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Kyoto 京都 興聖寺 織部寺展示

普段は非公開の興聖寺 は侍で茶人 古田織部が自ら天海や藤堂高虎と作った菩提寺

春の特別公開が3/30〜5/6まで開催 入場料800円

僕の展示は特別公開でも公開されない、織部の茶室で数日間行わせていただきます。

この展示は狭い茶室ですし、公にはしていないので、こられたかたがご縁でゆっくりお話できたら

という感じにしています。今回の特別公開では非公開で、この期間だけ望月住職のご好意で

お貸しくださいました。

4/4~8の 午前10時30ごろから16時までを予定

江戸時代の画家曽我蕭白さんも菩提寺でもあります

織部さんは徳川にあらぬ嫌疑を被せられ

かくなる上は一切の申し開きなし

と弁解ひとつせず

1651年6/11 長男重嗣と自刃

6/13には次男重尚と三男重行が江戸で自刃

5男重久は大阪城で討死

4男重広は興聖寺の和尚に長男の息子や自分の息子を託し

興聖寺の墓の前で自刃された

織部さんは大胆でユーモアがあり

利休の弟子として、また様々な自由な形の器に、自然界の移ろいを描いた

織部焼きや、刺身を解析スタイルで出すなど斬新な方で

作法にも拘らず、ざっくりされた侍の様です

絵は自分では描かずに、プロデューサーとして利休の黒の世界

ワビサビ、色、全てを排除した死守の世界観から離れ

窓を設け光を取り込み、感性や美意識の自由を体感させた方の様です

大徳寺で得度されていた織部さんは、奥さん仙さんがお坊さんに

どうしたら良いでようか?と尋ね ると。

織部さんはここで修行されたから、この寺でお預かりするのが筋と

言われ、石田三成の横に眠られていました

大徳寺の塔頭の三玄院のご住職にお聞きした

しかし御霊は興聖寺にいらっしゃるかと感じます。

茶室には非公開の織部像もあり。

お供えやお酒を織部さんに捧げることもできますので、ぜひお心を傾けてくだだれば幸いです

胸を傾ける

最近フィルムで撮る若い人が増えたらしいが、僕の修行じだい、旅をしていた92年〜2002年ごろまでは  

フィルムしかなかった

デジタルカメラが、出現し始めたのが2001年ごろ

写真の師匠柏原誠は 俺はもう今日で写真やめるからな

なんで?ですか

デジタルカメラが出てきてな

車も1台撮れば、後は色を変えますとか

後でいじったら写真じゃないだろ

俺の腕の見せ所がない

これじゃ、つまらないな

撮影の値段も安くなるだろうしな

僕にはなんのことやらまだ当分先の話に思えたが

先を見ていた

お前さんは、あれだ海へ行けやっぱり。あとな、人な

なんか写るよ君は

そんな話が出たのが99年頃

そんなこともあり、いろいろな流れで海へ

死ぬ気で、死ぬ可能性のある場所でこそ

本物があると感じた

湾岸戦争の時だったが

どうも人の悲しみや血でお金にするのは

どうも違うな(報道は大切なのだが)

はっきりしているのはドキュメンタリー

何を写せばいいのか、わからなくなったのもこの時期

また、こっち行けよと風が吹き始めたとも言えます

彼の師匠というか一時期膨大なフィルムを

六本木にあったトッパン デザインセンターに

カメラマンとしていた柏原が現像していた。

それがあの、ユージンスミス

いいオヤジだったな〜か口癖の様に

水俣ではなく、フォードのトラックキャラバンの広告の写真だったと聞いた

もちろんあって話もする様になり、家にも呼んだそうだ

アイリーンさんもあったとか

フィルムは本当しか写らないが

デジタルは後で嘘をつける

その時は撮れてないのに、後から色を変えたり、載せたりと

そんな意味ではフィルムは難しいし、1枚を大切に観る

当時kodakのvs100が900円位で現像が1000円

今はフィルムは倍以上する

コダックはそもそもが軍需産業の会社で、フィルムなんか作らなくてもいいそうだ

産めや増やせやで 

車と同じく日本の中にデジタルカメラは増殖し、同時に嘘つきも増えた

プロのカメラマンでも、色やいいとこだけをトリミングし、いじりまくり

印画紙に焼かず、安く早くのインクジェットになるしまつ

こうなると写真家ではなく写真屋だ

寝台特急、あさかぜやさくらが消えた様に

新幹線や飛行機の高速化で失った時間や情緒は否めない

36枚詰めて沖まで泳いで

また戻りシャッターを押した日が懐かしい

時にはフィルムが巻けてなかったり、入れ忘れたり

せいぜい撮れても、長い時で、立ち泳ぎで波を待ちながら5時泳いで2回海岸に戻り

岩の隙間に隠したフィルムを交換し

36枚フィルムを3本

いいことはすぐ見れる、、チャンスが増えた、1番は岸まで400m戻らなくていい

現像に銀や酢酸や毒を使わない

などそれはそれだが、昔の様に鉄のカメラがを磨いたりしなくなった

もはやシャッター音も録音された音が流れる電気製品。

色はいじりらない、撮れたまま、ファインダー見ないで押す

これだけはカメラを始めた時から変わらない

人は人、俺は俺

海は海

漢詩に詠ぜられる自然美への審美眼疾情緒と間を

写真に憶う

観念的自然ではなく

実践的、現実の現実の瞬間に溶け合うこと

脱俗境の世間へ木の身を投げ込む

波と呼ぶ、目に見えない風を写し

国土、風土に胸を傾ける

頭は捨てて黙っていくだけ

出雲

那須さんにお会いできた

土台の石に合わせて木を削り合わせていく

修理をするさいは、100年後に気が痩せて馴染む様に

わざと少しでっぱらせておく

とご説明くださった

御師の方が毎年ご案内くださるが

昨年は忙しくて行けず

今年もおみくじ引いてみてください

アクリルの箱に手を入れ

なんとなく手前の束から1枚選ぶ

57種のおみくじ

大吉とかはなく

1ヶ月に数度減ると、追加するから

中はすぐになくなる番号や、何ヶ月も残る番号もきっとあるが

引いたら一昨年と同じ20番

本当か!

