葉には意味があるが
言語には限界がある

海へ行けば
人間が作った物がいかに脆弱で
頭で考えても意味がないと知る

限界がない美しい
宇宙の輪廻であるから

日本の海岸は黒砂が多い
まれに白っぽい砂もある

砂の下になにがあるのか?
水は砂の上を走るじゃないか

海に水がたまるという事は
そこは水が染み込まないように固い素材なのか?

波がとどき
風が吹き
太陽がどこにあるのか

気道が閉まる程溺れ流され
はや17年泳ぎ続ける波の裏

考えても木阿弥な
目の前の不思議な現実

毎日泳ぐ魚は凄い体力だ
毎日泳いだら魚になる前に
冷えて死ぬ

師匠やその師匠ユージンスミスの哲学
ドキュメンタリーであれ

がカメラの基本

被写体(撮りたい何か)に近づく事
と言うが

波は向こうから予測出来ない角度と力で来る
しかも透明であるから難しいが
もはや溶け合うにはどうすればいいのか?
フィジーやハワイで真面目にノートに書いていた日々が懐かしい

写真家というのはやめようと思う

最近のデジタル写真機の異常な使い方を
全然覚える気がない

フィルム時代よりカメラに愛着がわかない
シャッター音も録音された音だから
もはや電気製品

もはやカメラと呼べるのか?曖昧だな

とにかく
独りで波の中へ行くのみ

旅は終わらない訳です

その妙絶な動きと音
感覚を鼓舞する場面と香り
常に同じ物がなく
見た事もない
不思議で魅了する宇宙と地球の海
怪我や死ぬかもしれない
絶体絶命に立ち会える喜び

ぜんぶ不思議な世界

ビルの隙間の学校じゃ感じ得ない
黒板の外の次元

そろばんなんか大嫌い!

よくわかりませんが

こんな心境です今

ではまた

作品であるが
作品でない
作者が策者にならぬように
ノーファインダーで押すから
押した瞬間はわからない

写生の絵や物どりとちがい

これには訳がいる



太陽


波動


地形
地理

これが訳

その訳を読み

その訳に溶け込む

いい訳はいらない

白も黒もない

あるのはありのまま

正直という言葉もきな臭い程
波は容赦も待ったもない

試合でも競技でもない

自分との果たし合い

早くも1年がすぎ
7/30~
代々木上原のファイヤーキングカフェさんで
14年目の展示のご依頼が届く

毎回新作?いや見た事の15枚を出してこれた奇跡

偶然と予期出来ぬ1枚を探しに
地球の裏やら近所やら
あてのない独り旅で海へポチャン!

