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スリッパ?

和製英語スリッパ
こんなラメの派手なスリッパは
どこで買うんだろう?

日常じゃ絶対に履かないが
お坊さんは違和感がない

仏教はネパールで生まれ、インド、中国を通過し
多国籍な風土と意味合いを含んで
日本に船で輸入され

たが
料理はインドカレーでもなく、中華ちまきでもなく
精進料理である

たまには仏さんも
先祖が食べていたカレーも食べたいんじゃなかろうか?

しかし仏壇にナンやチャイを置く人はいない

吉村さん

吉村聖人

代々身延のお寺で
幼い頃よりお父様と祈りの旅をしていた吉村さん

彼も日蓮宗の不眠不休の100日の厳しい修行を
通過して来た修行僧である

彼のよどみない
武人のようなお経が
夜のお堂に染み渡る

望月別当

このお山を三年間
延々と祈る別当とは
このやまのオヤジであり代表である

約700年以上もの間
この建物はないけれど
この地、空間、池,山、七面様、お稲荷様、役の行者が
見聞きしたあまたの人々の信仰心

この数百年の時が研磨された何かを
未来に繋げるシャーマンである望月別当はじめ
修行僧の若者達

そんな夜のおつとめ後
お堂で望月さんが 

きょばしさん常日頃より七面山を愛して頂き本当にありがとうございます
明日の下山も道中おきをつけて
ご苦労様でした

ありがたいお気持ちを胸に吸い込んだ

出逢い

氷の山から2時間半かけおりると
山路に休憩できるよう
置いてある
長イスの天板を担ぐ人

あれ?
憂いあるお経を唱う修行僧
市川大雅さんに偶然であう

数日間山を下り
又お堂にお勤めに行くという

お勤めご苦労様です

嬉しい再会!

夜は9時消灯
各自今では珍しい、湯たんぽを布団にいれ
朝五時半に鐘の音で起床

正しい動物の野生的な時間

薄暗い6時半にアイゼンを靴に着け
山門の先の見晴し台に行くが
一面の流れる霧の中
霧は微細な海の水である

富士山は見えないが
霧を見に行こうなんて山にいかないから
これも貴重な時間だった

独り不思議な太陽が移り変わる雲の中に立ち会った

ご縁

予約を一挙に引き受けながら
部屋割りから、食事、布団のあげおろし
と山の敬慎院で働く山務員の木下さん

幼い頃の数奇なご縁で
この山に登り降りしながら
働く事数十年

お話は感慨深かった。

いつもありがとうございます!

一の池

通常は満々と水をたたえる池も
この通り氷がはっている

約800年前から七面大明神様が住まう池と
伝承されている

それより遥か昔から地元の方々と行者達に
大切にされてきたのは池に
祀られている池大神

池大神は修験道の始まり
役の行者である

日蓮さんも役の行者の
遺骨を身延に埋めたとも 「忘持経事」に書いているそうです

七面山から20分ほどの場所にも
池大神が祀られいるが
国の思惑と強いをたっぷり含んだ
コンクリートの河川工事により

思いやりの微塵もない
その美しかったであろう
自然の破壊は痛々しく悲しい

話は戻るが

その後
身延で毎日
日蓮聖人のお話を聞きに来る
見慣れない美しい女性がいて

ある日、その女性の何者かが
わかっていた日蓮さんが
問いかけると

この池に住む龍であり
日蓮さんのお経で救われ
この池で法華経を信じる人々を守護すると

龍の姿になりこの池に帰ったという

伝説にしろ
言い伝えにしろ
ここに来たらその物語が
あったんだろうな と思う不思議な聖地である

池も7つあると伝わる

日蓮さんの死後
お弟子さんが建てたのが
敬慎院のはじまり

今泊まれる建物も280年前からのもの
1日2回
僧侶達の
独特な法華経に包まれ
大広間で見知らぬ旅人と
食を共にし寝る

最近マイクスピーカーがつき
正直お経の音がイマイチ!