はい

不思議ですね〜

前回もぴったりの内容だな

と話していよな〜

まづないな

同じのを引くのは

雪があられの吹雪に

出雲 出雲教 北島家

出雲出雲教さんへ正式参拝と

初めてご面会させていただきました

天皇家の血筋をつなぐ、北島家国造様

ご自身で80代目になるとおっしゃっていた。

有名な出雲大社のお隣

瀧の瀑布の池には、スクナヒコさんを祀る

古来より出雲稲佐の浜など、数多の祈りの神事を司ってきたのは北島家さん

やがて出雲大社の千家さんと交互に行うことになる

浩然養素 

この自然が全て、いろいろな深い意味にも通じる

あえて日本語の言葉にすると意味がずれてしまう

参拝の際のお願いは

「神恩感謝」

京都 臨済宗 興聖寺 曽我蕭白、織部さんご家族の眠る地

興聖寺で3/30~5/6まで京都観光局と 春の特別公開をするそうです。

和尚さんのご好意で、数日間、ここは普段は非公開の織部の茶室で、展示をさせていただくことに

織部3畳の茶室は独特な雰囲気で、うまく言えませんがどこかの次元とつながっている様な。

織部さんは1651年家康に、島津や連歌師と家康暗殺や京都に火を放つと、嫌疑をかけられ

切腹の命令に

一切の申し開きなし

と72歳の織部さんは6/11

長男重嗣さん37歳と差し違え自刃

次男重尚さん35歳、三男重広さん28歳も江戸で切腹6/13

五男重久さん25歳 豊臣秀忠家臣として大阪城の戦いで討死5/7

秀頼家臣 四男重行さん27歳は長男の子供や自分の子供たち家族の未来を

興聖寺の住職に託し、墓の前で自刃 6/24

残された仙さんと、女兄弟や子供たちが、彼ら亡き後このお寺で供養を

されていたと思うと・・・

また幼くしてお子さんを亡くし、俺が死んだら一緒の墓に入れてくれと言った

江戸時代の画家 曽我蕭白さんのご家族のお墓も裏の墓地に

ぜひお参りください。

京都の宮司で絵描きで、学者でもあった

富岡鉄斎さんの字で彫られた墓石もあります

蕭白さんの生き様や絵に、西行に憧れる様に思いを馳せたのでしょう

12mの青波の襖は5/6まで特別公開されていますが、茶室はこの4日だけです。

桜舞う平和な世に彼ら命を賭して今も残る光陰。

青い波が幾ばくかでも彼らの安寧の海となり漂うことを願います。

僕たちはやがて死にますが、ふすまの波や海は残ります。

未来の人が昔の海は青かった?と言われない様にしないと行けませんが

誰のもでもない母なる大地に値段をつけ、所有しあい、悠久の景色の破壊を繰り返す地球人

数百年前の景色や人々の清廉な心が絶滅しかける日本

雨が続くと波の中は濁り写せない。

川が多い日本、山や川から海へ、りんや豊かな栄養以上に実は

農薬や雪の時にまく塩化カリウム

千葉の海沿いなどは、いまだに洗濯や台所で使用した洗剤ブクブクの汚水はそのまま水路から海へ。

総量にしたら大したことはないというのが、放射能汚染水と同じ定義

荒っぽいですね。

ペットボトルや地球になかった物質は永久に海に沈み、水中に漂い消えることはない。

雨を避け、窓を閉めた都会の暮らしになれるほど

人は地球や宇宙や海の尊さと約束を忘れていく

いつまでも、この美しい太陽と海があるとは限らない

世紀末論者ではないが、あまりの海岸の破壊や

不自然な人工物の川の無意味な砂防ダムなど

もう戻れないほど加工している人間様

海へ行けば行くほど

美しい時間に立ち合えば立ち会うほど

受け身の海を考える

ジョンリリーやジェームスらブロックやレイチェルカーソンのように

ガイア 地球は生きていて

ある周期でリセットするというのも妙に胸でうなずける

彼らもどれだけの時間、オゾンに満ちた誰もいない海岸に立ち

心を海風に晒したことか

水中で動くのは難しい

水の密度で支えられ

波の力を逃すこともできるが

密度 つまり細い水分子の粒をかき分けて

指先から泳ぐのだが

空気中と違いすぐには移動できない

いや

移動する方法は実はある

体の使い方と流れ、重力と体の重さを利用し

惰性も使う

船が急に止まれないように

水の中で動くとすーっとその方向へ水が運んでくれる

その力と動きを最大限無駄なく

利用する

惰性に乗りながら、支える力消える寸前まで堪えて

次の動きをすると体力を温存できる

水中では足がつかない、水も飲めず、物も食べれず

休憩は浮いて休む

この絶妙な惰性と重力水鳥が潜るように体重の方向ずけで

足をバタつかなくとも移動できる

水中で泳いで写真を撮るにはカメラのこと以上に

水を掴み離すことを修練する

古武道に近いと感じていたが

5年間ならう古武道(居合ではなく斬り合い)

は同じ円運動で体術が同じ

水泳も古武道も基本が大事だが

頭は捨てて

塩素のプールから逃げるように

波の中へ行けば

感覚で全てがわかる、理屈が不自由にすることを知る

頭で考えすぎると、無駄な時間をこねるだけ

切り口は鮮やかに

行くなら行く

引くなら引く

大胆に腰で動く

指先が道しるべ

海は見ている

人間など永久に及ばない海

様々な作法と順番や文言

この身を浄化し、心清浄なり

と修験者はこうした言葉を述べ

神や仏をおろし

同体であると言う

修練を積んできた行者や人には確かに、何らかのテクニックではない力が

魔をはらい、その場や次元をクリアーにする力も備えていくと思う

海へ聖域とまで言わなくとも

汚さないように入りますという気持ちが大事

墓参りをするように、いや墓にいかなくとも、亡くなった友や先祖へ

過去の侍たちへ

極論、難しい所作をしなくても

真心を口に出して伝えれば

ちゃんと聞こえている

海も生きていて

ちゃんと思いは伝わり

海は見ている

シンプル

岡山 高明院 

奈良で開催されていた

画家で浄土宗の僧侶の不染鉄さんの絵を見てください

大島に住み、海を毎日見ていた

岩場や、魚

墨絵の波と、山のような岩に打ちつける波

どれもこれも、丁寧で繊細でありながら

大胆に線が生きている

作った絵ではなく

四角いファインダーを見て押した写真ではないのと同じ

ファインダーを覗いて写真を作り始めると

気持ち悪い写真になる

写真学校の先生のいう通り

押したら自分の写真ではない

三崎公澄住職は、京都 真言宗 仁和寺で10年間、若いお坊さんに

教鞭をしていた

日本史の先生でもあり校長先生もしていた

スパッと明快な的確な一言には、必ず禅問答のような世界観が存在する

つべこべ言わずに不染鉄を見たらいいんです

変な評論家が、とやかく、海外の誰かににているとか

自己顕示欲の塊です、ウサン臭い!