その訳を人間は探している

新しい物はいらない

太陽は東から来る
神社はすべて東を向く

波に太陽があたる瞬間は
神々しい

一番最初に宇宙を突抜けて
熱さえも感じる光を御来光とは
よく名付けたものだ

戦争をはじめ
バリ島やフィリピンやフィジーやパラオの観光地の垂れ流し
広島の牡蠣の養殖業者のプラスチック投棄で
海が汚れ
青い海が絶滅しているように

太陽の光も届かなくなる日が
来ないとも言えない

人間があまりに
なんでも簡単に欲しがり
地球を食い尽くしている

宇宙からみたら
地球がレッドブックに載る日も近いだろう

怖さ
美しさ
を身をもって知ること

地球の自然な浄化力を越えた
地球には濾過出来ない
石油製品や化学物質や放射能で汚染し

食物連鎖の頂点の人間がその毒を溜め込む皮肉

もう十分じゃないか

あたらしい物はいらない

天然の地球が消えかかる今

普遍的な時を大切に・・・・

オゾンに満ちた
朝の海岸を裸足で歩く

波で消された足跡を
歩いた人はけっして忘れない

風をよむ

少し先に動く
見てからではもう遅い

瞬間とは何か?
なにかしらの定規で図るから
点と点が存在し
瞬間がある

瞬間のさらに細かな時間
が波とこの景色

瞬間より微細な
風をよむ

Zard

数年前ご縁により
ZARDさんのファイナルコンサート

ファンへとの特別な思い出の1枚に
フィジーの写真を選んで頂きました

お見せする機会がなかったので

Blue 過去

そのときだから
そのときの言葉

そのときだから
そのときの1枚

そのときだから
そのときの自分

目新しい事よりも
少し前の自分を見返す事が
新しい自分

歳月はやはり必要です
若かりし当時を
恥ずかしくも、つたない文章で
憶いだす

歳月は必要です

完璧なんてそもそも
波と同じく無いのです

ない中にあるもの
ある中にないもの

自由です

サーフカルチャー紙Blueさんを通じ
残った言葉

いまだに
かわらないこと

全ての存在へ地球へ言葉に心のせて伝えよう

時計無し

今回は霧雨の中に
タチさんは湯島から
僕は伊豆半島から
52号線でランデブー

黙々と登った
カメラは一度も出さず

山から下りてくる人にも誰にも会わず

黙々と山道でお互いの
最後に会ってから、今日迄のあれやこれや

この山道はそんな話しをしながら
山寺へ向かう自分の心にあったものを
表へ出す道でもある

ゆっくり1時に出て
着いたのが4時半

すでに忙しく山務員の方達にお膳が用意され
それから風呂へいき
御開張をうけ
勤行をうけたらもう8時

9時にはご覧の通り
同じ部屋の知らない人たちと
1枚のせんべい布団と
鉛のように重い掛け布団に
足もとには湯たんぽ

昔ながらのスタイルである

あっというまの
時計を気にしない時間

本当はいらない
過情報に飲まれ
スマホに言いくるめられた下界の現代人

どうしたものか

七面山

稲取から、山梨の七面山へ海の竜宮のエネルギーを運ぶ為にきた
天災が少しでも和らぐ様に
宗派を越え各地で祈る方々がこの山へ集まる

群馬の水上と長瀞でラフティング会社を経営し
消防士に教える、急流レスキューの講師
川のスペシャリスト
河童のような
ネイチャーナビゲーターのタチさんと合流

パタゴニアや、モンベルや様々なブランドの
製品のテストや開発の依頼がやまない
のも彼の地球での体験が物語る

聞けば偶然
根津の七面様を祀るお寺のお札をもち
この山にも日帰りで大昔に登った記憶があるという

その寺の数件手前は、海で亡くなった友人の寺があり
同じ場所に知らずに行っていたのも
驚いた

そこも偶然日蓮宗

さらにおじいさんは身延に石塔を寄進し
不思議なご縁にこの地に呼ばれた

今回は瀧は浴びなかったが
いつもの独りではなく
嬉しい同行人と

さて山の中へ分け入ろう

稲取

稲取は穏やか
特別なにかあるわけでない

ひな祭りになると
つるし雛なる
地元の女性の手製の色とりどりの
お雛様が
1条の糸に幾つも吊るされる姿は美しい

ここには
特別にわざと作られた観光用のテーマパークや
施設がないところがいい

ひなびた漁師村
ひっそり路地裏には
地元の方々に大切にされてきた
いくつもの神社がある

駅から歩きながら来るのもいい

早めに町並みを散策すると
各 家には「梨の木」とか様々
屋号なるものがある

宿に着く前にお昼に食べるおすすめは
駅前の2階
漁師の経営する
その日の網にかかった地魚の刺身のうまい「まると」さん
おかあさんは東京からこの村に嫁いだ

あとは車で10分伊東方面へ走ると海沿いにある「磯辺」さん
この辺では採れないウニ丼、いくら丼はさておき
熟練の板前さんの刺身、料理が美しくうまい

で夜は浜の湯さんの
溢れんばかりの舟盛りとお風呂をご堪能ください

浜の湯


稲取の食べるお宿浜の湯さん
舟盛りに金目丸ごと煮から

屋上には水平線一望
夜空に寝そべれば
それは贅沢な露天風呂の別世界

そんな凄い宿も
実は少し昔まで山の釣宿だった

様々な物語と
先代やおじいさんの、魚料理でもてなす心の集大成がここにある

だから食べるお宿 浜の湯
伊ピ
おもえば20年以上お世話になっている

今回はフロントを挟む壁に狛犬のように2枚の海のゲート

右は,遥か沖で波に弾き飛ばされ、ウニの穴に落ち、毒バリが30本刺さった クック諸島ラロトンガ島 自然の神様ティキを祀る
左は、ハワイ島の溶岩の海 たまたま宿の近くの海 火の神ペレの島

美しいデザインのフロントにぴったりで
空間がより華やかに何とも言えない優しい奥行きが生まれた

ハワイ島もラロトンガ島も
あてのない旅でたまたま撮れ
数年後に日本の海の目の前に飾られ
海の神様がホテルの横の竜宮神社
と繋がったような感覚に

ありがとうございました。

追記
そして稲取の夜の町へのみに行くと
代々車の営業マンの小塩君が合流

2年前心臓が壊れ
普通はあの世だが
生きていた
彼の話しに聞きいった

強烈な胸の痛みに耐え
意識がありながら
救急車で運ばれ

ぐるぐるに廻りながら登る
河津ループ橋で運転手さんが

センターラインのガタガタに
前輪タイヤを乗り上げ

くるくるガタガタ救急車に

おい!痛え〜よへたくそ!と叫ぶ
必死の
罰当たりな暴言ののち

意識を1ヶ月無くしたが
神様は暴言はたなあげに
奇跡的にのこの世に復帰!