3月20,9/23日頃に太陽が東から昇ると
千葉の玉前神社
茅ヶ崎の寒川神社
山梨の七面山の山門をぬけた光が七面様にあたり
関ヶ原
琵琶湖
をわたり出雲大社へあたる
不思議なレイライン

数千年まえから
修験者達の祈り場として
宇宙のエネルギーと
経文と様々な願いを吸収してきた為
お坊さん命がけの大声のお経

大声高速なお経で悪いものを祓うと言う

余談だが
2丁目神力坊(宿泊可能)にはこの山に住む天狗の兄弟を祀る

とにもかくにも
昔のままが色濃く漂う霊山である
山麓の麓には2つの滝があり
今でも昔ながらの作法にそい
滝行をして登られる方々もいる

この貴重な時間と山をいつまでも
未来の人へ手渡す事が
日本の将来の行くへを示していると言える

歩いて登る事に意味がある

ロープウェイなんか
つくらいでおくれ

敬慎院

女性の龍神様の住まうと古来より伝えられる
池のほとりにたつ敬慎院
約730年から日蓮さんのお弟子,にちろ上人により建立された古刹

参籠、修行として
どなたでも1泊5200円でお泊りできます
食事も質素なもので
山に来た初対面の皆さんと
広い畳の部屋で5m位ある布団で一緒に寝ます

龍の絵の描かれた巨大なお堂で執り行なわれる
夕方と朝お坊さん達の「おつとめ」がここでもメインで

静かな山の中
修行僧の独特なお経に包まれると
心身が洗われます

今では消えてしまった昔ながらの参籠スタイルは本当に貴重です

お坊さんはじめ,ここで働くさんむ員の方々も同じく徒歩です。

この大変なお山に登って来た方々も良い方ばかりで

僕も数々の偶然や様々ななご縁を頂き
一緒に登る仲間も増えました

1つだけ注意は
山へのなまぐさもの
肉類の持ち込み禁止です

お堂の奥の
七面大明神様の目の前でご祈祷してくださる御開張付きでお札を頂けます

又、お願いごとのご祈祷もして頂けます。

ぜひ生涯に1度心を動かせてください

朝の富士山の御来光が
見えたらそれはまた感動です!

七面山

七面山へ
雪がまだ残る七面山
12丁目付近からアイゼンが必要で
山頂迄は氷の山道だが,階段の段差が雪でならされ
普段よりも足の負担は少ない

氷の坂道を延々と登る事
三時間半で敬慎院へ

久遠

翌年1282年
千葉安房小湊の両親と師匠の墓参に向かう為
常陸の温泉治療に行く為9年住んだ身延山を降り
9\18に池上宗仲公の屋敷(池上本門寺)に着くが
病状が悪化し10/13午前10時亡くなった
享年61歳

両親のすむ故郷小湊へ想いを馳せ
祈られた場に親思閣がたつ
徒歩で2時間の地も
昭和38年に日本一急勾配なロープウェイが出来
僅か7分で山頂へ

いいんだか
わるいのだか

夕暮れの鐘

どこからか
コンコンコンと日蓮宗独特な高速
木しょうの音が響く中

仰け反るように
ゴーーーンと山に共鳴する
鐘をつく17時
久遠寺のお堂の天井には
物凄い龍の絵

画家 加山又造さん作

写真は撮っちゃダメです。。

身延山は鎌倉仏教の1つ
日蓮宗の総本山久遠寺が
以前は違う場所にあったが
手狭になり今の場所へ

日蓮さんが晩年の8年5ヶ月住まわれた聖地である

1274年53歳の春
三年の佐渡ヶ島流罪後

キリスト同様
相次ぐ災害の原因は法華経を信じない者や
他は邪法で地獄に落ちろとした
浄土宗との宗教戦争は熱い

そんな
少々荒っぽい立正安国の為
3度目の幕府への忠告をしたが( 蒙古襲来)
容れられず

(そりゃそうです
ただでさえ
死刑になりかけてる罪人だから
政府にその耳はない)

「三度いさめ容れられずば去る」

の考えから
山林に身をおき
余生を後世の記録伝承と門下生の為に生きると決め
信者 南部六郎実長公を頼り
この山を一歩も出ずに指導、修行した覚悟は凄い

明治8年の大火で
真筆、書物、伽藍は灰塵と化した

一説では霊能者であり
地球の祈りを捧げていたとも
身延断層が危険だと知りえていて
祈祷場にしたとも
法華経25.26.27は天災地災を唱えている
と武井坊小松さんと、七面山の吉村さんに教えて頂いた