本当ですね。

こねちゃうと変な作品や写真になる

そのものが死ぬ

そうですな〜

切り口が乾いてしまう

切り口

つまり写真もファインダーを見て押すと

変な時間差で考えて押すもんだから

本物じゃなくなる

どこかキョウバシさんの写真と似ている

それ相当の

修練と最先端です

今度、日本の波の裏の写真集を作ったら

公澄さんに言葉を書いていただこう

200年まえの石組みのお城のようなお寺には

人の思いと祈りを聞いてきた

波きり不動様

近代の画家の作品集やいろいろ

あっという間に三時間

後でまた伊賀の瀧寺で会った、300年前の行者の子孫

伊勢神宮と天皇陛下のお姉さん池田あつこ様を

ご紹介くださった、岡山鶏卵の丹下会長と再会の約束をし

地図で気になった

塩釜神社へ行ってきます

磐座と弥山

宮島へ行ったら弥山に登らないといけない

一時間もあれば、ストーンヘンジのような磐座の神座につく

お不動様や厳島三鬼坊という天狗を祀る

この天狗は昔はどの人々の願いを、兼ねるか天狗が全国からここに集まり

相談したというが、今はお願いばかり置いていき、神聖な参道を食べ歩きする

一方的片思いの人間様に呆れておられるでしょう

昔は山かラテン具の拍子木のなる音が聞こえたという

他にも3本足のカラスが現れたり

山から潮が吹き出たり

伝承や逸話はたくさんある聖地

ケーブルかーが動いてないので、山は9割外人で空いていた

御山神社は宗方3女神を祀ります

お時間があれば奥の院はこれまた、龍神や空海さんも祀る秘密の聖地

1200年火を絶やさない、煤で黒光する不動様

この火が原爆の記念館に運ばれ灯されているという

目には見えない

感覚と宇宙へのお願いではない祈り

そもそもは、納経や祝詞などを収めたお返しにいただいた手書きの御朱印も

今やお金で買うスタンプラリーに変質

大丈夫か日本人

宮島の穴子はほぼ大野浦や近海で取れず

高騰し、穴子弁当の穴子は韓国から輸入され

1日にドラム缶17本を濾過するかきは近くで取れますが

一部?の業者は牡蠣だな養殖に使う、カラフルはプラスチック棒は海に捨てています

友人はそれを毎日網ですくっていました

また岩国、山口県が広島県に海岸に漂着するカラフルな棒に毎年苦情を入れるも改善されず

蠣殻は捨てる場所や業者がいますが

観てみぬふり(お客さんだから)

この昔は竹だった部分貝と貝のスペースをつくるためのプラスチックは

台風や網の破損で流れるものありますが

悪質な牡蠣の養殖業者により、不法投棄されていて

証拠の写真や動画もあり中国新聞でも掲載されました

厳島神社の海岸にもよく落ちています

厳島神社 博多屋

今から10数年前、ふと立ち寄った博多屋さん

140年も代々、その味を継承し、新しく時代に呼吸を合わせてきた波のお話し

不思議なことに、あってすぐに御先祖の仏壇でお祈りすることになり

ふらりと毎年、お二人にお会いしに。

暖かいの食べりんしゃい!

と出来立てをいただく

袋にも最近こだわり、防腐剤はもともと入れてないが

店舗の大改装と美味しい日持ちのする方法を考え

機械メーカーに聞くも、自分の機械を売りたいだけで

いいことしか言わぬ

仕方なく、脱酸素材のメーカーから

包装機械の広島のメーカーを教えてもらい

ようやく納得のい雲のができたんだ

熱くても結露をしても

中は窒素しかなく、その水分は元のカステラに戻り

いつまでもふわふわを維持する

袋もフィルムの長さや幅を熟慮し、ロスの少ない取り方で

箱やパッケージを作った

昔はコークスの(固めた炭)は火加減が難しかった

やがて電気になるが、これは火力が弱くいかん

今はガスで安定し、生地もあんこも機械が流し込むから

焼きの職人技はいらなくなった

時代やな

内装やパッケージは建築家の息子さんのデザイン

新たな風と伝統が融合した

毎日オヤジさんは現場に立ち、餡を作り、生地や焼き具合を見る

宮島へ生出の際はぜひ!