幽体離脱した?

「した」

三途の川いった?

「いった」

普通に凄い会話に社長と笑う

幽体離脱は家や知り合いの家に飛んで行くんだけど
みんな気付いてくれないんだ

見えないんだよ普通の人は

「ベットで沢山くだを
つけられ寝てる自分はみてた」

僕の叔母が若い時
新橋の愛宕で意識を無くし

気づくと一面の綺麗〜な花畑と川があり
その川をなんだか渡ろうとしたら
死んだばあさんが現れ

手をふり
来ちゃダメよーと

あの時手招きされたらいったわよ

で小塩くん

「三途の川は普通の膝位の浅い砂利の川で
花畑や美しい感じはなかったな〜」

いったのか?

「でもね
渡ろうとしたら,俺のばあちゃんが
来るな〜と言っててさ〜」

うんうん
ヤッパリ!

「それで渡らなかった」

おばあはいた?
六文銭で船出す

「いや、ばあさんはいなかった」

凄いな〜

よく生きて戻ったな〜
1ヶ月体から抜けたなんて

社長と2人で感心!

もらった命がんばれよ〜

サラリーマンなんかやめちまえ!〜

三途の川からの生還者2人

稲取のいい夜でした

Uターン

約20年この辺をうろつくが
巨大なお坊様のブロンズに威厳を感じ
ハンドルを切れなかった自分

今回はUターンし
お参りに

巨大なお坊様の横にはお不動様
型取りしたのだろうが
鎌倉の大仏並みにでかい

大東亜戦争の慰霊碑
レイテ島の英霊、支那事変の英霊の御塔婆

東日本大震災で亡くなった子供達の慰霊碑

ご住職にお会いしたい

近くの方にお聞きし
急な山道の奥のお寺へ

お声かけし
2階のお堂にご案内頂いた
海を望み
綺麗に大切に護られてきた
事が一目で感じる
お祈りをさせていただいた道内

聞けば
お不動様は
日蓮さんが信奉されていたから
セットであると

なるほど

長年の謎がとけた

自分の背中をおし
気になったらUターン!

よし浜の湯さんへ行こう!

神様

カメラケースに海水が入り
撮影は中止
仕事や海外でなくてよかった〜

カメラも水没しないでよかった〜

カメラケースを1から考えなおす機会だ。

でも海に入りたいから
カメラ無しで泳いだ

すこしすっきりした

自己解釈
自己満足

そんな
あいまいな気持ちで
白浜神社の奥社へ呼ばれ

カメラ助けて頂きありがとうございます
複雑な気持ちですが
水が濁っていたのであきらめがつきました

複雑な気持ちですが
この複雑な気持ちにけりを付けて
1から頑張ります

と女々しく独り言

神様はみていらっしゃる

馬鹿だな〜おまえ
ははは〜

イタリア車

またか〜
防水ケースのレンズ部分?
前回の水没もこれが原因だな〜

しかしカメラは平気そうだ

プラスチックが反ったのか?

パッキンは生きてるが
締めても締めても水滴が

海外製品は国産に比べて雑だが
デザインと作り手の発想がいい

しかしイタリア車で海へはいけない

これはフランス人製 バリ島産

う〜ん

考えたくない
未知の水漏れ

色気ある外車だな

水没?

Am 4.45 無理矢理起きて
お茶を三杯
バナナ
の後

ラジオ体操とカメラのセッティング

風呂にお湯をはり
念の為に防水ケースのチェックすると

おや?
水が少しはいっている?

何度も試すが
防水ケースのレンズのつなぎ目から
水がじんわり泣いている

なんとかなおして海にはいると

この数日の風で
白濁した視界の悪い水中で岩に2度ぶつけた

一応内部をみると
またもや水が動いている

これはまずい!
カメラが又水泳?か

カメラに海水がかからない位置にし
泳いで帰る

残念だな〜
撮れない!

複雑な心

海へ

海へ
明日晴れるだろうか?
波はあるだろうか?
水は透明か?

宇宙と地球に
人間様の要求は図々しい

だまって行くこと
その時間と溶け合うこと

ネットで未来の予想をみすぎない
情報に頼らない

自分の心と眼できめる

ページの先頭へ戻る