今ではその証明は出来ないが
明らかなのは比叡山延暦寺に修行し
その一隅を照らす灯火が
生き続けている事だ

宗派はその1つの手段に過ぎず
あれやこれ否定するものでなく
まして日蓮との間に誰かを挟むものでもない

皆 同じ高峰の月を見ている訳だから

迷うのもわかるが
誰かに頼らず、やな事は断り
自分で見つけた方がいい

久遠寺再び

翌朝急遽そのままの祈りを身延と、七面山へ運ぶ

徳川時代初期
仁蔵という信者が
先祖の菩提の為に発願し完成させたという

山門と久遠寺伽藍を結ぶ
危ないまでの角度とその美しき姿
高さ105m 287段

香取神宮

始まりは神武天皇18年紀元前643年

しかし年代の記録がこの時代にはない為
後づけされたものでしょうが
4世紀位という事です

元禄13年徳川綱吉により造営された
黒い社殿に華やか技と贅をつくした装飾
その時間を超えて色褪せない
美しく優しい感性の本殿

参拝の案内にあるように
老杉鬱蒼として森厳の気は自ら千古の由緒を語っている

静かな森の奥社には地震の鎮め要石
なまずのしっぽ にお祈り

昔は参道もにぎやかで
山に鎮座しながら古来から参詣者を集めたのだろう

御祭祀神 フツヌシ ノ オオカミ

毎年天皇陛下も訪れる
国家鎮護
武道、交通、農業、商工業
下総一之宮
海上守護の神として深い信仰を持つ

先日の大分、七面山、長野から
今日も長野で地震が
心配です。

美しいなごり

まるでポンプで持ち上げた様に
湧きあがるのが湧き水だが
都会でははるかむかしに消えた

マンションの基礎工事や掘削で
水脈も枯れ

石も御神木ばりの木も平然と切られた結果
生まれた時にはもう人工物だけの世界

震災とB29の無差別爆撃で江戸は破壊され
戦火に戦後復興から昭和39年の無理矢理オリンピックでの
後先を考えず復興と国の予算を乱用し
自然も川も黙殺した

整備という名の江戸時代に天海が創った
結界も含めた、3回目の東京の
破壊は致命的だった

僕が子供の頃の昭和40年代は
すでに東京の海岸はコンクリ?トで固められ
周囲に森もなく
川は,工場排水や汚水が流れヘドロ臭かった
それでも自転車に竿をくくりつけ
大井埠頭にハゼ釣りに行く
子供達がまだ幾人かいた

田舎があったおかげで
とうじはまだ日本に残る原風景や星空に
汽車を乗り継ぐ美しい無人島
朝一の魚の行商おばちゃん
のとびきり美味い刺身が楽しみだった

関門海峡を望む田舎の家は
壇ノ浦の戦いの平家の悲しみや
琵琶法師の琵琶の音を再現した
赤間ガ関 赤間神宮には
平家と共に散った伊賀忍 家長の墓も
裏手にある

彼は長門や島根な生き延びたとも

そんな美しい海や山の経験がなければ
今の自分はいない

今の都会の子供達はかわいそうだ
ゲーム機中毒の
まるで水槽の魚でないか

古来より
神職や参拝者の清めの池
昔はこの池で身を清めてから参拝したため
御手洗 みたらし と呼ばれた

なごり

法螺貝を吹き
九字切りをすると
不思議な体験をした

龍神様の住む霊泉である

なごり は儚い言葉である

言葉が生まれる前にあった
時間を知らない人々が増える程
地球は容赦なく破壊されて行く

人間はまるで地球のシロアリだ

なまずの頭

木漏れ日の奥社で
ふいに後ろから話しかけられた

毎朝ここに来る
やさしき
強き心の
神様のお使いのような
藤田さん
聞けば九州のご出身

ご丁寧にご案内くださり
また森の中へ消えて行かれた

約束のない嬉しい
不思議な出会い

これが地震を呼ぶ
鯰の頭といわれる要石

この後
鯰のしっぽの要石のある
香取神社へ行く

少し先の地震が鎮まるように祈る

数年七面山であった
地球を祈る
藤島さん親子に誘われて

別荘

やはり神社は朝がよい

神様はここに住まれていないが
祝詞でよばなくとも
ちょこっとよって頂き
たまには休憩もするのだろう

神社は神様のいわば別荘である

しかし
御祭神が神社により違うなら
他の神様の友達は来ないのか?