こしあん、粒あんが王道。

桃、まででしょう

チョコ、カスタードクリームもありますが

現代に合わせた無理がある

揚げもみじなる、もみじまんじゅうの天ぷらは

さらにふわふわ、天ぷら屋のアイスの天ぷらのようです。

祝詞山八幡神社

広島 風早 祝詞山八幡神社

巫女だった

ひいおばあさんの実家

祭神は

ホンダワケノミコト応神天皇

と皇后

竜王、イチキシマヒ、祇園大社など

大山祇の神猿田彦

天狗まで

野沢から新潟に戻り、伊豆稲取へ

野沢温泉湯澤神社の、神様タケミナカタ(龍神様)をここホテル浜の湯

のtなりの岬に佇む、龍宮神社へとお繋ぎさせていただく

海から山へ龍の道

あれ、妙な派手な千社札が二枚貼られている。

江戸 重野? 誰だ?もう1枚左上に。3週間前はなかったが、ひっそりとする村の神様の社に

いかにもおれ来たぞ!と言わんばかりのモラルのない派手な札を目立つ場所に貼ってある

宮司に言わねば!30年近くお掃除をし、お酒や卵をお供えしているが初めて。

神様の社にこういうことしたらいけません。すべてレントゲン?いやMRIのように観られてます。

恐ろしいことです

海は荒れていて、石が出ていて出れず、泳げず

そのまま帰ります

野沢にきたら、ここ閻魔堂とフキヤさんの裏手にある不動明王のお堂へお参りする

フキヤサンは50年前と変わらず、同じまま、温泉まんじゅうは卵を入れふわふわ、小豆は北海道産を自家製で蒸したては本当に美味しい

近くには、ドボドボと流れ出る、村人が運営してい流、掛け流し温泉

熱いなんてもんじゃなく、僕はほとんど入れません。が

雰囲気がいいので、石鹸とタオルを持ち

思い出も含め雰囲気が良いので3か所回ったら、湯あたり?しました。

入り口はお賽銭箱があるのでお気持ちを。

昔の民宿は設備が古くなり、スキーヤーも減利、高齢化でしめた宿も多いが

この数年、観光地にオージーや様々白人が来ては、土地や店を買い商売を冬だけ始める

もちろん税金は支払わない。

村には金は落とさず、英語の宿やバーが増え、ニセコの2の舞のおそれ

土地を安易に外国人に売るべきではないのだが

日本の法整備や、私服と地位を肥やす政治家のビジョンが甘い

生のかけす、とカモと外国のリスで野沢をイメージ

雑だけど優しさを感じるディスプレー、銀座の三越さんでは絶対に許可されない展示に笑みが溢れる

野沢温泉村

野沢温泉村へ

今から50年前、雪深い山と温泉の湯気のこもる急斜面の入り組んだ道の村は

思い出深く、当時はにぎやかだった

日産プリンスのライトバンにチェーンを巻き

展示用にはみかん箱とスキーの道具を縛りつけ

爺様とスキーにきた

日本のはスキーメーカーが14社もあった昭和40年

靴は皮でストックはスチールで埋まらないようにつけるワッカは竹と皮

板も木の爺様の手製で火で炙り曲げていたのを、横で見ていた

山小屋風のゲレンデの食堂でもらえる、コップ1杯のブドウジュースが楽しみだった

注文も順番はなんとなく周りを見ていて

カレーの方〜とか店の人がいうと、はい〜!と手を上げて譲り合ったり、先を越されたり

石油ストーブの周りで、革靴やびしょびしょのウェアーを皆、吊り下げて乾かしていた

当時はゴアテックスも、パタゴニアもなく、結局乾かないのだが

それはそれでよかった時代

毎年通う山で、小学生の頃この山の林間を勝手に滑り、コースに出たらまさに穴が開いていて、板の先が刺さり、ビンディングが外れず。スネを骨折してしまった

野沢で2回骨折した、思い出

鳩ぐるまや、あけび細工、野沢菜や温泉まんじゅうが当時のお土産

湯沢神社は火事に遭い安永(1772年ごろ)に再建された。

江戸では浮世絵師でやがて国から法橋の位を授かる、茨城出身の礒田湖龍斎さんが活躍中

霞ヶ浦の生まれの彼は、湖龍斎とした

湯澤神社の御祭神はタケミナカタ(出雲大国主の次男で天照の出雲の統治に抵抗し、闘いながら諏訪に追いやられた龍神様

京都 一久

京都大徳寺 一休さんから命名された一久

精進料理から始まる、乾燥した大徳寺納豆を作り600年あまり

お庭の美しい数寄屋造りのお店でいただく精進料理

興聖寺の「青波の襖」の公開時やことあるごとに、お世話になってきたみなさま

大徳寺のお坊様にご挨拶後、お会いできた

いつもにこやかで、心に心をのせた若女将

大旦那と立ち話をしていると、のれんごしにあいできた瞬間

魂のような1枚

光と闇

闇というが光が当たり見えてくる無色な物がこの世のもの

地球人は通常色を一度物体あたり、跳ね返る反射の光で見ている

物が色があるのではなく、光の波長とあう色が反射する

すだちは緑ではなく、緑の色が反射している

海の場合は謎めいている

反射もあるのだろうが、ほとんどは透過光で見ている

つまり太陽光が宇宙から差し込み、無色な水になぜか色が現れる

水分子のレイヤーの隙間に反射が起こるやら

今僕がいる水中から、緑と黄色の場所までも

水分子で満たされていて、おそらく4〜5はある

その左の部分は反射光だ

ある角度により丸くなった水中の中の動く水

パラパラ漫画のように、目にはめないスピードでくっついては、離反する水分子

おそらく塩分の影響や結晶の隙間により、様々な光の角度や色彩が

現れているのだろう

ともかく

地球上のもう一つの宇宙が海

海を愛しみ、破壊と埋め立てを繰り返す地球人

どうしたものか

その美しい静寂と激しい怒号の中に、身をおけば

そんなことは、恐れ多くできないのだが

人間の心が国土と呼ばれた自然や星々の輝きから遠ざかるほど

大切にしなくなる

Cook Islands

こんな沖で一人

俺何やってるんだろ

大笑いした

小雨の降るブルーグレーの海

鉛のような波が島を包み込むように

迫る

水深1.8mくらいか

強烈に速い波に合わせ一気に潜り

水中で回転する

潜ったと同時に回転しないと

波が遠くに行って写真にならない

浅い珊瑚の硬い岩盤にたつ波は

硬く回転スピードも未体験の速さだ

命のかかることを

しているのだが

怖さはあるが

怖さで覆われはしない

美しく、透明な太古のままの海

水中にはカラフルな魚たち

なぜか同じかわはぎでも

太平洋なのにインド洋にいるものと同じカラー

みな波に向かい泳いでいる

波に巻かれないように

波の下を穏やかに餌をつばみ

海底まで届きそうな大波が来ると沖へ頭を向けている

妙ぜつな本能的な無駄のない古武道のような動きに感服

当たり前か

魚なんだから

写真に写るのはバイクとめ、20~30ぷん泳いできた人間界の島

ここにいたら、下界とは解離した、もう一つの地球

しかしここまで来るのも遠かった

偶然見つけた初めてきた島の波

この翌日、波に叩きつけられ怪我をする

待ったもない、手加減のない美しさと力に身を置く尊さを

教えてもらった

以前に、のせた写真やら、あまりの写真の数に重複もしますが

文が変われば写真もまた意味合いが変わり、その時のイメージで気づくことも

あるかと思うように

これはニュージーランドのオークランド方面、波のありそうな場所を聞き込み

私有地の農場を延々歩き海のあるであろう、方向へ歩くと海なりが聞こえた

google earthも持ってない頃。今は旅は予めネットで調べてしまうから

そのワクワク感や様々が昔に比べ薄くなりました

予め、詳細な結果が見えている場に行くのが最近の旅行なのか

機材を背負い、ウェットスーツを持ち、車を停めた場所から

ぬかるみやら、羊のうんこやら踏み締め

40分来たのがここ

もう行けと言われてもいかれない

泳ぐ気満々だったが

水も濁り、風で波が潰されていて撮れないから見た瞬間やめた

何より、ホオジロザメがいそうな感じがした

寒風の吹き荒ぶ、ケルト民話の海岸のようだ

物寂しい雰囲気が独特で、海岸の小石のケルンが(小石を何段も積み上げたもの)所々

月山や高千穂の賽の河原にやネパールの山によくある、月山はしんだ人が戻る山

ツキヨミの命を祀る山も今は9合目まで車で行けるありがたく無い感じに。

石積みは死者を弔う意味がある

誰もいない

海風が岩を削り数億年かけてできた、自然な自然美は美しい

しばらく冬の冷風にあたり、数日までいたフィジーの青い大波を思い出す

海から戻ると、生きた心地に包まれる、体も精神的にハードだから

撮れていようと、撮れまいと充実した喜びがある

長い時で五時間もイルムを変えては海に中にいた

手もふやけ、喉もカラカラ

こうした旅を繰り返し、泳げる海岸を探すことから始まる

不安と期待のお決まりの文句が海を見つけるまで付き纏う

まずは波があるのか?

珊瑚の岩場から海へ飛び込んだら、果たして戻れるのか?

戻れない場合は第2の上がる場所はどこだろう

一時間後の海や雲の天気は大丈夫か?

どのへんで泳ぐかな?

潮は流れているのか?

サメいるかな?

色々初めての場所を観察し歩き回る

撮るのも難しいが、撮れそうな場を世界地図から見つけるのも

また不思議で難しい

大きな怪我もなくなんとか生きています

海に生かされている

海でゴミを拾い、海に礼を尽くすこと

海は還す

海は人生を巡る

短い命、知らないままの海も風もあるだろうが

それはそれ

一人身を以て、目の前の景色に心打たれ、頭を下げていく時間が

胸の永遠に残り、宇宙の約束を思い出し

神仏を尊び、神仏に頼らない心を育む

地球の全てで自然に行われてきた思いを祈りともいうが

祈りという言葉さえも、きな臭いと思う日がくる

心晴れ晴れ、海へこの身一つ、一人で行く

この数数年前から

海外は興味がなくなったので日本の中へ

古来から数千年受け継がれ、手渡されてきた、形では無い憶い

が神社や滝や巨木に残る

そんな古来から祈りてたちの、雑味無い、昨今の願いをかけにくる日本人とは別質な

信心と思いやりに、自然に行き着く手段の一つが波の裏を泳ぎ、身を正すこと

くじぎりや祝詞やときに般若心経や貝もたてるが

くじぎりと祝詞以外はしたりしなかったり

くじぎりは道教や大陸、ユダヤの流れも吸収した、はらい清める手法

侍や忍びたちが、自己暗示や心の依代とした事実も含め

妙な何かがあると感じる

くじぎりの本には子供が刃を持つようなもので、やたらに験を積まない者が

消すべきでは無いとも買いてある

究極はお経も祝詞いらないのかもしれない

あくまでも、いつの日からこうした方がいい、またそうした現象を目の当たりにし

た結果が積み重ね、自然への義理と失礼ないように誓い、我が身の穢れを払ってから

真っ白なスタジオに引導する所作とも言えるが

最近思うのですが

真っ直ぐな胸の丈、胸の思いがあれば

海岸の石を打ち鳴らしても、なんでもいいのかもしれない

あーしろ。こうーしろという。

後からどこから湧いて出た人間様のご都合に過ぎない手法にすぎないから

それでも、仮に自然や海は必要なかったことでも、人から人へ数千年も続けたら、宇宙や自然や海もその誠意は伝わる訳だ。海も山も水もちゃんと聞いて生きている。

それが日本の誇りと自然と名付ける前の国土やこの国のために亡くなった侍や人々への鎮魂につながる

仏教はずっと後から輸入された新興宗教なのだが

仏像に仏師の思いや、たくさんある種類の仏か?なのか?何かしらの御霊も入るのも事実であろう

修験者たちは、蔵王権現やお不動様、役の行者の力を仮り

崇拝し敬いその身と心を研いでいく

経験を修めるから修験である

取り留めもありませんが

人生は修験だと思います

それぞれの仕事、仕事の休みの日

1歩山河に分け入り独りで黙々と歩き、胸の中をからにし

胸のまま生きること

生きがいの中に生きた古武士

儚い命より長く残る、海や岩や滝や木々を崇めた思いを

アイヌやアボリジニ、ネイティブアメリカンや、フィジーの昔の人々

地球共通で自然に行われてきた優しさと現実を観る胸

自分が少しずつ背伸びしながらできる仁義を自然界に伝えていくうちに

大切な何かが集まっていくと信ずる

学校や教科書では無い生き方がいかに早道で尊いか

頭は捨てて、先人たちの胸を借り僕は海の裏へ

子供の頃、夏になると下関の関門海峡を見渡す山の家にいた

毎朝、料理の先生のお婆と、唐戸市場や長府の商店街に座る、行商の魚売りの婆様から

虎魚やひらそやウニなどを買い、家で捌いてくれた。

食べたい魚を、買ってくれた。

サカタザメもかい、冷水で閉めて食べ

黒鯛(チヌ)や真鯛は

皮に布巾の上から熱湯をかけ、氷水に入れきる

皮の歯応えと、旨味が詰まった大好きな松皮造り

甘い、サッカリンの入った醤油と白いご飯をばくばく食べた

平家の落人が逃げた山はなんだか夜は怖かった

マムシもムカデもいた

今では平家の方々はまるで仲間のように、神棚で名前を読み上げ

毎朝、毎晩ご飯やおかずをお供えするようになった。

赤神宮の平家塚は子供ながらに独特な暗い雰囲気と耳なし芳一

のお堂も怖かった。

毎朝バスとディーゼル機関車の引く客車に乗り、網や水中眼鏡を持ち

無人島へ行った

渡船で渡してもらう島は、透明でゴロゴロとまるい石を船底があたると海へ腰まで濡れて飛び込んだ

どうせ濡れていいものしかない。帰りの着替えは乾いているだろう

一日中、釣りや水中で魚を追いかけ回した

岩から岩へ移動し

ぐらつかないような岩や滑らないような面や苔のない場所を選びながら

足をつくが、たまに滑ったり、蠣殻を踏んだり、と怪我をよくした

深い水中の石から石へ網とビーサンで動き

波や海を観察していた

石の上の魚を見つけると二つの網で挟み撃ち

大体がカサゴやアイナメなのだが

船が迎えにくる夕方まで水の中にいた

日本海の水もくる響灘の水は沖は冷たくブルブル震えながら

たまに出て石の上で温めてまた海へ

マリンブーツ やラッシュガードのない時代

青い海パンと黒い水中眼鏡が宝物だった

生捕りした魚はビニールのブクブクバケツでポンプで空気を送り

持ち帰った。たまに電車で居眠りをしこぼしたり。4キロぐらいあり重かった。

また翌朝島に戻ることと、夜の刺身や魚料理が楽しみだった

サザエはしこたま食べた。網で焼いていると、ばちん!と殻の端が弾けまぶたにあたり血が出たことも

あと1ミリでで目玉に当たったのから危なかった、今も傷がある

今思えば、あの頃の水中の動きや感覚、海での怖さの経験が