物語りには戦いもあり
やはり仲が皆いい訳でないのか?

古事記は誰が?
書いたのやら

とはいえ
これだけ祈られたら
神様や自然界は嬉しいだろう

折り目正しく
素直に祈りが
受け継がれ

森羅万象と信心の溶け合う事
こそ自然な心

自然があり
神様がいる

神様が先で
自然ではない

自然界に
心を傾ければ

おのずと
正しい行いになる

それはそうと昨夜
夢でみた宮司さんがいた

驚いた

鹿島神宮

塚原卜伝をはじめ
あまた武人
あまたの祈り人の
崇敬とあこがれにあった鹿島神宮

朝方
鳥の声と清廉な空気の中

神職さん
参道を掃き清める方

巨木の木々の木漏れ日に
この砂の一粒一粒が記憶して来た時間

御祭神たけみかつち のみこと

奥社の奥には
地震をおさめる 
ほってもほっても出て来ない要石があり
地震をおこすナマズの頭をおさえているという

そのナマズの頭を鎮めに

2002年
36枚フィルムカメラを入れた防水ケースを握りしめ
フィジーの離島で撮影していた

今程経験も,波を見る目
波を観る心も浅っかた頃

この写真を現像して現像所が驚いた
何を写したの?

この時
人間の目は本当の色を見ていない

これが嘘のない美しい原始のままの海だと知る

これを知りたかった
裸で波の中へ苦しく、危うい時間に
教えてもらいたかった

嬉しいの一言の奥に
感慨深い、この日迄の過去を振り返る

奇跡の様な旅の途上

あきれる程
無知で
無鉄砲な波

珊瑚礁の島の波は100mくらい壁となり
丸い島の地形にあわせて
左から右へ空を隠しながら
ラップしてくる(くるむ)

心臓が締め付けられる怖さ

アドレナリンが胸に集まり

すぐそばに紙一重の死を感じる

巨大な波が逃げ遅れた僕を
轟音とともに5mくらい前で
水柱をあげた!

もうとにかく鋭く深く潜って
逃げるしかなかった

その1枚

が2005年の初めての波の個展で
写真をはじめに何枚も購入してくださった
熊谷さんご夫妻

その4年後
写真集に莫大な費用をだしてくさり

その8年後伊勢神宮に写真集がご奉納され

共に伊勢神宮の内宮の中へ

巻き戻さないと
考えられない時間

しかし
始まりがなければ
途中も終わりもない訳で

始まりが大切

スマートフォンやインターネットの情報と電気中毒な今

調べたり
頭で考えてしまうと

感覚も感性も心も濁る

とにかくやってみる

とにかく無心で自らが感じた海へ身を委ねる

やがて想像もしない
1瞬がむこうから訪れる

波の音によばれるように
音連れをまつ

空気中で水滴が1つ落ちる姿

落ちた瞬間から形を変え
落ちて行く

1コマ1コマ
時間も過ぎて行く
が人間の時計の時間とは違う

しかし1滴は1滴
これは同じ水

波は違う
水が水を呼び合い
離れ合う

が完全に離れる事はできない

波も水の中にあるから

水に氷を浮かべ
動かすとどうなるか
ぶつかり合う

水に水を浮かべたら
ぶつからないのは何故か?

そこに宇宙と地球のバランスと謎

空なり

父方のひいばあさんは広島の神社
母方は近江八幡あたり(伊賀、甲賀町があり)
浄土真宗と江戸時代のじい様は木挽き

僕自身は無宗派?
日本の神仏習合と自然習合がすっきりする年頃に

しかし彼らは生まれた瞬間に将来の職がほぼ約束される
約束といってもその約束からはずれてもかまわないのだが

一子相伝の家督の線を歩かなくとも
渡らねばならない

親としては歩いてほしい反面
好きにすればいい反面

頭をまるめ
代々の家業である寺をつぐ決意は
相当な事である

なんで友人は遊んでいるのに
俺は修行なのか?

時間が解決するのだろうか?