網から防水カメラに持ち変えただけで

大事な野外勉強だった

あの頃の体の使い方が自然と身についていたのかもしれない

海や水辺や魚が大好きな子供時代

今では、物や個体や魚ではない

さっきまで無かった海に現れる「波」の動きを写している。

クック諸島

マゼランにしろ、クックにしろアメリカにしろ

訪れた島を我がものにして、キリスト教を植え付けた事実

原始的な宗教という経典もルールもない、もっと純粋な祈りに近い

胸の懷いや怖さと美しさの宇宙に寄っていた昔の地球人、アボリジニ、アイヌ、ネイティブアメリカンたちを

広告的話術や力で謀い、殺戮し強制的に消し去ろうとしてきた事実

ここは岸から300m以上沖の海

ここしか波がなく、引き潮の時に現れる幻の波は

地球の上で海でトップクラスの高速な青い壁

ギリギリ逃げても必ず足先と足ひれは、水中から出てしまう

普段よりもさらに早く、感覚的に鋭く潜らないと

交わせない恐ろしくも美しい時間

人が生きている時間とは

明らかに違う周波数の世界

振動し微細な1シーン1シーン

時間はレイヤーで、幾重にも重なる透明な、水の板のようなもの

波と同じ、パラパラ漫画のような重なってくるもの

自分が昨日まで東京の街で生きたふりをしていたことに気づく

自然や海を破壊し、この怖さから遠ざける暮らしが

地球人を弱らせ、おかしな人々を増産する

裸どうぜん、片手にカメラを握り、片手で泳ぐしかない

不思議な自分を笑いつつ

己の力を直視すればするほど、研ぎすんでくる

座禅や瞑想に近いのだと思う

静かに身を置くこととは、真逆の高速な未体験な波動の時間に身を投じるのだが

結局は同じ場所にたどり着く

全てを捨てて、簡素な道具で海に打たれ

波の周波数をくぐり抜ける、胸から湧き出る幸せかんと生き甲斐

大切な約束は宗教や教科書にはない

スタジオ

スタジオの壁に車ぶつけ、穴が開く

いっそうち壁を全部と理、コンクリートにしようか?

迷うも

2トン車1台分の廃棄物が出ると考えると

よくないな

でボードを買いに行き

穴を埋めた

モデルの撮影が数件と大使館の方の撮影が入っているので、急ピッチ!

ここは昔、祖父のステンレスの厨房や様々大工仕事の工場であり

鈴虫をたくさん、増やしていた祖父の思い出の地

いつも横で、なんでも器用に直す祖父の姿を見ていた

手作りの水槽が20本以上あったのもここ

見ないで押すだけ

カメラを腰だめで押す

波の動きの少し先にレンズの軸を向け押す

写る時は写る

数字や効率ではない

自由自在写る時は、向こうから入ってくる

初めからカメラをのぞいて撮るなんて

思いもしなかったのがよかった

あの四角い窓は曲者で

覗けば覗くほど

うまく構図を捏造し

時間が経つほど

海苔のようにしけっていく

人の場合は見るのはピントだけ

今のカメラは自動でピントが目に来るように

なっているとcanonで買い替えを勧められた

レンズも全部買い替え、防水ケースも0から誰かにオーダー

300万円コース

もう85mmレンズの部品はなくなります

なんで?

新しいものを売りつけるのは

車メーカーと同じ、消費させる社会構造の悪

知らない

馬鹿げた話し

見ないで押すからなんでもいいです

稲取へ

伊豆大島が流れていきそうな冷たい風がびゅうびゅう吹き付け

波もない

龍宮神社に御神酒と卵をお供えしお掃除

青い漁具の部位と缶を拾う

いつもあるペットボトルがないのは

多分風向きで海へ流れたのでしょう

このところ天候も悪く、風も強く海で泳がず

全て自然の流れ

海へ出る時より帰りが危ない

岩のゴロゴロした

波に浅瀬で叩きつけられたら大怪我だ

今まで気をつけているから、そんなことはないが

波を見てもしきたら、又沖へ向かうこと

波が無くなったら一気に海岸へ向かい

足ひれを外し逃げるように上がる

世界中の海岸でどこで入るかを決めるのは感覚でしかない

入ってみたら流されたり、濁っていたり

海から上がると、充実感と共にホットする

体温を奪われないこと

無理をしないこと

自分の力を正直にみる

全て自己判断が正しいから

人に惑わされず

帰るのも勇気

やがて

美しくも恐ろしい海に寄り添えば

寄り添うほど

人は本来の約束を思い出す

海や山で美意識と礼儀を教わる

それは人間界も同じこと

いや人間界がスタンダードではなく

この海が全て

命が一瞬で危ぶまれる海を常に胸に

海は人生に寄り添って溶け合い

正しい道を教えてくれる

頭は捨てて海岸へ

海にも空がある

空にも海がある

だって水だから

水に包まれ生きている

水が青いのではなく

そらが青いから

空が赤なら

海も赤くなる

透明な水がいつまでも

修行の末にあるのは胸の中、修行という言葉も後からついてくるもの

頭は捨てて

いくだけ

師匠たち

古武道の師匠は今は土居清

昔は師匠と呼べるほどの弟子ではないのですが。近所の島津兼治先生

16歳の時に近所にほねつぎを開いていた先生。お父さんも講道館の柔道家で

いつも毛糸の帽子で表でニコニコしていたおじいさん

で、骨法や骨接の凄い先生だと亡くなってから知る

ある日、なんだか武道や戦いを避けてきたのですが

島津兼治先生に習いたいのですが

と言うと。夜の公園ので稽古をしていたが、なんだピンとこなかった。

しばらく日が経つと

君は僕の言う通りに1年間歩いてごらん。

ただこれだけだった

毎日気をつけて行った通りにするんだよ

1年後真面目に・気をつけて歩き

どれ

見せてごらん。

うん。よしそれでいいんだ

あれ?

これでおしまいですか?

これでいい。よし続けなさい

あとね、これを教えよう

僕がね16代目?だったか17代目がなくなる時に

教えてもらった口伝を教えてあげよう

もう時代が昔とは違うから。なくなる時ににね

武道は皆口伝でね、残していくんだ

ときいた体の使い方は今も海で生きている

生かされているのかもしれない。

数十年後、街でばったり会うと

先生は和服で

先生! お〜! 僕今泳いで写真撮ってるんです!

そうか〜!

あのね

こうだ!と道で体を回転させ泳ぐまねを1回!

こうだ!

こう!

指先からね勢いよくいきなさい!

いつもマイペースで急にスイッチ入る先生に笑ってしまう

分かりました〜

じゃ うんまたね

サモアに2年連続行ったのは、もう15年前だ。

フィジーの離島へ行く空港であったハワイアン と

同じ島へ同じ日程で行くことが分かり

海や食事を共にしたのはその数年前

暖かな彼らとは

フィジーで落ち合うようになり旅を共にした

ある日、サモアに行かない?いい波がある

波は透明だとは思うけど、ジャングルの先らしいんだ

日本からハワイへ向かい、数日彼らの家にお世話になり

4時間かけまさに南下し

又5時間も空港で乗り継ぎをまち

アメリカの領土になったサモアに一泊し

わずか20分の昔のサモア ウポル島へ

そこからが大変で、所々アスファルトに穴が開いたり

未舗装の道を車で5時間

ようやくついた川の横のバンガロー

緑のジャングルと村の中にあるようで

子供たちが水浴びや洗濯に行く

洗剤がじゃぶじゃぶ川へ流されている

ガンジス川のように、全てがこの川の水が命をつなぐ

海は遥か沖の浅くなった岩盤にあたる波

問題はいつも薄濁り

海底が見えない場所を泳ぎ

サメが来ないか気が気でなかった

大抵川の河口で濁った場所はサメの村がある

1年いきもういいかなと思ったが

又ハワイの友人が行くと言うのでまた行った

ガイドが海を歩いて数時間かけると岬の森に囲まれた

波があると言う

歩くってなんだろう?