迷いや誘惑はいくらでも
見たくなくても見えてしまう
過情報の今のスマートフォン社会

情報と電気依存

カーナビで目的地へ向かい
ひたすら中毒のように画面を見る

地球との方向感覚も全て失われ
地球を大切におもえなくなる

月に放射性物質があるから取りに行く?
地球も汚して、さらに宇宙にゴミをさらに増やすのか

月は中が空洞で金属でできているとも

太陽との地球の距離や大きさが
ワザと作ったとしか思えないとか

アポロ計画はキューブリックが作った嘘の映像と
ラムズフェルドがしゃべった とか

その証拠にフィルムカメラがケースにも入れられず
使用したと、あの寒さと放射能で使える訳がないのに

ともかく
そんな事はどうでもいいんですが

自分のことも
雲の事
山の事
海の事
も知らないのに
なぜ宇宙?

これ以上に余計な事や破壊を他の国で海でやらかし
こんどは宇宙までも?

これだけは言える

地球は知っている
地球に礼をつくす人を
地球は全部見ている

何を考え

何を思い

どう生きて来たかを全部お見通し

小松住職の目一杯のお経と
志のつまった巻物で
背中をさすられると涙があふれる

理屈、宗派、数字、を遥かに越えた瞬間に
立ち会って来た人のあかし

たまたま日蓮宗なだけ
どんな宗派でも彼らは同じ気持ちでやり遂げるでしょう

彼らは秘術を教わってます

最近の延暦寺はともかく

京都の鬼門
パワースポット比叡山で修行した、最澄、日蓮、空海さんはじめ
彼らが伝えたいのは

同じ「ある」ことです
同じ「ない」ことです

雪の影をみるようなもの・・・・

武井坊


七面山の山寺

小松さんはこのやまの別当(ボス)で
息子 弟小松ゆうじさんもここに7年

荒行を越えて来たご家族は
今は身延の、大黒天を祀る
武井坊という宿坊を代々護られている

そして昨年から年に1度の大祭に参加させていただいています

暖かな村の地元の酒飲みオヤジさんたちに
コップにつがれる酒も良い思い出に

普段は
どなたでもお泊まり出来ます

小松住職は山を走る修行走として
トレイルランのプロとして
パタゴニアの応援もうけている本物の
アスリート

彼の体験したお話は深く面白いので
朝のおつとめを体感してください

そのへんの原稿を読む政治家とは違います

なんらか

こんな寒い中
本当にかぶるのか?

大祭の前の6日間
身延から山越えで七面山で瀧の氷水を浴び
35キロ歩いた
小松住職は
こうも言う
氷を割り毎日水をかぶる意味があるのか?

たまに瀧を浴びてすっきりしたい
元気になりたいなど

実はこの水をかぶる行為をやろうと
決めた時点で
もう元気になるのだから
水はかぶらなくていいのではないか?

浴びたくないのです。

瀧を浴び水を浴びるのは
心身を祓い清めると同時に
彼らのような
祈祷者になれば
人々の災いの身代わりになるとも

昨今の数字だけではない

なんらかの効果がある

なんらかは
は目には見えず
この場でこの水を浴びた者しか感じ得ない
心の感覚であるが

修行の慣れはもちろん
気持ちが強くなくては
桶の水も頭からかからない
不思議な作法

日蓮宗にも遥か歴史の深い修験道を
変化し吸収しながら練られた荒行がある
毎日水を浴びながら
100日もほぼ寝ないで行うという

世のため
人のため
自分のため
寺のため
動物や魚のため
風や波のため
宇宙のため

すべてへ
その想いを伝える

なんらか
を感じたから波の裏側へ

死ぬ可能性のある場で
この身と心を知りたかった

この
なんらか
が大切です

それぞれのなんらかを見つける為に
生きています

Minobu san

Snow came to minobu at Yamanashi from 3H driving far from Tokyo
This area had Nichiren monk story live.

Since Nichiren priest was purged from the Kamakura Shogunate and hid in this mountain in 1281
Many temples stand

It is still a unique place having the standing traditional approach to a shrine of beads shop and the steamed bun

呼吸

400分の1秒
カメラは映像と違い連続した1コマ1コマを記録する

フィルムに焼き付けず
今や電気とセンサーに残す

これは技術が進歩?したのか
もはや電気製品となったカメラに
余計な事をしたのか?

そもそもデジタルカメラにする必要性はあったのか?