とついていくと

車で30分ほど走りがけを下り

海岸線を歩く

機材を濡れてもいいようにして

背中に背負い、時には溶岩の岩の海岸を胸まで浸かり

歩いた

皆サーフボードを片手に

二時間ほどまさに海を歩くと

遥沖に波がある

森を望む岬

水は透明で

高速な波が巻いていた

泳いでそこまで30分

急にまた浅くなる海底は硬い珊瑚の岩盤

爆風のような波を逃げるには

海底まで潜るが

浅くて逃げきれない為

穴を探して体を入り込ませ横になる

緊張がきれたら巻き込まれる、恐ろしくも美しい聖域

そんな海で

大きな美しい波の裏側から押した1枚

緑の森が波越しに写った こと知るのは帰国後の現像でだ

フィルムを変えにまた戻り

又海へ

帰りの同じ道を延々と黙って1列に歩く

もう2度と行かないであろう

幻の緑の海ティアベア 白い花という意味らしい

僕の胸の中やこの1枚を見ると、海を歩き数時間先にあった

まるで桃源郷のような不思議な聖地

は白い花の記憶として、永久に残り続けるだろう

海がアルミニウムのようにしわむ

目には見えない水素の様々な動きが作る謎

太陽は必ず上から見れず、上から宇宙の気を吸い込んで寄せ付けながら地球と海を射抜く

宗教の脆弱な言葉や教科書の永久に届かない光を観る

一つ言えるのは、生身で、裸の心なる何かで

そこに立ち会う事

たくさんの無限な未知の可能性を秘めたドアが待っている

また太陽は必ずやってくる

写真はファインダーを一切見ない

見なくても写るときは写る

靡「Nabiki」

波はしばらく待機。

雨や寒波の風が強く水中が濁っている。

プランクトンも人もいない真冬がいいのだが

暗い海へ行くのはいいのだが、準備に朝が早い

夕闇の海は恐ろしい、暗くなる前までに戻れるのか心配

日本はいいが、海外のサンゴ礁矢岩の水路見えなり

そこに波がきたら最悪だ。

パプアニューギニアでもうギリギリの暗さに浅瀬は怖かった

水も若干にごり、海底にオニオコゼやウニや様々いないことを願うしかない

足をつかないように波を見ながら帰るのだが

本当いうに危ないのは出る時より帰る時

世界中の未知の波を泳いできて、不思議と大きな怪我はない

軽く足を切ったりはすしたが、大人になり慎重に思慮深くなったのかもしれない

水温で冷やされる低体温症も危ない。ウェットスーツなしでは泳がない。

体を守り、若干だが浮く。水中眼鏡も僕には大事

波のタイミングや海底の岩やサメや様々レーダーを回転させるように360度見ている

サメの場合は沖から来るから、海底が見えている浅瀬の波が立つところは安心だが

青黒くふかい海溝(チャンネル)を泳ぐと木、濁った海は本当に怖い

濁っていたら入った瞬間に帰るのだが、極 薄濁りの時はチャレンジする

川の河口は危なくサメが来る、実際フィジー の河口の海で1度だけ泳いだが

怖くてすぐに上がった。その後そのむらの知り合いの子供が腕を噛まれ

数年後オーストラリアのサーファーが戻らなかったと聞いた

サメが悪いのではなく、サメの家に土足で入った人間の運が悪く餌になっただけ

海や自然は恐ろしいのではなく、力や摂理と循環が人間界とは違い厳しいのだから

海や山に頭を下げ、胸の内を話しかけ、畏怖の思いで祈った世界中のネイティブの人々

は自然な事だ。沖縄の辺野古にしても、安易に数億年の時間でできた美しい海岸や

サンゴ礁や魚たちを生き埋めにするなど

いかれているが、それが今の地球人

悪事をすれば必ずその人に帰ってくる

闇を見て光を見る

自然と名付ける前からの、数億年前と変わらぬ景色に

身を修め、胸を投じる。

世界は靡(なびき)だと思う

人は器

京都大徳寺前の精進料理の老舗 一久 

大徳寺から出ると店先で数年ぶりにお会いできた大旦那

いつも優しく、味、特に素材と醤油にこだわり

200年近い歴史を超えてきた老舗中の老舗

ルールがありますやん

ルールを守りながせんと

自然界の中に創作というかな

人間は1から10まで揃うてる中に、一つの想定外

のよさ、それが魅力であって

とんでもない想定外は人間は変な方に考えちゃう

人間が考えそうな想定外

さかい

想定外は必要性のある遊びやな

大事

それがないと

写真も同じやな

先が出てしまうからね

作為ね

人間はね

DNAあるからね

醤油をこだわっていかにゃいかん

そこにうまみ中かね、こくね

ソース、スパイスなんか、ワサビとか

日本的なものの口があるけども

山椒以外のね

胡椒は洋もののイメージになるからね

なんぼいいと言われてもね、健康にいいとかわかるけどもね

うちにはマイナスになるから

使うに こだわらんといけない

庭や店舗の設らえ、御膳やお椀も漆塗りの一流品

200年前と同じ味

恐るべし修行と継承

瑞峯院

京都大徳寺内の瑞峰院 

九州の侍でキリストさんを大切にしてきた

大友宗麟さんの菩提寺

やがて大徳寺で修行をし禅僧のなる

庭は海を表し、石で十字架を表した重森美玲さん

430年ほど前の利休の茶室が代々大切に修復されながら残る

ワビサビの黒の中に光をみいださせようとして利休の

独特な枯れ、冷えた深いグレーの茶室

朝1番で急に玄関を潜ると

昌道大住職がお茶を飲まれていた

お〜 きたか!

お茶飲んでなお菓子食べい

コーヒーも飲もうな

うん

いつも暖かな海のようなお方

京都にきたら必ず逢いたい御仁

海水は冷えると密度が増し重くなる

水分子がより集まり圧縮される訳で

冬の波は固いイメージがある

冷たく重いなみの裏側

落下した水もその重さで海底深くにくる

影はやがて光で覆われ

消えてしまう

光の影を観る

宇宙や地球は生きているにしても、悲しい事実が起きている

どこの誰にも起きるとはいえ

綺麗言並べても

きな臭いので

日々できることをし

しばらく海に呼ばれる日を待ちます

スタジオ

www.park-studio.jp

不動前徒歩3分。南むき公園前のスタジオ&ギャラリーです。

モデルの宣材写真、ファッション、人物撮影をいたします。

またレンタルスタジオとしても、お貸ししております。

裏に狭いながら、メイクルームもあります。

よろしくお願いいたします。

事前にご連絡下されば見る事も可能です。

謹賀新年

本年もよろしくお願いいたします。

明けましておめでとうございますとは、言いにくい年初め

地球は生きていて、あらがうことはできない現実

海も生きていて、見ている

それが海そのものなのか?

周波数の違う同時にあるが

人の目には見えない世界なのか社会なのか分かりませんが

海とは海岸とセットで

世界中の海岸のもつ妙な感覚を感じます

泳ぐ場所は海であるが、実は海辺の陸地と

そこに動いて息づき、風により命を生んだ波と名付けた動く水

その何かを無理に知る事も、手に入れようとする事も必要ない

科学や理屈の及ばぬ時間を大切に手渡してきた、アイヌやアボリジニやネイティブアメリカン、修験者も同じ

教科書も戒律と言った、人間界のルールを宇宙と自然の風に押し付ける時点でズレていく

ある線を超えたら死ぬ

しかし

ある線に行かないと感じえない時間もある

先人たちが、風や石や川や瀧に魂なる何かが

あると自然に認識し、供物を置き、こうべを垂れ、手を合わせ、胸を寄り添い

祈ったのも当然のことだろう

誰かや仏の個性に濁らされてはいけない

時間は過去と未来がつながって動き固定されていない

写真を現像すると過去の産物のようだが

実は違う

動き、過去も未来もある

茶碗や家具じゃそうはいかないが

人や波は生きて呼吸している

常に見えない風

聞こえない色に

触れること

ビルの隙間のおしゃれな植木鉢に閉じ込められた観葉植物や

鑑賞魚の水槽から自ら出ること

海岸にたち足を水につけ

深い呼吸で音を吸い込み

美しい色彩を胸で感じる

子供の頃、一日中海の中にいたかった

澄んだ山口の無人島で魚たちを見ては、図鑑にはない

実際の動きや習性や色など

何を見ても胸が躍った

大人になったら釣り道具やか熱帯魚屋が海の仕事にをしたいと思った

網を2本持ち水中で魚を生け捕ることが生きがい

やがて防水ケースのカメラを手に波の中へ

海で死ぬ思いをしたいと思いよかった

写真の師匠の師匠ユージンスミスや一ノ瀬泰造さんの生きた戦場のように

本物の海を知りたかった

それには道具を捨てて裸で行かないと海に失礼だと感じ

水中眼鏡とダイビングのフィンで冬のノースショアで泳いだら

やっぱり溺れた

避けては通れない海の道

待ったなしの恐るべし海の力

恐るべしネガティブに引き込み、パニックになる自分

あらゆる死なない工夫もするが

基本は自分の泳力や経験と、どんな状況でも切り抜ける胸の内

潔く引くときは引く勇気

自然と呼ぶ前からある、国土や海への敬意を忘れず

泳ぐ人 跡を濁さず

海の雲、空の雲

同じだが違う

同じなのは風

新潟は雪が降ってません

年々海の天気や風が変わり,撮りにくくなっているように地球が壊れ始めているのでしょうか?

雪山の「雪の元」は日本海の海の水やら雨やら

地球は大気圏のボールの中で海の水やすべてが

宇宙へ行かないようにできています

言い換えれば、地球の中の水間、空間の中でやりくりするしかないのです

沖縄の問題の埋め立て、全国の不可解な埋め立て、テトラやケーソン投げ込み

山を削り、気をなぎ倒し、除草剤や、凍結剤を撒いてできた、人工的なスキー場や

破壊されていく海岸線は2度と戻りません

人間様になりすぎた人間界

約200年前から家康などにより、人間のご都合で悠久の時間が自然形成した

2度と戻らない海や山や滝が破壊されてきた

今は、重機のおかげもあり当時とは比べ物にならない程の速さで壊され、ペットボトルや漁具のごみが

魚より多くなり、ペットボトルを食べる方法を考えるかもしれません

広重の浮世絵で青かった東京湾が黒く濁ったように、100年後の海は青くないかもしれません

現実を知ること

海や山へ行き。

胸でわかること

今年もありがとうございました。

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