ま〜写ればいいのだが

何枚でも写せるデジタルは
1枚1枚を大事に撮らない風潮にはなる

フィルムで撮影し仕事をしていた当時の
緊張感はかけだしの頃はそれは怖かった(撮れてなかったらもう仕事はこない!)

露出メーターの使い方を教わり

露出は大丈夫か?と
明るめと暗めをおさえで写し
ポラロイドで確認し

出来上がる迄気が気でなかった

しかし
フィルム交換で海岸迄戻らなてすんだ点は大きい
36枚にかけていたあの当時
沖でフィルムを入れ忘れ
フィルムが、巻き取りのギザギザにうまくまけてない

など色んな事があった

そんな初心を忘れず、大切に感じたまま押す!

目では見えない世界を
カメラは正直に残してくれる

冷たい真冬の日本の海では
40分が限界

正直あまり入りたくないのだが
ひとたび入れば、瀧に打たれるようにすっきりする
もやもやが消え、元気になった感じがする

波の波動や音が何らかの作用をしている
ここに行くと決めた自分を自分の背中を押している

やるぞ!
って具合いに闘志がみなぎる。

闇と光の連続に地球が呼吸する

タオ

闇がなければ
光も見えない

光がなくては
闇も見えず

宇宙は全て2つのバランス

アジアではタオと呼ぶ

絶妙な自然な秩序に
人間は生かされているはずだが

透き通った冷たさの中
東から差し込みはじめた光の中にいた

Without darkness
It does not show the light, too

There must be light
It does not show the darkness, too

All the space is two balance

call it Tao in Asia

In exquisite natural order
The human being should be kept alive

In transparent coldness
I was in the sun light that had begun to come in from the east

即す

この色を見て
驚いた

これが海の色なんだと
フィルムが教えてくれた

よしこの島へかよう。

Kodak VS100 36枚どり
ビビットに発色するこのフィルムを
2〜3週間の旅で40本程持って行く
撮り終えたフィルムの金属にマジックで日付を書く
濡れたりしないように
タッパウエアに大切にしまう

空港のX線で感光するぞ!という噂に
鉛の袋に入れた
今思えば当時はセキュリティーも甘かった

日本に戻ると大切に現像所へ運び

わくわくして待ったものだ

露出?ピントなど
撮れているか?どうなのかは
現像したスリーブを現像所のライトボックスで
黙って見た

いまでは電気製品なカメラでパチリ
その場で確認出来るから
簡単になり、現地で露出やシャッタースピードの修正も出来る
リスク、スピード、納品は早いが
失った時間も実は大きい

デジタルが出始めた1999年
海を無為にたくさん写す事が怖かった
低い位置から、他人の家に入らせて頂く
パパラッチな写真に
海に失礼がないように

まだまだ泳げない3俺は
36枚で十分だと決めた

すこしずつ
すこしづつ

撮らせて頂く

常に死の線を行き来きしていた
このフィジーやサモアの絶海の孤島で

海に殺されないように

いや海に殺させないように

シンプルな道具と
シンプルな心で
挑みたかった

やがて波に呼吸をあわせ

波に即するようになっていく

2つで1つ

お世辞抜き
嘘無し

泳ぐか
泳ぐのやめるか

この
わかりやすさがいい

美しい
と思った以上に
妄想と創造の及ばない美しさ

怖さ

この2つのバランスを知る

胸の辺りが喜ぶ感覚

時間はあるようでないから

光陰矢の如し

裏側へ

飛行機を乗り継ぎ
小舟に乗り換えフィジーの遠い島へ行ったのは
もう16年も前

そこで波の裏側で見てしまった

今でもあの日を忘れない

漂いながら
命がかかる意味と
嘘も掛け値もない

遥か沖の大海にポチャン!と独り

見えるのは緑の山と空
青い空には鳥が舞い
青い海には魚が舞い

ビルも電線もない昔ばなしの世界

まだまだ残る
太古の地球に

自由な妙な幸せに包まれた

ここにいる自分をニタニタ笑い
この時間を知らない
昨日までの自分が小さく思えた

やはり人生は新たな旅である

なんて
言いながらも

やがて欲深いもので
展示が始まり、新たな色と新たな作品?に
背中を押され,胸を押されたある冬の大雨に

震えながら
日本の波の裏側へ行ってみたがイマイチ

1ヶ月後さらに寒い夕暮れに泳ぎ
その1年後暗い朝焼けに泳いいだら
今迄知らない裏側が写った

高速な波の裏から
ファインダーは見ないで押す

感覚を先回りさせ
何かの予感にかけて押す

自分が感じた予感のままに

それが独り旅の醍醐味だ

僅かな時間
裏側から光をみる

今はすでに過去だから

雷光

人間の目では見きれない世界
地球は海と月の影響をうけ
神々しいまでの瞬間を日々数十億年繰り返してきた

人間にはまねも
征服もできない

大昔は海だった
山の頂上で旗を立てるのは征服?

やり遂げました!
感はあるでしょうが

どうも競技とスポーツを感じる

海は無条件で
いつでも誰でも迎える

順位でも
競技でもない

悠久の時間を含んだ水が
誰もを好き嫌い無しで包む

自由

海はファインダーは見ないで押す
見ると良い写真を撮ろうという

やましさが絵に写り
本来の絵がうつせない

うまい写真

なんかいい〜写真は
違う訳です

写真学校に行かなくてよかった

写真こそ自由であれ

光がもう少し色気づかないと
イマイチ普通の写真な為
今回はテスト

海外と違い陸から近い
サメがいない
波も優しい

これはこれで
物足りないが
安心

冷たいのがたまにきず

パタゴニアでオーダーした
ウェットで今年もスタートしました

海に真っすぐ

南房総へ撮影に

波はセット呼ぶ
三本くらいの大きなうねりを狙う

ニューギニアであった須藤さん
波を滑る降りる姿には
独特の色気がある

なんていうか
波や人生の時間の様なスタイル

ちなみに
須藤さんは海を知る親切な
恵比寿のアンチエイジング歯科医院
を開いています

僕の波の写真も飾ってもらってます
ぜひなんなりとご相談ください。

有機体

波は風によりうまれる
風向きと風が強すぎて
この日はクローズだが
移動するのも面倒で
誰もいないから修行と思い
波の向こう側まで挑戦

小さな事
でいい

自分が決めた事をやりとげる
満足感は波乗りと同じ

風と波に感応し
少し怖い思いをしながら
海で心身の調整をしてもらう
瀧行と同じく
波を全身で受け流せば
それだけで心地よい

全てを洗い流し浄化し
全てを取り戻させてくれる

原始的な動きと記憶を含んだ水

海は明らかに見ていて
生きている

よく

砂は元々岩や珊瑚が
果てしない時間、摩耗してできた粒

その作品に風が砂紋を作る

波も風と水自身がつくる
水自身とは妙な言葉だが
水は1つでなく、いくつもの水素の集合体

理屈はともあれ

砂も水も同じ波模様になる
海底の砂も同じ波になる

地球のものは四角いものはなく
全て丸くなる
円運動で回転する
トーラスであると言われている

永久的なエナジーの繰り返しが
さらなるエネルギーをうむ

風、月、潮の干満、低気圧など
湖面の様な海も
瞬時にいや,やや遅れながらドミノ倒しの様な
エネルギーの連続で変化する

そうでないと
ずっと海は荒れている

永久に海が荒れ
太陽がでなければ
地球の生物は死に絶える

その美しくも厳しい地球は
常にニュートラルであり
環境に反応しているだけだ
受け身とも言える

しかし
地球の池である海が
このわずか100年の排水や石油製品やプラチックゴミ

さまざまなゴミの海洋投棄や防波堤工事で
いずれは埋め立てられてしまうかもしれない

人間の欲は止まらないものか?

陽光

朝日はポジティブだ
冷えきった全てを暖める

電子レンジがますます
嫌いになった!

よし!
正しい心!

禊ぎ

恐ろしく寒い

本当は風を避けて内房などへ行くのだが
昨夜から友人の海の家に来たから
車の移動も面倒なうえ
与えられた波を頂く!


風もうねりも容赦なく、波のり用語でクローズ
もちろん海には誰もいない

波乗りをしたが
へたくそな上に強烈な壁

2時間近く延々と波を潜る
やっぱり1本も乗れず巻き込まれた

緊張と大笑い
海に1人

修行だな〜!
うれしいな〜

心身清浄
妙にすっきりしたこの
波中の感覚

これが海の醍醐味!だ

波乗りは競技じゃない!

ここも靡だ

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